15 名門と才覚
「スタートワン。悪いのだが、来週予定していた併走トレーニングをキャンセルしてもいいだろうか?」
メイクデビューを終え、少しの休息を挟んでまたトレーニングの日々が戻って来た。結局シンボリルドルフとの合同練習は継続することになり、彼女と共に走っていたある日の事。
いつも通りシンボリルドルフと併走をするべくコースに行き、トレーナーに手伝ってもらいながら準備運動をしていると、ようやく表れた彼女に開口一番でそう言われてしまった。
意味を計りかねていると、彼女と共についてきたトレーナーが代わって説明してくれる。
「実は、今週予定されていた定例会議が生徒会長のレース出走で急遽来週に繰り越しになって…。シンボリルドルフもそちらに出席する必要があって、どうしても予定が被ってしまうんだ」
「なんだそら。そういうのはもっと前にわかるもんじゃないのかよ」
「どうやら途中で情報の入れ違いがあったらしい。私から頼んでおいて心苦しいのだが、流石に欠席というわけにもいかなくてな……」
「大丈夫ですよ。生徒を支える活動ですから、個人的な関わりは多少割り切らないといけません。それに、併走くらいまた今度出来ますし」
耳を垂らすシンボリルドルフを慰めつつ彼女の頼みを受け入れる。書類仕事って座った労働の割に体力を使うし、どこかで情報が詰まったのだろう。
そろそろ夏も本番、私達より上の学年の生徒は合宿に行く時期なので、生徒会もその前の事前準備で忙しいらしい。なんでも、この時期は基本的に毎年の新入生しか残らないようなので、今年はシンボリルドルフを筆頭とする新参だけが回していく事になるのだという。当然、こんな失敗も起こっておかしくない。
冷静に考えて厳し過ぎないかと思うものの、夏の恒例で、且つ記入が必要な書類等は先輩が毎週必ず合宿先から戻ってきてこなしてくれるので問題はまずないそうだ。実際にその時期を経験していないシンボリルドルフの話なのでどこまで信用していいのかは分からないが、問題があったとしても此方から聞くしかないので、あくまで静観しておく。
とにかく、そんな背景も拍車をかけているせいでヒューマンエラーばかりはどこまで予防しても防げない。当日になって分かるなんてことにならなかっただけましというものだ。
「今日が問題無いのなら、また次一緒に走りましょう。それならいいですよね?」
「すまないスタートワン…。その代わりと言っては何なのだが、私の代わりに併走が出来そうな相手を一人見つけてきてある。私の方から話をしておくから、彼女と走ってはどうだろうか?」
「話を…って、マルゼンスキーさん達とは違うみたいですけど。知っている相手じゃないんですか?」
「ああ、実は私は良く知らないんだ。とはいえ勿論人格的に安心出来る相手なのは確かだよ。トレーナー君の推薦だからね」
「……どういうことです?」
そんなことがあった一週間後。件の併走相手は、自身のトレーナーと共にコースに現れた。白毛の髪にぼんやりと開かれた赤い目のウマ娘。隣に立つのは明るく青みがかった黒髪をした、隣に立つ担当ウマ娘より少し小柄な女性。
アプリ版であれば初期から実装されているシナリオの共通ライバルとして登場する二人が、私とトレーナーに深く一礼する。
「桐生院葵と申します。そしてこちらは私の担当するハッピーミークです」
「……よろしく」
「スタートワンと言います。そしてこちらが私のトレーナーです」
「おう」
「至らぬところも多いですが、本日はよろしくおねがいします!」
「はい、此方こそよろしくお願いします」
そうしてあらためて深く頭を下げる桐生院トレーナー。まだまだ未熟さの抜けない、新米という雰囲気が残っている。一方のハッピーミークは実にマイペースに軽く手を挙げて挨拶をしてそのまま棒立ちで此方を見つめてくる。真逆というほどではないが、どことない凸凹コンビという感じだ。
ま、まさかこの二人が既に学園に居たなんてー。
……なんて、うん。実は学園で生活を始めて暫く経った頃には既に二人が学園に在籍している事は知っていた。少なくとも食堂でマルゼンスキーとミスターシービーと再会する頃には情報は持っていたはずだ。
何せ名トレーナーを輩出する名門として有名な桐生院家、それになかなか居ない芦毛ではなく白毛のウマ娘。或る意味ではシンボリルドルフに並ぶ注目株で、噂程度に存在は知っていたのだ。
二人が直接一緒に練習をしているところまでは見たことが無いのだが、彼女のトレーナーと桐生院トレーナーが何かを話している姿は見たことがある。今回の事は恐らくそこの伝手という事だろう。
