双発機のエンジン音が聞こえる。ジブラルタル海峡上空、音楽隊を乗せたランカスターがアフリカの東、キュレナイカを目指し飛ぶ。
「見てっ、ジニーちゃん! 砂漠だよ!」
「うわー! 本当だ! 砂が海みたいにずっと広がってる!」
窓に張り付いているいのりとジニーが、初めて見る砂漠の風景に興奮してた。
「カレンさん! 砂漠が見えてきましたよ!」
「……え? ああ……。そうか。もう、ジブラルタル海峡を抜けるのか」
気の抜けた生返事。目に映る光景が変わっていることにすら気づかないほど、ぼんやりとしていたらしい。
「カレンさんはもともと、アフリカの航空隊にいたんですよね?」
「ああ、これから行くキュレナイカ、そこに5年いたよ」
「なら、部隊の知っている人に会えるの、楽しみですね」
「……そうだな」
ジニーの良い笑顔に、返事は暗い。
アフリカを離れて既に半年、もはや懐かしさすら覚える頃。アフリカの同僚と、また会えることに嬉しさはある。けれど、部隊を離れる日。自分は何も言わず、出て行ってしまった。
今さら、どんな顔をして会えば良いのだろうか。あまり良い考えは思い浮かばない。
「みんなカレンさんに会えるの、きっと楽しみにしてますよ」
「そうだと、……良いんだけれど」
●
キュレナイカに到着したのは昼下がりの頃だった。砂の大地は陽光に照らされ、風景は淡く揺れている。吹き抜ける風は時々砂が混ざり、熱と共に特有の味がある。
「……戻ってきたんだな」
ランカスターから降りて、大地を踏む。踏みしめているはずなのに、砂が広がり少しだけ沈んでいく。足の裏が温かい。
「おーい、みんな! 挨拶に行くわよー!」
先に降りていたグレイス隊長が遠くから呼びかける。今回の公演は前線部隊への慰問公演。慰問先である部隊への挨拶があるのだろう。メンバーに呼べかけている。
挨拶回りは演者が中心。後方の自分は宿舎で待機となる。
邪魔にならないよう先に行っていよう。
ランカスターの整備と点検をアフリカの部隊に預けるのが先か。
「……もしや、カレン中尉でありますか?」
ランカスターの引き継ぎをしている際、整備員の一人に呼び止められた。
目が合い、整備員は破顔する。
「やっぱり! カレン・チェルノフ中尉ですよね! アフリカに帰ってこられたのですか?」
知った顔であった。アフリカ時代、自分のストライカーユニットの整備を担当てくれていた整備員だ。
まさかこんなところで顔を合わせると思わず、驚いてしまう。
「いや、俺は今、音楽隊の所属なんだ」
「先ほどいらした? そうだったのですね。転属されたとは聞いていたのですが、まさか音楽隊だったとは……。しかし公演でいらっしゃるなんて、なんて偶然!」
「あ、ああ……。しばらくの間、また世話になるよ」
「はい! ストライカーではありませんが、カレン中尉の乗る航空機! 新品同然に整備させていただきますとも!」
青年らしい元気の良い挨拶。そういえばアフリカにいた頃は、毎日こんなやり取りをしていたことを思い出した。
「そういえば……。ウィッチ隊の皆さんには会いましたか?」
「それは……」
思わず言葉に窮する。考えないようにしていたことだ。
どうやら部隊の方では、俺の病気のことは伝わっていないようで、突然転属した扱いになっていた。
「これから、顔を出しに行くところだよ」
「そうでしたか! きっと皆さん、中尉に会えることを楽しみにしていますよ!」
相手はそうは思っていないよ。
心の中で呟く。騙してしまう形になってしまい、正直胸が苦しい。
「では、これから自分は整備に取りかかりますので。カレン中尉はゆっくりとなさってください!」
「ああ、そうさせてもらうよ。……あと、今は大尉なったんだ」
アフリカからの転属と同時に階級が上がった。だから整備員の青年は、俺の階級を間違えていた。アフリカのみんなにとって、俺はカレン中尉のまま。
