「あ、スタートワンちゃんだ」
「今から食堂?」
「ええ、あなた達も一緒に食べませんか?」
「ごめん、私さっき食べてきたんだ」
「あたしも、今日は購買の気分なんだよねー。明日一緒に食べよ?」
「ええ、分かりました」
いくら私が一人暮らしをしていると言っても、殆どの時間を学園で過ごす以上、或る程度の生活は寮の生徒と近しいものになる。
例えば、授業。例えば、トレーニング。例えば、食事。
「やあスタートワン。君も食事か?」
「こんにちはシンボリルドルフさん。奇遇ですね」
昼食を摂りに食堂へ足を運んだタイミングで、シンボリルドルフと会いそのまま食堂内へ進む。入学から既に一月が経過して、新入生だった彼女も生活に慣れた様子が見られる。
「物理はやはり難しいですね。雨の中のダートコースを走る際の空気抵抗なんて計算できませんよ」
「ふふ、公式に当てはめるという考えは数学と変わらない。文から必要な部分を拾い上げるのは君の得意分野だろう?」
「数字は拾い上げるものじゃありません。逃げるものです」
「ははっ、そう言ってやるな。君なら出来るはずだよ」
「それはあなたくらいの賢さがあるから言えることです。私はもうパンク寸前ですよ」
まだ空いているという事で、談笑しながら四人用のテーブルを選び食事する。二人で同じテーブルを囲むのも慣れたもので、周囲の視線にもあまり意識を割く事はなくなってきた。
初日以来、二人で会う機会が多かったからだろう。自然と私達は会うとそのまま会話したり、食事したりという仲になっていた。正直な事を言えば今もやや恐れ多いと感じなくもないが、彼女から近づいてこられては拒否をするのも寧ろ悪い対応だ。
「ところで、君は噂を聞いたかい?」
「うわさ? 何を?」
「近々、選抜レースが行われるらしい。私達も、メイクデビューに向け本格的に準備する時が近いようだ」
「選抜レース、ですか」
年四度の選抜レース。入学して最初に行われるこれが、アプリのような偶然の交流から生まれるスカウトではない、最も普通にトレーナーからスカウトを受けられるチャンスだろう。そしてそのチャンスがさっそくやって来た、という事だ。
まあ問題は、その選抜レースが何時行われるのかまだ分からないという事なのだが。年四回という事である程度時期を絞る事は出来るが、新入生という事でいつでも準備を怠るなと緊張させたいのか、授業でもあまり開催時期については触れられない。案外もう少し先だから通知されていないだけかもしれないが、出来るならちゃんと教えてほしい。
「多くのトレーナーが我々の走りを見るだろう。前途有望、新たな時代を切り開く者の登場を期待しながら」
「一番手はきっとシンボリルドルフさんですね。メイクデビューまではまだ時間がありますけれど、その時を期待していますよ」
「ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいが、まだ噂が流れた程度だ。それに、その時は君も参加するんだ。私も期待させてもらおう」
「おっと。そんなに大層なウマ娘じゃないですよ、私は」
競走馬の居た世界に置いて、『スタートワン』という名で歴史に残る走りをした馬は私の分かる限り存在しなかった。つまりこれからのトゥインクル・シリーズにおいて、私のレースがどうなるかは完全な未知数だ。
授業や放課後の練習からの感覚では、一応それなりの能力はあると自負はしている。本格化云々の実感はないものの、スプリントからマイルG1で好走出来るくらいにはアプリに実装されていたウマ娘にも負けないくらいの能力はあるんじゃないだろうか。
ただし、実戦していない以上、最悪モブとしてレースの数合わせをしていたウマ娘と同等か、それ以下という可能性も考えられる。どう転んでもおかしくないのだから、高望みをされても困るのは私だ。
「うまい具合にそこそこの成果を上げて、出来ればG1を勝って引退したいんですけどね」
「あら、もうG1の話? 夢はおっきく、って感じね」