ただ、私とはそこまで接点が無く今日まで関わってこなかったので、こんな形で一緒に練習することになるとは思ってもみなかった。クラスメイトやシンボリルドルフ達だけでも関係としてはかなり広い方なので、ただ知っているという理由だけで会いに行けず。縁遠い相手までは私も手を広げられなかった。
人伝といえ、彼方がこのトレーニングを受け入れてくれた事は本当に驚きだ。
本来ならばURAファイナルズの開催が発表される年に二人が活動を始めるはずなのだが、この辺りも、ゲームとは違うという表れだろうか。
「まさか急に決まった相手が、桐生院だとはな」
「私も驚きました。あの人から突然来た相談で、まさか貴方と一緒に練習することになるとは」
「お前ら、よく併走してたのか?」
「いえ、貴方と同じで意見交換をする程度でした。よくお二人で合同トレーニングをしているのは見ていましたが」
「じゃあ、併走は俺らとが初めてだろ? 取り敢えず色々調整していくか」
「はい、お願いします!」
…というか、私のトレーナーとも知り合いだったのか。世間は狭いというべきか、そういう情報はもうちょっと共有して欲しかったと言うべきか。……個人的な交流なんて理由がなければ人に言わないし、聞かなかった私が悪かったか。
胸に渦巻くもやもやを早めに断ち切るべく、さっそくハッピーミークと併走を開始する。
今日のコースはウッドチップ。独特な感触のする道を走りながら、ぽつぽつと会話を挟む。
「……けっこう、速い」
「その分、体力は、ないんですけどね。貴方は、なんというか…。バランスが、いい、ですね」
「…えっへん」
素直に誉め言葉として受け取ったらしい。テンションが上がったのか、その足運びが少し鋭くなる。気分が動きに出やすいようだ。
そのまま私が動けなくなるまで彼女はぴったりと隣をついてきて、私が止まると止まり、走り出すと走り出す。まるで鏡のように、こちらの行動に動きを合わせてくる。
「併走だからって、行動全部を、合わせる、必要、ないん、ですよ…?」
「…そう? でも、この方が、っぽい」
「っぽい」
一緒にトレーニングしている感じがある、ということだろうか。
そのまま走り続けながら、彼女の走りを観察する。
技術としての感想は、正直凄まじい。スタートダッシュ、走り出し、コーナー、息の入れ方、終盤、ラストスパート。
練習するという事でデータとして幾つかの映像を数度見た際のものも含めると、系統としてはシンボリルドルフに近い走りだ。自身のペースを維持したまま、相手を抜き去っていく走り。ただそれだけなら、悪いがハッピーミークは彼女の劣化互換だろう。
しかし、本領はそこではない。長所が無い代わりに短所が無いといえばいいのか。競走馬でもアプリ版でも言える、サクラバクシンオーのバクシン癖みたいなものが顕著だろう。どれをとってもムラが無く、クセが無い。ぞっとする程に滑らかな走り。
ウマ娘ならばどうしても持ってしまう走りの癖が、彼女からは一切感じられない。瞬間的に120パーセントを出し、他で0パーセントになるのではなく、常に70パーセントを継続し続ける。それがハッピーミークというウマ娘の癖になっている。シンボリルドルフのものと比べれば、その緩急の安定感はこちらの方がまだ上と言っていい。
何より、彼女はその走りを芝だろうが砂だろうが完璧な状態でこなすことが出来る。これほどの才能となると、最早シンボリルドルフにも劣らない。
アプリ実装時点で競走馬として存在しなかったからこそ出来る特殊性か、それとも桐生院によって磨き上げられたものなのか。どちらにせよ、これは最早才能の域に達している。これで私達と同じメイクデビューしたばかりというのだから、間違いなく彼女は同学年でも上位の実力者だ。記録として残っている少し前のメイクデビューでも、何ということもなく勝っている。
「この間、もう、二勝目、いって、ましたね。しかも、芝の、二千の、次に、ダート、千二百、なんて」
「ん…。どこでも走れるの、結構、自慢だから」
流石は脚質以外全適性がAのウマ娘。メイクデビューで負けて模索の意味で選ぶならまだしも、一勝目から割と直ぐに二勝目に行くという中々な無茶を通している。ある意味方針を掴み兼ねているという事なのだろうけれど。
「さて、少し、スパート、しましょうか」
「ん。行く」
一気に速度を上げ、ハッピーミークと競り合う。ちらと隣に目を向けると、やはり目に付くのは洗練された滑らかな走り。無駄なくムラなく、いっそ無機質にすら思えるその走りは、URAファイナルズの決勝で必ずその姿を見るゲームの仕様が、現実のものになるとこういう事なのだと言われているようですらある。
