ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告にかんしゃ~!


敵対者の証明

 

「―――」

 

 ゆっくりと、揺れる体。

 まるで眠気を誘う様に、上下に伝わる振動。宛らそれは揺り篭の如く、人を夢の世界へと誘わせる。二度、三度、跳ねるそれを感じながら彼は――先生は薄らと眼を開く。

 差し込む光、視界一杯に広がるソレに思わず目を細め、滲む視界の中で焦点を合わせる。

 

 ――白い車内。

 

 流れゆく雲に、照らされる朝日。窓から差し込む昇ったばかりの曙色が、車内に腰かけた先生に影を伸ばす。限りなく透明に近い白が先生の頬を撫でつけ、郷愁の念が擽られる。何か遠く、懐かしい、もう喪われてしまったそれに心惹かれてしまう様な、懐かしさ、切なさ、燻る寂寥感、それらを噛み締めながら呟く。

 

「此処は――」

 

 言葉を紡ぎ、先生は呆然と窓の向こう側に広がる朝日を、水平線を眺めた。

 どこまでも、何処までも広がる空、朝焼けと蒼のコントラストが反射した水面と二つの世界を織り為す。美しく、幻想的で、どこか儚く、脆い――頭上に瞬く星々は、まだ夜は終わらぬとばかりに存在を主張する。

 

 暫くの間、先生は車内を見渡した。窓の向こう側から差し込む光に目を細めながら、ゆっくりと。

 目前に広がった長椅子、微かな名残を感じさせる其処に彼女の姿はない。ただ、乾いた血痕が残るのみ。それらをぼうっと見つめながら、先生は頭を働かせる。

 先生の持つ、最後の記憶は。

 

 ヒナに抱きしめられながら――私は。

 

「……あぁ」

 

 不意に、吐息が漏れた。

 それは自身が最期に、どのようにして此処に至ったかを理解したからだ。朧げな思考が徐々にその靄を払い、視界が明瞭となる。ゆっくりと自身の身体を見下ろせば、酷くみすぼらしい衣服が視界に映る。血と砂利に汚れ、滲んだ包帯が巻き付けられ、失われた左腕はそのまま。ゆっくりと手で自身の顔を摩れば、頭部と右目を覆う様に巻き付けられた布、包帯の感触があった。恰好は、最後の瞬間と同じ。

 

 そうだ――私は。

 

「――失敗、したのか」

 

 呟きは、揺れる列車の音と混じり、掻き消された。

 大きく息を吐き出して、席に凭れ掛かる。柔らかな感触、両足を投げ出して窓の外を眺める先生。誰も居ない車内、緩やかに揺れる振動を感じながら、先生は暫くの間沈黙を貫いた。

 この場所では、痛みも、苦しみも感じはしない。背中に受けた銃撃の痛みも、失われた眼球の痛みも、千切れた腕の痛みも、何もかも――きっとこの場所でなければ碌に動く事も、こうやって思考を巡らす事さえ出来ないだろう。

 先生の身体は死に体ではない――最早、死体そのものだった。

 

 胸に渦巻く、複雑な感情。

 それはこの結末に至ってしまった自身に対する失望であり、悔しさであり、無力感であり。そして生徒に対する申し訳なさ、罪悪感、悲しさである。

 そう云ったものが綯交ぜになって、先生の表情を歪める。事、この場所に辿り着いてしまったのは自身の失態以外の何物でもない。彼女に託され、足掻きに足掻き、この様な手段を用いて尚――自分は夢見た明日を掴む事が出来なかった。その虚しさたるや、慙愧の念に堪えない。

 呆然とする先生は暖かな陽光に包まれながらも、その胸内で荒れ狂う感情を押さえつける。既に事は済んでしまった、自身の望んでいた理想の結末とは程遠く、今尚その世界は破滅の道を進もうとしている。

 今、この瞬間にも。

 

 ――諦めるという選択肢は存在しなかった。

 

 ゆっくりと、先生の瞳に光が宿る。もう手遅れなのかもしれない。此処から足掻いたとしても、何も変わらないかもしれない。或いは、更に悪化した未来を呼び寄せる結果となるかもしれない。

 

「でも……」

 

