G1目指して頑張ります   作:あかし/さんさい

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25 あふれる希望は誰の手に

 肌を突き刺すような寒さは、人で作り出された黒い大地の中でも残っている。

 ほうと吐き出した息は、白い靄となって掻き消えた。

 

 千葉県船橋市、中山レース場。

 後一週間しない内に大晦日という年末も極まった一日。つい数日前に行われた有馬記念にて、三冠ウマ娘ミスターシービーはマルゼンスキーに毎日王冠での敗北の借りを返し、晴れて四つ目のG1勝利を挙げた。流石に来年は期間を空けると宣言しているものの、今年だけでも五戦というそこそこのペースでの出走にも関わらず、彼女の足に大きな問題は起こっていない。やはり、一筋縄にはいかない世界だ。

 

 そして今日、芝で行われるG1レースの総決算たる一戦、ホープフルステークスが開催される。ジュニア級の間に行われる数少ないG1という事もあり、このレース及び朝日杯フューチュリティステークスを制した者は翌年クラシック級において高い注目を浴びる事になる。阪神ジュベナイルフィリーズ、全日本ジュニア優駿もまたその数少ないレースだが、此方は大抵がそれぞれティアラ路線、ダート路線へと進んでいくため、方向がかなり重なる前者二つと比べると総合的な注目は少ない傾向だ。

 

 一番人気はここまで二戦二勝、主な勝ち鞍にサウジアラビアロイヤルカップを持つ本年度ジュニア級の顔。(一方的だけれど)私のライバルでもあるシンボリルドルフ。

 これに対抗する二番人気は、彼女と常日頃から競い合う、現状彼女に唯一肉薄し続ける同学年のウマ娘……つまり、スタートワンこと私。重賞勝ちの子も何人か出走しているのだけど、彼女達と違い「シンボリルドルフとの対戦経験が多い」という点が評価されたらしい。

 プレッシャーは決して少なくないが、それでもやるべきことは変わらない。全力で、彼女を追いかけるだけだ。

 

 

 控室にて一人着替えていると、扉をノックする音が響く。待ってもらおうとしたところで、扉越しに聞こえた声から問題なさそうだと考え直し返事をした。

 

「スタートワン、そろそろ……お前着替えてる途中かよ」

「このくらいなら気にしませんよ。此方ももう少ししたら終わりますので、スタッフさんに伝えてください」

「わーったよ。汗は気にするクセに半裸はいいとか、お前の基準は良くわかんねえな……」

 

 恥ずかしさの方向性の問題だ。というか半裸っていうな。

 彼への突っ込みを押し留め、代わりの質問。

 

「皆さんは来ていますか?」

「それに関しちゃ伝言ありだ。お前のクラスメイト、それからマルゼンスキー、ミスターシービー、ハッピーミークと桐生院。んで姉妹の家族まで、全員観客席にいるってよ。関係者扱いで入れてやるっつっても拒否されちまった」

 

 大分大人数だな。まあシンボリルドルフと一緒の出走だから当然か。

 

「別に会おうが会うまいが影響はないと思うのですけどね」

「それが二回目、三回目だってえなら俺も賛成だがな。今回は色々と話も違うだろ。お披露目もあるしな」

 

 それは……まあ、そうか。家族に関してはともかく、マルゼンスキー達にはまだ勝負服、ひいては傷跡は見せていない。聞かれていないし言っていないとしても、私が意図して身体を隠していたことは薄々気付いていただろう。彼女達も察して、その時までのお楽しみとしてくれたと考えるのがいいか。

 

「それもそうですね。それじゃ、先にパドックで待っていてください」

「……いいのか?」

「ええ。このくらいの事に、あなたの手を借りるわけにもいきません。そこまで、私は私を弱く思ってはいませんから」

「……そうか、分かった」

「どうせトレーナーさんが居ても変わりませんからね」

「おい」

 

 そんな軽口を叩きつつ、彼が控室を去るのを見送る。それから数分程正座で気持ちを静めていると、再びノックが行われた。

 

「どうぞ」

「スタートワンさん、準備が出来ましたのでパドックの方――!?」

「はい、ありがとうございます」

 

 扉を開くと共に私を誘導しようとして、そのまま私を認識すると共に言葉を止めたスタッフに礼を言い、ジャージの上着を片手に隣をすり抜けて通路へ出る。

 

 パドックに作られた特設ステージに赴くまでの間、スタッフをはじめ何人かとすれ違い、その度に驚きと合わせ視線が身体を這うのを感じる。ステージ裏に着いた時、出走するウマ娘の一人が此方を見て硬直する。小さな会釈と共に横を抜ける。

