うるせーーーー! 知らねーーーーー!
って気持ちで書いてます
ダービーが、何故特別なのか?
世界には、あらゆるG1が存在する。短距離、マイル、中距離、長距離。ターフもあればダートもある。坂が激しいコースもあれば、コーナーが極端なものも、逆に直線だけのコースもある。日本だけに絞ってもその数は三十以上だ。
三冠にもある程度種類がある。各国におけるクラシック三冠。牝馬の三冠。長距離の三冠。日本でも地方での三冠に、比較的最近に設立されたダート三冠もその一つだ。
あらゆるレースにおいて、あらゆるレースごとの栄光が存在している。
だが、ダービーはそのあらゆる栄光の中でただ一つ、抜きん出た最高峰の栄誉を持っている。
「競馬に関わる者にとって、一年はダービーに始まりダービーに終わる」そんな言葉さえある程に。
かのイギリス首相ウィンストン・チャーチルは言った。「ダービー馬のオーナーになる事は、一国の宰相になる事よりも難しい」。この言葉は実際には後年の創作だそうだが、この世界でのチャーチル首相はイギリスのトレセン学園の発展に力を入れていたらしく、実際に「ダービーウマ娘のトレーナーとなる事は、一国の宰相になるよりも難しい」と残している。微妙な歴史の違いだ。
ありとあらゆるレースの中で、この約2400メートルを誰よりも速く駆け抜ける事。
そこに最高の冠が授けられる。
ダービーが、何故特別なのか?
競走馬の始まりという観点から見れば、それは簡単に分かる。創始者ダービー伯爵の名が付けられたこのレースは、最も速く、最も繁栄するだろう、最も強い馬を選び出すために作られた。
つまり、ダービーはどのレースよりも先に“一番優秀な者を決定する”事を始めたレースなのだ。
「この場所なら強い」「この条件なら絶対勝つ」ではない。
問答無用で「コイツが今年一番だ」
そう言わしめるためのレースが『ダービー』なのである。
そして、それは例えどこまで形骸化しようとも、役割が三つに分割されようとも、例え世界の在り方が限りなく変質しようとも、絶対に覆らない栄誉を与える。
今年もまた、十八人のウマ娘がこの栄誉に挑む。絶対の矜持と、勝ちたいという意思を胸に秘めて。
選ばれるのはただ一人。今年最も速い、今年最も幸運な、今年最も強い怪物と呼ばれるために。
数多かき混ぜられた希望と絶望の坩堝。
己が誇りを賭け、たった一度許される勝負の世界。
ダービーへようこそ。
夏も近付く五月の半ば。時折蒸した空気が吹くこの時期に、その熱気を激化させるものが、これから行われる。
東京は府中市。トレセン学園からもそう遠くない場所に設立された東京レース場。
これから行われるのは、ウマ娘レースに携わる者にとっての総決算とも称される。ある意味では年越しの行事。
クラシック戦線第二戦。
この戦いを制したウマ娘は、今後あらゆる時代において今年度最も優秀な成績を修めた者として語り継がれる。
今回の控室は、何時もより少し騒がしい。
「うわあ、凄い緊張してきた……!」
「…どきどき」
「ふん、このくらいの事で緊張してどうする。要は勝てばいいだけだ」
「まあ、走るのは私なんですけどね」
おっかなびっくりと言った様子で肩を寄せ合うクラスメイトとハッピーミークに対して、シリウスシンボリは腕を組み動じていないように見せる。しかし耳や尻尾の動きが少し激しく、少なからぬ緊張があるようだ。
「スワちゃん、今日は頑張って!」
「…きっと、勝てる」
「……負けんじゃねぇぞ」
「応援ありがとうございます。やるだけはやりましょう」
三人の激励に返答を返す。シンボリルドルフの方はマルゼンスキー達五人に激励を受けている頃だろうか。
何てことを考えていると、扉をノックする音。
「失礼します」
「「失礼します!」」
「樫本トレーナー。それにお二人も」
「邪魔になるとは思いましたが、激励に来ました」
「態々ありがとうございます」
「ついでに釘刺しに来たんだろ? 今度入院するような事したらはっ倒すってよ」
「……流石にそこまではしません」
近しい事はするつもりらしい。警戒されているといえばいいのか、信頼されているといえばいいのか。
「今回は日本ダービー。決して油断出来ないレースです。流石にやり方も変えますよ」
「……本当ですね?」
「嘘は言いません。というか、嘘自体今までも言ってなかったじゃないですか」
「「「「まあ、それは……」」」」
「嘘を言っている前提で認識してたんですか?」
しかも反応からして親交深い全員が思っているじゃないか。なんだか信用されないなとは思っていたが、限度があるだろう。