 呟き、先生は残った右手を掲げる。皮膚が擦り剝け、傷だらけで、爪の剥がれた汚れた手だ。けれど、必死に生きようと足掻き、伸ばし続けた手でもある。

 本来そこにある筈の彼女の手の温もりを幻視しながら、先生は指先を握り込む。

 向かい側から差し込む陽光が、先生を照らす。その世界を、暖かな世界を目に焼き付けながら先生は告げる。

 

「それでも――」

 

 声が、響いた。

 世界を、車内を、先生を照らしていた陽光。

 水平線の向こう側にて煌々と輝くそれが、先生の声に応えるかのように徐々に、徐々に翳り出す。

 

 陽射しが――傾く。

 

 朝を迎えようとしていた外界は、その色を変える。陽が水平線の向こう側へと沈み出し、夜の蚊帳が空を、世界を、先生を包み出した。白く、淡い光に覆われていたその場所は、冷たく、昏く――光の存在しない世界へと切り替わっていく。

 

 緩やかに駆けていた列車が少しずつその速度を落とす。振動が徐々に収まり、広がる夜空から星々が続々と流れ出した。

 水平線へと、地上へと堕ちていく流れ星。それを見つめながら先生は静かに立ち上がる。

 

 陽は沈み、星が堕ちようとも。

 そう――それでも、先生は諦める事をしない。

 もう、最善の未来が掴めないと知っていながら。

 まだ、守るべき子ども(生徒)達が残っているのなら。

 先生はどれだけ傷付き斃れても、立ち上がり、告げるのだ。

 

「――やらなくては」

 

 大人としての。

 先生としての。

 

 ――その、命を賭けるに値する責務を果たす。

 

 ■

 

【君が成りたい存在は、君自身が決めて良いんだよ】

【それが、大人のやるべき事だから】

【生徒達自身が、心から願う夢を、一緒に】

【大丈夫、いざという時の責任は、私が取るからね】

【私は生徒皆の味方だよ】

【ありがとう】

【諦める必要なんて、ないんだよ】

【遍く全ての生徒には、無限の可能性があるのだから――】

 

 ――だって。

 

 ■

 

 耳に届いていた走行音が掻き消える。確かな振動と共に駆けていた列車が、緩やかに停車した。微かに届く摩擦音、それを聞き届けながら先生は歩みを進める。

 壁に並ぶ乗降口、その前に立った先生は緩慢な動作で開く扉を見届けながら想う。

 

 この先行く道の果てで、己が最後まで彼女達と寄り添う事は叶わない。自身の夢見た理想の世界、生徒皆が笑い合える世界――その言葉には、実は続きがある。

 少し、欲張りかもしれないけれど。

 本当の、理想を語るのならば。

 

 生徒皆が健やかに育まれ、笑顔に溢れる世界である事。

 そして、その場所に先生()が在り、共にその道を歩き、彼女達が己の足で歩き出すその瞬間まで導く事が出来る未来。

 それこそが、先生にとっての大団円(ハッピーエンド)

 彼女達だけではない、先生自身もまた世界の一つ(ひとり)として、その道を共に歩む事が出来ればどれだけ幸福であっただろうか。

 その未来を想い、少しだけ笑みを零す。

 

 扉が開き、外気が車内に吹き込む。老朽化した線路、その足元には水面が広がっている。停車した列車の先に、道の続きはない。それは夜の中に溶け、消えてしまった。

 それは他ならぬ先生自身の未来を暗示している。

 

 地面に広がる水面を見下ろす、そこに映る自身の姿。傷だらけで、包帯塗れで、血が滲み、無様な格好だ。そんな自身を見据えながら小さく息を呑む。

 

 ――この場所で降りれば(途中下車すれば)、その夢見た理想は叶わない。

 

 けれど、それは半分だけだ。

 まだ、『生徒皆が笑い合える世界』という、先生の理想、その半分は叶えられる可能性が残っている。その未来に自分は残っていないのかもしれない。けれど、この身を対価に、その得られたかもしれない幸福を対価に――生徒達が健やかに育まれる世界が作れるのならば。

 先生は、躊躇わずその道を選ぶ(自身を差し出す)

 

 ――だって。

 

「私は、先生だからね」

 

 そう云って、先生()は一歩を踏み出す。

 水面に差し込まれる足先、そこから波紋が広がり、夜空を流れる星々が加速する。波紋は広く、大きく波及し、世界全体に揺らぎを起こす。一歩、二歩、先生は水面を歩き出す。その列車から離れる様に、夜に覆われた世界を歩き出す。

