その言葉を唱えた瞬間、部屋の空気がぴしりと固まる。質問者どころか、言い合っていた二人も耳を立て動きが止まった。
ここからはトゥインクル・シリーズを輝かしい成績で走った者達に少し厳しい言い方をしなければならない。
当然、私にも耳が痛い話をだ。
「レースに出るのは何の為。理由は種々にあるでしょうが、結局纏めれば一つ。『勝ちたいから』。勝ちたいから走る。勝ちたいから力が欲しい。どれだけ言葉を並べても、根となる部分は誤魔化してはいけません」
「…………。」
「勝利の為に作り上げた力、勝利の為に鍛え上げる力が領域です。強くあるべき気持ちを何度も出せるのならばよいですが、それは言うなれば「先のそれは本気で臨んでいなかった」という事にも繋がります。逆に領域さえあれば勝てるという考え方も「領域が無ければ勝てない」という言い訳とも言えてしまいます」
僅かな、けれど確かな沈黙が部屋を包む。
ゲームであるという前提をもって言えば一度切りの発動というのはシステム上の制約だったが、この世界はゲーム準拠でありながら全てがそうでは無い。あくまで土台でしかないのだ。
だからこそ、二度目を許さないという理由がそこには存在する。
心身ともに万全……レースに臨むというのはそれが前提。戦う上で一切の妥協を許さないという心構えも出来ていないまま、領域頼みで勝とうとするような者に――
――勝利の女神が微笑むわけが無い。
「本気で勝つなら使い切れ、手を抜くな。望んだのは自分自身なのだから。そういう戒めとして三女神様が設定した……なんて言い方は、少し飛躍し過ぎでしょうか」
勝つ為に準備した力なのだ。それは使いこなしてこそであって、使う道具に使われては本末転倒。しっかり有効活用出来る者が、結局は一番強い。
「私の考えはこのような感じですが……どうでしょうか?」
「……納得しました。ありがとうございます」
メモに視線を落とす彼女の表情は、言葉とは裏腹に眉に皺を寄せ、僅かに唇を尖らせている。納得のいかない部分が少なからずあるのだろう。
あくまで言葉にはしていないので私も触れないでおくつもりだったが、隣のウオッカは気になったらしい。
「どうしたんだよマーチャン、別に変な事なんて言われてなかっただろ?」
「いえ、その……」
「やっぱ前言ってたの気になるのか?」
「っ! ウオッカ!」
「なんだよ急に!?」
相当気にしていた事に触れたらしく、慌てたように顔を近付けたアストンマーチャンにウオッカが思わず仰け反る。唐突な反応は流石に私も少し驚かされる。
とはいえ、何か気になる事があるようだ。触れるべきか少し悩むが……折角の機会だ、もやもやしたまま帰られるのもこちらとしてはよろしくない。
「答えられない質問なら此方もはっきり明言します。言葉にするだけしてくだされば、その問いがどちらであるかくらいは分かりますが……どうします?」
簡単に提案をして出方を伺う。ウオッカがほらと促すように肩でアストンマーチャンをつつくと、少し迷ったような表情をしてから、彼女が口を開く。
「一度しか使えない理由は分かりました。でも……領域って、一つじゃないですよね?」
「……、」
「ウオッカもスカーレットも、レースの時によく領域を出します。でもそれは一回じゃなくて、二回出る時があります。……あれは、さっきの説明では通りません」
そこで再び言葉が止まる。誰という事も無く、自然会話が途切れたような形だが。
しかしなんとなくしっくりきたところがあるのだろう。他の二人もそういえばという表情で此方を見る。
「ふむ…。確かに先の説明では領域は一度のみの発動である理由は通っても、二つの領域の発動については矛盾しますね」
アプリのリリース初期は実装されているウマ娘が少なく、一時期はウマ娘のイベントなどはどうするのだろうなどと言う声があったのを思い出す。
そうした一連の問題の解決策にして、ウマ娘の世界、各キャラクターの新たな一面を掘り出す方法。
「確かに勝負服を複数持っている人は、領域を二つ使用している事が非常に多いです」
