べ、べつに話数稼ぎとかそういう意味はあります(本音)。
響き渡る歓声が、緑色の軍服を包み込む。
クラシック最初の一冠、皐月賞を手にしたのは、無敗のままG1の二勝目を上げた“皇帝”――シンボリルドルフ。今年のクラシック戦線を、そして未来にまで続く三冠の栄光を代表するウマ娘の一人。
彼女は少しの間視線を彷徨わせながら息を整えていたが、やがてゆっくりと手を上げ、指を一つ立てた。
まず、一つ。そう宣言するかのような人差し指は、一瞬遅れて観衆の声を何倍にも膨れ上がらせる。
その間に、ちらと掲示板へ目を向けた。一着から五着までの数字は既に光っていて、一番上にシンボリルドルフの番号が、その次に私の番号がある。彼我の差は六バ身。私と三着の子はアタマ差。途中までは距離を開けていたというのに、最後はあと少しというところまで追い付かれていたらしい。
未だ確定の文字は光らないが、同時にあの非常事態があったにも関わらず審議のランプも点いていない。良かった。この戦いは、今のところ正当な結果だと判断されているようだ。こんなに安心出来る事は無い。
更に光っている「レコード」の文字。この世界でも、彼女は新たな歴史を作り上げたという事だ。これまでに生み出された記録を、彼女は塗り替えた。本当に、かなわない人だ。
絶対の勝者の姿を、ゆっくり時間をかけて見せつけたシンボリルドルフ。その背を見ていると、ふと彼女が私に気付いて振り向いた。
互いの距離と響く沢山の声で、何かを言っても聞こえないだろう。
代わりに、口の動きだけで言葉を伝えた。
次は勝つ。待ってろ。
にこりと笑ってやると、彼女は一瞬面食らったように目を瞬かせ、しかし直ぐに眉を下げ、困った奴だと笑い返す。
次走までは約一ヶ月。その間、のんびりと息抜きをしていてくれ。その間に、私は幾らでも強くなって、その背を追い抜いてやる。
そんな事を思いながら、『
今までもこのくらい素直に言う事を聞いてくれたのなら、苦労もしなかったのだけどな……。
「………! ……!」
「?」
ふと、声と共に肩を掴まれた事に気付く。首を回して確認するより先に、その人物が視界に入り込んでくる。トレーナーだった。
「…! ……? っ……! …………!?」
彼は何かを口走りながら私の両肩を掴んでいるが、その音が遠過ぎて、何を言っているのかがよく分からない。口の動きを読もうとはしているのだが、喋るのが早過ぎて上手く訳せなかった。
ちょっと、ちょっと待って。早い。なんだって? いやそんな肩をゆすられても分からないから。
返事をしようとして、ある事を察する。……仕方ない、なんとかして解読しよう。
暫く彼の奇行に惑わされていると、妙案を思いついたらしく彼がポケットをまさぐって何かを取り出した。スマートフォン……ああ、文字で、ってことか。
素早く手を動かしたトレーナーは、書き終わると同時にその画面を此方へ見せる。
『喋れないのか』
返答に困って、仕方なく頷いた。
厳密には喋れないというより喉が掠れているだけだ。もう少し力を籠めれば多分声は出るのだけど、それをするだけの気力が残っていないから声が出ないので、結局は同じとも言える。
立て続けに文字は書かれていき、私は首の動きで肯定と否定を繰り返す。
『聞こえるか』……悪いが、音が大分遠い。歓声が聞こえるのも、それくらいしか聞こえないからだ。
『呼吸は出来るか』……そりゃあ、出来ているだろう。時々思い出したように痛みが走るが、一度過ぎたものがまた一周して麻痺が起こっているのかしてそこまで苦しくない。
『歩けるか』……悪いが、無理だ。あと数時間はまともに動けないし、それ以前に首を動かすだけでも辛い。ぶっちゃけ、いまどうやって自分が立っているかもよく分かっていない。
『足は痛むか』……そこだけは割と問題無い。元々十年の間に鍛えていたというのもあるが、それを加味してもこの身体は頑丈だ。世界を渡る創作に付随する、よくある転生特典のようなものを三女神からもらった記憶は一つも無いが……、この無駄なくらい頑丈な身体がもしかしたらそれなのかも知れないな。
あれこれと質問に答えていると、何時の間にか私の周りに何人もの人が集まっていた。服装から、医療班だという事が分かる。
トレーナーは彼らと何かを一言二言話した後、またスマートフォンを操作して画面を見せる。
『医務室に行く。拒否権は無い、これは命令だ』
どうせ明日になれば大体は戻るから、別に気にしなくていいのに。
そう思って首を横に振るが、彼は手短に医療班へ指示を出して担架を地面に置かせた。そして有無を言わさず私の腰に手を回して、掬い上げるように持ち上げる。この衆人環境でお姫様抱っこか。
