ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!
今回、一万八千字ですってよ、やば。
なので日付跨いだ事も許されるって信じていますわ。


三度、夜明けを迎えた先に

 

 古聖堂――西側。

 爆撃により散乱した瓦礫、それを退かしながら周囲を見渡す人影が複数。行政官としてヒナとは別の部隊指揮を執っていたアコと、その指揮下に在った風紀委員の面々である。制服の所々が裂け、焼け焦げ、出血しながらも彼女達は懸命に自身の長を探していた。

 ゲヘナ風紀委員会は件の爆撃で甚大な被害を被り、会場の警備隊は殆ど全滅、辛うじて近場の委員に庇われたアコは意識消失を免れ、会場周辺を巡回していた僅かな手勢を引き連れヒナ委員長の捜索を続けていた。しかし、成果は出ていない。彼女の足取りどころか、現状の状況把握すら不確かであった。

 

「ッ、委員長、ヒナ委員長は……っ!? トリニティを蹴散らしてでも、一刻も早く委員長を見つけないと……!」

「アコ行政官! 待機していた後方部隊、合流しました!」

 

 背後から委員の声が響く。アコが振り返り目を凝らすと、遠目に列を為して駆けて来る風紀委員会の姿があった。万が一に備え配備していた、ゲヘナ風紀委員会の後方部隊。漂う熱気を吸い込みながら声を張り上げたアコは、彼女達に指示を出す。

 

「後方部隊は他の負傷者の探索と救助を! 私は直ぐに――」

「あ、アコ行政官、傷口が……ッ!」

 

 声を張った瞬間、頭部から流れ出た血が顎先を伝い、制服を汚した。しかし瞳孔を広げながら叫ぶ彼女は、その様な事を口にする部下に対し睨め付ける様な視線と共に云い放った。

 

「私の傷なんて今はどうだって良いんですッ! 早くヒナ委員長の捜索を――」

 

 口にして、思わず顔を顰める。

 傷に響いたからではない、脳裏に過る人影があったのだ。

 思い返すのは――ひとりの大人、その姿。

 キヴォトスの生徒よりも脆く、脆弱な肉体を持つ彼は、果たしてこの攻撃を受けてどうなった? 碌な未来は見えない、少なくとも無事ではない筈だ。それこそ奇跡でも起きない限りは。

 数秒、逡巡があった。しかし迷っている暇はないと、アコは顔を上げ改めて指示を口にする。

 

「っ、ヒナ委員長と、先生……シャーレの先生の捜索を行いなさいッ! 早く!」

「は、はッ!」

 

 指示を受けた委員が駆け出し、周囲の面々へと命令を伝達する。その背中を見送りながら、アコは内心で呟いた。これは決して感傷などではない、ただシャーレに恩を売るだけ、ただそれだけなのだと。

 瓦礫を足蹴にし、周囲を見渡しながら大きく息を吸い込む。目を覆いたくなるような惨状だった、どこもかしこも。果たしてこの仕立人はティーパーティーか、シスターフッドか、はたまた正義実現委員会か、それとも――。

 そんな思考を他所に、彼女は呟く。

 

「……ヒナ委員長っ」

 

 ただ、その無事を祈って。

 

 ■

 

「会場が爆破されたというのは本当なの!?」

「本校舎の敷地外に出るな、ゲヘナに攻撃されるぞ!?」

「攻撃してきたのは本当にゲヘナなのか? 会場にはゲヘナの首脳陣だって……!」

「なら何処が攻撃してきたっていうの!?」

「委員会による暴走の可能性だって――」

「正義実現委員会は何故動かない!? 委員長か副委員長に連絡は――」

「シスターフッドのサクラコ様が……――」

「ティーパーティーから緊急事態宣言――」

「発令したのは議会からでしょう!? 行政官は総括本部に――」

 

 トリニティ――本校舎周辺地区。

 校門から中央噴水広場まで、見渡す限りの人、人、人。

 様々な部署の生徒達が、所属、学年問わず走り回り、様々な憶測や疑問、怒声、叫びが響き渡る。

 

「な、なにこれ……」

「一体何が――」

 

 それを前に、コハルとヒフミは思わず声を失う。ハナコに引き摺られるような形で学園に帰還した彼女達だが、想像を絶する母校の混乱ぶりに思わず思考が一瞬止まった。本当ならば直ぐにでもティーパーティーなり正義実現委員会に泣きついて、先生の救出部隊を募ろうと考えていたのだ。

 けれど、そんな甘い考えを一蹴する程度には、学園は混沌としていて。

 自分達が思っているよりもずっと、事態は深刻で大事なのかもしれない。そんな不安と焦燥が胸の内に滲み出る。ハナコは混乱に陥る生徒達の姿を見つめながら、その顔をはっきりと歪めた。

 

「会場の爆破で、どこの委員会も機能を停止しているんです……このままだと――」

 

 トリニティ全体の機能が停止する――いや、それで済めばまだ良い方だ。

 元々トリニティはあらゆる分派が集って作られた連合、それはつまり異なる信条、目標、思想を持っており、各々が立てたトップが存在して初めて意思統一が為される存在という事。しかし現在、ティーパーティー、正義実現、シスターフッド、救護騎士団、全てのトップが不在となっている。つまり各派閥の方向性を定め、意思統一し、指示を出す存在がおらず、各委員会は不安に駆られたまま独自の行動を取ろうとしている。

 ゲヘナ、アリウス云々ではない――このままでは、トリニティが内部分裂する可能性すらあった。

 

「三頭政治の弱点が、こんな形で露呈するなんて……」

 

 呟き、思わず歯噛みする。最悪の場合、自身が陣頭に立ち指揮する事も考える。しかし、ハナコにはそれを為す為の立場――肩書がない。先生が健在であれば、シャーレの名を借りて動く事も出来たが。

 今はそれを云々する場合ではなかった、兎にも角にも情報だ、誰が無事で誰と連絡が取れないのか、どの派閥がどんな動きをしようとしているのか、古聖堂はどうなっているのか、既に派遣された部隊はあるのか――どんな些細な事でも構わない、動く土台を作る為の情報が必要だった。

