G1目指して頑張ります   作:あかし/さんさい

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60 闇にそれでも浸る

 木々の隙間から差す木漏れ日が僅かに身体を温める。風の音や遠い鳥のさざめきが何処か心に心地よい。

 海岸線と決して遠くない位置にある森の中。合宿所からもそれなりに歩かなければならないこの場所は、鍛錬や休憩で来る子も居ないような手つかずの空間。

 そんな空間で私は今、軽く落ち葉などを取り払った地面に座り込んでいた。自然の多さに目を惹かれる一方、そもそも人通りも無いような場所に居ると、何とも暇なのかと自分でも思う。勿論目的はあるのだけど。

 

 離れた場所に立つトレーナーに視線を向けると、彼は二度手元に視線を向けてから小さく頷いた。

 それを受け浅く息を吸い、ぴたと止め。風が止み、波の音も弱く、生き物の音が潜む。自分の鼓動の音さえ聞こえるのではないかという時間が過ぎて。

 

「…………――ッ」

 

 周囲に響く事は無い、けれど確かに伝わっていく音。煌々と揺らめく真っ赤な幻覚の中、銃口の先が煙を吐く。

 一際に強い颯が吹きすさび、水飛沫が立て続けに鳴る。鳥の羽搏き、木々の騒めきが一度に重なり合い、数拍もせぬ間に静けさが戻る。

 

 ……戻り過ぎている程の、無音が戻り。それから更に数分時間を置いて、全ての音が再び響き始めた。

 

 周囲が元通りになったのを確認してから、ゆっくりと浅い呼吸を繰り返す。

 

「………ふぅ…、」

 

 じわりと背筋を這う寒気に身体が震える。手袋を取り指先に視線を向けると、青を通り越して紫になり始めていた。既に感覚は無いに等しい。軽く解しながら陽だまりに当てると、痛い程の暖かさを感じる。

 精々が十秒にも満たないというのに、このレベルか……。いっそサウナででも練習した方がいいだろうか。

 

 再びトレーナーを見ると、手元を見ながら悩んでいるのか動かない。あれは暫く考えこむだろうから、再度指を陽に当てて少しでも冷えを取り除いておく事にした。

 

 

 合宿のメインはレースに向けての練習。私も当然その前提は崩さない。

 ただ、その為の練習が他とは違っている。休息という嘘を吐いてまで私達がここに来たのは、見られないようにするためであり、来られないようにするためでもある。

 

 ダービー以前より行っていた『EXECUTE→Don't Stop RUN』の調整。継続の必要性、人の居ない、周囲に気付かれないようにする秘匿の問題。それらの条件をクリアするうってつけの選択がこれだ。休息という名目で堂々と練習の参加割合を減らし、その上で多くの時間を費やせる。更に言えば周りにその事を悟られず、且つ気にせずにもいられる。これほどの好条件、彼が態々合宿への参加自体は止めなかった理由も頷ける。

 

 そして改めて調整を行うとよく分かる。これはもう、領域とかそういう範囲を明らかに逸脱している。

 

 

「はあー……」

 

 小さく息を吐くと白い靄になって消えていく。寒気の中に吐く呼吸のようではあるが、それと言うにはあまりにも森の中は陽気に包まれ過ぎだ。

 

 近くに落ちる木の葉の一枚に手を伸ばし、それに息を吹きかけた。最初こそ吐息に合わせて少し揺れる程度だったが、それを二度、三度と繰り返す程に表面が白く濁っていく。

 三十秒もせぬ間に、葉には真っ白に霜が張ってしまった。軽く端を抓むと、ぱきりと音を立てて砕ける。外側だけでなく、その芯に至るまで完全に氷漬けになっている事が分かる。

 

「まるで雪女ですね」

 

 ここまで来るとどこぞの雪の女王あたりだろうか。現状自在に扱えていない頃になるが。

 

 口の震えはあまりない。指も同様。そこまで冷え込んでいないのか、最早シバリングを起こす必要すらないと身体が判断しているのか。

 仮にも赤い髪をしているのだから、どちらかと言うと炎じゃあないのかと突っ込みを入れたくなる。いやまあ、炎であっても困るといえば困るのだけど。

 

「随分と怪現象染みてきたな」

「そんな事を言ったら前々からそうじゃないですか」

「……言われりゃそうだな。ほれ、測れ」

 

 ようやく考え事が纏まったのか近付いてきたトレーナーに渡される体温計を受け取る。せめてもう少し言葉を選んで欲しいと思うが、選んだところで意味は無いと考え直す。オブラートに包まれてもこっちが困る。

