G1目指して頑張ります   作:あかし/さんさい

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初挑戦でしたが二度とやりたくないです(白目)


77 無敗神話/芝3000m 京都 右・外 曇り・稍重

『競い合う若き戦士達の最終章、クラシックレース最後の冠G1菊花賞。ギラギラと照り付ける太陽は今は姿を隠し、寒さ凍える雨もやはり止む中、重く静かな曇り空が京都レース場を包みます。これから起こるのは君臨か処刑か、あるいは革命か。ここまで足を運んだ観客も、世紀の一戦が始まる時を鋭い眼差しで待ち焦がれています』

『不安定な天候の中、バ場も稍重。ここから晴れとなるか雨となるか、それさえも分からない状況をどう走るのか、期待が広がります』

『ある者にとっては待ち続けた悲願の、またある者にとっては取るべき通過点として、この京都三千メートルの舞台にやってきた。クラシック三つの冠は揃うのか、奪い取られるのか。さあ全出走者がゲートへ向かいます』

 

 実況の煽りが場内に響く中、時間は刻一刻と迫る。

 

『二番人気スタートワンがゲートに収まる』

『前走があって尚現在全く未知数の状態。どんな結果を見せるのか』

『そして堂々の一番人気、現在無敗の二冠シンボリルドルフが最後にゲートに入った』

『圧倒的支持を得た皇帝の走りに期待が高まります』

『全出走者ゲートイン完了、出走の準備が整いました……!』

 

 放送席の声に力が入る。これから起こる事を前に、気合を入れているようだった。

 

 吐息さえ聞こえてしまうような緊張。

 ランプが光り、扉が開くその刹那。

 

「あは」

『EXECUTE→Don't Stop RUN』

 

 死神が銃を構える。今回は観客から悲鳴は上がらなかった。狭い範囲で発動したためだろう。しかしゲートに居たスタッフや出走者はそうはいかない。

 

『始まりました!』

 

 実況の声に合わせる様にゲートからウマ娘達が飛び出す。先陣を切り最内へ向かう赤い髪。それを追って次々に後ろへと並び――そして即座に距離を離し外へ膨らんだ。

 スタートワンを避けるという明確な動き。坂の途中、外に膨らむという無駄しかない行為を、それでも先頭を進む彼女以外の全員が、

 

『スタートワンを避ける様に動く出走者達! しかし一人だけ一切動きを変えず、真っすぐ後ろに付けた! シンボリルドルフだけがスタートワンの後を追う!』

 

 一人だけ、行わない。先頭に回り込む者達に反し、シンボリルドルフだけは初めから何も起こっていないかのように。目の前を走るスタートワンの真後ろにピタリと付く。やがて先頭が入れ替わり、最後尾に二人が取り残された。

 

 スタンドから観戦していたマルゼンスキーが思わず声を上げる。

 

「うそっ、ルドルフが追い込み……!」

「出来んのか!?」

「…アタシ含めて色々見てきてるから、不可能じゃないとは思うけど」

「だからって、ぶっつけ本番でするの!?」

 

 ミスターシービーも困惑を隠せない様子だが、その動きに対する興味か食い入るようにレースを見つめる。

 

「ありゃどんな策なのさ?」

「スタートワンの後ろを取るって事自体が策かもな」

「どういうこと?」

「追い込みで走る時、今までスタートワンより後ろを取るヤツは居なかった。意図的に後ろになるように走らない限りな」

「そりゃ、出来るとは思いますけど……なんでそんなことを?」

「……前に、出ないため……?」

「だろうな。スタートワンを風除けにして追い上げについていくつもりだ」

 

 シリウスシンボリの仮説があまりに理解不能な事は彼女自身も理解していた。確かに先行する者の影に入る事で空気抵抗を抑えれば体力の温存にはなるだろう。しかしそれをわざわざ最後方の者で行う必要性は無い。普段通り中団に留まれば事足りる。タイミングが間違えば共倒れになりかねないような危険な賭けだ。

 

「ルドルフは何を考えてるの……?」

 

 

 レースはそれでも進む。上り坂が終わり下りへ。ホームストレッチに入り、観客達の前をウマ娘達が通り過ぎる。

 

