「転属ですか……。それも音楽隊だなんて……」
アフリカを守る航空基地の一室。
上官に呼び出された理由に、俺はなんと答えたら良いか言葉に窮する。
手渡された異動の命令書。
今にも握りつぶしてしまいそうになるのを我慢して、上官をにらみつけてしまわないよう、努めて無表情を顔に張りつける。
命令を下した上官は、めでたいといわんばかりに笑みを浮かべる。
「良かったじゃないか。安全な後方での勤務だ」
心底安心したという声色。
「良いわけない、じゃないですか……」
震えそうになる声。抗議の言葉は彼女に届かない。
沈黙を肯定と受け取ったのか、基地司令であるアレクサンドラ大佐は得意げな顔で告げる。
「カレン・チェルノフ大尉。君にはこのアフリカの地でよく働いてもらった。本当に。だから、これからは広報の部隊で、音楽で傷ついた人々を癒やす任務に就いてもらいたい。素敵な話じゃないか」
音楽で傷ついた人々に癒やしを。
その言葉に、俺は頭が沸騰するんじゃないかと思った。
そんな物で、たかが音楽で人が救えるものか。
ただの音が何の役に立つのかさえ分からない。
そんなことをしている余裕があるのなら。銃弾の一発でもネウロイに叩き込んだ方が、よっぽど誰かの命を救えるだろうに。
「……っ。何故、自分なのですか?」
向いている奴なんて他にいくらでもいるだろ。すでに手続きは終わっている。
けれど。無意味だと分かっていても、小さな抵抗を諦められない。
「それは……」
アレクサンドラ大佐は少し言いにくそうにして、
「あなたが一番分かっているでしょう?」
そう告げる視線は諦めを促すように、そして悲しそうに俺を見ている。
PTSD。医者に症状、病名を告げられたのはつい先月のことだった。
入隊する前の出来事と、激戦地での転戦。知らず知らずのうちに過酷なネウロイとの戦いは俺の身体ではなく、心の方を蝕んでいた。
航空ウィザードでありながら、飛行する度に嘔吐と過呼吸を起こすような奴には、空に居場所はなかった。
ここ最近はストライカーユニットを装着しただけで吐きそうな感覚がある。
要するにこの異動命令は、ていの良い厄介払いということだ。
弾の出ない武器に価値はない。戦えない兵士に価値はない。
自分がもうこの部隊では使い物にならない。
分かっているからこそ、俺はそれ以上何も言えない。
「あちらに到着したら手紙を書いてちょうだいね。楽しみにしているわ。きっとよ?」
嬉しそうに笑うアレクサンドラ大佐。
けれど俺は聞き触りの良い言葉を何一つ思いつけなかった。
●
部隊を離れる時、同僚たちには何も言わずに出て行ってしまった。もう飛べない俺にはそんな資格もない。もう思ってしまったから。
アフリカを出て北上。ジブラルタル海峡を渡り、大西洋を登っていく。
アフリカと違い、ブリタニアの空は静かなもので。ネウロイの影も形もないほど穏やかな空だった。
ブリタニアに到着して汽車に揺られること数時間。
ブリタニアの首都がロンドン。
指定された建物に到着すれば、見知らぬ女性が待っていた。
「あなたがカレン・チェルノフ大尉ね? 会えるのを楽しみにしていたわ。私はグレイス・メイトランド・スチュワート。少佐でも、グレイス隊長でも、好きに呼んでちょうだい」
いきなり手を取られ、勢い良く上下する握手。
にへらと人の良さそうな笑みを浮かべたグレイス隊長。
俺を部隊に引き抜いた女性は随分と緩そうな雰囲気だった。
最前線でぴりついた人々とばかり交流していたからか、こういう雰囲気の人は久しぶりで、自分が後方部隊に来たのだと嫌でも自覚させられる。
「カレン・チェルノフ大尉です。こちらに来たばかりで申し訳ないのですが、自分はいつ頃原隊に復帰できるのでしょうか?」
確かめなければいけなかった。
一日だって早く部隊に帰らねば。一発でも多くの弾を敵に叩きつけなければ。
そう思っての問いだったが、帰って来た解答は期待したものではなかった。
「え、え? 特にそんな話は聞いていないけど……。もしかして音楽隊に来るの嫌だった?」
「いえ。指名されたことは光栄に思います」
不安そうに目尻を下げるグレイス体調。そんな彼女の様子に俺は耳障りの言い言葉を並べてしまう。
「そう? なら良かったわ。ようこそ連合航空音楽隊へ。一緒に音楽の力で癒やしを人々に届けましょう。頼りにしてるわ!」
音楽に意味がある。そう信じて疑わないグレイス隊長に俺は何も言えないでいた。
そんな挨拶もほどほどに。
さっそく仕事だ。
と言っても大した物ではなく、グレイス隊長の運転手をするだけ。
音楽隊と言っても新設の部隊だからか、関係各所への挨拶回りをやらなければいけないとのこと。
