何気ない放課後のことだった。
いや、思えば少し苛立っていたかもしれない。
今朝から頭が痛くて授業に集中できず、頻繁に聞こえる耳鳴りと誰かにずっと視られているような感覚で落ち着かなかった。
気のせいだと分かっていたが、そう思い込まなきゃやってられないような熱烈な視線だった。これが女生徒のものであったらどれだけ良かったことか。振り返れど振り返れどそこに人の姿はなく、これじゃ万引きしたての不審者じゃねぇか、と自分を律し、今やルーティンと化した「部活動」に赴く。
二度手間になるのは避けたかったので職員室に顔を出したところ、鍵があった。まだ部室には誰もいないようだ。
アイツらが来る前に少しでも仮眠しておきたい……。どうせ人来ないんだし、よく考えたら誰もいない部室こそが最高の居場所なんじゃないか? いっそ内側から施錠して立てこもってやろうかな?
運動部の聞くだけで汗が出そうな掛け声が聞こえる。女子マネージャーの談笑が聞こえる。時々声を張って、部員たちを応援しているようだ。しかし一番楽しいのはやはり談笑のようだ。
ちらりと窓の外に目をやり、思わず目を瞑った。眩しい。目が焼ける。見るだけ無駄だ。これが見習うべき高校生活ってやつなら、一体この世の何割が模範生でいられるんだろうか。普通に難易度高すぎだろ。
すっかり自信喪失してしまったところで、足は部室の前に辿り着いていた。
ここが俺が根を下ろす居城「奉仕部」だ……。何もない、ただ風が穏やかなだけの……。
鍵を差し込み、慣れた手つきで捻ってポケットにしまう。
とりあえず早く寝たい。頭も、なんだか心も痛い。おかしいな。
少し立て付けの悪くなってきたドアをがらりと開けると、突如閃光が飛び込んできた。
「うわっ!!」
比喩じゃない。
まるで目の前でヤバい何かが爆発したかのような、真っ白く、どこか冷たい閃光に、だんだんと意識が遠くなるのを感じる。
ちょっと待て、こんなトラブル想定外───
思いの丈も届かず、俺はついに意識を失った。
* * *
「……う」
体が重い……。 頭が痛い……。
誰かが俺を呼んでる気がする。どこの誰か分からない。でもこの声は……子供? ……あぁ分かった、悪ガキか。俺またガキに舐められてイタズラでもされてんだろうな。ここで目開けたら目の前でダンゴムシの裏っかわ見せつけてトラウマを与えてくるに違いない。大人はダーティなんだぞ。本格的な狸寝入りだってしてみせるさ……。
「いや違うだろ」
違う違う、何もかも違う。部室はどうなった?
「……あれ?」
───見知らぬ、天井。思わずキョロキョロと辺りを見回す。
そこは全く身に覚えのない、どこかの建物だった。
頭の痛みも忘れて起き上がる。体に外傷はない。どうやら部室で浴びた閃光はデーモンコアじゃなかったらしい。助かった。
「しかしなんだ……? どうなってんだよ……」
未だに整理が追いつかないが、俺は気を失ったあとどこかに運ばれたんだろうか? 例えば病院とか……。いや、だったらもっと分かりやすいはずだ。それにこんな
一見すると高級ホテルのようなそこに
とりあえず部活動どころではないので、俺は同じクラスであり奉仕部の仲間である
「ウソだろ……」
……どこに落としてきたっていうんだ。このへっぽこポンコツ太郎。
空をかいた手を握りしめ、脱力した。
どうやらカバンを失くしてしまったらしい。恐らく閃光に驚いた拍子にずり落ちたか、倒れた時にそのままになってしまったのだろう。
誰が俺をここに連れてきたのか知らないが、人が倒れててそこに置いてあるカバンって明らかにそいつのじゃん。普通一緒に持ってくるでしょ。
「となると、頼れるのはコイツだけか」
右のポケットに入ったままだった部室の鍵を取り出す。
本当になんの意味もない。お前に何が出来る? 言ってみろ。
こうなってしまってはもう動かざるを得ない。人を探してここがどこか聞いてみよう。そうしよう。それしかない。諦めろ、俺。
俺みたいなやつはトラブルにぶち当たるととりあえず検索したりして自力で何とかしようとする。牛丼だって松屋に行く。何故かわかるか? 人と話さなくて済むからだ。無駄なコミュニケーションをとって浪費する体力で、なにかもっと有意義なことをしたくないか? 更に言えば「は?誰お前。キモ」と言われるリスクをお前は想定しているか? 俺は常にしてるね。