「あはは」

『EXECUTE→Don't Stop RUN』

 

 観客達から悲鳴が上がる。領域の範囲に入った所為だ。スタートワンの口に笑みが浮かんでいる。黒の眼球が目を剥き炎の暴威が瞬く間に観戦する者達の全てを包「何処を、見ている」

 

 髑髏の頭を現れた手が掴む。ぐるりと捩じり、伽藍洞の双眸が手の主へ向かう。

 

「君は私と走りに来たのだろう?」

 

 レース場に広がっていた領域が瞬間的に圧縮され、一人に向けられた。スタートワンの狙いが後方に向かう。

 

「あは」

『EXECUTE→Don't Stop RUN』

「ふふ、そうだ」

 

 誰よりも最後尾を走る少女には、自分にだけ向けられた銃口がまるで一緒に走ろうと差し出された手にでも見えるのだろうか。一瞬、スタートワンの笑みが薄れる。

 

「……あは」

『EXECUTE→Don't Stop RUN』

「以前より弱いな?」

 

 炎が雷にかき消される。笑みが更に消えた。

 

「あ……は」

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2』

「まだ薄い」

 

 銃口が捻りあげられ、髑髏が握り潰される。

 半開きの口が閉じられる。

 

「……は」

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2.5』

「ようやくそこか」

 

 炎が膨れ上がる事無く、火種が踏み消された。

 顔が僅かに後ろへ向かう。

 

 

『EXECUTE→Don't Stop R

「はは」

 

 乾いた笑いだ。見飽きたものにせめて建前として返すかのような世辞の音。

 その笑みに死神が歪み、弾ける。スタートワンの領域が、領域としての形を完全に失った。

 

 両者の視線が交差する。見開かれた黒と薄く弧を描く紫が重なる。

 

 二人が観客の前を通り過ぎるまでの間に起きた攻防。

 稲妻の迸る瞳に見つめられたまま、赤い髪が向こう正面へのコーナーに向かう。

 

 何が起こったのか分からない者達が今の光景を飲み込もうと口を開く。

 

「なに、今の」

「スタートワンの領域、途中で消えてたよね」

「強引に握り潰したって事?」

「出来るの? そんなこと」

「というか、なんで全員分を全部受けて涼しい顔出来るわけ?」

「――は」

 

 憶測が飛び交う中、今度はシリウスシンボリが食い入るように身を乗り出す。

 

「シリウス?」

「……見せやがった。マジで、アイツ……!」

 

 かけられた声も聞かず、睨む。

 それはシンボリルドルフが見せる事の無くなったもの。見せられないと隠したもの。

 その在り方は、前に立つ全てを等しく価値の無い物として薙ぐ。数多の戦意を刮ぎ落す腕の一振り。今その力が揮われた。

 

 眼下で起きた暴威の復活に、シリウスシンボリの手摺を掴む力が増す。今にもその場を飛び出しそうな程の気迫は、両脇のリトルココンとビターグラッセを怯ませた。

 

「……ごめんシリウス、圧出すのやめて」

「スタートワンさんの圧がようやく離れたばっかりなのに、立て続けで出されたら他の人に迷惑だよ」

「んな事より、どっちも今のレース、しっかり見ておけよ。私達のクラシックはこれ以上を求められるんだからな」

「……言われなくても見るけど…」

「これ以上、かあ」

 

 先頭、と言うよりも最早一丸となった集団がコーナーをようやく回りバックストレッチへ入った。領域の範囲が一人分となり、死神の炎から逃れた今もその全員が死に物狂いといった様子で足を運んでいる。

 一方。そこから10バ身以上離された後方の二人はコーナーに入ったばかりだ。何処かのろのろと、小競り合いのように互いの距離が近づいては離れている。

 

『先頭集団は向こう正面、今だスピードを落とさぬまま坂へ向け進んでいます。スタートワンとシンボリルドルフの二人が最後方で競り合い中、いまだ先頭を目指す気配無く潜んでいます』

『どちらも追い上げの能力は十分あるので終盤が近づいてからでも問題は無いでしょうが、ここまで距離があるとそれも確実とは言えません。果たして何時まで小競り合いを続けるのか』

 

