ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ~!


生きろ、足掻け、あなたは先生(大人)だ。

 

「アリウスめ、諸共撃ったか――」

「……マコト先輩、一体何を?」

 

 トリニティ中央区、時計塔。

 その屋上にて、古聖堂一帯を見渡しながら鼻を鳴らす生徒がひとり。ゲヘナ万魔殿、議長を務めるマコトその人である。彼女の背後にはいつも通り、いや、普段より強張った面持ちのイロハが佇んでいた。目下には燃え盛る古聖堂、そして混乱し逃げ惑う生徒達の姿。それを眺めて尚、マコトに戸惑いの気配はなかった。

 

「結果的に、これで邪魔者は全て消える、ティーパーティーも、あの目障りだったヒナも――だが」

 

 縁に足を乗せ、地上を眺めるマコト。

 その表情がふと、顰められた。

 

「どういう事だ、この様な大規模攻撃を行うとは聞いていない……連中め、元からこのマコト様を嵌めるつもりだったのか?」

 

 顎先を撫でつけ、そう呟く彼女は酷く淡々としていた。イロハはその呟きから、凡その状況を理解し、声を漏らす。

 

「――まさか、先輩」

「キキッ……あぁ、そのまさかだよ」

 

 戦慄と共に漏れ出た彼女の声に、マコトは歪な笑みを浮かべ、頷いて見せた。

 

「何を隠そうこのマコト様は、トリニティを恨んでいるアリウスと前々から結託していたのさ」

 

 そう、ゲヘナの生徒会長(議長)――羽沼マコト。

 彼女は事前にアリウス分校と内通し、今回の調印式襲撃について事前に把握していた。彼女はトリニティで起きた騒動について理解していたし、好機であると思っていたのだ。

 

「ティーパーティーの内紛も、クーデターも、私は最初から知っていた、全ては今日(こんにち)の計画の為に」

「クーデター……?」

「あぁ、そうとも、ティーパーティーの間抜けがひとり、ホストへと成り上がる為にクーデターを起こしたのさ、キキッ!」

「いつの間にそんな事を――つまり先輩は、最初からエデン条約を結ぶ気が無かったと?」

「当然だろう、その様な事にこれっぽっちも興味などない、私の関心はずっと、邪魔者どもを片付ける事だけにあった! いつまで経っても姿を現さないティーパーティーの連中を誘き出す為に、あくまで条約へ同意するフリをしていただけだ」

 

 トリニティ総合学園、その性質は保守派である。ゲヘナが革新、或いは自由を校風とするのならば、トリニティは規律と戒律を重視する学園。外部への露出は少なく、仮にあったとしてもそれは綺麗に形を整えられた一側面でしかない。それはティーパーティーも同様であり、彼女達が外部に顔を出す事は滅多になかった。

 しかし、エデン条約という大きな舞台であれば別だ。故に、彼女はこの様な大掛かりで、格式張った条約を結ぼうとした。

 そしてそこに、自身の目の上のたん瘤である風紀委員会――ヒナも組み込み、一網打尽を狙ったのだ。

 

「これで漸くヒナまで片付いた、これほどラッキーな事はない……キキキッ!」

「………」

「その為にアリウスは多大なサポートをしてくれたよ、先程乗って来た飛行船だって、友好の証としての贈り物だそうだ」

「飛行船――」

 

 その言葉を聞いて、イロハの視線が空に向かう。

 そこには、今まさにゲヘナ自治区へと帰還している飛行船の姿があった。

 燃え盛る地上に反し、優雅に空を舞う姿は呑気なものだ。腕を組み、飛行船を視線で追ったマコトは笑いを喉奥で噛み殺し、告げる。

 

「まぁ尤も――直ぐ塵屑になるだろうがな」

 

 瞬間――爆発が起きた。

 

