ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、マジでありがとうございますわ!
何でこんなに誤字るんでしょう? きっと妖怪のせいですわ。
今回一万五千字です、二日に一回で一日七千五百字執筆ですわ。
鼻血でそう。


『それでも』(摩耗の果て)

 

「――イロハ、親衛隊の動きは?」

「指示通り、古聖堂を中心に展開させています、ただ予想以上に抵抗が激しいそうです、かなり苦戦していますよ」

「ほう……ならば風紀委員会の方はどうだ」

「アコ行政官が指揮を執っています、現在はトリニティの部隊と行動を共にしていると」

「ふん、となるとやはり、古聖堂の地下に何かあると見るべきだな」

 

 トリニティ自治区、郊外区画――万魔殿、セーフハウス。

 古い洋館の様な外装をしたその一軒家は、ぱっと見は裕福な民家にしか見えない。しかし実際はトリニティ自治区に於けるゲヘナの秘密支部となっており、平時は諜報員の活動拠点の一つとしても稼働している。その地下の一室にて、イロハとマコトの両名は顔を突き合わせていた。

 調度品が揃い、疑似的に万魔殿の客室を再現した部屋。その執務机に腰掛けたマコトは、背凭れに身を預けながら肩を揺らす。その表情はイロハをして見た事のない類のものだった。どこか飄々としていて、呑気な雰囲気を常に纏っている彼女が、今は棘のある空気を漂わせている。

 

「……良かったのですか、マコト先輩」

「良かったのか、とは――どういう意味だ、イロハ」

「トリニティとの共同戦線の件ですよ、万魔殿の内部戦力まで貸し出して――」

「ふん、良いも悪いもあるか」

 

 その問い掛けに対し、マコトは不機嫌そうに執務机の上に足を乗せると吐き捨てる様に言葉を続けた。

 

「シャーレの先生……その影響力は莫大だ、事は既にトリニティとゲヘナの範疇を超えている、連邦捜査部が連邦生徒会の下部組織である以上、アリウスは連邦生徒会と敵対したも同然――そしてシャーレには数多の学園と紡いだパイプがある」

「百鬼夜行やレッドウィンター、それにミレニアム、山海経、ヴァルキューレ……挙げればキリがありませんね」

「あぁ、連中は既に多くの学園を敵に回しているのだ」

 

 気怠そうに息を吐き出すと、マコトは帽子のつばを摘まみながら目を瞑る。キヴォトスに於いて学園の数は正に星の数ほど――とまでは行かないが、全てを把握するのは難しい程の数が揃っている。

 

「ETOだか何だか知らんが、果たしてそれはキヴォトス全てを敵に回して尚、凌駕出来る程の戦力なのか?」

「……報告によれば、敵の使役するETOの正体は現シスターフッドの前身、ユスティナ聖徒会であるとか」

「ユスティナ聖徒会? 何とまぁ黴の生えた組織を復活させたものだ……まぁ何だろうと構わないが、確か今回の調印式に於ける誓約はトリニティとゲヘナに限った話だろう」

 

 そう云ってマコトはトリニティと結ぶ予定であった調印式の誓約内容を思い出す。気が乗らなかったので斜め読みした程度であったが、多少は頭の中に入っている。元々ETOの役目はゲヘナとトリニティの紛争解決、つまり誓約対象となるのはトリニティとゲヘナの二校のみ。それ以外の学園との紛争は対象外だ。

 

「広大とは云え所詮は一、二自治区の紛争を云々する程度の規模、更には調印の誓約対象外の学園まで飛び込んで来た場合、ETOが正常に機能するかどうかも分からん――壱で百には勝てん、どんな幼子にも分かる道理だ」

 

 ETOは確かに強力な軍隊だ。それこそ、部隊が丸々手に入ればゲヘナ風紀委員会を取り潰しても困らない程度には。

 しかし、決して無敵でもなければ最強でもない。

 個体、個体の戦力は確かに高いが、それでも多少腕に覚えがある生徒が複数集まれば打倒するのは難しくないとの報告が上がっている。文書でしか読んだことも無い、過去のユスティナ聖徒会と比較すれば所詮は亡霊――と云った所か。

 このETOで以て、ゲヘナとトリニティを潰す。

 そもそも、マコトからすればこの段階で懐疑的にならざるを得ない。

 

 あの古聖堂を襲った爆発――あれを初手とし速攻を仕掛け周辺を制圧、混乱を来した所に電撃的な侵攻を行う。仮にこれを為したとして、しかしこのような暴挙を仕出かした時点で連邦生徒会に目を付けられるだろう。そうでなくとも、周辺の学園は暴虐で以て君臨したアリウスの存在を認めない。暴力で以て君臨する者は、暴力で以て弑逆される――それは歴史が証明しているのだ。

 そして何より、先生を巻き込んだ。

 これが致命的だ、トリニティとの喧嘩という形だけで終わらせておけば良かったものを、彼奴等は他所の学園にまで波及させた。その時点で結末は凡そ見えている。

 

 或いは、そもそもアリウスの目的が別にあるのか。

 ETOの確保すら建前に過ぎず、その奥に本当の狙いが――。

 

「……いや、それは考えすぎか」

「?」

 