 ハナコは直近の方針を固め、二人に向けて声を上げる。

 

「兎に角情報を集めましょう、アズサちゃんの捜索を行うにしろ、救援部隊を送るにしろ、情報が無ければ始まりません、私は一度行政室と部活動総括本部に顔を出して来ます、お二人は……」

「あっ、そこ!」

 

 そこまで言葉を紡いだ所で、不意に声が上がる。

 人混みを掻き分け、やって来たのは黒い制服を身に纏う正義実現委員会。彼女の視線の先には、同じ制服を身に纏ったコハルの姿。最初は自身に向けられた声だとは微塵も思っていなかったが、彼女が目前まで駆け寄って来た事でコハルは自身が対象なのだと目を白黒させる。

 

「確か正義実現委員会のメンバー――だよね? これから即応態勢に入る話が出ているから、急いで部室に集合してッ!」

「え、あっ、わ、私……? で、でも――」

「委員長と副委員長が不在なの、急いでッ!」

「あ、ぅ……」

 

 一方的に捲し立て、その生徒は再び人混みの中へと飛び込んで行く。どうやら各配置の正義実現委員会の面々に命令を伝達している様子。コハルは思わず剣幕に呑まれ、自身が補習授業部所属である事を終ぞ口に出す事が出来なかった。難しい表情で考え込むハナコを横眼に、ヒフミはぐっと唇を噛んで頷く。

 

「――コハルちゃん、一度正義実現委員会の方に戻って情報を集めて来て下さい、私も知り合いの方を当たって来ます……!」

「ひ、ヒフミ……」

 

 どこか、強い意志を感じさせる声色だった。

 ハナコちゃんの云っている事は、正しい筈。ヒフミはそう考える。少なくとも、無策で突撃して良い様な状況ではない事は確かだ。

 この混乱を見て尻込みしたヒフミであったが、アズサの嘗ての言葉が彼女の背中を押していた。嘆く事も、立ち止まる事も後から出来る。だからまずは動く、どんな些細な事でも良い。出来る事から、一つずつ。

 

「三十分後に広場で合流しましょう、東側の木陰なら人が少ない筈です、何かあれば端末にメッセージを――どうでしょうか、ハナコちゃん?」

「……えぇ、それで行きましょう」

 

 ヒフミの言葉に、ハナコは一瞬驚いた様な表情を見せるも、即座に感情を呑み込み頷いて見せる。コハルも最初は戸惑った様子を見せていたが、自身のやるべき事が定まったから先程よりも怖気づいた気配は薄まり、ぐっと手を握って声を張る。

 

「わ、分かった……またあとで、絶対に!」

「えぇ、お二人共、お気を付けて!」

「はい……!」

 

 ■

 

『エデン条約の会場は火に包まれており、現在古聖堂周辺は凄惨な状況が――』

「………」

 

 手元にある端末をじっと見つめるミカ。薄暗い独房の中で、彼女は震えそうになる指先を握り締める。画面に映し出される、燃え盛る古聖堂。その中に参加している筈の親友(ナギサ)、そして先生を想い、彼女はそっと息を呑んだ。

 ナギサは、先生は、無事なのか――それを考えると、今にも飛び出したくなってしまう。

 けれど、これ以上迷惑は掛けられない。掛けてはいけない。

 元より自制心の緩いミカにとって、その衝動を抑え込む事は大変に酷であった。しかし、それでも尚彼女は感情を押さえつけ、恐怖を噛み殺し、座り込む。

 

「……ナギちゃん、私いつか云ったよね――私達は、こういう世界に生きているって」

 

 この世界は――甘くて、優しい世界などではない。

 騙し、騙され。

 裏切り、裏切られ。

 傷つけ、傷付けられ。

 私達は、そういう世界(キヴォトス)に生きている。

 

「だから、きっと……」

 

 ミカの表情が、ふっと力ない笑みを浮かべた。

 それは決して正の感情から生まれた笑みではなかった。

 諦観の笑みだ。

 彼女の知る、アリウスと良く似た笑い方だった。

 

「やっぱりセイアちゃんの云う通り、これは――そういう物語なんだろうね」

 

 辛くて、苦しい――これは、そんな物語。

 

 ■

 

『あっ、そ、速報です! トリニティで緊急会合が行われるとの事! どうやらゲヘナの万魔殿も同様のようで――これは非常事態宣言に続き、何か大きな動きが……』

 

 ■

 

 シスターフッド 行政室

 

「結局爆発の原因は何なのですか!?」

「それよりもサクラコ様の行方を確認するのが先でしょう!? 負傷者の数は? ティーパーティーのナギサさんとの連絡は、まだ取れないのですか!?」

「つ、ツルギ委員長、そしてハスミ副委員長は未だ行方が掴めておらず……そのせいか、正義実現委員会からは殆ど応答が――」

「シスター達の招集命令は!? 今すぐ私達、シスターフッドだけでも戒厳令を……!」

「パテル分派が緊急招集を行ったとの報告が! 残りの二派も、主要人が緊急会合を行ったと……!」

「古聖堂後方に待機していたシスター達が正体不明の敵と交戦中! 指示を待っています!」

「だ、第十四校舎にて騒動が! パテル分派の生徒が今すぐ戒厳令の宣布を要求しティーパーティー本部に向かっていると……!」

「っ、正義実現委員会は何をしているのですかッ!?」

 

 ■

 

 正義実現委員会 

 

「ティーパーティーの行政官から、第十四校舎への支援要請アリ!」

「はっ、え? さ、先程までは古聖堂への増援命令だった筈では……!?」

「し、シスターフッドの行政官より連絡がありました! な、何と返答すれば――」

「今、他の組織の命令を聞いている余裕などないでしょう!? 何よりもまず、ハスミ先輩とツルギ先輩を救出しなければ……!」

「派遣されていた部員から交戦報告! 正体不明の……え、えっと、幽霊? と交戦しているとの報告が――」

「錯乱しているんでしょう!? 良いから、今は古聖堂方面に――」

「しかし、この場合指揮系統としてはティーパーティーの命令に従うべきでは……!?」

「命令権を持っているのはティーパーティーの御三方であって、ティーパーティーそのものでは無い筈です!」

「救護騎士団から現状に関する問い合わせが……」

「あぁもう……ッ! 各位持ち場へ! 兎に角本部を空ける訳にはいきません、部隊を再編して配置すれば――!」

「だからそんな暇なんてッ……!」

 