他の隊員にも運転のできる者はいるが、彼女らはステージに立つための練習に取り組んでいるため、都合良く手が空いているのが俺だけとのこと。
四駆のエンジン音だけが鳴る静かな車内。少しだけ開けた窓からは四月らしい涼やかな風が入ってくる。
アフリカの乾燥した熱風はどこにもない。つい最近までいたはずなのに、懐かしさすらある。
ブリタニアの風は酷く穏やかで、火薬の匂いはどこにも感じられない。
「ねえ……。カレン大尉はアフリカにいたのよね?」
長い沈黙が辛かったのか、助手席に座ったグレイス隊長は世話話を始めた。
視線は道路の先を見つめたまま。
「はい。人事書類にも書いてあったと思いますが、アフリカには三年ほど……」
それ以上何を言えば良いのか。何も思いつかず、言葉に詰まる。
「そ、そうなの。そうだ。アフリカはどんな場所だったの?」
「アフリカがどんな場所……?」
アフリカがそのような戦場だったのか。
思い出すのは砂漠の熱砂と爆撃の衝撃。
のどかなブリタニアの景色に重なって、アフリカの砂漠を幻視する。
自然とハンドルを握る手に力が入る。
「多分ですが……、この世で最も地獄に近い場所だと思います。出撃は酷い時で半日に一回。足りない補給に、足りない病床。敵の撃墜数と比例する味方の損耗。本当に……、酷い場所でした」
アフリカでの日々を思いだし、自然と口数が増えていた。
本当に酷い場所だったのだ。
でも。だとしても、その地獄こそが俺の居場所だったのだ。今こうしている間だって、ハンドルを切り返してアフリカに向かいたい気持ちで一杯だ。
そんなことを考えていると、横目で見たグレイス隊長は困った顔をして頬をかいている。
「あのー、そのー。もっと単純にどんな土地だったのかなって、その、聞きたかったんだけど……。なんて」
「……ああ、そういう」
どうやら求められていたのはそういう答えではなかったらしい。
少し考え込む。
アフリカの思い出。あそこでの日々は、どうしたって『楽しい』なんて感想が出るはずもない、地獄としか形容のできないものだ。
だというのに、俺は今こうして車を運転している間すら、戻りたいと願ってしまう。
「……残念ながら、のんびりと観光をする余裕もない戦場でしたから」
「そうだったのね……。ごめんなさい不躾な質問だったわ」
「……その、お気になさらないでください。もともと面白い話とかできない質なので」
その言葉を最後にまた長い沈黙が続く。
「そ、そうだ! カレン大尉、人事調査書には楽器ができるって書いてあったわね! どの楽器が演奏できるのかしら?」
「楽器……、ですか? ええ、まあ……。そんな大した技量じゃありませんが、ピアノとバイオリン、フルート。それとラッパの技能も取得しています」
ラッパ以外の楽器は母に、ラッパはアフリカ時代に押しつけられて吹けるようになった。そういえばそんなこともあったのだと、今さら思い出して妙な懐かしさを覚えた。
「まあっ! そんなに出来るとは思ってなかったわ! これなら演奏はあなたにお願いしたら問題ないわね!」
「……演奏担当とか、いなかったんですか?」
もしや音楽隊の現状は、とんでもないことになっているのではなかろうか?
「い、いや、別に困っていたという訳ではないのよ? まだ隊員も募集中だから、こ、これからメンバーがそろっていく予定だったのよ!」
「……大丈夫なんだろうか、この部隊」
「ああ! 疑っているわねカレン大尉!」
「疑うといいますか……」
心配になってきた。というのが正直なところだ。
「音楽にはみんなを笑顔にする力があるの! だからきっと全部上手くいくわ!」
「音楽の力……ね」
またその言葉かと、気がつけば眉間に力が入っていた。
どうして迷うことなくそんなことを信じられるんだ。俺にはどうしてもその言葉が薄っぺらく聞こえてしまう。
国債を国民に購入させるためのチャリティー。そう言われた方が、よっぽど腑に落ちる。
しかしグレイス隊長はどこまで行っても、音楽そのものの力が誰かの心の傷を癒やす任務と言う。
「……なら、その音楽の力で、俺をもう一度空に戻してくれるって言うんですか」
「──え? 何か言ったかしら?」
「……いえ、特に、何も」
すがりつくような己のつぶやきは、弱々しい声色はエンジン音にかき消されて誰かに届くことはなかった。
●
爽やかな風が流れ、小鳥が囀る。
ロンドンの一画にある公園。
特に用事もなく、俺はぼんやりとベンチに座り、面白くもないのに噴水を眺めている。
──ごめんなさい! 許可証を一人分しか発行してもらってないから……。ああ! どうしましょう! カレン大尉に送ってもらうこと考えてなかった!
