竜骨の町でひとり機竜を動かすミチカに、貴竜の少女スーが話しかけた。

空島に住む貴竜と、竜骨が出なくなりかけた町の少女の出会いが、人竜社会に衝撃を与える。


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こちらの第二回小説闇鍋企画(https://ncode.syosetu.com/n0607hv/)に投稿した作品を、主催者様の許可のもと転載し加筆しました。


竜骨の町の機竜、竜星を臨みて翔る

 

 

 

 夜天の輝きは全て竜。

 あの光の群れのどこかに、スーがいる。

 

 魔物に襲われ、感覚神経を共有した愛機である機竜が破壊される中、ミチカは場違いな呑気さで夜空を見上げた。

 

 今日は祖竜記念祭。全ての貴竜が高高度を竜体で飛ぶ。

 天を飛ぶ竜は地上に降りられない。

 人竜条約があるから。竜気が地上を汚すから。

 

 いくらスーでも。

 たとえミチカが死にそうでも。

 

 契約が切れた土地に、竜は降りてこない。

 

 

 竜の血を固めて出来たペンダントが、ミチカの首元で揺れた。

 

 

 

*******

 

 

 スーと出会ったのは、13歳の誕生日を迎えたばかりの頃だった。

 

 竜骨を主産業とする町の外れ、忘れられた倉庫でミチカが機竜を調整していたとき、彼女はやって来た。

 

「これ、もしかして機竜ですかっ!?」

 

 ミチカは生まれて初めて、貴竜を見た。

 

 人形のように整いすぎた貌。

 白金色の長いく美しい髪。

 右が黄金で左が銀灰の色をした瞳。

 

 そして、柳のような優美な細腕に付けられた、4つの輪具(りんぐ)。

 

 ひどい癖っ毛の黒髪をしたミチカより頭ひとつ小さい、同年代に見える貴竜の少女が、爛々と異色の双眸を輝かせる。

 鈴を鳴らすようなきれいな声が、埃の舞う寂れた空き倉庫に木霊した。

 

「……そうだけど」

 

 不意に間近へ迫ってきた少女にミチカは戸惑いを隠せなかった。

 竜気を抑制する輪具を4つも付けているというのに、それでもなお密度の高い純粋な力を宿していることがミチカには分かった。

 

 町の工場に出向している平竜とは、その気配も存在感も何もかもが明らかに異なる。

 紛うことなき貴竜だった。

 

「すごいすごいっ! 本物の機竜を初めて見ました! 格好いいですねっ!」

 

 嗅いだことのない芳しい香りを爽やかに撒きながら、貴竜の少女は目の前に佇立する機竜を見上げては、快活にはしゃいだ声を上げた。

 

「………そりゃ、そうさ。坑道の魔物を退治できるように、ご先祖様が作ったんだから」

 

 貴竜の少女の惜しみない称賛に、ミチカは表情が綻びそうになるのを我慢して、ややぶっきらぼうに応える。

 この機竜に喜びの声を上げる者と、初めて出会った。

 

「競技用の機竜とは違う。重装甲と大出力推進器を備えた、実戦用の機竜だよ。どの竜骨の町にも必ずあった、本物の機竜だ」

 

 ミチカはウェーブの強い癖毛の黒髪を掻き上げながら、自分より頭ひとつ小柄な少女の横に立って解説した。

 ……誰かに愛機を紹介する、という突然の出来事に鼓動が強くなった。

 

「機竜の敵は機竜じゃない。攻撃されても耐えられる頑丈さとエネルギー量が必要だから、大量の竜骨がいる。燃料ももちろん竜骨油。だから竜骨の町でしか作れない」

「機竜が相手にするのは、坑道の魔物であるヌヅチですからね」

 

 白金色の髪を尻尾のように弾ませ揺らせ、少女はるんるんっという足取りで踊るようにミチカの機竜をつぶさに見回した。その表情と瞳には、町の人間がミチカに向けるような、大人びた諦めの笑みはなかった。

 純粋に、ミチカの機竜に目を輝かせていた。

 

 そして、その人の姿をした白い顔をふっと綻ばせ、

 

「きれいですねぇ」

 

 少女は柔らかく微笑んだ。

 その横顔に見蕩れたことを、ミチカは生涯忘れなかった。

 

「きみは……シャディミール卿のお身内なのか?」

 

 その日は契約領主であるシャディミール侯爵が、町長である祖父を訪問していた。そうでなければ空島に住む貴竜が現れたりはしない。

 

「申し訳ありません! 名乗るのを失念しておりました、ご無礼をどうかお許し下さい!」

 

 少女は双つの繊手で慌てて口を覆いながら謝罪する。

 そしてゆるやかに、完璧な挨拶で微笑みながら、ミチカを見上げた。

 

「シャディミール侯爵にしてサムン男爵ソリスの嫡子、シャディミール伯爵にしてロンデルン及びガルー子爵スッターラと申します」

 

 流れるように爵位を口にする貴竜の少女は、飾りのない眩しさで無邪気に笑った。

 

「スーとお呼び下さい、ミチカさん」

 

 

 

 

 それが、ミチカとスーの出会いだった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 

 

 スーは機竜が好きだった。

 

 貴竜はある年齢に達すると武闘会に参加し、自作の機竜を用いて戦い格付けを行う。

 その格付けで父親から嫡子氏名を受け、爵位の継承を目指す。

 爵位のない貴竜は平竜となるので、誰もが血眼で必死になって機竜を作り武闘会に臨む、とミチカは祖父から聞いていた。

 

 が、そんな殺伐とした気配は、スーには皆無だった。

 

「操竜紐! 竜の毛で出来た本物の操竜紐だ! 何本も伸ばして操り人形みたいで格好いいです!」

「ちゃんと四足歩行と二足歩行を切り替えられるんですね! 格闘も移動も出来てすごいです!」

「口の中は粒子砲ですか!? 大出力で殺意が高いです!」

 

 金銀の瞳を輝かせ、プラチナの髪を尻尾のように振りながら、スーはミチカの機竜にはしゃいでいた。

 

 「格好いいですミチカさん!」

 

 こそばゆい思いを抱きながら、ミチカはスーが喜ぶよう、機竜を操った。

 四本足と長い尻尾、一対の翼を持つ機竜が、初めて生き生きと動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャディミール卿にお世継ぎがいたとは知らなかった……侯爵は、まだお祖父様と話されてるのかな」

