「スワちゃん、大丈夫なの?」
「はい、まだ走る事は出来ませんが、数日すれば元に戻ります」
「でも、その間は練習も出来ないんでしょ? 皐月賞は?」
「勿論出走しますよ。そろそろ休息日を作りたかったので、丁度いいくらいです」
教室まで送ってもらい席に着いた途端、クラスメイト達に囲まれる。送ってくれたミスターシービーとマルゼンスキーに向かった子も複数居たのだが、それよりも此方への心配が勝ったようだ。
「走れるんならいいんだろうけど…。あいっかわらず無茶ばっかだなあ」
「無茶とは何ですか。出来る範囲の事をしているだけです」
「よく言うよねー。暇が合ったら練習か勉強って。たまには一人で遊びに行けばいいのに」
「それはまあ、皆さんと行く方が楽しいですし」
「あっ、良い事言う!」
「いいなー、あたしも撫でちゃお」
「もう、皆さん人を何だと……」
未だ車椅子だからだろう、頭を撫でてくるクラスメイトに苦笑いを返している内に、授業の時間になる。自然と席へ戻っていくクラスメイトを見ながら、私も次の準備を始めた。
三女神から継承紛いの異物を押し付けられた翌日。私は今日も車椅子での生活を余儀なくされたまま、学園へ登校した。
喋りに関してはもう問題が無いのだが、流石に身体の方は万全とはいかず。どれだけ短くてもあと何日かはこのままが続くだろう。
皐月賞前のトラブルという事もあって、次の日だというのに私に関するニュースも幾つか上がっていた。情報のソースが曖昧なのか「出走回避か」や「引退の可能性ありか」みたいな飛ばし記事も幾つかあったものの、内実は出走自体に何の問題も無いという事で比較的大々的ではない程度であり、総合すれば、ネットをちょっと騒がせたくらいで収まっている。
ただ、外側では比較的さざ波に終わった事態だが、内側である学園ではそうとも言い切れない。
人が居たと言え三女神の像の前で起きた事なので、周囲は簡易に封鎖され感謝祭が終わるまで中には入れないようになっており、噴水の近くの設営も色々と変更を強いられてしまった。私も授業後には生徒会や樫本代理の元で話をするのに苦労したものだ。
特に三女神の加護については生徒会でも非常に扱いに困ったらしく、今後この時期に噴水周辺を通る事が出来ないようにするべきではないかという意見まで出ていたほどだ(流石に私が原因で継承が出来なくなってしまうと困るし、そもそも今回のものが特例だという事は分かりきっていたので少し待ったをかけるだけで立ち消えになったが)。
年度末の極まった頃に起こしてしまったので、かなり負担をかけてしまう事になるのが申し訳ない。
そして、私自身もそれとは別に話をしなければならない相手がいる。
予定は詰まっているし、動きは鈍い。だからこそ身体に鞭を打ってでも、今日の予定を完遂しなければ。
……まあ、今はクラスメイトに車椅子を押してもらいながら学園の廊下を進んでいるので、自分の力という訳では無いのだけども。
「すみませんわざわざ」
「このくらいいいよ。スワちゃんだってこれ一人で動かすのは大変でしょ?」
「本当はマルゼンスキーさんかミスターシービーさんが来るまで動かすつもりだったんですけどね。今日も私の家に泊まるつもりらしいので、そのくらいすると言っていたのですが」
「…あの二人とお泊りかあ。スワちゃんの交友関係、ホントにすごくなってきたね」
「……それを言えば、貴方も定期的にお二人に会っているじゃないですか。最近は一緒にトレーニングもしていますし」
「いやまあ、そうなんだけどさ」
なんやかんやでクラスメイトも私達の合同トレーニングに参加する回数も増えており、積極的にシンボリルドルフ達から学びを得ようと奮闘している。おかげか能力の向上も著しく、もしかしたら私達の中で今一番成長しているかも知れないのがこの子だ。
