G1目指して頑張ります   作:あかし/さんさい

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16 生活力と実際の生活

 トレーナー室で机を挟んで、トレーナーの顔を伺う。

 

「前回と同じマイル戦ですが、勝てるでしょうか?」

「メイクデビューしか勝ってねえからまだ格上挑戦に近い状況なのは事実だが、ジュニア級のオープンだ、今のお前に勝てるような相手なんてのはまず居ねえだろうよ」

「それならば良いのですが」

 

 ハッピーミークという新たな併走相手を確保してからまた少し。

 次走もほぼ不安な事は無いと太鼓判を押されたが、やはり安心は出来ない。たかが一勝されど一勝。ここでミスする事も当然私には許されない。

 

「安心しろ。相手の実力が想定以上だとしても、今のお前なら十分対処出来る」

「……やはり不安があります。もう数日練習期間を」

「スタートワン」

「はい」

「今日の予定は何だ」

「………」

「今日の、予定は、なんだ?」

 

 高さを私に合わせて、彼がじっと視線を合わせてくる。逸らそうにも、視界をどこに向けても彼の目が入ってしまう。

 

「……」

「スタートワン」

「……私が休みを全部個人練習に使っていたので、トレーナーさんの監視付きで休息日になっています」

「だけじゃねえな?」

「……く、クラスメイトとの外出以外では最低限の外出しかしていませんでした。でっ、でもですね! ここ最近はちゃんと図書室や図書館でレースの勉強をしているので何も問題ないはずです。運動はしていません!」

「あ、た、ま、使う作業の後に頭使う作業すんな、っつってんだよ俺はよぉ~っ!」

「いひゃいえふひひゃいへういはいれふ!?」

 

 取れる! 頬が取れるっ!?

 

 

 

 次走として予定しているレースが近付いてきた事もあり、トレーニングを一旦ストップし休みの日を増やす事にしたのが数日前。

 最初はいつも通り過ごしていたのだけど、突然トレーナーからトレーナー室に来るように連絡が来たのがつい昨日の事。

 

 そして今、私は彼に思い切り頬を引っ張られて怒られている。う、ウマ娘と言っても肌の感覚は人間と同じだから普通に痛いんだけど…!

 

「あのな。日頃の生活をお前がどう過ごそうが、俺は基本的になんも言わん」

「ふぁ、はひ…」

「だがな。毎日毎日外で走って勉強ばっかして買い物以外クラスメイトに呼ばれた時だけ外出してるだぁ? しかもお前、ただ付いていくだけで買い物もほぼしねえし奢る時もあるらしいじゃねえか。おお?」

「ひぇ、へおひぇふへ」

「でももだってもあるか」

 

 未だ頬を引っ張られて真面に発音出来ていないにも関わらず、彼は続ける。

 

「いいか。さっきも言ったが、お前の休日の過ごし方に本来俺は口を出すつもりはねえ。自主トレしてえってんなら後々影響が出ない程度なら許すし、誰かと出かけたからっつってどういう風に楽しむかってのもお前の勝手だ」

「あい」

「だ、が、な。俺は練習の休みに練習して、出かけてるときまで他人に気ィ使ってる奴を担当してるつもりは一切無い。この間も思考の切り替えの話はしたよな」

 

 真面目さが増えてきた為声は出さず頷く。

 

「俺の言う“休む”ってのは本来レースから離れる事だ。戦うための気持ちは使えば使う程疲弊する、神経を尖らせてるからな。その回復は時間をかけてゆっくりやらにゃならん。わかるな」

「……」

「だから休息中は不必要に精神を削る行為はするな。何時も通りの行動がリラックスになるってんならまだしも、その必要なく行ってるようなら俺は止めさせてもらう。そしてお前の場合! 喋りはともかく普段の中に多少の無理が入ってる事くらい見てりゃ分かる!」

「…あう……、」

 

 手を離した彼は、いかにも怒りを抜く様に、そして少しだけ面倒そうに喉に力を込めて息を吐く。

 若干ながら痛み続ける頬を軽く摩っていると、「とはいえ、だ」という言葉が彼の口から聞こえた。

 