「お前嘘は言わねえがホントの事も若干ぼかすだろ。そりゃ信用なくすわな」
「言う必要が無いから言っていないだけです。そもそも、問われた事に対してはちゃんと返答しています」
「情報が全然足りねえんだとよ」
「足りないね」
「…全然足りない」
「…………」
ほら見た事かというトレーナーの顔に口の端がひくつくのを感じる。私の信用が云々という前に自分が担当の信用をなくしている事に気付いた方が良いだろう。
「皆さんがどう思っているかは重要な事ではありません。今重要なのは、あと数時間とせずにレースが始まるという事だけです」
「まあそうだな」
「パドックへの時間もあまりありませんし、入場ともなると私達に会う時間も決して多くないでしょう」
「そうなるだろうな」
「…此方の準備は万全なんです。残った時間を有効活用するべきですよね」
「……邪魔はしてねえだろ?」
「意味、分かってますか?」
図々しさにも磨きがかかってきているな。何時もの言葉潰しはどうした。
遠回しに出走者の当日情報を収集してこいと言いたかったのだが、もう少し具体的に言うべきだっただろうか。
そんな事を思っていると、クラスメイトとハッピーミークが何かに気付いたように耳を立てる。
「わわ、ごめん! それもそうだね、あんまり邪魔しちゃ悪いや!」
「…ん! そろそろ、移動する…!」
「え、いえ、皆さんは特に」
「いいのいいの。ほらシリウスシンボリちゃん、一緒に行こう! シンボリルドルフちゃんの応援にも行かなきゃ!」
「は?」
「……お邪魔、しない」
「いや、ちょ、待て、私はもう少し…おい、待て、おい!?」
シリウスシンボリを引きずりながら二人が部屋を後にする。二人がかりといえ彼女を一方的に連れていくとは…。先輩として成長した…という事でいいのだろうか。
「騒がしい奴等だな」
「貴方がそれを言いますか…? ではなく。今のは彼女達に言ったのではないです。今の流れならトレーナーさんが行かなければならなかったでしょう」
「つってもあの二人勝手に出てったぞ。俺悪くねえだろ」
それは確かにそうだが……。
「え、ええと、私もここは離れた方が良いでしょうか?」
「樫本トレーナー達は今来たばかりではないですか」
「いえ、それはそうですが……」
「ま、時間もあるからコイツの事見といてくれや。俺はちょっと離れるからよ」
「わ、私がですか?」
「そっちもそっちでいろいろあるしな。ついでに担当にも経験積ませてやりゃいい」
「私も絶賛経験を積んでいる所なのですけど?」
「G1三回目なら先輩に回れ」
「大した事は教えられないですよ」
「それっぽい事語って後は走ってるところ見せてりゃいい」
それでいいわけがあるか。しかも本人の前で言わないで欲しいのだけど。
なんて言葉を言われる気は無いのか、それだけを言い残して彼は部屋から去っていく。私が焚きつけたと言え担当一人置いていくのはどうなんだ。
数秒程四人で無言を作り、それから誰となく溜息を吐く。思わず笑うのも誰という詮索が要らない程だ。
「彼は変わらないですね」
「樫本トレーナーが代理をしていた頃からあんな感じだったんですね」
「始めて学園に来た頃からあまり変わりませんよ。良くも悪くも、ウマ娘の事しか頭に無い人です」
「あの人の夢もありますからね。下手に取り繕う事にリソースを割く意味も無いなんて思っていそうです」
一度定めた目標の為ならなんだって出来る。陰口も醜聞も結果で黙らせ、自分の時間さえ捧げるつもりで動く。無駄な事にばかりリソースを割いて生きてきた私とは対照的。
ある意味ではシンボリルドルフのトレーナーみたいな、性格以外はアプリのトレーナーに似ている人だ。
「あの人は凄い才能を努力で伸ばせる、シンボリルドルフさんのような天才ですよ」
「そんな風に考えていたのですか」
「貧乏籤を引いて尚結果を出せる人ですからね。一番の難点はあの性格くらいです。この間なんて私の処分に乗り気で告げ口してましたから」
「……もしかして、あの日両頬を真っ赤にしていたのは」
「そういう事です」
二枚張り付いた紅葉を見ていかにも困惑を浮かべていたあの日の樫本トレーナーの顔を思い出す。
あの性格さえ矯正出来れば、もっと取っつき易い人になるはずなんだけどなあ……。
「それで、先達として言える事、ですか」
「いえ、彼もあくまで時間潰しの為に言ったことでしょうから」
「とはいえ、激励の付き添いで態々ここまで来てくださったお二人に何も言わず返すのも少し気になりますから」
