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「おいっ! 叢雲戻れ馬鹿っ。馬鹿野郎!」
(うっさい!)
海上の砲撃戦。オイルと骸にまみれた水面で叢雲は、一文字の白線を踵で生み出しながら颯爽と駆け抜けていく。
天龍の怒号を意識の隅に追いやり、煙を上げて抗う敵艦に止めを指すべく単騎突貫する。
無謀な突撃には多くの散弾と雷撃が出迎えたが、幸運が味方についたのか全て叢雲の後方に飛沫を上げて終わった。
深海棲艦の醜い形状がはっきりと視認できるまで距離を詰め、左手の10cm連装高角砲の砲塔を目標へ真っ直ぐに伸ばす。
「とった!」
炸裂音とともに深海棲艦の横っ腹に穴が空き、ワンテンポ遅れて爆発と轟音があたりを支配する。
(しまっ!?)
近距離で断末魔の爆風を全身に浴びる。軽いからだは海面を水切りのように跳ね飛んでいき、叢雲の久々の第一艦隊復帰戦は意識が刈り取られて終了した。
軍規違反、命令無視、危険行動。そんな言葉が並べられた辞令を叢雲は、ベッドに寝そべったまま使い終わったガーゼのように放り投げる。
奇跡的な生還も憂鬱さに拍車をかけるだけ、こんな恥をかくはめになるんだったらいっそ沈んだ方が良かったのではないか、そんな考えが頭を横切るほど叢雲の心は陰惨としていた。
(なにやってんのよ、私)
叢雲配備以来、戦備は着々と増強されてきた。近日、主力は戦艦と空母が台頭し、駆逐艦の役目といえばもっぱら鎮守府近辺の警備か資源確保のための遠征。
そんな中で降って湧いた幸運、海流と地形により駆逐艦しか進行不可能な海域が発見され、裏方に回っていた駆逐艦たちには最前線への移動が決定した。
先の艦戦は海域突入のための前哨戦――駆逐艦の選定戦と言ってよく、叢雲は多くの駆逐艦娘達と同じ思いで戦闘に望んでいた。
『もう一度、司令の隣に』
鋭い勢いで拳をベッドに叩きつける。
軋んだ音が響く。体に走った痛みも心に比べれば可愛さすら感じる。
「くっ……」
腕で覆った目元から雫がこぼれる。
第一艦隊への配備は絶望的なんてものじゃない。まごうことなき脱落確定だった。
コン、コンと、叢雲の部屋に控えめなノック音がなった。
「……誰」
「叢雲さん。ちょっといいですか?」
「!!」
こぼれる涙をそのままに叢雲は跳ね起きた。聞こえた声は聞き間違えるはずがない声。
「叢雲さん、開けますね」
「え、ちょ」
扉が開く。叢雲の前に現れたのは、海軍伝統の白色軍服、白色帽に左官を示す金の2条1.5cmの肩章。
「少し一緒に、外に行きませんか?」
彼女らが司令官・提督と仰ぐ、物腰柔らかい少年提督。叢雲が見た、任官時と変わらない笑顔だった。
「今日はまさしく、"天気晴朗なれども波高し"。そんな天気ですね」
「……そうね」
鎮守府に設けられた高さ20mほどの見張り台、ここは既に廃止が決定し幾日かすれば取り壊される。人目につかず話をするには最高の場所。
叢雲は彼の表情が読み取れなかった。いつもと変わらない、見ているとこちらの気が抜けてしまうような朗らかな笑顔。
今は自らの失態から邪推しかできない。いや、アンタがそんなこと言うはずがないけれど、と思い直しはするものの、結局なぜ自分が呼ばれたのかはわからなかった。
既に自分には失格の烙印が押されているのだから。
「何のよう? しれ……提督」
叢雲はすました顔でいつものように、何事もない日常的な会話を始めるように努めて言葉を出した。
「呼びやすい方で構いませんよ。旗艦になる方がよく入れ替わるので、もう形骸化してしまってますから。とりあえず座りましょう」
提督があまりに自然な動作で落下防止柵のない場所を通ってヘリに腰掛けたため叢雲はギョッとしたが、はあっと一度息を吐いて隣に腰掛けた。
「ここも広くなりましたね」
「そうね」
眼下の鎮守府は二人が着任した頃と比べれば様変わりしている。宿舎、ドッグ、工廠は拡張され、近海では演習に励む艦娘達が見て取れる。
閑散としている場所は今叢雲と提督がいる見張り台ぐらい。最初提督室にダンボールが置きっぱなしだったことを戦艦や空母たちは知らないだろう。
時がたち、色々と変化していた。提督に侍る旗艦も。
かつて艦隊筆頭だった叢雲の立ち位置も。
「叢雲さんに、今日は聞きたいことがあるんですよ」