 背後から、列車の扉が閉まる音がした。

 もう二度と、戻る事は出来ないと、そう云いたげに。

 奇跡とは――そういう(不可逆な)ものだ。

 

 けれど、それで構わない。

 先生は絶対に、躊躇いはしない。

 それが自身にとって、どれ程の苦痛と後悔を齎そうと。

 この道の先に、生徒達の未来があるのならば。

 

 先生()は、何度でも同じ選択をするだろう。

 

 それが例え――どんな方法だったとしても。

 如何なる代償を支払う事になったとしても。

 

 ■

 

「ッ……!」

 

 アリウス自治区――バシリカ。

 崩れ落ちた聖堂、罅割れ砕けたステンドグラス。何処までも広がる夜空に瞬く星々、そんな領域の中でひとり祭壇に腰掛けていた彼女、ベアトリーチェは身を貫く様な悪寒に思わず立ち上がる。

 それは唐突に齎された感覚だった。肌を焼く様な光の到来、或いは気分を害すほどの胸騒ぎ。予感――否、最早それは彼女にとって確信に近い。

 顔を覆う翼を模した朱い眼球が、一斉に虚空を睨みつける。

 

「これは、まさか――あり得ません」

 

 思わず、そんな言葉が零れ落ちる。

 アリウス・スクワッドから先生の殺害完了報告は届いている。他の生徒も派遣し、その情報の裏も取った。流石に骸を確認する事は叶わなかったが、それでも周囲の生徒、及び先生関連の生徒の動きから推察するに確かな情報である。

 先生は死亡した――このベアトリーチェの策略によって。

 

 だというのに、ベアトリーチェはたった今、ほんの数秒前。

 先生の放つ特有の気配を、その生命の息吹を微かに感じ取った。

 あのアビドスでの敗北以降、ベアトリーチェは先生の放つ、その独特な光の波長を感じ取り易くなっていた。生命には独特のリズムと色がある、それは先生の様な人間でもそうだし、彼女にとって駒でもある生徒達にも存在する。ベアトリーチェは第六感で薄らとだがそれを感じ取り、希望の有無を見分ける事が出来た。

 特に、先生の強大なソレは分かり易い。

 傍に居るだけで肌を焼く様な、直視できない程の眩い光がある。

 

 自身の勘違いか、単なる錯覚か?

 そう自身に問い掛けるも、彼女の本能は否定を返す。

 

「いえ、しかし、この感覚は……ッ」

 

 そう、これ程心胆寒からしめる気配を、彼女は他に知らない。

 

「――ベアトリーチェ」

「ッ!」

 

 バシリカに声が響いた。それはベアトリーチェのものではない。機敏な動作で振り向けば、そこには暗闇の中に同化するような形で黒服が立っていた。微かに頬へと流れた冷汗をベアトリーチェは拭い取り、努めて冷静を装って口を開く。

 

「……黒服ですか、何用です? 此処は私の領域ですよ」

「今回の件について、聊か抗議を」

 

 そう云って黒服は、暗闇に紛れたままま言葉を紡ぐ。彼の罅割れた肉体から覗く、白い陽炎が闇の中で蠢くのが良く見えた。今回の件についての抗議――十中八九、先生に行った襲撃についてであろう。彼の言葉に、ベアトリーチェは鼻を鳴らしながら尊大に告げる。

 

「何を今更――私達は他者の方針に口を出せる程、親密ではありません、同じ方向を向きながら異なる道を行く、それがゲマトリアである筈、手段は兎も角、最終的な目的については一致する見解を得ていたでしょう?」

「えぇ、その事に異論を挟むつもりはありません、ですが……」

 

 黒服の指先が自身のスーツに掛かり、襟を正す様にして持ち上げられる。その視線は微動だにせず、怒りも無ければ戸惑いもない。蟲の様な無機質さが、そこにはあった。

 

「件の古代兵器(オーパーツ)、その出所が気になりましてね――巡航ミサイル、確か似たような技術は既に発掘、分析されておりましたが、あのような古代兵器を発見したとの報告は受けておりません」

 

 黒服が把握する範囲の中で、彼女がそのようなオーパーツを入手、或いは発掘したとの報告は受けていない。それはベアトリーチェからもそうだし、他のゲマトリア――マエストロやゴルコンダ、デカルコマニーからも同様。ましてやその発射位置が、『宇宙(そら)』ともなればどうしても感じ取ってしまう。

