私の仮説はこうだ。
私を窯に見立てたとき、継承された『EXECUTE→Don't Stop RUN』は内包される薪。三女神はそれを入れる手となる。
最初投げ込まれたものには、馬、或いはウマ娘に関する恐怖が詰まっていたのだろう。競走馬の「
仮令どちらであったとしても、それは私の中へ入り込んだ。人間に人間でない存在の情報を混ぜた事。おそらくこれが私をウマ娘の世界に弾き出した原因だ。
そして、それは単純で純粋な「怖い」の感情。崖上から突き落とされるかのように、獣に生きたまま貪られるかのように、そして――処刑を言い渡され、執行される今際の際のように。あらゆる形状に変わり得るそれを、私は間抜けにも受け取ってしまった。
突然の事態に混乱する中、私はそれでも自分の中にある感情を処理しようとした。なぜ怖いと思っているのか、何故恐怖が自分から広がっていくのか、そこに説明出来る理由を求めた。
恐らく、これが
結果どうなるか。人間としての記憶を持ちながら、突如としてウマ娘としての生を送ることになった「スタートワン」の誕生だ。その領域は様々な由来からなる恐怖を周囲に押し付け、同時に元々自分のものではなく、しかし己が最も恐れるものを引きずり出すために、私自身にも襲いかかる。そして押し付けたものを弾かれれば弾かれる程、自分に戻ってくる総量は大きくなる。
何より、元々が私から発生したものでは無い上に、私の許容を軽く凌駕する量の情報である為、どれだけ全身全霊で封じ込めようとも、簡単にそこから漏れ出してしまう。
初めて領域が暴発した時。
見えた世界は何もない、真っ暗な世界だった。そこでただ、向けられた銃口からの衝撃に自分が貫かれる瞬間を見た。恐らくは「死」との連想から生み出されたものだろう。
空間に炎を伴うようになったのは、姉妹を救い出してから。燃え盛る炎への恐れを、取り込んだのだろう。シニア級に上がった頃発生する、固有スキルのレベル上昇。それを入学以前に行った代価なのかは知らないが。
この領域は、私の恐怖を糧に成長する。何時か必死に作り出した枷を引き千切り、私を飲み込んで、狂わせるその時まで、永遠に。
「本当は、話すつもり、ありません、でした」
能面を思わせる無表情のミスターシービーと、皿を何とか落とさずにテーブルへ置いたものの、開いた口と当てられた手を動かせないマルゼンスキー。
人間からウマ娘への変遷については語れなかったが、領域取得までの経緯とその成長、そして私の身体に起こった事の殆どは説明した。これまでで一番情報を出したハズだ。これ以上の何かを言う事は、恐らく今後誰に対しても無いと断言していい。
「聞いても、どうしようも、無いでしょう? どうにか、出来るの、三女神、くらい、ですから」
どうにか出来るなら、私はこれを捨てるか、『シンデレラグレイ』のスーパークリークのように使わない前提でいる事を選んだ。完全な制御など不可能な事は十年以上の経験でもう分かっている。
そしてこの力は使わずにいるにはあまりに強く。使わずに戦える程私は強くなかった。
語ったことが本当に三女神によるものなのか。私をこの世界に連れ去った理由は何なのか。領域を押し付ける必要はあったのか。それらは一つとして分からない。最もあり得る可能性は、偶然この世界に流れ着いた私に、この世界では多くの場合邪魔になるものを押し付けた結果であるというところだ。
ただ、いくらこの世界がゲームのようにある程度自由な行動を認める世界だったとして、私という異物を放置するという選択は難しかったはず。たった一度だけでも何時かはコンタクトを取ってくれるだろうとは考えていた。
それがあんな形だとまでは、流石に思っていなかったが。
結局、私が三女神に救われる可能性は低いと考える方が良い。彼女達からすれば、愛しい娘達に似ているだけの奇っ怪な存在でしかない私を、仮に自分達が作り出したのだとしても、助ける義理など一つも無いのだ。私だって余程自分と関わりのある相手でもないとそういう助け舟を出す気にはなれない。先輩やクラスメイトを贔屓しているのだって、自分と仲が良いという前提があるから。
偶然かはともかく、女神達がのこのこと自分達の場に現れた邪魔者を消そうと動いたとしても、妥当だと言わざるを得ない。
内実を語る訳にもいかないので、あくまで三女神の眼鏡には適わなかっただけなのだという事を強調しながら。そこに更なる念押しをする。
「このことは、他言無用。仮に、話しても、私の、トレーナーさん、だけです。特に、シンボリルドルフ、さんには――絶対、言わないで」
無言の問い。何故そんな事を強いるのか。