 それは地上ではなく、空から。

 爆発の元は、飛行船。

 エンジンとプロペラ部分が吹き飛び、後部障壁が露出する。ゴンドラ部分は一瞬で火に包まれ、テールフィンが一枚、爆発で後方へと流れた。ハンドリングラインを通じてエンベロープ(ガス袋)へと炎が引火する。それはほんの一瞬の出来事、ものの数秒で飛行船は火達磨となり、トリニティ郊外へと落下を開始した。

 燃え盛る飛行船を眺めながら、マコトはくぐもった笑いを漏らす。空と地上を繋ぐ火柱、火の粉を撒き散らしながら落下していくその光景は、何とも云えぬ幻想を孕んでいる。

 

「あれは回収が必要だな、死にはしないだろうが、念の為救急医学部を呼んでおいてやるか」

「……こうなると知っていたのですか?」

「キキキッ、いいや、気付いたのは今だ、念の為という奴だよ、しかし予想は当たったようだなぁ」

 

 飛行船を爆破されて尚上機嫌に肩を震わせ、前傾姿勢になったマコトは焼け落ちる飛行船を眺め答える。滲み出るそれは自身の予想が当たった事に対する歓喜だ。内面は、己に対する自尊心で溢れている。彼女程自身に対する信頼が厚い生徒は、そうは居ないだろう。

 

「しかし、クーデターの一件で先生(シャーレ)に対する直接攻撃は禁止だと伝えた筈だが――よもや、それ諸共反故にされるとは」

 

 飛行船から視線を移し、燃え盛る古聖堂を見渡しながらマコトは呟く。

 事前の取り決めでは、マコトが古聖堂へと到着する前にアリウスの部隊が電撃戦を敢行し、トリニティ首脳部、正義実現委員会、及び風紀委員会を無力化、先生を確保するという話であったが。

 実際は大型の爆弾を投下し、一面諸共火の海にしていた。あれでは先に派遣していた万魔殿の行政官も巻き込まれている事だろう。或いは、自身も少し早く到着していれば諸共、そうでなくとも飛行船を爆破して始末する予定だったのか。

 

 トリニティを恨むアリウス分校。しかし、その根は元トリニティ側の一員。

 例えその枝を分けたとしても、ゲヘナ嫌いは骨髄まで、という事か。

 

「キキッ、このマコト様を嵌めるとは――やってくれる、アリウス」

 

 この様な暴挙に及んだ時点で、マコトはアリウスが自身を最初から切り捨てて動いていたと考えた。飛行船も、本来であれば軽くクロノスの連中に顔を見せ、後はそれらしく振る舞いゲヘナへと蜻蛉帰りするつもりであったが。

 存外、勘というのも馬鹿に出来ない。

 この話はアリウス側から持ち掛けてきたというのに、何ともまぁ、面白くない話だとマコトは踵を床に打ち付けた。

 

「――イロハ、親衛隊を招集しろ」

「……どうするつもりですか?」

「どうする? 決まっているだろう」

 

 訝し気な表情を浮かべるイロハに、マコトは肩を竦めながら告げた。

 

「裏切りには罰を――連中にはこのマコト様の完璧な計画を潰した責任を取って貰わなければな……キキッ!」

 

 目下で戦闘を開始した、アリウス分校の部隊。その姿を確認し、彼女は外套を靡かせ踵を返す。

 マコトとアリウスが結んだ水面下の同盟、それは既に破棄された。ならば敵がトリニティからアリウスに移っただけの事。

 この同盟を知る者は現状、ごく少数。であればこそ、アリウス・スクワッドとその上層部を掃討してしまえば、この(はかりごと)が白日の下に晒される事はない。

 ゲヘナは、被害者として堂々と振る舞えば良い。

 テロリストの虚言に付き合う者など(アリウスの味方をする者は)居ないのだから(彼女達自身が傷付けた)

 

「そら、何をしているイロハ、さっさと動け!」

「……はぁ、分かりましたよ」

 

 いつまでもその場から動かないイロハに檄を飛ばし、指示を出された彼女は渋々端末で連絡を入れる。

 その様子を確認したマコトは、ひとり地上へと降りる階段に足を掛ける。

 