 

 ――あの、名もなき神に仕えた者共の存在を。

 

「よもや、無名の司祭と接触したのではと、そう勘ぐってしまったのですよ」

「………」

 

 どこか、彼らしからぬ色を孕んだ口調。ベアトリーチェは彼の言葉から、決して薄くはない警戒心を感じ取った。それにベアトリーチェは口を閉ざし、二人の視線が交差する。

 

「儀式の概要は大まかにではありますが理解しております、それが外なる力を利用するものである事も――ですが、もしあなたがアレを呼び寄せようなどと考えているのならば」

「愚問ですよ、黒服」

 

 忠告の様な黒服の言葉、それに重ねる様にベアトリーチェは扇子を突き出した。先端が黒服の視線を遮り、ベアトリーチェは小さくドレスの裾を払いながら答える。

 

「私は何度も同じ事を口にする程、お人好しではありません――故に告げるのは、もう一度だけ」

「………」

「私の往く道に、口を挟むな」

「ククッ……分かりました、これ以上の問答はやめておきましょう」

 

 苛立ちを含んだ声に、黒服は肩を竦め自身の質問を撤回する。

 ゲマトリアは各々が異なる手段、方法を用いて己が目標を達成しようとする集団。最終的な到達点は、異なる表現であっても大きな違いはない。しかし、そこに至るまでの道筋は千差万別。己の美学に従う者、己の定めたルールに沿って進む者、己の解釈に基づいて道を探す者、そして――如何なる手段であっても躊躇しない者。

 その在り方に優劣はない、ゲマトリアが定めた資格、そして同胞に対して明確な不利益を被らない限りあらゆる道は肯定される。

 

 黒服はベアトリーチェの解答に、どこか満足気に頷いていた。そのまま踵を返し、バシリカを後にする素振りを見せる。しかし、ふと思い出したように足を止めた彼は、背中越しにベアトリーチェを見つめ口を開いた。

 

「――あぁ、それと最後に一つだけ……銀狼さんが、あなたを探しておりましたよ、それこそ血眼になって」

「………」

「貴女が領域を彼女に探知されないようにしている事は重々承知ですが……万が一戦闘になった場合、最早、私にも止める事は難しい、彼女もまた歪とは云え器の一つ、私では手に余る力を有しておりますから」

「止める気もない癖に、良く云います」

「クククッ――では、失礼しますよ……ベアトリーチェ」

 

 揶揄いであろうか、或いは本当にただの忠告なのか。戸惑いを見せながら黒服を見つめるベアトリーチェは、不意に扇子を開く。

 

「……てっきり」

 

 再び足を止めた黒服、その背中に向けてベアトリーチェは言葉を投げかけた。 

 

「先生に対する攻撃行為、それに対する抗議かと思っていましたが……」

「ふむ――」

 

 ベアトリーチェは、黒服が態々このバシリカまで足を運んだのは先生に関する抗議だと思っていたのだ。しかし、予想に反して黒服の口から出たのはオーパーツの出所と無名の司祭との接触、その有無に関してのみ。

 先生に対して攻撃的行動を起こした事も、その命を奪った事にさえ彼は言及しなかった。黒服は傍から見ても、先生と云う存在にかなり傾倒していた様に思う。

 それを意外そうな表情と共に吐露すれば、黒服はどこか考え込む様な素振りを見せ、云った。

 

「ベアトリーチェ、あなたは一つ、勘違いをしています」

「……?」

「先生は真に、ゲマトリアの資格を持つ者――ゲマトリアは探求者であり求道者、狂気こそが我々の打破すべき宿敵……そして彼の者は既に、その果てに辿り着いている」

 

 黒服はそう告げ、その表情を喜悦に歪める。

 ベアトリーチェの思考は正しい、全く以て間違ってなどいない。黒服は先生を、その在り方を、精神性を高く評価している。それこそゲマトリアの中で彼の者を一番評価しているのは自分であるという自負がある程に。

 

「狂気を乗り越え、ただ一つの望みを求め歩み続ける、その足取りに迷いはなく、既にその精神は一つの【真理】に辿り着いています、あの精神性、あの在り方こそ、ゲマトリアが真に欲した求道者足るもの――確かに、相容れぬ部分もあるでしょう、その道を理解出来ぬのも仕方なき事、しかし……それで()いのです」