「はい。嫡子指名の挨拶を。ギターを聞かせて頂きました」

「こんな町外れのところに、よくひとりで来たな。来るまで大丈夫だった?」

「……はい、大丈夫です」

 

 そのミチカの言葉に一瞬だけ、スーは息を呑む。

 そして、

 

「ご心配、ありがとうございます」

 

 綻んだ花のように破顔し、一礼した。

 眩しい笑顔だった。

 ミチカはどきりと脈打った。暗い倉庫に物理的な光源が生まれたかのようだった。

 

「……あぁ、うぅ…」

 

 そんな輝きそのものだったスーの表情が、にわかに曇る。

 

「なに?」

 

 ミチカは訝しみ、やや身を屈めて視線をスーと同じ高さにする。

 スーは遠慮がちに目を逸らし、

 

「ミチカさんの機竜をもっと見たいのですが、そろそろお父様が帰られる頃合いです……もっと見たいのですが」

 

 寂しさを詰め込んだ声と表情に、ミチカは思わずスーへ手を伸ばした。

 

「私は別に、きみが遊びに来たければ、いつでも来ていい」

 

 スーの白金色の髪を撫で、その滑らかな触り心地に驚きながら、ミチカはスーを真っ直ぐ見て言った。

 

「きみの都合のいいときに来れば、いつでも私の機竜を見せてあげる」

「………ミチカさん」

 

 

 その時の、曇っていたスーの表情が輝きに溢れた光景を、ミチカは今でも憶えていた。

 

 そうして、スーはミチカの町に遊びに来るようになった。

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 スーは頻繁に遊びに来た。

 

 最初は月に一度程度だったのが、半月に一度、週に一度、そしてついに2,3日に一度になった。

 人竜条約は竜が地上に軽々しく赴くことを禁じているが、契約領は例外だった。その緩さに目を付け、スーは平竜に混じってロムの町へやってきていた。

 

「嫡子の伯爵がこんなにしょっちゅう来て大丈夫なのか?」

「武闘会への準備はきちんとこなしてます。お休みの日にミチカさんのところへお邪魔してますから、ご心配いりません」

「日帰りだろう? シャディミールの空島からはそれなりに時間が掛かるというけど、折角の休みを、良いのか?」

「良いのです! 皆さん良くして下さいますし」

 

 スーは朗らかそのものの表情で微笑んだ。

 その輝きが、ミチカは好きだった。

 そして町の人々にも、スーは好かれていた。

 

「この町の方々は、竜に親切ですね。町を歩くと沢山お土産を頂きました」

「契約領だからな。シャディミール卿は特に熱心に竜骨を買い取ったり、坑道の整備してくれたりしたとお祖父様が言ってた。工場とかは人も竜も仲良しだよ」

「良い町ですね」

 

 にこにことスーは笑った。

 輝くような笑顔だった。他の竜とは違う。

 

 ……この輝きで、町を覆う暗い影を払って欲しいと人々が願っていたことを、スーは知っていたのだろうか。ミチカはずっと考えていた。

 

 

 

 ―――――ミチカが住むロムの町は、竜骨の産出量の激減に悩まされていた。

 

 

 竜骨から精製された竜骨油は、あらゆる機械の燃料となっている。

 が、ロムの町が出来る以前から尽きること無く掘り続けられた竜骨は、ある時を境にどの坑道でも目に見えて減っていった。

 新しい坑道を掘っても見付からず、必要量を下回る日々が続いていた。

 調査に来た竜たちも、原因が分からなかった。

 

『竜骨は竜祖(りゅうそ)の骨、竜祖の恵み。掘り尽くすことなどあり得ない』

 

 そしてこの竜骨の減少はロムの町だけでなく、各地域の契約領で起きていた。

 人と竜の契約は、竜骨によって支えられていた。

 竜骨は人にしか探せない。

 竜は人が掘った竜骨を買い取り、精製し、それを人間社会の様々な分野へ利用する。

 

 

 竜骨がある限り、人と竜は対等の契約を結ぶことが出来た。

 

 

 それが竜祖の恵みだった。

 

 

 

 そのはず、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 空き倉庫で機竜を調整していると、スーが尋ねた。

 

「ミチカさん、ミチカさん、伺っても良いですか?」

「なに?」

「翼は、動かせないのですか?」

 

 ずきり、とミチカの心が裂ける音がした。

 表情には出さなかったはずだが、竜の眸は誤魔化せなかった。スーは慌てて小さな手を振り、

 

「すみません! 事情も分からないのに軽率でした!」

 

 尻尾のような白金色の髪を不安げに揺らしながら、スーはミチカを見上げた。

 その狼狽ぶりに、ミチカは心の痛みが和らいだ。ふっと笑い、スーの頭を撫でた。

 

「大丈夫。確かに動かせないけど、大した理由じゃない。きみが気にすることでもないし」

 

 ミチカはスーの白金色の頭をゆっくり撫でた。スーはほっとした顔をし、そのまま気持ちよさそうな表情を浮かべた。スーはミチカに撫でられるのが好きだった。

 

「翼の機能は問題ない。単純に……燃料が足らないんだ」

 

 ミチカは歯がゆい思いと共に答えた。

 

「飛ぶにはエネルギーが足らなすぎる」

 

 機竜を繋いでいる調整台の計器類に視線を移すと、エネルギー計は最低必要量をぎりぎり越えた量しか示していない。

 

「本当は竜骨油を燃やしたエネルギーを機竜の竜骨に貯める。けど、今じゃ竜骨は貴重だ。この子に入ってる分は、倉庫に少しだけ残っていた古い竜骨油を全部使った。なけなしなのさ、これでも」

 

 ミチカはぎゅっと拳を握り、頭を振って言った。

 

「竜骨の町の機竜が、竜骨がなくて飛べないんだ……」

 

 だから大人達は、機竜を動かすな、と言った。

 町の現状が浮き彫りになるから。

 何百年と続いた誇りある竜骨の町の情けなさを、いやでも思い知るから。

 

 ミチカは大人達の気持ちが分かった。それでも機竜を動かしたかった。

 大人達もミチカの気持ちを理解していた。だから組み立てを手伝ったり助言を与えたり、何よりもスーをミチカのところに寄越した。

 