最近は重賞にも挑戦してあと少しで勝利という所まで行くことも出来て、他の子も参加しないかと声をかけたりもしてくれているらしい。……結果は芳しくないそうだが、まあ、のんびり待つしかないだろう。
なんて事を考えている間に、目的地に到着する。
「はい、着いたよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、私もトレーナーのとこ行くね!」
「はい、いってらっしゃい」
自分のトレーナー室へ去っていくその背を見送ってから、私は目の前の扉へ視線を戻す。ノックをしようとして、少しだけ自分の指先が冷たくなっている事に笑ってしまった。
今更何を怖気づいているのか。ここまで来たら、あとは野となれ山と成れ。
「失礼します。私です」
「入れ」
扉を開いた先には、作業用の机を前に肘をつけ腕を組んだトレーナー。此方を見て、何も言わず入ってくるよう視線で促す。
車椅子で自由に動き回れる程広い部屋ではないものの、物の配置が少し変わっていて、彼の正面まで一本道で進めるようになっていた。恐らく私が移動しやすいようにという配慮なのだろう。
車輪を動かし、机越しに向かい合う。見つめるその目は、鋭くて、それでいてどこか据わっている。
最初に何を言うべきだろうか。謝罪……何を謝るのか詰められそうだ。開き直り……彼なら頬を引っ張ってくる気がする。皐月賞の事……多分この後話すから、後でいい。
……。何より先に、洗いざらい話してしまった方がいいか。
「貴方に」
「ほらよ」
偶然か、重なった声に一瞬面食らった様子だったトレーナーは、それでも何も言わず簡素に纏められた数枚の紙束を机の上に置く。視線を向けると、見ろという無言の促し。
紙を手に取り、最初に書かれた文を読んで。思わず顔を上げる。
「なんです、これ」
「見た通りだ」
「……スタートワンの一人暮らしにおける同居人の重要性と、提示された代替案の承認」
「これは命令だ。お前がこれを飲めないなら契約を切っていい。条件をよく読んで決めろ」
一つ、スタートワンは最低一週間に一度自身の選んだ相手を自宅に外泊させる、或いは自身の担当トレーナーの部屋に外泊をする事。自身の知人であれば寮での外泊も可とする。
二つ、スタートワンのトレーナーは一月に一度担当ウマ娘の現住所で心身のケアを行う事。ただし、宿泊は禁ずる。
三つ、スタートワンの生活において必要であると判断した場合のみ、理事長とスタートワン両者の承認を得た上でトレーナーはスタートワンの現住所での宿泊を許可する。
四つ、上記の条件をスタートワンが認められない場合において、スタートワンは一方的に担当契約を破棄する事が出来る。
その他細かな条件を記したこの書類は、簡単に言うと私に主導権を握らせた私の自宅への宿泊許可だった。
一方的な契約の破棄と言えばエアグルーヴのキャラストーリーが思い浮かぶが、あのようなパターンでも結局は手続きが必要になる。私のこれは、ほぼ特例と言ってもいい破格の扱いだ。
承認日こそ今日になっているが、圧倒的に私に有利な条件の内容と、これを保健室の後、私とここで会うまでの約一日未満の時間で用意したそれは。
言い換えれば、トレーナーがこれを樫本代理に認めさせるだけの手腕と、それだけの覚悟をもってこの紙を私に見せたという事でもある。
保健室の先生でうやむやになった、同居の話。
彼に猶予を与えたのは失敗だったかもしれない。そんな事を頭の片隅に考えながら視線を上げると、トレーナーの目とかち合った。怯みそうになって、それを見せないように紙を机に戻す。
「そうまでして、私と一緒に暮らしたいんですね」
「当たり前だ」
「っ」
「相棒が苦しんでるのを見過ごす程俺は莫迦じゃねえ」
驚くほど真正面からの言葉。たった一年の関係にも関わらず、私は彼にこれを言わせるだけの覚悟を培わせたらしい。