 

 そう、理解出来なくとも良い。

 今、理解せずとも構わない。

 何故なら――。

 

「我々はその往く道に、口を出せる仲ではないのですから」

「………」

「クククッ」

 

 理解出来るのならば、それは理想的だ。しかし狂気とは、美学とは、信念とは、矜持とは、時として理解を得られないものだ。その道が険しければ険しい程、高みに届く程に長い程、それは明確に理解出来ぬものとして扱われる。

 

 肝要なのは、認める事。

 

 理解出来ずとも、そう在るものとして受け入れ、糧とする。あらゆる要素を、道を、思考を、認め、受け入れ、考察する事。

 軈て分析し、解析し、知る事が出来れば、何れ自身の知らぬ(未知)を理解出来る日も来よう。

 そうでなければ、神秘の解明など夢のまた夢――。

 

 故にこそ、ゲマトリアはあらゆる存在を認めて来た。どの様な異形であれ、どのような信条であれ。それこそ、ベアトリーチェの様な者でさえ。

 どこか、含むものを感じさせる声だった。意趣返しのつもりか、くぐもったそれを響かせ黒服は静かに背を向ける。

 

「先生は必ずあなたの前に辿り着くでしょう、それこそ――どの様な姿となっても」

「……知った風な口を」

「えぇ、知っておりますとも、何せこのキヴォトスに於いて先生は最も私の興味をそそる存在ですから、ゲマトリアへの加入を認めて下さるのならば、どのような対価であろうとも惜しくはありません……そう、文字通りどのような代価も――ククッ!」

 

 肩を震わせ、喜色を漏らす黒服。その言葉に、ベアトリーチェは思わず息を呑んだ。脳裏に最悪の予測が浮かんだのだ、先生の命を奪う様な行為――それを知って尚、彼の態度が一貫して変わらない理由。

 それに、心当たりがある。

 

「黒服……まさか、あなたは――」

「……少々喋り過ぎた様です、ですがまぁ、他ならぬ貴女です(結末の決まった者)、大きな変化が生まれる事はないでしょう」

「………」

「それでは私はこれで」

 

 その足が靴音を鳴らし、暗闇へと彼の姿は溶けていく。最後に振り返った黒服、その白い陽炎だけが浮かび上がった状態で、彼は穏やかに告げた。

 

「――良き最期を、ベアトリーチェ」

 

 掻き消える姿、その輪郭。自身の領域へと帰還したのだろう、その気配は既に微塵も感じられない。それを見届け、ベアトリーチェはひとり歯噛みする。

 凡そだが――彼の狙いが見えた、その魂胆も。彼はこうなると知っていた、或いは予測していたのだ。しかしそれを止める事も、介入する事も無く見届けている。

 何故か?

 その方が彼にとって都合が良いからだ。

 生徒達の憎悪、そして先生の注意、その目を一身に受ける者が居る事自体が黒服にとっての利益となる。

 そして恐らく、彼奴の本当の狙いは、先生を――。

 

「……意地があるのですよ、大人(わたし)にも」

 

 呟き、ベアトリーチェは扇子を勢い良く閉じる。再び祭壇に腰掛けた彼女は、砕け、罅割れたステンドグラスを見上げる。其処に描かれた不気味な光、外なる存在、ゲマトリアにとっての天敵であり、乗り越えるべき脅威。

 或いは、黒服はベアトリーチェやゲマトリアにすら悟られぬ程、巧妙に隠した策があるのかもしれない。しかし、それはベアトリーチェとて同じ。

 

 アリウスの半数を動かし(聖園ミカを利用し)、密かに計画した先生の暗殺。

 調印式にて、必殺の意志と共に宙から死の雨を降らせた。

 アリウス・スクワッドに命令を下し、直接的な手段も取った。

 

 そして、それでも尚――乗り越えてくるかもしれないと云う不安があった。

 彼の聖人は奇跡を起こす、それこそどれ程絶望的な状況でも、どれ程暗闇に包まれた世界であっても、その鮮烈なる光と共に希望を齎す存在。子ども達はその姿に道を見出し、彼の者と歩む者は決して折れず、曲がらず、希望を胸に突き進む。