ちらとリトルココンとビターグラッセに視線を向けると、少しだけ二人が固まる。一瞬で目を合わせてきたが、少し前までその視線が私の身体を行き来していたのは気付いていた。
「……見苦しい姿を見せて申し訳ありません。聞いてくれさえすればいいですから、お二人共後ろを向いていても構いませんよ」
「い、いえ、それは…!」
「私は、その…。」
「無理に取り繕わなくていいですよ。この身の醜さくらい分かっています」
「……ごめんなさい」
「すみません……」
「謝る程の事ではありません。調子を狂わせる目的でこうしている私が原因なんですから」
薄々感じてはいたが、上級生という以上に二人との距離を感じる。
クールで少し皮肉屋な。熱血だけどしっかり者の。
「アオハル杯」をはじめとする『ウマ娘』で描かれてきた二人の性格が、私という存在で蓋をされているような感じだ。
自分のトレーナーと以前から知り合いの上級生で、しかもクラシック期を走る有力候補。それだけでもうざったい肩書だと感じる者も居るだろうが、それに上乗せしてこの経歴と身体だ。しっかり下級生として振る舞えばいいシンボリルドルフより扱いに困ってもおかしくない。
プールトレーニングの際も極力見えないように離れたロッカールームを使っていたのだけど、それが却って気味の悪さを助長していたかも知れないな。
「長々と語っても仕方ないですから、手短にしましょうか。私よりもシンボリルドルフさんやマルゼンスキーさん達の方がずっと身になる話をしてくれますから、その時間も作らねばなりませんし」
「…………」
「さて、お二人がレースに求めるものがどんなものかは聞きません。クラシック三冠を狙うか、それともトリプルティアラを狙うか。或いはマイル、スプリント、ダート……。道は一つではありません」
得意の距離は存在しているが、ハッピーミーク同様、リトルココンとビターグラッセの適正は非常に柔軟だ。進もうと思えばどんな場所だって走れる。
だから、私から言えるのは距離とか、馬場とか、そういうアドバイスよりも、不変に言える心構えくらいだろう。
「どんな道でも試してみましょう。勝つか負けるかに拘るのは語るまでも無い大前提。故に、今自分に提示された選択肢をしっかり認識してください。貴方自身が探し出した選択と、樫本トレーナーが見つけ出してくれた選択。それらを前に、自分が進みたい、進むべきだと思った道を進みましょう」
……ちょっと不服だが、正直響いた彼の言葉を使わせてもらおう。
「貴方がしたい事は貴方しか分かりません。掌を返してでも、自分のやりたい事を優先しましょう。その我儘をトレーナーとしっかり議論して、互いの妥協点を作り出してください。それが出来れば、きっとその先に道は開いています」
「「……はい」」
「……とはいえ、この言葉もあくまで私が提示した選択の一つ。これを一笑に付すも後生大事に懐へ入れてくれるもお二人次第です。老婆心だと思って覚えていてくれればそれで構いませんよ」
そこで見計らったかのようにスタッフがパドックへの移動を伝えに来る。順を考えるとシンボリルドルフと会う時間はあまりないかも知れない。んー、語り過ぎたかな。
知り合いと言え他人を残す事も出来ないので、四人で控室から出てくる。
「では樫本トレーナー、お二人と共にまたトレーナーさんと合流するかシンボリルドルフさんのトレーナーとお会いになってください」
「ええ。二人へのアドバイス、感謝します。レースでの健闘を祈ります」
「ありがとうございます。それでは行ってきますね」
背を向け、道を進もうとしたところで。
「あ、あの!」
リトルココンの声に振り向く。制服の裾を少しだけ掴んだ彼女と、隣に立つビターグラッセの驚く顔が目に入った。
「リトルココン?」
「ど、どうしたんだ?」
「……その、スタートワン、さん」
「……なんでしょう?」
返答すると、僅かに目を伏せる。
それから数拍間を置き、意を決したような視線の交差。
「スタートワンさん、は。それでも、走るんですか」
言葉に……表現に困ったのだろう。中途半端に包まれた言葉を、しっかり嚙み砕いて開いていく。
……ああ、選択。そうか、そういう意味か。
「そう、ですね……」
彼女が私に何を感じたのかは分からない。だが、彼女の言葉が私の行動に少なからぬ意味を感じていることは分かる。
勝ちたい本能を捻じ曲げて、命にすら関わる走りをして、共に仲良く鍛える級友との負け戦に挑む。