「……もう傷を付けるなと、あれ程忠告したというのに」

 

 呟きは、風に流れて消えた。

 トリニティ内部、クーデターで起こった先生の負傷。アリウス側はトリニティの生徒に向かって放った手榴弾に、運悪く巻き込まれたと、そう説明していた。

 しかし――或いは、最初から先生を殺す事が目的だったのかもしれない。

 どちらにせよ、連中は約束を反故にし、この様な地獄を生んだ。

 ならばもう、後は推して知るべし。

 

 マコトの瞳が、暗闇の中で妖しく蠢いた。

 

「もう――どうなっても知らんぞ、アリウス」

 

 ■

 

「チームⅡ、報告を」

 

 焼け落ちる飛行船、その様子を見つめながら端末に向かって声を上げる生徒――サオリ。

 外郭地区、建築中の住居ビル、その放置されたクレーン先端に立つ彼女は、白い外套を靡かせながら空を仰ぐ。腕に巻き付けた腕章、そこに刻まれた髑髏(校章)が炎に照らされ鈍く光った。

 

『チームⅡ、古聖堂下部に到達した、現在カタコンベ、ブロックE-09を侵攻中、そろそろ地上に出て正義実現委員会と交戦に突入すると思う……そっちは?』

「あぁ、こっちも用事は終わった」

 

 告げ、手元にあった爆破装置を虚空に投げ捨てる。プラスチック製のそれは地面に吸い込まれるように落下し、遥か階下、燃え盛る炎の中に溶けて消えた。

 彼女はそれを見届け、クレーンから飛び降りる。鉄骨の上に着地し、甲高い音を立てながら風を切る彼女の表情は影になって見えない。

 焼け千切れた飛行船のハンドリングラインが宙を舞い、周辺を照らす。

 空は、曇天に覆われ始めていた。

 

『こ、此方チームⅢ、現在ヒナさんと交戦中です! チームⅤは予定通り、地下を侵攻中……!』

「了解、戦況は?」

『流石に、キヴォトス最強の一角は伊達じゃないですね……えへへっ、ちょ、ちょっと押され気味です……! 分隊が既に幾つか戦闘不能になりました……!』

「――分かった、チームを率いて直ぐに合流する、それまで体力と弾薬を削れるだけ削っておけ」

『りょ、了解です!』

 

 ヒヨリの報告を聞き、サオリは愛銃の安全装置を弾く。

 遠目に見える古聖堂、既に周辺の生徒は反対方向へと逃げ出しており、近場のカタコンベ出入口から突入すれば五分と掛からずに辿り着けるだろう。到着すれば、即座に戦闘になる筈だ。

 これは千載一遇の機会(チャンス)である。ゲヘナ最強戦力であるヒナは孤立し、負傷している。彼女を潰せばゲヘナの戦力は大きく欠ける。此処を逃せば次はない――故に、この場で必ず仕留める。

 

「……首尾は」

『異常なし、周辺の正義実現委員会は掃討完了、チームはカタコンベ内部で待機中』

「直ぐに出るぞ、ターゲットはゲヘナ風紀委員長の空崎ヒナ、カタコンベを抜ければ即座に戦闘になるだろう」

『――了解』

 

 自身の率いるチームへと連絡を取り、彼女は端末を外套の中に差し込む。最後に振り返った彼女は、各所から上がる火の手を眺めながら呟いた。

 

「トリニティ、そしてゲヘナ……これまでの長きに渡る我らの憎悪、その負債を払ってもらう時が来た」

 

 アリウスがトリニティから弾圧、排斥されどれだけの月日が流れたか。その年月を想い、サオリは愛銃のグリップを強く握り締める。

 脈々と受け継がれた先代の願い(呪い)、見捨てられ、打ち捨てられ、惨めに地下に籠って過ごして来た日々。夢を抱く事も、将来を切望する事も、幸福を望む事も許されなかった幼少期。諦めを知り、無力感を覚え、ただ自身の生の虚しさに気付いた時、彼女は自身の手の届く範囲――その狭さを知った。

