G1目指して頑張ります   作:あかし/さんさい

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43-2 第二戦 足を止めるな/芝2000メートル 中山 右・内回り 晴れ・良

 ぱちぱちと、目の前が光る。

 

 ミスった、ミスった、ミスった。

 やってしまった。この展開は全てにおいて最悪だ。よりによってこの状況でやってしまった。

 

 後ろへと流れていく出走者を視界の端で認識する。当たったのは一瞬、恐らくは腕か手などに当たったのだろう。転倒はしていないだろうか、骨は折れていないだろうか。後ろから激しい音はしない。バランスを整える事には成功したろうか、せめて罅くらいで済んで欲しいところだ。

 

 いや違う。今気にしなければいけないのは私の方だ。

 

「う…っ、ぐ、ううぅ……!」

 

 インパクトが一瞬だった事、一応は同じ方向に殆ど変わらない速度で移動していた事、当たったのが身体の中心で重心が大きくぶれなかった事、コルセットが防壁となって胸下に伝わる衝撃をある程度吸収してくれた事。重なった幸運のお陰で、転倒だけは避けられた。

 

 だが、人一人の持つ重量と、そこに乗っていた速度分の威力はその程度じゃあ防げない。胸全体を貫いた衝撃は、鳩尾を打たれたようなダメージを私の身体に残していった。

 そのダメージがもつ意味は。このレースに置いて私が勝つ可能性は完全に無くなったという事。

 

 

「スタートワンッ!」

「ッ…、っ、……」

 

 遠くシンボリルドルフの声が聞こえる。脂汗が全身から滲み出す。ただでさえ乱れている呼吸が真面に出来ない。

 

 視界が揺らぐ、頭が揺らぐ、走っている感覚が揺らぐ。自我が、揺らぐ。

 

 

 シンボリルドルフの接触は見ていた筈だ。レース中他の出走者に近付くのは危険だと分かっていたハズだ。このレースが最も重要なものだと、理解していたはずだ。

 

 自分の犯したミスに動揺が隠せない。自分が一気に不利な状況に追い込まれたことの動揺が隠せない。

 勝てないどころの話じゃない。走る事すら危うい。

 

 どうする、どうする、ここで足を止めれば終りだ。だが、もうこれ以上走れない。もう、もう私は――――――

 

「…………」

 

 

 ここで、終わり?

 

 

 こんな無様な姿を晒したまま、終わる?

 彼女の勝利を、こんな馬鹿げたアクシデントで台無しにする? 彼女達が死力を尽くして戦っているこのレースを、こんな事の為に中止にする?

 

 彼と歩んだ、必死の一年を無為にする?

 

 巫山戯るな。

 私はなんの為にこのレースに出たんだ。何のために私がここに居るんだ。

 

 

 無意識に右腕を持ち上げ、左手で拳を包む。上に持ち上げた腕は、私の顔よりも高く。

 

「……」

「―――ッ? なにを」

 

 声には何も返さぬまま。振り上げたその拳を、私は思い切り己の鳩尾に突き刺した。

 今度は明確な直線状の衝撃が走り、肺の空気を思い切り吐き出す。

 

「げ、ぇっ…!」

「なにを、している…!? スタートワンっ、この状況でなんてバカな事をっ!?」

 

 激痛なんて生易しい言葉では足りない。不足した酸素と疲労と吐き気が混ざり合い、明滅した視界は零れる涙と合わさって殆ど機能していない。

 しかし、全ての感覚が極限に近付くにつれ、思考を埋め尽くす雑念が掻き消えていくのが分かる。あまりの痛みが限界を超え一周回ってしまったという事だ。疲労も、吐き気も、痛みも。そのすべてが麻痺している。ゆっくりと、安心して息を吸う事が出来る。

 

 良かった。これならまだ戦えそうだ。

 出走者には、かなり危ない事をしてしまうな。この後、一人ずつ謝らないと。

 

「シンボリ、ルドルフさん」

「スタ――」

「何時まで腑抜けているんですか」

 

 枷が外れた。湧き出す恐怖がうねり、地を這いずって周囲を飲み込む。

 

「さあ、走りましょう、走りましょう」

「!」

「この燃え盛る、恐怖の中で。共に、果てたく―――」

 

 

“恐れは最早止められない。この暗闇に逃げ場は無い。

 

焔の髑髏は次の獲物に目を付けた。

構えた銃口が顎を開かせる。震えるその身体を、止める術はもう無い。止める者は、皆居ない。

 

仕方ないのだ。お前はもう諦められたのだから。呆れられたのだから。飽きられたのだから。

 

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2』

 

未来は既に掻き消えた。せめて今際の際だけでも、目を瞑り夢想に溺れるといい”

