未だ暑さの抜けない秋口。学園の中庭、端に置かれたベンチに腰掛けながら真っ白なページが開かれたスケッチブックを膝の上に、ぼうっと空を眺める。握ったままのシャープペンシルは、持ってきたにも関わらず全く使われていない。
今は昼休み、今日はどことなく授業にも身が入らず、クラスメイトにも心配されてしまった。問題ないと言って誤魔化しはしたものの、実際どうかと言われると自分でも問題なしとは言えない。昼も食べ終え本当なら次の授業までの間の息抜きをしているような時間だというのに、まったくもってその気になれない。
「私が描けと言われてもなあ……」
勝負服。G1出走に当たって、ウマ娘それぞれが用意する特別な衣装。それぞれが受け継いだ名と宿命に沿うように形作られたそれは、言うなれば彼女達一人ひとりのためだけの戦装束といっても過言ではない。
……だからこそ、困っているというわけなのだけど。
「色とか柄とか、何も無いからなあ……」
そう。彼女達と違って、私にはバックグラウンドが存在しない。なので出走に当たって、服のデザインは完全に一から考えなければならない。
もちろん、アプリ版でG1に出走している数合わせのウマ娘達のような共通の勝負服という手もある。
どうやらこの世界ではチーム所属を示す意味での共通勝負服と、学園に申請する事で借りられるものの二種がある。なのでチームに入っていない私は学園に申請をする事になるのだけど、申請する前に一先ず自分でデザイン案を出せとトレーナーに言われてしまい、そのまま数日が経過してしまった。
G1に出る以上、本気で走るべきなのは勿論、自身の見せ方も十分なものにしろ…と言われたら私も頷かざるを得ない。そもそも、その為に散々隠し続けたこの身体を見せる時だというのに、そこで半端な衣装を着ようというのはいくら何でも本末転倒だ。ちゃんとオーダーメイドのものを用意してこそだろう。
……とは言っても、ある程度のこういう服にしたいという方向性しか決めていなかったので、いきなり自分で描いてみろと言われても何も思いつかない。どんなものを用意しろというんだ。
「はあ…。もっと創作の才能でもあればなあ…」
「あっ、スワちゃんやっと見つけた」
「? ……ああ、えっと」
声の方向へ視線を向けるとそこに居るのは選抜レースで私に啖呵を切ってくれたクラスメイト。カフェで一緒に食事したり出かけたりしてから、練習も一緒にするようになった子なのだけど、どうやら私を探していたようだ…って、
「何故ハッピーミークさんとマルゼンスキーさんが?」
「はろはろっスタートワンちゃん♪」
「…こんにちは」
「あ、はい、こんにちは…じゃなくて。何故三人が一緒に?」
流されそうになったところを何とか踏みとどまると、クラスメイトが少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「えへへ…、実は、ミークちゃんとは前のレースで一緒になって。マルゼンスキーさんには、前から色々とお世話になってるんだ」
「…熱い、バトルだった」
「ふふっ、スタートワンちゃんのお友達、調子が良いらしくってお姉さん嬉しくなっちゃうわ。ミークちゃんもスタートワンちゃんと一緒に練習したらしいじゃない? それでちょっと話してたのよ」
ああ、面倒見の良さも彼女の性格の一つだったな。私と関わっているから、ちょっと気になったのだろうか。
そういえば、クラスメイトもあの後チームに加入して、三戦二勝に掲示板一回と安定した勝利を挙げていた。選抜レースにシンボリルドルフと並んで選ばれるのも納得の実力だと証明しているところ、という事だ。
「なるほど。それなら、今度また一緒に練習でもしましょうか? シンボリルドルフさんも喜びますよ」
「そ、それはもう遠慮したいかな。私練習でまでぼろぼろになりたくないし…」
「それはどういう意味でしょうかね?」
「まあまあ。それで、スタートワンちゃんはもうお昼を食べたの? 何か描いてるみたいだけど」
「あっ、そうだった。また何か悩み事してるんでしょ?」
「…あまり人に見せられるものではないのですが……」
以前の事もあるので、無理に隠すとぼろを出す可能性がある。私が誘導出来る程度に話を進めていった方が良い。
やんわり話題を逸らそうとするのに今度は仕方なく乗り、ここへ来る前にスケッチブックへ描いていたボツ案を三人に見せた。
