アリウス自治区、バシリカ。
限られた者しか存在を知らぬ至聖所、その最奥にて彼女はステンドグラスを見上げていた。崩れ落ち、朽ち果て、残骸と破片に塗れた聖堂。砕けた硝子の向こう側には、決して明けない夜が広がっている。
此処は彼女の領域――彼女の運命が結実する場所。
ありとあらゆる犠牲を容認し、崇高へと至る祭壇である。
夜を見上げれば星があり、手を伸ばしても届かぬそれに夢を見て、それでもと手を伸ばし続けた一人の存在。根底は変わらぬ、しかしそこに至る道が余りにも異なる。
彼女――ベアトリーチェは大きく息を吸い、呟いた。
「――先生、あなたの弱点、それは先の騒動で既に露呈しています」
彼女の瞬く複眼の前には、空を睨みつける先生の姿があった。ゲマトリアの持つ神秘技術、その応用。アリウス生徒を古聖堂周辺に潜伏させ、範囲内に対象を収めれば常に監視が行える代物。カメラ等と異なるのは、対象をレンズに収めずとも観察出来る事。稼働可能時間は決して長くはないが、相手に気取られずに済むという点では重宝する。
ベアトリーチェの脳裏に過るのは、トリニティでの一件。
聖園ミカという用済みとなった生徒を抹殺する為に切った一手、その時に先生が起こした行動。
「本来撃ち込む予定であった巡航ミサイル――BGR-108、タクティカル・ブロックⅤ、喪われた
ベアトリーチェの手にした扇子が、音を立てて開かれる。
口元を覆い隠した彼女は、醜悪に歪む口元をそのままに、
「未来は改変された、運命は捻じ曲がった――先生……これはあなたが掴み、選び取った道の一つです」
既にこの世界は、本来の道筋を大きく外れている。
それを為したのはベアトリーチェであり、銀狼であり、先生であり――世界そのものである。
「私の、生涯最大にして最後の宿敵」
故に彼女は、彼に送る。
確かな殺意と敵意、そして純真たる憐憫と敬意を以て。
「――あなたに、私の最大にして最高の恐怖と、最悪の試練を送りましょう」
■
「アロナッ!」
『っ、げ、迎撃開始しますッ!
発射された位置に一瞬、思考を停止していたアロナは、先生からの叱咤に意識を切り替え指先を動かす。
どの地点から放たれたにしろ迎撃する事には変わりなく、飛翔体の速度によっては一分足らずで着弾を許す事にもなりかねない。宣言と同時にスタンバイさせていたユニットを稼働、同時に周辺一帯に展開していた警備ドローンを遠隔操作し、アラートを搔き鳴らす。生徒達の喧騒に満ちていた広間はたちまちの内に警告音が支配し、同時に周辺各所から一斉に迎撃ミサイルが射出された。
爆音と白煙、射出音を撒き散らしながら尾を引いて空へと昇る迎撃ミサイル。
「な、何ッ!?」
「砲撃……いや、ミサイル!?」
集っていた生徒達は唐突なそれに困惑と不安を覚え、周囲の正義実現委員会や風紀委員が一斉に動き出す。空間を支配するのは混乱と恐怖、赤いランプを点灯させながら周囲を飛び回る警備ドローンが、側面に設置されたホログラム投影装置を起動させる。
虚空に、『emergency』の文字が一斉に躍った。
「せ、先生っ、これは一体――」
「生徒達に避難指示を! 上空から未確認飛行物体が来る……! 迎撃はこっちが受け持つから、急いでッ!」
「えっ、あ、は、はいっ……!」
近場に居た行政官に叫び、先生は空を仰ぐ。遥か向こう、青を泳ぐ一筋の光。それを捉える事は出来ない。いや、もし肉眼で確認出来る距離まで接近を許したのならば、恐らく何をする事も出来ずにこの身は吹き飛ぶ事になるだろう。
『着弾まで五、四、三――……』