ここで契約を切って、学園から離れた方がいいのではないかという思考が過る。
このまま私と共倒れさせるには、彼の能力はあまりに惜しい。この身体を重賞が取れるだけの状態に戻し、シンボリルドルフと接戦させる程にまで成長させる事さえ出来る。レースの為に多くの準備を整えられる才能を、ここで腐らせる損害は計り知れない。
より才能がある誰かを担当し、その子を育てる方が、彼にとっては遥かに
「言っておくが」
置かれた紙に叩きつけられた手が、ばんと大きな音を立てる。ぐいと顔を近付け、此方を睨むトレーナーの目に、思考を削ぎ落された。
「お前が契約を破棄したのなら、俺はトレーナー廃業だ。自分の担当一人育てられねえ
「――」
「お前の選択は二つに一つ。俺とこのまま共倒れするか、俺を潰して次に進むかだ」
いかれている。
口を衝きそうになるその一言を飲み込み、代わりに出てきたのは溜息だった。
どうやら、私はもう戻れない所にまで彼を引き込んでしまっていたようだ。クラシック級の本番すら始まっていない段階で、私の何処に魅入られてしまったのだろう。
……そんな事を考えている暇なんてないな。お膳立てされ尽くしたこの状況において私に出来る選択など、極力被害の発生しない方だけだ。
「……一つだけ、言う事があります」
「なんだ」
「この三つ目の条件、承認が必要なのは理事長のものだけにしてください。私が許可を出せてしまうと、重要な時に限って私がストップをかける可能性がありますから」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔ってこんな感じになるのか。
「いいのか」
「殆ど脅しと言ってもいいような事をしておいて、良いのかも何もないじゃないですか」
「そうでもしないとお前は意固地になるだろ」
「悪かったですね意固地の頑固者で。あなたほど強硬策に出る癖がないものでして」
ほんとにこの人は……もう。
「とにかく。皐月賞までの時間で今から担当契約を始めても間に合わないし、簡単に他の人を選ぶ程私も薄情ではありません。この条件くらいなら飲みますよ」
「……そうか。分かった」
今後は彼を家に上げる必要が生じたが、予定が崩れる程度の事ホープフルステークス以前にシンボリルドルフとの初対面で経験済みだ。気にするものでもない。
「というか、なんですかこの書類。樫本代理と話をした時こんなものがあるなんて聞いていないですよ」
「来月にゃ交代する相手がする話じゃねえだろ。そりゃ来年度から効果が出るモンだ」
「…次の理事長にこれの話しないといけないんですか? 私が?」
「俺がする。お前は隣で黙ってりゃいい」
尚の事嫌なんだけど。
あの小さな理事長に懇切丁寧な説明を行わなければならないのは色々な意味で骨が折れる。ウマ娘に関する事に対しては寛容な人の筈だけど、これに何か追加の条件なりを付け加えるくらいの剛腕を発揮する可能性もあるんだから、ここで早めに完了させておきたい所だなあ。
なんて事を考えていると、トレーナーが再度腕を組んで机に肘をつく。
「それよりも。お前はもっと別の事気にする必要があるんじゃねえのか」
……ああ、そうだった。散々背中を押されて、私もようやく気持ちを決めたんだ。
「そうですね。少し長い話になるので、飲み物でも用意しましょうか」
「そこまで長いのか」
「多分、トレーナーさんに一番話をする事になりますから」
一人暮らしと領域の取得。三女神の呼び声と仮説。領域の詳細とこれからの戦い方。
以前トレーナーに話した事。
姉妹と両親に話した事。
シンボリルドルフ達にも話した事。
ミスターシービーに言わされた事。
マルゼンスキーに諭され、考えた事。
その全てを、時間をかけてトレーナーに打ち明けた。部屋に来た頃はまだ窓から光が漏れていたのに、今はもう夕暮れが近い。
