日本ダービーから数日の休息を置いて、再度トレーニングの日々に戻る。
トレーナーが来る前に自主練習でも始めようと、今日は少し先にコースへ来ていた。
私が現れた瞬間、明らかなほどにざわりと、周囲の声が途切れた。
「……?」
なんだろう、今はシンボリルドルフもミスターシービーも来ていないようだけど…。
視線の動きを見ようと止まっている子に目を向けると、一瞬びくりと身体を震わせた後慌てたように視線を切られた。僅かに見えた感情は、恐怖。
続けて他の子にも目を向けてみるが、やはり同じ反応、同じ感情。怯えたように……いや、確かに怯えながら私から視線を逸らされる。
妙な事はしていない筈なのだけど……。などと思っていると、クラスメイト数人が此方に走ってくるのが見えた。
「す、スワちゃん!」
「……何かありましたか?」
「え、あー…。えっとね…こっち、こっちきて!」
そうして手を取られ、コースを後にする。何が何だか分からない。分からないが、今の状況を見るにここに居るのが不味い事だけは分かる。彼女達に背を押されるままにした。
少し離れた校舎近くまで移動してから、再度問いかける。
「状況が若干飲み込めないのですが、何があったんですか?」
「ん、んーとね……」
「……なんでしょう」
「あの、さ。スワちゃん、この間のヤツ、見た?」
「この間?」
ダービー後のインタビュー記事などだろうか。あれから数日は経っているが、まだ刊行されるには時間が早すぎると思うけれど。
「ええと、ちょっと待って……これ」
クラスメイトの一人がポケットからスマートフォンを取り出し、何かを探す。
目当てのものを見つけて、向けられたそれは。
「レース映像、ですか? しかもこれは…」
恐らく観客席に居た人のものだろう。少し遠めだが、
数分程かけて流れたそれが終わり、クラスメイトがスマートフォンの画面を私から切る。
「これ見て、気付いた?」
「何に……、いえ、もう一度見せてもらってよろしいですか?」
もう一度画面をこちらに向けてもらい、様子を見る。
映っているのは恐らく観客席から撮ったもの。前の席の観客達が一番大きく画面内を占有しているが、少し遠いにしても私達出走者がコースを走っているのが見て取れる。
映像としてはただそれだけのもの。それだけのものが、何故か引っ掛かる。明確な言葉にはならないが、ならない分余計にその違和感が目についてくる。
正体に気付いたのは中盤を越えた頃。恐らく私を狙い二つの領域が迫った時だ。
「……異様ですね」
先頭から私を除く殿まで、縦はともかく、横の距離はある程度近い関係にある。前へ進む事を優先する以上、近くなるのは仕方ない事だ。
しかし、私だけは異常なまでに距離がある。見た目だけならば一人突き放される殿だが、そう評するには周囲の私を意識するような動きがあまりに歪に見える。実況の声もシンボリルドルフ、そして私を警戒する動きに触れているほどだ。
そして私が改めて『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2.5』を発動した瞬間、全体の動きも大きく変化する。
一気にペースが上がり、私とシンボリルドルフだけが置いていかれる。それでいてその時間は短く、少しずつ一度おいていかれた二人だけが加速(実際はペースを保っているだけ)していく。
最終直線。前方に残る私達二人に対して、ホームストレッチに戻ってきた後続の表情が、遠くとも、確かに見える。
…………見えてしまう。
「……、」
あまりに、あまりに残酷な差が開いている。
それは物理的なものもある。私を追うシンボリルドルフとの間にさえ、メートル単位での間だ。その距離はレースの世界において決定的な意味を持っている。
それ以上に、先頭を行く二人に縋るように走る子達の顔が…、如実に物語っている。
実力への絶望。
己への失望。
未だ苛む恐怖。
確かに途切れる声援。
離れていく背中。
一縷の希望さえその手の中から丁寧に捥ぎ取られていくかのような、徹底的な敗北。必死の全力で尚遊ばれていた私だからこそ分かる……いや、もしかすると、感じたものは私以上だったのかもしれない。
彼女達の見た世界は、きっと地獄なのだ。そしてその一部を、私は確かに作り出した。
閉じられた映像とスマートフォン。クラスメイトが私の心中を察したらしい。
「これは、酷いですね……」
「酷いってわけじゃないけど…。多分、これでスワちゃんの事を怖がってる子は少なくないと思う」
「シンボリルドルフさんの気持ちも、少し分かる気がします……」
「それから、これも」
続けて見せられるのは一つの画像。恐らくは地下通路へ入る直前に撮られたもの。
「……なんです、このやたら無表情な私の顔は」
「うん。それ自分で言う?」