「アタシはもっと楽しくレースするほうがいいと思うけどねー」
と、そこで上から聞こえる二つの声。目を向けると、そこには見覚えのある鹿毛と黒鹿毛のウマ娘が料理の乗ったトレイを手に立っている。
四人席のテーブルという事で相席に来たのだろうか。そのまま私達の座るテーブルを囲んだ二人に、少しだけ驚く。
「マルゼンスキーさんと、ミスターシービーさん」
「久しぶりスタートワンちゃん! それにルドルフも!」
「あれ、もしかして、三人とも知り合い?」
「ええと。まあ」
「スタートワン。君、マルゼンスキーと知り合いだったのか?」
「入学初日に。というか、あなたも知り合いだったんですか?」
シンボリルドルフが驚いたように問いかけてくるので、軽く説明だけし、此方からも問いかける。シンボリルドルフとマルゼンスキーの仲が良いというのはどの媒体でも描写されていたが、まだ一月でルドルフ呼びされるくらい仲がいいとは知らなかった。
「入学以前から色々とね。彼女のトレーナーも知っているよ」
「へえ、長い付き合いなんですね」
「それより、ルドルフとスタートワンちゃんが友達なのは、同級生なんだからわかるけど。私としては、二人がシービーちゃんとも知り合ってる事にびっくりね」
マルゼンスキーがそう言い向かいに座るミスターシービーを見る。忘れていたが、私達の席の状態は私とシンボリルドルフが向かい合う形。私の隣にミスターシービー、シンボリルドルフの隣にマルゼンスキーだ。
それはさておき、マルゼンスキーとミスターシービーは先輩なのでどこかで交友があってもおかしくないが、彼女の言う通りシンボリルドルフにも交友関係があるのかと少し意外に思う。同級生からもどこか遠巻きにされているように見えていたので、友達がいたのならよかった。
…と、思っていたのだが、どちらも反応は微妙で想定のものと異なる。違うようだ。
「いや、残念ながら私も彼女の事はまだ書類上の事しか知らないよ。スタートワン、君の方が知っているんじゃないのかい?」
「……会うのはこれで二度目ですけどね。殆ど知らない相手同然というか」
「えー、ひどいなあ。シャワールームで語り合った仲じゃない」
「入口で、しかも入れ違いだったじゃないですか、それ」
いかにもおどけた調子でもたれかかってくるミスターシービーを押し戻しつつそう返す。そもそも、あれから今日まで一度も会話すらしていないぞ。まあ、マンモス校といえるくらい巨大なこのトレセン学園で、名前しか知らない新入生に狙って会える可能性は低いと思うが。
「だってこの学園人多いし。今日だってホントに偶然会ったんだからさ。しかもマルゼンスキーまで知ってるなんて、これはもう、仲良くなる運命みたいなものじゃない?」
「だったら、ちゃんと座ってご飯を食べてください。食べにくいです」
「はーい」
「ふふっ、もう仲良くなっちゃったのね」
どちらかというと先輩にだる絡みをされる後輩の図では。そうは思えど流石に失礼なので口にはせず。そこは弁えているつもりだ。
「ああ、それと、ダービー勝利おめでとうございます」
「おっと、これはどーも。私がレース出たの知ってたんだね」
「クラシックの二冠目ですから。ミスターシービーさんが負けるとも思ってなかったですし」
「そういってもらえると嬉しいね」
以前は知らなかった、というより別れた後に確認した事を伝えておく。
そう、既に春も半ばを過ぎた頃。春のG1戦線、その前半はとっくの昔に始まっており、ミスターシービーは無敗のまま皐月賞も日本ダービーも難なくかっさらっていった。次走は一応未定という事になっているが、菊花賞に出るには出るという風にも公言しており、世間的には彼女が見事三冠を獲れるのか注目が集まっている。私はその結果を知っているけれど、会ったことのある相手が偉業を達成しようとしているというのは、悪い気はしない。
悪い気がしない分、あまりからかわないでほしいとも思うのだけど。
と、そうだ。もう一つついでに以前の礼を………まあ、一応言っておこうか。