「やっぱり…」
月のイベントの主役、アニメでの主役、メインストーリーでの活躍など。様々な活躍を見せたウマ娘に送られる通常や共通の勝負服とは違う、もう一つの勝負服。ウェディングドレスからアレンジされた和服、チアリーディング衣装に水着まで。その子の魅力を最大限引き出すための新たな衣装が定期的に実装されていた。
そして、それは見た目だけでなくゲーム面でもそのキャラクターの新たな力を引き出す。
例えば今回参加したダイワスカーレット。彼女の領域『ブリリアント・レッドエース』は通常の勝負服“トップ・オブ・ブルー”に紐づけされている。レース後半、集団の先頭に居れば容易に発動する、青と白の勝負服を着た際の領域が彼女にとって基本の力だ。
しかし、クリスマスのイベントに実装された二つ目の衣装“緋色のニュイ・エトワレ”を着た場合、その能力は変化する。領域の名称は『Queen's Lumination』に、その力はより先頭を維持しなければ発動しなくなり、更にレース後半に直線が無ければ発動率自体も落ちるという特徴を持つようになる。同じ人物の持つ領域であるにも関わらず、その性質が大きく様変わりするのだ。
領域は自分の世界。つまり己そのものと言ってもいい。自分の世界はただ一つだけのものだ。だがこの現象はこの考え方と矛盾している。
…………ならば、実際は本当に矛盾しているのか?
「一つ、皆さんに聞いてみたい事ができました」
「えっ」
「な、なんですか?」
「不良漫画でヤンキーの少年が雨の日、道端に捨てられた子猫を拾い上げ、世話をするシーン……。昔の漫画によくある描写と言いますが、これを聞いてどのように思いますか?」
思わずと言った様子で視線を巡らせる三人。困惑が見えるが、応えようという意思だけはなんとなく感じられる。
とりあえずと口を開いたのはダイワスカーレット。
「えっと、まあ、いい人っぽい感じはありますけど…」
「俺も、っすね。悪い奴じゃなさそうというか……」
「ふむ、アストンマーチャンさんは?」
「いい人、ではありますけど。不良さんなら、何時も良い事をして欲しいです」
「……なるほど。返答ありがとうございます」
概ね欲しい返答が貰えたな。にしても、アストンマーチャンは結構シビアな考え方だ。育成シナリオの方でもそういう面は出ていたが……彼女の好きな映画なんかもそういう悪役は出ていたのだったか。
「先の質問の通り、こうしたシーンは所謂『意外な一面』を描写する際によく用いられます。悪事を働く人のふと見せる優しさ、厳格な人の見られたくない趣味、品行方正な人の本性……ギャップとしての演出からその人物の深堀まで、近しい手法は多々用いられてきました。」
シンボリルドルフもその典型的な例だ。生徒会長という肩書から出されるダジャレ好きや子供をあやす手際、ぬいぐるみを使った腹話術など、彼女の見せるギャップは様々な魅力として描かれてきた。
「お三方にも、経験した事はあるのではないでしょうか。自分のよく知る人の意外な一面。知らなかった好きな事。不意に垣間見えた粗雑な態度……。そうした誰かの言動を」
三者三様の表情。けれどそこにぼんやりとした意識は無い。少なからぬ、記憶の中からはっきりとしたものを掴みだした色が見える。
私自身も勿論経験はある。学園に来る前からも、学園に来てからも、この世界に来る前からも。家族に感じた事もあるし、姉妹の家族でそうした思いを持ったこともある。シンボリルドルフ達でもそうだし、トレーナー相手も例外ではない。
「人と言うのは常に一面から全てが見える存在ではありません。自分にだけ見せる表情もあれば、他人だからこそ見える行動もある。自分が何も感じなかった言葉に、誰かは大きく心を動かされる事もある」
「……物事は常に複合的…」
「ふむ? ……うん、良い表現ですね。物事は常に複合的。一面が見えるからといって、それは全てが見えている事にはならない。実に端的で、分かりやすい言葉です」