 

 そんな事情を、スーには見せたくなかった。

 

 ただただ純粋に機竜が好きなスーには。

 

 

「………機能は問題ないのですね?」

 

 ミチカの事情を聞いたスーは、静かに尋ねた。ミチカは頷く。

 するとスーは、そっと白い指を機竜に向けた。

 

 プラチナ色の髪が、するするとひとりでに宙を舞う。

 そしてそのうちの数房が、操竜紐を思わせる動きで機竜へ殺到した。長く伸長したスーの髪が機竜に接続する。

 

 スーの躰が、うっすらと淡く輝いた。

 

「スー…?」

 

 ミチカは肌に熱を感じた。スーの輝きには力、エネルギーがあった。皮膚で感じるほどの。

 

 その輝きこそが竜気だった。

 

 髪の毛を通じてスーの輝きを受け取った機竜のエネルギー残量が、みるみるうちに充填されていく。

 最低エネルギー量へ達するのに使った竜骨油の量を思い出し、ミチカは息を呑んだ。

 

「すごい……」

 

 貯蓄可能なエネルギー量の80%を突破したところで、スーは髪の毛を機竜から抜き去る。

 そして膨大なエネルギーをひとりで発散したとは思えない軽やかな笑顔で、

 

「飛べますよ、ミチカさん」

 

「―――……」

 

 ミチカがずっと願っていたことを、スーは爽やかに言った。

 

 心臓が強く強く、脈打った。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 操竜紐で機竜に接続したときの充実さは、今までとは何もかもが違った。

 尻尾の先から爪先まで、力と熱が行き渡っている。ミチカ本人とは比較にならない巨体が、とても軽い。存在感が違う。

 これが本来の機竜だった。

 

「両翼、展開」

 

 大きな翼を、ミチカは広げる。

 人間にはない器官。ミチカは機竜になった。

 

「エネルギーを翼に供給」

 

 機竜の主骨格から両翼へ力を送る。翼が淡く輝く。

 

「飛翔回路、起動開始。起動を確認。必要エネルギー量の充填を確認」

 

 翼が熱を持つ。

 翼膜に埋め込まれた飛翔用の器官が次々に目覚め、主骨格からもたらされたエネルギーを貪り始める。手足を動かすときとは比べものにならない消費量。それでも残量には充分な余裕があった。

 

「飛翔準備、完了」

 

 力と熱を隅々まで行き渡らせた翼が、早く早くと促す。そんな感覚は今までなかった。

 ミチカは機竜の瞳で、床から見上げるスーを見た。

 スーも機竜を見詰めた。微笑んでいた。

 ミチカは頷く。

 

 

「――――――飛翔」

 

 

 暴風が、爆ぜた。

 

 大きな翼膜から放たれたエネルギーが機竜の体を、まるで見えない巨人の足で蹴り上げられたかのように瞬間的に大加速させた。ほぼ真上へ。

 轟音が鳴り響き、倉庫の天井を易々と機竜が突き破る。巻き上がった風と破片がミチカ本体とスーを襲った。スーがミチカの腕を横抱きする。それだけで何も彼女らを傷つけられない。

 機竜となったミチカはそのことに気付く余裕がなかった。

 

 ミチカは、空を舞っていたから。

 

「………」

 

 視界が、世界が広かった。

 

 遠くまで続く険しい山々、

 麓に広がる川と道路、

 家々の灯り、

 ロムの町。

 

 それらが眼下にあった。

 蒼い空と白い雲は、手が届きそうなところにある。

 

 ミチカは天と地の狭間にいた。

 

 ミチカは、飛んでいた。

 

「………」

 

 これが竜の景色。

 機竜の世界。

 

 ミチカは泣いた。

 

 目に入るもの全ての美しさと、美しすぎるがゆえに誰にも伝えられない自分の非力さに。

 ミチカひとりしか、そこはいない。

 

 が、

 

「きれいですね!」

 

 すぐ横で、鈴のように涼やかで軽やかな声がした。

 ミチカは見た。

 

 白金色の長い髪を羽のように横に広げ、人の姿のまま、当然のように宙を舞って機竜に並走するスーの姿を。

 

 スーはにっこりと笑った。あの爽やかで朗らかな表情で。

 

「一緒に飛ぶのって楽しいですね、ミチカさん!」

 

 無邪気にスーは笑った。

 機竜は笑えなかった。ミチカは初めて先祖を恨んだ。

 地上に戻ったら、スーの頭をたくさん撫でていっぱい抱きしめようとミチカは決めた(そして実際その通りにした。スーは悲鳴を上げて喜んだ)

 

 

 

 機竜と貴竜が飛んだ光景を、町の全ての人が見上げた。

 ミチカとスーは何度も上空を飛んだ。

 町からは歓声が上がった。

 町の人も、工場の竜も。

 誰しもがミチカとスーを祝福した。

 

 町にかかった暗雲を、しばしの間でも忘れられる日だった。

 

 

 そんな日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでもなお、竜骨の枯渇は止められなかった。

 

 

 

 

 

 ほどなくして、ロムの町とシャディミール侯爵との契約は、打ち切られた。

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 契約領は竜骨がある限り有効だった。

 

 竜骨が尽きることはない。そのため、人と竜の契約が打ち切られることはあり得なかった。人も竜もそう思っていた。

 契約を延長するだけの竜骨を、ロムの町は用意できなかった。

 

 

 

 

 契約解消の儀式は、ロムの町で行われた。

 

 工場で働き続けた平竜たちも、領主であるシャディミール侯爵も、嫡子であるスーもいた。ロムの人々も、会場に入れるだけ入った。

 ミチカは父母の隣で、竜達の最後の姿を見ていた。

 人の姿だった。輪具をつけていた。平竜は1つ、シャディミール侯爵が3つ、スーは5つに増えていた。

 竜たちは皆、哀しみを堪えた顔をしていた。泣いている竜もいた。スーも見捨てられた犬のような顔をしていた。

 町の人々も同じ表情と気持ちだった。

 この場の誰もが、関係を終わらせることを望んでいない。

 それでも、終わってしまう。

 

「………」

 

 ミチカは祖父を見た。

 厳めしい祖父の目元から、一筋の涙がこぼれたのを。

 

 

 

 