 誰よりも遠く逃げられる先頭を争う集団と、大差の距離で領域の中心を直に浴びる二人。前と後ろで起こっている事の乖離は、実況にも何が起こっているのかを正確に判断させない不気味な状況だった。

 

『EXECUTE→Don't S

「遅い」

『EXECUTE→D

「脆い」

『EXEC

「鈍い」

『E

 

 言葉も無く薙ぎ払われる。発動すると同時に領域が強制的に無効化される。苛立ちか、スタートワンの目が吊り上がる。

 これまで任意を除いて発動を阻害される事が無かった故だろうか。現れては潰される髑髏は構成する炎を保つことさえ難しい有様だった。空間が暗くなっては、轟雷と共に周囲を照らされる。熱と爆音、冷気と光、そして衝撃波。存在しないが存在する矛盾の権化は範囲を絞られた残滓が四方に散らばり、前を行くウマ娘達の脳の中でのみ暴れ回る災害に変わる。彼女達が必死になって走り続ける原因は、ただ巻き込まれたくないが為と言っても良かった。

 

 半分を何とか越え、残る距離が1マイルを切った頃。限界を迎える先頭集団で、一人、また一人と速度が緩み始める。ペース配分の狂ったまま疾走し続けたために、団子状態が崩れ、少しずつ列が縦に伸びていく。

 

 後ろに下がれば二人に飛び込む事になる。それだけは避けようと速度を維持するには体力が無い。進退窮まった者達は、一縷の望みに賭け歯を食いしばった。

 

 

 

 直に、一人の走りが急激に活力を取り戻す。散らされた炎と雷を押し退け、光が開かれた。

 そしてその光が真後ろに並ぶ赤と紫に引き千切られ、少女が最後方へ変わる。

 

「あは」

「すまないな」

 

 追い抜かれる瞬間に聞こえた二つの声。

 それはこれから殿となる少女に理解を刻み付けた。

 

 私のクラシックはここで終わりだ。

 

 

 

 赤い死神と緑の皇帝が先頭を目指す。力尽き速度を落とす者を無情に追い抜き、領域によって抵抗する者を無惨に蹴散らし、残る者達にこれからの蹂躙を見せつけながら、しかしどちらも彼女達に正面から意識を向けていない。

 互いの瞳、互いの思考には、競り合える唯一の存在しか居ない。

 

 

 対の暴虐が三度出走者を追い越す。

 緑の勝負服で三つの星が輝いた。

 

『汝、皇帝の神威を見よ』

 

 王の間を紫電で満たしながらシンボリルドルフが先行する。

 

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth2.5』

 

 再び姿を現せた髑髏が嬉々として銃を構える。

 

 前を走るウマ娘の一人が稲光に包まれる。真横に居たもう一人は悲鳴を上げるよりも早く銃声に貫かれた。

 それぞれが速度を落とし後方に消えるより早く、炎と雷で出来た嵐が再び周囲を駆け回る。後ろで様子を見せられていた者達、そして二人を良く知る者達はそれがどういうことだったのかを理解させられていた。

 

「うーわ」

「……あの二人、余波で周りをビビらせてるのか」

「正しく流れ弾だな…、」

「どっちも一回も見せた事無いレベルの使い方じゃない?」

「使い方と言うかなにあれ、どうやったらあんな感じになるの?」

「わかんねえ」

 

 領域を知る者達、使いこなす者達でさえ手を挙げて説明を放棄する光景。今までの走りで見せていたものは何だったのかと言わんばかりの全力は何時までも底が見えない。領域を維持しながらの走りは既に五秒だ十秒だの段階を過ぎている。

 そこでミスターシービーが何かに気付いたといった様子であー、と何度も頷く。

 

「ルドルフあれ、スタートワンのダービーの真似してたんだね」

「瞬間的に使う奴でしょ? でもあれスタートワンだから出来る小技じゃん」

「…そもそも、シンボリルドルフさんの領域はもっと後半じゃないと使えませんよね?」

「……多分、発動条件で悪さしてるわね」

「どういうことだそれ?」

「使おうしても強制的に力が消える、だから強引に発動して強引に終了させてる」

「あー……? つまり?」

「領域が発動する瞬間の力だけでスタートワンを邪魔してたって事。体力温存にもなるし、最後方に付けたのは条件を発動しないようにする意図もあったんじゃないかな」

「バグ技の話してる?」

「というかそれ出来るの?」

「アタシは無理」

「出来たら苦労しないわよそんなの…」

「そもそもなんだ強制終了で相手の力も強制終了って」

 

