53 合宿に向けて
トレセン学園にも会議室がある。それはトレーナー室のある棟だけでなく、当然学園の校舎の中にも。
普通の学校にあるだけでも結構珍しいものだが、ここトレセン学園に置かれたそれは一か所だけでなく複数、そして会社のオフィスにあってもおかしくはないくらいしっかりとした設備だ。
「はい、お茶をどうぞ」
「おう」
「シンボリルドルフさん達もどうぞ」
「ありがとうスタートワン」
「助かるよ」
お盆を手にトレーナーの座る席にお茶を置き、続けて他の同席者にも同じものを置いていく。
ここに居るのはそれぞれ私と関わりのあるクラシック、シニア級のウマ娘とそのトレーナー。リトルココン、ビターグラッセと樫本トレーナーやシリウスシンボリのコンビはここには居ない。
二十人弱の集まったこの場所で行われるのは、今後の予定の擦り合わせだ。今日は練習も無いのでじっくりと話を聞くために膝掛けをして、冷房で冷えないようにしておく。あー、お茶が暖かい。
「さて、皆時間を合わせて集まってもらって感謝する。今回は俺が会議の音頭を取らせてもらうよ。よろしく」
「ああ、よろしく」
「頼むぞ」
「おい…まあいいか。よろしくお願いします」
私が席に着いたところで、カツラギエースのトレーナーが用意したらしい資料に軽く目を通した後、集まった全員を見て立ち上がる。
「今日の議題は来月より始まる夏合宿についてだ。去年はエースとミスターシービー、マルゼンスキーの三人でのトレーニングがあったが、今回は更に六人も増えてのトレーニングだ。合宿場も大きい方だがかなり人数が居る」
「特に今回はクラシック級が多い。あたしらも予定の組み方、ちょっと気を付けないとな」
「って事だ」
カツラギエースの補足を含め、議題が挙げられる。ジュニア級を走る三人が今回はいないが、それでもこれだけの人数でのトレーニングとなると場所も時間も相当に取る必要が出てくる。アプリ版だと人数の多いトレーニングはステータス上昇効果が大きかった反面そうそう出る事のなかった現象。ゲーム面で見ればシステム上の兼ね合いだが、現実的に考えればこうした問題も原因にあるのだろう。
一応説明しておくと、今回の会議はあくまで自主的なものだ。他の子達の中にも同じように予定の調整を行っているところもあるだろうが、それらも結局は自分達の予定で他の子達の行動を制限しないようにという配慮がある。
特に合宿は二ヶ月もの間生徒達が練習の為だけに時間を費やす。周りの邪魔をして不興を買うのはよろしくない。
カツラギエースのトレーナーはそのまま言葉を続ける。
「一先ず、合宿の最初はクラシック、シニアでそれぞれトレーニングを行う方向で行きたい。半月から合宿前半の間はそのまま維持して、途中から合流しよう」
「まあ、それが無難だな」
「僕も賛成するよ」
「ありがとう。そこから後半では四人ないし五人でのグループ。上手く場所が取れれば全員でのトレーニングも入れていこう。勿論休みについてはそれぞれのタイミングで構わない」
概ねの流れは普段のものとそこまでは変わらない。時間が合えば合同で、無理そうならばそれぞれで。先の通りあくまで自主的なものであるから、全体の認識の擦り合わせといったところだ。
「一応確認しとくが、皆はどのトレーニングを主体にする予定だ? 俺とマルゼンスキーは何時も通り走り込み、それに合わせてタイヤ引きなんかを混ぜていく感じだ」
「僕とシービーは特に決めてはいないよ。走り込みだけじゃなく筋力トレーニングもするけど、それ以外は未定にしてる」
「エースには……今回は少し座学を増やしたい。レースに合わせて色々学んでもらおうと思ってるよ」
順に考えると、シニア組はスピード・パワー・根性・賢さといったところか。他の先輩達のトレーナーも基本的にスピード向上をメインに据えるつもりとの事。
続けてクラシック組が説明をしていく。
「俺とルドルフもミスターシービーと似た感じだ。生徒会の業務もあるからあまり本腰は入れず、全体的な練習を基本に、プラスでスタミナの向上を目指していく」
「私とミークはそこまではっきりとは決めていないです。秋華賞とエリザベス女王杯を考えて、ハードトレーニングは控える予定ですが……、そのくらいでしょうか」
それぞれのコンビが説明をしている間に、ちらとトレーナーに視線を送ると、少しだけ上の空な様子で皆を見ている。此方の予定をどう組み立てるか考え中なのだろう。私達を除く三人はあまり重点を置くトレーニングは考えず、満遍なくトレーニングを積むようだが。
とはいえ、あくまで私達の事を考えると基本になるのはスタミナをつける事。彼が変な事を言い出すとも思えないけれど……。
番が回り、ゆっくりと周囲を見回した彼が口を開く。