 気持ち悪いとまでは言わないが、奇異なものを見る視線に不快感を覚える事だけは避けられなかった。

 

 

『さて次に登場するのは現在二番人気、スタートワン……!?』

『これは……』

 

 ジャージを羽織り直してパドックを進み、ステージへと出る。歓声に包まれた空間に私が現れた瞬間。その声が明らかなまでに沈んだ。響いていた実況の声すらも一瞬の間と共に沈黙してしまう。

 

「……」

 

 通例通り、私はゆっくりとジャージに手を伸ばし、そして思い切り天へ放り投げる。陽光の下へ曝け出された黒と灰色の勝負服、そして私の身体を見て、ついぞ弱まっていた歓声は途絶える事になった。

 私が言うのも変だけれど、まあ、当然だ。

 

『……え? あ、た、たった今入った情報です。どうやらスタートワンは、数年前に起こった近所の火事で子供を救出、その際の後遺症として、現在皆さんが見ている通りの状態になったそうです』

『なるほど……これまでのレースで頑なに肌を隠していたのは、傷跡を見せないようにするためだったのですね』

 

 言葉を何とか選びながらも、慌てて説明をする実況さんに心の中で謝罪する。こういう事は多分私以降は無いはずなので、ちょっとだけ我慢してほしい。

 

 視線を巡らせていると、観客席から此方の様子を見ている知り合い達の一団を見つける。耳を立て驚きを示すクラスメイト、表情こそ薄いが隣と同じく耳の立っているハッピーミーク、事前に知っていたと言え、実物を見るのは初めてだからか表情の険しい桐生院トレーナー。

 

 そして、マルゼンスキーとミスターシービーの二人。その表情は驚きこそしているが、どこか納得もしているかのような落ち着きがある。左耳を見られているミスターシービーはともかく、殆ど何も話していないマルゼンスキーまで大した反応をしていない。隠し通せるとは初めから思っていなかったが、ここまで衝撃が無いと正直冷や汗の方が出てくる。こっちは彼女達の、私を脅かす者達の動揺を一縷の望みにしてきたというのに。

 

 観客の顔に現れた感情は、大半が驚きと一種の恐れ。視線の向きは当然私自身というより、私の身体に向かっている。中には、私が頑なに肌を晒さずにいた理由、そしてレース直後に動けなくなるわけを察した様子も見える。

 

「ほし姉ーっ!」

「がんばれーっ!」

 

 が、張り詰めた空気の中、観客席からの声がはっきりと聞こえてくる。その方向を見ると、姉妹が両親と共に此方へ手を振っているのが見えた。この空気の中、それでも声援を届けてくれた事に胸が痛む。

 ……いや、痛んでいる暇など無いな。彼女達の為にも、この空気を変えるくらいの事はしなければ。

 

 ドレスがきれいに翻るよう意識しその場で回転。一度、二度、三度。ぎこちなさの無いように、舞踊のように身軽なステップを踏みながら。

 そして裾を軽くつまんで、右足を下げ小さく会釈する。

 

「ここまで戦えたこと、そしてここまで来られたことに、深く感謝します」

 

 そこまで大きな声ではなかったものの、静まり返っていたこともありパドックに私の声が響く。カーテシーを止めると共に、ゆっくりと頭を挙げる。身体に向いていた視線が全て目へと向かった。自分でも顔が強張っているのを感じながら、その視線に此方からも視線を返す。

 数秒の間、私達は見つめ合い。そして手から力を抜き、笑った。

 

「皆さん、本日は、よろしくお願いしますっ!」

 

 声を張り上げ、大きく頭を下げる。冷え切ったパドックは僅かながら和らぎ、まばらにだが拍手も起こった。それを聞きながら、パドックを後にする。勿論去り際まで笑顔は忘れずに。次にパドックへ来る子には悪いが、この空気のまま出てもらおう。

 

『い、色々と予定外の事はありましたが、次へ行きましょう。次の出走者は――』

 

 

 奥に引っ込んで早々、緑を基調に絢爛な装飾が施された勝負服が現れる。今は勲章の無い軍服を模しながらも可愛らしさの残るその服を身に纏うシンボリルドルフは、私と目を合わせながらも一瞬視線が首元の火傷へ向き、直後に躊躇うようにしながら視線を戻した。

 

「良い登場だったね、スタートワン」

「そう言ってもらえるとありがたいです。どうにも空気がきつくなりましたので」

「ふふ、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)というよりも、霓裳羽衣(げいしょううい)な衣装だ。君の魅力に戸惑ってしまったのだろうね」

「…だと、いいですけどね。こんな肌を見せてそういう反応をされることくらい、分かっていましたから」

 

 分かった上でやったのだ、覚悟は出来ている。ただ、思っていたより反応は暗かったな、とは思わざるを得なかった。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は優しい笑みを崩さない。

 

「そうか。確かに、勝負服といえど肌を出すのはどうかと言われる事は多いからね。私のものは控えめな方なのだけど」

「…そうですかね。足など結構出ていると思いますけど」

「ふっ、それなら君など」

「? …ひゃっ!?」

 

 ぞ、ぞわっとっ!?