『竜骨は人にしか見付けられない。人が竜と対等の関係を築けるのは、竜骨があるからだ。竜祖の恵みだ』

 

 かつて祖父はミチカに言った。

 

『竜は強大だ。竜体のまま竜気を放てばそれだけで人は灼け死ぬ。竜気で地上が汚染されることもある。人と竜が近くなりすぎ、その危うさをお互いに忘れ、竜気で侵された土地が増えた。そういったことを防ぐため竜祖が輪具を作ったというのに』

 

 祖父は言った。

 

『だから、人竜条約が出来た。人と竜の間に距離を設けた』

 

 祖父は溜息をつき、嘆いた。

 

『もう気ままに竜が人のもとへ遊びに来ることはない、契約領以外では。ソリスが…シャディミール侯爵が、竜骨を必死で求めているのはそういうことだ。もし竜骨がなくなったら……』

 

 祖父は言った。

 

『あいつに俺のギターを聞かせてやることは、もうできない』

 

 

 

 

 こうして。

 ロムの町は契約領から自治体になった。竜骨の代替となる主産業がないまま。

 火が消えたように、町は活気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 ロムの廃坑に魔物ヌヅチが現れたのは、ミチカが15歳の誕生日を目前に控えたときだった。

 

 

 

 

*******

 

 

 

 その日は、星よりも多くの竜星が天に瞬く夜だった。

 

 

 遙かな高高度、空島よりもさらにさらに高い空を、竜たちが本来の姿で地の果てから果てまでを飛ぶ。

 公爵から男爵までの全ての貴竜と、従属する平竜たちが列をなす。川のように。夜が明けるまで飛び続ける。

 

 竜祖記念祭。

 

 竜祖が一年に一度、この日この夜に飛べと命じて出来た行事。

 なぜその日なのか竜祖は語らなかった。

 

 地上の人々は夜空を見上げ、竜星を仰ぎ、竜の本来の姿に思いを馳せる。

 

 

 

 

 

 

 

 ミチカは役場の仕事を終え、日が暮れた後の空き倉庫で機竜を調整していた。

 

 契約が打ち切られて以来、機竜が空を飛ぶことはなかった。

 それでもミチカは一日の終わりに、機竜に触れて過ごした。

 

 スーと共に空を飛んだ機竜は、様々な武装が施されていた。

 同じような空き倉庫をスーと共に探検し、見付けたものだ。

 スーと一緒に探し、スーと一緒に組み立てた。

 

 スーとの思い出が、機竜にはあった。

 

「………」

 

 幼い子供のように泣きじゃくった顔が、ミチカの見たスーの最後だった。

 首にかけたペンダントを、ミチカはそっと撫でる。

 

 別れの日に、スーは真っ赤な塊のペンダントをミチカに渡した。

 

『私の血を固めて作りました。エネルギーになります……機竜を飛ばすのに使って下さい』

 

 わんわん泣きながら、スーは言った。

 ミチカはスーを何度も何度も撫で、抱きしめ、謝った。『私には、きみにあげられるものが何もない』と。

 スーはぶんぶん首を振って、泣きながら笑った。

 

『一緒にいてくれました』

 

 

 

 スーはその後、正式に武闘会へデビューした。

 彼女の自作の機竜は、ミチカのものと酷似していた。

 スーの機竜は負け無しだった。

 約2年の間、全ての竜に勝利した。デビュー前に嫡子指名を受けた爵位持ちの貴竜は、あっという間に格付け最上位に昇り詰めた。

 

 スーは遠い存在になった。

 

 子犬のようにミチカにじゃれついていた日々が幻だったように。

 

 

 

 

 

「……」

 

 幻ではない、とミチカは倉庫の中で機竜を動かしながら思う。

 空き倉庫の天井は張り直された。機竜が飛んで壊したから。

 機竜は飛んだ。

 スーが飛ばせた。

 幻ではない。

 ミチカはそれを反芻するため、その日も機竜と操竜紐で繋がっていた。

 

 

 その時。

 

 

 

 

 

 ―――――――――坑道の警報が、鳴った。

 

 

 

「っ!?」

 

 ミチカは調整台の表示を見る。坑道からの警報は全ての機器から確認できた。

 4番坑口からの警報だった。

 何の警報かを見て、ミチカは眉をひそめる。

 

「警報類別…99? 『敵性脅威』?」

 

 崩落やガス発生では決してない。ミチカは機竜を倉庫から出し、見に行くことを決めた。

 警報の出た4番坑口は倉庫からほど近い。装甲と武装を機竜に全て積んでいたのも幸いした。

 町から最も遠い坑口であるその場所には、

 

「なんだ、あれ…」

 

 

 ――――――魔物がいた。

 

 

 形容しがたい外見だった。

 夥しい黒い粒子の塊から、6本の脚が伸びている。

 脚部は全て骨で出来ており、先端で二又に別れていた。

 蟲のようでも、頭と尻尾の無い竜のようでもあった。

 

 機竜の眼がその魔物を捉え、解析する。

 機竜に備えられた解析回路が、その正体をミチカに示した。

 ミチカは息を呑む。

 

「…………ヌヅチ」

 

 坑道の魔物。

 竜骨の出る処に現れると言われる、機竜の宿敵。

 大きさは機竜より一回り大きい。

 ミチカは逸る呼吸を抑えながら、送受話器で役場の祖父を呼び出した。

 

「お祖父様、ヌヅチですッ! 4番坑口!」

『ヌヅチだと…?』

「私の機竜で迎え撃ちます。みんなを避難させて下さい」

 

 言いながら、ミチカは全武装を最速モードでチェック。異常なしを確認すると、安全装置を解除。動作モードを戦闘機動へ。

 

『お前も避難しろ! 操竜者はその場から動けん!』

「みんなの所に行かれたらおしまいです。私の機竜なら戦えます」

『ミチカ!』

 

 ミチカは送受話器を切り、意識を機竜に集中させた。

 

 ヌヅチもこちらに気付いた。

 6つの脚をゆらゆらと揺らし、機竜へ向ける。

 ミチカはヌヅチが何かをする前に、背部の長距離砲で照準した。目標固定。

 発射。

 高速弾が夜気を引き裂き真っ直ぐ魔物の黒い躰に吸い込まれ―――――弾かれた。

 

「!?」

 