 呟きを漏らし、マコトは頭を振る。連中はそれほどまでにETOに、ユスティナ聖徒会に信を置いているという事なのだろう。実際、親衛隊も近付けずに居ると云う。その戦力だけは認めざるを得ない。

 

「兎も角、彼奴等はその対価を自身の命で払う事になるだろう、契約を担うアリウス・スクワッドの征伐――それによってこの騒動は終息する」

「……マコト先輩」

 

 大きく息を吐き出し告げられたそれに、イロハは何処か驚いたような視線を向けた。

 

「もしかして、怒っています?」

「……キキッ!」

 

 イロハの問い掛けに、マコトは張り付けたような笑みで以て答えた。

 

「このマコト様の、完璧な計画を崩された――それが腹立たしいだけだ」

 

 そう云って彼女は帽子のつばを下げる。視界を覆い、顔の半分を隠した彼女は淡々とした様子で告げる。

 

「連邦捜査部シャーレと手を組み、ゲヘナのみならず、このキヴォトスに君臨する……その計画が水の泡になったからな、連中にはその責任を取って貰わねばならん」

「……はぁ、そうですか」

「――出撃したいのならば、行っても良いぞ」

「……何の事です?」

 

 飄々としたマコトの言葉に、イロハは視線を横に逸らす。それを何処か愉快そうな気配で以て眺めた彼女は、手元にあった端末を揺らしながら云った。その画面には、大分前に下したイロハの命令が綴られている。

 

「虎丸の出庫命令を出しておいて、その惚けは通らんだろう? 既に輸送部隊が近くまで来ているのではないか? 整備班ごと引っ張って来て、随分とやる気ではないか、なぁイロハ?」

「……はぁ~」

 

 面倒くさい人に見つかったと、イロハは溜息を吐き出す。しかし何を云っても揶揄われるだけだと感じ取った彼女は、ひらひらと手を振りながら踵を返した。

 

「ま、そうですね、仰る通り……少し出て来ます」

「キキッ、私の方は気にするな、まだ近衛が残っているからな」

「云われずとも気にしませんよ、あぁ、でもイブキの事はお願いします」

 

 扉を開き、半分室外へと踏み出した彼女は振り向く事なく呟く。

 

「あの子には秘密にしておかないと……きっと、落ち込んでしまうでしょうから」

「……あぁ」

 

 淡々とした、乾いた声。その返答を聞き届け、イロハは扉を閉める。

 その音を聞き届け、一人きりになったマコトは深く背凭れに身を預けながら天井を仰いだ。湿った吐息が、口元から漏れる。何となく、身体全体が泥に浸かったような心地だった。

 

「――全く、嫌になる」

 

 半分、帽子のつばで隠れた視界を眺めながら想う。

 先生の死によって実現する、エデン条約(和平)

 トリニティと手を組む等、夢にも思わなかった事ではあるが。まさか、こんな形で実現する事になるとは。恐らくこの事は以降トリニティとゲヘナの歴史書に綴られる一幕となるだろう。それが良い形であるにしろ、悪い形であるにしろ、後世まで語り継がれる筈だ。

 マコトの望んだ、確かな偉業だ。

 しかし――。

 

「主など到底信じてはいないが、もしこの世にそんなものが存在するのならば――」

 

 天井を見上げたまま、彼女は静かに目を瞑る。

 その口元が、不機嫌そうに言葉を発した。

 

「さぞかし、底意地の悪い――悪魔の様な奴なのだろうな」

 

 ■

 

「う……うぅ――」

「コハルちゃん……」

 

 トリニティ救護騎士団本棟地下――安置所。

 ハナコが去り、セリナが去り、ゲヘナのヒナとセナが去り、時折訪れる生徒も先生の亡骸を一瞥し、目の色を変えて去って行く。

 そんな中、ヒフミとコハルの両名は先生の元を動けずに居た。冷たくなった先生の身体に縋りつき、啜り泣くコハル。彼女の肩を抱きながら、ヒフミは先生の顔を見つめる。

 

「先生、私は……私は、どうしたら――」

 

 声は震えていた。それは、恐怖から来るものだった。

 トリニティが、変貌しようとしている。

 その空気が伝わってくるのだ。生徒達の怒りが、憎しみが、巨大な渦となって学外へと向かっている。あの時のハナコもそうだ、何か得体のしれない、恐ろしい何かに変わってしまった様な錯覚すら覚えた。それをどうにかしなければならない、何かしなくちゃいけないと思うのに――体が、動かない。

 

 こんな状況になって尚、怒りを抱くよりも悲しみに足が止まってしまっている。先生が何かの拍子で、ひょっこりと起き上がってくれるのではないか何て、夢みたいな事を想っている。ただ現実から目を逸らし、無為に心を慰めている。

 そしてヒフミは、そこから踏み出す為の一歩をいつまでも躊躇っていた。

 

「ヒフミ」

「ッ!」

 

 不意に、部屋の中に声が響いた。

 はっとした表情で扉の方に顔を向ければ、微かに開いた扉の向こうから見覚えのある顔が覗いていた。その人物にヒフミは表情を輝かせ、思わず背筋を正す。

 

「あ、アズサちゃん! 良かった、無事で――」

 