 だからせめて、(サオリ)の手の届く範囲では、彼女達(スクワッド)に生きて欲しくて。

 

 月に手が届く様な――そんな大きな夢を見たかった訳じゃない。

 彼女達(スクワッド)が望んだのは、本当に欲しかったものは。

 誰でも手に入る様な、ほんの些細な、小さな幸せ(月並みな幸せ)

 

 ――それを奪ったのは、遥か昔の顔も知らぬ誰か(我ら祖先を排斥した者共)

 

 飛行船から地上に降り注ぐ火の粉。

 それを浴びながら彼女は浮かべる。

 彼女の主(ベアトリーチェ)と良く似た――憎悪と悦楽に塗れた嗤みを。

 

「我々アリウスが、楽園の名の下に」

 

 その歪な嗤いを、マスク(仮面)の下に隠して。

 彼女は、その道(地獄)を往く。

 

「――貴様らを審判してやろう」

 

 ■

 

「――……ぅ」

 

 意識を取り戻した時、最初に感じたのは熱だった。

 身体全体を突き抜ける、強烈な熱。或いはそれは痛みだったのかもしれない。しかし、脳はそれを痛みだと判断する事が出来なかった。視界は悪く、石床に横たわるようにして倒れた肉体は、僅かな反応も返さない。視線一つ、指先一つ動かす事すら億劫だった。

 

 地面に撒き散らされた砂塵、瓦礫、その只中に彼――先生は倒れ伏す。

 

 地面を舐める炎が、先生の頬を僅かに焼いた。しかしそれをどうこうするだけの体力も、気力も、既に存在しない。血と炎、捲れ上がった皮膚が内側を晒し、思考はどこか上の空。

 

「……ぁ……」

 

 小さく、口を開いた。カラカラに乾いた口内は、酷い血の味がする。喉を引き攣らせ、辛うじて発せられた言葉は、たったの三文字。

 

「――……せ、ぃ……と」

 

 声というよりは最早、吐息の領域。吐き出した声は余りにも弱々しく、誰の耳に届く事はない。

 

 ――生徒達(子ども達)は、無事なのか。

 

 起き抜けに思考した事は、それ一つ。

 横向きになった視界。その視線を一つ動かすのも酷く大変で、しかし残った気力を振り絞って周囲をゆっくりと見渡す。しかし、瓦礫に視界を塞がれ、少なくとも近辺に倒れた生徒の姿は見えない。

 

 ふと、伸びた自分の右腕、その先にシッテムの箱が転がっている事に気付いた。砂塵に塗れ、表面の罅割れた――先生の唯一無二(希望)

 点灯するレッドランプは、規則正しく点滅を繰り返し、軈て消える。電力を全て吐き出した証拠だ。先生は必死に手を伸ばし、タブレットを引き寄せようとした。

 

 けれど、グンッ――と。

 身体を引っ張る何かがあった。

 先生が緩慢な動作で、自身を阻む何かに視線を飛ばせば。

 

 ――左腕が、折り重なった瓦礫に潰されていた。

 

「…………ぅ」

 

 瓦礫に呑まれた左腕は、肘のやや上の部分のみが露出しており、そこから下は完全に瓦礫の下。どれ程の重さが在るのか分からない、巨大なそれを見上げ、先生は浅く息を吐く。下敷きになった腕はどうなっているのか――そんな事、考えなくても分かった。

 先生は弱々しい力で腕を引っ張り、シッテムの箱に再度手を伸ばす。しかし挟まれた腕がミシリと軋みを上げ、確かな痛みを先生に齎した。

 

 ――これは、抜けられそうにない。

 

 そうなると、自分は此処から動けない。

 どろりと、額を流れた血が視界を塞ぐ。それを拭う事も、払う事もせず、視界は血に呑まれていく。右側の視界が、暗い。何も見えない。立ち上がる事も出来ず、先生はただ浅い呼吸を繰り返すのみ。