アロナが表示されたモニタを凝視し、カウントダウンを始めた。射出された迎撃ミサイルの速度は凡そマッハ3以上、射出されたものが巡航ミサイルであると仮定すれば、十二分に迎撃可能な誘導性と速度を持っている。
しかし――。
『二――ッ!? た、対象空中にて急加速ッ! っ、は、速い――事前予測数値よりも断然……ッ!』
モニタを凝視するアロナは、不意に声を荒げ狼狽した。
迎撃ミサイルが接触するその寸前、マップ上の飛翔体は突如急加速を開始、今にも接触するという距離にあったキルビークルの合間を抜け、その中央をすり抜ける。横合いを抜けられると判断した瞬間自壊し、爆炎と破片を撒き散らした迎撃ミサイルは――しかし、対象を捉える事が出来なかった。
飛翔体は健在、加速した状態のまま古聖堂へと接近する。
『げ、迎撃失敗ッ! 対象の速度が早過ぎます! 推定速度、凡そ
「ッ……馬鹿な――!?」
巡航ミサイルにしては破格の速さ――いや、射出地点を鑑みれば考えられない事ではない。現在進行形で飛翔体の解析を進めながら、アロナは次善の行動を思考する。SAMユニットの再装填、次弾発射まで後――。
『っ、迎撃ミサイルの第二射……このままでは間に合いません!』
「――
『はっ、はい! 近接防空システム、起動しますッ!』
再装填の暇はない、そう判断した先生は即座に近接防空へと切り替えを指示する。ミサイルでの迎撃を諦め、タレットや連装機関砲での迎撃に踏み切ったのだ。
途端、周辺から一斉に砲音や銃声が鳴り響き、蒼穹に向けて緋色の軌跡が伸びる。生徒達の喧騒は悲鳴へと変わり、遥か彼方に見える流れ星が――遂に先生の肉眼に映った。
「来たか――!」
人の目で捉えられる距離、ほんの豆粒程度に見える流れ星。それが自身に破滅を齎すものでなければ、幻想的にも見える。猶予はあとどれ程だ? 十秒か、二十秒か、或いはもっと少ないのか。多いのか。両手を握り締めながら見守る事しか出来ない先生は、固唾を呑んで流れる星を睨みつける。
『――
「くッ……!」
古聖堂裏手、秘密裏に持ち込まれ、最後の希望として用意された超電磁砲。発射音は、先生が予想していたよりもずっと小さく、静かだった。代わりに射出された弾頭は周囲の旗を吹き飛ばし、凄まじい風を生む。一筋の青い光――それが空の向こう側へと吸い込まれる様に軌跡を描いた。
雲海を突き抜け、星へと伸びる科学の手。
その弾頭は遥か向こう、青の中に――一つの爆炎を生み出す。
『……あ、当たったッ! 命中しましたよ先生!』
「破壊した――?」
青の中に在った流れ星、その光が強まり、消える。アロナは両手を握り締めながら歓声を上げ、その目を輝かせマップを指差す。その中に、表示されていた飛翔体の存在は確かに消失していた。
『はい! 対象は空中で破壊されて――』
声が、止まる。
マップを凝視していた彼女は、消失した飛翔体の位置を見つめながら硬直した。その指先が、微かに震えるのを先生は見た。
『い、いえ、こ、これは……そ、そんなッ!?』
「アロナ……?」
思わず、先生は声を上げる。
そして彼女がマップから顔を上げた時、その表情は酷く蒼褪めていた。
『た、対象が――分裂、しました』
「なっ――」
撃墜した――訳ではない。
アロナが呆然と見つめるマップには消失した大きな飛翔体の代わりに、新たに出現した飛翔体が表示される。先程撃墜した筈の場所から、未だ飛翔を続ける小さな反応。
その数――凡そ三百以上。