 叫び、彼女の元に駆け寄ろうとした。

 数歩足を踏み出して――けれど、ふと足が止まる。

 

「アズサ、ちゃん……?」

「………」

 

 彼女の纏う雰囲気が――いつもと違う。

 昏く、淀んだ気配、いつもの凛々しく、どこか超然とした姿の彼女ではない。どちらかと云えば最初にあった頃の彼女の空気感に近いだろう。

 アズサは、ヒフミの声に何も答えない。

 扉の影となって見えないその表情、良く観察すればアズサの制服はボロボロで、所々擦り切れ、穴が空き、微かに血と硝煙の匂いが漂っていた。戦闘があったのは確かだ、ヒフミはそんな彼女の変質した気配に戸惑いを隠せない。

 

「ヒフミとコハルも……無事で、本当に良かった」

「アズサ……?」

 

 コハルが、鼻を啜りながら振り向く。声で彼女に気付いたらしい。流れ落ちる涙をそのままにアズサを注視するコハルもまた、彼女の異様な雰囲気に目を瞬かせる。

 アズサはヒフミとコハルをじっと見つめ、数秒何かを堪える様に俯くと、ぽつぽつと言葉を漏らした。

 

「……今、学園は大変な事になっている」

「し、知っています、その、ハナコちゃんが指揮を執っていて、ミカ様が……!」

「これを、誰かが止めなくちゃいけない」

 

 強い口調だった。

 どこか、責任を感じさせるような物言い。

 後悔と悲哀、そして強い決意を滲ませた声。

 ぎゅっと――握り締められたアズサの手が、軋む音を立てるのが分かった。

 強く、強く、血が滲み出しそうな程に握られた拳。

 

「あ、アズサちゃん……?」

 

 ヒフミはその瞬間、何か表現できない悪寒を覚えた。心臓が一際強く鼓動を刻み、足元が崩れていく様な感覚。血が、凍って行くような緊張。

 また、これだ。

 ハナコの時と同じ――アズサが、何処か遠くに行ってしまう様な。

 酷い悪寒と恐怖、それに突き動かされヒフミは一歩、二歩、アズサへと足を進める。そして彼女に触れようと、引き攣った口元をそのままに手を取ろうと腕を伸ばした。

 

「アズサちゃん、何で、そんな顔で――」

「来ないでッ!」

「ッ!?」

 

 悲鳴染みた叫びが、部屋の中で木霊する。

 鼓膜を叩くそれに思わず背筋を震わせ、ヒフミの足がその場に縫い付けられた様に止まった。俯いたアズサの顔は、まだ見えない。

 

「あ、アズサ、どうしたの、何でそんな、怖い顔をしているの……?」

「………」

 

 唐突な叫びに、コハルは恐る恐る問いかける。アズサは小さく肩を震わせ、唇を強く噛み締めた後、ゆっくりと口を開く。

 

「……ありがとう、ヒフミ、コハル――でも、ここから先には来ちゃいけない」

 

 そう云って彼女は、緩く首を振る。頭上の電灯が瞬いた、彼女の立つ扉の前には光が届いていない。明るく照らされたヒフミ達の立つ場所と、影になった彼女の立つ場所。それはまるで何かを暗示しているかのように区切られ、光と闇を隔てている。

 

「此処から先は……私の居る場所(陽の当らない場所)だから」

 

 昏くて、辛い、裏側だから。

 

「ヒフミも、コハルも、ハナコも、聖園ミカも……日向で過ごせる筈の、そんな生徒だから、だからこれ以上、こっちに来ちゃいけない」

「あ、アズサ……? なに、云って――」

「わ、分かりません、アズサちゃんが何を云っているのか……私じゃ、何が駄目なんですか……?」

「………」

 

 ヒフミとコハルは戸惑ったような声を上げる。彼女の云おうとしている事が分からない、理解出来ない。自分は、自分達はただ、彼女の手を取って――。

 一歩、アズサが退いた。彼女の身体が深い闇に覆われる。表情どころか、その体すらも影になって朧気になる。そんな中で、彼女の白い髪だけが鈍く輝いていた。

 

「――人殺し」

 

 ぽつりと、アズサは呟く。

 それは、酷く冷めきった声だった。

 

「人を殺してしまったら、もう……友達ではいられないだろう?」

 

 そう云って、彼女は顔を上げた。ゆっくりと、静かに。

 僅かに差し込む電灯の光が彼女の顔を照らし、その半分が目に映る。

 アズサは、今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。

 

「なに、を……」

「私のせいだ」

 

 この、誰もが憎悪に駆られる結末となったのは。

 

「私のせいで――皆が傷付いて、先生は……」

 

 そう云って彼女は、拳を握り締めたまま一筋の涙を零す。その小さな体に、背負いきれない程の罪悪を背負って。その背が微かに丸まり、アズサは懺悔するかのように言葉を吐き出す。

 

「セイアが昏睡状態になったのも、学園が破壊されたのも、ハナコがあんな顔をするようになってしまったのも、全て、私のせい」

 

 以前の騒動も、今回の騒動も。

 私が、アズサが、このトリニティに踏み入らなければ。

 彼女達と関わり合う未来を選んでいなければ。

 そもそも、起きる事が無かったかもしれない。

 