 ■

 

 本校舎 オープンスペース

 

「何か、随分騒がしいけれど、一体何があったのさ?」

「アンタ知らないの? 調印式の会場が爆破されたってニュースで――」

「爆発って、一体誰が?」

「ゲヘナの万魔殿が仕掛けて来たと耳にしましたが」

「えっ、私は風紀委員会がやったって……」

「ネットに幽霊みたいな人影が映っていたという話もありますね」

「何それ、心霊現象って事?」

「何か、パテル分派の生徒に招集が掛かったらしいね」

「調印式に参加したナギサ様は無事なの?」

「フィリウス分派からは何も声明は出てないけれど……」

「あっ、今サンクトゥスの方で――」

 

 ■

 

「ッ、何処もかしこも統制が乱れて――このままではトリニティが瓦解してしまう……!」

 

 錯綜する情報、各々の分派が足並みを乱し、互いが互いの信じるものを、見たいものだけを見て、暴走を始めている。そして彼女もまた、自身の信じるものだけを見て、凝り固まった思考に捕らわれた生徒の一人であった。

 先の会場爆破、誰がやったのかなど分かり切った事だ。会場に参加していたのはトリニティとゲヘナのみ、そしてトリニティがこの様な事を行う筈が無いと考えれば、犯人はゲヘナ以外考えられない。あの角付き共が、憎悪に駆られ目境無しの攻撃行動を開始したのだ。

 ならば今直ぐ、報復を行うべきだ――ゲヘナに対する、宣戦布告を。

 パテル分派の彼女は銃を片手に同分派の生徒を集め、その様に総括本部へ――ティーパーティーへ直談判を行おうと考えていた。

 

「仕掛けて来たのはゲヘナでしょう! 一体他に誰がこんな真似をすると云うのですか!?」

「そうです! そもそも正義実現委員会も、総括本部も一体何をしていらっしゃるのですか!? 敵の攻撃は既に始まっているというのに……!」

「銃を向けるべき敵はゲヘナ! あの角の生えた者共に天誅を!」

 

 叫び、困惑する生徒達に呼びかけを行いながら広場を進む一団。その声の大きさに、ゲヘナに悪意を、或いは嫌悪を持つ者達が反応する。元より関係の悪い両学園、その数は決して少なくない。

 

「ん……? おい、止まれ! 此処からは許可の下りた車両以外は――うわッ!?」

 

 不意に、一台の車両が守衛の声を無視し、滑り込む様な形で校門を潜り抜け、停車するのが見えた。砂煙を立ち昇らせながら停車したそれは、外装には幾つもの弾痕が残り、防弾仕様窓硝子にも罅が入っている。甲高いブレーキ音と共に現れたその車両に目を向けた彼女達は、その校章を目にした途端――その表情を一変させる。

 

「っ、ゲヘナの校章……!?」

「これは、救急車ですか? 冗談じゃない、今の状況分かっているの!?」

 

 使われているのはゲヘナ、救急医学部のエンブレム。しかし、例え救急車だろうが何だろうが、敵は敵である。

 あの様な先制攻撃を加えておいて、どの面下げてトリニティ本校舎に乗り込んだというのか。そんな思いを込めて睨みつけた彼女達は、手に持った銃を握り締め叫ぶ。

 

「あの様な破壊行為を行いながら、良くもまぁノコノコと……ッ! 運転手を引っ張り出しなさいッ! 怪我人だか何だか知りませんが、此処はトリニティ自治区である事を想い知らせて――」

「やめて下さいッ!」

 

 しかし、そんな彼女達を止める人影があった。銃口を向けようとした彼女達の前に立ったのは、特徴的な制服を身に纏う二人組。その姿を認めた時、彼女は驚愕と共にその名を呟いた。

 

「救護騎士団……!?」

「何故負傷者が乗っていると分かって、救急車を攻撃しようとするのですか!? そんな事、この救護騎士団が許しませんよ!?」

「負傷者を攻撃するのなら、その前に私達がお相手します、本当に何て事を――ミネ団長がいらっしゃったら、きっとこの状況を悲しんだ筈です!」

 

 トリニティ救護騎士団、ハナエとセリナ。救護騎士団に所属する両名は、ゲヘナの緊急車両十一号を守る様に立ち塞がる。彼女達が手にした銃口は床に向けられているが、場合によっては同じトリニティの生徒に向ける事も厭わないと、その表情が告げていた。

 しかし、その口からミネ団長の名前が出た途端――彼女達の間に確かな怒りが伝搬する。

 

「ミネ団長――?」

「それってあの、『ミネが壊して騎士団が治す』のミネ団長でしょう!? 筋金入りの問題児じゃない!? あの人が悲しむですって? 冗談も大概にしてよッ!」

「えっ!? あ、い、いえ、団長は問題児ではなく、ちょっとだけ時代錯誤と云いますか……」

「どっちでも良いけれど、あの人は狂っているでしょう!? 何で治療を目的としている集団の長が、嬉々として相手を殴り倒して怪我人を量産しまくるのよ!? 云っている事も意味不明だし……!」

「あ、あぅ……」

 

 怒り心頭と云った様子でミネ団長の所業を糾弾する生徒達。それを前にハナエとセリナの両名は、先程までの勢いも何処かに思わず尻込みする。銃を担いだまま静かにセリナの傍ににじり寄ったハナエは、小さな声で問いかけた。

 

「せ、先輩、どうして逆効果になっているんでしょう……?」

「し、知ってはいましたが、団長って此処まで評判悪かったんですね……」

「傷を治すよりも、傷の原因を取り除くべきって良く云っていますもんね、あれのせいでしょうか?」

「ま、まぁ、銃を撃つ加害者が居なくなれば怪我人は増えなくなると云うのは分かりますけれど、その範囲と云うか、程度というものが……」

 