「せめて誰にでも優しいおばあちゃんとかであってくれ……」
震える心で建物内を歩いてみる。靴音がやけに響く。この建物は相当広いらしい。
しかし歩いていると、横にも縦にも長かった廊下にも終わりが見えてきた。
突き当たりに差し掛かると左手にエレベーターがある。極々平凡的な庶民である俺でも手に取るようにわかるが、やはり普通の建物ではないようだ。
どこかの高級ホテル……もしくは高級マンション。俺は誰かに介抱でもされたのか? いや、だったらあんな廊下で寝てるわけがない。知らない建物に居座り続けて警察に不法侵入だとか言われたらそれこそ厄介だ。このまま誰にも会わずに外に出よう。人の流れに沿って歩けば駅に着くはずだし、それから自力で帰れば済む話だ。……あれ、俺財布もないんだっけ。
自問自答を繰り返しながらエレベーターを待っていると、チリンと優雅な音が響いて扉が開いた。
「……!」
「あっ……!?」
まずい。まずい、まずい。まずい……!
「だれ……?」
「えっ!? あっ、あ……あの、怪しいものではございましぇん!」
馬鹿野郎どもるな、余計怪しいだろうが。
エレベーターの中には
桃色のふわふわとした髪をふたつに結い、スーツを洒落たカンジに加工した姿は重役人のSPを彷彿とさせる。背は俺より低いし、歳も近そうに見える。手元には三角コーンの形をしたスナックの袋が握られていて、それを器用に指にはめながら、俺のことなどまるで気にも留めずにサクサクと食べ進めている……。すると、どこか眠たげな目が再度こちらを捉えた。
「だれ……?」
「えっ、だ、だから……怪しいものでは……」
「知ってる……。だって警報、鳴ってない」
「警報……?」
「だれかのお客さん? それとも……新しいコ?」
「ま、待ってくれ。話が見えないんだが」
「わたし、
「あっ、あと……
「はちまん……。これ、お近づきのしるし」
そう言うと「髏々宮カルタ」と名乗る女は俺の手をいとも容易く取り、俺の人差し指に三角コーンの形をしたスナックをはめた。戸惑う俺を見てにこりと微笑む。思わず心臓が撃ち抜かれそうになったが、目の前の彼女が敵ではないことを悟ると少し気が和らいだ。
「……あの、俺もう用事終わったんで……帰りたくて……」
上手く笑えていない気がするが、差し出されたスナックを嬉しそうに(見えるように)頬張って問いかけた。
「迷子なの?」
「迷子……。ま、まぁそんな感じ……」
「わかった。お外まで案内するから、ついてきて」
俺は髏々宮に手を引かれ、エレベーターの中に連れ込まれた。
……しばしの静寂が心を蝕む。いたたまれなさと探られたくない一心で、俺は早く外に出たくて仕方がなかった。一方、髏々宮の方はやはり俺のことなど眼中にもないようだ。密閉された空間にサクサクという軽快な音だけが響いた。
「帰るなら、挨拶しないと」
突然はっとして、髏々宮はそう言った。
「挨拶?」
「さよならの前は挨拶。また来てほしいから」
「え……?」
正直何を言っているか分からない。1階に向かっているはずのエレベーターを遮るように髏々宮は「2」と書かれたボタンを押した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。挨拶って誰に……」
「……? みんなに挨拶、しないの?」
エレベーターがゴゥンと小さな音を立てて止まる。
扉が開かれると、その先にいたたくさんの視線が一斉にこちらに向けられた。
───嫌な予感がする。
「ん……? 髏々宮さん、そちらは?」
黒くさらさらとした
……が、俺が何より気になっているのはそのすぐ隣に立つデカいイケメンの方だ。整えられた銀髪、整えられた顔、整えられた体格、整えられた衣服、整えられた所作、何者だ? 関わりたくない。全身全霊で関わりたくない。これは細胞からの危険信号だ。
「おきゃくさん……」
「客? 誰の?」
「……だれの?」
髏々宮が俺の方を向いた。
まずい、今こそ日々脳内で雄弁に語ってきたありもしないifを撒き散らかす時だ。
「あいつだよあいつ! あっ、でもまだ帰ってきてないかもなぁ。会えなかったから俺もう帰るわ!」
「は? 君は何を言っているんだ? 今ここにいるので全員だろう」
そ、そんな馬鹿な……ッ!!