他の子達も敗北による暗い顔や不満そうな顔はある。だが明らかに場違いな程、私の顔は何もない。そこに何の感情も存在していない。
まるでこの結果自体なんでもないようで、何の価値も見いだせていないようで。
負けた者が見せる顔でも無ければ、入着者が見せていい顔でも無い。
こんな顔をしていれば、人が離れるのも無理はないだろう。
「なるほど…。これは私にも問題がありましたね」
「スワちゃんが悪いわけじゃないとは思うけど…。正直、私達もちょっと怖いと思ったよ」
「いつものスワちゃんよりこう、こわってなるよね」
恐らく先の視線もそれに類する感想を持ったのだろう。ただでさえ人に忌避感を持たせる見た目に領域だ。今回の事は此方の不手際と言ってもいい。
「とにかく、これでは練習もやりにくいですね……とりあえずですが、ここは一度帰りましょうか」
「私達で良ければ一緒にトレーニングするよ?」
「それも良いですが、練習する場所は一つではありませんから」
このまま衆人環境で練習を続けて下手に恐怖を与え続けるのも好かないし、それがレース中の恐怖への順応に繋がったりすると私にも困る。
何時になるかは分からないが、ある程度日を置けば今の状況も落ち着いてくるだろう。
「では皆さん、今日はここで失礼します」
「ほ、ホントに帰っちゃうの?」
「いいトレーニング場所も探さないといけないので。善は急げです」
彼女達に礼を言い、さっさとコースを後にする。道を引き返す途中でトレーナーに人のいない練習場所が無いか探してほしいと連絡を送り、自分でも場所を探す。
一先ず別のコースへ足を向けるところで、ふと思考が止まる。
「…………恐ろしい、か」
それは私に向けた感情だったのか、それとも私の持つものに向けた感情だったのか。
後者であって欲しいと思う反面、前者であっても仕方ない事も理解している。
こうなる事も想定内だ。脅かすため、勝つ為に選んだ事だ。悪感情がこの程度で済んでいるだけ御の字だと理解している。
…………理解、している。つもりだ。
「さて、良い場所なんてあったかな…」
切り替え、また目的地を探す。
「んー……。思った以上に、無い」
別のコース。坂路。トレーニングルーム。室内プール。図書館。校内。
手あたり次第にこれまでトレーニングに利用してきた場所へ向かってみたが、何処にもウマ娘は居て、そして誰もが私の存在に顔を固くする。その顔を見て状況を概ね察し、こそこそと去る。
「これは普通に…困ったな」
こうして探してみると、やはりウマ娘の学園だ。中々練習に使えそうな場所が見つからない。時間だけがだらだらと無くなっていく。このままだと今日は休みの日になってしまいそうだ。
思っていた以上に、あのダービーの与えた影響は計り知れなかった。シンボリルドルフの方も同じ状況になっていないだろうか。他の子達も大丈夫だと良いのだけど。
次の候補は学園の外にでもしようかと考えていると、スマートフォンが震える。確認した通知には彼からのLANE。
「見つかったのか…しかも、学園の外って」
候補地が見つかった、という連絡と、そこまでの地図がスクリーンショットで示されている。
目的の場所は学園の外。名称や写真などからして神社だろうか。アプリ版やアニメ版で度々出ていた所かも知れない。距離はあるが、決して遠くは無い。ちょっと走れば一時間もかからないだろう。
というか、彼も学園外での練習を考えていたのか。しかもこの距離…。もしかすると、連絡を送った直後から外へ出ていたのか?
「とにかく、行かないと」
外へ出た理由など気にしなくてもいい。ポケットへスマートフォンをしまい。ロッカーで必要なものを用意してから校門目指して小走り。
ウマ娘専用レーンを走って進む中、ふとコンビニを見つけて立ち寄る。
幾つかの備品はトレーナーがもっているだろうが、此方でもちょっとだけ補充しておく。学園外で練習する以上、使用する道具は多めに用意しておく方がいい。
籠の中に道具を入れていく。ええと、追加のドリンクにテープ。あと予備でクールタオルもいるかな。
「ああ、ちょっとお菓子も持っていこう………っ」
横切る視界の中に『日本ダービー』の文字が入り、反射的に目が進んだ先から戻る。
そこにあったのは週刊誌。月刊トゥインクルではないが、同じようにウマ娘レースを専門にしたものらしい。
並んだ文字を少しの間眺め、そして棚に近付く。
手に取った雑誌の題名は。
「『VS死神 皇帝は尚強かった!』……」
籠を床に置き、ページを開く。
所謂ゴシップ誌の系統だろう。記事の内容はかなり癖が強い。ダービーについて語っているにも関わらずあまりレースの内容そのものに対する注目はされておらず、出走者の情報の方が細かい。
しかし、だからこそレースそのものについての情報が端的に、且つ必要な部分だけが書かれている。