 救護騎士団の長、蒼森ミネ。

 現在行方不明とされている彼女はヨハネ分派の首長であり、救護騎士団を纏める団長でもある。正義感の塊と云っても良い強固な信念を持ち、「戦闘で怪我人が増えてるのであれば、その元凶を取り除くために、戦闘を出来なくしてしまいましょう」という考えの元に、その場に居る全員を戦闘不能にするという暴挙を真面目に行う人物であった。

 そして、残念ながらその思考はトリニティに於いて、あの正義実現委員会のツルギを以てして、「話の通じない相手」と云わしめる程。一般生徒に対する心証はハッキリ云って最悪である。彼女の名前を出した事が、セリナの失策であった。

 

「兎に角! 今は貴女方に構っている暇はありません、怨敵のゲヘナが直ぐ其処に居るのですから!」

「あっ、ちょ、ま、待って下さい! いい加減にしないと、注射を打って――」

「わわっ、と、止まって下さい! 止まらないと本当に……!」

 

 ミネ団長の名前を聞き、ヒートアップする生徒達。その人数は二人で相手取るには余りにも多く、ハナエとセリナの両名が、そのまま人波に呑まれてしまうという寸前――。

 

「――閃光弾、投擲しますッ!」

 

 そんな声と共に、背後から何かが投擲された。

 その影は救護騎士団の二人に詰め寄っていた人波のただ中に放り込まれ、炸裂。強烈な衝撃と爆音、閃光を周囲に撒き散らし、周辺に立っていた生徒は一斉に膝を折り、悲鳴と共に足を止めた。

 

「きゃあッ!?」

「ぐっ、急に何……!?」

「――申し訳ありません、手荒な真似を」

 

 膝を突いた人垣の前に立ち塞がるのは、灰色の制服を身に纏う白髪の少女。その特徴的な色合いを持つ制服を目にしたセリナとハナエは、喜色を滲ませながら彼女の名前を呼んだ。

 

「じ、自警団の……!」

「スズミさん!」

「御無沙汰しております、救護騎士団の皆さん」

 

 振り返り、笑みを浮かべるスズミ。

 自警団として周辺の警戒、及び巡廻を行っていた彼女は、遠目にこの人だかりと救急車の前に立ち塞がる救護騎士団の二人を見て、凡その事態を把握していた。背後の救急車に描かれたエンブレムはゲヘナのもの、しかしだからと云って攻撃して良い理由にはならない。それは、彼女にとっての正義ではない。

 

「学園の所属に関わらず、負傷者は負傷者――手荒な真似をさせる訳にはいきません」

 

 告げ、スズミは手にした愛銃の安全装置を弾く。この場合は、その行為が何よりも如実に彼女の心情を現していた。

 

「自警団――場合によっては正義実現委員会とも真っ向から対立する、あの……」

「またヤバい奴じゃん……」

「っく、どうしてこうも邪魔が……ッ!」

 

 トリニティ自警団――正式に認可されている部活動ではないが、トリニティに於いてその存在は広く認知されている。正式な部活ではないからこそ、その部員の数は不明であり、何処の誰が所属しているという明確な情報はない。目の前の彼女、スズミはその自警団の団員、喧嘩を売る相手としてはかなり勇気の要る相手であった。

 その躊躇を感じたからこそ、スズミは超然とした態度で告げる。

 

「頭は冷えましたか? であれば、今直ぐ解散を――必要とあらば、実力行使で以て」

「っ……!」

 

 スズミの言葉に、先頭の生徒は歯噛みする。

 しかし、此処で彼女達と一戦交えることがどれだけ愚かな事か、彼女は理解している。本当の敵はゲヘナなのである、トリニティ内部で無用な争いを生む事は本意ではない。そんな思いと共に踵を返した彼女は、周囲の生徒に手で指示を出し、静かに後退していった。

 

「……今はトリニティ同士で争っている場合ではありません、やるべき事は他にもあります」

 

 その言葉に従い、徐々にその場を離れていくトリニティ生徒達。その後ろ姿を油断なく見据えながら、スズミはグリップを握り締める。

 そして、周囲に生徒が誰も居なくなってから――漸く彼女はその張り詰めていた空気を霧散させた。握り締めていた手の力を緩め、そっと肩を落とす。

 

「……ふぅ、何とか落ち着きましたね」

「ありがとうございます、スズミさん」

「いえ、私に出来る事は少ないですが……自警団として、やれる事はやらないといけませんから」

 

 告げ、スズミは苦笑を漏らす。その表情には、少しだけ疲労が見て取れた気がした。そんな彼女の胸元から、ノイズの走った電子音が響く。

 

『こちら東門前、生徒達が暴動を……! 応援をお願いします!』

「……兎も角、今は何処も気が立っています、どうかお気を付けて、何かあったら呼んで下さい、直ぐに駆けつけますから――それでは!」

 

 最低限の言葉に留め、スズミは素早く別の場所へと向かって駆け出す。恐らく、騒動が起きてからずっとトリニティを駆け回っていたのだろう。その背中からは強い使命感が漂っていた。

 去り行くスズミを見送りながら、ハナエはしみじみと呟く。

 

「行ってしまいました……相変わらず、風の様な方ですね」

「そう、ですね――」

 

 ハナエの言葉に頷き、セリナは視線を救急車に向ける。

 その表情は心なしか、苦しそうに見えた。

 

「……先輩、どうしました?」

「いえ、その……」

 

 顔色の悪いセリナに気付き、ハナエは心配げに問いかける。数秒、どこか戸惑う様に視線を散らした彼女は、自分でも理解出来ない、妙な感覚に首を振った。

 

「――凄く、嫌な予感がするんです」

 

 言葉に出来ない、妙な胸騒ぎ。

 悪寒、緊張、単純に周囲の空気に呑まれただけなのか、或いは。

 しかし、今はその様な事を口にしている場合ではない。セリナは自身の頬を軽く叩くと、意識を切り替える為に深く息を吸い込んだ。

 

「兎に角、急患かもしれません、急いで対応しましょう」

「あっ、はい、そうですね……!」

 

 告げ、二人は救急車と思わしき車両に近付く。先の騒動の最中もそうだったが、中から人が出て来る気配はない。その事を不審に思いつつ、セリナは後部座席の扉を叩いた。窓硝子はスモークと弾丸による罅で中が確認出来ない。