「俺達もスタミナ優先だが……。基本は休息にする。トレーニングは極力禁止、精々一、二週間に一度だ」
その言葉に周囲が俄かにざわつく。当然私も、少なからぬ驚きを持って彼に視線を向ける。
短い沈黙を終えたのはシンボリルドルフの問い。
「それは。…トレーニングをしないという事では無い、と受け取って良いのか?」
「そう言ってるだろ。合宿には参加する」
「……理由があるんだな?」
「言って予定でも変えてくれるのか?」
「いや、それは……」
口ごもるシンボリルドルフ。流石に他のコンビに無理矢理予定を変えろとまでは言えないのだろう。
トレーナーは尚も言葉を続ける。
「予定が合えば練習もする。誘われれば許可も出す。ただ基本は休むってだけだ。安心しとけ」
言葉を止め、無言で椅子に腰かけ直すトレーナー。もう何か続ける気は無いと行動が示している。
少しの間沈黙が残り、司会のカツラギエースのトレーナーが何とか議題を続けようと話し始める。
アプリでは夏合宿は四ターン、二ヶ月相当の時間を利用して行われるボーナスタイムだった。
この期間に行われる練習は普段のものより効率的、且つ高いステータス向上を狙えるものだったが、彼はその期間の殆どを鍛錬に使わないつもりらしい。勉学が本分の学生でありながら、学校生活から離れて打ち込める絶好の機会を食い潰すのは、正直考えるものがある。
……とはいえ、理由が分からない程私も考え無しではない。
彼はこの夏の間、ほぼ全ての時間を領域の調整に使うつもりだ。
三女神の一件以降、明らかに私の
今はまだ何とかなっているが、それが何時限界を迎えるかも分からない。今度の菊花賞か、それとも前準備のトライアルか、最悪はこの夏の間かも知れない。日常生活にも支障をきたすようなものになれば、その時は私も覚悟を決めなければならない。
だからこそ、トレーナーはこの夏を最大の好機と考えているのだろう。或いは今度の期間が最後の抵抗になると。
学業もレースも最低限に抑えられる合宿中に、少しでも長く走れるように。それだけでなく、少しでも長く私が日常を送れるように。
そういう前提の発言なのだ。
隣のクラスメイトと少し離れた席のハッピーミークが、少しだけ心配そうに私へ視線を向ける。口を開くよりも先に出てくるだろう言葉も察せる。
「スワちゃんはいいの?」
「トレーナーさんがそうするなら何も言いません」
「…でも合宿、あんまり一緒に出来ない、って」
「あんまり、ですからね。絶対にしないという訳ではないですから、心配しなくとも参加する時は参加しますよ」
「それはそうだけど」
「……この人も考え無しではありません。今後を鑑みて出した最適がこれなのでしょう」
私のスタンスを変えられないと分かったからか、二人も口を閉じる。何も言わず此方を伺うだけだったシンボリルドルフ達も思う事はあったようだが、流石に茶化す事もせず沈黙する。
一応は続いている会議の中、こそりと隣へ耳打ちする。
「で、このじっとりした空気をどうにかしようという気は無いのですか」
「俺がする必要は無いだろ。勝手に重くなってるだけだ」
「口の悪さが原因だと言っているんです。相手は先輩なんですからもっとオブラートに包む努力もしてください」
「内容は変わんねえんだから意味ねーだろ」
「まったく……」
つい溜め息が漏れる。あなたって人は本当に……。人の身を案じる頭があるなら周りの気分を持ち上げることくらいしたらどうなんだ。ちゃんと議題が回っているだけ先輩に感謝しなさいっての。
そんな話をしている間にもトレーナー達の会議は次の議題へ移る。
「トレーニングに利用する一帯は学園所有の土地だが、そこ以外は到着直後からは海開き、八月後半には合宿所の近くで夏祭りが開かれる。どちらも合宿所に近く時折観光客が入り込んでしまう事もある。不慮の事故が起こる可能性も考慮して、トレーニング中は気を付ける様に」
「一応ここ数年は事故も起こって無いが、念には念を入れよう」
「前にはあったんですね……」
「それはまあ……。居るんだよ、合宿中だってのを分かって侵入する輩が」
「しょっ引くのも結構手間だから止めて欲しいんだけどなあ……」
トレーナー達の会話に思わず溜め息が出る。準拠している世界が世界だから、居ないわけでは無いんだな。まあそういう時はトレーナー含めちゃんと対処しているみたいだし、気にし過ぎても意味が無い。
いざとなれば私も少し参加しよう。シンボリルドルフ達に何かあってからでは遅いし、「方法」はあるのだから。
「するなよ」
「何も言ってませんが」
返答した途端にそっぽを向く彼に溜め息が再度漏れた。
真剣な話もある程度続けば空気が砕けてくる。トレーナー達が主導して作っていた流れも、何時の間にやら担当を含めた雑談へと変わっていた。