 

 計測が終わるまでの間に、彼は続ける。

 

「調子はどうだ」

「少し寒いでしょうか。我慢できない程ではありません」

「ブランケットはあるな」

「持ってきています。今は大丈夫です」

「白湯は置いてある。必要なら言え」

「それ熱過ぎるんですよ。飲みにくいです」

 

 そうせざるを得ないというのは理解しているが、ただでさえ北国に居る様に冷えているのだ。熱くすればいいという訳ではないんだぞ。

 

「感覚として、あとどのくらい持つ」

「……凡その目安ですが、もう少しは保ちます。普段通りとなると、恐らくは後二回」

「前より減ったか…。今後の発動は瞬間に絞る方が良いかも知れんな」

「いえ、増やしましょう。回数を戻すのもこれの目的です」

「負荷が大きいと合宿中にばれる可能性も上がる。まだ序盤だ、無理する意味が無い」

「この期間が最終調整になるかもしれないんです。ノーとは言わせません」

「……。」

 

 押し黙るトレーナーに目を向ける。視線が合った。

 ダービー以前の調整では、丸一日をかけて領域の枷を緩め続けていた。身体が動かなくなるレベルの調整をしても、一日あれば周囲を誤魔化せる程度の回復は可能だった。

 今同じ事をするとなると、昼に差し掛かるずっと前に限界を迎えるだろう。時間まで合わせれば、長くて二日は歩行すら儘ならない。状況は悪化の一途を辿っている。

 

 下手な躊躇いは敗北どころか事故を招きかねない。少しでも危険を排除する為にも、私には自分の限界まで潜り続ける必要がある。時間をかけるにしても、後半ではクラシック級、シニア級合同での練習が増える。誘われる回数も今以上になるだろう。断る事も可能だが、断り過ぎれば不信に思われる。

 余裕がある今、出来る限りの枷の縛りを強めたい。共通する目的の中で、そのタイミングだけは今も彼と対立していた。

 

「時間が無いのです。躊躇っていては負けるだけ、リスクを取ってでもやるしかありません」

「言っただろ。合宿は始まったばかり、下手を見せればバレるっつったのはお前だぞ」

「ある程度は自分で分かります。不味い時はちゃんと止めます」

「それで一日動けない事あったろーが」

「次の日が貴方と外出の予定だったから試しただけです。問題は無かったでしょう」

「バレなきゃいいって意味じゃねえわバカが」

「それをどうにかするのが貴方の仕事でしょう」

「パワハラ上司かお前は」

 

 誰がパワハラか。

 

「正解が無い以上、最善を尽くすべきでしょう。出来る限りを出来得る限り行わないと、負けても文句は言えません」

「万全を期すって言いたいんなら、調子を崩さないように少しでも危険があるなら止めるって事も忘れんな」

「ならば今はその時ではありませんよ」

「自己判断すんなっつってんだよ」

「…………」

「…………」

 

 互いに言葉を止め、ただ睨み合う。沈黙の抗議を続けていると、電子音が鳴った。

 視線を切り体温計を取り出すと、彼も覗き込んでくる。

 

「……五度、ですね」

「前よりも下がってるな……。氷点下も視野に入るか」

「そろそろ水に手を付けるだけで氷が出来そうですね」

「ふざけてる暇があるならちゃんと温まっとけ」

「はいはい」

 

 体温計を渡し、代わりに白湯の入った水筒を受け取る。唇をつけるだけでその熱さに痛む。漏れ出る湯気にすら手がずきずきとしてくる。

 身体を温める、とは言うが、現状の対処は全てその場凌ぎにすらなっていない。焼け石に水どころか油を注いでいるようなものだ。……この諺、現状とびっくりするくらい噛み合ってないな。

 

 いや、それはどうでもいい。重要なのは一つ。このままでは現状維持すら困難だという事だ。

 身体の表面でこの体温。先の葉の様子から見て芯の部分は間違いなくこれ以下となっている。異常が発覚してからまだ半月そこら、一ヶ月も経過していない。そこから今日までで体温は半分にまで下がってしまった。菊花賞まで凡そ三ヶ月弱、単純に計算して、当日には私の身体は-30℃さえ下回ってしまう。しかもその低下速度が必ずしも一定である可能性は無い。最悪、それ以上になる事も想定しなければならないのだ。

 

 勇み足は出来ないが、足踏みも厳禁。後退りなど一瞬でもしようものならそこからの道は破滅だけ。進むしか選択は無い。

 だからこそトレーナーにも変に迷わないで欲しいと再三伝えているのだけど、どうにも彼と意見が合わない。時間があるからと言っても、緩やかなペースで縛れる程安易な力ではないというのに……。