このデカさの建物にたったこれだけしか住人いないの……?
えっ、待って数えていい?
………7人しかいないよ? 本気で言ってる?
「怪しいな……」
「まっ、待ってくれ! 本当に違うんだって!」
「なら誰の客か答えてもらおうか」
「それは……」
「ふん、
「そうですね……」
「御狐神」と呼ばれた男は顎に手を添えて考え出した。
あのデカいイケメン、ミケツカミっていうのか……。神だかケツだかわからんが呼びにくいし覚えにくそうな名前だな……。いや、悠長に耽ってる場合じゃない。このままだと本当に通報されるかもしれない。考えうる1番最悪のシナリオだ。どうにかして……どうにかして阻止しなければ……。
どうしたらいい……!?
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ひ、比企谷八幡だ」
「比企谷様ですね。こちらへはどのような御用で?」
「それは……だから、その……」
「…………」
御狐神の、柔らかくもどこか人を跳ねつけているような冷ややかな視線が突き刺さる。直感だがわかる。“コイツに嘘は通用しない”……。
「……正直、俺にも分からないんだ」
「と、言いますと?」
「信じてもらえるか分からねぇが、俺はもともと自分の通う学校に居たはずなんだ。……でも、気づいたらここにいた」
「それってちょっときな臭いわよね」
艶やかに透き通る声の方を向くと、絵に描いたような美人が白く靡く髪をふぁさっと掻き上げて腕を組み、立っていた。
「
「ええ、恐らく
どうやら先程の凛とした黒髪の少女が「凜々蝶」、こちらのド美人が「雪小路さん」と言うらしい。どうしてこう特徴的な名前のやつばっかなんだ? いや、俺の「八幡」も人名っぽくはないけど。神々しさの方があるけど。
「……ふん。比企谷君と言ったか?」
「はひ」
突然名前を呼ばれて背筋が伸びる。
凜々蝶……という少女が俺を睨みつけて言った。
「君は恐らく、
「あやかし……?」
あやかしって、妖のことか? つまり「妖怪」……?
コイツらは真面目な顔で何を言っているんだ?
「見たところ一般人のようだし、混乱するのも無理はない」
「いや、さっぱり分からんのだが……」
「では君の通っている学校名は?」
「は……? 千葉市立
「道理でな。生憎だが、そんな高校
「存在しない……って……」
思わず面食らう。いよいよわけがわからなくなってきた。
「存在しない」? じゃあ俺はどこからどこにやってきたってんだ?
俺が通っていたのは確かに総武高校だ。……そうだ、鍵もあるじゃないか。
「それはない。確かに俺の手元には部室の鍵がある」
手のひらの鍵がちゃり、と小さな音を立てる。
凜々蝶は怪訝そうな顔でそれを見つめると、また小さくため息をついた。
「僕の知るところではないな」
「そんな……」
「君は“この世ではないどこか”から、“何者かの力によってこの世界へやって来てしまった”。それは変えようのない事実だ」
「どうしてそう言いきれる?」
「君のいた世界では既に
「いや、何を言ってんのかさっぱり……」
「見せてやろう。これが僕らの世界で、息を潜めている者の正体だ」
凜々蝶はそう言うと俺の前にスタスタとやってきて、天に手を翳した。
突如、凜々蝶の周りに旋風が巻き起こり、凜々蝶の全身を激しく舞いながら包み込んでいく。周りの者は皆それを何事もなく静観していた。俺は思わず後ずさって防御姿勢を取る。数分にも感じられた強い風が止むと、旋風の晴れた場所には「凜々蝶」がいた。先程と、打って変わった姿で。
「驚いたか? だがこれは君が受け取るべき現実であり、これから直面する出来事のほんの一端でもある」
可憐にあしらわれた和服にゆるやかに靡く襟巻きを纏い、底の厚い
「凜々蝶さまは、“鬼”の先祖返りなんですよ」
御狐神が言う。
