マンションの一角、家族四人が住むその部屋にて、私とトレーナーは普段食卓として使われているテーブルに座る。向かいの席には鹿毛のウマ娘の女性が、私の方へ行こうとする姉妹をそれぞれ抑えながら優しく微笑んでいる。
「お帰りなさいスターちゃん。それと通算二勝目、おめでとう」
「お久しぶりですお母さん。少し早くなりましたが、戻ってきました」
「気にしなくていいのよ。会いたいと思ったなら、何時でも戻ってきなさい」
「ありがとうございます」
火事以前からこの世界で生活を始めて一番お世話になっている、姉妹の母。かつては中央に在籍し、重賞も幾つか取っている元トップアスリートだ。
「お父さんは、今日はお仕事ですか?」
「ええ。本当は全員で迎えるつもりだったんだけど、今日に限ってねえ。夜には帰ってくるわ」
「わかりました。なら、先にこちらの説明をしましょうか。トレーナーさん」
「ああ。以前連絡を送ったスタートワンの担当トレーナーだ。今回は突然の訪問を受け入れてくれてくれた事、感謝する」
もてなしのお茶を置いたテーブル越しと言え、彼は何時になく深く頭を下げた。
「いえいえ、此方こそこの子を見守ってもらって感謝しています。いつものように無理をしようとしていませんか?」
「そういう事は無いよう、ちゃんと止めている。今日もその一環で来させてもらった」
「やっぱり。スターちゃん?」
「ある程度無理できる範囲は分かっているので大丈夫です」
「もう…。トレーナーさん、気を付けてくださいね。この子、時々本当に危ない事をするので…」
「ああ、こっちも極力注意する」
「言っておきますが、体調に支障を来すようなことはしていませんからね」
「だから言ってるの。突然倒れられるなんて事、私はもうこりごりよ?」
じろりと向けられた視線から目を逸らして逃げる。入院してからというもの、ちょっと過保護になられているので私も受け流しには慣れている。
と、そこで母の拘束から抜け出した姉妹が私に抱き着いてきた。
「ほし姉ほし姉! そんな事よりあそぼ!」
「公園行こ! 一緒に走ろーよ!」
「こら、二人ともっ。スターお姉ちゃんたちは遠くから戻ってきたんだから、疲れてるの! 今日はちゃんと休ませなさい!」
「「ええーっ!」」
「私は構いませんよ。外に出ましょうか」
揃って不満の声を上げる二人に助け舟を出す。子供は風の子と言うが、ウマ娘だけあり本当に元気だ。
姉妹は私の許可を聞いて目を輝かせる。
「ホント!? やったー!」
「はやくはやく!」
「ほし姉のトレーナーも一緒に遊ぼ?」
「俺もか?」
「すみません二人とも、トレーナーさんはお話があるので、私だけにしてくださいね」
二人を引き留めつつ、トレーナーに視線を送る。目があったところで片目を瞑ると、彼も意図を察したようだ。
「もう…。ごめんなさいスターちゃん」
「長時間の移動と言っても大半は乗り物ですし、気にしないでください。トレーナーさん。後のことは」
「…ああ」
「さ、行きましょうか」
「「わかった!」」
引っ張られるようにして玄関へ向かう。ウマ娘の姉妹なので運動は大好きだし、走る事はもっと好きな二人だ。久しく会った相手と一緒に遊べるだけあり、尚の事浮足立っている。
喜びの相手になっているというのは嬉しい事だが……。さて、学園で鍛えているといえ、私の体力は持つだろうか……。
「「ただいまーっ!」」
「た、ただいま戻りました……」
「お帰り三人とも。ほら、おやつ用意してあるから、手洗いしてきなさい」
「「はーい」」
「すみません…、その前に、ちょっと…、休憩を…」
「……ごめんなさいね。はいこれ、ちょっと冷やしてあるから」
「ありがとう、ございます…」
玄関先で靴を脱ぐ前に座り込み、二人の母が用意してくれたお茶で喉を潤す。昔と比べて多少はついていけるようになったかと思ったが、二人もこれから成長期なだけあり体力が有り余っているようだ。
緩い動作で靴を脱いでいると、一旦二人を見に行った母と入れ替わるようにトレーナーが来る。
「お疲れさん。随分とはしゃいだみたいだな」
「育ち盛り、ですからね。一定の成長を終えた身からすると、手加減してほしいところです」
「お前もまだ十代だろ」
彼の顔にはよく言う、と書いてある。外側と中身が一致しないなんてことはウマ娘にはよくある事だろうと言いたくなったが、私の場合その枠にも収めにくい立場なので言い出しにくく、その代わりとして別の事を問う。
「それで? 実入りのある話は聞くことが出来ましたか?」
「……そうだな。知り合った時の話から、そのほし姉って呼ばれ方まで聞かせてもらったよ」