 

「時間が無いのは俺達だけじゃない。どれだけ早いモン勝ちでも限界はある。お前の勝負は焦れば勝てるのか?」

「……そういうものでは、ありませんが」

「余裕があるなら攻めの姿勢で良い。今は違うだろ、攻めれば攻める程お前は追い詰められる。焦れば勝てないんなら、時間を()()()。どれだけギリギリになろうとな」

「しかし」

「出来ないなら、別の選択を探せ。少なくとも、これ以上の負担を強いる必要が無い方法をな。現状お前が選んだ選択は俺の指示に従う事。それが嫌なら別の選択を提示してみろ。十分な成果を上げられるものなら俺も文句は言わん」

 

 それならばと言おうとして、口を閉じる。

 彼の考えとして、今の私の方針は受け入れられない。同じことを繰り返しても今日を無駄にするだけだ。となると、今後の調整期間の間に彼が思わず頷いてしまうような何某を考えなければならない。少なくとも、今以上の負荷をかける事に利点を感じさせる必要があるという事だ。

 

 ……それが出来れば苦労はしないのだが。しかもそれを今から考えたところで、今日は結局彼の指示に従うしかないわけだし。

 

「本当に貴方は、こういう時の口は達者なんですから」

「そっくり返すわその言葉」

 

 返事の代わりに一瞬枷を緩めて調整を始め、二の句を次げないようにした。

 

 

 

 炎の揺らめきが見せる不規則な輝き。

 調整中と言えこうしてまじまじと見る時間があると、やはり眼前の光景を眺めてしまう。

 

 見ているだけで震えが止まらなくなる程に悍ましい暖色の髑髏だが、不思議な事にその火に照らされていると少しだけ身体の悴みが和らいでくる。所詮は幻覚、熱など発生していない筈なのだけど……現状の冷気を考えれば、案外これにも温度があるのかも知れない。

 芯から冷えさせる恐怖の象徴が、よりにもよって今の私には凍り付いてしまわないための熱源になっている。何とも奇妙なものだ。

 

「スタートワン」

「…………」

 

 しかし、最低限になるよう調整しているとはいえこの領域にこんな効果があるとは知らなかった。炎を出しておいて寒気ばかり感じていたから気付かなかったのだろうが、振り切って極端に寒くなっているから逆に分かりやすくなっているという事か。熱いんだか寒いんだかわかりにくいな。

 

「スタートワン」

「…………」

 

 自分の周囲の温度をある程度好きに出来るのはある種便利とも言える。ただ、かといって使えるのは自分だけな上に周囲に人を置けない、しかも最終的には冷える一択にしかならないので有用性は無いに等しいだろう。

 ホントに使い勝手が悪過ぎるなあ。他の子の領域もあくまでレースの中でしか使い道が無いものだけど、無駄に用途が拡張されている所為で何かしら別の事にも使えそうな雰囲気を出されるのも……、

 

「……スタートワン!」

「っ、はい、なんでしょう」

 

 大きな声に思わず肩が震える。急になんだと視線を上げると、トレーナーが真正面からこちらを見下ろしていた。

 どうしたのだろう?

 

「なんでしょうじゃねえ。今日はもう終わりだ」

「もう、ですか? まだ一回しか緩めて」

「それ以上解放してみろ。この一帯だけ雪景色になりかねねえぞ」

「雪景色って…そんな大袈裟な………」

 

 さっきのあれがあるからといっても流石に脚色が強過ぎる、と思ったのだが。

 私の周囲に霜が張った白い空間が出来ているのを見て言葉を飲む。

 

 視界の全てが、というところまでは行かない分まだ有情ではあるが。少なくとも今座っている所から手を伸ばしても届かない程度の距離まではしっかりと白く染まっている。触れれば間違いなく先の葉と同じ結果になる事だろう。

 彼の言葉を荒唐無稽と断ずるには、眼前のそれはあまりにも現実に即し過ぎていた。

 

「ここまで、ですか」

「集中するのは良いが、今後は集中し過ぎるなよ。マジでお前一人でここだけ冬になる」

「……いっそ冷蔵庫代わりにでも使う方が効率的かも知れないですね。買い物の時ちょっと楽になります」

「次言ったら張っ倒すぞ」

 

 仕方が無いので彼の視線を視界から外す。ちょっとくらい茶化しに乗ってくれないとこっちも困るんだけどなあ。

 

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