 それの何と厄介な事か。

 その実態を、先生の在り方を嫌という程に刻みつけられたベアトリーチェは、先生の脅威を良く知っている。黒服は自身が一番先生を評価していると思っている様だが――それは違う。

 

 あの者の根源、最早狂人に等しい在り方を一番評価しているのは――(ベアトリーチェ)だ。

 

 それを垣間見、体験したからこそ恐ろしいのだ、不安なのだ、身の毛がよだつ様な悍ましさを覚えているのだ。

 だからこそ用意した、故にこそ切り札を切った。

 ゲマトリアにも、配下の生徒達にも、誰にも語らず極秘裏に進めた『もう一つの計画』、それはベアトリーチェにとって屈辱の選択であり、同時に絶対的な破滅を約束する手段。

 

 ――或いは、それが世界の破滅と引き換えだとしても。

 

「悲劇を喜劇に……しかし、そうであるのならば」

 

 彼女は胸にふつふつと湧き上がる怒りを、屈辱を飲み干し、呟く。

 例え、他者に舞台装置と嘲笑されようとも。

 貫き通さなければならぬ、敵対者としての矜持があった。

 愛、等と云う。

 不確かで、あやふやな幻想を――打倒(うちたお)す為に。

 

 ――主役(先生)に、舞台装置では勝てぬと云うのであれば。

 

「もう一人、主役(■■)をぶつければ良いのです――そうでしょう、先生?」

 

 ■

 

「う、ぐ……ッ」

「シロコ先輩……!」

 

 トリニティ自治区郊外――裏路地。

 大通りから脇に逸れ、入り組んだ道を走った先。そこでアビドス対策委員会の面々は暫し身を潜めていた。背の高い建物群が空を塞ぎ、影が彼女達を覆う。裏路地には室外機や積み上げられたコンテナ、段ボールの類が散乱し、丁度良く彼女達の姿を隠してくれていた。

 そんな中、壁に寄り掛ったシロコは小さく呻き声を上げながら肩を抑える。表面の裂けた制服からは血が滲み、表情は苦悶を象る。逃走中、放たれた弾丸が運悪く彼女の左肩に直撃した。普段ならば弾丸の一発や二発程度、どうという事はないが、背を向けていたのが悪かった。無防備な背中から一撃、ライフルによる狙撃はシロコの肩に決して浅くはないダメージを刻んだ。

 アヤネは背負っていたバッグを降ろし、中からプラスチックケースを取り出す。中には四本の注射器が収まっており、内一本の中身は既に空になっている。先生に打ち込んだものと同じ鎮痛剤である。その中の一本を取り出し、キャップを外しながらアヤネは眼鏡を指先で押し上げた。

 

「アヤネちゃん、シロコちゃんの傷は?」

「それ程深手ではありません、ですが被弾した場所が肩ですから……余り長時間の戦闘は難しいかと」

 

 路地の前方を警戒しながら問いかけるホシノの声に、アヤネは努めて冷静に返答する。シャーレから支給されていたナノマシン型の鎮痛剤を肩にそっと打ち込めば、シロコの表情が数秒程で和らいだ。空になったそれをケースに戻し、念の為と傷口を消毒しガーゼを貼り付ける。後は持ち込んだネットでガーゼを保護し、テープで固定する。雑な処置ではあるが、動きを阻害しない程度に収めるならばこの程度で問題ない。激しく動かせば分からないが、そうでない限りは剥がれ落ちる事もないだろう。医療品が心許なかった時期は、消毒を行った後にガムテープを貼り付けていた程だ。その頃に比べれば、全く以て雲泥の差。

 

「あいつら、倒しても倒しても湧いてくるじゃん! 一体何なの!?」

 

 壁に背を預け、予備の弾倉をバッグから取り出していたセリカが怒りを込めながら叫ぶ。あいつら、とは恐らくあの青白い幽霊染みた生徒達の事だろう。ガスマスクを被り、シスター服の様なものを身に纏っていたが――その正体は不明。辛うじて分かった事は、アリウス側がソレをETOと呼称している事だけ。

 

「真っ当な生徒……には見えませんね」

「うん、そうだね、幽霊とか、亡霊とか、そんな感じに見えるよ」

 