新たに出現したそれらの解析を急ぎ、アロナは涙目になりながら必死に指先を動かす。撃墜したら増えるミサイル? 或いはもっと別の? あらゆる疑念が付きまとい、その息が徐々に荒くなる。
『そ、速度は大きく低下していますが、余りにも数が……いえ、この形――まさか!』
新たに出現した飛翔体、その構造は酷くシンプルだった。そしてサイズは先程と比較すれば、何百分の一という程度。そこから導き出される結論。先程、電磁砲で撃墜したと叫んだ時。そもそもあれは撃墜ではなかった――自壊だったのだ。
正確に云えば、電磁砲が撃墜したのは、【空になった弾体】。中身を放出し切ったロケットブースターであり、弾を打ち切った銃そのもの。
そして、
即ち、これは。
『これは――
――
■
「GRG-666/H、タクティカル・ブロックⅥ、搭載弾頭【ヘイロー破壊弾頭】、計三百六十六個……ゴルコンダお手製の、大規模破壊クラスター爆弾――超長距離巡航可能なクラスターミサイルなど聞いた事もありませんでしたが、
――それを齎す、無名の司祭というものも。
その言葉を呑み込み、ベアトリーチェは扇子を閉じる。乾いた音が周囲に木霊し、彼女の幾多の瞳が再び先生を捉えた。
虚空に映る先生の健闘、自身がミサイルを撃ち込む――そこまでは読んでいたのだろう。しかし用意した迎撃設備に反し、彼女の用いた手段は余りにも悪辣で、効果的だった。
そう、正しく以前の騒動は【実験】だったのだ。
先生と云う存在が、自身の安全と生徒の命、どちらを取るかという意味合いでの。
そして彼が生徒を優先したという事実を得た以上、この結末は決まっていた。
先生はその場を動けず、硬直する。この爆弾が周辺に降り注いだ場合の被害を想像し、血の気が失せたのだろう。その姿を彼女は、確かな悦楽と共に見つめていた。
「――さて先生、この地獄、どう潜り抜けますか? 今度は一人の犠牲では済みませんよ」
迎撃ミサイルを三段階のブースターロケットで躱し、第二陣が射出されるよりも早くレンジに捉える。そして十二分に速度が発生した時点、或いは本体が破損した時点で炸裂し、目標地点へと内蔵された子弾が一斉に散布、射出される。
内包される子爆弾は、それ一つで戦車程度ならば破壊する威力を秘め、更にはキヴォトスの生徒にとっては致命的となるヘイロー破壊爆弾の特性を有する。つまり、一発でも通せば生徒が死ぬ可能性がある――猛毒の針。
古聖堂周辺には野次馬を含め、何万人という生徒が集っている事を確認していた。一発抜けただけで、何人死ぬことになるだろうか? これを全て防ぐのならば、相応の代償を払うしかあるまい。
故に必殺――確かな知見を以て練られたこの策は、ベアトリーチェの執念と妄念の結実と云える。
虚空を見上げながら目を細める彼女は、確かな高揚を感じさせる口調で云った。
「生徒を守り屍を晒しますか? 生徒を見捨て生を拾いますか? もう一度、あなたに問いかけましょう……ですが」
無論――彼がどのような選択をするかなど、火を見るよりも明らかだ。
「今度こそ、生徒の手を取れば、あなたは確実に命を落とす」
ただ、先生を殺す為に。
聖人を殺める為に。
ベアトリーチェはあらゆる手を尽くした。
あの日、彼に敗北した時から。
その生徒に土を付けられた時から。
それが漸く――叶う。
「尤も、先生がどちらを選ぶかなど分かり切っていますが――えぇ、あの
扇子で虚空をなぞり、彼女は目を閉じる。
これから起こる、その
あなたは、
「さようなら先生――高潔で哀れな、子ども達の
■