 自分達の知る概念の外側の行為に説明した側さえ匙を投げる。

 シンボリルドルフが領域の出る瞬間発生する極めて微小な力でスタートワンの炎を搔き消していたという事は、体にかかる負担は当然、それを行使出来るだけの性能、相手がどのタイミングで発動しようかという判断、得た出力を僅かな減衰も無く相殺させる技量。そんな事を短時間に連続で成功させる能力があるという事。あくまで憶測ありきのものと言え、その仮説が出る事自体が論外の理論である。

 

 無条件に常時発動させ範囲も時間も自在に操る死神と、超人的な技術と能力への理解で神業を連続行使する皇帝。

 同じレースを走る者達に同情する事さえまだ足りない程の二人は、どちらが先頭に立とうともおかしくない喰らい合いを続けながらゴールへ向け加速する。

 

「見ろよ、残った二人も追い抜くぞ」

「まだ坂登り始めじゃん。大差でレコード勝ちでもするつもりなのあの二人は」

「そもそも坂で加速するってシービーじゃないんだから」

「途中まで体力温存してたとしてもわけわかんない速度出してんな」

「……スワちゃん、体大丈夫かな……」

 

 その呟きに、ふと言葉が止まる。

 パドックで見せた姿さえ忘れてしまう程の暴れ様だったが、菊花賞は長距離。コンディションも最悪の状態であの加速は、何時限界を迎えてもおかしくはない。完走出来たとしてもその後どうなるか分からない程の激走。坂を駆け上がる赤い髪が振り乱れ、不規則な炎の揺らめきを思わせる。

 

 

 坂の頂点へ近付いていく。残る距離が1000を切る。

 二人の勢いは止まらない。流石に息を荒くしつつはあったが、それでも尚一切の減速が無い。ぶつかり合う領域は互いに打ち消し合いながらも、止まる事無く溢れ続けている。

 

 何時までも終わらない攻防の中、スタートワンが呻く。

 

「あは……

「!」

 

 呼応するように死神の動きが止まる。無防備なその体に雷が突き刺さり半身を消し飛ばされながらも、しかし今度は消えない。

 領域を維持しながらも警戒するシンボリルドルフの眼前にて。

 

「……

 

 スタートワンの身が炎に包まれ、その体が焼け落ちる。

 焼け落ちたのは幻覚だ。見えなくなっただけであり、走っている事は間違いない。

 だがシンボリルドルフの視界からは見えなくなった。本来ならば脳の中で処理される映像が、視界にさえ写り込み始める。

 

 同じものを見ていた者達も咄嗟にターフビジョンへ目を向ける。

 坂を上る二人の姿は確かに映っている。スタートワンの姿も見えるが、顔が俯いている上乱れた髪ではっきりとその輪郭が分からない。実物の彼女に目を向ければ、そこにあるのは煌々と光る火達磨だけだ。

 

「な、なんかやばい感じじゃない?」

「なんであんな燃えてんの!?」

「おいおいおい……! どうすんだよこれ……!」

「……スワちゃん……」

 

 視覚情報としてスタートワンは燃えている。それはあくまで見える状態としてであり、カメラを通したその姿は一切変化が無い。怪我も事故も起こっていない以上、無理に止める事は出来ない。

 それ以前に、領域は視覚に影響を与えるような事は本来出来ない。あくまで存在しない現象だ。

 

 今目の前で起こっている事は今までの常識を完全に破壊していた。

 赤々と輝く大きな人型が並んでいたシンボリルドルフより先行し、そして更に前を逃げる二人を押し退けて先頭に出た。

 

 

 瞬間。膨らんだ赤から人間の物ではない足が突き出ると地を踏み抜いた。

 

 

「――――――!!!」

「なんではしってるんだっけ」

 

 

 

 