 

「あの、エンブレムを見るにゲヘナの救急医学部の方ですよね……!? 中にいらっしゃるのですか?」

「居るなら返事をしてください!」

 

 セリナが声を掛け、ハナエが運転席の方から呼びかける。

 しかし、返事は無い。

 中からは何の音も、動きも見られなかった。

 徐々に、二人の表情に不安と疑念が滲み出す。

 無いとは思いたい、見た限りこの車両は激戦を潜り抜けこの場所までやって来たようだった。しかし、万が一を警戒する事も重要。セリナは数歩車両から離れ、後部扉の前に立つ。

 

「……せ、先輩」

「……無いとは思いますが、一応罠も警戒して下さい、爆弾だったら大変ですから」

 

 ハナエに指示を出し、銃を持ったまま後方に待機させる。もしこれがVBIED(車両運搬式即席爆発装置)だった場合、校門周辺は吹き飛ぶことになるだろう。しかし、中の人員が全員負傷などしていて声も出せない状態である可能性も捨てきれない。救護騎士団として、見捨てる選択肢は取れなかった。

 

 静かに、両開きの後部扉に手を掛ける。そっと握り込むと、鍵は掛かっていなかった。

 後方に待機するハナエに視線を投げかけ、強張った表情をそのままに頷いて見せる。ハナエが息を呑み、銃を抱えたまま応じる様を見て、セリナは覚悟を決めた。

 

「良いですか? 開けますよ!?」

 

 声を張り上げ、扉を掴んた指に力を籠める。そして、内心で祈りながら扉を開け放ち、セリナは中の様子を素早く伺った。

 

「……っ!」

 

 まず目に飛び込んで来たのは、ストレッチャーの隣で項垂れる一人の生徒。そして向こう側に見える、運転席にてハンドルに凭れ掛かる生徒がひとり。額をハンドルに押し付け、小刻みに震える彼女からは嗚咽が聞こえて来る。室内に銃器の類は見当たらず、少なくとも罠という感じではなかった。セリナはその事に安堵しつつも、車内に足を掛けながら目前の彼女に問い掛ける。

 

「えっと、あなたは確か――救急医学部の」

 

 薄暗い車内の中で、そのナースキャップは良く目立った。

 ゲヘナ救急医学部の氷室セナ部長。気付けたのは何度か目にした事があったからだ。救護騎士団として、共に現場で協力した事もある。彼女はストレッチャー脇の壁に背中を貼り付けたまま、呆然とした表情で横たわる影を見つめていた。

 

 それに、運転席で蹲っているのは、確かではないが風紀委員会の委員長であるヒナであるように見えた。そんな大物二名が、一体何故――そんな疑問を抱くも、この様な形でトリニティに飛び込んだからには誰か緊急性の高い患者を運んできたからだと判断し、セリナはセナの傍へと足を進めストレッチャーを覗き込む。

 

「あ、あのッ、患者さんは――」

 

 告げ、視線を落とした。

 足先から毛布で包まれ、体中を包帯やら布で包まれた人影。血の滲んだそれは酷く不格好で、けれど有り合わせのもので何とか手を尽くしたのだと云う事が分かった。横合いに退けられた罅割れたタブレットは青白いランプを点灯させ、はだけた胸元に装着されているのは、人工蘇生用の装置か。今はもう稼働していないそれの向こう側に見える顔に――セリナは、見覚えがあった。

 

「――ぇ?」

 

 顔半分を、ガーゼと包帯で覆われたその人。

 半分だけでも、見間違える筈がない。その顔を良く憶えている、何度も何度も目にして、言葉を交わし、共に過ごした仲だ。

 だからこそ、その横たわる人物が誰であるかを理解した瞬間、彼女は頭部を巨大な金槌か何かで殴られたかのような衝撃を覚えた。

 

「……せん、せい?」

 

 声は、細く、震えていた。

 何も云わずに佇むセナと、ハンドルに額を付けて震えるヒナ。彼女たちは何の反応も見せない。ただ、沈黙を守るのみ。

 少なくとも、先生の状態は良い様には思えなかった。出血も多く見られ、衛生状態も良好とは云い難い。直ぐに救護騎士団本棟に搬送しなければならない状態に思える。故にセリナは焦れた様に口を開き、セナに向かって声を上げた。

 

「あ、あの……これは――」

「………」

 

 返答は、ない。

 ただ彼女は血の気の失せた顔で、虚ろな瞳で、先生を見つめるのみ。

 その事にセリナは思わず一歩踏み込み、セナの肩を強く掴んで叫んだ。

 

「あ、あのっ! 先生は怪我をしたんですか!? なら、直ぐにでも救護騎士団の本棟に運んで――」

「駄目、でした」

 

 ぽつりと、セナが呟いた。

 力なく、その見開き、腫れ上がった目元から一滴の涙を零して。

 セリナはその、退廃的で力ない様子に、思わず言葉を呑む。

 漸く口を開いた彼女は、その瞳を彷徨わせ、震えながら言葉を紡ぐ。

 

「私の、力不足でした」

「えっ……?」

「先生、は……」

 

 声が、裏返る。

 息を呑んで必死に言葉を口にしようとするその姿は、自身の目の前に横たわる耐え難い現実に抗っている様にも見えて。

 しゃくり上げる喉を必死に押さえつけ、自身の両手をきつく、強く握り締めたセナは。

 

「呼吸が、止まって、瞳孔も――対光反射消失の、確認……を――……」

「た、対光反射消失って、それじゃあ、まるで――」

 

 徐々に――徐々に、心臓が早鐘を打ち始める。

 嫌な気配だ、まるで血が凍り付く様な感覚、手足の先が痺れて口の中が渇いて来る。

 嘘だと、セリナの心の中で声が響いた。それは彼女の願望そのものだった。けれど再び見下ろす先生の瞼が開く事は無くて、その胸元も上下せず、血と砂利に塗れ、目を瞑った彼が口を開く事もない。

 セリナはそんな現実を否定する為に、そっと指先を伸ばす。

 先生の頬に。

 その、青白く染まった体に。

 