「──っ! それは、失礼いたしました。では、改めましてカレン大尉。アフリカに良くぞ、お戻りになりました。整備班一同、歓迎いたします!」
「……うん。短い間にはなるけど、よろしく」
話し終えると、青年は整備班のもとへ戻っていき、仕事に取りかかっていた。工廠の中の重機類が一斉に動き出して、ランカスターの整備を始める。
ここにいては、仕事の邪魔をしてしまうだろう。
きびすを返し、工廠を出る。
「さて。……これからどうしようか」
宿舎に行くにはまだ少し早い。ランカスターから降ろした荷物が届くのはもう少し後になる。
「なら、こちらの用事に付き合ってもらおうか?」
「──えっ?」
不意に横から声がした。同時に腹部に重い衝撃。
激しい痛み。思わずかがみ込み、動けなくなる。
何が起きたか分からない。
痛む腹を押さえつつ、声の主を見ようと頭を上げた。だが、先に被せられた紙袋か何かのせいで、僅かに長い金の髪が見えただけ。
その髪色には見覚えがあった。だけど、どうして。こんなことをしているのか分からず、確証が持てない。
「ま、マルセイユ……。なのか?」
「……連れて行け」
言葉は返ってこず、何も見えない視界。地面に転がされ、手足が縄か何かで縛られる感覚があるばかり。
訳も分からないまま、運ばれる。
何が起きたか、まったく分からなかった。
●
「ティナ……。やっぱり、これはやり過ぎだよ」
「いいや当然だ。黙ってどこかに行ったバカにはお灸をすえなければ」
どこかの部屋。紙袋を被せられ、手足を縛られたまま。椅子に座らされた。
気配から部屋の中には6人いることは分かる。話しているのはマルセイユとライーサ。他も恐らくウィッチ隊のみんなだ。
どうしてこんなことになっているのか、分からないまま混乱する。
「まあ、細かいことは良い。さっさと始めるぞ」
気を取り直したマルセイユの声がする。
続いて、硬い何かで軽く胸を小突かれた。
「名前と階級を言え」
「……一体何なんだ。どうしてこんなことをしているマルセイユ、──っ!」
「私は名前を聞いたはずだぞ。質問されたこと以外、答えるな」
事情を聞こうとして、今度は強く突かれ軽くえずく。
余計な事は話すなと言いたいらしい。
「……カレン・チェルノフ。オラーシャ陸軍、大尉」
「そうだ、言われたとおりにしろ。あと、お前は中尉だろ。……出身は?」
「オラーシャ。カルネ村」
「航空隊での担当は?」
「遠距離狙撃、及び探査能力を用いた夜間偵察。……いや、後方幹部」
ばかばかしい。こんな詰問まがいの行為に、どういう意味があるっていうんだ。
そんなこと、5年間も一緒にいたお前たちなら重々承知だろうに。
「……では、最後の質問だ。所属は?」
「──っ!」
言葉の纏う空気が変わった。この訳の分からない状況。その目的は、このたった一つの質問のためのものなのだ。だけど、なんて答えたらいいんだ。俺はどこにいる。
なんて、答えるべきなんだ。
「……連盟空軍航空魔法音楽隊。俺はルミナスウィッチーズの一員だ」
周りから、息を飲む声がした。
「──っ! ああ、そうか! よく分かったよ!」
明らかに激昂した声のマルセイユ。風を切る音。拳を振り上げた音だ。
「ダメ! 堪えれてティナ!」
「止めるな、ライーサ! もう、我慢ならん!」
揉め始めるマルセイユたち。
止める、止めないと言い争う中、突如扉が勢いよく開かれた。
「今だ! カレンを助けろ!」
ドタドタと踏み込む複数の足音。数は9。聞こえたアイラの声からして、音楽隊のみんなだ。
被されていた紙袋が取られ、視界が開かれる。俺をかばうように立つ音楽隊のみんな。剣呑な雰囲気の中、マルセイユをにらみつけるアイラ。
「うちの大尉が随分と世話になったようだな。……それで、これは一体どういう催しなのか、説明してもらえるのだろうな?」
「うちの? そいつは私たちと同じ、アフリカ所属のウィッチだ」
「カレン・チェルノフ大尉は音楽隊の所属だ。正式な辞令も下っている」
