敢えて言いますが、ここから暫く私の癖が強い話が続きます。
「クセ」ではありません。「ヘキ」です。
「酷い状態ね。身体より精神衰弱から来る疲労みたいだけど…、どんな恐ろしい体験をしたの?」
「すみ、ません。ちょっと、いろいろ」
「……トレーナーさん。貴方は何か教えてもらった?」
「悪いが、これしか言わねえ。俺じゃ無理かと思って頼んだんだがな」
「……少しで良いから、教えようという気持ちになれない?」
「……ごめん、なさい」
保険医の先生は、大きく溜息を吐く。ちらとトレーナーに視線を向けてから、困ったように彼に私の症状を書いたバインダーを渡す。
「あくまで身体は大丈夫。精神が落ち着けば普段の生活にも戻れるはずよ。少なくともそれは今日じゃないし、何時になるかは、私も分からないけれどね」
「……すまん。恩に着る」
「貴方も大変ね」
先生がベッドから離れ、そのまま保健室を出る。後は二人で話し合え、というつもりなのだろう。
時間は既に夜。数時間ベッドで気絶していたためか、部屋の照明に照らされるトレーナーの目は、鋭く光ってみえた。
彼によると、私と別れた直後は言われた通り一度トレーナー室に戻るつもりだったらしい。しかしなんとなく一緒に行こうと思い直し、道を引き返したのだという。
というのに、何処を探しても私は見つからず、十分近く中庭周りを行ったり来たりしている時急に噴水の周りに人だかりが出来ているのに気付き、掻き分けて通ったその中心で私が座り込んでいたのだそうだ。その時の私の状態というのが中々に酷い事になっていたらしく、咄嗟に声をかけて正気に戻した途端、気絶したらしい。
慌てて保健室に直行、暫く様子を見ていた後、私が目を覚まして今に至る。
何も言わぬまま、トレーナーは私に視線を向ける。逃れようにも、ベッドに動けぬままの私は顔を背ける事しか出来ない。彼は頭を掻いてすぐ隣にある机に置かれた手袋や左耳のカバーを一瞥した後、ベッド横に置かれた椅子に座る。
「説明出来ないか」
「………。」
「スタートワン」
「……ごめん、なさい。でも、言えない、です」
「理由はなんだ」
「……分からない、から、」
「分からない?」
「私、にも、うまく、言えない、です。むずかし、くて」
いくら彼自身が何も聞かないでくれているとしても、今回の事は流石に説明が必要だという事くらい、私にも分かる。それ以上に、正直に言ってしまいたいとすら思っている。今回の事は、私も流石に参った。
だが、全てを話せるのか? 「三女神に狙われている」なんて言って、信じられるのか? しかも、狙う理由も話さなければ話にすらならない。全て話した後、私だったらまず落ち着いて考え直す事を促す。
証拠は無いのだ。何一つとして私の言葉を信じさせる事は出来ない。出来ない以上、今日体験した全ては、私の説明不足として処理しなければならない。
たかがその程度の事しか、私には出来ないというのに。
「…どうしても、言えねえか」
少しだけ語気を強めたトレーナー。咎めるためというより、もう一度話すかどうか考え直してほしいというつもりなのが、その表情から見て取れる。
彼も彼なりに、私を心配している事が分かって。
その顔を、見ていられない。
「……ごめんなさい、やっぱり、うまく、言えない、です」
額を抑えるトレーナーの、絞り出すような溜息。彼の信頼に応えられない事が、ただ申し訳ない。
互いに何も言わず気不味い空気が流れる。口を開いて何かを言うという事がどちらも出来ないまま無為に時間だけが過ぎていく。
沈黙を破ったのは、保健室の扉が開く音だった。
「スタートワンさん、お見舞いが来てるわよ」
「スタートワン。大丈夫か?」
保険医の先生の後ろから現れたのは、シンボリルドルフをはじめとする知り合い達。トレーニングで良く会う三人だけでなく、マルゼンスキーら先輩の四人も一緒に来ていた。
静かに全員を入れた後扉が再度締められ、外で待つ先生を除いた八人がベッドの近くに集まる。利用者が多い保健室なのでベッドの数や一つ一つの広さもそこそこあるが、流石にこれだけの人数が一所にあつまると少し狭い。