 熱気が肺を焼く。息が、詰まる。

 いや、熱だけの問題ではない。衝撃で肺がやられたのかもしれない。息苦しさは過去類を見ない程。なら、他の内臓は? 目は、耳は、鼻は――。

 

 耳は――辛うじて聞こえる、けれど水の中に居るかの様に不鮮明。自身の荒い呼吸音だけが酷くくぐもって聞こえた。後は近くで燃え盛る、炎の音か。

 視界は霞む、辛うじて視認出来ている左目は血に塗れ、至近距離でなければ人の判別も難しいだろう。流れ出る赤色が、先生の頬を濡らしていた。

 

 総じて、満身創痍。

 

 或いは、このまま此処で寝そべっていれば、不可避の死が約束されている。今なお流れ出る血は止まらず、酷い睡魔が先生を襲っていた。

 このまま目を瞑って眠ってしまえれば、どれ程幸福だろうか。どれ程心地良いだろうか。抗い難い誘惑は先生の瞼を痙攣させる。足掻き、歯を食い縛ろうとする程、酷い汗が流れた。

 

 そうだ、自分は――手を尽くしたのではないか?

 

 睡魔に痛み、襲い来る虚脱感は先生の意識を断ち切ろうと囁く。

 炎の燃え盛る音だけが、聞こえる。

 精神は未だ屈せずとも、肉体は既に折れていた。もう既に立ち上がれる力はなく、傷は深く、生物としての限界が近付いている。

 心の中の弱い部分、先生の覆い隠し続けていた暗闇が告げる。

 

 自分は、十分に頑張ったと。

 手を尽くし、努力したと。

 これ以上足掻く必要はないと。

 

 懸命に立ち向かう先生の精神を、優しい暗闇が包み込む。

 本能が、理性に勝ろうとしていた。

 どれだけ硬い信念であっても、どれだけ痛烈な意思を秘めていても、死と云う運命には抗えない。

 人である限り――人であるからこそ。

 

 瞼が、徐々に落ちる。

 呼吸が、ゆっくりと止まる。

 視界が暗転し、音だけが響く。

 徐々に、徐々に、少しずつ――諦観が先生の肉体を支配していく。

 意志があっても、覚悟があっても、肉体が死に屈する。

 

「ぁ――……」

 

 伸ばした手の先にあるシッテムの箱。

 その輪郭すらもあやふやになって。

 先生の意識は、沈んで往く。

 優しさの中に――終わりの中に。

 

 私は、努力した。

 懸命に、出来得る限り。

 ならばもう、此処で、休んでしまっても(終わってしまっても)

 

 きっと。

 私の。

 

 生徒達は――。

 

 ■

 

『あなた様――』

 

 炎越しに見えた、彼女の笑み。

 燃え盛る嘗ての想い、先生の努力の結実――連邦捜査部シャーレ。

 くしゃくしゃになった書類、地面に散らばり、踏み躙られた思い出の写真。罅割れたホワイトボード、割れた液晶ディスプレイ、焦げ付いた折り鶴。

 平穏と平和、優しさと友好の象徴であったその場所は、戦火に呑まれ今は見る影もない。割れ、砕け、散り散りになった硝子ブロックから風が吹きつける。炎が頬を、髪を、皮膚を焼き、血に塗れた肉体は指先一つ動かす事も出来ず。

 そのまま無残に、無様に、何の抵抗も出来ず死に往く筈の己は、ただ地面に這いつくばりながら見上げる事しか出来なかった。

 

 罅割れた仮面、擦り切れた着物、ざっくばらんに千切れた彼女の美しい黒髪。

 傷だらけの身体を引き摺って、手を伸ばしても届く事はなく――そんな自身を見下ろす彼女の表情は、余りにも透き通っていて。 

 仰ぐ夜空は星が瞬き、それを背に佇む彼女は……そんな事を想う(いとま)も、余裕すらないというのに。

 とても、美しく思えて。

 

『……どうか』

 

 そんな彼女が、微笑み告げる。

 万感の想いと願い、希望を込めて。

 その想いが、その願いが、その祈り(呪い)が――。

 