本当は抵抗しようとしたのだけど、案の定身体が上手く動かない。喉と同じで動かせなくもないのだが、皮膚の下に鉛でも入れられているかの様に全身が重く、ほんの僅かにしか反応してくれなかった。
うーん、これは思った以上に重症だったのかな。この後はライブもあるから、あんまり休んではいられないのだけど。
担架に横にさせられ、ゆっくりと移動が始まる。地下通路を通る途中、シンボリルドルフが駆けてきた。ウィナーズサークルでのファンとの触れ合いを無理に切ってきたのか、相当焦っている事が伺える。
彼女もトレーナーと何かを話した後、私に視線を向けた。口の動きで何かを伝えたい事は分かるのだけど、焦りの所為か此方も微妙に意味が掴めない。えーと…多分大丈夫か的な事を言っているのだけども……。あ、いま明らかに大丈夫かって聞いてきたな。
仕方ない。今耳が遠いから自分の言葉がちゃんと聞こえないのだけど……というか、ちゃんと出るかな、声。
「だ、い、じょう、ぶ」
「!」
「あとで、あい、ま、しょう。らいぶ、ありま、す、から」
頭に感じる声の振動で、一応喋れている事は確認出来た。まあ、これで安心してインタビューに戻ってくれるだろう、多分。
「それ、じゃあ。また、あとで」
そうして担架で医務室まで運ばれる。
横になったままお医者さんにされるがままの検査を受けて、一通りが終わった頃には、遠かった耳が少しは聞こえるようになっていた。
「極度の疲労はありますが、体そのものに大きな怪我はありません。鳩尾、それから腿に薄い痣は出来ていますが、数日で無くなる程度のものです」
「そうか」
「ですが、それを差し引いても精密検査が必要です。その震えと喉の状態からして、今日はもう行動は出来ないでしょう」
「…ライブは」
「無理です。仮に出られたとしても、私の判断で止めてもらいます」
んー……。困ったな、さっきライブの時に会いましょうって言ったばかりなんだけど。
居るかは知らないが、私のファンなども折角の舞台に私が居ないのは残念だろう。なんとかならないだろうか。
「……あ、の」
「動くな」
「です、が」
「そもそも喋るな。このまま病院行くぞ」
「い、え、わたし、らいぶ、くらい」
「……なら、せめて普通に喋れるようになってから言え」
ぐっ…それは確かに。ならちゃんと起き上がらないと。
「だっ、たら……!」
「おまっ……このバカ!」
「いたっ…! なに、する、ん、です」
「動くな、っつったろーが! 黙って寝てろ!」
「あなたも怪我人の頭を叩かない!」
「「…………。」」
揃って怒られてしまい医務室が沈黙に包まれる。お医者さんが大きく溜息を吐いて、それから再度私の胸下に触れる。確かに感じる痛みは、痣を作るほどの衝撃がそこに当てられたから。
つい眉が動いてしまい、それを鋭く見ていたお医者さんが僅かに視線を落として手を離す。
「いいですかスタートワンさん。貴方のその頑強な身体は確かにレースを完走できるだけの能力を持っていました。ですが、だからと言って無茶をしていいという理由付けにはなりません。貴方は怪我をしているのです」
「……は、い」
「というよりも…。レース映像を確認した限り、接触よりもその後の自傷行為の方が深刻です。レースの為已む無く行った事は分かりますが、あんな事をすればこうなるのも当然です」
「……すみ、ません」
それに関しては申し開きも無い。
「それだけでなく、強いストレスで調子も大きく崩しています。本音を言えば、検査入院どころか緊急入院も視野に入れたいほどです。身体の怪我そのものは比較的軽微で受け答えを見ている限り異常も見当たらないために、検査はともかくどうするか決めかねている所なんですよ」
「いち、お…。うごけ、ます、から。みな、さ、ん、まって、ます」
「それは今日するべきことではありませんし、貴方一人が居らずとも、ライブは出来ないわけではありません。……ファンの皆さんだって、今は会えずとも、貴方が元気な姿で戻ってきてくれる方が何倍も良いはずです」
…………お医者さんの言葉ももっともだ。ここで無理を押したせいで入院なんて流れになると、後のダービーや菊花賞にも影響が出る可能性がある。
しかし、このライブは少し話が違うのだ。
「きょう、の、らいぶ。たのし、み、なん、です」
「っ!」
「いっしょ、に、いっ、ぱい、たのしむ、って。やく、そく。したん、です」
せっかく、皆あれだけ頑張って練習して、あれだけ勝ちたいと願って、そしてアクシデントに見舞われながらも懸命に勝利を目指したんだ。その結果として順位が出た。