 後ろに回ったシンボリルドルフに背中を上から下へなぞられた。

 

「くっ、ふふ…! こんなに背中を出していては、無防備じゃないかい?」

「何するんですか!?」

「そうやって肌を出しているからだろう? そら」

「ひやっ、ち、ちょっと、シンボリルドルフさん…!」

 

 慌てて身体を捩るも、彼女は軽やかな足取りですぐに背後へ移動し、再度ついと指先で円を描いてくる。言いようのないこそばゆさにまた声が漏れた。

 

 な、なんかいつもの彼女よりテンションが高くないか!? こんなはしゃいでるのダジャレ言ってる時でも中々みない…うひゃあっ!? ちょっ、だめ、火傷の痕は敏感で……! ひえ!? ひっ、左耳は駄目じゃないですか!?

 

「ん、やっ…! し、しんぼり…ひぃっ」

「ははっ、いつも肌を隠しているから、触れられるのは慣れないのかな? それっ」

「ひゃあっ…!? こ、このっ、いい加減にして…」

「あ、あのー……」

 

 ぴたりと私達の動きが止まり、声の方向へ視線を向ける。そこには非常に気まずそうに(そしてちょっとだけ頬を赤く)したスタッフさん。ごほごほとあからさまに咳をした後「シンボリルドルフさん、ステージへ移動してください……」とぼそぼそと促した。

 

 一瞬空気が固くなった後、こちらもあからさまな咳を一つして。シンボリルドルフが背中から手を離してゆっくり私の前を通り過ぎる。

 

「で、ではスタートワン、行ってくるよ」

「あ、えっと……はい、また後で、シンボリルドルフさん……」

 

 そそくさと外へ向かった彼女とスタッフを見送り、一人になった舞台裏。恥ずかしいやらなにやらで悶えそうになるのを抑えていると、

 

「随分お楽しみだったな」

「……何時から見ていたんですか」

「『いい登場だったね、スタートワン』、ってな」

「……」

「おっと」

 

 上げた足を警戒してトレーナーが身構える。そのまま言葉を続けていればその腿から良い音を立たせてあげるつもりだったのに。

 互いに奇妙な立ち姿のままじりじりと状況を拮抗させていると、今度は別の声が聞こえてくる。

 

「何をしてるんだ? 二人そろって」

「あん? …ああ、お前か」

「ああ、シンボリルドルフさんのトレーナーさん。ちょっと、この人がどうしても蹴っ飛ばしてほしいそうで」

「え、そうなのか?」

「嘘を教えるな。お前はおまえで人が変態扱いされてる事に疑問を持て」

「あいたっ、もう、あなたが原因だというのに……」

 

 頭に手刀を打ち込まれ、仕方なく持ち上げた足を下ろす。まったく、この人は……。

 シンボリルドルフのトレーナーは私達の奇行に不思議そうな目を向けていたが、ふと私を見て、驚いたように目を瞬かせた。それから一瞬考えて、小さく頷く。

 

「今日のレース、ルドルフはすごく楽しみにしていたんだ」

「!」

「彼女の事、よろしく頼むよ」

「そう、ですね…。」

 

 言葉を続けようとして、けれど何も出てこずに区切る。やっぱりあの奇行、相当に浮足立っていたんだな。彼女が対戦を楽しみにする相手になれているのは光栄なことだが、あまり本気で来られると私も無様に負けかねないのでお手柔らかにしてほしい。

 

 トレーナーは私と、それからシンボリルドルフのトレーナーの方を見て、それから面倒そうに頭を掻く。

 

「で、お前は何しに来たんだ? シンボリルドルフ待ちか?」

「ん? まあ、そうだな。彼女もそろそろ戻ってくるだろうし」

「ほー、そうか。んじゃ、俺らはさっさと戻る事にするわ。ほれ、行くぞスタートワン」

「え、あ、ちょっと」

 

 突然方向を変えステージ裏を後にするトレーナー。最低限の一礼だけして彼の後を追う。

 横へ並び、一体どうしたのかとその顔を伺うと、トレーナーは鋭い目つきでじっと前を見ていた。

 