『生きて』

 

 いつまでもこの背中に、張り付いて消えない。

 

 ■

 

「っ、はァ――……!」

 

 息を、吹き返した。

 止まりかけた呼吸がぶり返し、視界が一気に広がる。口の中に混じる砂利と血を吐き捨てながら、先生は唸りを上げる。

 呪い(祈り)が、先生を生かした。

 『生きて』という名の呪い(願い)が、死の淵で、先生を。

 

 ――今、何を想った、己は。

 

 周囲を舐める炎が、いつかの終わりと重なる。こんな風に自分は終わったのだと、こんな風に惨めに屍を晒したのだと。忘れられない記憶が、情念が、祈りが、願いが、呪いが、先生の肉体をこの世界に縫い付ける。

 血に塗れた赤い犬歯を晒しながら、先生は耐える、耐え忍ぶ。今にも途切れそうな意識を必死に、どれ程の苦痛であっても堪えながら。

 

 まだ、死ぬ訳にはいかない。

 まだ、最善を尽くしていない。

 まだ、足掻く余地は残っている。

 

 この死に体の身体であっても、この心臓が止まるまで、或いはこの頭蓋の中身が零れ落ちるまで。一秒、一瞬を全力で抗い続ける。

 それが、先生(わたし)の義務。

 この世界に足を踏み出した、あらゆる生徒の願いを背負った、(わたし)宿命(うんめい)

 

「ま――……」

 

 声を、上げる。

 喉を鳴らし、歯を食い縛り。石の床に爪を立てて尚、足掻く。

 

「ま、だ――だ……ッ!」

 

 意識が落ちそうになれば、額を石の床に打ち付けても。皮膚を炎で焼いてでも、あらゆる手を尽くして意識を繋ぐ。石床に立てていた爪が剥がれ落ち、先生は唇を強く噛んだ。必死の形相で、唸りを上げながら生きようと足掻く。

 その姿は無様だろう、見るに堪えないだろう。

 だが、それで良い。そうでなくてはならない。

 痛みはある、痛みがあるなら、まだ自分は生きている。生きているなら、足掻ける――足掻き続けるのだ。先生はそう、自身に云い聞かせた。

 まだ、死んではいけない。まだ、休んでは(楽になっては)いけない。

 

 諦める事など(背負った祈りが)――私には許されない(先生の背を押す)

 

「い、き……ろッ……――」

 

 声を絞り出し、自身に叫ぶ。焼き付いた声で、乾いた声で、必死に。

 伸びた右手が、転がったシッテムの箱に伸ばされる。指先が震え、剥がれた爪先が酷く痛んだ。指先から滴る血が跳ね、シッテムの箱、その液晶を汚す。

 

「あ、がけ――ッ……!」

 

 吐き出した息が、微かに弾んだ。呼吸が苦しい、今にも息が詰まりそうだ。酷い頭痛に吐き気、ふとした瞬間に落ちてしまいそうになる意識。

 それでも先生は手を伸ばす事をやめない。

 

「わ――………ッ」

 

 圧し潰された左腕から、肉の裂ける音がした。体の内側から、徐々に徐々に壊れていく、そんな音だった。ミチミチと肉が千切れ、皮膚が断裂する。想像を絶する痛み、骨が露出し、外気が露呈したそれを撫でつけ、叫び出しそうになる。

 気が狂いそうだった。失神してしまえば、どれ程楽になれるか。

 それでも先生は、手を伸ばす。

 

「わ……た、し……はァ……ッ!」

 

 酷い痛み、まるで拷問の様。少しずつ削れていく肉体と精神。一秒毎に心地良く、優し気な闇が先生に囁く。

 もうやめろと、もう諦めろと、運命を受け入れろと――そうすれば楽になれるのに。そうすれば痛い思いをせずに済むのに、と。

 その声を振り払い、先生は尚も手を伸ばす。

 

 歯を食い縛って。

 それでもと、声なき声を上げながら。

 