“歪な力で引き千切られていく激痛が、焦げた身に更なる絶叫を求める。繊維の断たれる音が耳へ、脳へこびりつく。

激痛に四肢は動かす事も出来ず、のたうち回る事すら出来ず、逃げる事も出来ない。

 

出来る事は、ただ痛みに耐えながら命尽きる瞬間を待ち続ける事のみ。

何故だ。何故だ。何故だ。尽きる前に出てくるのは何時までも尽きぬ数多の疑問。感情。

恨み。

 

ああそうだ。

出来る事は無い。だが出来る事があった。

今目に見えるその全てを呪おう。

嘲笑い、憐れむその声が、次に我が身と並ぶ事を祝おう。

 

 

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth4』

 

 

分からないか? お前に言っているんだよ

 

 

 

 

 

 人が発したと思えぬ咆哮が響き、火柱が収束する。四つの足、長い胴体、太い首と風を切るのに適した長い頭。辛うじて分かるのはウマ娘に似た耳と尾がある事。そこに在るのは凡そスタートワンからかけ離れた獣の形だった。

 

 予想だにしない姿、全く同時のタイミングに領域が不意を打つ。完全に虚を突かれたシンボリルドルフの足が僅かに緩んだ。

 赤く燃え上がる異形は、その好機を逃さずけたたましい叫びと共に坂を上り切った。そして直ぐ様に下り目掛け前進する。

 

 

『なんだこれは?! 何が起こっているのでしょうか、スタートワンの姿が我々からは見えません! 映像に移るスタートワンの姿と我々から見る彼女の姿が全く違っている! どうなっているんだ!?』

『放送を見ている皆さんには何が起きているか分からないでしょうが、我々もうまく説明が出来ません……! 先頭を行くスタートワンは今スタートワンの姿をしていないとしか…!』

『赤く燃えるスタートワンが坂を下り始めた! シンボリルドルフが追走する! 四つの足で大地を踏みしめるその速度はウマ娘にも劣らない! 後続を引き離しにかかっている!』

 

 ウマ娘だけが認識し、思考の中でのみ知覚出来る幻覚(領域)

 

 今ここに集まった全ての人間の目に、脳の外側へ現れる四つ足。それはもう領域では無かった。

 シンボリルドルフの倍はあろうかという巨躯。大きく赤い炎はうねりながらその身を形作り、灼熱の弾丸と化してコーナーを曲がっていく。

 追う最中、シンボリルドルフは見た。うねりの中に存在する人工的な装具。欠けた左耳。その奥に居る、まるで同じ体勢を取ろうとするような、バランスを崩していなければおかしい前傾姿勢で加速する本来の少女の姿。炎に支えられるようにして走るその姿は、その炎さえ間違いなくスタートワン自身である事を示していた。

 

 そして聞いた。呻き。

 

「おのれ」

 

 聞き覚えのある少女の声では無かった。

 

 

 

 観客達は叫ぶ。ただでさえ序盤から見たことも無い展開を見せられていた中での唐突な異形の生物。どこもかしこも恐怖の声が上がっている。

 

「何あれ何あれ何あれ!?!?」

「見たこと無い変なのになったのあれ何!!?」

「知るか! というかちょっと落ち着け!」

「……なんか、寒い……」

「はあっ…スワちゃんを見てると、体が震えてくる……」

「…アタシも、寒くなってきた……」

「なんかヤベエぞおい……!」

「どうすんのこれ、このままスタートワンが勝つの不味いんじゃない!?」

 

 放たれた言葉は聞こえた者達に更なる混乱を生み出す。このままこの怪物を勝たせていいのか? その勝利は与えてはならないものでは? 致命的な結果となるのではないか?

 未知の恐怖が全てを巻き込む波となる中、しかしレースを中断することは出来ない。今のあれを止める事が出来る者が居ないからだ。巨大な炎の塊の前に出れば、そこに残るのは物言わぬ肉の塊のみ。

 加速する赤い死神に勝つ者が居なければ。

 

 

 

 シンボリルドルフだ。そう呟く声が次に上がる。

 

「シンボリルドルフが勝てば、あれはきっと消える」

 

 そうだ。と同意の声も上がる。

 

「今までだって勝ったんだ。皇帝はきっと死神に勝つ」

 

 賛同の声が大きく広がる。

 