「どうしたんですか、いきなり」

「……楽しみに、か。」

「?」

「……お前は、それでいいのか?」

「何がですか?」

「……いや、いい。」

 

 彼にしては随分と曖昧な問いかけ。しかも答える前に勝手に終わらせてしまった。

 トレーナーが一体何を言おうとしたのか一瞬考えて、それから直ぐ理由に気付く。

 

「……彼女は、色々と背負っていますからね」

「!」

「私と戦う時以外は、己の責務ばかり考えてしまうのでしょう。理由なく、責任なく、ただ競い合いたい。そういう相手に私がなれているのなら、侮辱ではなく、最高の栄誉だと考えるべきです」

 

 走る事を本能として求めるウマ娘は、基本的に走る事を好いている事が多い。今日このレースに出走する者達もその例に漏れず、皆が皆、走る事を楽しむ心を忘れていないのは確かだ。だが、その気持ちを全面に押し出すような者は誰一人としていない。

 シンボリルドルフただ一人を除いては。

 

 例え楽しむ場だとしても、ここは勝負の世界。それだけに集中する方向は変わる。そんな中、誰かと戦う事を楽しみにして、明らかなほどに浮足立っている者を見たらどう思うか。しかもその誰かはその嬉しそうな相手を倒すためだけに一年を費やしてきたのだとするなら。

 それはもう、相手へ絡む行為自体が気勢を削ぐ策のように思われても仕方ないだろう。走る事を楽しんでいたマルゼンスキーが敬遠されたのもそれが原因だし、今回私がその対象だからこそまだ許されている程だ。

 

 

 しかし、その答えにもまたシンボリルドルフを除けば、という言葉が付く。

 

 彼女を追う者は多くとも、彼女が挑戦者、或いは一人のアスリートとして戦う立場でいられるのは、ウマ娘の世界ではマルゼンスキーとミスターシービーくらいだろう。

 

 それでも、ジュニア、そしてクラシック級の間は彼女一人の独壇場。頂点を目指すための戦いではなく、ただ勝つためだけの戦いになる。トレーナーという支えが居ても、義務感だけで走るのなんて、辛いに決まっている。

 

 だったら、そこに少しの刺激を与えるのも私の役目だ。

 例え手を抜かれていようが“勝たなければならない”じゃなくて“勝ちたい”と。

 

 そう思えるようになる相手として選ばれるのなら、私はそれだけでも、この世界で生きている価値がある。

 

「それに、丁度いいじゃないですか。彼女が戦う事にわくわくしている間にするりと勝ってしまえば、私の目標は達成です」

「…………」

「自分達からイージーモードにしてくれるんです、楽勝じゃないですか」

 

 普段の彼のようににへらと笑いかける。彼は笑っているとも怒っているとも言えない、見たことの無い顔をしてから、私の頭に手を乗せ、わしわしと掻き回した。

 

「なにするんですか」

「……今日、勝てるか」

「無理でしょうね」

「そうか」

「でも、」

「…?」

「全力で走ってやります。この身朽ち果てようとも」

「……バカやろー、これが初戦っつってんだろ」

「あいたっ。ちょっと、さっきから女の子に失礼ですよ」

「うるせ」

 

 

 

 

『誰をも魅了し、心を奪う希望の星が誕生する! メインレース、中山芝二千、ホープフルステークスッ! クラシックを目指す十八人のウマ娘が、今ゲートインの準備を行っています!』

『今日の天気は晴れですが、前日の雨が乾ききっておらず、まだ僅かに芝の調子は良くありません。この中をどう乗り切るかが勝敗の分かれ目となるでしょう』

『本レース、一番人気はこの子、メジロ家に勝るとも劣らない名門シンボリ家の出身、来年度のクラシック戦線において主役確実と言われるウマ娘、シンボリルドルフッ!』

『ここまでの成績は二戦二勝。既に重賞の勝ちを持つその名に恥じない実力を持っています。得意距離である二千メートルで、どのような走りを見せるのか期待が持てますね』

『そして二番人気は三番人気と接戦しているこの子。一番人気のシンボリルドルフと交友深く、共に二戦二勝を挙げているウマ娘、スタートワンッ!』

『勝負服の初披露によって露見した彼女の過去もあり、当初と比べ人気はやや落ちていますが、それでも未だ敗北の無い彼女の実力は本物です。情報によると二千メートル以上の距離を苦手としており、これまでのレースでも同等の距離を走ったことはありませんが、彼女がどこまで頑張れるかも、今回の注目ポイントです』

『さあ、最後の出走者のゲートインが完了、出走の準備が整いました!』

 

 

『……――ッ、スタートです!』

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