 ミチカは見る。

 魔物の2つに別れた6脚の先端、12の爪先から放たれた光が壁を作り、ミチカの砲撃を弾き飛ばした。

 そして光の壁を消してから間髪入れず、爪先部分が脚部から分離。独立して浮遊。12個の爪先が全てミチカの機竜へ襲い掛かった。

 

「くっ!」

 

 機竜は飛翔し距離を取る。襲来した爪先群が下方を通過。爪先をなくしたヌヅチへ再び砲撃しようと照準を付ける。

 が、機竜が警告を発する。

 爪先らは機竜に避けられた直後、反転し先端を機竜へ向けた。

 爪先らが輝く。

 光芒が放たれた。

 

「!?」

 

 ミチカは咄嗟に大加速。それでも12の光線全てを回避できなかった。

 装甲の一部が被害に遭い、融解している。危険な威力だ。

 

「競技用なら一発で破壊されてる。この子の重装甲はこのためか……」

 

 先祖の残したものへ感謝しつつ、ミチカは不規則な回避を続ける。スーとの模擬戦という名の空中遊びで培ったことが活かされていたが、敵の爪先は小さくて素早い。反撃は出来なかった。

 緊急回避を繰り返すたび、エネルギー残量が目に見えて減っていく。

 

「なら本体を!」

 

 照準を別武装に切り替え。

 肩のランチャーから誘導弾を発射。白い噴煙の尾を引いて、両肩から計8発のミサイルがヌヅチ本体へ高速で迫る。

 12の爪先のうち6つがこれに反応。ミチカを無視しミサイルの迎撃へ向かう。6本の光芒がミサイル群を撃ち落とす。

 その間に、火力が半分になった隙を突いてミチカの機竜がヌヅチへ迫った。地を這う魔物を射程圏内に捉える。

 粒子砲の射程に。

 ミチカは迷わず発射する。

 機竜の顎(あぎと)が開いた。

 

「っ!」

 

 青白い閃光の束が、機竜の口腔から放たれる。

 竜骨のエネルギーが破壊の光となってヌヅチに突き刺さった。

 

      ゐゐゐゐゐゐゐゐゐゐ!!!!

 

 ヌヅチが吼える。黒い粒子が灼けて崩れる。

 いける、と確信したミチカの背後を、6つの爪先が襲った。攻撃を止めて回避。12の爪先は全てミチカとヌヅチの間に陣取る。防御態勢。

 ミチカは再び照準。ヌヅチの真上から顎を開く。

 ヌヅチの爪先は4つひと組で光の壁を作った。三重の防壁。

 

「そんなもの!!」

 

 ミチカは粒子砲を発射。

 同時に背部の長距離砲、肩のミサイル、首の機関砲を全て同時発射。遠距離の武装を全てヌヅチに叩き込む。

 1枚目の防壁を粒子砲が破壊。

 2枚目を実弾群の補助を受けてさらに破壊。

 3枚目に粒子砲の光が突き刺さる。防壁が見る見るうちに強度を失っていく。

 

「いけ!」

 

 そしてまさに最後の防壁が崩壊しようとする、その時。

 

 

 ―――――――粒子砲の光が、消えた。

 

 

「!?」

 

 同時に推力が急低下。

 飛翔回路が反応しない。

 

 機竜が落ちる。

 

「なんだ、どうした!?」

 

 ミチカはエネルギー残量を見て、瞠った。

 最低稼働量ぎりぎりまで減っていた。

 2年間無補給で動かしていた機竜が、いきなりの戦闘機動と最大出力で粒子砲を使った結果だった。そしてミチカは当然エネルギーが切れるまで機竜で戦ったことはなかった。

 

 機竜が、地面に落下した。

 土煙を上げつつもなんとか四肢で着地した機竜に、ヌヅチが迫る。

 

     ヰヰヰヰヰヰヰヰ!!!!

 

 12の光が瞬く。

 飛べない機竜に無数の光撃、着弾。長距離砲とミサイルランチャーが破壊される。最外部の装甲表面がほぼ全て融解。数え切れない警報がミチカを襲う。

 

「ぁあああっ!!」

 

 光撃に灼かれ、その衝撃がミチカ本人に伝わる。熱と衝撃が操竜紐にノイズを与えた。機竜との接続が乱れる。

 その間に、ヌヅチが機竜へ肉薄していた。

 

    ゑゑゑゐ、ゑゑゑゑゐ……

 

 ヌヅチの黒い躰が機竜に密着。黒い粒子が機竜を呑み込もうとする。

 アリにたかられる死骸のように。

 その黒い粒子達は操竜紐にさえ纏わり付いた。

 

  ゐゐゐゐゐゐ!!!

 

 そして機竜を呑み込みながら、ヌヅチが吼える。

 黒い粒子をガス状に吹き出し、機竜を呑み込みながら飛翔した。

 操竜紐の伸びる方向へ。

 ミチカのもとへ。

 

「!?」

 

 まずい、とミチカが思ったときは、もう手遅れだった。

 

 どずんっ!!

 

 衝撃と振動が空き倉庫を襲う。

 倉庫の壁と天井が吹き飛ぶ。ミチカの体も暴風で真横に薙ぎ払われる。

 

「っ!!」

 

 悲鳴は轟音に呑み込まれた。

 吹き付ける疾風が倉庫のあるあらゆるものを舐める。

 

「ぅ、ぅぁ……」

 

 ひどい目眩と全身の痛みに耐えながら、ミチカは横たわったまま目を開ける。

 そして、見開く。

 

 ヌヅチが、目の前にいた。

 

「ぁ…」

 

 夜の中でもなお暗い黒の粒子と、骨だけでできた6本足。

 黒い躰に機竜を呑み込んで、ミチカの間近にいた。

 

 おわりだ、とミチカは思った。

 

 機竜は敗れ、ミチカは殺される。

 町の人々は避難できただろうか。この魔物に襲われない場所まで逃げられただろうか。

 もし逃げられないなら、助けが必要だった。

 ミチカでは町の人々を助けられなかった。機竜を動かそうとした時のように。

 ミチカは敗北した。

 

「……」

 

 操竜紐は、まだ機竜に繋がっていた。

 機竜の機能は生きていた。だからミチカは最後に、機竜の送受信回路を起動させた。

 送信先の指定はない。回路が届けられる相手全てへ無指向に、

 

