「トレーナー君? どこに行くの?」
「行くぞ皆、遅れるのは良くない」
「トレーナー君? あなたは助手席よ?」
「早く行こう、さあ早く!」
「トレーナー、君、あなたは、こっち、でしょ!」
「離すんだマルゼンスキー! 俺は今年こそこっちで行くんだ! 普通に他のトレーナーと話す事もあるから! 待て、ちょっと待て! ストップ! マルゼンスキー!」
バスの扉を掴んで必死の抵抗をしていたものの、抵抗虚しく真っ赤なスポーツカーに連行されていくマルゼンスキーのトレーナーを、他のトレーナー達が何処となく哀愁に満ちた目で見送っていく。満面の笑みと引き攣った冷や汗という対比はある意味お似合いなのかもしれない。
シナリオだともっとマイルドに連行されていたと思うが、この世界だと中々に切羽詰まった感じなんだな……。
「スタートワン。我々も行こう」
「ああ、そうでした」
もしかしたら恒例行事なのかもしれない光景に苦笑いしながら、私達もバスへ乗り込んだ。
ウマ娘はウマ娘用の送迎バス、トレーナーはトレーナー用の、或いは個人所有の自家用車などを利用して合宿所へ移動する。
とはいえどちらも乗る人の数が非常に多い。一部の生徒やトレーナーは明日移動、今日だけでも複数のバスによるピストン輸送が行われるのだという。優先されるのはクラシック級の生徒とその担当で、シニア級の生徒達は個人で移動出来る場合を除いて明日に回るのだそうだ。
そんなクラシック期の生徒を乗せたバスの一台。私の他に乗っている生徒はシンボリルドルフとハッピーミーク、一番仲の良い子以外のクラスメイトも何人かで、それ以外は大体が他のクラスの子達だ。シンボリルドルフとハッピーミークのクラスの子も居るようだが、あまり親密では無いらしく私の隣に座る彼女を遠巻きに眺めるくらいで、それぞれの友人と喋る事の方が多い。
私のいる席は全体のやや後方通路側、前の席にハッピーミークとクラスメイト(よく練習している子)が、隣は先の通りシンボリルドルフが座って窓の外を時々眺めている。
一応乗り込む前に決まっていた席順では私はクラスメイトの座っている席という事になっていたのだが、シンボリルドルフからの提案で席を変更する事になった。
「良かったんですか? 態々席を変えて」
「構わないさ。君の隣の方がまだ落ち着ける」
「そうですか。ハッピーミークさんも良かったんですか」
「…大丈夫。丁度、遊びたかった」
「そう言う事! スワちゃんはシンボリルドルフさんと一緒にのんびりしてって!」
そんな感じで二人はトランプやスマートフォンを取り出す。周りの子がそれを受けて直ぐに手を伸ばしカードを受け取った所を見るに、はじめから暇つぶしの予定は考えていたようだ。
シンボリルドルフと視線が合い、特に意味は無いが笑い合う。
「私達もゆっくりするとしようか」
「ですね」
動き出すバスに合わせ、窓の外が緩やかに変化していく。学園の校舎から、少しずつ外の道路へ向け景色が進んでいく。
ふと視線の先にトレーナー用のバスが見えた。駐車場を進む途中だからか、偶然タイミングがあったようだ。暗いガラス越しのため中の様子は分からない。彼が座っている場所はどこだろうか。
LANEを開き、メッセージを送ってみる。
『そちらの様子はどうですか?』
一分ほど既読の付かない時間があり、やがて既読と同時にメッセージが来る。
『なんも変わらん』
『休憩所まで距離もあるから休んどけ』
『身体は冷やすな』
……相変わらず簡素な返答だな。
そんな事を思いながらつい口が緩む。ちょっとくらいそちらの様子を教えてくれればいいものを。
ダービーから更に一月。マルゼンスキー、ミスターシービーとの激戦をカツラギエースが制した宝塚記念が終わり、日差しも本格的になった夏。
私の最後の抵抗、夏合宿が始まった。
この二ヶ月の成果が、私の今後を左右するといっても過言では無いだろう。長距離レースへの耐久力、領域の扱い、『皇帝』に勝ち得るか否か。その全てが決まるとさえ言える。
出来るなら一人でしっかり練習をしたい所だが、そうは簡単にいかない。シンボリルドルフとは共に練習をするという契約を結んでいるし、シニア級の五人や同期の二人もここまで来て無碍には出来ない。
それに一人より複数人との練習の方が効率、成長両方の面で効果的である事はこの一年が証明している。背に腹は代えられない。
……なにより、今回の私は普段とは違う。
トレーナー直々にトレーニングの制限が言い渡されている以上、殆どの時間は彼と一緒に居る事になるだろう。時間がどれだけあるといっても、結局は全員トレーニングをする。独自の強みを少しでも磨いておくという意味でも、彼との再調整は必須だ。
一番の問題は。調整の重要性が跳ね上がってきている気がする事だろうか。
「っ、くしゅ…」
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか。すみません」