 そんな「もしも」を今考える事に意味はない。

 けれど、確かにこの未来を選んだのは――自分自身だから。

 その双眸がヒフミを、コハルを射貫く。強い悲壮と、覚悟を秘めた瞳だ。彼女はそんな、確固たる意志の下に告げた。

 

「だから――責任は、私が負う」

「ち、違います! アズサちゃんのせいなんかじゃありませんッ、それは――っ!」

 

 胸元を掴み、ヒフミは咄嗟に叫んだ。

 これは、誰が悪いとか、誰のせいだとか、そんな誰かの責任の下に出来る話ではない。少なくともアズサがひとりで背負い込む様な話ではないと、そう断言できる。私達に何の咎がある、何の罪がある、そんな思いを込めて言葉を発する。

 

「先生だって、そんな事……ッ、望むはずが……!」

「……ヒフミ」

 

 必死にその想いを、自身の感情を吐露するヒフミに対し、アズサはどこか悲し気な笑みを浮かべて云った。それは余りにも儚く、吹けば飛んでしまいそうな色を孕んでいた。

 

「この世界に、ハッピーエンドなんて存在しないんだ」

「―――」

 

 今日は、平穏な日だった――そうなる筈だった。

 今日、皆で笑いながらカフェで話した内容。どんな結末が好きなのか、どんなエンディングが好きなのか。それを語り合い、ヒフミはハッピーエンドが好きだと語って聞かせた。

 賛同は得られなかったけれど、アズサは確かに、ヒフミが好きならきっと、悪くない結末なのだろうと云ってくれた。誰も不幸にならない、誰も悲しまない、最後は皆が笑って大団円。笑顔に溢れ、幸せに溢れ、光に満ちたまま終わるエンディング。

 けれど――それは、どこまで行っても物語の中の話で。

 

 現実(キヴォトス)は、昏くて、辛くて――どこまでも苦しい。

 

 それを証明するかのように、アズサは自身の背嚢から見慣れたガスマスクを取り出した。そして、それをじっと見下ろしながら淡々とした口調で呟く。その手には、力が籠っていた。

 

「私は、今からサオリのヘイローを破壊()しに行く」

「ッ!?」

「ハナコや聖園ミカが、此方側(陽の当らない場所)に来てしまう前に、やらなくちゃいけない」

「ま、待ってよアズサ!」

 

 コハルが、思わず叫びながら足を進める。涙と鼻水に塗れた顔で、焦燥を滲ませながら叫ぶ。

 

「そ、そんなのって、何か……何か、別な方法が、きっと……!」

「コハル」

 

 低く、平坦な声が彼女の叫びを遮った。乾いた、昏く淀んだ瞳がコハルを射貫く。今まで一度も、そんな目で見られた事はなかった。無味乾燥で、無感動で、何処までも無機質な視線。それに貫かれたコハルは、思わず喉を引き攣らせる。

 

「私は、そういう風に育てられた存在なんだ」

「っ……!」

「それが当たり前の場所で、どうやって人を殺すかを教わり、実践し、訓練して来た――だから元々、私達は住む場所が違ったんだ」

 

 そう――自分(アズサ)は、どこまで行っても日陰の生徒。

 アリウスで生まれ、アリウスで育てられ、そこでこの世の真実を知った。

 すべては無意味で、虚しくて、意味など無いと。

 それが、世界の真実だと。

 

 射撃訓練場の片隅に咲いていた、一輪の野花。

 小さくて、無意味で、無価値で、硝煙の匂いに塗れたソレ。それをじっと見つめ続ける自分を思い返す。風に揺れ、散らばった空薬莢の中に佇むそれは力強く、罅割れたコンクリートブロックの下から、微かな青を世界に見せつけていた。

 

 その花に、意味はあったのだろうか?

 その花に、価値はあったのだろうか?

 

 どうせ直ぐに枯れてしまうのに。

 何かの拍子で直ぐに散ってしまうのに。

 周りはコンクリートに固められて、仲間だって居ないのに。

 気まぐれに踏み潰されてしまうかもしれないのに。

 ひとりぼっちで、砂利に塗れて花を咲かせて。

 一体、その花は――何の為に咲いたのだろうか?

 こんな、全てが無意味で、虚しくて、苦しいばかりの世界に。

 

 小さく、息を吸い込む。

 これまでの時間を思い返すように。

 彼女達(補習授業部)との思い出を噛み締める様に。

 そうして再び顔を上げたアズサの表情は――はにかんだ様な笑顔だった。

 

「私が皆と一緒に居られた時間は、甘い夢の様な時間だった――そう、所詮は夢……こんな私が、補習授業(みんな)と同じ世界になんて、いられない」

 

 彼女達とはもう、一緒には居られない。

 輝きは一瞬だ、閃光の様に、その光は瞬き消える。

 それが彼女にとっての青春(ブルーアーカイブ)、その一瞬こそがアズサの全てだった。

 こんな虚しく、無意味な世界で咲いたアズサの。

 けれど。

 野花(アズサ)は想う。

 

 この世界で精一杯咲いた事に――意味はあった。

 