「おさきに」
「っ、まだまだっ!」
一気呵成の走りでデッドヒートしながら、ゴール代わりに私達のトレーナーの前を通り過ぎる。主観なので正確には言えないが、ぎりぎり競り勝った、はずだ。
ゆっくりと速度を落としてから、その場に横になる。ウッドチップは芝と違って感触がよくないが、そう言ってられない。
「はあ…、はあ…っ、けほっ」
ざらついた喉に思わず首を軽く抑えつつ咳き込む。まだ血のような味はこみ上げてこないが、かといって辛いものは辛い。
「だいじょーぶ?」
「いちおう…。ちょっと、まって、もらえば……」
「そう? …あ、トレーナー」
「ハッピーミーク、スタートワンさん、お疲れ様。飲み物を持ってきましたが……スタートワンさん、飲めますか?」
「す、すみません…。もうちょっとだけ、ん、んんっ…。待って、もらえれば…」
私の走る様子は何度か見ていると言っていたが、流石に間近で見ると気になるのだろう。桐生院トレーナーはハッピーミークにタオルやドリンクを渡した後、私の背をさすりながら顔の汗を拭き取ってくれる。
軽く身体を起こして、残る汗を自分で拭き、ドリンクを受け取って喉を潤す。最近は体の調子も良くなってきたのだけど、いくら走っても最後の方はばて気味だ。やっぱり、もっと鍛えないと長い距離は戦えないだろう。
「ここじゃあゆっくり休めませんよね。すみません、少し移動させますね」
「え? …え、えっ…!?」
一瞬体が浮く感覚があり、視界が揺らめいて元に戻る。すぐ目の前にあるのは桐生院トレーナーの顔。
「さ、運びます」
「あの、桐生院、トレーナー?」
「おおー。お見事」
軽々と抱えられている。し、しかも同性からお姫様抱っこ。
「あの、すみません、下ろしてもらえると……」
「だめですよ。スタートワンさんはトレーニングの度に倒れていると聞いています。体力がないだけならまだしも、スタートワンさんはいろいろあるので、走った後はちゃんと確認が必要です」
それは、まあ、ちょっと他とは違うけれど。というか、私の事について調べてあるのか。
抗議するにも抗議できず、おとなしくベンチまで運ばれる。他の練習していたウマ娘と目が合ってしまい、何とも言えない顔をされてしまった。
競技ウマ娘育成の名門というだけあり、桐生院トレーナーは全般的に基礎能力が高い。それは運動神経の方でも言えて、身長も大して変わらない私一人を軽々と持ち上げるだけの力を有している。そういえば、パルクールが出来るなんて話もあったな。
(実際のところはどうかといえ)幾ら未成年でも一人の体重は軽いものじゃないのに、それを腕の力だけでこなすというのは素直に感心する。本音を言えば肩を貸してくれるだけで良かったのだけど、状況的に文句は言い辛かった。
「悪いな桐生院、わざわざ」
「いくらアスリートといっても、女の子なんですからちゃんと気を付けないと。それにスタートワンさんは他の皆さんより……」
「き、桐生院トレーナー! そろそろ下ろしてもらっていいですか?」
「え? あ、はい」
まずいことを口走られる前に彼女の腕から逃れる。私について調べたらしくはあったけれど、まさかそこまで調べているとは、ちょっと危なかった。
ばれても困ることではないのだけど、戦法として残しておくため極力隠しておきたいのだ。彼女の善意はありがたいものの、公に言いふらされるのは避けたい。
ベンチの手前で下ろしてもらったのであとは自分で歩き、座って一息つきながらドリンクに口をつける。
「すみませんトレーナーさん、少し休みますね」
「ああ。ってことだ、ちょっと時間もらうぞ」
「構いませんよ。ハッピーミークも、少し休憩にしましょうか」
「ん…わかった」
そのままトレーナー同士、何か思う所でもあるのか議論を始める。ハッピーミークは言い渡された休憩に沿って私の隣に座り、桐生院トレーナーに渡されたドリンクを手にこちらをじっと見つめてくる。
「じー……」
「あの、なにか?」
「……」
「あ、あの、顔を揉まれても」
ハッピーミークはおもむろに私の頬に手を当て、そしてもにもにと揉んでくる。特に嫌というわけでもないのだけれど、彼女の行動の突拍子の無さに困惑しかない。
桃色の混ざる赤い瞳は、ぼんやりとしたまま私をじっと見つめてくる。
「けわしい顔。疲れてるなら、マッサージ……必要かと、思って」
「いえ、これは元々ですから…。というより、マッサージを必要とはしていません」
「……そう?」