「お前が日常的に鍛錬してようが過干渉になっても邪魔になるからと、ここまでお前の生活に口出ししてこなかった俺にも責任がある。だから今日一日、お前の生活を監視する」

「監視というのはどういう」

「変なモンは想像すんな、俺が困る。単に一日お前が練習を始めないようついていくだけだ」

「……そこまでしますか」

「言ってわからねえようなら行動で示すしかねえな。お前のクラスメイトから相談された時は頭抱えそうになったぞ」

 

 ……この間の手もそこ経由か。終わった話なのだから話す必要なんてなかったろうに、困る事を。

 

 とにかく、トレーナーの反応からして何を言っても効果は無いだろう。今日はこのまま彼と一日を過ごして、何とか納得してもらわないと駄目そうだ。

 

「分かりましたが、今日は特に外へ出る予定も無いので基本的には学園からは出ませんよ」

「構わん」

 

 

 

 仕方なく、彼を連れて学園の中を移動する。後ろを歩く彼にどうしても意識が行ってしまうが、それを極力放置し進む。

 

「どこに行く予定だ」

「トレーニング――」

「したら引っ叩くぞ」

「――と言われると思ったので、今日は図書館――」

「スタートワン」

「――にも行けませんでしたね」

 

 そういえばそこも禁止されていた。レースと関係の無い本を読むくらいいいだろうと視線を向けるが、あまりに冷たい反応が諦める事を強制していた。

 

「頭使うなっつったろ」

「日常で頭を使わない時っていつですか」

「カフェでケーキでも頼んではしゃげばいいだろ」

「あなたにとっての頭を使わない行為がどういうものかは大体わかりました」

 

 口の悪さに中々の思考、この人実はトレーナーに向いていないんじゃないだろうか。記録を作りたいと言っていたが、私以外でそれをちゃんと目指せるようになるのだろうか。

 

「……どうしましょう、今日の予定ほぼ全滅なのですが」

「……お前普段どうやって生活してんだ」

「自主トレーニングと読書と食材調達と、後はクラスメイトと外出する事もありますよ」

「趣味は」

「………………。」

「捻り出せ。買いたいモンとかで出てくるだろ」

「…………………。」

 

 なんとも言えない間が置かれた。

 

「アクセサリ」

「いらないです」

「…菓子モン」

「月に一度食べるかどうか」

「……漫画なりゲームなり」

「ここ数年手元に無いです」

「………化粧品とかあるだろ」

「使いすぎは逆効果なので」

「…………行きたいところはないのか」

「………………。」

「………………。」

 

 ………………。

 

 

「トレーニング関連と図書館ばかりですね。私もっと遊ぶべきじゃないでしょうか」

「自分で言うのか……」

 

 サイレンススズカみたいな生活だな。あれ、私ってこんなに走る事ばかりだったのか?

 

「だったら今度からもっと遊んで来い。カラオケでも行ってきたらどうだ?」

「ライブの練習でよく利用していますね」

「藪蛇だった、忘れろ」

「そういえば、ダンスレッスンは自主トレーニングだと殆どしていないですね」

「するなよ」

「……もう」

 

 ライブの練習はアイドル商売をしている気分になるので、どうしても敬遠してしまう。今日の予定で入れておけば彼に邪魔されずに済んだかもしれないなあ。

 

「昔は何やってたんだ」

「学園に来る前ですか? そうですね……」

 

 となると、前に住んでいた所の事とかになるけれど……。

 

「ああ、絵は描いていましたね」

「スケッチとかか。美術系得意だったんだな」

「美術というより、もっとイラストと言った方がいいものの方です。特別上手くは無いですし、ここ暫く触れていないので技術も落ちているでしょうが。他ですと子供達と……いえ、これは学園内では無理ですね、他にしましょう」

 

 ニシノフラワーのような飛び級の子が今の学園に居るならまだしも、そんなの余程の特例だ。諦める方が早い。

 

「んー…、他には……」

 

 学園の中を行く宛もなく進みながら思考を割く。漫画や小説は読むには読むが今日は禁止。アニメやドラマ、映画などもあるが、最近はそういったものとも離れていたためかそこまで興味を惹かれない。どこか散歩をするというのも手だが、私だけはともかく、彼は退屈になるだろう。

 

 別に思いつく事なんてあったか……あっ。

 