「個々の情報を知っている人は多くいます、姉妹然り、シンボリルドルフさんしかり。ミスターシービーさんは特に多く知っています……ですが、この情報を全て知っているのはあなただけです。故にこの事は他言無用。シンボリルドルフさん達も、家族にも絶対に。三女神の話なんて、本当は生徒会直々に口止めされている事ですから」
本当は隠しておきたかったのだけど。今回の事を含め私の事情は三女神抜きに話す事が出来ない。後でシンボリルドルフ達には謝罪をしなければならないな。
一先ず話を終える。
言葉を待つと、頭を掻いた後トレーナーが徐に立ち上がた。
「トレーナーさん?」
「……」
私の前まで移動した彼は、車椅子を軽く動かして自分の方へ向け、私と目線が合うように跪く。少しだけ位置を下げた顔は、面倒そうな、しかし神妙な表情を見せている。
「お前は」
「はい」
「三女神を恨まないのか」
「恨む理由しかないので、それ以外はどうでもいいんです、これ以上私に面倒が来ない限りは」
「そんな目にあって、それでもレースを目指すのか」
「来てしまった以上、自分の限界までやってみます」
「……やるんだな」
「……あの人の視界に、私はまだ居ないんです」
私は強い。それは信じていい結論だ。
私はシンボリルドルフに勝てない。それも揺るぎない事実だ。
彼女はきっと、三冠の道で繰り返し戦う私をライバルと呼んでくれるだろう。しかしそれは共に勝利を目指す相手という以上の意味を持たない、本当にただそのまま、同じレースを争う相手というだけ。
彼女にとっては、私は踏み台だ。
「彼女と同じ時代に生まれたのだから。足掻いてみせます、何をしてでも」
自分の周囲に人が居ない孤独より、自分は独りなんだという実感を持つことの方が、ずっと堪える。
ビゼンニシキ。ニシノライデン。スズパレード。スズマッハ。少し数えるだけでもシンボリルドルフと同じ年のクラシックを走った競走馬達の名前は、競馬の歴史に確かに刻まれている。だがシンボリルドルフの栄光の中では同じクラシック期を走った競走馬の存在は薄く、アプリ版ではその傾向も強くなる。
消えたわけではない。ただ、圧倒的なまでに彼我の距離は離れている。
一緒に走る相手が居ないわけじゃない。だが、現状ではエアグルーヴもナリタブライアンも、約二ヶ月後まではトウカイテイオーにさえ会えない。
彼女と最も多く戦う、彼女と関わり深い、彼女と同世代のウマ娘は。この世界では、私だけだ。
「それでいいですよね」
有無を言わさぬつもりでトレーナーの目を見る。元々、その前提でずっと話をしていたのだ。今更私の事をあれこれ話したところで、これからの予定が変わる事など絶対に無い。
彼もその事を分かっているため、静かに目を瞑り、そして開く。
「お前が目標言ったときに、少しでもストップを掛けなかったのを今後悔してるよ」
「判断が遅かったですね」
「お前が少しでも尻尾を出してりゃ言ったわ」
「尻尾ならもう出てますよ」
「…………」
「え、あちょ、す、すみませんでしたからかったわけじゃなあっ!? ば、バカ! へんたっ、ひぁああああ!?」
ウマ娘の尻尾に触るのは場合によって犯罪になるってのにぃぃぃいいい!?
「あっ、スタートワン! そろそろ帰る…よ?」
「……ええと、スタートワンちゃんのトレーナー? そのほっぺの赤い跡は……」
「気にすんなコイツの癇癪だ」
「人の所為にしないでください……というか、マルゼンスキーさんとミスターシービーさんはともかく、なぜお二人まで?」
「私達も行っていいかな、と思って」
「これ、外泊届け」
「……四人も一度に泊められるほど私の住んでいる場所は大きくないのですが」
「今度シンボリルドルフさんも来るって言ってたよ」
「……せめて皐月賞までは待ってほしいのですけど」