「辞令? 知らんな。そいつは黙ってどこかに出て行った脱走兵だ。だから、脱走の理由を尋問しているんだ」
「そんな言い訳が通じると、本気で思っているのか?」
ジニーたちに縄と解いてもらっている最中、アイラとマルセイユの言い争いはどんどん酷くなっていく。
「一体これは何の騒ぎだ!」
扉を蹴破って、更に乱入者が現れる。基地司令のアレクサンドラ大佐だ。
紅い瞳を散り上げ、怒鳴り散らしている。
しかしアフリカのウィッチ隊と音楽隊の言い争い。そして縄で縛られている俺を確認して一転、大きく息を吐き捨てて頭を抱えた。
「……危惧していたことが起きてしまった。起きて欲しくないことばかり、どうして起きてくれるか……」
頭を抱えたまま、ゆらりと歩を進めるアレクサンドラ大佐。しなだれた髪の向こう、紅の瞳がマルセイユを睨みつける。
「マルセイユ……」
「基地司令、先ほど脱走兵を……」
「自室待機! 異論は許さん! 貴様らも全員だ!」
マルセイユの言葉を遮り、アレクサンドラ大佐は言い放つ。上官の命令に、渋々という様子で従う。
部屋を去って行く面々。部屋を出る直前、マルセイユが一度だけこちらを振り向いて言った。
「話はまだ、終わっていないからな」
言い捨てて、出て行った。
扉の向こう。物々しい雰囲気で出て行ったウィッチ隊を、目を丸くしたグレイス隊長が見ていた。状況を知らない隊長は困った表情で、
「その、荷物を運び込んでもらったのだけれど……。そういう空気……、じゃないのよね?」
どうしたものかと、首を傾げていた。
●
「本当にすまない。気を遣って、詳細を伝えなかった私のミスだ」
アレクサンドラ大佐の執務室に連れられ、開口一番に謝罪と共に頭を下げられた。
「いえ、指令のせいでは……。むしろ何がどうなっているのか、知りたいと言いますか……」
困惑を口にする。アレクサンドラ大佐は何度目か分からないため息を吐き、乱暴な動きでソファに座り込む。
「カレン、コーヒー。……あ。すまない、つい……」
「ははは……。いえ、大丈夫ですよ。お砂糖、4つでしたよね?」
こんなやりとりも懐かしい。
「確か、机の横のキャビネットの……」
「ああ、定位置は変わっておらんよ」
戸を開けば豆の入った缶と瓶詰めの砂糖。身体は覚えているらしい。手慣れた動きでコーヒーを煎れる。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう。……相変わらず、お前の煎れるコーヒーはうまいな」
「誰がやっても、同じですよ」
「それでも、だ」
アレクサンドラ大佐が微笑む。コーヒーを一口。グレイス隊長とは紅茶ばかりであったから、こうしているとアフリカに戻ってきたのだと実感する。
一息つき、アレクサンドラ大佐が口を開いた。
「業腹だとは思うが、マルセイユたちのやったことを許してやって欲しい」
「いえ、それよりも。どうにも、みんなの私に対する認識に、間違いがあるようにおもうのですが」
「あー、その事なんだがな……」
どうしたものかと、自分の頭を小突くアレクサンドラ大佐。
「お前が転属する時に、私はその詳細を周知しなかったんだ。お前の名誉を守ろうとしたつもりだったんだが、逆効果だったようだ」
「それで、あんな。……状況に?」
「お前がいなくなった理由を言えず、ただ転属したと言い張ったのがマズかった」
要すれば。残された側からすれば、俺は何も言わず突然姿を消した同僚。あげくに他の部隊に転がり込み、何食わぬ顔でのこのことやって来た無責任な奴ということになっているのか。
それは、怒って当然だ。同じ状況なら、俺だって、いい顔をしない。
「もし、カレンが彼女たちと話をしたいと思ってくれるなら、一度君の自室に行くと良い」
「自分の自室ですか? しかし、あそこはもう……」
自分が音楽隊に転属したのは約半年前。もう既に後続の誰かが使っているはずだ。
「行けば、分かるさ……」
だというのに、アレクサンドラ大佐は少し悲しそうな顔をするばかり。