曰く『シンボリルドルフよりスタートワンに多くの出走者が恐怖した』
曰く『その走りはウマ娘にあらゆる恐怖を与える』
曰く『彼女の出走したレースでは自主退学したウマ娘が出やすくなる』
曰く『死神の獲物がシンボリルドルフだからこそ、退学者は少なく済んでいるだろう』
「…………」
クラスメイトの中にも、既に数人の退学者は出ている。地方へ行った者も居れば、結果を出せずレースを去った者も居る。学年全体で見れば、既にかなりの数が学園での籍を失っていた。
それは仕方のない事だが、決してそこで彼女達の全てが終わる訳では無い。どんな形であれ、次の道へ進んだというだけでしかない。レースを諦めていない子も当然いれば、進学に集中する事を選んだ子も居る。七つ目のシナリオ「U.A.F Ready Go!」ではレースで結果を出せずとも学園に残る事は可能である事、そして学園を卒業したあとの事にも深く触れていた。ソノンエルフィーの存在は大学に進学し、そこへ行くまでのサポートもしてもらえるという説明の証左でもある。
その上で、学園に残る事を選ばなかった子達は一定数居る。理由は様々だろう。故郷に帰りたくなったのか、別の道を見つけたのか、―――レースを辞めたくなったのか。
その中に、何人が私を理由に去っていったのだろうか。
分かっていた事だ。勝つ者が居れば負ける者が居る。上に行く者が居れば下へ落ちていく者も居る。
だからこそ、勝った者には責任があるのだ。上へ立った故の威光を見せねばならない。
それが例え、私を見る目を変えたとしても。
「それにしても、死神…か」
これはまた、面白い名前を付けられたものだ。競馬で死神と言えばハマノパレード事件の起こった高松宮杯をはじめ勝ち鞍にいわくを残されたタケデンバード。競走馬、勝ち鞍、競馬場を問わず走る度いわくつきの話を残されたストロングブラッドを思い出すが。ただ勝つ為に走ったに過ぎない彼らと比べれば、意図を持って攻撃している私の方がこの異名は相応しいのかもしれない。
……こっちは何時自分の中の死神に撃ち抜かれるかビクビクしているというのに、何とも皮肉なものだ。
「これも入れておこう……あたっ?」
足元の籠を取り週刊誌を入れようとしたところで、頭に衝撃が走る。
何だと思い上を向くと、そこにあるのは目的地で私を待っている筈の黒い瞳と大きな手。
「何するんですかトレーナーさん。というかいつの間に」
「こんなモン読んでんじゃねえ。アタマが腐る」
「仮にも商品に言っていい罵倒じゃないでしょうそれ。後私が買う物なんですからけちつけないでください」
「事実を言っただけだ」
私から籠と雑誌をひったくった彼は、そのまま棚に雑誌を叩き込み籠と共に会計へ歩いていく。
「ちょっと、それ私の買い物……」
「うるせ。遅ェんだよ来んのが」
財布を取り出したところで無言のまま会計するなと止められる。仕方ないので小銭だけ取り出したら今度は頭に再度手刀を打ち込まれた。
渋々トレーナーのするままに任せ、コンビニを出て道を歩く。彼の背を見ながら少し後ろを歩いていると、購入したドリンクを渡された。
「まだ歩くから飲んどけ。熱中症に気を付けろよ」
「どうも。車とか無いんですか?」
「あったら普段から使ってる。お前がもっと賞金持ってくれば検討してやるよ」
「はいはい。今度のレースは勝ちますから」
ダービーから菊花賞までは約三ヶ月以上。夏合宿を間に入れても軽く一月は先だ。叩き、もといレース勘を鈍らせないようにレースを挟んでおくべきだろう。ホープフルステークスから皐月賞へ直行したシンボリルドルフも、流石にレースへ出る事を想定しているらしい。恐らくは競走馬シンボリルドルフも走ったセントライト記念に行くのだろう。
私は何処に行こうか。菊花賞トライアルとしては神戸新聞杯が候補に挙がるが、今の私ならどの重賞へ行っても特に問題は無い。例えブービーを取ったとしても、抽選を狙うくらいは出来る筈だ。
……例えその結果で、私と走った全員がレースを去ったとしても。私は次へ進まねば、
「スタートワン」
不意に立ち止まったトレーナーが、背を向けたまま私に声を掛ける。
返答よりも先に、再度言葉が続いた。
「お前は俺の担当だ」
「……、」
「お前の目的の後は俺の目的だ。忘れんな」
そこで彼に手を掴まれる。
手袋越しに思い出す、酷く冷たい私の手と違う。暖かな手。
「音を上げるなら次の担当用意してからにしろよ。それがお前の背負う唯一の責任だ」
「…………。人の事扱き使い過ぎですよ」
「返事は」
「……ええ、承知しました」
聞くが早いか、彼に引っ張られながら道を進んでいく。
そういえばついに評価バーが真っ赤になりました
皆゛あ゛り゛が゛ど゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!