「先生はつい、先程……」

 

 運転席の方から、悲鳴のような呻き声が響いた。しゃくり上げたヒナ委員長が、軋む程にハンドルを握り締め、叫ぶ。首を横に振って、必死に現実を否定しようと声を上げる。

 けれど、それでも目の前にあるコレは決して幻覚などではなく。

 

 そうして彼女(セナ)は、絶望的な一言をセリナに告げた。

 

「――死亡……しました」

 

 触れた指先に伝わる温度は。

 余りにも、冷たかった。

 

 ■

 

 トリニティの最奥――ティーパーティ・テラス。

 ひとり、陽の落ちたテラスにて椅子に腰掛ける彼女は、その手にカップの一つも持つことなく、真っ新なティーテーブルを前に佇む。見上げる夜空は暗く、ぽつぽつと星が瞬いていた。けれどそれは見せかけだけの輝きで、実際には何も存在しない虚構である事を彼女は知っている。

 ただ虚空を見上げ、虚ろに視線を彷徨わせる。

 彼女――セイアはずっとそんな風に過ごしていた。

 

「これが――……」

 

 その乾いた唇が、静かに言葉を紡ぐ。

 

「これが全ての、無意味な足掻きの終着点……」

 

 トリニティという学園の終わり。

 ティーパーティーの壊滅。

 困難に抗い、苦難を乗り越え、戦い抜いた補習授業部、その崩壊の序章。

 そして数多の絶望を跳ね退け、歩み続けた先生の終着点。

 

 その余波は軈てトリニティに留まらず、ゲヘナを、アリウスを、キヴォトスを巻き込み無に帰すだろう。これは一つの結末だ。けれど始まりでもある。本当の意味での、絶望という名の物語の。

 

「私はアズサに、先生、君に……警告をしていた筈だ、何度も何度も、この様な結末になるだろうという事を」

 

 彼女は呟き、視線を落とす。

 長い長いティーテーブル、その対面に座る大人の姿。

 いつも通りの白いシャーレの制服、整えられたネクタイに腕章――今の現実とは似て非なる恰好で、彼は佇む。

 それもその筈、この世界は所詮夢、どのような恰好をするも、どのような景観にするも思うがまま。

 幻想(甘い夢)とは、そういうものだ。

 

「それでも彼女(アズサ)は抱いてしまった――淡い、小さな希望を」

 

 もしかしたら、運命は変えられるかもしれない。

 もしかしたら、乗り越えられるかもしれない。

 そんな夢に、甘い夢に――彼女は賭けた。

 

「だから、云っただろう」

 

 けれど、奇跡は起こらず。

 観測した現実は、彼女の予知と一致する。

 

「――これが物語の結末、何もかもが虚しく、全てが破局へと至るエンディング、ここから先を見た所で、無意味な苦痛が連なっていくだけだ」

 

 吐き捨て、セイアは俯く。

 テーブルに乗せた両腕が、小さく震える事を彼女は自覚していた。分かっていた筈だ、こうなる事は。分かっていても、いざ直面してしまえば酷く動揺もするというもの。理性と感情は、必ずしも一致しない。そして心の中で、自分は期待していたのかもしれないと思った。アズサと同じように、一抹の希望を抱いていたのかもしれないと。

 けれど今、たった今――その希望は潰えた。

 

「これは誰もが追い詰められ、結局誰かがその手を汚す(人殺しになる)物語、そうならざるを得ない物語……誰もが相手を害せば、傷付ければ、殺してしまえば全てが解決すると、その憎悪を晴らせると思い込んでいる――そんな不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めたくなるお話だ」

 

 悲しくて、苦くて、憂鬱になる様な……それでいて、ただただ後味だけが苦い――そんな。

 

「けれど、紛れもなく真実の物語でもある――これが、この世界(物語)の正体だから」

 

 悲しくて、苦しい事が。

 不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を潜めたくなる様な話が。

 この世界の正体だと、彼女はそう口にする。

 口にして、先生を見た。

 

「君は以前、五つ目の古則に対してこう云っていたね、『ただ楽園があると信じるしかない』、と」

 

 そう云って、セイアは先生の瞳を覗き込む。瞳に映るそこには、確かな諦観の念がこびり付いている様に想う。長年彼女が感じていた、深い深い絶望の正体がそれだった。

 

「けれど、信じた結果がこれなのだ……不可能だったのだよ、エデン条約など、お互いに、『憎み合うのはやめようと』そのような約束を結ぶ事自体が」

 

 もしそれが出来たのならば、何故先人達が果たさなかったのか。何故私達は、私達の代ならば出来ると驕ってしまったのか。理解し合えるはずだと、勘違いしてしまったのか。

 他者の感情など、証明出来る筈がないのに。

 

「そんな事、出来る筈がない、その上条約の名前にエデンと来た、ここで楽園の名前など相変わらず連邦生徒会長の不愉快な冗談は皮肉にも程がある、下手をすれば悪意すら感じてしまいそうな程に」

 

 ゲヘナとトリニティの持つ互いへの不信から降り積もった恨み、アリウス達の何百年と受け継がれて来た憎悪、それらを通じてこの条約は歪な形で完成されてしまった。

 何よりも皮肉なことに、何処にも存在しない、証明すら出来ない――その楽園の名前を携えて。

 

「だがこれはある意味、楽園から追放された私達に相応しい結末なのかもしれないな……」

 ――セイア。

 

 どこか引き攣った笑みと共に、その様に宣うセイアに向けて。

 先生はその口を、静かに開いた。

 

「……?」

 ――君は、この後の物語がどうなったのかを見ていないんだね?