「補習授業部と一緒に居れて、楽しかった、本当に……こんな私を、友達だって云ってくれてありがとう、凄く、嬉しかった」

「アズサちゃん……」

「アズサちゃんって、呼んでくれてありがとう、少しむず痒かったけれど、今はそう呼ばれると暖かい気持ちになれるんだ」

「アズサちゃん……っ!」

「可愛い縫い包みも、ありがとう、生まれて初めて貰ったプレゼントは凄く嬉しかった、合宿で一緒に過ごした事、海に連れて行ってくれた事、楽しい思い出が一杯で……可愛いものが、綺麗なものが、世界にはこんなにも沢山あるんだって――知らない沢山の事を、教えてくれてありがとう」

「アズサちゃんッ!」

「補習授業部で過ごした毎日は――私にとって、一生の宝物だ……っ!」

 

 アズサの顔が、ゆっくりとマスクに覆われる。その向こう側から、ぽろぽろと大粒の涙が流れていくのが見えた。それは頬を伝い、顎先を伝い、冷たい床に幾つもの染みを作り出す。引き攣った喉を、震えた肩を隠す事も無く、アズサはその顔を完全に覆い隠す。

 それは決別だった。

 彼女なりの――暖かな陽だまりとの。

 

「――学ぶことは、本当に楽しい事だった……皆と一緒に作った思い出を、私は死んでも忘れない、ほんの……瞬きの様な時間だったけれど、私には十分すぎる程に恵まれた時間だったんだ」

 

 その身を翻し、アズサは背中を向ける。扉の向こう側へ、暗闇の方へと足を進めていく。その白い輪郭が、彼女の姿が――消えて行く。

 

「ありがとう、ヒフミ、コハル……ハナコにも、そう伝えて欲しい」

「アズサ……っ!」

「アズサちゃんッ!」

 

 ヒフミは、コハルは、叫んだ。

 精一杯、あらん限りの声で彼女の名前を呼んだ。

 一歩、踏み出す。ヒフミは彼女の背中を追おうとして、けれど情けなく震える足に気付いた。膝が震える、嘗てない程に力なく。そんな自分の膝を思い切り叩いて、涙を流しながら殴りつけて、彼女は前に進もうとする。

 けれど、恐怖が、不安が、暗闇が――ヒフミの足を地面に縫い付ける。

 

「だ、駄目です、待って、待って下さいッ! まだ、まだやりたい事が沢山あるって、そう云ったじゃないですかっ!?」

 

 震えた膝で一歩を踏み出し、その場で躓いた。床に倒れ込み、バッグを放り出しながらヒフミは呻いた。ペロロバッグが床の上を滑り、肩を強く打ち付ける。それでも、彼女は必死に手を伸ばす。暗闇の向こう側に進み続けるアズサに――彼女の小さくなっていく、その背中に。

 

「つ、次は他の皆も一緒に海に行こうってッ! そう約束したじゃないですか……! まだ一緒に、ペロロ様の冒険アニメだって見れていない、劇場版だってッ……!」

 

 約束した、約束したのだ。

 ハッピーエンドは悪くないって、そう云ってくれた。

 だから一緒に劇場版を見ようって、そのアニメ版だって。

 本気だった、本当に、心の底から楽しみにしていた。

 

「一緒に深夜のファミレスに行ってドリンクバーだけでお喋りしたり、お祭りにも行ってみたいって! 遊園地や、水族館っ……見たいもの、行きたい場所が、沢山あるってッ!」

 

 補習授業部みんなで行きたい所、やってみたい事、見たいもの、知りたい事。

 まだまだ沢山ある。見せたいものだって、知って欲しい事だって。

 だから――!

 そう云って、ヒフミは叫ぶ。必死に手を伸ばす。涙を零し、大口を開けて、彼女に声を届ける。

 

「行かないで……っ! アズサちゃん、駄目です、待って下さい! だって、私達はッ!」

 

 友達じゃないですか――!

 

「アズサちゃんッ!」

「――さようなら、みんな」

 

 けれど、彼女が最後まで振り返る事は無く。

 その背中は――昏い、暗闇の中へと沈んで消えた。

 

「ぅ……あ、あぁ――」

 

 力なく、垂れる指先。

 腕を地面に打ち付け、ヒフミはその場に蹲る。口から、酷く情けない声が漏れ出た。額を床に押し付け、呻く、歯を食い縛る。酷く感情が揺さぶれた、心が壊れてしまいそうだった。

 両手を握り締めて震える彼女の元に、コハルは駆け寄り、その肩を抱き締める。二人の顔は涙に塗れていた。赤く腫れ上がり、もうこれ以上ない程に刻まれた悲しみが、深い影を落としている。

 

「ひ、ヒフミ……」

「どう、して――」

 

 呟き、ヒフミは目を瞑る。深い皺を作りながら、嗚咽を零し呟く。

 

「わ、たし……は――どうしたら……ッ!」

 

 誰もが、バラバラになっていく。

 あれ程強固な絆で結ばれていたと思っていた補習授業部が、バラバラに。

 あの暖かく、陽だまりに満ちていた場所は、半分以上の者が去り、残ったのはヒフミとコハルだけ。あれ程賑やかだった場所も、もう二人ぼっちだ。

 去って行ったハナコを、アズサを想いヒフミは涙を零す。

 もう、立ち上がる事も、叫ぶ事も出来ない。

 その力が、その心の強さが――ヒフミには残っていなかった。

 

