菊花賞
『神戸、そして京都に次いで、菊の舞台にも福が来た!マチカネフクキタルが制しました!!』
ーーーーはじめて、あのG1の舞台での「自分のための」歓声。
かのウマのように指を掲げる訳でもなく、かのウマのように威風堂々と胸を張る訳でもなく。
ただ感無量の喜ばしさと、その現実味のなさに呆然と立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
「おめでとう!!!!フクキタル!!!」
ライブの明るみから帰ってくるフクキタルに大きな声で伝えた。
「ありがとうございます〜!トレーナーさん!!」
そう言うと、フクキタルは小走りでこちらに向かってくる。
満面の笑みで、いつも以上に目を輝かせて、その足取りは、高揚感のおかげか少しふわふわとしていた。
「ん、どうしたんだ?」
俺に近寄るなり倒れ込むように抱きついてきた。
「今日は流石に疲れましたよ〜…
…労ってくださーい。」
「わーってるよ、今日くらいはな。」
顔をうずめるフクキタルの頭をわしゃわしゃと雑に撫でまわした。小さくムフフ~と言う声が聴こえたような気がする。
「おめでとう、本当におめでとう。フクキタル。」
「も〜、…全くトレーナーさんったら褒めすぎですってば〜!」
「褒め過ぎじゃないよ、”フクキタル”はそれだけ頑張ったんだから。」
「えへへ、少し照れちゃいますね…。」
「本当だよ。今までマイルと中距離でしか走ってなかったのに、未知数だった長距離の初戦、しかも菊花賞で勝利をかっさらってきちゃうんだからさ。」
「まあ、フクキタルなら勝ってくれるって信じてたけど。」
「ふえへへへぇ…へへ…えへへ……へ………」
すぅ。
「…あはは、寝ちゃったか、そうだよな、疲れてるもんな。」
気を利かせて控え室まで運んであげようかと重い、優しくフクキタルを抱きかかえてみた。
「うっ」
…蹄鉄が思ったよりも重い、流石は鉄の塊、それとフクキタルの細いながらも逞しい豪脚、単純に持つ点から離れているのも相まって、いくらトレーナー業の成人男性とは言えど少しバランスを崩しそうになってしまった。
とは言えども、俺は装蹄師でもあるまいし、専用の工具を持っている訳が無い。
「仕方ないか…」
フクキタルにはちょっと悪いが、勝負服ならぬ勝負靴を脱がさせてもらうことにしたのだった。
◇ ◇ ◇
天皇賞・秋
「スズカさん!トレーナーさん!!大変です!!」
レース前に送るというこの時に、いきなりフクキタルは駆け寄って告げたのだった。
「どうしても不安で、だ、だだ大丈夫はおもっていたのですが、あ、そののの」
「落ち着け」
「あ、す、すみません、すぅー…はぁぁあ゛゛ゥガハッ!ゴホッ」
…息を吐きすぎて噎せたようだ。
「そんなに焦ってどうしたんだ、って言っても大体検討はつくけれど。占いかな?」
「仰る通りです。すぅ〜…レース前にですね?スズカさんを占ってみたんですよ」
「まさか負けるとでも?」
「あ、いやそんなことは微塵たりとも思ってはないのですが…そ、その、レース運の方が…」
「凶?」
「…そうです、それもただの凶じゃなくて、大・大・大・大凶だそうです…。」
「…レースの”勝ち負け”に占いは関係ないって、それこそフクキタルが証明してくれたじゃんか、大丈夫だよ。スズカの”走り”は強いから。」
「そ、そうですよね〜!あはは、そういえば、そうでしたね…。お耳が痒くなっちゃう言葉、ありがとうございます。そしたら、無用な心配は要りませんよね…?スズカさん…」
「ええ、私は”この脚”を使って、”スピードの向こう側”を見てくるわ。」
「ああ、頑張れよスズカ、応援してる。」
「”秋の盾”も”スピードの向こう側”も全部俺のものって感じにかっさらっちゃってください!最早、全く、スズカさんに少しでもかなうようなウマ娘なんて…いないんですからね。」
「…うん。頑張るわ、トレーナーさん、フクキタル。」
そう言うと、背を向け歩いて行くスズカ。
