草薙寧々の朝は早い。心臓に悪い幼馴染から身を守るため、アラームの時間に正しく目を覚ます。慌ただしく顔を洗い制服に着替え、歯を磨いてからリビングに雪崩込むように入る。そこにはすでに、我が物顔で朝食の準備をしている幼馴染がいた。そういえば両親は今日、家を空けると言っていたような。
「……おはよ、なつき」
「あ、おはよう寧々。今日は自分で起きれたの?偉いね〜」
「子供扱いしないで」
言葉だけの威勢で、寧々は相手にそう噛み付いた。件の彼女はにこやかに笑うだけで、寧々の心中なんて知ったことじゃないようだ。
八坂なつき。今をときめく人気タレントで、何の運命か寧々の幼馴染の1人である。
艶やかな黒髪は腰まで伸びて、少し長めの前髪の隙間から覗く美しい紫紺の瞳と、抜群のスタイルはいつ見ても目を引く。まるで絵画のようだと寧々は思う。口にする度に照れるほど初心な彼女が愛おしい。
「なつき、好きだよ」
「……もう、寧々ってば。毎朝そうやって私のこと困らせるんだから」
「ふふ、困るの?」
「困る!……だって、好きな人にそう言われたら、なんてカオしたらいいか、分かんないもん……」
顔を真っ赤にして俯く彼女。寧々より数cmほど高い身長のおかげで、その赤さは隠しきれていない。
テレビでよく見る彼女は、確かな美しさと可憐な表情で一瞬を切り抜かれていたり、そうかと思えば、類稀なる演技力で時に人々を翻弄する。正に変幻自在、今や観ない日の方が少ないくらいだ。
だが今はどうだろう?寧々の前で、寧々の言葉に顔を赤らめる1人の少女は、寧々の恋人でしかない。正真正銘、ただの八坂なつきだ。それが寧々の独占欲を満たし、そして物足りないとなつきを求める。
その頬に手を伸ばせば、まるで猫のようになつきが擦り寄ってくる。寧々の気持ちも知らないで、まるで無防備な姿に、今すぐ組み敷きたい欲求を必死に抑える。いくら両親が留守だからと言え、今日は至って普通の平日で学校がある。さらに言うのなら、彼女は夜に仕事も控えていた。あまり無理はさせたくない。
「……なつき」
「ん、寧々?」
「これ以上はダメ。我慢出来なくなっちゃうし」
キョトンと惚けた顔でなつきは、寧々をジィッと見つめ返す。言っている意味が分からないと伝える表情に、寧々は律儀に彼女の置かれた状況について説明してやろうと口を開くが、当の本人がふにゃりと妖艶な笑みを浮かべる。
「いいよ?我慢しなくても」
「えっ」
「遅刻しなくても、私は補習が決まってるし。寧々は少し大変かもしれないけど、類も私も教えてあげれるし、何より成績悪くないもんね」
「……なつき、それ自分が何言ってるか分かってる?」
「もちろん。最近忙しくて、寧々に抱かれてなかったから……寂しいなんて思うのは、私だけ?」
「そんなわけ……ッ」
「……なーんて。シたいのは本当だけど、遅刻はいけないよ。類にも怒られちゃう」
その一言だけで、なつきは今まで纏っていた空気を全て脱ぎ去ってしまった。これが天才と呼ばれる所以。すっかりその気にさせられていた寧々は、苛立ちと欲の捌け口を探し、なつきの唇に飛びついた。
噛み付くようなやや強引なキスでも、嬉しそうに笑うのが憎たらしい。
「なつきの馬鹿」
「何とでも言いなさい。私はお姉さんだから、ダメな時はダメと言わなきゃ」
「……今日、何時に帰ってくるの」
「9時には帰って来れるんじゃないかな。遅くなる時は連絡するよ」
「じゃあ、待ってる」
「ふふ、はーいっ」
嬉しそうに笑う声。草薙寧々は恋人に甘い。寧々と過ごす一分一秒を噛み締めてくれる彼女を、これからも抱きしめて離さないことを誓って、寧々は朝食に手を付けた。
八坂なつきは人気者である。それはなつきがタレントであるからであり、優れた容姿をしているせいで目を引くからだ。
千の注目より、1人の愛が欲しい。なつきは度々そう思う。自分の容姿なんて分かっている。だが、外面だけでなく内面も見て欲しいと思うのは、なつきの我儘なのだろうか。
否、それは誰しもが持つ一般的な承認欲求だった。
「こんにちは、寧々いますか?」
「八坂さんだ……!」
「すぐ呼びます!」
「草薙さーん、八坂先輩呼んでるよ!」
寧々の教室を覗いて、近くにいた生徒に呼んでもらうように声を掛ける。それだけでちょっとした事件のようにザワつくのだから、身につけたキャリアが少しばかり疎ましく思えてしまう。こちらを見つけた寧々が、怪訝そうに、それでも確かに嬉しそうに瞳を大きくする。可愛いなぁ、なんて思っている間に、寧々がなつきの手を引いた。
「なつき、目立ち過ぎ」
「ごめんね、まさかここまでとは思わなくて」
「仕事終わったの?」
「うん、ただいま、寧々」
「おかえり」
柔らかい笑みを浮かべる恋人が愛おしい。人目も憚らずにイチャつくのは2人の本意では無いのだが、寧々の独占欲が大きいうちはされるがままだった。素直に抱きしめてくれるのが嬉しい。
鼻腔をくすぐる寧々の香り、人見知りの彼女が大勢の前で取る行動、全てが疲弊したなつきの心身に特効薬となり浸透する。
「寧々、」
「はい、充電終わり。この後の授業、頑張ってね」
「うんっ、ありがとう」
花が咲くような笑顔を浮かべ、なつきは寧々に感謝を伝える。上がる歓声になんて反応していられない。キッズモデルの時から、有名になった今も、なつきの最優先はいつだって寧々だった。その関係が幼馴染から恋人に変わったのも、いつか恋人から家族に変えたいと望むのも、そう在りたいと願うのは彼女だけ。
いっそのこと、公表してしまおうかとさえ考える。この先何があってもなつきが寧々を嫌いになることなんて無いし、寧々以外を恋人だと呼ぶことも無いだろう。
でも。大勢の前で顔を赤らめながら独占欲を見せる寧々のその表情が、私のモノだと釘を刺す仕草が、それだけでなつきを幸せにする。
(……もう少しこのままでも、いいかな)
もう少し。せめて、学生でいる間は。同性同士だからか厄介なスキャンダルとして報道されることも、しばらくは無いだろうから。
「寧々」
「なに?」
「……ううん、またお昼に会いに来るね」
「分かった、待ってるよ」
思わず零れそうになった言葉を飲み込んで、なつきは自分の教室へと戻っていく。歓声はまだ気にならない。注目を浴びることにも慣れている。
寧々の笑顔で、また頑張れる。なつきの足取りは、少しだけ軽かった。
軽い設定。
夢主・八坂なつき。マルチタレントとして芸能界で活躍中の超が付く美少女。寧々と類の影響で踏み出した世界でその才能を開花させ、若干後悔している。思ってたより人気出ちゃって寧々とイチャイチャ出来ないのが最近の悩み。
余談だが、神高の変人と言えば……?の3人目である。