「食には関心がありますよ」

「……一人暮らしだったな。作れんのか」

「関心と言っても、食べる方ではなく作る方なので。作りましょうか?」

「ここじゃ無理だろ」

「確か寮に学生用の調理場が……あそこはトレーナー立ち入り禁止でしたね」

 

 カレンチャンのイベントのように寮長が何かしら察してくれるのならいいが、私は寮暮らしでもなければ寮長とも親しくない。よしんば借りられたとしても彼にはどこかで待機してもらうしかないだろう。

 

「私の家に来ますか? 料理に誘う程度なら特に問題はないと思いますが」

「俺も良識くらいある」

「そうですか…」

 

 マルゼンスキーでも隣に引っ越すかで止まっていたし、ちょっとリスクが大きいか。だったら。

 

「ならトレーナー寮にしますか? ルールにも抵触しませんよね」

「そりゃまあ…。いや、今年だけで何度もってのはな」

「あなたのリクエストくらい聞きますよ、ハンバーグとかカレーとか。揚げ物は少し苦手ですので、ちょっと時間が欲しいですが」

 

 そう言うと、彼の言葉が止まり少しの間考え込むような時間があった。悩むような素振りだったので少し様子を見ていると、彼の口がぼそりと呟く。

 

「……肉じゃが、作れるか?」

「味付けは」

「薄目でいい。出来ればそれで甘く」

「インゲン要りますか?」

「好きにしろ」

「……まずは材料を買ってきましょうか」

 

 今日の予定は潰せそうだ。

 

 

 学園を出て近くのスーパーへ。カートに籠を乗せ店内を歩く。

 

「肉じゃが以外のおかずはお味噌汁で良いですか?」

「なんでもいい」

「なんでもいいが一番困るんですよ」

 

 味が似たりとか彩りとか、考える事は少なくないんだからな。しかも作ったあとであんまり食べたくないみたいな反応をされたり……というのは私の時は無かったっけ。ネットの情報に毒されていた頃の記憶が戻ってきたか。

 

「あんまりリクエストが無いと味噌を溶いただけのみそ(じる)にしますよ」

「……豆腐と茄子」

「やわやわのチョイスですね」

「うるせ」

「だめとは言っていないでしょう。豆腐の入ったものは私も好きですよ」

 

 勝手な印象ではあるけれど、味噌汁に豆腐が入っているのは一番オーソドックスなイメージがある。茶色と白でなんとなく温かみのある色に見えるからだろうか。そういえば流星や靴下のついた栗毛の色でもあるな。そういうイメージかも?

 

 そんな話をしながらコーナーを移動していると。

 

「ん? ねえ、あそこにいるの」

「あっ、スタートワンじゃないか!」

「? あ、先輩……と、ミスターシービーさんですか」

「露骨にテンション下げると私も悲しくなるなぁ」

 

 呼びかけてきたのはミスターシービーと以前の併走でも世話になった先輩。打倒ルドルフの方ではなく、陰口を謝罪してくれた先輩だ。少し離れた二人の元へ歩く。

 

 悲しそうな反応には少し思う所もあるが、私の中での彼女の印象は初対面の何とも言えないものが残っているので、未だに反応は硬めにしている。

 

「自分の胸に手を当てて考えましょう」

「だってさ」

「だってさって何。その手やめなさいって」

「ちぇー」

 

 つまらなそうに手を下ろすミスターシービーに先輩がしゃーっと威嚇するように歯を見せる。普段からこんな感じのようだ。

 それにしても、二人が一緒にスーパーにいるという事は。

 

「お二人共知り合いだったんですね。薄々同学年くらいなのかとは思っていましたが」

「ん? ああ、先週初めてちゃんと会ったんだ」

「ちゃんと、ですか?」

「先週ね、私の寮室に殴り込んできたの」

「殴り込んできた!?」

「殴りこんじゃった」

 

 いやそんな嬉しそうに言われても。しかもそれ、ほぼ初対面の状態でやったって事? いくらミスターシービーでも無茶苦茶が過ぎるだろう。

 つい最近ってことは、シンボリルドルフ経由で知ったのだろうか。同じ相手と走る事がある以上は何時か関わりが生まれるとは思っていたけれど、彼女もまさかこんな唐突な出会いになるとは思わなかっただろうな。

 