「先祖返りって……?」
「“先祖の特質を持って生まれた者”、とでも言うのかしらね。あたし達の先祖に妖怪と交わった者がいて、何代かに一度、あたし達みたいな先祖返りが生まれるの」
雪小路さんはそう言うとムフッと笑って、「凜々蝶ちゃんは特別カワイイんだけど!」と付け足した。なんか鼻息が荒い気がするし若干頬が赤いような気もするけど大丈夫かこの人。俺より先に通報された方がいいんじゃねぇの。
「君が妖の力によって本来いるはずの無いこの世界へ導かれてしまったのなら、僕達には君を帰す義務がある」
「そうね。あたし本当は男って嫌いなんだけど、あんたは可愛げあるしカルタちゃんが気に入ってるっぽいから大目に見てあげるわ」
「よかったね……八幡」
隣に立って次のお菓子を食べ始めていた髏々宮がにこっと笑った。初対面のくせに男の下の名前を呼び捨てにする女子ってなんなんだろう。どこでそのあざとさ手に入れてくるんだろう。俺が同じことしたら絶対クラスで悪い意味で話題になって晒しあげの刑なのに、俺が許されなくてお前が許されるのってなんか不公平じゃないか? 俺も可愛けりゃいいのかな? もう心機一転そういう路線で行こうかな?
「とりあえず、行き場が無いようですので事件が解決するまではこちらに住まわれてはいかがでしょうか?」
御狐神が全女子を殺すスマイルで問いかけてきた。
それってすごく有難いんだけど、御狐神さんとひとつ屋根の下ってわけ? 俺このハイスペ野郎と一緒にいるの普通にシンドイんだけど……劣等感的な意味で……。
「八幡、帰らなくていいの?」
「えっ? ……と、どうだろう……ハハ」
「俺は認めねーけどな!」
髏々宮にぎこちない笑顔を返していると、遠くからトゲのある鋭い声が聞こえてきた。……どこか俺の声に似ている気がする。
「俺の名前は
えぇ……何こいつ、1番面倒くさいタイプじゃないの。
恐らく地毛ではなさそうな金髪を逆立て、青い瞳で俺を睨みつけている。ボタン全開の学ランの中には「不良」と書かれた白いTシャツ……。なんだこの絶望的なセンスは……。俺が言えたことじゃないけど……。
「お前、言わば不法侵入者だろ?」
「なっ……!?」
「どこのどいつが寄越した刺客か知らねぇが、俺がカルタを守ってやる! だから安心しろ、カルタ!」
「んむんむ」
チョコレート菓子を口いっぱいに頬張り、カルタは「渡狸卍里」と名乗る男に手を振った。ふふん、と満足気に仁王立ちする渡狸の横で、頭にうさ耳をつけた糸目の男が紙吹雪を舞わせている。
「手続きは僕がしておきますので、比企谷さんはお気になさらず」
「えっ? や……まだここにいるって決めたわけじゃ……」
「じゃあどこか行くアテがあるのか?」
凜々蝶に凄まれしゅんとする。ないよ。住所不特定だよ俺は。
「お……お世話になります……」
「はい。よろしくお願い致します」
無敵スマイルを絶やさず、御狐神は丁寧にお辞儀した。
急にわけのわからないことをズバズバと言われて、正直まだ状況が飲み込めていない。アヤカシだの先祖返りだの……結局俺が今いる場所がどこかも分かってないし……。だけどこいつらはどうやらそういうのの専門家……? なんだよな? 話が通じるだけ幸運だったと思おう。
あっちから持ってこられたものは、今着ているものと部室の鍵だけ……。例えコイツらの話が本当だったとしても、こんな手がかりじゃ帰る方法が必ず見つかるとも限らない。最悪ずっとここで生きていく決意をしなければならなくなる時が来るかもしれない。
家には妹もいる、学校には…………友達はいないけど、やるべき事がある。かもしれない。そもそもこんな非現実が有り得る世界じゃ命がいくつあっても足りなそうだ。
一刻も早く元の世界に帰りたい。
そう強く願って、俺は部屋を案内すると言う御狐神の後をついて行くのだった。