「……見る必要が、あるのかい?」

 

 その言葉に、彼女は憮然とした態度で返答した。

 

「悲しいエンディング、そこに続くエピローグを見たところで悲哀が増すだけだろう?苦しみを募らせるような事をして、一体何になる……?」

 

 そうだ、彼女は自身の言葉、その輪郭をなぞりながら俯いた。

 結末は決まっている、その先にどのような展望が待ち受けているかなんて、見る必要なんてない。ただ苦く、不愉快で、絶望的な世界が広がっているだけだ。そんなものを見ても、何の意味もありはしない。

 けれど、先生は言葉を続ける。

 

 ――怖かったんだよね、この先を見る事が。

「ッ……!」

 

 びくりと、セイアの肩が跳ねた。

 それは図星を突かれたが故の、驚愕と羞恥だった。

 

 ――この先の物語を目にする事が恐ろしくて、だからずっと君は、夢の中に隠れて目を覚ます事無く彷徨っていたんだ。

「一体、何を――」

 

 呟き、視線を散らす。

 それは決して的外れな言葉などではなかった。

 寧ろ、彼女の真理を的確に突いている。

 目を覚ませば、否が応でもその後の物語を見なくてはいけなくなる。その体で、その瞳で、体験しなければならなくなる。

 その暗闇を、絶望を、慟哭を――彼女は恐れていた。

 

「わ、私は……」

 ――大丈夫、少しだけ待っていて。

 

 だから、こうやって夢の中で漂っていた。

 辛い現実から目を背けて、目を閉じ、耳を塞ぎ、いずれ来る破滅を予感しながら縮こまっていたのだ。

 だというのに、先生は。

 

 いつも通り、何て事のない様に笑って告げる。

 

 ――直ぐ、君を起こして見せるから……でも、今は戻らないと。

「ま、待ちたまえ!」

 

 席を立つ先生に、セイアは慌てて声を張り上げる。

 伸ばした手の先で、先生は静かに立っていた。

 

「戻る? 私と違って、君の身体はもう――」

 

 声には疑念と焦燥が滲んでいた。

 セイアの肉体は、既に傷が癒えて完治している。いつ起き上がっても問題ない、ただ彼女にその意思がないだけだ。

 けれど、先生は違う。その肉体は既に壊れ、意識が戻ろうとしても意味などない。

 いや、そもそもの話――。

 

「何より、君が仮に息を吹き返したからと云って何が変わる訳でもない! これは私の未来予知で判明している純然たる――いや、七つの古則から既に導かれていた、この世界の真実(運命)だ!」

 

 先生は足掻いた、限界まで抗った。

 けれどその先には何もなかった、彼女はその未来を知っている、視ている。何より七つの古則は、遥か古代からこの様な世界の真実を指示していたのだ。

 運命には逆らえない。

 世界とは、そういうものだ。

 だから、先生がこの先、再び立ち上がったとしても……。

 

 ――運命を。

 

 彼の声が、響く。

 立ち上がり、目を伏せたまま先生は、静かに。

 けれど強い口調で以て断じた。

 

 ――運命を変えるために、私は此処(キヴォトス)に来たんだ。

 

 先生がこのキヴォトスに足を踏み入れた理由。

 その存在全てを懸けて、抗おうとした理由。

 それこそが、先生の存在理由。

 定められた運命に抗い、夢みたいな未来を掴むために。

 先生は此処まで歩いて来た。

 

 ――それにね、実のところ……私は、楽園の証明にはそこまで興味は無いんだ。

「……七つの古則を、否定するつもりかい? 他ならぬ君が――」

 

 へらりと、何処か締まりのない顔で笑い、そう口にする先生にセイアは目を細める。滲み出る気配には、微かな棘があった。

 

「楽園の存否は、全ての人々にとっての宿題だろう? それの存在を証明出来なければ、私達は一体何の為に、何処に向かって――」

 

 そこまで口にして、不意に彼女は言葉を切った。

 その瞳に、確かな驚愕を貼り付けて。

 

「先生、まさか君はまだ楽園の存在を信じているのかい? この様な結果に至って尚、証明すら出来ないまま、ただ盲目的に信じていると……?」

 ――その話は、また今度ね、今は……やらなくちゃいけない事があるから。

「……待ちたまえ、先生! 最早止めはしない、けれど最後に一つ――聞きたい事がある!」

 

 踵を返し、テラスを後にしようと(現実に戻ろうと)する先生の背中に、セイアは叫ぶ。そこには疑念よりも強い、懇願の色が滲み出ていた。

 伸ばした指先が震える。

 答えが欲しかった。

 何よりも明確で分かり易い、答え(言葉)が。

 振り向かず、立ち止まった彼の背中に、セイアは自身の真理を問いかける。

 

「ただ信じた所で、何も変わりはしない……信じた所で、そこには何の意味もない筈だ、そうだろう!? だというのに何故、君はそうも――!?」

 

 信じ続ける事が出来るのか?

 

 セイアの声に、先生は一瞬目を閉じる。

 脳裏に過るのはいつか、補習授業部で行った合宿中の出来事。

 水着を身に纏ったハナコが、コハルの言葉をのらりくらりと躱していた時の事。皆でプール掃除を行うとなった時、彼女が身に纏っていたものは……。

 

 ――水着じゃなくて下着だと思えば、それは下着だから。

「……は?」

 

 その言葉に、セイアは思わず目を白黒させた。

 予想していたどんな答えにも、まるで掠りもしなかったからだ。

 目を瞬かせ、僅かに頬を紅潮させた彼女は目に見えて狼狽する。

 

「え、あ、いや、下着? 一体何を……それはどこの古則、いや、そんなものは聞いた事も――」

 ――セイア。

 

 右往左往する彼女に、先生は静かに声を掛ける。

 

 ――信じる事に、意味はないと君は云った。

「……そ、そうだ、その行為に意味はない、何も、その行為は現実を変えはしないのだから――!」

 ――私の考えは、その逆だよ。

 

 信じる事に意味はない。

 それは何故だ?

 最後は裏切られるからか?

 その行為は目に見えないからか?