 先輩はいかにも困ったような顔で隣の頬をつつく。

 

「同学年なのはホント。でも関わりなんてレースの時くらいだったし、私やっとオープン入ったばっかだから」

「でもこの間スタートワンとルドルフと一緒に走ってたんだよねー。しかも私やマルゼンスキーより先に本気で走っちゃったりしてさあ」

「私も別に好きで参加したわけじゃないんだけど。しかもあの後アンタも参加してたじゃない」

「それとこれとは別なの」

「都合の良い……」

 

 うだうだとしている二人を眺めていると、後ろに気配。トレーナーが追い付いたらしい。

 

「トレーナーさん、お二人も外出していたようです」

「お前らか。何か買いに来たのか」

「今度の練習用にドリンクとかを。こっちは付き添いです」

「付き添いに来たよー」

 

 先輩の言葉にミスターシービーがひらひらと手を振りながら返す。二人の話からするに出会ってから一週間程だというのに、既に結構距離を詰めているらしい。……案外、一方的に絡まれているといった方が正しいのかも知れないが。

 

「それで、そっちはどうなのさ。トレーナーと二人でデート?」

「違いますよ。この後トレーナーさんと一緒に食事でもしようかと食材を買いに」

「ふうん、違うのか……えっ」

「食材を、って、作るの? 何処で?」

「勿論彼の家ですよ、私の家でも構わないのですが、流石に却下されまして」

「…………すたーとわんー」

「なんですか」

「なんだよー。そうならそうって早く言ってくれればよかったじゃないか」

 

 にやにやとした笑みのミスターシービーが肘でつついてくる。先輩も驚きとにやけの間のような顔で私を見てきて、なんだか変な感じだ。

 

 勘違いしたのだとは思うが、仮に私と彼がそういう関係だと本当に言ったら、彼女達はどういう反応をするのだろうか。面倒な事になりそうなのでやりたくはないが。

 

「別に疚しい意味はありませんよ。今日の予定が突然空いてしまったので、時間潰しに付き合ってもらう事にしたんです」

「そんな事言ってぇ。トレーナー寮に行くなんて、まさかスタートワンがそんなにぐいぐいいくタイプだなんて思ってなかったよ」

「だから違うんですってば」

「でも、流石にトレーナーの部屋に入るなんてのはちょっと……うん」

 

 そんなに気になる事かな。異性同士というのは事実だけど、私は元が元なのでまったくもって意識しないし、彼もそういう事を気にする方では無い。それにアプリの様子からするに、大体のウマ娘は担当の部屋に行くことは普通にありそうな感じがする。

 特に。

 

「お二人だってトレーナーさんの寮にお邪魔した事くらいあるでしょう? それと何も変わりませんよ。ね? ミスターシービーさん」

「いやいや、一回も行ったことなんかないって! アンタもそうでしょ?」

「…………」

「え、ウソでしょ?」

 

 ぴんと耳を立て、驚きと共に横を向くその顔から逃れようとするミスターシービーの頬には薄らと赤みがさしているようにも見える。トレーナーの自室に訪れるウマ娘のイベントは度々見ていたのでもしやと思っていたのだけど、この反応は……。

 

「その様子、既に複数回伺っているんじゃないですか? あり得るとしたら、夜食の時間にお邪魔したり、モーニングコール代わりにチャイムを鳴らしたりとか」

「……通い妻?」

「…………、」

 

 育成イベントなどで実際にあったり、或いはありそうだったものをチョイスしてみると、彼女はますます朱に染まっていく。

 あらら……? ほうほう……、なるほど、これは。

 

「ミスターシービーさん?」

「……なるほどね。これはちょっと困ったな」

「困ったって何がよ」

「それはまあ。ちょっと今回は」

 

 ふむと顎に手を当ててから、くるりと背を向けるミスターシービー。

 

「出直すとするよ!」

「ちょっ、ここ店内!?」

 

 あっ、逃げた。情報がこれ以上漏れないように自分から離脱を選んだか。

 手は抜いていた筈だけど流石に危険なので先輩が慌てて追いかけていくのを眺めながら、初めてミスターシービーを明確に撃退出来た事に少し驚く。こんな方法があったのか、次からは同じ攻め方を検討しておこう。

 