「シンボリ、ルドルフさん。すみません、ご迷惑、おかけして…」
起き上がろうとするも、未だ震える腕に上手く力が入らない。何とか起き上がろうとしたものの、シンボリルドルフに制された。
「大丈夫だ、そのままで良い。それより自分自身の身を案じてくれ。……以前より、状態は良くないように見えるよ」
「…すみません。皐月、いえ、感謝祭、までには」
時間はかかるが、怪我は無いので安心してほしい。そういう意味で言ったのだけど、シンボリルドルフは静かに首を振り、私の近くに移動する。
「無理をするなと言っただろう。私の所まで話が来た時は、君がどうにかなってしまうのではと気が気じゃなかったんだ」
「……すみません」
「こうしてちゃんと確認が出来てようやく安心できたんだ。今日だけでも、そのまま私を安心させてくれ」
頬に添えられた彼女の手は、優しく私を撫でる。
クラスメイトがトレーナーの裾を引っ張り、彼の意識を引く。
「トレーナーさん、今度は何があったの?」
「…分かんねえ。なんか用事あるとかで離れた後、三女神の噴水あたりで震えてんのを拾ってきた」
「噴水のあたり?」
そこでマルゼンスキーが食いつく。よく見るとミスターシービー、それにシンボリルドルフも少しだけ耳を揺らす。
「……知ってんのか?」
「……ごめんなさい。ちょっとの間だけ、席を外してもらっていい?」
「ダメな話か?」
「この話、すごくデリケートなの。あんまりトレーナーには話せなくて…ごめんなさい」
「……しゃあねえか。終わったら教えろ」
そういって保健室から一旦出るトレーナー。残った七人だが、クラスメイト、先輩二人、それにハッピーミークにも三人は視線を向ける。
視線を受け、一番学年が上の打倒シンボリルドルフ先輩が頬を掻く。
「アタシらもダメそうだね?」
「ごめんなさい。多分、私とシービーちゃん、あとはルドルフくらいしか居られないと思う」
「そんなマズい話なの?」
「うん。正直、ここで話すのも結構リスキーかな」
「……シンボリルドルフさん」
「大丈夫だ、私達の友人に無理強いはしない。ただ、彼女が話してくれるよう場を整えさせて欲しいんだ。……分かってくれ」
三者三様に会話と説得をしている間に、ハッピーミークが私の方へ近付いて、頭に手を当ててくる。
「ハッピー、ミークさん」
「…無理しちゃ、だめだし、隠し過ぎも、いけない。と、思う」
「……それは」
「いつでもいいし、だれでもいい。だから、ちゃんと、吐き出そ?」
何時かの時と同じように、私の両頬を手で包み、軽くもみ込んだハッピーミーク。少しだけ口許を緩めた後、すいと屈めた背を伸ばしベッドから離れる。
「じゃ、よろしく」
「ああ」
短い会話だけを交わして、部屋を去っていく。合わせて先輩達も開かれた扉の先へ進んでいく。
残された私達の中で、最初に口を開いたのはマルゼンスキーだった。
「三女神の加護……って、聞いたこと、ある?」
「加護…ですか。申し訳、ありませんが、聞いた、ことは」
「そう…」
「ですが、それが、何を指すのか、分かります。目の前で、体験しました。…加護、というより…呪い、でした、けど」
その言葉に、全員が反応を見せる。
促しの意味も含め、続ける。『ウマ娘』全体の設定でもあり、また学園について噂のように語られてきた情報の一つ。
「三女神の、噴水に、想いが、宿る…でした、ね」
「…ああ。毎年この時期になると数人のウマ娘が飛躍的に成長する事がある。彼女達の証言は常に一つ「三女神の像のあたりで呼びかけられた」…というものだ」
「三人、とも、それを?」
「私とシービーちゃんは、間違いなくね」
「何なら、アタシもつい昨日二回目の呼び出しを受けたばっかだよ」
「私は去年の内から生徒会の方で話を聞いている。半信半疑ではあったのだが、少し前に同じことがあったよ」
実装されているウマ娘には加護、というか継承が行われるのだろう。恐らく、今後学園に来る実装ウマ娘にも同じ事が起こると考えられる。
ウマ娘、特にアプリにおける育成の重要な部分。サクラバクシンオーの長距離チャレンジや、ハルウララの有馬チャレンジなど、所謂エンドコンテンツを行う上でも、継承の存在は決して見逃せない。