人は一枚の紙に描かれた絵ではない。多面であり、球でもあり、つまり立体。すべてを見るには、くるくると回ってもらうか、自分から外周を回る必要がある。
ダイワスカーレットの呟きは何を思い出しての言葉だろうか。表現からするとアグネスタキオン辺りが言っていそうだが……彼女と良く接するから、どこかでそう言っているのを聞いたのだろう。
「良い表現も貰えましたし、結論に入りましょう。領域とはあくまで「その人の一面」でしかありません。自分から見える面が一つ目の領域とするなら、二つ目は描き切れなかったもう一面」
「もう一面……」
「普段レースに臨む中で見せる本性に、それでも足りないと感じた時。意識的、或いは無意識に表れる別の本性。だから一度全力を出し尽くした後でも、更に底が現れる。でもそれは同じ場所ではなく違う場所に初めから存在していたもの。だから使える……と考えていいでしょう」
子猫を拾うヤンキーが優しく見えるのは、普段から悪行をしているキャラクターが認識されているからだ。普段から善行を行っている人が同じことをしても普段の一面でしかなく、逆に猫を見捨てれば冷たい奴だという別のキャラクター性を持たれる。単なる一面を見ただけにも関わらず、だ。
ホワイトボードに簡単な六面体を描いてみる。三面が見える様に、残る三面は後ろ側へ。
「ダイワスカーレットさんから、ウオッカさんから、アストンマーチャンさんから。それぞれからはそれぞれに見える面があるでしょう。そうなれば、それぞれの場所からは見えない面もある」
「……それが、もう一つの領域って事、すか?」
「そう考えるのが妥当、といった所です」
この多面性を表したものが領域の複数所持として現れる。私はそう考えている。二種の面というのは物理的な物体ではない以上、簡単に表へ出てくるものでは無い。怒っている時に嬉しいと思うとか、楽しいときに辛いと感じるなどと言った複雑な感情は、一度に表へ出す事は難しいものだ。だからこそ、勝負服というある種の通り道を作り表へ出やすくする事で、使い分けを行っているものと考えられる。
アプリ版では一人のキャラクターが持つ複数の固有スキルを一度に使う事は継承という方式でないと出来なかったが、この世界では勝負服の複数所持をきっかけにするだけであって、はじめから複数の領域を使いこなす事の出来る者も当然いる。ダービーでの苦い思い出が過るが、まあそう言う事だ。
……当然、競走馬の世界も領域には一枚噛んでいる。通常勝負服としての領域がそうした競走馬として引き継いだ力とするのなら、イベント等で手に入れた勝負服はこの世界で培った力。敢えて形容するならば、前者は先天的なもの、後者は後天的なもの、に近いだろう。競走馬としての彼女……彼らには彼らの性根があり、この世界で生まれた彼女達には彼女達の精神がある。
故に複合的。一つの形が持つ二つの面をそれぞれに描写する事になる……というのが、より正確な領域の複数論だ。
まあ、以前よろしく前世や複数の世界について説明しなければいけないので、言葉には出来ないのだけど。
あ、そうそう。三着目の勝負服についてとなると私も流石にはっきりとした事が言えなくなってくるのだけど、恐らくこのあたりはどうしても開発側の都合に寄ってくるのではないかと思っている。メインストーリーのスペシャルウィークが着る三着目は対有馬記念、ゴールドシップのそれは凱旋門の為となっているが、トウカイテイオーやナイスネイチャの場合はアニメとイベント、それに年末年始や人気という特殊な形式が入ってくるので、かなり推測がしにくい。
恐らくは競走馬側の出走レースやエピソードといった一部分を抽出した事により一着目、二着目以上に競走馬としてとウマ娘としての彼女達の両者の関係を補強しているのだと考えられるが、流石に私も詳しいところまでは分からない。
とまあ、そのあたりの話はここで終わりとして。
改めて指示棒で手を叩き、講義の
「あの…、一つ、質問なんですけど」
「? なんでしょう」
したところでダイワスカーレットに呼び留められる。一応概ねの問いには答えたはずなのだけど…?