「海開きもあるから、今度の予定では普通に海水浴もしたいね」
「私も新しい水着用意しておきたいわ、トレーナー君も楽しみにしててね?」
「うん、そうだね」
いくらアスリートと言えど年頃の女子高生。時間がたっぷりあるのだから、娯楽に現を抜かす時間だって必要に決まっている。マルゼンスキーとトレーナーの会話は、去年の様子も分かるというものだ。
夏の、それも他の観光客を気にせず自分達だけでつかえるビーチ。練習だけで時間を浪費したくない気持ちも分からなくない。
「アタシはどうしようかな……。トレーナーはどうする?」
「え、そうだな……。シービーなら何でも似合うと思うけど、去年のものはいいのかい?」
「んー…、トレーナーはあれ好きだった?」
「……まあ、似合ってたからね」
「そっか。じゃあもう一個新しいの用意しとくね」
「今の会話の意味は?」
「エースは何か持っていく?」
「トレーナーさんが良いならなんか持ってくぞ」
「じゃあお願いしようかな」
「おう! トレーナーさんも良い水着用意しといてくれよな!」
シニア級まで行った二人もトレーナーとの予定には手慣れたもので、海辺のトレーニングを満喫するつもりらしい。
「トレーナー君も海水浴はどうだい? 私も用意してこよう」
「ここ最近海なんて言ってなかったなあ…。良いかもね」
「そう来なくては」
「…トレーナー、一緒に、海、行こ」
「わ、私もですか? ええと、水着なんてそんなに持ってなくて……」
「じゃあ、買いに行こ?」
同期の二人も大体似た様子。仲が良いのはよろしい事だ。
「で、私達はどうします? 休み中心なので毎日だって海水浴が出来そうですが」
「……分かってて言ってんなお前」
「口裏くらい合わせてください。こっちだって貴方に合わせてるんですから」
「…買ってくるのは勝手だ」
「貴方もちゃんと用意してくださいよ。ばれたら面倒なんですから」
一応調整は秘密裏に行っている事だ。身体に負荷をかけまくっている事はトレーニングで知られているが、そこから更に精神も追い詰めているなんて事までばれたら何をされるか分かったものではない。
裏事情を誤魔化す意味でも、この流れに乗る方が得だ。
「……露出多めが良いですか」
「隠す方針はどうしたお前」
「貴方相手なら別に気にしないですが?」
「……ちゃんと隠せバカが」
「胸元多めに開けた方が好きですかね」
「人を揶揄おうとする口はこれだな」
「
か、からかってるからって物理的な手段に出てきた! 最低だこの人!
「また遊んでる」
「相変わらず仲いいねあの二人も」
「あれでアタシの事とやかく言うの間違ってない?」
「そうか?」
ちょっとは私の事を心配するとか無いのか周りは周りで!
暫くの間頬を引っ張られ続け、ようやく解放される頃には頬がかなり赤くなっている事が自分でも分かる状態だった。
「うう…、痛い……」
「分かったなら勝手に遊ぶ用意でもしてろ。自分でなんとか誤魔化せ、俺は関係ねえからな」
こんの……っ! 合宿になったら絶対鞄の中にブーメランパンツ仕込んでやるからな!
頬を摩って痛みを和らげていると、くすくすと笑うシンボリルドルフがかるい咳払いの後此方に視線を送る。
「で、結局二人も海は楽しむのかい?」
「え? ええと、一応はそのつもりです。流石に水着が無いので用意が必要ですが……」
昔は姉妹の家族と一緒に市民プールなどに行くこともあったが、火事以降肌を隠す以外にそれまで用意していた水着が着られなくなってしまった事も合わせ、ついぞ行く機会が無くなっていた。
学園でのプールトレーニングに使う水着はあるが、それは合宿用だ。観光に使う気は無い。
時間がある今の内に準備をしておきたい所だが……
――――――!? ミスターシービー達の席から寒気!?
「ふうん……スタートワン、水着持ってないんだ」
「それは大変だね。ちゃんと用意しないと」
「ならさ、今度一緒に買いに行こうよ! アタシも最新の奴見たいんだよねぇ」
「それは良さそうだ。私も参加していいかな?」
「そりゃ勿論。そっちの二人も来る?」
「は、はい! 喜んで!」
「……トレーナーも、一緒に」
さらりとこの間の様に集まる機会が生まれそうな空気が出来ている。そして全員の視線が此方に向かった瞬間、してやられたと思わず目を閉じた。
………この空気、断りにくい………。
「スタートワンも勿論行くよね?」
「……ええ、その予定も組みましょうか」
桐生院トレーナーに舵取りをお願いしたいが……流石に酷か。
まだまだ合宿まで時間がかかります
わちゃわちゃショッピング回、一回やってみたかったんですよね
感想とここすきが増えるのが一番うれしいのでください(曇りなき眼)