最初は覗き込むだけだったマルゼンスキー達だったが、途中からベンチに座り直してまでこれまでに描いていたデザインを見ている内に、私が何をしていたのかを理解したようだ。
「勝負服…って、これ」
「ええ、まあ。今度のホープフルステークス用に、トレーナーさんから考えておけと」
「まあ、すごいじゃない! 出走おめでとう!」
「まだ登録する前ですし、正式に発表もしていないのでご内密にしてもらえると。とにかく、今はこれを考えてるところなんです」
「そっかぁ…。スワちゃんはすごいなあ、私なんてまだまだなのに」
「そんな事言っても、あなたもオープンクラスに入ってるじゃないですか。後は出走するかどうかですよ」
「そ、そうかな」
「ええ、胸を張っていいと思います」
実際、元の世界でもオープンクラスに到達するだけで全競走馬の中で上澄み中の上澄み。トップと競り合えるだけの実力者として扱われていた。後は彼女自身にG1出走の意思があるかどうかだけの段階にいると言ってもいい。私と同じように準備さえ整えればいいだけだ。
「ところで。スワちゃんって呼ぶの、出来ればやめてって言いましたよね?」
「え、だって可愛いじゃん」
「そうですか…?」
誰が言い出したのか分からないが、いつの間にかクラスメイトの中で私の事を『スワちゃん』と呼ぶ流れが出来ている。ニックネームのようなものだし、アドマイヤベガをアヤベさんと呼ぶ感じに近いので嫌というわけではないのだけど……なんとなくしっくりこなくて、個人的にややこしいなと思うというか。
「あら、可愛いじゃないスワちゃんって。私はいいと思うわよ?」
「ありがたい事ではありますが」
「それよりもさ。服、これ、考えてるの?」
「え? ああ、そうですね。学園に申請して共通のものを借りる手もあったのですが、トレーナーさんがそれよりまずちゃんと用意しておけと」
「晴れ舞台ってやつだもの。トレーナーさんの言いたいことも、ちょっとは分かるわ」
「デザイナーに頼む前に簡単な構想だけでも考えるというのは理解できるんですけど、そういうセンスは正直無いので、どうしようかな、と」
「あー……。私も結構困ったわね、それ」
既に同じ道を経験済みだからだろう、マルゼンスキーの眉に皺が寄る。既にG1に幾度も出走している彼女も、初レースの時は当然自分だけの服を用意する必要があったのだから当然だ。
となると、彼女があちらの世界と同じようなデザインにする前には、どのような事があったのだろう?
「マルゼンスキーさんはどうやってご自身の勝負服を用意したんですか? やはりデザイナーに依頼して?」
「え、私の?」
「何か思いつくきっかけになればいいので。純粋に興味もありますし」
「あ、私も興味あります!」
「…わたしも」
「あなた達まで…。でも、そう、ね…。ちょっと恥ずかしいけど……あの時はね、トレーナー君が私の考えてた服をデザインにしてくれたの」
というと、彼女のトレーナーがデザインを形にしたという事か。『ウマ娘』ではそれぞれをイラストレーターに依頼することで、本人のデザインと合わせて作り出していたのだと思うけれど、それをこの世界に当てはめるとこうなるのだろう。
「デッサンとか得意なんですね」
「彼だけの特技というより、どんなトレーナーも割とそうらしいわよ? それで、トレーナー君が一つ一つ丁寧に私の構想を聞いて、ちょっとずつ描き直しながら…。それで今のものが完成したの。初めて着た時の彼は、それはもうすっごく喜んでくれてね。私もなんだか嬉しくなっちゃって、殆ど舞い上がりながらレースに臨んだのよ」
「うわぁ…! なんか、そうそう聞けない話を聞いちゃったね」
「スーパーカーの完成前夜、ですか。マルゼンスキーさんのはしゃぐ姿、ちょっと見てみたかったですね」
「もうっ、スタートワンちゃんっ!」
「でも私も見たかったなあ、可愛くぴょんぴょん跳ねるマルゼンスキーさん」
「…気になる」
「二人まで~…。もう、恥ずかしくなってくるでしょ……」
熱くなった頬を冷まそうと手を当てるマルゼンスキーを、三人で微笑ましく眺める。うんうん、凄く可愛い。
実装されているなかでも一際に早い時代で活躍した事もあり、年長者として後輩を引っ張っていく側に立つことが多いマルゼンスキーだけれど、育成シナリオなどがそうであったように、まだ年若い少女としての側面も持ち合わせている。
