今の気持ちは「いったりゃああああ!!!」です
ホワイトボードを背に、指示棒を伸ばす。少し離れた作業机ではずずずと音を立てながらコーヒーを飲むトレーナーが、無言のまま私達を眺める。
「領域は危険な道具として認識しましょう。有効な使い方をすれば最高の成果をもって応えてくれますが、半端な使い方をすればそれ相応の反動を持って報いを与えようとします」
「は、はい」
「故に知ろうとする姿勢は良いものです。有用であるべきな境目を。それを使うに必須の条件を理解していれば、必要な場に必ず応えてくれるでしょう」
「えーっと、つまり」
「領域に使用条件があるのは、言うなれば反動を受けないようにするためのもっとも効率的な方法であるからです。無暗矢鱈に使うのは単なる自暴自棄と変わりません」
「ふむふむ。どんなものも使い方次第なのですね」
少し肩に力が入っている、大きなツインテール。
その二つ隣の短く切られた濃い鹿毛はしっくりこないようで頭に疑問符を浮かべている。彷徨う視線に合わせ小さな流星がゆらりと揺れた。
そんな二人に挟まれた明るい鹿毛は、両隣を気にすることなく熱心にメモを取っている。赤い王冠の輝きが目に入り、少し眩しい。
「ではダイワスカーレットさん。ウオッカさん。アストンマーチャンさん。お三方はご自身の領域の条件を、どのようなものだと考えていますか?」
三人をソファに並べながら、頭の片隅でなぜこんな事をしているのだろうという素朴な疑問が通り抜ける。
いや、原因が分かっていないわけではないのだが。
以前行った黄金世代への領域講座。あれが功を奏したのか、六人はその後かなりの活躍を見せた。それはもう、全員が複数のG1を勝ちとり、現在も国内外を問わず暴れまわっているくらいなのだから相当なものだ。
で、そんな事があってか六人の強さの秘訣を知りたいという生徒が色々と調べたようで、雑誌か何かのインタビューで少しだけ私からアドバイスを受けた事を語ったらしい。
それ自体は事実なので私も気にしないのだが、私もアドバイスを受けたいと生徒がちょこちょこ来るようになり、何故かその中にアプリに実装されていたウマ娘が来るようにまでなった。
今回の三人もその流れで、特にダイワスカーレットとはアグネスタキオン経由で知り合っている分、こうして講義を行っているという流れだ。
いやまあ、私が一番細かく説明出来るというのもあるのだが、それを抜きにしても聞きに来る生徒の多い事多いこと。
領域について聞きに来るだけならまだしも、トレーニングやレース展開、果ては今度のテストのヤマ当てやお勧めの飲食店、何故か幸運のアイテムは何かなども聞いてくる生徒(誰とは明言しないでおく)まで居り、断るのも一苦労だった。今回みたいにちゃんとした質問をしてくれる子が逆に珍しいくらいの状態になっていた事もある。
まあ、あの時の六人と比べても今回の三人は既にトゥインクル・シリーズに出走し優秀な成績も残している、以前と比べればまだ前提の話も必要でない分楽な方だ。タイミングがやや遅いのは少し気にならないわけではないが、まあ元々深い関係のある相手が居たわけでもないのだから仕方ない。
とりあえず視線でダイワスカーレットへ返答を促す。この中では一応アグネスタキオンという共通の知り合いが居て、且つ模擬とはいえ共にレースも走った相手だ。話もしやすい。
というより、今回の講義を求めたのが他でもない彼女なのだけど。
「ええと…。私は一応、以前のレースで見せていますけど……」
「確かに見せてもらいました。先頭を維持していると発動するもののようですね。恐らくはその維持を目的としているのでしょう?」
「……は、はい。その通りです」
領域の凡その条件を見透かされたと思ったのだろう。少し驚きに身を引いた彼女に苦笑いで「推測なんて簡単なものですよ」と誤魔化しておく。
「ダイワスカーレットさんの出走したレースを見る限り、先行策を取る事が多かった。その上で領域が発動しているという事は、先頭集団に居る事を目的とした領域になったのだろう…。というだけの話です」
アプリ版がそうであるように、距離やバ場などを含めスキルの発動と出走時の作戦は切り離して考えられるものではない。彼女の場合は条件を考えやすいというだけだ。
二人目に視線をむけると、灰色の瞳がぱちぱちと瞬く。少し緊張しているのか背を伸ばすところが可愛らしい。
「ウオッカさんの場合は中団に控える事が多いですね。どちらかというと後方脚質という事なのでしょうが、一気に捲る時の勢いは非常に強力です。最終直線辺りで相手と競り合う時に出る瞬間加速が最高なので、恐らくはそのあたりで領域が出やすいのではないですか?」
「は、はい、その通りス」