「そこまで聞いたんですか? 言ってくれれば私が言いましたよ」
「聞く暇なかったしな。ま、流石に言われなくても分かる話ではあったが」
彼の言う通り、二人のほし姉という呼び方は私の名前が「スタートワン」だからだ。まだ幼かった二人が母の「スターちゃん」という呼び名を本名と誤認し、そこからStartのスターではなくStar…、つまり星の方と勘違いした事が定着したものである。
今はもう星の意味ではないとは理解しているのだが、一度ついたものは中々取り去れないもので、現在も揃ってこの呼び方になっている。クラスメイトの「スワちゃん」呼びが私的にしっくりこないのも、ここでの呼ばれ方に馴染みがあるからという点が大きい。
「で、私をここまで連れてきたのは、息抜きと情報収集を目的に?」
「……ま、そうだな」
概ね肯定だが、ややぼかしたような頷き。てっきりこの二つを求めていたのかと思ったのだが、違うのだろうか。あまり時間をかけられるとこちらの方が痺れを切らしたくなるのだけど。
「本当にしたかったことはまた別にあるようですが……。今日中に終わる話だったりしますか?」
「ここのもう一人の住人が返ってきた時にな。準備はしておく、お前はその時に合わせてくれりゃいい」
ああ、それでか。定時に帰れるとしたら夜も少ししてからになるだろうから、もうそろそろになる。
「ほし姉、まだー?」
「おやつ全部食べちゃうよー?」
「わかりました、ちょっと待っててください。……何を隠してるか知りませんが、変な事はしないでくださいね?」
「わーってるよ。お前も食い過ぎんなよ」
「言われずとも」
彼にうさん臭さを覚えつつも、二人の声に急かされて洗面所に向かった。
順番は前後してしまったが手洗いとうがいを終わらせリビングへ戻ると、二人がテーブルに置かれたお菓子を食べている。
よく見るとその菓子類は今朝ゲームセンターで取り散らしたチョコなどで、なるほどこれだから先にあそこへ向かったのかと分かる。子供達用にするのなら普通にスーパーなどで購入すれば早いものを、技術もあるし安上がりに出来るからと選んだのだろう。ちょっとせこい手だが、二人も喜んで手を伸ばしているので、まあ言わなければいいだけか。
少しの間二人と休憩がてら間食を摂っていたが、カウンタータイプの台所で二人の母が夕食の準備を始めたのを見て手伝おうと立ち上がる。
「お母さん、手伝います」
「大丈夫よ。あなたはそのまま二人を見ててくれないかしら?」
「ですが……、あ、トレーナーさん」
「……見といてやるから、手伝ってこい」
「どうも」
二つ返事で了承を得たので、濡らさないよう手袋を外して台所へ立つ。突っ込みたがっている目を気付かないふりでやり過ごしながら、台所に並ぶ食材を見る。にんじんたまねぎじゃがいもにパン粉と……挽き肉。
なるほど。まだ皮を剝き始めたところだから、ここは、と。
「剥くのは私がやります。お母さんは切り始めてしまってください」
「…はいはい、分かりました」
諦めた声を皮切りに、分担作業で料理を作っていく。野菜や肉を炒める過程など細かな調理を任せたまま、その他の雑事をこなしていく。
「昔より上手くなったわね」
「あちらでも自炊が多いので。ざるは此方に置いてくださいね。洗いますから」
「ありがと。サラダのドレッシングこれでどう?」
「……少しだけ油が多いかもしれません」
「りょうかい、割合ちょっと変えとく」
人間として元の世界で暮らしていたころは出来合いのものを食べることが多かったが、この世界に来てからは今後の事を考え、ほぼ毎日自分で料理をするようになった。はじめの頃は体が小さいこともあり一つ作るだけでも大変だったのだが、慣れてくれば簡単だったし、時間はたっぷりとあった。
こうして交流が生まれてからはアドバイスを受けるようにもなったので、今ではそこそこ手間のかかるものでも材料さえ用意してしまえば大体は作れる。
そうして料理を作っていると、カウンターの向こうでトレーナーと姉妹が何かを話し合う声が聞こえてきた。
「ほれ、お前らにはこれをやろう」
「わっ、まるぜんすきーだ!」
「みすたーしーびー!」
「それでちったあ大人しくしてろ」
「「やったー! ありがとうっ!」」
「聞いてえねえし……。しっかし、お前らほんとに似てんなー、双子か?」
「違うよ、わたしがお姉ちゃんでー」
「わたしがいもーと!」
「ほおー…」
「で、ほし姉が」
「一番上のお姉ちゃん!」
「そうか。スタートワンの事、好きか?」
「「うんっ!」」
……当人のいる場所でそういう話は出来るだけやめて欲しいなあ。