うっかり人数の申請を忘れていたグレイス隊長により、運転手の自分が敷地内入れない珍事。
──そうだわ! せっかくだからカレン大尉は、ロンドンの町並みを観光してらっしゃい! せっかくアフリカから来たばかりなのだし、それがいいわ!
今から申請して通行証を発行してもらえば良いのではと思ったが、当のグレイス隊長は自分のアイデアが名案と言わんばかりに追い出されてしまった。
ポツンとロンドンの街に一人。
隊長はああ言ったが、正直観光なんて気分じゃなかった。
少し歩き、適当に座れるベンチを見つけるとそこに座る込んでしまう。
視界に入るのは公園の中心に設置された噴水と町並みの向こうにそびえ立つビックベンの時計塔。
「……本当にアフリカじゃないんだな」
物静かな町並みには鉄火場の激しさなど無縁で、自分だけが異物であるような居心地の悪さ。
自分がいるべきなのはこの場所じゃない。そう思っていても、もうここを離れられない。
「どうしたら、良いんだろうな……」
噴水の前でたむろする小鳥に聞いてみても、彼らは首をひねってこちらを見るだけで飛び去ってしまう。答えてくれたとして、どんな答えを求めていたのか。自分でも分からない。
青空の向こうに小鳥が飛び去っていく。
そういえば。こんな光景を、昔何処かで見た気がする。
そうだ。思い出した。
故郷の空だ。
凍てついた鈍色の冬を越えた、暖かい春の空。
俺のいた村は村人が300人くらいの本当に小さな村だった。
カールスラントとの国境沿いにあるオラーシャの小さな寒村。
特に何か特産物があるわけでもない、どこにでもあるありふれた村で俺は生まれた。
両親は元々音楽家で。
昼は畑仕事をして、夕方からは楽器の演奏を習う。毎日はそんな穏やかな日々の繰り返しだった。
眠る前、よく妹が歌を歌っていたような気がする。
ラジオで聞いた何処かの国の歌。
妹の歌を聴きながら眠る。それが好きだった。
そんな日々突然終わった。
カールスラントに侵攻していたネウロイは、カールスラントを制圧するとその手を東のオラーシャにまで伸ばした。
国境沿いにあった村は三ヶ月だけ持ちこたえて、そして潰えた。奇跡のような三ヶ月で、悪夢のような三ヶ月だった。
もう村があった場所には何も残っていない。建物も、畑も、人も。
何もかもが踏み潰され、砕かれ、粉々となってしまった。
もうあの空は見られない。
あの風景はどこにもない。
妹の歌は聴くことは出来ない。
妹の歌。どんなものだったか。
──歌が、聞こえた。
「……え?」
遠い故郷の畦道を通り抜け、夜空に照らされた景色、響く鐘の音と風。音律は懐かしい故郷の風景を歌っている。
目を覚ました。
いつの間にか眠っていたようで、陽は大きく傾いている。
「さっきの歌……」
それよりも意識は聞こえたはずの歌に向いていた。
耳を澄ますと、また聞こえた。
──歌が、また聞こえる。
歌の続きが聞こえる。
そのありかを求めて、足は自然と動いていた。
──歌は、まだ聞こえている。
公園の中にある小さなステージ。
観客もいないその場所で、少女は歌っていた。
「歌う……、ウィッチ?」
少女の頭部には魔法力を意味する魔道針は展開され、そこから伴奏が流れているようだった。
目をつぶったまま歌っているからか、少女はまだ観客が増えたことに気がついていないらしい。
彼女は歌い続ける。
故郷を想う歌を歌う。
それが上手なものであると、素人にも理解できるほどで。
ただの音の連なり。どうしてか分からないほど感情を揺らしていく。
歌う少女に、かつての妹の姿が重なり、故郷の景色が重なる。
ただの歌が、そんなにも記憶を呼び起こしてくれていた。
やがて、少女が歌を終えた。
「ハラショー……。いや、この国の言い方だとブラボーだったか?」
確か劇場では、こうして演者を労うのだったか。
「──はえ?」
観客がいるとも想っていなかった少女は、唐突に現れた俺に驚いて、そんな声を発した。
●
「それじゃあ、チェルノフさんはウィザードさんなんですね」
公園で歌を歌っていた少女はヴァージニア・ロバートソンという。
なんでも使い魔のモフィーを仲間の元に返すため、田舎から首都ロンドンに足を運んだという。
ウィザードである俺と会い、モフィーについて思い当たることはないかと問われるが、モフィーのような鳥類を見るのは初めてだった。
「でも……、ウィッチをたくさん見ているチェルノフさんでも見たことないなんて……。困ったな……」
残念ながら、ジニーの抱えるモフィーに似た使い魔を俺は知らない。鳥類のようだが、なんというか丸っこい。似た種類の鳥に心当たりはなかった。
