ホープフルステークスでの公式戦初黒星からまた日が過ぎ。ついに一年の最後、大晦日。
年末年始のやや長い休みの期間という事もあり、大半のウマ娘は学園に残らず各々の故郷へ帰省している。クラスメイトやハッピーミークだけでなく、一人暮らしのマルゼンスキーとミスターシービーも自身のトレーナーを連れて今は家族の元だ。先輩達も当然同様である。
シンボリルドルフも生徒会の仕事で昨日までは学園に居たのだが、今日明日だけでも顔を出しなさいと言われたらしく、此方もトレーナーと共に帰省していた。
で、そんなわけで知り合いのほぼ全員が学園から消えてしまった今日この頃。私はと言うと。
「はい。年越し蕎麦が出来ましたよ」
「…お前、突然人の家に転がり込んできたかと思ったらホント普通に寛いでんな」
「いいじゃないですか。トレーナーさんも暇なんでしょう? あ、もうちょっと炬燵詰めてください、入れないです」
「これは一人用だ入ってくんな」
「ほう? ならばウマ娘の力をもってしてあなたを引きずり出しましょうか」
「……くそが。あ、おいいでででで!?」
異性に対する言葉ではないので、その頬を思い切り引っ張る。相変わらず彼の口の悪さは直りそうにないな。
そう、あと数時間もすれば一年は終わりを迎え、私にとって一番の苦労となるだろうクラシック級の始まる年となる。そんな最後の日、私はトレーナー寮にお邪魔しトレーナーと過ごしていた。
学園も流石にこの時期にまで学校の運営はしておらず、トレーニングをするにしてもレースからまだ日が立っていないためもう少し日を置けと言われた為やめている。学園近くの自宅が現在の実家であるため帰省したところで意味が無く、姉妹の家族にはつい先日あったばかりなので、こちらもまた少し日を置いてから赴く事にしているため、年末の予定はほぼフリーになっていた。
なので、同じくトレーナー業で帰省する気のなさそうだった彼の部屋へ訪れているのである。蕎麦の材料もここに来る途中で購入した。
頬から手を離し、そのままお盆を片手で持ちながら彼の見ていたトレーニングプランやレース情報の書類を事務机の方へ移動させ、蕎麦を炬燵の上に置きながら彼の座る面の反対から毛布をめくって足を入れる。以前姉妹の元へ行った時と同じものを着てきたのだが、室内という事で手袋やネッグウォーマーなどは外した状態だ。左耳のカバーもつけていない。
「まったく…。いいですかトレーナーさん。幾ら未成年でも、女性に対して最低限の礼儀は必要です。そもそもあなたは普段から誰に対しても口調すら変えないんですから、ちょっとくらい」
「あーあー、わかったわかった。大晦日まで説教するな」
「あっ、こら! 勝手に蕎麦を食べ始めないでください!」
「お、これ結構旨ェな。全部手作りか?」
「もう……。茹でれば終わりの、どこでも売ってる麺ですよ。出汁は作りましたけど」
「おお。鰹節か?」
「醤油とめんつゆとみりんです。まあ、味が濃くならないよう鰹節も少し使ってますけど。駄目でした?」
「んにゃ、うまいならなんでもいい。天かすねえか?」
「買ってません。用意は…その様子だとなさそうですね。諦めてください」
「……まあしゃあねえか」
私の言葉も中途半端に聞き流し、彼は箸を手に蕎麦を啜り始める。自分の都合が悪い時はそうやって逃げるの、シンプルにずるい。
咀嚼中に延々喋らせるのは行儀が悪いので、仕方なく私も用意しておいた自分の蕎麦に口をつける。年越しとは銘打っているが、実際はただの掛け蕎麦なので大して奇は衒って…ん、意外と上手くできてる。
「スタートワン、テレビ」
「無いじゃないですか」
「そこにビデオプレーヤーがあるだろ。持ち運び式の」
「? これのどこに……ああ、ワンセグがついてるんですね。ここ通じるんですか?」
「問題ねえ。毎回これ使ってるからな」
「そうですか。何見るんですか?」