隣で聞いていたらしい二人の母が、此方をみて微笑む。
「良かったわね」
「……こういう話は、人前ではやめて欲しいですけどね」
頬が熱いのを水仕事で冷えた手で冷ます。
料理も完成し、後は待ち人だけとなった頃。玄関の方から鍵を挿し込む音が響く。真っ先に反応したのは姉妹だった。
「帰ってきた!」
「おむかえ行ってくる!」
「ええ」
「いってらっしゃい」
二人がばたばたと走っていった後、数秒後に「おかえりなさい!」と叫ぶ声が聞こえてくる。合わせて男性の驚く声も聞こえた。
両腕を姉妹に捕まれ半ば振り回されるようにして、声の主が姿を現す。
「ほら、こっちこっち!」
「はやくはやく!」
「はいはい、だからあんまり引っ張らないで……おっ。お帰り、スターちゃん」
「はい、お久しぶりです、お父さん」
「あれ、おとーさん知ってたの!?」
「ん? そうだなぁ、お母さんに聞いてたからね」
「えーっ!? おかーさん話しちゃったの!?」
「そうね、二人とも言わなそうだったから」
おや、どうやら姉妹は私が来ることを内緒にしようとしていたようだ。想像していた展開が崩れて二人は大顰蹙だが、両親は楽しそうに笑っているだけ。まあ、あの様子からすると二人だけで内緒にする予定だったのだろう。
「二人とも、お父さんは帰ってきたばかりなんですから、まずは洗面所に連れて行ってあげなさい」
「「はーい」」
そんな話をしながらも、住人の全員がようやく集まった。椅子の数が足りないかと思ったら、予備の椅子を一つ用意していたらしくトレーナーも私も座る事が出来た。
隣で座るトレーナーの僅かな緊張を感じながら、向かい合う姉妹の父に目を向ける。
「さて、家主ながら長々と待たせてしまって申し訳ない。改めて、お帰り、スターちゃん」
「はい。少し早いですが、戻ってきました」
「娘が返ってくるのに遅いも早いもないさ。それで、そちらが連絡をしてくれた……」
「スタートワンの担当トレーナーをしている。今日は突然の訪問を受け入れてくれて感謝する」
ここへ着た時と同じように深々と頭を下げたトレーナー。やはり、彼なりに敬意を払うつもりらしい。
「こちらこそ、彼女の事を見てくれていること、本当に感謝します。語りたいことも沢山あると思います……が、学園からここまで来るのは大変だったでしょう。まずは一緒に食事でもどうでしょうか」
にこりと笑いかける姉妹の父に、トレーナーは思考を巡らせるように目を揺らし、そして此方を見る。素直に受け入れるべきか迷ったのだろう。
仕方ないので私が助け舟を出す事にした。
「そうですね。流石に少しお腹も空いてきました。お母さん、用意手伝います」
「ありがと。それじゃ、先に食べちゃいましょうか。二人も手伝いなさい。今日はにんじんハンバーグよ」
「「にんじんハンバーグ!」」
慌てて立ち上がる二人に笑わされながら、隣のトレーナーを再度見やる。彼は口元に僅かな笑みを見せながら、困ったように首を搔いた。
六人で穏やかに食事を終えた後。片付けと皿洗いを終え、今度こそ私達はテーブルに向かい合う。
姉妹もなんとなく空気を読んだのか大人しい中、数泊静かな間を置いて。口を開いたのはトレーナーだった。
「今年のトゥインクル・シリーズ。その年末のジュニア級G1、ホープフルステークス」
「…そろそろ出走者発表の頃だね」
「ああ。そのレースに、スタートワンは出走する予定だ」
「ふふ、スターちゃんももう、トップアスリートの仲間入りね!」
「まだ出走が決まったわけでは無いので、そこまで言われてしまうとちょっと恥ずかしいのですが……。ありがとうございます」
「ほし姉、じーわんに出るの?」
「じーわんウマ娘になれる?」
「どうでしょう。なれるかもしれない、という所ですね」
今のところ無敗のまま連勝も出来ているが、かといって次も勝てるなどとは言えない。結局勝負は運も大きく絡んでくるからだ。
「今回ここに来たのは、ホープフルステークス出走に当たって一度会っておきたかったからだ。幾つか聞きたい事もあったからな」
「そうか。詳しい事は母さんから聞いたのかな?」
「大体は、だが。それと、もう一つやっておきたかった事ってのは」
そういってトレーナーは椅子から立ち上がり、部屋の端に置いていたキャリーケースを持ってくる。
「スタートワンの勝負服を持ってきた。確認をしてもらいたくてな」
「…持ってきたんですか? というか、何時完成していたんですか?」
「先週の時点で連絡は来ていた。受け取ったのは今朝だ」
……まさか、スポーツ店でやけに待たされたあの時? それ、私に話くらい通しておいてよかったんじゃないのか?