近接防空システムが火を噴く、銃身が焼け付くのではないかと思う程の連射。空の向こう側では次々と爆発が起き、生徒の悲鳴と炸裂音、そして銃声が鼓膜を叩く。シッテムの箱を握り締めながら頭上を見上げる先生の額には、無数の冷汗が流れていた。
『飛来する
アロナの悲鳴染みた報告を聞きながら、先生は拳を握り締める。
視界には逃げ惑い、不安そうに周囲を見渡す生徒達。それは調印式に参列している行政官や正義実現委員会、風紀委員であっても変わらない。何が起こっているのか、これから何が起こるのか、彼女達は何も知らないのだ。
知らぬまま、彼女達は傷付けられる。
死という恐怖を、刻まれる。
彼女達は――贄だ。
内蔵されていた子弾がヘイロー破壊爆弾という時点で、彼女の意図を先生は十二分に理解した。自身を一点に狙う形ではなく、広く、多くの生徒を巻き添えにする為に、彼女はこの様な手段を取ったのだと分かった。
どの様な手段で兵器を都合したのか、これほどのヘイロー破壊爆弾をどうやって量産したのか。そんな事は今、どうでも良い。
ただ、一つ分かっている事は。
自分が今――嘗てない程に怒りを覚えている事だけ。
「――ここまで」
蒼穹の中に火花が散り、子弾がまた一つ撃墜される。それでも尚、飛来するその数は圧倒的で、どう足搔いてもヘイロー破壊爆弾はこの古聖堂周辺に着弾する。その時、生徒は何人犠牲になる? 何人傷付けられる? その光景を想い、先生の奥歯が軋みを上げた。ミシリと、額から何かが弾ける音が響いた。
「――ここまでやるかッ、ベアトリーチェ……ッ!」
深く、激しく、滲み出る様な憎悪。凡そ先生が発した事のない、人生で初めて抱く渾身の怒り。最早、その行為を許容など出来ないと、心が悲鳴を上げていた。
無垢なる生徒を利用し、何も知らぬ生徒を巻き込み、それを手段として用いた。
彼女は――敵だ。
決して分かり合えぬ、『先生』という人間が、明確に意識した敵であった。
それでも、明確な一線を越えようとしなかったのは、先生としての矜持か。或いは状況によるものか。表情を怒りに染め、痛い位に拳を握り締めながらも、先生は理性を保っていた。
『ちゃ、着弾まで後、十秒ッ!』
「―――」
アロナの言葉に、先生は大きく息を吸う。
今、必要なのはこの状況を切り抜けるための策、決して怒りなどではない。
飛来する子弾は凡そ百近く、これら全てが古聖堂周辺に降り注げば、この区画は完全に破壊されるだろう。トリニティ中央区まで被害が及ぶ事はないだろうが、見物人の生徒はこの周辺に集中している。
最悪――何万人という生徒が死にかねない。
だが同時に、完全に防ぎ切る手立ては――無い。
アロナの力は決して万能でもなければ、無敵でもない。伸ばせる手には限りがあり、そしてそれは区画を丸々一つ覆い、防御出来るものでは到底なかった。
しかし、やらねばならない。
やらねば――生徒が死ぬ。
迷いは、なかった。
「――防壁展開、最大出力、範囲は会場全域、無傷は無理だ! 生徒達の致命傷を回避させるレベルで構わないッ!」
その言葉に、アロナの目が見開かれるのが分かった。
『なッ!? 会場全域!? そ、それでは先生を守る防壁が殆ど――』
「私は後回しで良い! 消費電力も度外視だっ、良いからやってくれッ!」
『嫌ですッ!? 最低限の防壁では、先生が生還出来る確率はっ……! そんな選択を、わ、私が取れる訳ッ――』
先生の決断に、アロナは思わず声を荒げた。それは、明らかに先生の生存を度外視した指示だったからだ。
たった一人を守るだけならば、この爆弾の雨から無傷で抜ける事も出来るだろう。しかしその防壁を会場全体、区域の中程まで覆う形で展開すれば、当然その分消費される電力も膨大、防備も薄くなる。爆弾の爆発と衝撃は、必ず内部まで浸透する事になる筈だ。