「わたし、はッ……先生(おとな)っ……だろう、が――ッ……!?」

 

 ――あの日誓った、願いの為に(生徒皆が、笑い合える世界の為に)

 

「――せ、先生っ!」

 

 その声が届いたのか、或いは運命の悪戯か。

 先生がその意識を落とすよりも早く、聞き覚えのある声が周囲に響いた。

 燃え盛る炎を突っ切り、瓦礫を押し退けながら現れたのは――シスター服を靡かせる誰か。

 霞んだ視界では、その生徒を判別する事が出来ない。けれど、声には聞き覚えがあった。辛うじて機能する聴覚が、彼女の正体を確信させる。

 

 ――ヒナタだ。

 

 直前まで先生と一緒に行動していた彼女は、先生の居た場所にあたりを付け捜索を続けていた。

 故に見つけられた、発見出来た、その命の灯が消え去る前に。

 

 瓦礫の隙間に見えた、確かな白(シャーレ制服)、それに気付いた彼女は大量の汗を流しながら前進する。爆発の影響でボロボロになったシスター服、露出した肌は傷だらけで、少なくない量の血を流している。けれど彼女にとっては重傷という程ではない。

 額から流れる血も拭う事無く、彼女は瓦礫の隙間に顔を突き入れ、先生に向かって叫んだ。

 

「せ、先生っ、ゴホッ、けほっ、コホッ! ご、ご無事で――!?」

 

 周囲に充満する煙と砂塵、それにむせ返りながら彼女が見たのは。

 血だまりに沈み――今尚、死に抗う先生の姿。

 

「ぅ、ぇ――………」

 

 うつ伏せに倒れ、苦悶の表情を浮かべる先生。纏っている衣服は焼け跡が残り、どこもかしこも血が滲んでいる。特に肩、背中の辺りが酷い。衣服が完全に裂け、皮膚は最早形を成していない。

 フラッシュバックしたのは、体育館で見た先生の惨状。ほんの一ヶ月と少し前、ティーパーティーの聖園ミカを庇って負傷した時の光景。生徒達が先生に群がり、涙ながらに処置した記憶。血と炎の匂い、鼻腔を擽る人が死に往く香り。

 

 けれど目前のそれは、嘗てのそれとは比較にならない。

 

 ヒナタの視界に入った先生の顔面、右側半分。

 血に塗れ、焼け焦げた顔は皮膚が捲り上がっていて――。

 

 ――在るべき眼球(右目)が、そこにはなかった。

 

「ひ、な――……た……?」

「せん……せ――?」

 

 擦れた声だった、弱々しく、囁く様な声色。

 残った左目が、光の消えた瞳で彼女を射貫く。

 血を垂らし、赤と白に塗れた彼が――静かに、ヒナタ(陽に照らされる者)の名を呼んでいた。

 


 

 取り敢えず片目貰うね? 潰された左腕は、生徒の手で捥いで(切断して)貰おうね。

 丁寧に、丁寧に。

 少しずつ、少しずつ、削って行きましょう。

 折角、此処まで手間暇掛けて来たのですから、一遍に全部を使い果たす事はしません事よ。一人ずつ、一人ずつですの、沢山の生徒に、先生のその恰好良い姿を見て貰いましょうね。

 

 ノリノリで先生ボコボコにしていたら、思った以上に文字数膨らんじゃった……。一度に投稿したら二万字超えそうだったので、二話に分けましたわ。ごめんあそばせ、生徒の慟哭は次回になりそうですの。

 必死に生きようと足掻く先生書くのめっちゃ楽しい、どうしようもない結末が待っていると分かっているからこそ、その一瞬一瞬の輝きを大事にしたいと思う今日この頃ですわ。

 

 先生が血反吐を撒き散らしながら進んで、這い蹲って、必死に努力して足掻いて、それでも報われなかった瞬間を生徒に見せつけられると思うと、もう心がポカポカして楽しみで仕方がない。生徒の愛を一身に受ける、その瞬間を書き綴る為に進んで参りましたから……!

 

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