この世界の彼女も学園に在籍するウマ娘としては既に上の方なので、私もどちらかというと世話になっている相手という印象が強く、なかなか年相応の姿というのは見られていない。この学園でその様子を一番見ているのは、きっと彼女のトレーナーだけなのだろう。
「それでそれで! 他には!?」
「初レースに勝った後、戻ってきたマルゼンスキーさんにトレーナーさんはどんな祝福の言葉を?」
「そ、それはその…「楽しそうに走る君の顔が、いつも以上に輝いていて…とても……」」
「……とても?」
「「とても綺麗だったよ……」って……」
「わあっ……!」
「……らぶらぶ…!」
「その後、そのあとはどうなったんですか?」
「い、今はそういう話じゃないでしょうっ! 私じゃなくて、スタートワンちゃんの勝負服のことっ!」
「「「ええ~」」」
視線に堪えられなくなったのか、真っ赤な顔のマルゼンスキーが強引に脱線した話題を戻す。くっ、元の性別とか関係なく普通に気になる話だったのに。トレーナーの言葉に照れながらもはにかむマルゼンスキー…。絶対可愛かったんだろうなあ。その瞬間を見られなかったのが悔やまれる。
「で、結局どんなデザインにするつもりなの? ボツにしたっぽいものからすると、けっこう露出が多いみたいだけど」
「ああ、まあ、そうですね。メイクデビューも次走でもライブにインナーはどうかと言われたので……」
仕方なく軌道修正を受け入れつつそう零すと、三人がなんとなく似たような笑みを浮かべる。もちろん苦味を強めにして。
こちらも色々な理由で身体を隠していたのだけど、その理由は自分の口から説明をしていなかった。調べればすぐに分かるし、実物を見せる事でより動揺を誘うという切り替え方もあるだろうと止めるような事はしてこなかったのだけど、今のところ私の情報をすっぱ抜いた新聞やニュースは見ていない。数える程度だが取材もあったのだけど、そこでもやはり何かを言われたという事は無かった。
アニメやアプリで分かるように、この世界のマスコミの報道倫理、情報倫理も元の世界と変わらないのでおかしいとは思うものの、もしかしたら樫本代理かたづなさんあたりがストップをかけているのかもしれない。少なくとも入学直後はトレーナーが私一人に注視するような事は無かったと思うので、そのあたりに一番可能性がありそうだ。
で、それを踏まえ服を考えているのだけど。流石にデザインなんて事はした事が無いので、中々イメージが固まらず廃案が積まれていくだけになっている。
「なんとなく、袖、裾は短くなるように考えています。それに合わせて多少肌の出る箇所を増やすべきだとは思っていて…、胸部か腹部か、どちらかだけでも出すべきかな、と。こんな風に」
「おー…、さっき見てたのもそうだけど、スワちゃん、絵上手だね」
「所用で人に見せられるよう描いてきたので。こうして服飾までする予定は無かったのですが…」
「…じゃあ、悩んでるのは、なんで?」
「形がちゃんと纏まってないのもそうなんですが、色が思いつかなくて」
「色?」
色。それは勝負服を最も鮮烈に彩る特徴の一つ。レースに出走するサラブレッドがどの馬主の所有なのかを表すものであり、またウマ娘の、そして競走馬の個々を大きく示すものとして扱われる事もある。例えばスペシャルウィークなら白に紫。トウカイテイオーなら白、青、桃、といった具合になる。
更にデザインにも変化があり、有名なものとしてはメイショウドトウなどのメイショウ冠名を持つ競走馬の、胴の青を貫く桃色の斜線だろう。
そうしたデザインをこの世界に落とし込む事で、彼女達の衣装は出来上がっている。例に挙げた三人のように、たとえ色が同じでも模様の付け方によってデザインが大きく変わり、それぞれの個性を表すものとしても機能する。
けれど、私にはそのような下地が存在しない。しない故に、本当に単純なインスピレーションのみで、私は自分がこれから走るために着る特別なものを用意しなければならない。
「私に合うイメージとかは今は度外視で良いと思うんですけど、デザインに合う色が無いと、多分変なものになってしまうんですよね。それがどうにも思いつかないもので……」
「ふーん……。じゃあ、スワちゃんに似合う色を私達が言っていけばいいの?」
「というわけでは無いのですが……」