 

 

 

「無いのならぁっ!」

 

 誰の口からも悲鳴すら出なくなり、破滅的な逃げは混乱を混沌へと陥らせる。

 

 使った瞬間分かった。

 マジかこれ。一気に身体から力が抜けて震えが来た。これは暫く調整しないと私が潰れる。念のため出力を絞っておいてよかった。完全に外に出していたら、このレース自体が中止になっていたかも知れない。ただでさえ身体の中は痛いやら熱いやらで最悪だと言うのに、周囲に当たり散らす髑髏の炎が、私を外側からも燃やしている。

 

「なぁ……っくッ、君の力は、ここまで……!?」

 

 しかし、これは僥倖。

 

 シンボリルドルフも、一瞬怯んだ。

 シンボリルドルフでさえも、一瞬だけならこの力で捕捉出来たのだ。

 外した枷の先にある深さは、特別な者達をもその中に飲み込んでしまう。

 

 

 バランスを崩したまま、それでも走る足は止めない。力技で体勢を整えながら、周囲を圧し潰すと共に前方へ狙いを定める。

 

「うっ……! げっ…、は、あ……!」

 

 喉からこみ上げるものを強引に飲み込み、震え、ふらつく足に拳を叩きつけ立て直す。恐怖の伝播は一切緩めない。皆の足を少しでも止める。例え、この後のライブに出られなくなろうとも。

 

 速度を上げる足音。私の隣を走る音。

 誰かは既に分かっている。たった一人の標的、ライバル。

 

「くっ……! スタートワン、止めるんだ! その力、マトモに制御出来ていないだろう!」

「……いえ、まだ、まだ…!」

「何を言っているんだ!? このままじゃあ、君が保たないんだぞッ!?」

「だめ、です…! うッ…、! おえ……んぐっ!」

「スタートワンっ!」

 

 再度戻ってくる吐き気を飲み下そうと手を口に打ち付ける私へ、叫ぶような、悲鳴のようなシンボリルドルフの制止。勝たなければならないと分かっている筈なのに、それでも私を心配してくれる。彼女の優しさが嬉しく、そして申し訳ないと思う。

 

 もう遅いのだ。一度使ってしまったこれは、私が止めない限り私を食らい尽くしていくだけなのだから。

 

 

 最低限の出力、領域として一番弱い状態ですら跳ね返ってくる恐怖のフィードバック。

 最低限ですら周囲を震えさせるモノの、その枷を緩めれば緩めるほど。当然返ってくる恐怖の量も増える。全身を震えさせるだけで済んでいたものは、段々と私の精神を脅かし、正気を削り落としていく。

 更に今回のものは特別性。奇跡的に周りの子への影響は悪質な所までは行かなかったが、そもそも私自身はそれを直に浴びている状態。半分も耐えられない。

 

 

 領域の深度が一つ上がる事は、ぎりぎりで水平に見せていたメリットとデメリットを簡単にデメリットの側へと傾ける。

 

 

 手を壁に無理矢理飲み下した後、もう一度フォームを整えながら加速する。

 ぼたぼたと溢れては後ろへ散っていく涙を拭う事すらせず。私はただ走り続ける。戦局は終盤へと到達した。ここから待つ坂は地獄のような急勾配であり、私に残ったなけなしの全てを根刮ぎ奪い去っていく。

 

 動揺を衝かれ、恐怖に気圧されながらも。

 シンボリルドルフはそれでも尚、私に追随する。気付けば互いに最前線へと躍り出ていて、後続との距離は圧倒的なまでに開いているようだった。

 

 隣まで追い付いてきた彼女に、視線を一瞬飛ばす。その顔に恐怖は無く、代わって懇願と焦りが浮かんでいる。

 

「……っ、頼む! 自分の身体がっ、どうなってもいいのかっ!?」

「それは、こわいです。でもだめです」

「何故…っ、なぜなんだスタートワンっ!? なぜっ!」

 

 僅かに減速。彼女も私も喋ってしまっている分足が緩んでいる。ゴールまでの距離はもう少ない。だがこのままいけば、走る事に集中出来ている私の方が勝つ。

 

 何故走るのか? 決まっているだろう。

 

 

「勝ちたいんです、私は、あなたに」

「――――!」

「だから、勝つんです、私は、ここで!」

 

 ここで私が走るのを()めてしまえば、このレースは終わってしまう。その時点で私は終わりなんだ。勝つ事を諦めたら、この先を戦う資格は無い。

 死力を尽くさなければならない。それが勝負(レース)だろう。

 

「あははっ……! さあシンボリルドルフさん! ここが正念場ですよっ!!」

 