「いい力です。トゥインクル・シリーズでの優秀な成績も、その強い意志によるものと言ってもいいでしょう」
「そ、そうすか? えへへ……」
勝ち負けのムラはかなりあるが、その程度でG1を、それも複数獲得という成績は上げられない。彼女は間違いなく強い。
三人目は既に此方へ視線を向けている。何処か期待するような、けれど、少しだけ私を見る視線は複雑な色をしている。
「アストンマーチャンさんはダイワスカーレットさんと同じ先行策ですが、レースを見る限り後続を引き離す時に一番勢いが出ています。少し条件は厳しいとも言えますが、短距離を主戦場とするアストンマーチャンさんには非常に有用な力と言えるでしょう」
「流石マーちゃん、スタートワンさんに一目置かれてしまいました」
「とはいえ先述の二人とは異なり、条件がやや相手依存な傾向が見えます。それも受け身に近いというのはかなり発動も厳しいでしょう。切り札とするには少し不安定な感も否めません」
「むむ…厳しい意見ももらってしまいました。少し残念」
腕を組み悩ましそうに目を瞑るアストンマーチャン。競争するゲームというシステム上“スキル”が基本相手依存である事は当然ともいえるが、その中にも発動条件の緩さ厳しさがある。彼女のそれは恐らくシナリオでも語られた通り「相手に覚えてもらう事」への執着が裏返されているのかもしれない。
簡単に領域の条件を聞いたところで、本題に入る。
「お三方の条件の通り、領域はある程度のパターンがあります。先頭でこそ力を発揮するもの。後方で力を解放するもの。位置だけでなく展開も求めるもの。一概な名称ではありますが、
私がわざわざ領域を傾向ごとに分けているのもこれがあるからだ。三つのタイプで言えばダイワスカーレットは自主発動型、ウオッカとアストンマーチャンは環境型という事になるが、後者二人でもその傾向は追い付くためと突き放すためと真逆。多少なりとも区分けしておかないとややこしい事この上ない。
黄金世代が領域の発動について聞き回った際に曖昧な表現ばかりされたという話を以前言っていたが、もしかするとこれも原因の一つなのかもしれない。条件が人による以上、どうすれば発動したかという実感もまた異なってくる。仮に心構えが重要という結論に至ったとして、細かに説明を求められても話を纏めるのは難しいだろう。
「さて、ここからは本題に入りましょう。皆さんがここに来た理由は覚えていますね?」
「領域の条件と、その理由についてです」
真剣な声音のアストンマーチャンに、ダイワスカーレットとウオッカの表情が一瞬強張る。三人の沈黙に合わせ、指示棒を手の平に当てぱちんと音を立てる。
「ふむ。本懐を忘れずに覚えているようですね。それならば少し、細かく説明していきましょう」
領域のシステムは、元を辿れば固有スキルとなる。それはあくまでこの世界での基準ではあるが、だからこそ知っておいて損はない情報だ。
まあ、惜しむらくは三人が既にトゥインクル・シリーズのクラシック期を過ぎている事だが……別にそれ以降も使えないわけでは無いし、後進育成の際参考にしてくれるというのならそれもありだ。
「領域に条件が必要なのか? という疑問。それはレースに出走したお三方も感じた事はあるのではないでしょうか」
「……あります。最初の頃はすごくもどかしかったし、やり辛かったです」
「あー、確かに。俺も周り囲まれてヤベーって時に使えなくて、凄い焦ったな」
「大事な時に来てくれないのはもどかしいです。マーちゃんも経験があります。……しかも、ちゃんと出てきてくれた時と同じ状況なのに、隠れてしまって出てこない事もありました」
アストンマーチャンの言葉に両隣が反応する。それぞれに似た状況があったのだろう。
領域は言ってみれば最高の切り札だ。自分だけが使えて、且ついざという時に使えば間違いなく流れを大きく自分に持っていく事が出来る。そんな力がその“いざという時”に出なければ、焦るのは勿論大きな混乱に集中も削がれる。
それが自分の得意な展開と同じ時であれば、その混乱は猶更だ。
「ふむ……。理想と本質の話は、恐らく何処かで聞いたことがあるでしょう」
「えー、それは……」
「隠している訳でもないですから気にしなくて結構ですよ。むしろ、発動の確立までは自力で何とかしてほしいので、まず知っていてもらえると助かる情報です」
ここを一から説明していては手間なので、端折れる所はとことん端折っておきたい。
「黄金世代の皆さんはあの説明だけで大体を納得されましたが、皆さんはそうでも無いのでしょう。それは恐らくですが、領域の発動そのものとは関係ない部分において『制限がかかっているような感覚』を持っているから」
「……はい」
ダイワスカーレットの肯定。残る二人も似たような反応だ。