このシステムの存在があるからこそ、実装されたウマ娘達は一際に抜きん出た能力を受け継いでトレーナーと歩む事が出来、決定された運命にも抗う事を可能とする。
設定によるとこれまで学園でレースを走り、そして学園を去っていったウマ娘達が託した思いを受け継いでいく、との話だった。
恐らく加護という表現も、三女神によって選出されたこれまでのウマ娘の思いを託しているのだろう。
「加護を受けるウマ娘は多くの場合、後に偉大な成績、あるいは特別な記録を残すのだと言われてきた。だからこそ、あまり外に出てはいけない情報だともね」
「領域、とは、違う、みたい、ですけど」
「領域は意外と皆持ってるからね。それがどのくらい強いかはその子によるから、逆に情報が知れ渡ってても問題は無いんだ」
「だが加護の存在はあまりに不確定な事が多く、みだりに情報が洩れると生徒が三女神の像に加護をもらおうと過激な行動に出る可能性がある。また個人に依存する領域と違い、あくまで学園の設備だから、極力機密にして加護を受けた子が居る場合にのみ説明をしているんだ。生徒会や二人のような実際に経験した者以外は、学園でも極めて上層部の者達くらいしか知らないよ。恐らく樫本理事長代理も噂として聞いたくらいではないかな」
ああ、風聞という範囲内に入るように情報統制がしてあるのか。確かに運によっては適正…つまり走りの才能すらも捻じ曲げてくれる力なんて、殆どのウマ娘にとっては喉から手が出るくらい欲しいものだ。こっちのシステムは不用意に知れ渡るとちょっとまずそうではある。
そんな意外な事実に納得していると、シンボリルドルフが眉を顰めてベッド際の椅子に座る。
「だが、呪い…。君は今、三女神の加護をそう言った。私達ウマ娘を守護し、祝福する三女神を、だ」
「…すみません。そんな言い方、してしまって。撤回、します」
よく考えれば、先の表現はかなりきついものだった。幾らなんでも神の行為に対して呪いなんて言い方はどこぞの神話じゃないのだからやめた方が良いに決まっている。
そう思ったのだが、シンボリルドルフは首を振る。
「いや、いい。その必要は無いんだ。君のその状態を見て撤回させようなどとは思わないし、嘘だと疑うつもりも無い。だが……いや、だからこそ」
「……?」
「そう思うに至るまでの間に、一体何があったのか。スタートワン、君はその事を…、トレーナーにも、私達にも言うつもりは無いのだろう?」
悲しそうな表情のシンボリルドルフに、思わず言葉を詰まらせてしまう。
それはもう彼女への返答と同じだというのに。
「やはり…か」
「……これだけは、言えない、です」
「私達を、信用出来ないか」
「……本当に、ごめんなさい」
信用していないわけじゃあない。彼女たちほどの相手を信用できないのなら、私は誰も信じることは無いだろう。
だから、言葉だけでは伝えられない事も分かっている。謝る事でしか気持ちを伝えられない。
ホープフルステークスの時も言われたこと。あの時はあくまで、私自身が話せる事を隠していたからこそ言われた事だった。
しかし、今回の事は私の我儘だけで隠している事では無い。三女神と私の関係は、この世界の根幹はおろか、その存在さえも揺るがしかねない情報で。それだけでなく、私の存在と、そこにある未来の“事実”にすら深く踏み込ませてしまう。
それはこの世界で知られては。存在してはいけない情報だ。一瞬たりとも心を緩めてはいけない。
「それは……私だけでなく、生徒会から勧告されたとしてもか」
「……。」
「……私が、個人的に聞いたとしてもか」
頷きを返しながら、思わず視線を逸らす。
言わないし、言えない。例え彼女の不興を買ったとしても。彼女に嫌われたとしても。
それだけは、私の我儘で選んではいけない。
シンボリルドルフが息を吐く。一瞬だけ自分の視線が揺れたのがわかった。
次の言葉を待っていると、再度大きく溜息を吐くのが聞こえた。
「スタートワン」
「……はい」
「君は、私が言ったことを全く守れていないようだね」
「すみま…、えっ?」
なんか今、想定と違う事を言われた?