「なによ」
「最近の私は、どうですか?」
叢雲には質問の意図がわかりかねた。叢雲がそんな顔をすると、提督は苦笑して付け足す。
「ごめんなさい。最近の私の指揮ぶりとか、運用とか。叢雲から見たこの艦隊の私の仕事振りは、どう見えますか?」
叢雲は目をつむった。目を開けて、水平線を見つめる。
「よくやってるわ。戦果もあげてるし艦隊に大きな被害もないし、私情に流されて判断に迷うこともないわね」
「ありがとうございます」
ただ、ちょっと物腰が柔らかすぎる。と叢雲は言おうとしてやめた。提督はこんななりだが、少なくとも配備された艦娘達になめられてはいないだろう。表面上反抗しているような者もいるが、皆命令に忠実。提督に対し陰で不平不満を言うものは見たことがない。
艦隊の編成についても徹底している。いかに被害が出ず戦果をあげられるか、能力が高いものなら新参古参問わず秘書艦に抜擢されるし、台所事情によっては重巡洋艦や軽巡洋艦にもチャンスが来る。
経験の浅いものも積極的に遠征や演習を行っているし、控えに回っている艦娘たちにもいい緊張感が生まれていた。
だから先日の駆逐艦一隻の独断先行は、提督着任始まって以来の指揮官監督不行き届きと言える。
叢雲は自覚すると提督の前で歯ぎしりすることを必死で耐えた。
(あやまる、べきね)
プライドの塊のような彼女だったが、だからこそ私情に駆られ失態を演じた自分を許せなかった。今回の失敗は本部にも当然報告が行っているだろう。
彼の経歴に傷をつけた。
彼の隣にいたい。
あの場所に最初にいたのは、私。そんな私情のせいで。
叢雲は頭を一度振り、ちゃんと謝罪しようと決心を固める。が、
「ごめんなさい」
「え」
先に謝罪の言葉を発したのは提督だった。
「なっなんであんたがあやまんのよ!」
「今回の作戦の失敗は、私が叢雲さんに植えつけた競争意識のせいです」
「っ!?」
図星を言われ叢雲は目を見開いたまま固まってしまう。
「仲良しこよしもいい。ただそれだけの艦隊は、被害が最小限になることは目指せても、戦果が最大限になることは二の次になってしまう。そう思ってとってきた指揮が、叢雲さんを、追い詰めてしまいました」
「そんなことっ……!!」
ないとは言い切れない。頭ではわかっていても、彼女の誇りと自負は高すぎた。
「……そんなことないわっ! 私はただちょっと失敗しただけよ! そもそも、あんただって大切な作戦で駆逐艦一隻大破したぐらいでなに撤退して」
「僕はっ!!」
「!?」
叢雲は提督のこんな声を聞いたことがなかった。気圧され、言葉がとまる。
「……はじめから、強かったわけじゃありません。色んな人から教えられて学んでここにいます。提督になってからも、艦の方たちにはいつも助けられています」
提督は顔だげ叢雲に向け、目線で射抜く。
「世話になった方々への気持ちに大小はありません。だけど序列はあります。真っ先に恩義を返さなくてはならない"人"。それは」
叢雲は、提督がわからなかった。
「あなたです。叢雲さん」
「……それが、なんだっていうのよ」
叢雲はこんな時ですら悪態をついてしまう自分をぶん殴りたかったが、ついぞ言葉は出てしまう。
「初めて艦隊を持った時、実戦でしかわからない事を叢雲さんは細かいことまで逐一報告してくれました」
「あれはあんたがそうしろって言ったんじゃない」
「私が命じた以上のことをしてくれました」
「当然よ」
叢雲は自分が褒められてちょっと余裕がでてきた。
「だから今回の海域突入作戦、最初叢雲さんには前哨戦は指揮所に待機してもらって、本作戦決行時に旗艦を勤めてもらおう思ってたんです」
「え」
が、また固まってしまう。
「旗艦時の指揮能力は疑いようがありませんでしたから。だけど、私は叢雲さんを他の駆逐艦達と同じ土俵に立たせた」
前哨戦での本作戦決行時の駆逐艦選定。あの時天龍が旗艦を勤めたのは、勇み足に出るであろう駆逐艦を諌める思惑が合ったのだろう。天龍には遠征で駆逐艦達をまとめている実績があった。
その前哨戦で出撃もしていない者が本作戦で旗艦になれば、不満が出る可能性はある。
「他の子たちの事を考えたら、当然の判断じゃない。私が、私が単純にから回っただけよ」