「すまない。力になれろうになくて……」
「あっ! 良いんです。モフィーを仲間の元に返すために、のんびり探そうって思っていたので。そのうち、アフリカにも探しに行こうかな?」
「アフリカは、……やめておいた方が良い。あんな場所……」
田舎から出てきたばかりというジニー。アフリカの惨状を知らない彼女は、簡単にそんなことを言ってくれる。漏れ出た声は不愉快を隠せない。
「……あ。ごめんなさい。チェルノフさんはずっとアフリカにいたんだから、こんな言い方だと良い気分しないですよね?」
我ながら未熟だ。こんなことで簡単に動揺して感情むき出しにして、年の下の子に無用な気遣いをさせている。
「いや……、そういうつもりで言った訳ではなくて……。いや、よそう。もう飛べない俺が何を言ったところで、意味なんてないよな……」
「飛べなくなった?」
軍人でもない一般人に口を滑らし過ぎた。
彼女の歌のせいだろうか。普段よりもずっと感傷的に、おしゃべりだ。
「……、大したことじゃない。軍隊じゃ良くあることだ。戦場が余りにも過酷で、身体が壊れる前に、頭の方がダメになって使い物にならなくなる。激戦地じゃ、よくある話だ。本当に……」
改めて言葉にするとなんと情けない。
ほら見ろ、彼女の困った顔を。
今さら気にするな、などと言っても余りにも遅すぎる。
「戦えない兵士には、意味なんてない。同情とか、そういうのはいらない……」
俺にはもう、そんな価値すらない。
「なら、どうしてチェルノフさんは軍隊に残ったんですか?」
「残った……、理由?」
「だってそんなに辛いなら、軍隊を辞めちゃっても良いんですよね?」
「え? ああ……。確かに除隊は認められているけれど……」
戦えないほどの負傷といった理由があれば、ほとんどの場合依願除隊は認められている。事実、俺にもその打診はあった。けれどはっきりと答えを出すことが出来ず、転属の命令が下った。
「なら、大丈夫ですよ」
ジニーは花のようにはにかんで。
「辛くて、戦えなくなって、自分が嫌いになっても、チェルノフさんは逃げなかったんですから。なら、価値がないなんてことないですよ」
「戦えなくても……。良いのか? 俺は兵士なんだぞ」
「だってチェルノフさんは、それでも軍隊にいたいと思ったんですよね?」
軍隊にいたいと思った?
「チェルノフさんがやりたいと思ったことを、しても良いんだと思います。私はモフィーを仲間のもとに返してあげたくて、ロンドンに来ました。でも全然手がかりもなくて。それって無意味なことですか?」
自分が望んで行った行動なら。結果がともわずとも意味がある。
彼女はそう言いたいのだろうか。
こっちの落ち込みようを見て、慰めようとするからか。彼女自身も上手く言葉を紡げていないようだった。
それでも、こちらを気遣う気持ちは伝わる。そんな素朴な優しさは、落ち込む心を溶きほぐしてくれるようだった。
「ありがとうジニー。今日、君の歌が聴けて良かった。モフィーの仲間探し、応援している」
「ありがとうございます。私もウィッチのことが聞けて嬉しかったです」
それだけ言って、俺たちは別れた。
今いる部隊は望んでいたものではない。それでも。俺がここにいる意味はあるのかもしれない。少なくともそれを探すことくらいは出来るかもしれない。ジニーはそれを示してくれた。
そう思えば、それまであった閉塞感が少しだけ解けるようだった。
空を見上げれば、薄暮も過ぎかけ、星が空に顔を覗かせようとしている。
──マズい。そういえばグレイス隊長のことをすっかり忘れていた。多分、あの人は今待ちぼうけを食らっている。
「……そろそろ行くよ。待たせている人がいる」
「そうなんですね。じゃあ、またいつか!」
「ああ。また空で」
「空……、ですか?」
ナイトウィッチ特有の言い回しに、ジニーは不思議そうに首をかしげている。
ナイトウィッチの素養こそあっても、彼女は軍人ではない。なら知らないのも当然か。そこまで頭が回らなかった。
「ナイトウィッチの挨拶みたいなものだよ。離れて会えなくとも、空に上がれば無線でまた互いの声を聞ける。そういう挨拶だ」
「空でまた……。はい! またいつか!」
別れを告げ、ジニーと別れた。
グレイス隊長を拾うため、急いで街中を駆け抜けた。
少し冷えてきた風を感じながら、考える。
俺が今、ここにいる意味。もしかしたらこの音楽隊でなら、見つけられるのかもしれない。
澱んでいた自分の中の感情が、何かが変わる。そんな予感があった。