「やはりこの間の試着を引きずっているようだね。熱はないのかい?」
「熱は出ていません。他に不調があるわけでもないので、やっぱりちょっと寒いみたいです」
「……なら、いいのだが」
そう呟くシンボリルドルフが僅かに私の足元に視線を送る。普段のインナーや手袋に加えて膝掛けに小さめのケープまで纏って全身を覆う姿は、幾ら冷房の付いているバスの中と言え夏も本格的なこの時期には奇妙にも見えるだろう。
「良ければ窓側に座るか? 日差しも入るから比較的暖かいが」
「ありがとうございます。が、流石に移動中のバス内ですから遠慮します。一回座った場所を交換というのも気になりますし」
過保護にされても意味は無いというのもあるが、まあそこは言わなくていい。
合宿前の外出に赴いたあの日から、いやに身体が冷えるとは思っていたが。今は冬用のインナーを着て上着を羽織ったまま外を歩いていても汗すら出てこなくなってしまった。
異常な数値を出した体温計に困惑しながらも病院へ行き、皐月賞以来お世話になっている主治医さんを始め、何人ものお医者さんを経由して様々な検査を行ってもらった。
結果は原因の一切が不明。ただ体温だけが恒温動物として致命的なレベルにまで下がっているという事だけが分かった。私自身は体温がなんとなく低いという以外ちょっと風邪っぽいくらいしか問題は無く、正直に言えば万全でさえある。
皆には原因が分からないので軽い風邪だろうと誤魔化している。素直に信じてくれているわけでは無いのはそれぞれの反応から分かっているが、無理矢理連れていかれた保健室の先生を含む専門家による原因不明の言葉は、下手な嘘よりも幾分か説得力があった。心配ではあるが、手の打ちようが無いため静観と言った感じだ。
トレーナーも気にはしているようだが、どうにも出来ないお手上げ状態という事で最大限冷えないようにという指示しか出していない。ケア出来るならしたいのだろう、こまめに状態を確認しては何の良化もしない事に苦い顔を繰り返している。
トレーナー室のエアコンも低めの暖房にしていた時は流石に私が怒った。
夏の間のトレーニングについてはこうなる前に話したものだが、幸か不幸か身体を激しく動かす予定を入れていなかったのは今の私にとっては悪くない予定だと言える。……折角の合宿期間がそれでいいのかと言う疑問はあるが、残りの時間を考えれば喫緊の問題から手を付けなければならない以上、背に腹は代えられない。
例えこのコンディションで菊花賞当日を迎えたとしても、私は走るつもりだ。
「ん…と」
ケープを軽く整え寒さ対策。冷房の分注意はしておく。くしゃみを飛ばすのも嫌なのでマスクもしているのだが、シンボリルドルフ達を含め病人に見える所為で周りから良い印象を持たれていない。合宿に参加するよりまず身体を治せと視線で語られている感じだ。まあ半ば病人だから事実ではあるのだが、治しようが無いのも事実なので反応がし辛い。
「やはり席を換えるか?」
……だから、気にし過ぎだというに。
仕方ないので話題を逸らして誤魔化しておこう。
「シンボリルドルフさんこそ、生徒会の仕事は大丈夫なんですか? 毎週末は学園に戻るんですよね」
「…。ああ、昨年と違って私も生徒会の仕事に参加するが、それでも負担は少なくなるよう気を付けてもらっている。トレーナー君もしっかり予定を組んでくれているから、問題は無いよ」
「ならいいですが、私達の中で唯一の生徒会所属ですから無理してはいけませんよ。自分だけでなく学園にも少なからぬ影響が出てしまいますから」
「…以前も言った気はするが、君に言われるのは少し心外に感じるよ」
「どういう扱いかについては聞かないでおきます」
ここ暫くはずっとこんな感じだなあ。
バスに揺られつつ外の様子を眺めたり、近くの子達と話をして時間を潰す。
途中のパーキングなどで休憩を取りながら数時間移動を続けていると、クラスメイトがあっと声を上げた。
「見てみて、海!」
「……おおー」
「やはりこの時期は海が映えますね」
「日差しが良く反射して綺麗だな」
砂浜、堤防、遠くに見えるヨットや船。このあたりはまだ観光地なのだろう。浜辺に観光客と思しき影やパラソル、サーフィンをしている様子も多く見える。
後どのくらいかかるかは分からないが、少なくともそう遠くない場所に目的地たる合宿所があるようだ。
「うわー! なんかあとちょっとって考えると急に楽しみになってきた!」
「水着、新調してよかった…!」
「最初の二日間は一律で自由時間だから、存分に楽しむといい」
「シンボリルドルフさんも十分楽しんでくださいね」
「それは君も、だろう」
恐らくは確認というか、そうするようにという意図を込めているのだろう。どことなく強調するような声音でシンボリルドルフにそう返される。
海岸線に沿うように進む道路は、トンネルや橋などを越えていくほどに車内の高揚感を上げていく。私達だけでなく他の生徒達も高揚する気持ちを抑えられなくなってきたようで、これまで以上に会話の声が騒がしくなってきた。