キヴォトスの生徒であれば問題ない。如何にヘイロー破壊爆弾と云えど、その威力を十全に発揮できなければヘイローを破壊するには至らない。空中での炸裂、障壁による干渉、これらが合わされば十二分に致命傷を回避出来る演算結果が出ている。
しかし――先生は違う。
破片ひとつ、衝撃ひとつ、それだけで命を落としかねない。
防壁強度を落とす事は、即ち先生の死亡に直結する。そして会場を覆う程の巨大な防壁を構築した場合、先生個人に割り振れる余力は――
これでは、殆ど先生を犠牲に生徒を助ける様なものだ。
そんな選択を、彼女は拒んだ。
『な、何か……! もっと別な、何か、良い方法が……ッ!』
「――アロナッ!」
『っ!?』
狼狽し、涙を零しながら必死に手を探すアロナを、先生は怒声で以て叱咤した。
びくりと、アロナの肩が震える。画面越しに顔を上げれば、シッテムの箱を見下ろす先生の顔があった。
表情に浮かぶのは、焦燥と痛烈な意思。事ここに於いて、先生は自身の明瞭すぎる絶望の未来を前にして尚、その意思を微塵も曲げていなかった。
飛来する終わりを感じながらも、意志は固く、瞳に諦観はない。
額に汗を滲ませながら、強くシッテムの箱を掴んだ先生は、叫ぶ。
「生徒を守れない私に何の価値がある……!? あの日誓った、固く結んだ約定を忘れた訳ではないだろう!? 思い出せ、
『ッ――……!』
先生が浮かべる悲壮。脳裏に過る絶望の未来、暗闇に覆われ、希望を失くしたキヴォトス。楽園を信じ、それでもと口にした自分達が見た成れの果て。最善を尽くした筈だった、力を振り絞った筈だった、希望を信じて進んだ果てに――けれど、望んだ未来は一つもなくて。
でも。
それでも。
「あの日、私達は――
『あ、ぁ――』
先生の声に、血を吐き出すような苦痛が混じる。それでも、声色は穏やかだった。それは生徒を導く大人の声だった。
アロナの指先が、ディスプレイに向けられた。それは救いを求める為に伸ばされたものだったのだろうか。それともただ、先生を想う余り無意識に伸ばされたものだったのだろうか。画面越しに、先生の手と、彼女の手が合わさる。
冷たく、無機質で、何の感触もありはしない。
けれど、想いだけは伝わった。
確かに、強い――
――生徒皆が、笑い合える世界を作ろうと。
あの日の貴方は、そう云って笑った。
「その責務を果たせッ! ――
その叫びが、アロナの背中を強く押した。
指先が、障壁の展開を指示する。
古聖堂一帯に、瞬時に発生する青白い防壁。それらは一帯の生徒を守る様に大きく、広く空を覆い。飛来した子弾を拒み、炸裂させた。
各所で爆発が起き、爆風と爆炎が世界を彩る。
そして――先生が顔を上げた時、自身に飛来する子弾の存在に気付き。
けれど、それをどうする事も出来ず。
――凄まじい爆発と衝撃に、
■
『き、緊急事態です! 古聖堂が、正体不明の爆発によって炎に包まれ……! これは、一体!? せ、尖塔が崩れていますッ!』
手元にある小さな携帯端末。調印式の様子を見る事を許された、ミカに支給された唯一の情報手段。彼女はそれを掴みながら、目を見開く。
画面には燃え盛る古聖堂周辺が映し出され、多くの生徒が逃げ惑い、悲鳴を上げている様子が見えた。チャット欄が、凄まじい勢いで流れていく。困惑と焦燥、友人の安否を尋ねる声、怒り、悲しみ。
ミカは呆然とそれらを見つめながら、声を漏らす。
「……先生?」