それはまあ、とても歪で、不格好で、気持ちが悪いわけだ。彼女が私を避ける理由にもなるだろう。
「私の事を心配してくださるのですね」
だが、声を掛けた。避けて通ってよかった質問を、それでもした。
彼女の選択は、私に問わずにはいられないというものだった。
身を案じたのだという前提で話し、せめて話の方向を周囲に誤認させる。内実が違っていてもこれで下手につつけない。
彼女の事も、私の事も。
「私の道は、もう決まっています。
「っ…!」
「これでいいし、これが良い。そう思っただけです、気にする必要はありません」
少しだけ彼女に近付き、抱きしめて頭を撫でる。
「要らぬ心配をさせてしまいすみません。その心遣いに応えるためにも、今日こそは全身全霊をお見せしましょう。それでは皆さん、また後で」
身体を離し、三人と改めて分かれる。リトルココンの眉を顰めた顔が、強く印象に残った。
ステージへ続く道の途中。順を待っていた他の出走者の目が私を写す。見覚えのある顔だと思ったら、皐月賞の落鉄の子だった。ダービーにも出走する事は知っていたが、パドック行きは私より先だったのか。
「お久しぶりです。今日はよろしくお願いしますね」
「うん。結局来ちゃった」
「構いません。その代わり、レースに一切の迷いは持ち込まないように」
「ん。分かった」
「あら、こんにちは」
そんな話をしている間に、別の子から声を掛けられる。斜行の子だ。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
「ええ。次は私が取るから」
「いいでしょう、勝ってみてくださいね……出来るのなら」
「……言ってくれるじゃない」
実にいい啖呵を切ってくれたので、此方も相応の返しをする。今度こそ、良いレースをしたいものだ。
そうしていると、ステージに上がっていた子が裏へ戻ってくる。私とシンボリルドルフが接触したあの子だった。偶然というかなんというか、あの日の三人が揃っていた。
彼女はやや伏せ気味の瞳を揺らす。見えるのは迷いや、不安。
「お久しぶりです」
「……うん」
「…………今日は」
「このレース!」
けれど。
私に向け直されたその瞳には、迷いも不安も、もう見えない。
「わっ、私が、勝つから!」
「……ええ、私も全力を」
彼女の覚悟に応えようとした、その時。
「おや、皆ここに居たのか」
ステージ側から発せられた、そのたった一言が。
周囲の空気をぴたりと凍り付かせる。
勲章の位置が少し変わっている。新星の証は胸下に。三つの星の一つ目は最初の証のあった所に。
まるでこれから並ぶモノの順番を吟味するかのように。
高慢で、しかし単なる事実である事を意味するその力の証明が、彼女に向かう八つの瞳に鈍い光を宿らせる。緑の軍服には、四人がかりの威嚇さえ欠片ほどの動揺を生み出す事も出来ない。
「やあスタートワン。今日のレース、よろしく頼むよ」
「……ええ、シンボリルドルフさんも」
受ける視線の内、返したのは私一人。簡潔な会話だけをして、シンボリルドルフは私達の間を擦り抜ける様に控えへ向かう。
去っていった彼女の代わり、残る三人の視線を受けるのはたった一人。
人を風除けにしないで欲しいな、なんて……レースの時は私が風除けにしてるから、今回は目を瞑ろうか。
「さて、私も一足先に行かせていただきます」
「…ええ、そうね」
「私ももう行くよ」
「……また、後で」
視線を受け流しながら先へ進む。じとりとした空気が途切れたところで、思わず小さな溜息が出た。
…………勝負前から疲れさせないで欲しいなあ。
ステージに立つと、何時も通り歓声が沈む。けれど今回は何時もより、少しだけ勢いの落ち方が弱くなっている。
「「頑張れほし姉―っ!」」
「…………」
最初に聞こえた姉妹の声援の直後。
「頑張れスタートワン!」
「ダービー勝利はお前のモンだ!」
「応援してるわーっ!」
驚いたことに聞いたことの無い声だ。知り合いでは無く、純粋に私の事を知って応援をしている人たちのものらしい。
前走はどう考えてもファンが出来るようなものでは無かったはずだけど、それでも応援してくれるというのは嬉しくもある。
今度こそ、今度こそは勝利を目指そう。
『さあ次の出走者はスタートワン。今までと比べ声援も増え、よく響いています』
『前走の皐月賞は展開不利を受けながらも見事な走りを見せましたからね。見事ダービーウマ娘の称号を手に入れて欲しいと思うファンもいるでしょう』
『これまでの人気も常に最上位でしたから、ようやくそれが形になったとも言えますね』