「年末っつったらケツバットだろ」
「伝統的なのは歌の方では?」
「じゃあそっちにするか?」
「……いえ、別に構いませんよ」
彼の要望に合わせてチャンネルを合わせる。番組の開始から既に結構な時間が経っているのでかなり状況は進んでいるが、この番組はどのタイミングで見ても笑わされるからいいものだ。
「……やっぱ歌にするか」
「……そうですね」
ただ、食事中に見るのは止めておくべきだったな。食べにくい。
立て続けに歌われていく今年を飾る曲達をBGMにしながら、黙々と蕎麦を食べ続け。
彼がチャンネルを変えて先の続きを見始めた頃、食器を回収して流しで洗う。
「なんだか、こうしてのんびりするのも久しぶりな感じがします」
「この間も出かけたろ」
「あの時は午前中から結構駆け足だったでしょう? フリーの日は何度かありましたけど、ここまではっきりと予定が無い日はいつ以来だったかなあ、と思いまして」
「あー……言われりゃそうだな。俺もフリーになって割と直ぐにお前と契約したし」
「新人って話でしたよね。あなたも今年からトレーナーになったんですか?」
「いや、俺は一昨年からだ。去年…つーか、去年度末まではサブトレーナーをな」
「へえ。その割にはあなたから話を聞きませんでしたけど」
「チーフの引退に合わせてチームも解散したよ。ほれ、シンボリルドルフのところのと、桐生院。あいつらも一緒に入ってた」
「三人でサブトレーナーをしてたんですか? でも桐生院トレーナーは今年からでは」
「資格取得ン時の研修だよ。ホントは俺らだけがサブだったんだが、あいつは研修後もそのままサブトレーナーやってたんだ」
「なるほど。それで今年から担当を持てるように」
「ウマ娘育成に熱心な奴だからな。ああいうのをワーカホリックっつーんだろうよ」
アプリ的に考えると不思議でもないが、いくら名門といえトレーナーになっていきなり担当を持つのは妙じゃないかという事は前世でも考えられていたのを思い出す。そういうカラクリだったのか。まるで教員免許…って、教育の面で言えば同じ形になってもおかしくはないな。
備え付けの食洗器に食器を入れ、乾燥を押して炬燵に戻る。かなり小さいものなので彼の足に直ぐ触れたが、気にせずその上に足を乗せた。一瞬だけ此方を見たので嫌なら乗せ返せばいいと視線で返すと、彼は面倒そうに鼻を鳴らした後テレビに視線を戻す。
「それなら、一年を通してほぼ毎日私のトレーニングを見ていたあなたも、ワーカホリックですね」
「立てたプラン通りに動くお前の方が当てはまんだろ」
「そうですかね」
「どう考えてもそうだろ」
今のところ出された要求を全部飲んで計画しているのだから、彼の方がそうな気もするのだけど。
「どんなもんでもそうだが、生活を圧迫するほどのめり込むのはそのうち倒れるぞ」
「じゃあ、来年からはもっと軽いプランに変更しますか?」
「……それでどうやってシンボリルドルフに勝つんだ?」
「自主トレを増やします。あとは緩める枷の数を増やせば、善戦くらいは出来ると思いますよ」
「その場合のお前の負担はどうなる」
「まあ、倒れない程度には」
「……俺がワーカホリック扱いされたら、お前のせいだからな」
「私がさっさと目標を達成して、あなたの目標に回れるよう頑張ってくださいね」
そういってまた二人でテレビの方へ視線を向ける。丁度番組内のちょっとしたミッションが始まり、それの終盤と共に年越しになる頃だ。
「ああ、そうだ」
寮には他のトレーナーも居るので声を落としながら畳みかけられる笑いを楽しんでいると、向かい合うトレーナーが突然何か思い出したように、指を三本立てて私を示す。
「京成杯、弥生賞、スプリングステークス」
「……ホープフルステークスの二着ならば、優先出走権がなくとも登録に問題は無いはずですが」