どうしたものかと考え、コーヒーに口をつける。
もう、とっくに冷めてしまった。
もう一度暖まるには、煎れ直さなければいけない。
●
前に使っていた自室の場所は覚えている。
階段を登り、三階の一番端。手作り感のある扉がそうだ。誰が壊したのやら。ウィッチ隊全員でなんとか作り直したのは記憶に新しい。
「──驚いた」
部屋の戸に飾られた名札。記された名はカレン・チェルノフ。自分のものだった。
なぜ、変わっていないのか。分からない。
ドアノブを捻ってみれば、鍵はかかっていなかった。
簡単に扉は開き、部屋の全容が見える。
「何もかも……、あの日のままだ」
調度品も、小物も、雑貨も。何もかもが出て行った日のそのまま。
置いていった集合写真すら残っている。ウィッチ隊7人で映った写真。
触れてみる。埃一つなく、きれいだ。毎日、誰かが掃除をしていなければ、こうはならない。
「誰が、一体……」
「ウィッチ隊が持ち回りで、だ」
背後からの声。振り返れば、マルセイユがいる。両手にはバケツと雑巾。
こちらを睨みつけ、マルセイユは黙々と掃除を始める。
マルセイユが誰かの部屋を掃除する。なんとも信じられない光景に、ただ呆然と見ているしかできない。
長い沈黙。先に口を開いたのはマルセイユだった。
「言い始めたのはハリエットだ」
「……ハリエットが?」
ハリエット・アメリア・アドキンスはアフリカにいた頃の後輩だ。俺が来た翌年にブリタニアから転属してきたウィッチ。性格は穏やかで、何時も周囲に気を配ってばかりいる、そんな優しい子だった。
「お前が、何時戻ってきてもいいように。そういってハリエットが始めた」
「……そうか」
ハリエットらしい。そう思った。夜間の警戒に飛ぶ時、いつも夜食をわざわざ作ってくれていたハリエット。彼女はいつもそうやって誰かのことばかり気にする子だった。
「──っ! そういえば、ハリエットはどうした? さっきはいなかったようだが……」
腰を下ろし、こちらに背中を向けたままバケツで雑巾を絞るマルセイユ。
彼女は淡々と告げる。
「死んだよ」
心臓が、大きく脈打った。
「──っ! ネウロイ、……か?」
「ああ……。夜間哨戒の時にな。レーダーを掻い潜った奴と遭遇して、そのまま……。一瞬のことで、助けられなかった」
「でも、どうして……」
ハリエットはナイトウィッチではなく。夜間哨戒の適性は殆どないはずだ。それが、どうして。
「どうして、だと……?」
布の引きちぎれる音。濡れた布が床へと投げつけられ、マルセイユが勢いよくこちらへ立ち上がる。
怒りに染まった青い瞳が、俺を睨んでいる。
「そんなものっ! お前がいなくなった夜間哨戒を、ハリエットが代わったからに決まっているだろ!」
「ハリエットが……。そんな……、そんなのって」
「ようやく、自分がやったことの重大さを分かったか」
俺のせいで、ハリエットが、死んだ……? 俺がアフリカから出て行ったから?
「本当は、お前の顔なんて見たくなかった」
マルセイユがうつむく。
「それでも。お前がまだ、アフリカの一員だと言ってくれたのなら、戻ってくるつもりがあったのなら、……それなら、まだ許せた」
失ってしまった仲間のために、命を賭けてくれるなのなら。
「だけど、お前は! もう、私たちのことは他人だと言った!」
「ち、ちが……。俺はそんなつもりで言ったわけじゃ……」
「うるさい! 大っ嫌いだ。お前も! お前のいる音楽隊も! 安全な場所から暢気に歌って、敵の一つも倒さないお前たちなんて、嫌いだ!」
投げつけられるバケツ。ひっくり返り、頭から水を浴びた。
滴る黒い水が、ただ床へ落ちていく。
飛び散る水は机の上にあった写真、アフリカのみんなで撮った集合写真を濡らしてダメにしていく。
部屋から走り去るマルセイユ。その背中に、何も言葉をかけられない。
自分が引き起こしてしまったことを受け止めることで、それだけで、もう、精一杯だった。