「頑張れシンボリルドルフ!」

「死神なんか倒しちゃえ!」

「お前なら絶対勝てる!」

 

 それは歓声となり、場内に響き渡る。

 彼らが見たいのは、皇帝に討ち取られた死神が倒れ伏すその瞬間のみ。

 

 

 

 

 随分と簡単にせがむ。そうシンボリルドルフは心の裡で毒づいた。普段ならば何も思わないように努めるその声も、今の状況と全力による余裕の減少で思考に乱れを生む。

 開けられた距離は1バ身。しかしこのままでは更に距離を離されるだろう。シンボリルドルフが既に限界寸前で走っているのに対し、スタートワンのそれが限界を優に超えた力である事は明白だ。間違い無く、走り切った後に現れる反動を度外視している。

 その反動がどれほどのものになるかは分からない。皐月賞のあとと同じならば僥倖、暫くの休養でさえ御の字。

 

 ついに出てきた。そんな言葉さえ浮かぶ。

 あれはこの走りで全てを捨てる――全てを捨てさせる為のものだ。

 

「「おのれ」」「まけるのこわいなぁ」

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth4』

 

 

 『汝、皇帝の神威を見よ』をもってして尚追いつかないのは、その出力が三つのレースのものを越えているからだ。伝わってくる圧がこれまでのものさえ児戯に思える濃密さ。夏に聞いた調整の範囲を逸脱し、締め上げられた枷を全て振り解いている事は明白だ。

 間近を走るシンボリルドルフだからこそ聞こえる声。

 それは一人の口では発せない無限の怨嗟だ。

 

「「「おのれ」」」「かったらまたはしらないといけないのかなぁ」

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth4』

 

 

 少女の口は動いていない。異形の口に当たるだろう部分も動いていない。しかし両者から漏れ出てくる恨み。少女の声でも、異形の声とも思えないそれは、あらゆる人間の声を重ね合わせていた。見えぬその顔の上に、何十、何百という顔が貼り付いているようであった。老若男女、何もかもが混ざり合う。三女神が与えたというそれは、当てられるだけで吐き気を覚えるような悍ましさを何時までも吐き出している。彼女は、これをずっと溜め込んでいたのだろうか。

 

 尽きぬ激情に動かされ、赤い炎は止まらない。それは少女の体を二度と戻らない程に粉々にして尚消える事は無いだろう。

 

 

おのれ

「どうすればいいの? さんめがみさま」

『EXECUTE→Don't Stop RUN:Depth4』

 

 

 菊花賞を勝つには、この溢れ返る声に克たねばならない。

 

 

 

 

 最終直線が見えてきた。残る猶予はもう無い。

 打てる手もほぼ無い。

 

 残るのは彼女と同じく更に限界を超える事と、もう一つ。

 弓矢を手に取るように、紫電が指先に走る幻覚が見える。驚きに足が止まった事は悪手だったが、幸運もあった。終盤に入るタイミングで、後ろを追い抜いた瞬間だった事が良かった。

 

 条件は満たされた。

 東京優駿に続く、再びの領域同時使用。虚を突かれたのなら、虚を突き返せばいい。あとはほんの1ミリでも前に出れば天秤は傾く。勝機を掴む方法としては最良と言える。

 

 しかし今放とうともあれには通じない。前に進む事、勝ち、全てを呪う事のみを目指すあれは射られた矢を燃やし尽くす炎を纏っている。

 効果があるのは、何か大きな動揺が起きた時。炎の鎧に穴が開く程の衝撃が与えられた時だけだ。そんな勝機がこの短い間に発生する奇跡を祈るしかない。

 

 

 

「――っ、はは……なんと、度し難い!!」

 

 それでも尚、シンボリルドルフの口から笑みは消えない。

 全てを薙ぐ怪物が初めて挑む、荒唐無稽の怪物退治。

 

 己すらも捧げた友の走り。勝とうが負けようが、次があれば奇跡となる。

 手段を選ばぬ渾身をもって応えるのは餞でもあり、約束でもあった。

 

 

 

 

 残る距離は600メートル。スタンドも近付く。

 矢を射る隙は今も無い。距離を詰めなければならない。

 