意図を察すると共に、思わず感じた疑問を返す。
京成杯はともかく、後者二つは勝利か上位先着によって皐月賞の優先出走権が獲得出来る。時期的に登録の厳しい京成杯はおそらくあえて挙げただけであり、彼の狙うのはこの二種のはずだ。
しかし、タマモクロスが育成などで語っていたように、この世界にも獲得賞金による出走条件の優先というのは存在している。私はメイクデビュー、オープンクラスをそれぞれ一つ、そしてホープフルステークス二着による賞金もプラスされているため、皐月賞くらいであれば優先権を獲得できるレースに出ずともそのまま出走可能だろう。
彼もその事を分かった上で、提案してきたらしい。
「お前は既に二勝してるからな、あくまで確実にしておきたいってだけなのはある。だが」
「だが?」
「勝ちレースに重賞を一つ入れておく。シンボリルドルフのライバルとしての箔をつけておけば、他の奴に対するアドバンテージになる」
「…他の出走者に狙われやすくなるとしても、ですか?」
一番人気をはじめとする上位人気を得たウマ娘が、下位人気のウマ娘からレース中ライバルとして競り合いを強要され、結果スタミナを使い込んだことで凡走するという話は決して少なくない。
「その程度で、お前は負けるのか?」
「そんなつもりはありません、走るからには、全身全霊を。しかし私がそんなところに出張って邪魔をしては、優先出走権を狙いに来た他の子に対し失礼なのでは」
「忘れんなスタートワン」
そこで彼は再度指を一つ立て、私へと向ける。
「お前は追う側であると同時に、もう追われる側だ。G1好走者としての格をつけ、負けた奴等に「コイツ相手じゃあ仕方ない」そう思わせるだけの成果と称号を持つ事も、お前に与えられた役目だ」
その言葉に、いつだったかミスターシービーに語った事を思い出す。
勝者としての矜持。シンボリルドルフに対峙する者としての強さの証を持つ事が、今の私には必要なんだ。
私はもう、その立場になっていたのか。
思考が表情に出ていたのだろう、彼が私の理解を受けて嫌味な笑みを浮かべる。
「なんですかその顔」
「それと、今のお前の言葉」
「?」
「走れば絶対勝っちまうから、他の子がかわいそうになっちゃーう」
「っ!?」
「……って感じだったぞ」
「……、……。」
「確かにお前は現状連対率百パーセントの優等生だ。だがよ、格上を追ってる間に格下だと思ってた相手に追い抜かされる。そんな無様晒しちまったら、シンボリルドルフも失望しちまうんじゃねえのか?」
……そうか、ミスターシービーに言ったことが全部私に跳ね返ってきていたか。
たかが二着、されど二着。気持ちを切り替えねば。心の何処かにあった慢心を、完膚なきまでに潰さなければ。
「……わかりました、出走しましょう」
「分かった。レースはどれにする?」
「……弥生賞にします。クラシック路線としては、ここが一番わかりやすい」
なにより、弥生賞は本来シンボリルドルフの勝ち鞍だったはずだ。彼女はホープフルステークスの後、そのまま皐月賞に直行とメディアに言っていたので、私がここを取る事でレース勝者の辻褄を合わせる事にもなる。
彼女を付け狙う挑戦者として、他者を押しのけるだけの成績を持たなければ。
「分かった。……その上で、だが、」
「なんでしょう」
「NHKマイルカップか、安田記念か、スプリンターズステークス」
「!」
「そこを狙えば、ほぼ間違いなく勝てるだろう。…いや、絶対に勝たせられるようにしてやる」
「…領域込みで、ですか」
「無くてもだ。前にも言ったが、お前の成長ペースはかなりいい、もしハイペースな展開になったしても、今のスタミナで押し切れる」
「…………」
「この一年、鍛え続けた成果だ。どうする」
「……断られるつもりで言っていないようなら、私は契約を切りますよ」
「当然断られるつもり。と言いたいが、半分は本気だ。間違いなくな」