冷たく昏い独房の中に、その声は良く響いた。
■
――世界は、一瞬にしてその色を変えた。
「な、何ですか、これは……」
呟きは小さく、戦慄を孕んでいる。
大きな爆発音、割れたカフェの硝子窓。異変に気付いたのは直ぐだった。外から悲鳴と喧騒が響き渡り、補習授業部はカフェを飛び出し道路を見る。そこには逃げ惑う生徒達と、運搬されていく負傷者の群れ。頭上にはアラートを響かせるドローンが狂った様に飛び回り、遥か向こう側には燃え盛る炎が空を照らしていた。
ほんの数分前、熱気と歓声に溢れていたその場所は――地獄と化していた。
「っ……!」
「あ、アズサちゃん、どこにッ……!?」
「なっ、危険です、アズサちゃん! 戻って下さいッ!」
その光景を見ていたアズサは、その表情を歪め、愛銃を手に駆け出す。彼女の胸には予感があった――酷く、嫌な予感が。そしてそれが決して外れていないと、確信染みた感覚がある。背負っていた背嚢が揺れ、彼女の姿は人混みの中へと消えて行った。追いかけようにも小柄な彼女の姿は即座に埋もれ、伸ばした手が届く事はない。
最後に見た彼女の表情は、絶望と焦燥を感じさせるものだった。
「こ、古聖堂が……!」
コハルは、去って行くアズサの背中を認めながら、その場を動く事が出来なかった。群衆の中には、負傷し血を流す正義実現委員会の姿もある。この周辺を任されているのは比較的下級生の生徒ばかりだが、今火の手が上がっている古聖堂にはコハルの敬愛する先輩達が集っている。
ヒフミも、コハルも、自然と古聖堂に向けて一歩を踏み出した。
それを見たハナコは二人の腕を掴み、叫ぶ。
「っ、コハルちゃん、ヒフミちゃん、待って下さいっ! 状況が把握できるまで、動くのは得策ではありませんッ!」
「ですが、アズサちゃんが……!」
「アズサちゃんも正義実現委員会も、少なくとも自分の身は守れます! 今はそれよりバラバラに散らばる事の方が危険なんです! 相手が誰なのか、どれ程の数なのかも分からない、今はッ……!」
「で、でも……! でもッ!」
ハナコは冷静に周囲を観察し、現状把握に努める。何か大きな爆発があった、あの銀狼の云う事が現実となったのか。或いはこれは、彼女の予想とは異なる未来なのか。少なくとも、古聖堂に大きな攻撃があったのは確かだった。攻撃の規模はかなり大きい、古聖堂どころか周辺の建物も崩落している様に見える。
もし、あの場に大勢の戦力が投入されているのならば――現状、この場所も安全とは云い難い。正義実現委員会は戦闘のスペシャリスト、そしてアズサも補習授業部の中では単独で最も戦闘能力、生存能力が高い。
故に、最低限纏まって動くべきは、この三人。
相手の戦力、目的、兵装、全て不明。こんな状態で古聖堂に突入しても、最悪自分達諸共やられてしまう。
それを理解していた。
分かっていた。
それでも尚、二人の瞳は古聖堂に向けられていた。
「せ、せんせ……先生だって、あそこにッ!」
「――っ!」
コハルの、今にも涙を流しそうな声。
その必死の訴えに、ハナコは唇を強く噛む。血が滲む程に、強く。
分かっている、理解している。
理解しているからこそ、心が張り裂けそうになりながらも彼女は踏みとどまっているのだ。
ここで自分まで冷静さを喪えば、補習授業部も危険な目に遭いかねない。
あの場には少なくとも、正義実現委員会の幹部、そしてゲヘナ風紀委員会が存在している。彼女達が先生に危害を加える事は、まずない。そして万が一彼女達が倒されてしまったのなら――この三人で乗り込んで、どうなる?