勝利は出来なかったが、私には上位入着者として彼女達の羨望と嫉妬を受け止め、より強い渇望を生み出すための指標となる役目がある。シンボリルドルフだけに、その役目を押し付けるわけにはいかない。
「ういにんぐ、ざ、そうる。いっ、ぱい、れんしゅ、したん、です。しんぼり、るどるふさんと、いっしょに、うたい、たくて」
生涯でたった三度しか踊れない。踊る資格を得られない子もいる、特別なライブ。シンボリルドルフですら、三度しかその場に立つことは許されない。
その内の一回を、こんな事の為につまらないものにしてしまっては。
「歌えない、なら、おどります。おどれない、なら、歌います。ゆるされる、なら、何でも、します」
「……。」
「お願い、します」
声を絞り出し、動ける限り、頭を下げる。
自分の身体が不味い状態だという事は十分承知している。これで駄目だと言われたら、もう諦めるしかない。
「数時間あれば、声だけなら誤魔化せる筈だ」
「っ、とれ…」
「動く事は俺も禁止したい。だが声だけならなんとかなるかも知れない。当然声も小さく歌わせる。それもダメなら無言で座ってもらう。ライブの時間は夜だ、今からなら、ぎりぎり間に合う」
「…………。貴方は、トレーナーとして彼女を止める立場では無いのですか」
「まったくもってその通りだ。俺だってそうしたい」
だが、と言葉を切って、彼が私の頭を撫でる。
「悪ィが、あんたと違ってコイツが言う事を聞かないのは一年かけてじっくり味わってる。だったら、必要以上に無理をさせない方法を提示するのが一番手っ取り早くてな」
「……なるほど」
トレーナーの言葉に再び深く溜息を吐き、そしてお医者さんは私に苦笑を向ける。
「身体と同じく、意志も強い方なんですね」
「すみません。ですが、ごようしゃ、を」
「……条件を設けましょう」
「聞き、ます」
今日のレースが終わり、現在はステージ設営が行われている
ライブの準備が行われているステージ裏では、勝者のシンボリルドルフを中心にステージでリハーサルを行う今日の出走者達が見えた。
こちらから声をかける前に、シンボリルドルフは私を見つけて声を張り上げる。
「スタートワン!」
「……、」
若干ぎこちないが手を振って返事をすると、彼女と数人の子達が此方へ駆け寄ってくる。よく見るとその子達はレース中特に印象を残した子達……つまり、落鉄した子、斜行しかけた子、そして私達と接触した子だ。
シンボリルドルフは私の前まで走ってきたかと思えば、腰を落として手を握ってくる。
「無事だったのか!? 身体は大丈夫か!? 車椅子なんて、まさかまた歩けなくなったのか!?」
「……、」
「待て待て、そう一気に質問されたらコイツも答えらんねえだろ。順番だ」
「…す、すまない。少し落ち着こう」
どこか顔の青い子達を後ろに、シンボリルドルフは深呼吸で気持ちを落ち着かせる。前回の肩の揺さぶりと比べれば一応は冷静なのだろうが、まだ普段通りとまではいかないようだ。
その間にトレーナーからスマートフォンを受け取った私は、彼女が改めてこちらへ顔を向けたところで、打ち込んだ文字を見せた。
『とりあえずライブには参加出来そうです。ただ、お医者さんからぎりぎりまで確認するので、無理な行動は控えるように言われてしまいました。喋れないのも念のためです』
「…そうだったのか。歩けなくはないんだな?」
「…………」
「スタートワン?」
「それは無理だな。少なくとも今日一日は車椅子だ」
余計な事を言わないでほしいのだけど!
視線を向けようと少しだけ首を動かすも、彼は死角に動いて見られないように立ち回る。まったくもう。
表情が暗くなった彼女の頭を撫で、少しでも安心させる。
『心配しないでください。この間と同じで、数日すれば元通りです』
「…本当なのか?」
「…。」
頷いて、今度は腕を伸ばし抱き寄せる。勝負服のままなので汗や青草の臭いがするだろうが、下手に放置してネガティブな感情を残されたらライブにも影響が出るかもしれない。
声を出すとトレーナーに叱られるのだけど、背に腹は代えられないか。
「だいじょうぶ、ですよ」
「!」
「ライブには、間に合わせます。今は、リハーサル、がんばって、くださいね?」
顔を上げたシンボリルドルフに片目を瞑って笑みを返す。勝者は勝者に相応しい態度でなければ、此方も賞賛がし辛い。
『さあ、私にかまけてなんかいられないですよね?』
「……ああ。ありがとうスタートワン」
肩を軽く叩いて促すと、彼女は立ち上がって踵を返す。勝負服のスカートが綺麗に翻るのは、今一度覚悟が決まった表れだろう。
「私はリハーサルに戻ろう。では、また後で」
『ええ、また後で』