『こちらはロムの町のミチカ。ヌヅチ出現、迎撃は失敗。救援を求む』

 

 ミチカは言った。

 

『繰り返す、こちらはロムの町のミチカ。ヌヅチ出現、迎撃は失敗。救援を求む』

 

 これが最期の言葉か、とミチカは思った。祖父と父母にミチカは詫びた。

 ヌヅチはゆっくり迫ってくる。もどかしいくらいの遅さ。

 ミチカはもうヌヅチを見なかった。代わりに、吹きさらしになった屋根の向こう、夜空を見た。

 

 星ではないものたちが、瞬きながら列をなしているのが見えた。

 竜。

 あそこにスーもいる。

 そう思うと、ミチカは不思議と安らかな気持ちになった。

 

「……」

 

 スーの機竜ならもっと強かっただろうな、

 きみの機竜は格好良かったよ、

 きみを見上げながら死ぬなら、悪くないか……

 

 ミチカは心の中で呟き、笑った。

 ヌヅチが来る。

 目の前に。

 おしまいが。

 来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    星が、輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………え?」

 

 その星の光は、周囲のそれらとは一線を画していた。

 明星よりもなお明るい、強烈に瞬く光の塊。

 それは急速に大きさと強さを増していた。

 朦朧としていたミチカの意識を覚醒させるほどに。

 

 調整台が警報を鳴らす。

 その警報が、高高度より高エネルギー体が高速で接近していることを報せるものであることをミチカは知らない。

 けれども、ミチカは分かった。

 迫り来る光、星の正体が。

 

「…………スー?」

 

 竜の血を固めて出来たペンダントが、ミチカの首元で揺れた。

 

 竜星が落ちてくる。

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 その竜星は微塵も迷わなかった。

 

 

 たとえ周囲の貴竜たちが人竜条約の違反を警告しても。

 嫡子指名の撤回や爵位剥奪の可能性を示しても。

 竜の世界からの追放を脅しても。

 

 金銀の眸は揺るがない。

 制止しようと迫る竜達を易々と振り切って、光の尾を引きながら真っ直ぐ地上に向かう。

 

 

 竜星は微塵も迷わない。

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

「――――――馬鹿ッ!!」

 

 ミチカは吼えた。

 激しい憤りと慚愧が、目前のヌヅチへの恐怖と全身の痛みを吹き飛ばす。

 己の無思慮をミチカは恨んだ。

 

「くそッ! くそくそくそ!!」

 

 歯軋りと悪態を交互につきながら、ミチカは震える。

 救援要請をスーが聞く可能性に思い至らなかった。

 スーが来る。

 人竜条約を破って。

 ミチカの失敗のせいで。

 

「動け、動け機竜!」

 

 ミチカは操竜紐で機竜を動かそうとする。

 黒い粒子に呑み込まれる機竜は藻掻くが、傷ついた機体は振りほどけない。エネルギーが足らない。

 

 ヌヅチはミチカを見ていない。

 顔や頭のない躰で、しかしミチカと同様に頭上を見上げているのが分かった。

 魔物もまた、迫り来るものに気付いていた。

 

 スーは程なくして来るだろう。

 竜体のままで。

 

「スー…」

 

 ミチカは涙を流し、名前を呟いた。

 そして、自分の首に掛かるものに気付く。

 

 ペンダント。

 

「―――スー、ごめんっ!」

 

 ミチカは泣きながら、ペンダントを握りしめた。

 そして願った。

 力が欲しい、と。

 

 

 あの子を助ける力が欲しい

 

 竜の血で出来た塊が、輝いた。

 

「っ!」

 

 その光は、かつてのように操竜紐を通じて機竜へ流れ込む。

 見る見るうちに機竜のエネルギーが満たされていく。

 最低稼働量を遙かに上回り、飛翔回路が蘇った。

 機竜が蘇った。

 

   ゐゐゐゐ!

 

 ヌヅチが機竜の復活に気付く。

 機竜の武装は全て破壊されていた。粒子砲を撃つことは出来るがエネルギー消費が激しい。ヌヅチを討伐するのに後どれくらいの力と時間を使うのか分からなかった。

 スーが来る。

 最優先にするべきはそれだった。

 

 だからミチカは、機竜をヌヅチから離すのではなく、逆に密着させた。

 

「くらえ」

 

 機竜の腹部が、がばっと開く。

 その奥から、轟音を立てて放たれたのは―――――――巨大な杭だった。

 機竜の上半身に匹敵する鉄杭が、ヌヅチの躰に打ち込まれる。

 

    ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 絶叫。

 機竜が翼を広げた。

 

「――――――飛べッ!!」

 

 飛翔回路に命じる。

 暴風。

 ミチカは鉄杭でヌヅチと繋がった機竜を、最大推力で上昇させた。

 機竜に意識を戻したミチカは、倉庫の本体を顧みず、とにかく全力で飛んだ。上へ。ひたすらにまっすぐ。

 飛び方は憶えていた。

 

 ゐゐゐ!! ゐゐゐゐゐ!!!!

 

 ヌヅチが藻掻く。12の爪先を飛ばし機竜に襲い掛かる。幾度も幾度も光撃を受けた。機竜は耐える。両翼が悲鳴を上げた。構わず飛んだ。昇った。

 遙かな高みへミチカは舞い上がる。

 かつて見たロムの町のずっとずっと上、山よりも雲よりも高い場所へ機竜は飛ぶ。

 傷だらけになりながら。

 

 ばらばらと機竜が破片を撒き散らしながら上昇する。

 ミチカは天を目指す。

 

 迫り来る星に向かって。

 

 

  ゑゑゑゑゑゑゑヱヱヱヱヱヱ!!!!!!!

 

 

 ヌヅチが吼えた。12の爪先が4つひと組で固まり、3つの大爪を作る。

 大爪が邪悪に輝き、3条の収束光線が機竜に突き刺さった。限界だった装甲がついに突破される。危険警報。

 

「ッ!!」

 

 ミチカは唸った。

 それでも飛んだ。

 少しでも地上から離れるために。

 竜の場所へ行くために。

 星へ。

 

「飛べッ! 飛べ機竜ッ!」

 

 ミチカは叫んだ。

 飛んだ。

 少しでも地上から離れるために。

 星のもとへ。

 飛んだ。

 飛んだ。

 飛んだ。

 飛んだ。

 

 

    ゐゐゐゐゐゐ!!!!