「でも、その方がいい、気がする…。似合いそうなら、きっと、服にも似合う」
確かに、両方が解決出来るならそれに越した事はないけれど……。
「ミークちゃんの言う通りね。よーし、思いつくもの挙げていっちゃいましょう!」
「「おー!」」
「あっ……まあ、それでいいのなら、いいですが」
多分止めても聞かないな、この様子だと。
「……」
「…………」
「………………」
「あ、あの。そこまで落ち込まなくても…」
三人が次々に思いつく色を挙げていった、その数分後。異常なスピードで三人の顔が沈んでいき、ついには真っ暗な顔でベンチに並ぶことになった。
その速度と言えば、開始から三分もせずシームレスに全員の視線が落ちていった程だ。
「……ごめんスワちゃん。私、思った以上にスワちゃんへの印象暗かったのかも……」
「色と印象が必ずしも一致するわけではないので、そこまで気にしなくてもいいのでは?」
「ごめんなさい…なんでこんなに暗めの色ばかり思いつくのかしら……」
「……落ち着いた色って、青色とか、緑とか……なのに」
「逆にここまで綺麗に色が落ちていったのは、見ている限りだと感心するレベルでしたよ?」
最初は赤やオレンジなどの暖色系で攻めていた三人だけど、直ぐに青などの寒色に移動していき、やがて紫や茶色など暗みが増えていった。最終的に出てきた色と言えば。
「灰色と黒……。鮮やかさには欠けますが、これはこれでいいのではないですかね」
暗色どころか純粋な黒に到達しているところに私へどんな印象を持っているかの一端を感じる。
まあ、付き合いの長いクラスメイトだけでなく比較的知り合って日の浅いハッピーミークすら同じ色を出し、そして彼女達自身がその事を心底不思議に思っているようなので、もう私そのものにそれを感じるのだとしか言いようがないだろう。逆になんで感じるのかという疑問は残るが。
「いやいやいや、流石に暗すぎない? もっと明るい色にした方がいいって!」
「そ、そうよね! もっともっといい色があるわよ!」
「でも、黄色とかピンクのドレスを着ているイメージは無いんですよね?」
「「…………」」
丁寧に視線を逸らすくらいなら無理にフォローしない方がよかったと私は思うなあ。
不甲斐ない二人に代わって、ハッピーミークが少し考えた後、スケッチブックにすらすらとペンを走らせる。
「黒とかしか、出ないから、アイテムに色を付ける、とか……こんな感じ?」
「ふむ?」
案の一つに軽くデザインが加えられる。ドレスタイプのものに斜線を引き黒くハッチング、合わせて彼女が描いたのは……小さい肩掛けポシェットか。色鉛筆などはもってきていないので彼女も特に色は考えていないようだが、改めて描き直されたボツ案は、暗色のドレスに明るいポシェットがうまく引き立っているように見える。
なるほど、これなら明るい色を私が付けていても違和感はない。小物系も基本の勝負服でのスーパークリークやマチカネフクキタルなどが居るので、そこまで変には見えないだろう。
というか、普通に絵がうまいな。私のデザインに違和感が出ない程度に馴染ませながら描いてくれているので、想像がしやすい。
「これなら、どう? 勝手に手、加えちゃった、けど…」
「決定稿ではないので気にしなくていいですよ。それにこれなら私が着ても妙ではないでしょうし、良いと思います」
「おおー、確かにいいかも」
「ほんとね。ポシェットも可愛い!」
「絵が上手なんですね」
「ん……まあ」
恥ずかしくも嬉しそうなハッピーミーク。卒なくこなす、というのはこうしたところでも表れているらしい。
「そうですね…。流石にこれをそのまま使うわけにもいきませんが、アドバイスとして加えてみましょう。ありがとうございます三人とも」
「……ん」
「ま、まあね。このくらい朝飯前だし」
「そうね、何か解決の糸口にでもなったのなら嬉しいわ」
そうだな…。全体の色味はもう黒と灰色で固定していいだろう。後はそこにアクセントとなる色を足しながら細かくデザインしていくだけだ。
さて、そうなるとどんなものにするのが一番いいのか………。
「ああ、いたいた、マルゼンスキー!」
「あら? シービーちゃんじゃない。どうしたの?」
と、そこでミスターシービーがベンチに歩いてきた。購買で勝ってきたらしい袋を片手に彼女はマルゼンスキーの下へ歩いてくる。