言われれば確かに、これまで出走したレースでも人気は高い方だった。シンボリルドルフの練習パートナーという補正ありきだと思っていたが、なんだかんだファンは増えているんだな。
『さて、そんな気になる現在の人気はホープフルステークス、皐月賞に続いて二番人気』
『今一歩シンボリルドルフには追い付きませんが、それでも安定した着順を残しています。お互いに連対率百パーセントの実力は嘘ではないですね』
『しかし今回のレースは初めての二千四百メートル。得意距離ではない分完走を不安視する声もありますが、果たして走り切れるのでしょうか』
……何があったとしても、走りきる。はじめからそのつもりでここに来たのだ。
今まで通りくるりと周り、スカートの裾を抓む。お辞儀をしたタイミングで、歓声が少しだけ大きくなった。
本当に人気が出てきているんだな。
ステージの裏を通り、控室へ。新しく来た子達のステージへ行く時と同じ視線には、それぞれに笑みを浮かべて返した。
控えの扉を開いた先には、非常に真剣な顔で一点を見つめ考え込んでいるトレーナーと、彼の頭の上に色々なものを積んで遊んでいるミスターシービーと二人の先輩。そんな三人を見て呆れ返っているマルゼンスキーとカツラギエースが居た。
「……何をしているんですか、それ」
「ん? なんかさっきルドルフのトコに来て無言で帰ってったからついてきたんだけど、ずっとこの状態なんだ」
「頭の上に乗っているものに関しては」
「あ、そっち? シービーが乗せ始めたからつい」
「なんかこういうの結構楽しいよね」
一応首に負荷がかかり過ぎないように雑誌を土台に紙とか持ってきていたらしいお菓子とか軽めのものを乗せているが、それはそれとして何をしているんだ。
「というか、マルゼンスキーさん達は何故止めないんですか」
「い、一応止めてはいるのよ? ただ、あなたのトレーナー、全然反応しなくて」
「何言っても聞こえてねえから、スタートワンが来てからじゃないと無理だと思ったんだよ」
何かは知らないが、相当思考に入り込んでいるようだ。というか、私が戻ってきて話し合ってるにも関わらずこの様子じゃ私が話しかけても反応が薄いんじゃないか?
そうは思えど皆の視線は「早く話しかけろ」と言っており、頭の上の積みゲームもストップしている。
どうしようか少し迷ったが、諦めて彼の前まで移動する。
「トレーナーさん」
「……」
「あの、トレーナーさん?」
「………スタートワン」
うわ、微動だにせず返答だけ来た。
「どうしたんですか、そんなに考え込んで」
「…………」
「返事くらいしてください」
「……スタートワン」
「……なんですか」
仕方ないので返答すると、徐に立ち上がるトレーナー。頭の上からばさばさと物が降り落ちていくのも気にせず、彼は私をじっと見る。
無言の数秒。彼は一瞬だけ、悔しそうに眉を顰めた。
そして私の頭に手を置き、今までに無い程優しく、一度だけ撫でる。
「許す。使え」
自分の耳を疑った。次いで眉の皺により力が籠るのを感じる。
それを問い返しと受け取ったのか、彼は静かに頷いた。
「気張れよ」
そう言って部屋から出ていく彼を、ミスターシービー達は困惑した様子で視線を交わし、そして此方に「じゃあ、アタシ達も行くよ」と部屋を去っていく。
残されたのは一人だけ。
言語化の出来ない、感覚的な、はっきりとしない思考が巡る。
慎重に選ばれたようなあの一言。それに私へ向けられた複雑な目の色。
彼も私も今日シンボリルドルフに会っている。
私からは分からなかった何かが、彼には感じ取れたのだろう。
「……日本ダービー、か」
それが何なのかを明言する事は私には出来ない。
だが、それが与える影響は、私にもわかる。
恐らく、或いは間違いなく。これから行われるレースにて。
私は、ウマ娘として最も屈辱的な敗北をする。
『すべてのウマ娘が目指す頂点 日本ダービー! 歴史に蹄跡を残すのは誰か!? 十八人のウマ娘が続々ゲートインを迎えています!』
『二千四百メートルという距離、そして府中という場がどのような展開を作るか、非常に注目のポイントです』
『さあ一番人気、無敗の皐月賞ウマ娘シンボリルドルフがゲートに入ります』
『威風堂々の立ち振る舞いに見合うその強さがどのような勝利を成すのか、非常に楽しみです』
『二番人気スタートワンも続きます』
『少し前に話した通り初の距離、初のレース場。どこまで食らいつけるでしょうか』
『全ウマ娘のゲートインが完了。出走の準備が整いました!』