…ふと、頭をよぎってしまった。
「…気をつけてな。」
「ーーー大丈夫。」
その声は、とても、
今にも崩れ去りそうなほど寂しげだった。
陽光差す日曜日、スタンドの大歓声と光に飲み込まれていく”サイレンススズカ”を、ただ見守った。
◇ ◇ ◇
赤いシューズを
ずらした時に感じた妙な引っ掛かり。
異音。生臭い鉄の匂い。
恐らく見間違えではない、赤黒い液体。
「ーーーーーーーー!!」
ライブ会場の脇から飛び出して、さっきよりも数十倍大きな声で叫んだ。
救護班を、救護班を頼む。故障だ。救護班を頼む。と繰り返し。
…確かにフクキタルは栄光を掴んだ。
それはこれ以上ない幸運だと思う、だけど、こんな結末は、誰も幸せにしない。
それ故に、掴んだ栄光さえ、憎らしいと思ってしまう。
そのための涙すらも、苦しくなってしまう。
誰か、救護班を頼む。
◇ ◇ ◇
静まり返っていた。
物音は消え失せ、隣できっと叫んでいるのであろうトレーナーさんの声すらも、まるで世界が隔てられてるかのように沈黙を繰り続ける。そもそも隣に居るのがトレーナーさんなのかも、朧気に暗くなったなった視界のせいで分からない。まるで五感が奪われたようだった。
だけど、目の前で起こっている受け入れ難い景色だけが鮮明に映る。
彼女は、あそこまで苦しんでも、せめて他の誰かが健やかに走れるように、力を振り絞って進んでいるというのに。情けない私の脚は、すくんで一向に動かない。
「スズ…カ……さん……?」
運命に奪われたのだ、あの日の、私のように。
◇ ◇ ◇
「…あ!退院したら一緒に焼肉にでも行きませんか?トレーナーさん!」
「…そうだな」
医者は、復帰をしたとしても今までのように走ることは叶わないと、とてもに婉曲に言った。
「祝勝会、まだやってませんし!トレーナーさんに奢って貰っちゃいましょうか?あはは、なんて。」
「…そうだな」
「…。」
「…そうだなぁ…!」
「…だって、辛いじゃないですか。現実味が無いと思ったら、まさか本当に崩れ去ってしまうなんて。私だって、せめて、まだ栄光に浸っていたいんですよ…。」
「...っごめんな!ごめんなぁ!…本当に」
「…トレーナーさんは悪くありません。ただ、過ぎたるハッピーだっただけなんですよ、きっと、私にとっては。」
泣きじゃくる俺とは正反対に、優しい微笑でこちらを慰めてくれていた。
だけど、その笑顔はやっぱり、今にも崩れそうで。
苦しくて、死んでしまいそうだ。
フクキタルの方が、辛いはずなのに。
「…ごめんな。」
「…良いんですよ。」
栄光は、フクキタルに影を落としていた。
◇ ◇ ◇
新聞の一面『沈黙の日曜日』と縁起でもない文言と共に非難の声がつらつらと書き捨てられていた
俺は何を学んだのだろうか、あの日、ぴたり1年前から。
洗面器の水の流れが悪くて揺らいだ水面、目元を赤くして醜態を晒す。
少しも変わらない俺の姿だった。
…ああ、行かなくては、病室では、フクキタルと、スズカが、待っているはずだから。きっと、窓辺の光の傍で、何事も無かったように談笑をしているはずだから、だから…
ーーーーーだから…。
「どうして…どうじでぇぇ……っ…。わがっで…っう…だのに゛ぃ……っ…。」
…病床に伏す姿を見てから、フクキタルもずっとこの調子である。
泣き叫んで、喉も壊して、涙もとうに枯れ果てたというのに、なお”運命”を受け入れることができないのだ。
「わだじの…脚もぉ……っ…お姉ぢゃんも……そうでず………うわぁぁああぁん!どうじでざきになぐなっちゃうんでずがぁ!!!……っうぅ……」
あぁ………。ああ…。....................................。
「……なんで…なんでぇ……。」
……俺は、ふと、今まで懐にしまっておいた”罪悪”に気付いてしまった。
使い、廃れた手帳には、こう書かれている。
『目標:天皇賞・秋で一着』
ーーーー壊れた心を理由にし、手を伸ばす。
「ジリリリリリリリリ!!」