 

 

 ヌヅチは3つの大爪を、ついに1つに集結させた。

 今までで最大の輝き。とどめを刺そうと機竜を真横から、至近距離で貫こうと切っ先を向けた。

 

「ッ!!」

 

 光輝が、放たれ

 

 

 

 

 

 

「―――――――――――私のミチカさんに触るな」

 

 

 

 プラチナ色の烈光が、剣のように翻った。

 

 烈光は巨大爪から放たれた破壊光線そのものを叩き斬り、機竜と魔物を繋いでいた鉄杭を両断。2者を引き離した。

 

「ぁ……」

 

 ミチカは見た。

 

 竜星が、そこにいた。

 

 白金の輝きを放つ、優美そのものの肢体。

 右が黄金、左が銀灰の色をした双眸。

 

 神々しく翼を広げた、1匹の竜。

 

「スー……」

 

 力ある熱の光が、機竜を撫でる。

 ミチカは知っていた。

 機竜を飛ばしてくれた、スーの竜気。

 

 

 ―――――シャディミール伯爵スッターラの竜体が、そこにいた。

 

 

「………きれいだ」

 

 ミチカは呟く。

 翼を破壊された機竜が、地上へ落下し始める。

 

 同時に、貴竜と魔物の戦闘が始まった。

 

 

 ヱヱヱヱヱヱヱヱヱヱ!!!!!!!!!

 

 

 機竜と分離させられたヌヅチが、咆哮を上げながら黒い粒子をガスのように吹き出して飛翔する。スーに向かって。

 巨大爪を12に分離させ、貴竜を包囲し、上下左右前後から光撃した。

 

 スーは細長い尻尾を、一振りする。

 しなやかに輝くそれが何も無い空間をひと撫でしたのと同時。

 

 ――――爪先が展開している空間が、歪み、たわみ、捩れ曲がって砕け散った。

 

 12の光撃も爪先も、諸共何もかもが色彩と立体感を失って粉々に破砕され、無音のまま虚空に散る。

 

    ゐゐゐ!!!

 

 原理不明の迎撃をした貴竜に、魔物ヌヅチが6脚から新たな爪先を伸ばし、距離を詰めて襲い掛かる。

 貴竜はただ無造作に、白金色の光をより強く発した。

 粒子砲のような束ねた一直線のそれではない。ただ、光の強さを増しただけだった。

 5つの輪具で封じていた竜気の光。

 

 対し、魔物が12の爪先で光性防壁を展開。

 が、

 竜気を浴びただけで、魔物の光壁が瞬時に崩壊した。

 黒い粒子が白く輝きながら灼かれ、悉く燃え尽きる。

 

   ヱヱヱヱヱヱヱ!!!!

   ヰヰヰヱヱヱヱヱヱヱ!!!!!!!!

 

 喚き叫ぶヌヅチ。

 貴竜スーの顎が開く。

 ………精巧な芸術品のような口吻から放たれたのは、光でも音でも熱でもなかった。

 

 スーとヌヅチの間の世界が、罅割れた。

 ガラスの上に描かれた絵のように。

 その罅がヌヅチにも及ぶ。

 

       ヰヰヰヰヰヰヰ!!!!

 

 魔物は細かい無数の罅割れによって輪郭を喪失。

 そして輪郭だけでなく、ヌヅチそのものも、空間も何もかもが、罅という罅に覆われ、

 

 

 割れた。

 

 

     ヰ――――……

 

 

 断末魔の声すら砕いて。

 

 天と地の間で割れた空間の向こうに何があったのか。

 ミチカの、人の目では捉えられない。

 瞬時に破砕は消えてなくなり、元の健常な景色が戻る。

 

 そこに、魔物の姿はなかった。

 

 ミチカの機竜がヌヅチから切り離され、落下を初めて約1秒の間で。

 闘いにもならない戦いが終わった。

 

 1匹の貴竜だけが、燦々と輝く。

 

「スー……」

 

 それを見届けて、ミチカは意識を失った。

 

 真っ暗な視界と意識の中、美しい竜の姿だけを焼き付けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 人竜条約を破ろうとした貴竜と、高高度まで上昇した機竜の事件は、人竜に衝撃を与えた。

 

 特に貴竜に関して、条約派は違反行為を咎め、人竜融和派は救助行動を讃えた。

 

 双方とも機竜の高度違反に関しては、貴竜に地上戦をさせないためヌヅチを運んだのであり、結果的に被害を最小限に留めた功績を評価し、実質的な刑罰は必要ないという結論で落ち着いた。

 

 

 が、貴竜に関しては、そうはいかなかった。

 

 様々な論争と公聴会を何度も繰り返し、最終的な刑罰が決定された。

 

 

 

 

 

*******

 

 

「ミチカお嬢様、ミチカお嬢様、お時間ですよ」

 

 鈴が鳴るような爽やかな声に、ミチカは目を覚ます。

 自室でうとうとしていたミチカは、自分をきらきらと覗き込んでくる金銀の双眸に見とれながら、

 

「………その呼び方、やめろって言ったはずだよ」

「申し訳ありません、響きが好きなもので」

 

 悪びれる様子もなく、白いキャップを被ったプラチナ色の髪の少女が微笑む。

「可愛くありませんか?」

「似合わない」

「そんなことありませんよ、ミチカさんはきれいで可愛くて素敵です」

「可愛いかで言ったら」

 

 ミチカは目の前の少女の全身を見回し、

 

「きみは何を着ても可愛いな」

 

 心の底からの感想を言う。

 

「えへへ」

 

 言われた少女――――スーは真っ白な貌を恥ずかしそうに、しかし隠しきれない嬉しさで表情を綻ばせる。キャップから漏れた一房の髪が、尻尾のようにぶんぶん揺れた。

 

 スーが着ているのは、白いヘッドキャップと黒いロングのワンピース、大きな白いエプロン。

 証人喚問と精密検査のため空島シャディミール島に長期滞在していたミチカは、その衣服が竜の女中(メイド)のそれであることを知っていた。

 ここはミチカの故郷であるロムの町の、ミチカの家。

 

 スーはミチカの女中となっていた。

 

 

 

 

 