犬死にだ、決して事態は好転しない。
故にこの場で最善の策は、一度トリニティ本校に帰還し、状況を確認し改めて戦力を整え古聖堂に向かう事。それを懇切丁寧に説明する時間も、余裕もない。二人の汗と涙に塗れた表情を見て、そう判断する。
故にハナコは二人の腕を掴みながら、トリニティへ帰還すべく全力で駆け出す。
強引に腕を引かれながら、二人は古聖堂に向け必死に叫んでいた。
「は、ハナコちゃ……――ッ!」
「や、やだッ、先生! 先生ッ!」
「っ、今はッ、耐えるんです……!」
二人の腕を痛い位に掴みながら、ハナコは古聖堂へと背を向ける。
「先生っ――!」
胸に燻る、絶望の予感から――顔を背けたまま。
■
――何が、起きた。
彼女――ヒナは自身に圧し掛かっていた瓦礫を押し退け、立ち上がる。頬を撫でる熱気、立ち昇る砂塵。ほんの一瞬、瞬きの間に彼女の周囲は地獄と化した。
唐突に古聖堂周辺からミサイルが発射され、アラートが鳴り響いた。厳戒態勢を命じると共に、周辺状況の確認と避難誘導を指示し――そう、頭上で何かが炸裂する音が響いて、視界が暗転した。ヒナが憶えているのはそこまでだ。
一瞬、気を喪っていたらしい。周囲を見渡し、被害状況を確認する。古聖堂は一部が完全に崩れ落ち、周辺は火が地面を舐めている。折り重なった瓦礫は古聖堂だったもの。西側は全損だ、見れば瓦礫に埋もれたまま呻く風紀委員の姿があった。
彼女は自身の額を流れる血を指先で拭い、愛銃を担ぎながら瓦礫を蹴飛ばしてやる。体を圧迫していた瓦礫が無くなると、地面に這い蹲っていた委員は大きく息を吸った。屈んで様子を見てやれば、意識を失っているだけらしい。彼方此方打撲や出血はあるものの致命傷ではない。ヒナは鈍痛の響く体に鞭打って立ち上がる。そこかしこから、呻き声と悲鳴が響いていた。
風紀委員会は――ほぼ全滅に近い。
飛来していたのは――恐らく誘導弾頭、ミサイルか何か、それも対空防御システムが迎撃出来ない程の速度で。いや、迎撃自体は行われていた、しかし完全に防御する事は叶わなかった。あの防御設備はヒナも知らないものだった、用意したのはトリニティか、それとも――。
瓦礫と化した古聖堂を見渡しながらヒナは息を呑む。普通じゃない、速度も、そして威力も。
――一体、どこからが罠だった?
思考する、攻撃者は一体誰が。トリニティ? シスターフッド? いや、もしそうならこれは自爆攻撃だ。自身の首脳部が揃った時点であのような攻撃を行うなど、正気の沙汰ではない。或いは派閥間の調整を失敗し、内部分裂が起きたか。ゲヘナはそれに巻き込まれて――。
「違う……ッ!」
ヒナは巡る思考を止め、吐き捨てた。
今は、そんな事はどうでも良い。
現在、一番気にしなければならないのは――。
「――先生ッ……!」
惚けていた意識に喝を入れ、ヒナは瓦礫を駆け上がった。この規模の爆発、キヴォトスの生徒ですら重傷を負いかねない攻撃。それに巻き込まれた先生はどうなる? そんな事は火を見るよりも明らかだった。
彼の状態を想像し、血の気の失せた顔色で疾走する彼女は――しかし、唐突に鳴り響いた銃声に足を止める。
目と鼻の先を、弾丸が穿ち抜いた。
髪がひと房千切り飛ばされ、ヒナは愛銃を構えながら素早く弾丸の飛来した方向へと向き直る。
「――ま、まだ立っているんですねぇ、ヒナさん」
「ッ……!」
彼女の目に映ったのは――見たことも無い装備を身に纏った生徒達だった。
巨大なガンケースに、黒い帽子、白い外套――彼女を中心に立ち並ぶガスマスクを被った集団。数は十、二十、いや――もっとか。