思わず顔を戻すと、三人はそれぞれに視線を巡らせながら呆れたように肩を竦め合っていた。それは私の思うそれとは、違っていた。
「聞かないん、ですか」
「無理に聞いたところで、結局ムダに終わる事くらい分かっているからね」
「というより、多分だけどさ。スタートワン的には、そのあたりの事って、踏み込まないで欲しい事なんでしょ? 見てたら分かるよ、さすがに」
視線だけが行ったり来たりを繰り返し、結局もう一度三人を見直す。
「君の中で言えない何かが多くある事は、前々から分かっていた。秘中之秘、その内容が並々ならぬ事情に繋がるものなのだという事もね」
「……。」
「だから、私達は何も聞かないでおこう。君が言いたくなるその時、私達に隠し続ける事を厭い、耐えきれないと感じるその時を待とう」
「持久戦、宣言、ですか」
「トレーナーにすら言えない事を共有しているのは、互いに同じことだ」
にこりと笑みを返される。
あー……。なるほど、そういう事か。生徒会役員の言葉だから事実なんだろうけど、なんで態々トレーナーだけじゃなくハッピーミーク達まで外へ行かせたのはその為か。
「
「君自身が言いたくなるまで、私達は幾らでも待つつもりだよ」
「ごめんねスタートワンちゃん。いい加減ルドルフも限界みたいで、流石に静観してられないって」
「友達が居るとそっちに話題を逸らされそうだからね。アタシ達相手にそうそう誤魔化せるとは思わないでね?」
色々と隠し過ぎたらしい。
今日の事、領域の事、それから私自身の事。
あと一月も無いクラシック戦線の前に後顧の憂いを断つべく、強硬手段に出てでも、私が隠している事の幾つかを聞き出そうとしているようだ。
「こんな、タイミングで、ですか」
「それに関しては本当に申し訳ない。だが、こんな状況でもないと君は口を緩めすらしないだろう? ……こんな事があった以上、一人の友人として見過ごしたくないんだ」
そういって、シンボリルドルフは私の手を握る。未だ震えの止まらない私にも、彼女の手が僅かに汗ばんでいる事が分かった。
私を見つめる瞳に、少なくない心配を感じる。
「少しで良いんだ。……私達にだって、背負わせてくれないか?」
秘密の共有、良心への呵責。それから……純粋に、背負ったものを一つでも降ろしてほしいという優しさ。
外側からではなく内側から狙う事で、言わせやすくするつもりか。
揺れてしまいたくなる。甘えてしまいたくなる。
時間を考えれば、もう保健室を出て家へ帰らなければいけない。一人で、誰も居ない、真っ暗なマンションの一室へ。
今まで通りの生活、今はそれが、少し怖い。
言ってはならない事なのに。全て背負わなければいけない事なのに。
彼女達の優しさに、全てを委ねてしまいたい。
「プロフィール、見ました、よね」
「……ああ。生徒会の仕事の中で、何度か見させてもらった」
「違和感、ありましたか」
「……いや。何も変では無かった」
「両親、の、欄は」
「……
…………。
そう、か。
「……。改めて、言います」
「ああ」
「全部は、言えません。絶対」
「……ああ」
「…………でも。でも、少しだけ、言わせてください」
「なんだ?」
「……領域は、三女神に、もらった、ものです。多分、ですが」
僅かに表情を変えるシンボリルドルフ。後ろに立つ二人も、眉根を少し寄せる。
「気が付いたら、持っていて、気が付いたら、使ってました。そして」
「気が付いたら、一人、でした」