「こんな事、誰に、言っても、信じて、もらえません。そもそも、私自身、話半分。だから、誰より、私が、信じられない」
どこまで行っても、この説は“説”でしかない。「私がここに居る」という以上の根拠が、そこには無いのだ。
そしてその根拠すら、証明する手立ては一切無い。何もかもが書き換えられていて、残っているのは記憶という不確かなものだけ。何処かがねじ曲がっていたとしても、それを訂正する方法は全て消えてしまった。
「これ以上、色々、聞かれても、もう、話せない、です。私も、それを、答えられない。彼女は、きっと、案じて、しまう。今年が、どれだけ、大事な、時期と、しても」
『全てのウマ娘に幸福を』という、彼女の志。
本来、私はそれに当てはまってはいけない存在だった。ましてや、それを妨害するような存在であってもいけなかった。
今、この状況そのものが私にとっても、彼女にとってもイレギュラー。手を煩わせるものは、出来る限り少ない方が良い。
手助けするならまだしも、足を引っ張って尚余りある荷物になったら。
私はその場で自分をこの世界から引き摺り下ろす。
「……どうしても、ダメなの?」
「駄目、なんです。だって」
私は私を信じていない。
これまでの過去が事実であるかどうかすら、私にももう確信が持てないと、思っているから。
言葉を止めてしまった私を、二人が少しだけ怪訝そうに見つめる。
続きを言うべきか迷ったが、続けたところで二人が分かるわけもないので、誤魔化して切り上げる事にした。
「結局、変えられない。どうにか、なる、事じゃない。だから、もう終わり。この話は、ここで、やめるべき、なんです」
静かに、しかしもう続きを話す事は無いのだという意味を込めて。私は二人から顔を逸らし、テーブルの料理に目を向けた。
「ご飯、食べちゃい、ましょう。このまま、だと、冷め、ちゃいます」
お茶碗や箸などを用意しようと立ち上がる。バランスの悪さは相変わらず、歩くのも一苦労だが、壁伝いなら歩けないわけじゃない。軽く足を引きずりながら台所へ行くと、少し遅れてマルゼンスキーが後からついてきた。
彼女の方を向く余裕がないので、背中越しに声をかける。
「食器、用意、手伝い、お願いします。私は、箸、じゃなく、スプーンを」
「え、ええ。分かったわ」
私の隣を擦り抜けて食器棚を空ける彼女に変わって、炊いていた筈の炊飯器を開く。一人暮らしなので人数分には足りないが、正直そこまで腹も空いていないので先にテーブルへ置いた分だけでも満たされる。最悪朝食用に買ってあるパンでも食べれば問題無いだろう。
「お盆、ここです」
「…ありがとね」
……ぎこちないな。私が言うのもなんだけど、言わない方が良かったよなあ。
酷く静かな食事風景に、謝ればいいのかいっそ笑えばいいのかわからなくなる。
この空気の中で行う食事で味に集中出来るわけもなく。折角のマルゼンスキー手製の料理も、どことなく美味しいと感じる事が出来ない。
やっぱり、あのタイミングで話をしたのは失敗だった。せめて食後にするか、完全に有耶無耶にする方が早かったか。
ちらと二人に視線を向けると、どちらも何とも言えない空気を纏わせながら食事を口に運んでいる。普段よく喋る二人が、一言も発さずにだ。
一瞬だけマルゼンスキーと視線が合い、僅かにだが動揺したように逸らされる。よもや見られていると思っていなかったのだろう。此方も流石に目を合わせにくく、視線が落ちる。
……だから、こんな話はしたくなかったんだ。私の話なんて面白味も何も無いし、自分でも暗い事ばかり出てくると思うものばかり。微妙に茶化しにくいから変な拗れ方もするし、何の得もありゃしない。
見てみろ目の前の二人を。私ですらこれなのだ、こんな状態でものを食べて味がわかるものか。
ああ、嫌だ。このまま一日を過ごして明日を迎えたら、その流れで以降の二人との付き合い方にも軋みが生まれてしまいそうだ。そうなったら、私はこの領域の所為でまた自分の友人を失うかもしれない。それはなんて、なんて恐ろしいのだろう。
ああ、明日が怖い。今日が続いていくのが怖い。何もかもが変わっていくのに、私だけが取り残されていく。
変わっていくというのなら、このまま私だけを放り捨てていってくれないだろうか。中途半端に連れてこられるなんて、生殺しもいい所だ。
怖い、怖い、こわい、こわい。
誰でもいいから、はやくわたし――――
「スタートワンッ!」
「――ッ!?」
大きな声に驚いて視線を上げる。目の前に居たのは顔を真っ青にして私の肩を掴むミスターシービー、すぐ横では、マルゼンスキーがスプーンを持つ私の手を、自分の手で包むように握っている。
これは、え……ッ、うわ、クソッ……!!