『残り三ハロン! 圧倒的大差! これまでのクラシック戦線で見たことも無い程の距離が開かれているぞ! スタートワンとシンボリルドルフの二人による頂上決戦に決着がつこうとしています!』

「頑張れルドルフ!」

「死神負けろーっ!」

「三冠取れ!」

「あとちょっとしかないぞ!」

 

 半バ身まで詰める。これ程に声援が煩わしいと思おうとは。集中を乱され、矢を持つ手がぶれる。今のスタートワンを止めるには勝つしかない。しかし勝つ為には矢を射なければ。

 

「ルドルフ!」

「やべえぞ、負けちまう!?」

「スワちゃんっ!」

「スタートワン! もう止まれ!」

 

 400メートル。

 学友達の声も聞こえてきた。観客と比べ、明らかな異常をある程度把握しているらしい。しかしそれも今は集中を邪魔する。距離が縮まらない。

 

「スタートワン!」

「ルドルフ!」

 

 200メートル。

 微かな声が聞こえる。トレーナー達も叫んだのか。僅かに手のぶれが収まる。だがもうぎりぎりだ。

 

 猶予はない。弓を構え、矢を番え――

 

「「ほしねええええええっ!!!!」」

 

 甲高く裏返った幼い声。

 たった二人から発せられた。しかし確かにその声が届く。

 届いたその声が、炎の中にある少女の耳を揺らす。

 

「―――――――――……

 

 姿勢が崩れ、四つ足が精彩を欠く。一歩、二歩と踏み出すほどに動きは激しくなり、形が歪む。大きく首が上下する。

 

「――――わ、た、

 

 噴き出る炎が、一瞬途切れる。

 首の内に、見えた。赤と黒が掠れ灰色の目が揺らぐ。

 

 

 今が、その時。

 

『汝、皇帝の神威を見よ』

『翳り退く、さざめきの矢』

 

「我が弓にて厄を――ッ、打ち払わんッ!!」

 

 迸る雷の矢が手から放れ、スタートワンが気付くより早く異形の首元に抉り込む。瞬きの間に炎を穿ち、首から上が吹き飛んだ。

 

 頭を失った炎が狂ったように足を乱し、一瞬膨れ上がったその身が弾ける。

 中にいた少女が呆然とした顔で正面を向いた。足を出そうとして、弱く踏み込む。

 

 その真横を、緑の勝負服が走り抜けた。

 

 

 

 ゴールは目と鼻の先にある。それに気付いた少女から炎が再び漏れた。

 しかし、その量はほんの僅か。異形を生み出すどころか全てを脅かした炎の熱さえ生み出せず、血のように火の粉が滴った。掴める距離にある栄光に伸ばした手が空を切る。

 それでも頼りない足取りで、藻掻き、這い、縋り。

 

 

『大輪の花が薄曇りの京都レース場に大きく咲いた! 死神を下し、シンボリルドルフがクラシック三冠を達成しました! 御覧の皆さん! 今日ここに、二年連続にして無敗の三冠ウマ娘が誕生しました!』

 

 菊花賞が終わった。

 




予定より内容がホラーじみた感じになりましたが、まあこれはこれでヨシ!
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順風満帆とまではいかないが、普通の人生▼死んだ覚えも死に瀕した覚えもないが、何の因果かウマ娘世界に転生し、▼ウマ娘になってしまった▼ 「ウマ娘を育てる自信がない」▼しかし生まれて間もなく、そんな理不尽な理由で捨てられて孤児院育ち▼ご多分の例に漏れず貧乏な暮らし▼幼いながらもウマ娘としてのパワーは健在で、▼慢性人手不足の施設には重宝がられる▼小学校卒業に当たり…


総合評価:20741/評価:8.53/完結:122話/更新日時:2024年06月22日(土) 00:00 小説情報

貴方の強さは私が知っている。(作者:魔女っ子アルト姫)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

目が覚めたら貴方は……ウマ娘になっていた!!▼何が何だから分からないけど、頼りになる友達の力を借りながら前向きに生きて行こう!!▼RPG-7様より、ランページのAI作成イラストを頂きました。▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼


総合評価:11526/評価:8.17/連載:659話/更新日時:2026年07月11日(土) 04:30 小説情報


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