促すと、彼女は少しだけ質問した事を迷ったように視線をウオッカ達に向けた。が、直ぐに思い直したのかこちらに向き直る。
「領域の条件とかについては、分かったんですけど。スタートワンさんの領域の条件って、何なんですか?」
「私の、ですか?」
「その、タキオンさんや他の人から聞いた話だと、スタートワンさんの領域って、発動条件がとにかく緩くて、直ぐに出てくるって聞いたので……前のレースでも、明らかに好きなタイミングで使ってたような気がして……」
あー……。そういえば以前の模擬レースでも、アグネスデジタル相手に使い方を調整したのを見られていたか。彼女が今回の講義を求めたのも、そのあたりが気になったのかもしれない。
自分で言うのもあれなものだが、私の領域は他の子達と比べても色々な意味で歪んでいる。黄金世代を含め領域が常時発動している事については話している相手もいるし、同じレースに出走した子にはなんとなくにせよその異常さを気付かれているだろう。
発動の難しさなどについてあれこれと話している相手が「でも私は例外です」は色々と言いたい事もあるか。
しかし困ったな。ここは流石に話すつもりでは無かったのだけど……。
「んー……。私にも条件ははっきり分かっていないのですが……。そうですね。敢えて言うのなら」
「い、言うのなら……?」
「今回は秘密、という事で」
「ええーっ!?」
大顰蹙といった所だが、まあここは仕方ない。一応は私の切り札なので、下手に説明してしまう訳にもいかないのだ。
「そ、それは無いっスよ!?」
「先の説明で皆さんの領域の条件を説明したのは、この講義において説明をしやすくするためです。また三人の関係を考慮して問題ないと踏んだ事もあります。普通は相手の領域なんて聞く事も出来ませんから、レース中に推測するしかないんですよ」
「それはそうですけど……!」
「少しくらいは、聞きたいです」
思いのほか食いついてくるな。条件なんて聞いたところでそれを阻害するくらいしかできないし、私の場合勝手に発動しているから条件も何もあったものではないのだけど。
誤魔化すべきかと一瞬考えるが、止めておく。今回の講義内容にそぐわないのは事実だが、流石に下手な誤魔化しで彼女達の能力に悪影響が出るのは避けたい。
……最低限は話しておこうか。
「少しだけなら話しても構いませんが――」
「それはもう!」
「――後悔しないでくださいね」
「ンなん気にしな……えっ」
「自分の事なので上手く表現出来るか難しい所ですが――『EXECUTE→Don't Stop RUN』における私の理想は『生きる事を許される私』そして本質は『私を殺さないで』。故に条件はただ一つ。『今私がここに居る事』……そう言えば良いでしょうか」
少し静かになった中、喉の調子を整えようとこの間購入し棚に入れていたのど飴を取り出した。講義をするようになってから、時々喉が微妙にがさつくようになってきた気がする。希望されたし、私も拒否しない分仕方ない事ではあるのだけども、喋り過ぎるのも考えものかも知れない。
「……良いのか、説明しちまって」
ついでに何か飲もうかとコップを手に取ったところで、沈黙を保っていたトレーナーが口を開いた。
「領域の条件なんて人それぞれです。下手に誰かの真似をするより、自分の持っているものをしっかり見据えてもらう方が」
「誤魔化すな。お前の条件の方に決まってんだろ」
「……講義中も口を挟まなかったのなら、私がどうしようが勝手という事じゃないんですか」
「それにしてもだ」
嫌に黙りこくっているとは思っていたが、ここに来て喋りだすか。私の出方を伺っていた、と。
そんな事をしたところで、私の行動が変わらない事なんてわかりきっているだろうに。
「あそこまで頼み込まれたのを無碍にもしにくいですし…真似出来るなら教えません」
「お前それ前に」
「そういう時はもっと詳しく話します。私だって何も考えていないわけではないんですよ」
この程度で真似が出来る程、総浚い出来る人生はしていないつもりだ。
昨日でこっちへの投稿から一年が経っている事に気付いて慌てて連投
いやまあ、色々といきたりばったりだったのもありまして……