「す、みっ……! あ、ぅ……!」
最悪だ、抑えてなかった……っ! 領域が漏れてる……!
「……ひゅ、っ…!? はっ、はっ、あ、が、ひゅっ……!」
慌てて抑え込もうとして、枷の緩みが大きい事に気付く。深呼吸で止めようとするが、息が上手く出来ない。知らぬ間に涙が大量に流れ落ちていて、情緒が既に手遅れの位置に来ている事を察した。
背を這う不快感、指先が痺れている。もう少し早い段階で堰き止めていればよかったものを、気付くのが遅れるなんて!
ああ、もう…・・・っ、
「ほん、とに……!」
「――はあっ!?」
「何してるのっ!?」
マルゼンスキーの手を離し、ミスターシービーの手を外す。そして思い切り自分の首を掴み身体を屈める。渾身の力を籠め、爪を立てる事で痛みと呼吸が出来ない苦しさの両方が襲い掛かってくる。体が致命的なことにならない少し手前の段階で行っているので負担は桁違いだが、それが逆に意識を強く覚醒させてくれる。
今生きているという事実を、認識させてくれる。
気を抜き過ぎた……いや、もっと悪い。腑抜けていた。
立て続けに心を揺さぶられたという事だろう。噴水での事から、皆の優しさと、そしてさっきの事。少しでも支えて欲しいと感じていた揺るぎない証拠、その結果だ。
「いい…っ、加減に…! わかる、だろ……!」
それを求められる立場じゃあないだろう、私は。
結果も出していない。強い志も無い。元々恵まれた出自でも、ウマ娘に相応しい見目麗しさも無い。
求めるなら、それに見合う結果を出せ。恐怖すらも押し潰す、絶対的な強さを示してみせろ。
それも出来ないで――――この、世界に、居られるものか……ッ!
「……ぐっ………、が、はぁっ……」
「す、スタートワン、それ以上は」
「……っ、はぁっ…!」
「わっ!?」
限界まで絞めていた気道が手を放した事で一気に開き、呼吸が軽くなる。肺を満たす酸素が生きている自覚を強め、精神に余裕を生み出し、漏れ出ていた恐怖の渦を静めてくれる。
「はあっ……! ぜっ、ごほっ、ごほっ……!」
急激に息を擦った事で逆に息が詰まり、軽く咳き込んでしまった。
くっそ、久しぶりでミスった……。でも、抑え込みには成功した。本当に、好き勝手に動くのだけはやめて欲しい。お陰で十年は一気に老け込んだ気分だ。
一応今は私の中にあるのだから、指の先くらいは私の好きなように動こうという気概を見せて欲しい。レースに出る時も上手にコントロールするのは神経を使うせいで、寿命を削っているようにすら感じてしまう。
軽く息を整えてから、顔を上げて二人を見る。
「抑え…、込み、ました…けほっ。お騒がせ…っ、して、すみません」
「…………」
「え、ええと。その…。大丈夫、です。ん、んっ…。もう、今日は、出ないよう、気を付け、ます」
どちらとなく無言の二人に、こちらが戸惑う。
な、なんでそんな虚無みたいな顔なんだ? ヤバげなものでも見たような感じの……。
「スタートワン、ちゃん?」
「え、あ、はい」
「今の、なんで、」
「…………なんで?」
「もしかして、だけどさ」
「え、は、はい」
「今までも、ずっと、それ、してた?」
ミスターシービーが軽く指を此方へ向ける。その指が差すのは、私の首。
何かおかしい事でもあるかと首に触れると、破れたらしいインナーの感触に続けて一瞬痛みが走った。思わず自分の手を見て、
「……ああ、その」
べたべたに、という程ではないが、明らかに多めの出血。皮膚の弱い場所を思い切り引っ搔いているせいで、人間の姿でもぎりぎり許されないタイプの年齢制限が付きそうな血の跡が、指先についている。というか、両手の指についていた。
……これがゲームの中で表現されていなくてよかった。私がゲームの中にいてこれをシナリオとかでやっていたら、普通に叩かれていただろうなあ。
「現実逃避してる所わるいんだけどさ」
「はい」
「制服が汚れないうちに、脱いじゃおうか」
「……そう、ですね」
「それと、もう一つ言わなきゃいけないわね」
「……はい」
「流石に、もう何日か一緒に居ないといけないとダメだと思うんだけど、どうかしら?」
「……気付かない、内に、今みたいな、事が、あると、嫌、なんですが」
「「だから言ってるの!」」
……だめそうだなあ。