「ヒフミ、ヒフミ……な、泣かないで……!」

「こ、コハルちゃん……」

 

 その肩を、身体を、抱き締めながらコハルはヒフミの背を擦る。コハルに抱かれながら、ヒフミは目を強く瞑り、呟いた。

 

「……先生――私は……」

 

 その声が、誰かに届く事は無い。

 

 ■

 

 どれだけの時間、そうしていただろうか? 何時間もそうしていた様な気がするし、まだ数分しか経っていない様な気もする。心が摩耗する程、擦り切れる程、時間の感覚は曖昧になっていく。

 先生の死、ハナコの離反、アズサの出奔、度重なったそれらにヒフミの心は罅割れ、砕ける寸前となっていた。

 もう、どうにもならない。

 どうする事も出来ない。

 そんな諦めとも、諦観とも云える感情が彼女の中を支配する。徐々に手足から力が抜け、瞳が色褪せていく。彼女の精神を支えていたものが、崩れていく。その実感が、感覚があった。

 

「っ、ひ、ヒフミ……!」

「――……コハルちゃん?」

 

 蹲り、力なく目を伏せ涙を流していたヒフミの耳に、コハルの声が届く。

 震えた声で、涙に塗れた声で――けれど確かな意思を込めて彼女は云った。

 

「ずびッ……わ、私は、アズサを追う……!」

「っ!?」

 

 その、決断に。

 自身の踏み切れなかった線の向こう側に踏み出そうとするコハルに、ヒフミは息を呑む。思わず俯いていた顔を上げれば、そこには瞳を濡らしながらも前を見据える、コハルの姿があった。

 

「ハナコも……み、ミカ様も、アズサだって、止めなきゃ、駄目……!」

 

 告げ、コハルはゆっくりと立ち上がる。震えた足で、恐怖と不安に塗れた表情で。大粒の涙を零しながら。

 それでも、己の足で――立ち上がる。

 

「私、馬鹿だから、アズサが今、どんな状況で、どういう気持ちで私達を置いて行ったのかなんて、ぐずッ、ぜ、全然分かんない! ハナコが何を考えているのかも、何をしようとしているのかも……ッ!」

 

 コハルは、今を以て尚何が起こっているのかを全て把握していない。ただ、エデン条約の調印式があって、気付いたら爆弾が投下されていて、先生が亡くなって、皆が怒り狂って――アリウスを攻撃しようとしている。分かっているのは、それだけだ。

 ハナコが何を考えているのか、ミカが何をしようとしているのか、アズサがどうして私達を置いて行ったのか。何も、何も分からない。

 何か事情があるのかもしれない、自分には分からない特別な理由があるのかもしれない。

 だから、これから自分がやろうとしている事が、想っている事が見当違いの可能性だってある。間違っているのは自分かもしれない。正しいのは、皆の方かもしれない。

 そんな思いがある、懸念が、不安があった。

 それでも。

 

「でも……でもぉっ!」

 

 手を握り締め、叫び、背を丸める。

 肺一杯の空気を使って、彼女は叫ぶ。

 訴える。

 

「先生は、絶対にそんな事は望まないってッ! して欲しいなんて、絶対に思わないってッ! それだけは確かだから! あ、アズサが人を殺したり、ハナコが、誰かを傷付ける事を、喜んだりしないからッ!」

「こ、コハルちゃん……」

「だからっ、わ、私はアズサとハナコを止めなきゃって……! お、思って……ッ!」

 

 俯き、必死に、精一杯吐き出す想い。

 誰かに傷つけられて、苦しい事は分かる。

 その恨み辛みを、苦しさを、憎悪に変えてしまう事も分かる。

 自分だけやられて、どうしてやりかえしちゃいけないのだって、そう思う事も――理解出来る。

 

 けれど、先生は絶対に、そんな事を望まないから。

 生徒達が憎しみ合う未来を、選ばないと知っているから。

 何も分からない、勉強も出来ない、馬鹿な自分にも分かる――それだけは、確かな事だから。

 

「う、うぅ……ぐ、ぅ……!」

「………」

 

 項垂れ、呻くコハルを見つめるヒフミは小さく息を吐き出す。何かを云うべきだと思った。その考えに賛同する声だとか、頷きだとか、そういう事をするべきだと思った。

 けれど、胸の中に渦巻く感情は別だ。理性が、彼女の培ってきた人生観が伸ばそうとする手を縛り付ける。

 

「で、でも……」

 

 声は小さく、震えていた。自身の両手を見下ろすヒフミ。小さくて、何も掴むことが出来なかった――弱々しい掌。

 あのアズサの背中を、その手を掴むことが出来なかった。

 その弱い自分が囁く。

 

「私達に、何が――何が出来るのですか……? 先生も居ない、ただの、普通の生徒です……私達は、普通の生徒なんですよ……?」

 

 (ヒフミ)は。

 何の特徴も無い、何の強みも無い、ごく普通の、何て事の無い日常の中で生きる一生徒だ。

 私よりも強い人も、立場のある人も、凄い特技を持っている人も、才能を持っている人も、頭の良い人も――沢山居る。

 そんな人達が立つ場所に、アズサちゃんが踏み込もうとしている世界に向かって。

 自分みたいな一般人が飛び込んで、一体何が出来るというのだろうか?