「ミスターシービーさん。あの時のことですが……」
「んー? 何の話?」
「え? あの、耳の……」
「耳? そういえば、可愛い柄のカバーだね。それどこで買ったやつなの? 今度私もつけてみようかな」
「え、と」
「そうそう、今度は私とも練習してよ。君と走るの楽しそうだし!」
するすると話を逸らしていったミスターシービー。軌道修正するべきかと思ったが、どうでもいいからと忘れてしまったのか意図してはぐらかしているのか掴めず、そうこうしている間に流れてしまった。
一応デリケートな話なので、彼女なりのフォロー、と受け取っていいのだろうか。
とりあえずこの場は話題を避けることにし、代わりにまた別の話題にずらす。というより、ちょっと気になっていたことを聞く。
「それはまあ、また今度考えます。それより、お二人はどうしてこの席に? というより、お二人も知り合いで?」
「ええ、結構話が合うのよ。私の方が学年は上なんだけどね」
「別々に君たち二人を見つけてね。声をかけようとしたら、この通りってわけ」
「ほう。不思議な縁もあるものだな」
いかにも面白そうに笑みを浮かべるシンボリルドルフ。他の二人もそんな反応だ。そのまま自然に会話を始めたかと思えば、ほぼ初対面の相手が居る状態には見えないくらい弾んでいる。
ゲーム上省かれる部分の多かった親交の描写。こうして見ていると、なるほど元からウマの合う者同士だからなのだろうと思わざるを得ない。
「…………」
一方表情にも動作にも出すつもりはないが、私の方は本音を言うと大分居心地が悪かったりする。
ウマ娘世界において名の知れた。いや、既にレースに出ているマルゼンスキーはともかく、後々名の知れる二人と同じ卓を囲むというのは、なかなかに精神を消耗する。未来の三冠ウマ娘二人と速すぎて伝説となった、この世界では皐月賞をはじめとする幾つものG1で勝利を重ねているウマ娘。これで私の成績が未勝利にでもなったら、会う時いたたまれないどころの話ではない。
あと、物理的にも若干の圧迫感がある。三人の中で一番小さいマルゼンスキーとすら十センチ近い身長差があるので、必然私だけが見下ろされる事になるからだろう。一応155センチあるので生徒の中では平均に入るはずなのだが。
笑みは引き攣っていないかと心配する内心は放置し、話を続ける、というより、元の進路に戻す。
「理由はわかりましたけど、それで、G1の話が…」
「ああ、そうそう。スタートワンちゃん、もうG1勝利狙いなんでしょ? そろそろ選抜レースだし、準備が早いのね」
「んー…。」
おおむね間違いは無いのでちょっと訂正に迷う。確かに狙ってはいるものの、勝てなくても構わないつもりでもあるし…。
言葉に迷いながらも、同時に別の事に意識が向かう。ちらとシンボリルドルフの方を見ると、同じことを考えていたのか目が合った。彼女が口を開く。
「そうだな、そこをしっかり勝っておかないと、デビューの時期が遅れるのはかなり痛いだろう」
「トレーニングに力を入れておかないと、半端なコンディションで出る事になりますからね。手を抜いて勝てる相手なんて居るわけないんですから」
「あら、二人共やる気マンマンね! 来月、楽しみにしてるわね!」
「あー…、マルゼンスキー、見事にやられたね」
「…えっ? あらっ!?」
なるほど。選抜レースは来月に行われる、か。この様子だとどうせ一週間前後の情報の差だろうが、これで他の相手より一歩分有利に進められる。調子を整える日程も組みやすい。
シンボリルドルフと再度目が合い、互いににやりと笑う。私達の策に気付いたが何も言わず静観していたミスターシービーはその策に見事にはまったマルゼンスキーに苦笑いし、そのマルゼンスキーは自分の発言に遅れて気付いたのか、慌てて口を塞いでいる。
「では、我々は来月に向け準備をしようか」
「ですね。どのレースに出るかも予定を組んでおかないと」
「ふ、ふたりともーっ!」
そそくさと食事を終えた私達は、マルゼンスキーにどやされる前に食堂を退散した。