 或いは――世界が、そういう風に出来ていないからか。

 けれど、先生の考えは違う。

 

 ――信じる事にこそ、意味があるんだ。

 

 信じて、向き合う事。それこそが肝要なのだと、先生は想う。

 それは自身の楽園でも良いし、或いは誰か人物でも良い。世界なんてスケールの大きいものでも構わないし、自分と云う最小単位ですら構わない。何かを信じる、腹の底から信じ抜く事。そして考える、向き合う、真剣に、真正面から。

 その行為に、意味は確かにある筈なのだ。

 

 信じて、信じて、信じて。

 考えて、考えて、考えて。

 必死に、全力で、精一杯導き出した答えに、堂々と向き合う事。

 その道をただ真っ直ぐに進んだ先。勿論、遠回りしても、曲がった道であっても構わない。それが生徒の、子ども達の必死に考えた道ならば、自分が本当に進みたいと思った道ならば、先生は決して否定しない。

 

 どれだけ遠くに思えても、どれだけ困難に思えても、どれだけ苦痛に塗れていても、それでも進んだ分だけ人は成長出来ると、そう先生は信じている。

 だから何かを信じる事に、その道を歩く事に、価値はあるのだ。

 

 疲れたのならば足を止めても構わない、座り込む事だってあるだろう。その時はそっと、先生も足を止めて寄り添う。そしてどれだけ時間が掛かっても構わない、再び子供たちがその足で立ち上がった時、先生もまた、静かに共に歩き出すだろう。

 

 共に道を行くために、そして(希望)を示す為に。

 先生は歩き続ける。

 信じ続ける。

 生徒達()

 だから。

 

 ――『それでも』と進んだ先に、新たな苦しみが待っていたとしても。

 

 その道が、どれだけ果てしなくても。

 

 ――足掻いた先に、虚しく、憂鬱で、終わりなき後悔が待っているとしても。

 

 抗い難い運命が、待ち構えていたとしても。

 

 ――その先に、足を止めて、まだ苦しんでいる生徒が居るのならば。

 

 その向こう側(絶望の先)に、希望があると信じ続けられる限り。

 

「私は、何度でも立ち上がるよ」

 

 声は、はっきりとセイアの耳に届いた。

 今までとは異なる、濁った色から、明瞭な色へ。

 告げ、先生はセイアを見る。

 自身を見る先生の瞳は、何処までも暖かい色で、信念と意思に染まっていて。

 一瞬その瞳に見つめられた彼女は、息を詰まらせた。

 

 大人として、子どもを守るために。

 先生として、生徒を守るために。 

 その責任と義務を、果たす為に。

 先生は何度だって立ち上がる――立ち上がり続ける。

 

 その意思を、信念を感じ取ったセイアは唇を震わせ、思わず呟く。

 

「先生、君は――」

 ――それじゃあ、此処での事は記憶に残らないかもしれないけれど。

 

 その背中が、遠ざかる。再び朧気となった先生の気配が、テラスの外へと通じる扉に手を掛けた。その瞳が、滲んだ視界の中でセイアを射貫く。

 暖かく、柔らかに。

 

 ――またね、セイア。

「………」

 

 そう云って先生は扉を開け放ち――その向こう側(現実)へと消えて行った。

 セイアがずっと、延々と決断出来なかった事を、目の前で、こうもあっさりと。

 彼女は数秒、固まる様にして椅子の上で沈黙を守り、自身の両手を見下ろす。

 

「――そう、かもしれないな」

 

 ずっと夢の中で揺蕩い続けた。

 それは、怖かったからだ。

 先生の云う通り、この先の未来を見る事が――知ることが。

 自身の予知が現実になる事が。

 どうしようもない不可避の破滅から目を背け、夢の中で目を瞑っていれば、その真実について考える事も、向き合う事もしなくて済むから。

 けれど。

 

「この先の話を、例え憂鬱で、悲しくて、苦しくて……最後まで後味の苦い話であったとしても、私にはそれを見届ける義務がある」

 

 アズサをこの未来に連れ出したのは、他ならぬ自分自身だ。

 先生に再三忠告したのも、アズサにあのような言葉を投げかけたのも――或いは、自身と同じ場所に立って欲しかったからなのだろうか。同じ傷を持つ者同士、傷を舐め合えば多少はマシになるかもしれないと、そんな風に深層心理で想った結果なのかもしれない。

 けれど、それでは前には進めない。

 

 未来は、訪れない。

 

「この目で、最後まで」

 

 呟き、手を握り締める。

 彼女(セイア)は信じる事が出来なかった。

 自分の可能性を――他者の可能性を。

 この世界に存在する、遍く小さな光を。

 

「見届けるとも――先生」

 

 (虚空)を見上げる。

 天を覆う暗がり、その夜空の向こう側から、ゆっくりと。 

 微かに、(陽光)が差し込み始めた。

 

 ――夜は、必ず明けるのだ。

 

 


 

 まだ使える。

 うぅ、セナ、初めて死体見た感想きかせて……。

 

 主人公の敗北は覚醒フラグってそれ一。まぁ先生の場合は覚醒もクソも無いのですがね、わたくしの先生はどう足掻いても戦う者ではないのです。でも代わりに精神が更にキマってくれる事でしょう。

 初期プロット(始発点が出ていなかった頃、2022年の九月)では此処でキヴォトス動乱(聖人の亡骸を奪い合う物語)に繋げていたのですが、その後の物語が出現したので、先生には大人しく、「もう一回、遊べるドン!」して貰います。一回死んだ位で寝かせてなんてやりません事よ、大人しく最後まで足掻いて貰うんですの。

 

 しかし直ぐに起床させるのも可哀そうなので、先生には原作通りヒフミのブルアカ宣言辺りまでは眠って貰います。先生パートが暫くなくなりますが、原作もそういう流れなので我慢してもろて。それまでは生徒達が先生しんじゃった……って自暴自棄になっちゃいますし、情が深い生徒程エラい事になりますが、再三地獄ですと云って来ましたし、何より私が書いていて大変心暖まって幸せだったのでオッケーですわ。

 

 これですよこれ、私は生徒達と先生の絆が感じられるような、見ていて心温まるハートフル・ストーリーを読みたかったんです。

 先生が苦しめば苦しむ程、そこには生徒に対する絶対的な愛が感じられ。生徒が先生を想い慟哭し涙を流す程、そこには先生への純真なる愛が込められている筈なんです。

 こんなに愛されて良かったね先生、こんなに想って貰えて良かったね生徒達、そんな風に笑みを浮かべながら読んでいて胸が一杯になる物語。そんなものを私は自給自足したかったんですわ……。この透き通る様な世界観、たまんねぇですわ~!

 

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