眉の皺のせいでどうにも厳つさが出てしまうというのもあるのだろうか。そういえば、ハッピーミークは普段口数が少ない一方、やや自由人なきらいがあるという話だった覚えがある。彼女なりの優しさなのだとは思うのだけど、その行動のチョイスに困惑させられる。
なんとも言えない視線から逃れようと、トレーナー達の方を見る。
二人はこの休憩を有効活用するつもりらしく、バインダーを間に挟んで延々と何かを話し合っている。結構荒っぽい口調の人なので丁寧な桐生院トレーナーとはあまり合わないのかと思ったのだけど、意外と話が合うのだろうか、桐生院トレーナーの方は少し楽しそうだ。
「あの二人、結構長いこと付き合いがあったんですね」
「…私も、初めて知った」
「ハッピーミークさんも知らなかったんですね」
「全然、教えてくれない……から」
「私達、自分の相方の事、あんまりわかってないですね」
「…………もっと、教えてくれても、いいのに」
耳を下げ、ぽつりと零した言葉に、彼女の本心の一端が見えた気がした。
確かURAファイナルズのシナリオ中だと、新人トレーナーと自己主張が控え目なウマ娘ということで暫くの間はぎくしゃくした関係だったはずだ。それが同じ新人、つまりアプリでプレイヤーが操作するトレーナーにいろいろとアドバイスや交流を受ける事で少しずつ打ち解けていく、ある意味でもう一組の主人公という扱いだった。
紹介の際話していた内容からして、この世界でその役目を担っているのはシンボリルドルフのトレーナーだと思うのだけど、普通に考えれば一人で人間関係を良好にさせるというのは難しいだろう。それに、その当人から私達に話が来て関係が出来たのに、全部丸投げというのも心証が悪い。
お節介ではあるけれど、こちらからも多少アクションを起こした方がいいのかも。
「そうですね…。私がどうこう言える立場ではないですけど。見ている限り桐生院トレーナーは悪い人ではないですし、ハッピーミークさんも、いろいろと話してみたらいいんじゃないでしょうか?」
「いろいろ…?」
「ええ。私とトレーナーさんもそうですが、我々はまだメイクデビューをしたばかりの新人。同様に、トレーナー二人も私達が初めて担当するウマ娘という新人です。お互いにうまくいかない事の方が多いでしょう。ハッピーミークさんも、実感したことはありませんか?」
「……ん。ちょっと、わかる」
「入学からまだ一年も経過していないんです。簡単に息が合って、万事全てがうまくいくわけじゃない。だからちゃんと認識を擦り合わせて、落としどころを決めていく。難しいことですが、何もしないよりずっと良いことだと、私は思います」
「……ん」
説教臭いことなので、返される言葉もそこまではっきりとしていない。けれど、彼女の耳が少しだけ上に向き直したのを見て、ちょっとなら効果があったのだろうと考えた。ハッピーミークはハッピーミークで、自分と共に歩む相手の事を気にかけているようだ。
「まあ、必ずしもそうしろというわけではないので、親交を深める一助にでもしてください。私のアドバイスに効果があるかはわかりませんが、相談くらいなら聞きますよ」
「……ありがと」
「構いません。その代わりといっては何ですが」
「?」
「また一緒に練習しませんか? シンボリルドルフさん達とだけ併走するより、ハッピーミークさんも一緒の方がいい刺激になります」
「…………ん」
ちょっとだけ口の端に笑みを浮かべて、ハッピーミークは頷いた。
彼女ほどの鋭才が練習相手に加われば、私はもっと強くなれる。それに、シンボリルドルフの話し相手にもなってくれれば、少しは彼女も気が楽になるだろう。敵に塩を送る形になるが、先に送ってきたのはあちら。私なりの親切だ。
ついでに、クラスメイトの何人かも誘ってみようか。シンボリルドルフと私だけじゃなく、同学年全体の能力アップも図れて、更にはシンボリルドルフ一強となるだろう未来を大きく変えられるかも知れない。私一人で戦うのはどう考えても負けるしかないし、他にも鍛えた子達が少しでも彼女の動きの邪魔となってくれれば、私も出し抜きやすくなる。
うん。それは間違いなく、面白くなりそうだ。
「ハッピーミーク、スタートワンさん! そろそろ練習を再開しますよ!」
「はい! 行きましょうか」
「ん……。次は、負けない」
「お手柔らかにお願いしますね」
ハッピーミークの意外な対抗心につい苦笑しながら、ベンチから立ち上がり、二人の下へ駆け出した。
これを書いた後にグランドマスターズの晩成型の話が出てきたのですが、此方ではちょっと早熟くらいという事にしています。