プロローグ
有史以来、魔法や超能力というものは無い物とされ、無視されてきた。しかし現代となってその存在が表舞台へ曝け出される。突如として世界中で確認される超常現象。これまでインチキだと思われていたものが実は本物だと見直される事態にも発展し、フィクションは今や公然の事実となった。
何故今になって存在が確認されたのか。
単に人々が信じなかったから。誰かが隠し続けてきたが、いよいよ隠しきれなくなったから。
どれも憶測の域を出ず、確たる証拠はない。結局、人々はいつまで経っても分からない理由よりも、今正に実在する超常現象の方に興味が向いた。
ある者は、超能力で莫大な富を築いた。ある者は、英雄行為によって名声を得た。科学技術はエネルギー・宇宙開発・医療と各方面で目覚ましい進歩を遂げた。
当然、良い事ばかりではない。犯罪行為や異能の有無による格差といった新たな社会問題に、世界全体が今もなお対応に追われている。
果たして世界はこれで良かったのか。超常現象など、フィクションの中だけにしておいた方が良かったのではないか。そういう声もある。
そうではない。問題はそこではないのだ、と私は声を荒げたい。
例え害より益が勝ったとしても。あるいは害などなく益しかなかったとしても。
原理も故も知らないモノを黙って享受するのは、人類の矜持に悖る。それでは、目の前にぶら下げられた餌に釣られる魚と何ら変わりない。例えそれがどうあがいても分からない事だとしても、なぜ分からないのかぐらいは追求すべきだ。
そんな思想を持つ私も、恩恵を享受する物の全てを知っているわけではない。インターネットもスマホも、その仕組みを詳しくは知らずに使っている。しかし製作者はその仕組みを知っているはずだ。勿論、一人の製作者が電子回路、製造方法、プログラムの全てを知っているとは限らないだろう。それでも複数の人間が、確かに今どこかで己の仕事の領分に関しては理解している。一人の人間が理解せずとも、人類は理解している。
道具を発明し、物理法則を解き明かしてきたのは、紛れもなく人類の自力だ。
一方、この超常現象の出現に関してはどうだ。
各国政府は諜報機関による捜査を打ち切り、早々に諦めた。研究者達は応用の方に熱心だ。天才は現れず、乱立した仮説は証明の試みさえ放棄された。人類はただ、与えられた餌を貪っている。そのことに、私は些かの憤りと大きな失望を覚える。
何故なら、私は答えを有している。私のような非才な人間が知っていて、他の誰も知らない。知らない人間を見下して馬鹿にしたい訳ではない。私だって、偶々恵まれただけ。本来ならば彼らと同じ側にいるはずだった。ただ、人類という種の限界を見たようで悲しく、行き場のない苛立ちが募るのだ。
突如確認された超常現象。
そこに
不明なのではなく、理由など初めから無い。どんな物も光の速度を超えられぬように。質量が、エネルギーが保存されるように。ただそれがこの世界の仕組みであるとしか言いようがない。この世が何故存在するのかと同じように、論理的に説明不可能なのだ。
2020年。そこが因果律の特異点である。
世界に突如異能が存在するようになった、正にその時。その変化は過去にさえ影響を及ぼし、初めからそうであったように書き換えた。私の記憶にはない過去の歴史や大きな事件が、異能が確かに存在していた事を示唆している。それを世間は、運良くあるいは意図的に公にならなかっただけだと宣う。
当時、私は15歳の少年であった。それが事件を境に、姿、名前、経歴の何もかもが異なる少女となった。私だけが身に覚えのない過去、知らない歴史に違和感を覚えることができている。
その私でさえ、この事件に理由が無いということは覚醒した異能によって知った。道具を創った者が、これから生まれてくる道具自身にその創り方を教わることはない。つまり私は、人類は自力で知ったのではない。
お前にだけは教えといてやるぞ、とでも言われたみたいで馬鹿にされている気がする。
だから私はこの世界が嫌いだし、何だかんだ言って与えられた異能に依存している自分はもっと嫌いだ。
都内のカフェ。日も高い時間。男性と少女が、向かい合って座っている。
スーツを着て黒縁の眼鏡をかけた30代頃の男は、頼んだコーヒーには手を付けず机上に広げた資料から一つを手に取って眺めている。
過度に女性らしさを主張しない私服姿に長い黒髪を腰まで届かせた高校生ぐらいの少女は、紅茶に砂糖を混ぜながら頬杖をついて男をじっと見つめている。
異様な組み合わせであることは間違いない。現に店員には――主に男の方が――怪しい者を見る目を向けられた。
二人が顔を合わせるのは初めてではない。ある時はホテルであったり、ある時はこのように喫茶店や飲食店で。船着き場や廃工場で待ち合わせたこともある。少女の方から移動時間や悪環境に不満が噴出したために、やむを得ない場合を除いて“ちゃんとした場所で”という決まりになったが。
個室のある店にしたのは、一度客に通報されかけたことがあるからだ。金に困った娘が
一応は機密情報を扱うので、いずれにしても個室にしたのは正解だ。それを言うならここも情報漏洩する恐れは十二分にあるのだが。
「報酬金は君の口座に振り込んでおいた」
男の正体は、超常現象対策省危機管理局異能犯罪課第一特務室に所属する公務員。名を東条勝という。
そして向かい合う少女こそが私。今生の名を千歳蘭。
この世界に超常現象が出現してから、私は全く別人の少女となり身分を失った。親も家も、戸籍も存在しない少女の面倒を見てくれたのが東条だった。尤も、金の援助を受けていたのは最初の内だけ。今は賞金稼ぎ――懸賞金の掛けられた異能力犯罪者を捕まえる行為――で生計を立てている。