叢雲は自分で言ってて心底情けなかった。提督は艦隊全体の状況を見て判断したというのに、自分が私情で全てをぶち壊したのだ。
「いいえ、違います。私はちゃんと説明するべきだったんです。叢雲さんに旗艦を勤めてもらうこと。理由は旗艦の経験があり指揮能力に問題がないこと。それをあらかじめ叢雲さんと他の娘達に説明すればいいだけだったんです」
「結果論じゃないそんなの。私が、私が単純に」
(あんたの隣を、初めは私が最初にいたあの場所を、取り戻そうなんて思わなければ)
「違います。私は逃げたんです。皆と叢雲さんに、私の説明する力では納得させることができないのではと、ならば実戦で実力を見せ合うような形にすればいいと、私は、逃げてしまったんです。その結果、叢雲さんを危険な目にあわせてしまった!」
(なんで、あんたは)
叢雲はやっと思い出した。提督がこういう人間だと言うことを。努力は怠らない。感情に目も曇らない。ただ、成功の理由を他者に渡し、失敗の理由を全て自分で受け入れる。そうすることで自分はまだまだ、努力しなければならないと奮い立たせる。
そんなんだから、それを見た周りの人間が彼の役に立とうとやっきになるのだ。
(……こうなっちゃうと、ほんと聞き分けないのよね)
彼は何も変わっていない。
「つまりあんたは、私や他の娘達があんたの説明じゃ納得しないと思ったから、今回の実戦の戦果で選ぼうとしたのね」
「はい……」
既に彼は叢雲の糾弾をまっている。おかしな光景だった。
(この馬鹿。どうすれば……)
彼の言葉を疑うような娘など、いるとは思えない。どうすればわかるだろうか。
「……」
(本当、どうしようもないわね)
叢雲はこんな状況にでもならなきゃ本音を言えないのかと自嘲した。
「私はね。あんたが好きよ。他の娘達だってあんたが嫌いなやつなんていないと思うわ。だから次があったら、ちゃんと説明しなさい。皆納得する。私が保証するわ。あ、返事すんじゃないわよ! まだ終わってない!
あんたが今回の事についてまったく責任を感じることはないの! いい? あんたが駆逐艦達の実力を図るのは間違いなく必要だった。ただ、私が、あんたのことを好きすぎて、秘書艦になりたいって思って空回りしちゃっただけで」
なんかとんでもない事を言ってしまっていた。叢雲は自覚すると口が震え顔が真っ赤になっていく。
「え」
「ばっばか! なんてこと言わせて……」
「……ふふ、ははっ……」
「わっ笑うんじゃないわ! 酸素魚雷を食らわせるわよ!」
真っ赤になってあせる叢雲に、さらなる追い打ちがかかる。
提督は叢雲の手を優しく握り、しっかりと見つめ微笑んだ。
「ありがとう。叢雲さんを最初に選んで、本当に良かった」
「……! ……だったら」
叢雲は恥ずかしさと嬉しさが混じって直視できず、唇を尖らせて言う。
「だったら……ちゃんと大事にしなさいよ」
「はい」
「たまには……。私と二人になる時間をつくりなさい」
「うん。今回のでわかりました。叢雲さんはやっぱり、隣にいると安心します。結構私も追い詰められてたみたいです」
と提督は恥ずかしそうに頬をかいた。
「……ふふ。謹慎とけたら、ばりばり働いてやるんだから!」
「ええ、待ってますよ」
「……さっきあんた、僕って言ったわよね」
「あ、わっ忘れてください。お恥ずかしい……」
「司令官なんだからもっとふてぶてしくしたら? 距離おかれてるって勘違いする娘がでてくるわよ」
「! そんな気はなかったんですが……」
「知ってるわよ。まあ、いちいち私がいうことじゃないわね。あんたももうわかったでしょう?」
「ええ。ちゃんと逃げずに、皆と話し合わないといけませんね」
暁の水平線を見つめる提督の顔は、もう勝利を求め邁進する日本男子のそれ。まだあどけなさが抜けないくせに、すぐにこういう顔ができる。
(ちゃんと繋いどかなきゃね)
叢雲は繋がれたままの手と手を見て想う。彼が指揮し奮闘する艦娘達がいる限り、深海棲艦との戦いにおいて、あの暁の水平線に勝利は刻まれ続けるだろうと。
(こっちの戦いも負けないわ。絶対に!)
脳裏に紅茶を持った帰国子女や数多のライバルたちが浮かぶ。
絡めた指を少しだけ深くし、握る力を強める。すぐに提督も握り返してくれる。
叢雲は彼とのプライベートの時間二人の時だけただの少女に戻ることを決め、彼との太ももの距離を少しだけ狭めた。