 

 考えれば考える程、場違いで、思い上がりで、馬鹿げた事だと理性が告げる。

 あの一ヶ月。補習授業部として活動していた一ヶ月、まるで自分が主役の様に、主人公の様に進むことが出来たのは先生が居たからだ。

 手を引く大人が居たからだ。

 けれど今はもう、補習授業部はバラバラで、先生も居ない。

 

 阿慈谷ヒフミ(平凡な私)に出来る事なんて――なにもない。

 

「そんな私達に、一体、何が――」

「そんなのッ!」

 

 ドン、と。

 コハルが足を踏み鳴らす。両手を突っ張り、思い切り叫んだ彼女の声がヒフミの鼓膜を強く揺さぶった。

 はっと顔を上げた彼女の瞳に、涙を零しながら訴えるコハルの顔が映る。その、睨みつける様な視線がヒフミの底、深い部分を揺さぶった。

 

「私にだって分かんないよ……ッ! こ、怖いし、まだ訳分かんないし! 胸の中はぐちゃぐちゃでッ! ず、ずっと泣いていたい……ッ! 立ち止まっていたいッ! でも……!」

 

 コハルの脳裏に過る、補習授業部として生活した日々。

 楽しい事も、苦しい事もあった。勉強合宿の筈だったのに、勉強以外の事も沢山あって、知らない内に大変な事に巻き込まれて。何度も諦めそうになった、何度も愚痴を吐いた、もうだめだと思って膝を突いて、そこから更にもう一歩……もう一歩だけと歩く日々だった。

 思い出だった、コハルにとって、とっても大切な。

 その思い出の最後に――彼女は知った(学んだ)

 

 ただ、涙を流すだけでは駄目なのだ。

 ただ、その場に蹲るだけでは駄目なのだ。

 

「でもぉッ!」

 

 小さな手を精一杯握り締め、コハルは想う。

 

 ――あの人(先生)は、少しずつでも進む私達を信じていたんだ。

 

「きっと、それ(人殺し)はッ……絶対にっ、正しくない事だからっ!」

 

 精一杯、全力で、コハルは叫ぶ。涙と嗚咽を零し、断言する。

 

 たとえ、自分の大切なものを奪われても。

 たとえ、それがどれだけ苦しく、耐え難い事であったとしても。

 たとえ、どれだけの絶望を味わったとしても。

 

 ――きっと。

 

「『それでも』って……先生なら、云うからぁ――ッ!」

「―――」

 

 ヒフミは、口を開こうとした。

 けれど言葉が、震えて出なかった。

 口元から漏れ出るのは揺れる吐息のみで、その目尻から涙が零れ落ちる。

 涙が頬を伝い、顎先から制服に染みを作った。

 

 コハルは知っているのだ。

 一人でいる事も、おいて行かれる事も、それがとても悲しく、辛い事だと。

 傷付けられる事、誰かを傷付ける事。誰かを恨む事、誰かに恨まれる事。それを延々と続けて行くことが、その復讐の連鎖を断ち切らずに紡いでいく事が――正しい事の筈がないのだと。

 彼女(コハル)の心が叫ぶ、それは決して正義なんかじゃない。

 ちっぽけで、何も出来ない弱々しい自分、そんな自分に貫けるものなんて高が知れている。

 だから心は――信念だけは。

 自分の中に残っている、きらりと光る小さな小さな正義(正しさ)だけは。

 

 ――絶対に捨てたくない。

 

 自分が、どれだけ辛い目に遭ったとしても。

 自分が、どれだけ苦しい思いをしたとしても。

 自分が、どれだけ涙を流す事になったとしても。

 (コハル)は、自分の信じる道を往きたい(自分の信じる正義を実現したい)

 

 それを示してくれた(先生)が居たから。

 

「そう、ですよね……」

 

 ヒフミの舌が、言葉を紡ぐ。

 震え、力の入らなかった拳を握り締め、ヒフミはゆっくりと立ち上がった。覚束ない足取りだ、未だ体調は十全ではなく、腫れ上がった目元は痛々しい。けれどそれは、コハルだって同じだ。同じなのに彼女は、自分の力で立ち上がった。

 

 そうだ、先生ならきっと――そう云う筈だ。

 

 胸の内に湧き上がる感情、それは決して怒りや憎しみなどではない。

 正しい事を、自分の信じる道を往く為に必要な感情。

 前を向いて歩く為の、暗闇の中で光る一筋の希望。

 

 人はそれを――勇気と呼ぶ。

 

「放っておく事なんて、できませんよね……!」

 

 言葉を噛み締め、ヒフミは奮起する。息を大きく吸って足踏みする。自分の存在を確かめる為に、震える足を叱咤する為に。自分は此処に居る、こうして立っている――まだ、生きている。

 

 忘れていた、自分の肩書。

 補習授業部として生活する中で知った事、学んだ事が沢山あった。紡いで来た絆はまだ、切れてなどいない。

 叫んだのは自分だ、補習授業部(私達)ならどんな困難だって乗り越えられる筈だって、そう信じているって。

 他ならぬ自分が、最初にそう叫んだ筈なのだ。

 

 そんな自分が最初に諦めて一体どうする?