私の視線を知らんぷりして、彼はそのままキャリーケースを開く。
「悪いが、今着替えの出来る部屋はあるか?」
「それなら、そこの部屋が空いているから使ってくれ」
「スタートワン、着替えろ」
「……わかりました」
咎めたところで話を長引かせるだけだと思い、何も言わず彼から服を受け取る。服を保護するカバーのファスナーに指をかけ引き下ろし……ん?
「あの…これ、私が描いたものよりデザインが微妙に違っているんですが」
「素材とかデザイン的に難しい部分は俺が改めて注文した。ほれ、そこに注文用のデザイン案があんだろ」
彼に言われるままキャリーケースを漁ると、その中から私が描いたデザインの紙と、それを更に一つの衣装として洗練させたものが描かれた紙が入っていた。私が描くうえでおざなりにしていた部分などが細かく直されており、更に素材や変更点などについても議論の上で何度も書き直されていた。
「……私が見てない間にどれだけ手を加えたんですか」
「殆ど手は付けてねえよ。お前のコンセプトは崩れないようにしてある。ちっとばかしお前より細かくしてあるだけだ」
「この絵、明らかに私より繊細なんですけど」
「昔は美術教室にも通っててな、お前が手を抜いたところくらい補足すんのはかんたっでぇ!?」
ちょっとだけ本気で彼の脛に後ろ蹴りを入れる。悶絶したトレーナーが脛を抑えて蹲った。
「なにすんだてめえ……!?」
「勝手に手を加えたことには文句は言いません。私より絵が上手いにも関わらずデザインを丸投げしてきたことにも今回は目を瞑ります。ですが、それを内緒にした挙句現物が届くまで何も言わなかったことはいただけません」
前者二つに対する不満の気持ちも無いとは言い切れないが、ここまでされると普通に問題だろ。私がよっぽど自分のデザインにプライドのある人間だったら本気で切れていたんじゃないのだろうか。
「お、お前…、自分で勝手に手を加えて構わないって言っておきながら……!」
「そんな事ありましたか?」
「あったろちょいちょいどうするか聞いてたろーが……!」
……言われれば、何度か彼に布地や丈について聞かれたな。デザインもそこまで改変されているわけでは無いので、大体は私の希望通りだ。不満は無い、ないが……。
「だからといって、今の今まで説明もなく、しかもここまで連れてきてから着替えろなんてのはどうかと思います。試着すらせずにぶっつけ本番はダメですよ」
「つっても着られんだから問題ねえだろ……!」
「試走すら出来ていないじゃないですか」
この世界の勝負服は試着と一緒に走った感覚も調べるのは普通だろうに。どうするんだ、学園からこんなに離れてしまったら走るものも走れないだろう。
「まあまあ。とにかく、まずは着てみるといい。どうするかはその後決めればいいだろう?」
「そうね。私も初めて着た時は大丈夫か不安だったけれど、結局は着てみないと分からないもの。」
「……まあ、そこまで言うのなら」
自分が求めた結果用意されたものを使わずにいるというのもおかしな話だ。言われた通り、細かい事は着てからにしよう。
「…じゃあ、ちょっと部屋、借りますね」
服を手にリビングを一旦出る。空き部屋に入って服を広げ直し、もう一度見直す。……自分でデザインしておいてだけど、これ、結構恥ずかしい恰好だなあ。露出も多いし、色々な意味で子供の教育に悪い。
彼もせめて初が子供達の前にならないようにっていう配慮くらいは……それは私も同類か。