私が賞金を受け取ろうとすると、未成年が賞金稼ぎをしているだとか私に戸籍が無いことがバレるとか、とにかく色々と問題になりかねない。そこで、代わりに東条が捕縛したことにして金だけ私が貰っている。彼は実績を残し、職場での地位が上がる。正にギブアンドテイク、となれば良かったのだが。
超常現象対策省は、超法規的な特権を与えられている。常識的な権限ではまともに機能しないからだ。逮捕権や捜査権、銃の携帯、市街地での異能力による戦闘行為すら認められる。警察や自衛隊も真っ青の武力組織である。そして彼の所属する異能犯罪課第一特務室は、職員に戦闘能力が求められる武闘派組織。
次々と賞金首を捕まえてくる彼への期待はうなぎ登りに高まり、ついには任される仕事が彼の能力を超えてしまった。しかし前述の通り私の存在を明かすわけにはいかないし、そもそも任務を外部に代行させた時点で不味いので私達の関係は秘密にしなければならない。
こうなったのは私の責任でもあるので、彼の手に負えない任務を肩代わりしているのだ。
「それで、私を呼んだということは仕事なんだろう」
湯気立つ紅茶を一口味わい、カップをソーサーに置く。
「君には学校に通ってもらいたい」
「……は?」
ガッコウ。学校と言ったか。
「待て。私はあくまで東条の任務を代わりにこなしているだけだ」
この任務は、本来は彼が学校に通うはずだったということになる。このどっからどう見ても30代の男が、だ。
「僕も教師として潜入する予定だ」
無理がある、という視線を送ると誤解されていることを悟って補足した。つまり生徒だろうが教師だろうが清掃員だろうが立場はどうでもよく、学校の内情を知ることさえ出来ればよいのだと。学校というと一見危険とは程遠い場所に思えるが、私に任務を代行させるからには彼には荷が重い程の危険が伴うことを意味する。
「予定だった、ではなく断定なのは?」
「今回は任務の期間や場所が限定されている。何かの拍子に実際にはそこに居ないことがバレないとも限らない。任務中は僕もちゃんとそこに居ないと」
「私の戸籍はどうする」
「僕が教師になれる時点でお察しさ」
「……随分出世したんだな」
いくら昇進したとはいえ、戸籍まるごと偽装できるほどの権限を持てるものだろうか。
東条が懐から名刺を出す。長ったらしい肩書きには、超常現象対策省危機管理
「一足飛びで昇進しすぎじゃないか?」
「前々から昇進の話は来ていたんだよ。副室長に据えられる予定だった。でも昇進が決まる前に君が大物を捕まえてくるものだから、いつの間にか局長代理にまで話が飛んでた」
「『
「国際指名手配犯、しかも今まで誰一人として捕まっていない組織の構成員だからね」
『第三の眼』。欧州で猛威を振るっている犯罪組織で、中世から続く高名な魔術結社らしい。超常現象発覚事件から2年。昔からいたとされるこの手の組織は隠す気がなくなり、活動も過激さを増している。
これもまたバレれば懲戒免職ものだが、私は賞金首の情報を東条から横流しして貰っている。国の捜査力というアドバンテージがあれば、賞金首も探しやすいし他の賞金稼ぎに対して先手を打てる。
『第三の眼』の構成員が日本に密入国した情報を得た私は、こうなる可能性を考えずに狩ってしまった。下っ端でも100万ドルは下らないというのだから目も眩む。
「そういうわけで、賞金稼ぎもほどほどにしてくれると助かるよ」
「善処する」
これ以上の昇進は御免被る、と言いたいのだろう。今回の件でかなり潤ったし、欲を出さなければ金には困らない。当面は賞金稼ぎは休業して、東条の任務を手伝うのに専念しようと思う。
「というか、そこまでいけば現場に出る必要なんてないだろう」
仕事は部下に任せてふんぞり返っていればいい。管理職なら否が応でも書類仕事が多くなりそうなものだが。
「あくまでも代理。局長クラスの権限は与えられるけど、仕事自体は緊急時以外変わらない」
現場で成り上がった者を腐らせておきたくはない。でもフリーランスに転向されても困るから相応のポジションを用意した、といった所か。
「話が逸れたね。本題の潜入任務についてだけど、ある存在を探してコンタクトを取って貰いたい」
「ある存在とは?」
東条は勿体ぶって間を置いて、ニヤリと口角を上げて言った。
「魔法少女だ」
……。
部屋の外から微かに聞こえるいらっしゃいませー、という接客の声が静寂を破る。一瞬脳がフリーズしていた。
魔術師でも超能力者でもなく、魔法少女。
「ヒーロー気取りならアメリカにわんさかいるぞ」
一人ぐらい魔法少女を名乗ってヒーロー活動をする奴がいてもおかしくはない。
「それを言うなら日本にもだ。許可証のない者が殺傷能力のある異能を行使することは禁じられてるんだけどねぇ」
魔法少女、というぐらいなのだから未成年なのだろう。そして未成年者は許可証を取れない。
「なら私も逮捕してみるか?」
「まさか。それにこういっちゃ何だけど、上は許可証云々はどうでもいいらしい」
「だったら何故こちらに回ってきた」
東条は異能犯罪課だ。犯罪行為でないなら、彼の仕事の領分ではない。その魔法少女とやらが殺人でもしているのなら別だが。
「……局長代理にさせたのはそういうことか」
「僕を他の課の仕事にも回すつもりなんだろうね」
溜息を漏らした東条が、初めてコーヒーに口をつける。仕事は変わらないなんて丸っきり嘘だな。
「それで真意は?」
「魔法少女なる者が実在するのかを確かめて、彼女らの目的とその脅威を測りたいそうだ」
「そしてあわよくば取り込みたい、と」
東条は言葉を返さず、肩を竦めた。