 年末の走りすら凌駕する勢いで、加速を続ける。ただでさえ走りに削っているリソースを全て前進する事に使う。視界は当然、呼吸も出来ているか自分でも分からない。

 

 笑え、ちゃんと笑え。震えを押し潰せ。腹に力を籠めろ。隣を警戒しろ。そこに居る筈の、私を追っている筈の相手に、強さを見せつけろ。

 

 そして。そしてこの戦いに勝ちたいのなら。

 

「私を――越えて見せろっ!」

 

 

 

 

「――――分かった、スタートワン。君のその覚悟、確かに理解した」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、思わず息を飲む。背を向けていた髑髏がぐるりと此方を振り向いた。

 

 身体が大きく震える、その震えは恐怖や、焦りだけではない。

 歓喜。彼女を本気にさせたという喜びが私の身体を痺れさせる。遠雷は瞬く間に私の背後へと迫る。

 

「勇往、邁進!」

「さあ、来い! シンボリルドルフッ!」

 

 

『汝、皇帝の神威を見よ』

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2』

 

 雷鳴が響き、絶対の皇帝がレースを支配するべく領域を広げる。それを叩き潰そうと私は領域を燃え上がらせ、恐怖が黒く渦を作り出す。

 

 重なった互いの世界のぶつかり合い。生み出した城内と闇は、遠く離れた後続さえも巻き込み、蹴散らしていく。

 

 

 どちらが先んじるかの競り合いを続けながら、しかし既に決着の瞬間が迫っている。

 最終直線。この中山の310メートルを制する者は――このレースを、勝つのは!

 

「わ、た、し――だぁあああああ!!」

「いいや、私が――獲るっ!」

 

 歓声も聞こえない。たった二人の決戦。地を踏み締める足音だけが耳の直ぐ近くを通る。クラシック三冠、最初の一冠目。ここを獲った者が、次の冠に王手をかける。故にこのレースは、今後全てにおいて私が一番勝ちやすく、そして勝たなければいけないレース。

 

 

 

 彼女が閃光を伴いながら加速していく。対して私は燃え跡を残しながら――少しずつ、減速していく。

 

「……は、ぁっ……、」

 

 なんとしても食らいつこうとするが、自分の足に力が入っていないことが分かる。一歩進むことがあまりに重く、それでいてひどく空回りする。忘れていたはずなのに、呼吸する程に喉が、胸が痛い。

 

 限界なんてとっくの昔に越えていた。予定外の事ばかり、更に領域の深度が深くなったせいで、今まで通りなら走れるようになっていた2000メートルはまた苦痛の距離に戻っていた。

 そんな状態で、ほんの数ヶ月前より遥かに強くなったシンボリルドルフに勝てるワケがない。

 

 隣を走るその姿が、ゆっくりと、ゆっくりと背中しか見えなくなる。

 

 

 ああ、くそ…。あとほんの50メートルも無い。あと50メートル我慢すれば、私だって、勝てたのに。

 

「…!? スタ」

 

 此方の異常に気付いたシンボリルドルフが、反射的にだろう、首を回して私と目を合わせる。……こら、まったく。

 

 声も出せない一瞬。それでも口を動かし、せめてもの笑みを返す。

 

 

 いって。がんばれ。

 

 

 いいんだ。これでいい。折角の大事な戴冠だろう、私にかまけてどうするんだ。

 あなたはこれからなんだぞ。

 

 

「―――――-! ッ、ハァアアアアアアアアアア!!」

 

 背中が、遠ざかる。あっという間に、粒のように小さくなっていく。

 その代わりに、後ろから足音が聞こえてくる。私に押し潰された子達が、それでも自身の想い(領域)を花開かせ、一縷の望みの為に懸命に走る子達が。

 

「…………!」

 

 見る事は出来ないが、後ろへ領域の恐怖を流し込み、彼女達の足を無理矢理に止める。自分の世界を叩き伏せられ怯んでいる間に、塵芥ほどの気力を振り絞り、残る距離を全力で走る。

 

 私の前を走る事は、絶対に許さない。

 シンボリルドルフの次にゴールするのも、次に彼女を追い詰めるのも……私だ!

 

 

『最終直線、突き放されるスタートワン! シンボリルドルフは更に加速、二バ身、三バ身と距離を開けていく! 一方落ちていくスタートワンに後続が襲いかかっ――!? ま、また加速しました! 尚諦めず追い縋ります! しかし距離は既に七バ身、一バ身詰めますが…駆け抜けたぁっ! 混乱だらけの激闘を制し、シンボリルドルフがゴール板を駆け抜けましたぁああ! 一着は、無敗のG1ウマ娘シンボリルドルフです!』

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