「スタートワンさん、あれって…」
「彼女達に語ったのは言うなれば安定して発動させるまでの前段階。初歩の初歩の部分です。これから皆さんに話すのはその次、発動における個人差の部分です」
「個人差?」
「……発動の条件を満たしていても、領域が上手く出ないという事象はこれまでにも聞いたことがあります。理由は様々、条件が自分の想定していたものより限定的だった、集中が上手く働かなかった、より強力な力に飲み込まれ自分の世界を広げられなかった…」
「……干渉しあうからこそ、邪魔をされやすい。という事ですか?」
「そうですね…少しイメージしてみましょうか」
ペンを手に取り、ホワイトボードへ簡単な図を書く。
特徴だけを抓んだ簡素なレース場。ゴール板目指して走る今回の聴講者三人をイラストにする。先頭争いをするダイワスカーレットとアストンマーチャン。少し遅れた場所から一気に追い上げようとするウオッカ、という図だ。
「かわいい……」
「さて、ここで一つ質問をしてみましょう。ダイワスカーレットさん」
「は、はい!」
「現在三人はマイルレースに出走。最終直線を三人で争っている状況です。先頭は現状ダイワスカーレットさん、僅かに遅れてアストンマーチャンさん。少し遅れた位置にウオッカさん。この状況において、『領域が発動して勝利出来そう』なのは誰でしょうか?」
「え? え、ええと……?」
質問の内容を噛み砕きながらも、眉に皺を寄せ熟考するダイワスカーレット。単純なレース知識を問うているようで、実際は若干ややこしい事を聞かれているところまでは理解出来るだろうが……。
「ええっと…、アタ…、私とマーチャンは先頭に居る時に発動がしやすいんでしたよね? で、ウオッカは後方で競り合ってる時で……。という事は、私かマーチャン、ですか?」
「ふむ。確かにお二人はこのまま先頭を維持する事が勝利条件です。競り合いに勝つ事が結果を左右するとも言えるでしょう」
「で、ですよね」
「ですが、アストンマーチャンさんの場合領域の発動には後方から詰められなければならないという条件があります。これに対しダイワスカーレットさんは先頭の維持が重要。発動率だけで言えば、貴方の領域が最も発動する可能性が高いでしょう」
小さくあっと呟くのが聞こえる。細かな条件を入れ込むのを忘れていたようだ。
ウオッカが二人から少し遅れた位置であり、競り合うには地力で追い上げる必要がある分、この問題において不利であることは間違いない。となると残るのは二人だが、先の通り、条件という枷のためにアストンマーチャンは領域が遅れるか、或いは展開出来ず大きく不利を受ける事になる。仮にそれが原因で突き放されウオッカとの競り合いを強要されれば、発動こそ出来るだろうが同時に領域同士のぶつかり合いをしなければならず、その間に先頭を維持し続けたダイワスカーレットに先にゴールされてしまうだろう。
「発動という条件だけに絞れば、この状況においてはダイワスカーレットさんが一歩先んじているでしょう」
「アタシなんだ……」
「そーなんのか…。だめだ、あんま分かんねえ」
ウオッカは既にお手上げ状態らしい。まだまだ話は長いので、もう少し頑張って欲しい所か。
何より、この問題はここからだ。
「しかしこれは単純に考えれば、という点での結論になります。重要なのはその次。アストンマーチャンさん」
「なんでしょうか」
「この際条件の有無を考えず全員の領域が発動したと仮定しましょう。その時『最も領域の濃度が高く、他二人より強力な世界の展開が可能』なのは誰になるでしょうか?」
「展開が、可能……」
「違う表現にしましょう。『三人の中で最も有利に領域を使えるのは誰か?』という質問です」
メモ帳にペンを走らせる手を止め、アストンマーチャンがホワイトボードと天井へ視線を上下させる。
状況を横並びにした時、三人の中で最も有利な展開を作れるのは誰か。先頭を行くダイワスカーレット? 状況の俯瞰が出来るアストンマーチャン? 勢いさえあれば自由に動けるウオッカ? 現実の競馬もアプリも、結局は展開による所が大きいが……。
少しの間質問の答えを考えていた彼女だが、直ぐに耳をぴんと立て、にやりとした笑みで此方へ視線を戻した。まだ考え始めてそこまで時間は経過していないが、結論が出たようだ。
「スカーレットは直ぐに領域が出せる分最後まで長続きさせる必要がある。ウオッカは発動の為の追い上げ、それからゴールまでとスカーレット以上に頑張らなければいけません。よって発動の順番は概ねスカーレット、マーちゃん、ウオッカですが、自分の走りに集中出来るのはマーちゃんになる……でアンサーです」
「……お見事。私の想定していたものと同じ答えです」