「皆さん楽しそうですね」
「皆今回の合宿が初めてだからな。トレーニングの為と言え普段と違う環境は楽しくもなるだろう」
「宿泊も相部屋では無く合同の部屋でしたね。複数人ともなると夜の就寝時間までも楽しめそうですし、浮かれたくなるのも分かるような」
アニメ版一期ではチームによって待遇…というか利用出来る施設に差がある描写だったが、以降の設定が安定してきてからは概ね同じ施設を利用出来る形になっていた。チームや知り合い以外の生徒とも交流の機会が生まれるというのは新鮮にも感じる事だろう。
……まあ、それを今回の私達に言えるのかは分からないが。
「そういえば、一応何処かで聞こうとは思っていたのですが」
「うん?」
「生徒会が部屋決めに一枚噛んでいるとか、そういう事は無いですよね?」
「…………」
「私とあの子くらいならまあ、クラスメイトなので分からなくも無いですが。今回の部屋割りだと意図したものしか感じないのですが」
今回私に割り当てられた部屋。そこの宿泊者はクラスメイトにシンボリルドルフとハッピーミーク。
そしてマルゼンスキーにミスターシービー、カツラギエース、先輩の二人。部屋の大きさなどを考えれば九人での宿泊というのは特に違和感も無いが、並んだ面子がいくら何でも知り合い過ぎる。
勿論部屋割りが完全なランダムという事は無いだろう。くじ引きで全員決めるなんて事は流石にないのも分かる。それぞれに相性というものもあれば、走る距離の関係である程度一緒にするほうがいいという事もあり得る。
それらを加味すれば、多少なり誰かしらの望む選択というものが出来てもおかしくはない。
……が、この人選ではいくら私の贔屓目にも贔屓が感じられてしまう。仮にも次期生徒会長がこれでは会長選が危うくなりかねない。
隣の本人にそんな意図の視線を送ると、何とも焦りが多く含まれた苦笑いに合わせ違うんだと手を振る。
「い、いや、不可抗力だ。私も口は出しているが、ここまで露骨にするつもりは無かった」
「…本音は露骨にしたかったんですね」
「んっ、そ、それはその……。し、しかしだな、これは私だけが選んだものではない。生徒会全体で決まった人選なんだ」
これが? 正直「これはやったな?」と思うレベルなのに?
「ほ、本当だ。最初に提案はしたが、その時はクラシックの四人だけだった」
「マルゼンスキーさん達は生徒会の人たちが入れたと?」
「ああ。元々合宿の部屋決めにはある程度条件があるんだ。それぞれの環境なども合わせ、不和が起きにくいように選別されている」
「不和……ああ、そういう」
重賞出走者、オープンクラス、条件戦などの区分毎に分けているという事か。競走馬の併走等ならば人間の基準で勝手に選んでも構わないだろうが、此方は知能が人間並み。条件戦を走っている子がG1クラスの子の並んだ部屋などに送られても委縮するか妬んでしまうかだ。そこでも分けているんだな。
「それで、生徒会役員の人たちがシンボリルドルフさんに賛同したと」
「寧ろ会長も賛同した側さ。元々合同でトレーニングをしているというのもあるが、全員がオープンクラスに出走可能という点でも、組ませておいて問題無いと判断されたそうだ」
「……確かに、全員重賞には出走していますが」
『ウマ娘』に実装されていた子達は言わずもがな、クラスメイトに二人の先輩もオープンクラスを勝利し、それぞれにG3とG2、どころかG1にすら出走していたりもする。能力だけで言えば間違いなく学園でも上位層に居る。
そう考えれば、なるほど進言があったとしてもここまで都合の良い結果が出るわけだ。
「不和も起こりにくいという結論も分かると言え、それでいいんでしょうか?」
「決まってしまっているから、今更変えるというのも無理さ。それに全員同じ部屋なら予定も組みやすい。一石二鳥だ」
そうだろうか……まあ、楽ではあるか。
「それにしても、改めて考えるとすごいものですね。普段から練習している九人全員が重賞クラスとは」
「ある程度同じレースに出る事の多いものなら集まりやすいというのもあると思うが?」
「とはいえ、元々そこまで関係があったわけではないでしょう? なんとも不思議なものです」
入学直後では精々一人二人交流があればというつもりだったが、知っている存在に認識されただけでなく普段から付き合えるようになるとは。走っているレースの関係で選抜レース以降はシンボリルドルフとしか戦った事は無いが、一つ上のシニア級三人を含め、菊花賞の後は全員との対戦があるかもしれない。
……うまくいけば、の話にはなるが。
そんな話をしている内にも合宿所は目前に迫っていたようでバスの速度が徐々に緩くなっていく。
「さあ、降りる準備をしようか」
「そうですね。忘れ物が無いよう気を付けましょう」
「二人もそろそろ準備をしてくれ」
「はーい」
「…ん」
何とか始まりました夏合宿。
そして投稿時点の季節は冬です。