先頭に立った生徒、ヒヨリは卑屈な笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「どうしましょう、あれを受けてまだ立っているなんて、凄いですねぇ、強いですねぇ……どうして、痛い筈なのに、苦しい筈なのに――」
『――感傷は後にしろ、ヒナだけは決して逃がすな』
「は、はい……っ」
ヒヨリの手にした端末から、低く、唸るような指示が飛んだ。それに彼女は背筋を正しながら、周囲の生徒に目配せをする。途端、左右に展開した彼女達は手にしていた銃をヒナに突きつけた。発せられる敵意と憎悪に、ヒナは視線を鋭くする。
彼女達の身に着けた腕章――その刻まれた校章には憶えがあった。
「そ、そういう事みたいでして、すみませんね……えへへっ」
「アリウス……分校」
「あ、あなたを先に行かせないように云われているので、すみませんが、これも命令でして……」
巨大なガンケースを地面に下ろし、彼女は中から
彼女達の登場により、ヒナはこの攻撃を行った勢力の確信を得た。トリニティと確執を持つアリウス分校、そしてその同盟相手となるゲヘナ。銃を向ける理由としては、十分だ。
しかし、今はそんな事を考える余裕も、時間もない。
その瞳に、確かな苛立ちと敵意を滲ませながら、彼女は一歩を踏み出す。途端、彼女の身体から重い――余りにも重い圧力が放たれた。アリウスの生徒達が一歩、無意識の内に退いてしまう程の。
対峙しているだけで呼吸が辛くなる様な、空気が重く感じる様な、圧倒的なプレッシャー。手負いの生徒だ、万全とは云い難い。数も装備もアリウスが優位――だと云うのに、何故だろう。
瓦礫の上に立ち、此方を見下ろす彼女を
「――先生が、危険なの」
「え、えへへっ、や、やっぱり、不幸な事ばっかりですよねぇ……」
ヒナの足元にあった瓦礫が、踏み砕かれる。
薙ぎ払う様にして構えられた彼女の愛銃、デストロイヤーがアリウスを捉え、その血の滲んだ長髪が熱波に彩られた。滲んだ敵意をそのままに、彼女は犬歯を剥き出しにして――全力で叫ぶ。
「そこを、退けと云っている――ッ!」
崩壊した古聖堂。
その一角で、咆哮に似た銃声が木霊した。
祝★着弾。
その四肢を余すところなく飛び散らせて、是非愛おしい生徒の前で盛大に死んでくれ。
次回、皆さんお待ちかねの先生が藻掻き苦しむシーンですわ。血塗れの先生を見て、生徒の愛を感じられるとっても感動的なシーンとなっております。是非、ご家族皆さんでご覧ください。大丈夫です、安心して下さいませ、先生には出来得る限り苦しんで貰いますから。腕一本は最低保証、そこからは私の性癖に沿って削いでいきますわ。
足どうしようかなぁ、でも足はヒマリとかと仲良くなった後に、車椅子になった先生に、「お揃いだね」って云って欲しいからなぁ……。でもでも、足の無くなった先生に、「先生、一緒にサイクリング……」って云って、途中で気付いて言葉を呑み込むシロコとか見たいですわぁ。あっても無くても美味しいんですの、まじで棄てる所ないですわよ。おんぶする口実が出来たね、やったよシロコ! あぁ、御礼は結構ですのよ、私は生徒の幸せを願っておりますので。良い事をした後は、気持ちが良いですわぁ~……!
因みにこの後も生徒を庇って鉛玉を撃ち込まれるので、まだ底値じゃないですわよ。傷に傷を重ねますわ。先生の身体は今回、限界まで、或いは限界を超えて酷使させて頂きます。憎悪と傷と許し、エデン条約後編は、そういう話ですの。
キヴォトス動乱、憶えていらっしゃいますか?
なので是非、先生には頑張って頂きたいですね! 脚が捥げようが、腕が千切れようが、「それでも」って叫びながら立ち上がるんですわよ! 気持ち! 気持ちで負けちゃ駄目ですわッ! ファイトッ! 先生! あなたの背中を生徒達が見守っていますわよッ! ほら、頑張れ♡ 頑張れ♡