アプリと比べると、この世界の
つまり。此処までの説明上三人の領域の発動率は概ねダイワスカーレット>ウオッカ≧アストンマーチャンとなる。
それに合わせて今回用意したレース展開を当てはめると、ダイワスカーレットが最初に発動、続けて追い上げるウオッカと詰め寄られたアストンマーチャンが立て続けの発動だ。能動的に発動しなければならないのは発動率上位の二人、比較的にだが受動に発動するのは残るアストンマーチャンとなる。そして受け身である事のデメリットは発動率の低さである一方、上手く誘導すれば自分の有利な流れを作りながら発動する事が出来るというメリットも存在している。
状況に左右されるという特徴を考えれば彼女の領域はかなりリスキーなものだが、自分の望む展開に嵌れば強いのも事実だ。よって私の想定では、この結論が答えとなる。
「答えていただいた通り、発動した場合を仮定すれば最も有利に立ち回る事が出来るのはアストンマーチャンさんとなるでしょう」
「ふふん、またまた褒められました」
「……勿論、繰り返している通り発動すればという前提となりますが」
「しゅん……」
感情が行ったり来たりという状態だが、彼女の能力を考えると領域の力は決して過信してはいけない力だ。「発動すれば御の字」という程度の扱いである事は忘れてはいけない。
それは当然他の二人にも、そしてこの力を行使出来る子達全員にも当てはまる。
「領域の展開とは、いうなれば自分の我をどれだけ貫き通せるかという事です。出ればいい、使えればいいという中途半端な心情が、一番発動を阻害する要因となる事もあります」
「そ、阻害!?」
「それってどういう……」
「……ある意味では領域が条件を持つ理由であると私は考えています」
指示棒で軽く手を叩き、ちらとホワイトボードを見る。
「皆さんも経験の通り、一度のレースに置いて領域は
三人それぞれに少しだけ苦い顔をする。レース中か模擬レースなどか種類はいいとして、全員経験はあるようだ。
「領域とは自分の力です。自分を信じるに足る心身が整っていない状態で、十全に力が奮えるわけがない」
「整えるって、どうやって」
「……そうですね。理想と本質、条件を踏まえて言うのなら、ですが……。『自分の考える最も強い自分』。それが領域そのもの、そして条件を必要とする理由を端的に表した言葉になるかもしれません」
似たような言葉は創作から啓発本まで種々あるが、結局これが一番シンプルで一番わかりやすい。黄金世代への説明と今回の説明。足し合わせるとこういうものになるだろう。
自分の世界を生み出すために必要な心構えについてが重要だと説いたが、それはそのまま発動における条件にも当てはまる。
ダイワスカーレットの“イチバンのアタシ”は先頭を維持したままの逃げ切り勝ち。ウオッカの“カッケー俺”は逆境すら跳ね返す豪脚。アストンマーチャンの“世界一のマスコット”はどれだけ追い付かれようとも必ず最初にゴールする安心感。
競走馬としての彼女達の勝ち方をなぞるような領域が多いのも、そうした勝利こそ強さの表れだからと考える故なのだろう。
「自分の力を百パーセント発揮出来るのはこの展開。そうした明確なイメージのしやすさが領域には必要なのでしょう。成功体験、足取りのしやすさ、どれだけ楽が出来たか……。理由が何にせよ、それまでに自分が育んだものが条件を発生させている可能性は高い筈です」
「強い自分かぁ。確かにあれが出る時って、このままいけば勝てる、って時だよな」
「……ま、確かにそうね」
「なんだそのじか…ああ、大体先頭だもんな」
「な、なによ! 一番前に居れば絶対勝てるのは当たり前でしょ!」
「別に悪いとは言ってないだろ!?」
「先生、一つ質問なのです」
「お二人を止めるとか……、いえ、良いでしょう。質問は何ですか?」
いつも通りの可愛らしい
「一番強い自分が領域になるんですよね」
「ええ」
「じゃあ、一番強い自分だって思っているのに出ないのは、何故なのですか? それに、なんで一回しか使えないのです? 阻害って言うのは、その原因ですか?」
「ふむ…。発動条件が整っているにも関わらず発動しない理由。それから原則一度だけの発動についてですね。では、そこをもう少し精査していきましょうか」
心身の調整が発動の条件と言っていたが、展開の部分しかまだ言っていなかったな。心構えが整っているのに領域が出てこないのも、どれだけ臨もうと一度しか使えないのも、その理由は概ね考えている。
「そうですね。そういうモノ…という表現はできますが。先も言った通り、私はこれを領域の強いる制約のようなものと考えています。心身共に万全である時に領域は強い力を見せる。ならば何故『強いはずの今の自分が