 

「――私は、補習授業部の部長なんです」

 

 そう、阿慈谷ヒフミは平凡な生徒である。

 彼女よりも強い人も、立場のある人も、凄い特技を持っている人も、才能を持っている人も、頭の良い人も――沢山居る。

 けれど。

 

 補習授業部の部長は――(ヒフミ)だけなのだ。

 

「だから、私は……私の、出来る事を」

 

 握り締めた拳を、胸元に押し付ける。零れた涙を拭う事無く、彼女は歯を食い縛る。コハルがあの合宿で学びを得た様に、ヒフミもまた学びを得た。

 補習授業部の絆は、こんな事で切れたりしない。一度バラバラになったって、置いて行かれたって、何度だってもう一度紡いで見せる。

 地面に横たわったペロロバッグ、その持ち手を掴んだ彼女は勢い良くそれを背負い直す。修繕され、ジッパーに結ばれた補習授業部人形が反動で揺れ動いた。

 後悔する事も、立ち止まる事もいつだって出来る。

 

 だから、私は――今、私の出来る事を!

 

「――全力で……ッ!」

 

 顔を上げ、アズサの立ち去った扉を見据える。その進む足取りに、もう迷いはない。

 胸に渦巻く不安も、恐怖も、彼女は全て飲み込んで。

 ヒフミはコハルに笑顔を向ける。

 

「友達を……助けないと、ですよね!」

「ぐずッ、う、うん……!」

 

 頷き、コハルもまたバッグを抱え直す。

 これから考えなければならない事、やらなければならない事が沢山ある。その道は困難に塗れているだろう、憎悪に呑まれ、皆と同じ道を往く事よりもずっと大変な筈だ。

 けれど――絶対に後悔はしない。

 それが正しいって、間違いなんかじゃないって、信じているから。

 

「――先生」

 

 振り返り、ヒフミは横たわる先生の骸に告げる。

 彼は何も云わない、何も答えない。それを知っていながら、彼女はその手を静かに握り締める。嘗ての温もりが失われた大きな手――先生の手だ。

 それに額を擦り付け、呟く。

 

「見ていて下さい、私を……私達を」

 

 補習授業部を。

 

「精一杯……っ」

 

 その目から零れ落ちる涙を、ヒフミは拭い。

 

「頑張り、ますから……ッ!」

 

 そして、その万感の想いを断ち切る様に――その手を放した。

 温もりが消える。けれど決して消えない希望がヒフミの胸に灯った。前を向くヒフミの瞳に、もう昏い色はない。

 

「行きましょう、コハルちゃん……! アズサちゃんと、ハナコちゃんの所に――!」

 

 告げ、歩き出す。

 その一歩は力強く、信念に満ちている。

 この争いを止める、二人を助け出す。

 そう、だって――。

 

「補習授業部の――友達の所に……!」

 

 私達(補習授業部)に、乗り越えられない困難などないのだから。

 

 ■

 

 ヒフミとコハルが立ち去った安置所。

 その中央に横たわる先生の骸。 

 冷たく、微動だにしないその身体の脇に退かされたタブレット(シッテムの箱)

 その罅割れた画面が――静かに、点灯を始めた。

 


 

 動き出す補習授業部。

 殺意に呑まれるキヴォトス。

 憎悪が憎悪を呼び、皆が敵を殺す事でのみ全ては解決されると信じている。

 

 本当はアズサが去った所で区切る予定だったんです。

 でもそれだと何か後味悪いし、可哀そうだなぁと思いましたので繋いで一度に投稿致しましたわ。

 

 個人的に、生徒の中でメンタル最強を決めるのならコハルだと思っているのですわ。それは決して感情が揺らがないという意味ではなく、折れるし、足を止めるし、癇癪を起こすし、愚痴だって吐くし、窮地に陥ると直ぐにネガティブ思考に走るけれど、『ここぞ』という所では絶対に折れない心を持っていると思うからですの。

 敵がどれだけ強大でも、自分の考えと反対の生徒が大多数であっても、彼女の心の奥にある正義、その在り方だけは絶対に曲げないと信じているんです。

 このシーンだけは、アビドス編を書いている最中に書き出して、「絶対本編に組み込んでやる(半年後)」と思っておりました。ちゃんと組み込めて一安心ですの。

 

 だからある意味、先生の思想というか、その在り方に一番影響を受けたのは彼女かもしれません。仮に先生がこのままくたばっても、彼女だけは最後まで「それでも……っ!」って云いながら皆を止めようとするでしょうね。う、美しい……。

 まぁ、最後はそれもベアトリーチェに踏み躙られますが。

 大人げねぇですわね~! そんなんだから舞台装置とか云われるんですのよぉ~?

 

 先生が居なくなってからまだ二話しか経っていないのに、先生出したくて仕方ない。けれど我慢、我慢ですのよ……! 此処からちらっと先生の精神世界に入って、裏側(ゲマトリア)の描写して、アズサとスクワッドをぶつけて、そこから漸く再起動ですの! 取り敢えず無くなった腕をぶらぶら見せつけながら生徒達のお見舞い行こうね! 先生!

 

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