婚約破棄されたので復讐するつもりでしたが、運命の人と出会ったのでどうでも良くなってしまいました。これからは愛する彼と自由に生きます! 作:柴野いずみ
グレースは十五年の歳月を侯爵令嬢として生きてきた。
辛くはあったが、その地位に誇りを持っていた。しかしそれが今日失われる。
「グレース。それは誠か」
「はい。ワタクシは突然、婚約破棄を言い渡されました。もちろん事実無根でございますが、父上とて信じてくださいませんでしょうね?」
父であるアグリシエ侯爵に、たっぷりと恨みを込めた言葉を投げかける。
継母と違って、彼はグレースと血が繋がっている。なのに一切こちら側の味方などしてくれるはずがないのだ。
「無論だ。王太子殿下がそうおっしゃったのなら間違いはあるまい。して、罪状は」
「ワタクシが義妹のジェイミーを虐げたそうです。完全に彼女の発言のみで証拠はありませんでしたが」
「ジェイミーの言葉が間違っているとでも? お前は前から怪しかった。ジェイミーを虐げていたとは、見損なったぞグレース」
このバカ親は脳みそが腐り切っているらしい。
ジェイミーは親の前では甘え、可愛いそぶりを見せる。だから完全に騙されてしまっているのだ。
ジェイミーがとんでもない嘘つきだということには気付かずに。
「なんていう娘だ。今まではお前は勉学の才があるからと見逃して来たが、今日ばかりは我慢ならん!」
侯爵が激昂する。
その姿があまりに愚かすぎて、グレースは笑ってしまった。大っぴらに、明らかに嘲笑している笑みを見せつけた。
「了解いたしました。父上は、本当にクズなのですね」
自分の妻が子を孕もうという時期に他の女と交わり、そしてそれを隠しつつ妻を病死に見せかけて殺し。
後妻という名の妾を家に迎え入れ、その娘をまるで一人娘であるかのように可愛がって、長女を追い出す。
もはや家族ではないと言われたが、それはむしろ喜ばしいことかも知れなかった。こんな奴らの家族でなどありたくない。後で継母にどんな罵倒を浴びせられるかはわからないが、とにかくそれで何もかも終わりだ。
この家とは縁を切ってやる。
背後で何やら喚いている侯爵をよそに、グレースはそっと父の執務室を出た。
そして廊下を伝い、自分の部屋へ向かう。最低限荷物をまとめなければならない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「この侯爵家から物を持ち出すことは許されません。ハンカチ一つでもね!」
グレースの部屋へわざわざ乗り込んできてそう怒鳴ったのは、継母だった。
確かに美貌はあるが、それ以外何の取り柄もない女だ。さすが平民と言うべきか、淑やかさの欠片もなかった。
グレースはあえて彼女ににっこり笑いかけ、静かに声を出す。
「これは侯爵家の財産ではなくワタクシの私物です。どうのこうのと言われる筋合いはありません」
「まあっ。母親に対してなんて口の利き方なの!?」
「あなたはワタクシの母親なんかじゃありません。ワタクシの母様は、もっと美しい方でした。――心が、ですけれども」
グレースの本当の母は、特別綺麗な人ではなかった。
しかしいつも微笑んでいて優しく、素晴らしい女性だったとグレースは思っている。この継母とは大違いだ。
「本当であればジェイミーに盗られた物もワタクシの私物ですから、頂戴しなければならないのですが。けれどそれは別に持っていくつもりはないのですよ? それだけでもマシだとは思いませんか?」
グレースはもはや吹っ切れている。だからどんなに生意気なことを言っても少しも恐ろしくはなかった。
今まではいい子を演じすぎていたのだ。両親に従順であり婚約者を心から支え、ただ美しくあろうと努める。その結果がこれであるのなら、もはやいい子である必要がない。
「ジェイミーに盗られたですって!? あの子の物を盗っていたのはお前でしょ!?」
「事実無根です。もっとも、そちら側が主張すればどうやら通るらしいので何を言っても無駄かも知れませんね。……とりあえずやかましいので部屋から出て行っていただけますか? ワタクシ、あなたのことがずっと嫌いだったんです。誰よりも」
継母は肩を震わせ、グレースの頬を思い切り殴った。
桃のように白い頬から一筋の血が流れ出す。しかしグレースは笑顔を崩さず、
「最低な女ですね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
使用人たちは、いつ頃からかグレースの味方ではなくなってしまった。
継母の手によって前妻に仕えていた者は次々に辞めさせられ、グレースを気遣ってくれていた執事や侍女も今はいない。
ひどい人たちだ、とグレースは改めて父と継母のことを思った。
何でも自分の都合の良いように物事を捻じ曲げる。だから、ジェイミーもあんな風になってしまったのだろう。
そもそものところ、彼女に早く婚約者を作ってやれば良かった。
しかし彼らは一向にそうしなかった。ジェイミーを嫁にやりたくないのかと今まで思っていたが、きっとそうではない。彼女の方を王太子妃にするべきだと考え行動したに違いなかった。そしてそれは見事に成功してしまったのだった。
「……全て仕組まれていたんですね。ワタクシを追い出すために」
全ては筋書き通り。
しかし、これからはそうはならない。そうはさせてやるものか。
生まれ育った侯爵家を出ていく。
薄青のドレスを引きずり、馬車ではなく徒歩だ。侯爵家の籍から抜けさせられ、平民堕ちした彼女にとっては当然の仕打ちだった。
侯爵家をチラリと振り返れば、見送りの者はいなかった。
その事実に苦笑を漏らしつつ、グレース・アグリシエ侯爵令嬢改め、平民の少女グレースは石畳の道を歩き出したのだった。