 …………人竜条約違反未遂の罰として、スッターラは嫡子指名の撤回と爵位の剥奪を命じられた。

 それに加え、竜気被害の可能性があった人物、つまりミチカへの奉仕活動も命じられた。

 刑期が終わるまで、スッターラはミチカの召使いとなった。

 人と竜は対等であるという人竜社会の観点からすれば、明らかに人間の下で働かされる恥辱刑という批判も上がったが、スッターラはこれを受け入れた。

 

 生家であるハイウン伯爵家で女中仕事を仕込まれた後、ロムの町、ミチカへ期限付きで仕えることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミチカさんの機竜は大人気ですね」

 

 白金色の髪を数束伸ばし、それぞれが手のように動いてブラシや櫛を持ってはミチカの身支度を器用に整えるスーが、上機嫌に言う。

 その細腕には7つの輪具(りんぐ)。

 

「本物の機竜を残している町は、思っていたより少なかったらしい」

 

 ……忘れられたヌヅチが現れたことに、各地の竜骨の町は震えた。たいていの町はすでに機竜を喪っていたのだ。

 そのため機竜が現存するロムの町への問い合わせと見学が殺到した。

 それらの対応が、ミチカの主な仕事だった。

 

「知らない人に説明をするのは慣れない」

「私にして下さったようにすれば大丈夫ですよ」

 

 スーはにこにこと微笑みながら言ってくれた。

 その表情に、人間に奉仕しなければならないという恥辱の色は欠片もなかった。

 

「……他の人から、何か言われないか? きみに命令できるのは私だけだから、きみに何も出来ないが……」

「ご心配ありがとうございます! けど全然大丈夫です。みなさん相変わらず優しくて安心しました」

 

 スーの表情は明るかった。

 その明るさは、窓の外から見えるロムの町にもあった。

 スーはロムの英雄だった。人竜条約を破ってまで助けに来ようとした竜が住むことを、誰もが歓迎した。

 そしてそれ以上に、町が活気づいている大きな理由があった。

 

「………竜骨が、また出るとは」

 

 ミチカは溜息をつく。

 

 ヌヅチ対策のため、坑道は再び人と竜によって調査された。

 その結果、以前に調査済みの場所で、大規模な竜骨脈が発見された。

 これによりロムの町は再びシャディミール侯爵の契約領となった。

 

「さんざん調べても出なかったところに、なぜ竜骨が出るんだ?」

 

 訝しむミチカへ、スーが微笑む。

 

「知ってます? ヌヅチは坑道に竜の気配がすると、現れないそうです」

「なに?」

「昔の、ヌヅチが現れなくなった頃の話ですけれど」

 

 スーは言った。

 

「竜骨の町に竜がいるのが当たり前すぎて、みんな忘れてしまっていたようです」

「……竜骨は人にしか発見できない。人だけではヌヅチに襲われる…なんだかな」

 

 ミチカはまた溜息をつく。

 

「竜祖に試されているみたいだ」

 

 ミチカは今までのあらゆるものを思い返し、そしてスーへ問うた。

 

「きみは、その、これでいいのか?」

「ミチカさんのお世話ならお任せ下さい! お母様にしっかり仕込まれましたから!」

「そうじゃなくて…」

 

 ミチカはそこで、スーの父親の言葉を思い出す。

 

 

 

 

 

 

『爵位を与えたのは、失敗だった』

 

 空島のミチカに与えられた病室で、シャディミール侯爵ソリスは、人の概念で言えば女性の姿(竜に性別はなく誰もが孕み孕ませられる)のまま言った。

 

『竜は爵位を求めて争う。だがあの子は争奪戦を始める前から、皆が求めるものを持っていた。友になろうという竜はいない。ただでさえ厳しい竜の社会で』

 

 黒髪の侯爵は目を伏せ、言った。

 

『あの子の竜気に目が眩んだ、私の失敗だ』

 

 

 

 

 

 

 

「……何もかも捨てて、ミチカさんと駆け落ちしようと考えたこともありました」

 

 ぽつりと、スーは言った。

 

「でもミチカさんは、今の方がずっと幸せそうですし、私もこの街が好きです。竜も機竜も人も好きです」

 

 スーは笑った。

 ミチカのよく知る、朗らかで爽やかな笑顔で。

 

「だから、この刑期が終わったら、また武闘会に出ます。そこで勝って嫡子指名を貰います。契約領主になって、またこの町に戻ってきます。必ず」

 

 窓の外の工場では竜と人が働き、坑道は賑やかさを増す。

 それを慈愛の眸でスーは眺めた。

 

「………」

 

 もしも、とミチカは思う。

 

 ……もしも、ミチカが機竜を飛ばさなかったら、どうなっていたのか。

 

 侯爵でさえ3つで事足りる輪具を7つも必要とするスーが、ヌヅチと地上で戦っていたら。

 スーはこの町に迎え入れられただろうか。

 人竜のどこにも居場所がなくなっていたのだろうか。

 

 そしていずれは輪具7つですら抑えられず、ミチカを灼いてしまうだろうか。

 ヌヅチの防壁すら毀すスーの竜気で。

 

「……きみが望むなら」

 

 ミチカはスーの低い頭を撫で、腰を落として金銀の眸へ真っ直ぐ告げる。

 

「私は全部を捨てて、きみを選ぶよ」

 

 たとえ竜気で灼け死んでも。

 

 そしておもむろに、ミチカはスーの白皙の頬に、そっと口付けした。

 

「機竜をもっと強くする」

 

 目をぱちくりさせて驚くスーを、息が掛かるほどの距離でミチカは見詰める。

 

「君にも負けないくらいに。きみに報いるために」

 

 ミチカは竜星に誓った。

 

「―――……」

 

 スーが、笑う。

 この上ない幸せの貌で。

 その顔があまりにうつくしかったから、ミチカはまた口付けした。

 

 ミチカの首元で、ペンダントが揺れた。

 

 ソリスの言葉を、ミチカは思い出す。

 

 

 

『貴竜は多くの竜と交わる。血を残すために。そこに愛はない。爵位を持つ貴竜の義務だ』

『だが、それでも……慕う相手には、証を贈る。何の効力がなくとも』

 

『自分の血を固めたものを』

 

 

『愛の証を、竜は贈る』

 

 

 

 

 

(終)

 

 

 



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