 しかし、ふむ……。あてずっぽうではあったけれど、案外入り浸りというのは間違いではないのだな。この様子だと、マルゼンスキーやシンボリルドルフの方もそれぞれのトレーナーの部屋に入るくらいはしているのではないだろうか。今度探りでも入れてみようか。

 

「最近はどいつもあんな感じでマセてんのか?」

「十を越える頃には女は一人の大人になるとは言いますが…、あれは別にませているか否かという問題ではないかと」

「そうか? 下手すりゃ倍くらい年が離れてるパターンもあるんだぞ」

「あのくらいの頃は誰でも年上やちょっと悪い感じに憧れるものです。惚れた腫れたに付き合ってあげるのもトレーナーの仕事なんじゃないですか?」

「……お前が一番マセてるんだったな、そういや」

「誰が耳年増ですか」

 

 こっちは通算でそっちの倍は生きてる筈だぞ。恋愛だって一度や二度じゃ……いや、前世の話を持ち出すのは止めておこう。色々と複雑どころの話じゃなくなってしまうんだった。

 

「とにかく、さっさと食材を調達してしまいましょう。調理時間も考えると、場合によっては貴方の家で一泊する事になりかねません」

「……さっさとするか」

「ですね」

 

 

 

「聞くのを忘れてた」

 

 袋を手に寮を目指していると、不意にトレーナーがそう漏らした。

 

「忘れていた、とは?」

「今度のサウジアラビアロイヤルカップ。シンボリルドルフは出走するらしい」

「! もう重賞に挑戦ですか」

「取れるうちにって事だろうな。あの能力ならマイルレースでも十分勝てるだろうが」

 

 クラシック前のレースなら基本的にどのウマ娘…というか競走馬でも走っている。シンボリルドルフは勿論、ミスターシービーやナリタブライアンも同様だ。私だってメイクデビューはマイルレースを選んでいる。

 とはいえ、今回彼女が行うのは重賞挑戦。相手はジュニア級で、ゲームのように適正の事を必要以上に意識しなくていいとしても、そこには負けるという可能性がオープンレースより濃く表れる戦場だ。

 

「一つ目の足掛かりという事ですね。彼女ならきっと、問題なく勝つことが出来るでしょう」

「まあ、そうだな。」

「……何か含みを感じますが」

「お前は走らないのか? 重賞くらい、もう取れるだけの能力はあるぞ」

「レースに必ずは無い。……シンボリルドルフさんもそう言っている程です。今試す度胸は私にはありません」

「シンボリルドルフに挑むのは度胸が無くても出来るんだな」

「…………」

 

 視線を送ると、すいと逸らされる。人にそういう事を言うのはやめなさいって。

 数秒睨んでいたものの、悪びれる様子を見せない為諦めて前を向き直す。言い方こそあれだが、彼の言葉が事実であることもそれを促した。

 

 度胸が無いから挑むわけではない。ただ、心の何処かに彼女に勝てるという気持ちを持っているのかと言われると、多分限りなくゼロだ。将来的にどうなるかは分からない筈だが、来年までに勝てる想定はしていない。

 だから、ある意味では気安い気持ちで彼女に挑んでいるのだろう。わかりきった未来を知っているので悠々自適に走れる。そういう考え方。

 

 そして、そういう楽観視が出来るのは彼女と走る時だけ。私自身が意志をもって走らねばならない時は、やはり気持ちが揺らぐ。メイクデビューもそうだし、次のレースもそうだった。

 今年は、その精神状態を変えていくための長くて短い準備期間なのだ。

 

 少しだけ無言で道を歩き、寮まであと少しという所で、今度は私が口を開く。

 

「重賞に出たら」

「……出たら?」

「勝てますか? 私は」

「勝てる。絶対に勝たせる」

 

 断言。

 それに本来こたえるべき言葉は、今はどれだけ頭を捻っても出てこない。

 

「……今年いっぱいはホープフルに集中します。来年も三冠は譲りません」

「ああ」

「なので、それ以外の事はお任せします。私の事、勝たせてくださいね」

 

 出来た事は、先延ばしだけ。

 返事の代わりに、頭に手が乗せられた。




某所ではこのトレーナーが登場する話は露骨に閲覧数が減ります。
まあキャラがキャラなので仕方ない。
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