軽い脅しをかけたつもりだったが、無表情の彼の言葉にこちらが少し気圧される。半分は、本気らしい。
「ここまで来て、今更言うんですか」
「ここまで来れたから、今言うんだ」
「……あなたは、私がシンボリルドルフさんとの勝負から逃げてまで、G1を取れと言うんですか?」
「お前にとっての名誉はシンボリルドルフに勝つ事だ。だがG1を取る事だって、同様に名誉ある事とされている。お前には、選ぶ権利がある」
「例え私がそれを拒んでも、ですか」
「例えどう思われようが、可能性を提示するのもトレーナーの仕事だ」
あくまで「記録を作る」という自分の目標を含めてだろうが。
彼なりに、逃げ道を教えてくれたのだろう。私の心が折れている場合、或いはこれから先、私の心が折れた場合の為の。
これで路線を変えろと命令しないのは、最大の譲歩としてだろうか。
「選ぶのはお前だ。好きにしろ」
「……。」
自分ではもう道など決めているつもりだが、こうして言葉にされると、迷いを感じないとは言えない。
私だって勝ちたいのだ。勝って、その栄光を手にしたい。シンボリルドルフとの戦いは、名誉欲や本能とは違う、ただ私自身の矜持の為のものでしかない。……そういうものでしかないからこそ、私は揺らいでいるのだろう。
「あなたは……、……。」
思わず視線を彼に向け、そして逸らしてしまった。
今この場で逃げる事だけは絶対にしない。私は己のプライドに、そして彼女の覚悟に泥を塗りたくない。
……しかし、そうなると彼は。トレーナーは、どうなるのか。
学園を去ればそこで終わり、人間基準でどれだけ延命しても精々が十年程度しか走れない私と違って、彼にはその倍以上、トレーナーとしての活動期間がある。そしてその最初の担当ウマ娘は、彼が今後抱える評価の最も重要なものになる。
重賞獲得者のトレーナーという称号は、確かに重い。だがそれはG1ウマ娘のそれと比べれば、ずっと軽い。
彼が私の未来を握っているように、彼の未来も私が握っている。
私の為に自分の夢を後回しにしている彼の事を、私は放っておいていい筈が無いのに。
「スタートワン」
呼びかける声に一瞬体が震える。彼の視線が、何時もより優しく私を射貫く。
「競争寿命ってのは短い。俺にかまけて自分の目的を見失えば、お前は今以上に後悔する」
「……。」
「迷う事が悪いんじゃねえ、迷って足踏みすんのがダメなんだよ。気楽に考えろ、お前のやりたい事はお前にしか分かんねえ。掌返して別の道探そうが、お前が良いなら、それでいいだろ」
にやりとした、何時も通りの意地悪い笑み。
「いつも通り勝手に我儘を言え、それに合わせるのが大人の仕事だ」
私に聞いた上で、私を知った上で、私が変えられないと分かった上で。それでも、私にどうしたいのか委ねてくれる。あるはずの選択を教えて。
口が悪くて、態度も悪くて、担当の扱いもどこか雑で。
一番大事なのは私だと、行動で示してくれる。そんな人。
「今は、考えません」
「……そうか」
「……ですから、いつか私が、もう無理だと言った時」
「!」
「言ってください。もう一度、あなたが」
薄く口端を上げ、彼に笑いかける。少しだけ目を見開いた彼は、それからむすっとした表情を一瞬だけ見せて。
そして、そのタイミングでテレビから一際大きな音がする。視線を向けると、画面に書かれた時間は既に日付が変わったことを指していて。
そこで、もう新年を迎えていた事に気付く。
「年、明けちゃいましたね」
「……そうだな」
「今年も、よろしくお願いしますね。トレーナーさん」
「……ああ。どこへでもな」
顔いっぱいに苦笑を浮かべた彼に、つい笑ってしまった。
一区切りです。暫く充電もとい書き溜めに入ります
そろそろ多めにレスが欲しい気持ちが溢れてきたので「いいじゃん」と思ったら感想とかここすきとかお願いします