 ノノミの呟きに対し、ホシノは頷いて見せる。少なくともキヴォトスに在籍している生徒と云う訳ではないだろう。出現の仕方も、その外見も、纏う空気も、全てが異常の一言。更には放つ弾丸に込められた神秘濃度も、通常のそれとは比較にならない。それなり以上に頑強なシロコが数発身に受けただけで負傷する程。ホシノがちらりと畳まれ、収納された盾に目線を落とせば、その表面部分に幾つかの凹みが見えた。つい先ほどの戦闘で刻まれた傷だ、貫通こそされていないものの連中の弾丸に込められた威力の高さをこれ以上ない程に物語っている。

 

「もう、大丈夫……ありがとう、アヤネ」

「いえ――シロコ先輩、あまり無茶は」

「ん、分かっている」

 

 頷きながら、シロコは愛銃を掴み立ち上がる。肩を軽く回せば、先程とは異なり痛みは極僅か。違和感は残るものの動けない程ではない。

 そんな彼女に向けてアヤネは別途ポーチに保管していた複数の弾倉を取り出し、シロコに差し出した。

 

「これ、預かっていた予備の弾薬です」

「……ありがとう」

 

 差し出された弾倉を受け取り、シロコはポケットにそれらを突っ込む。愛銃に装填していた弾倉を取り外して中身を検めれば、殆ど中身は空だった。無意識の内に反撃していたのか、小さく目を細めながら弾倉を取り外し、空になったそれをバッグに詰め込む。

 

「皆さん、弾薬の残りはどの程度ですか?」

 

 ふと、アヤネがそう皆に問い掛ければ、彼女達は各々のポーチやリグを覗き込み残弾を確認する。特にノノミは装填されていた大型の弾倉を覗き込み、その表情を陰らせた。

 

「えっと、余り多くありませんね……予備弾倉も、あと一つしかありません」

「ノノミ先輩のソレはそもそも弾薬の消費が激しいし……私も、あの連中となら後二回か、三回位かも」

「おじさんも同じかな」

「そうなると、どこかで一度補給するべきかもしれません」

 

 皆の報告を聞き届けたアヤネは、指先で唇を摩りながらそう提言する。

 アビドスの弾薬事情は芳しくない、そもそも連中の無限とも思える出現頻度がおかしいのだ。倒しても倒してもキリがない、幸い弾丸の威力は高くともそれ程好戦的な類ではないらしく、少し離れてしまえば追撃して来るような事はなかったが――その事を鑑みるとアヤネの云う通り一度補給に戻るという方針は正しい、ホシノはそう判断する。あれ程の数を相手に近接戦闘を仕掛けるのはリスクが高すぎる、弾薬が無くなれば磨り潰されるだけだ。

 

「――先生は、大丈夫でしょうか」

「………」

 

 ふと、ノノミの小さな囁きが皆の耳に届いた。リトルマシンガンⅤを抱えながらどこか悲し気な表情で空を見上げるノノミに、皆は視線を向ける。思い返すのはゲヘナの風紀委員長に連れられ、退避していく先生の後ろ姿。あの時はとにかく必死で先生を逃がさなければと思って戦っていたが――その後の事は何も分からない。

 あれから、既に何時間も経過している。戦闘を続け、撤退したアビドスにとって時間の感覚は曖昧だった。

 

「傷は、かなり深そうに見えた」

「そう、ですね……無事なら良いのですが」

「い、今からでも先生の所に向かった方が良いんじゃないの……? 私も良く分かってないけれど、連中の狙いって先生でもあるんでしょ?」

「あの感じからして、多分向かったのはトリニティ中央区の方だと思いますけれど……」

 

 セリカが先生の元に向かうべきでは? と提案すれば、ノノミは凡その方角から治療可能な施設のある場所はトリニティ中央区の救護騎士団くらいなものだとあたりを付ける。アヤネがタブレットを操作し、現在位置からトリニティ本校舎までの距離を割り出す。現在位置は古聖堂地区に隣接する郊外、そこから中央区までは凡そ徒歩で一時間掛かるかどうか――車両ならばもっと早いだろう。大通りに放置されている車両を拝借すれば、或いは。

 

「トリニティ本校舎であれば、一応顔見知りですし、弾薬の融通なども利くとは思いますが――」

「……そうだね」

 

 以前の騒動以降、アビドスも先生の護衛という名目で客室棟に入り浸っていた。その関係でトリニティ側とは面識もあり、ヒフミを通さずともコンタクトを取れるだけのパイプはある。何ならアビドスとしてではなく、シャーレ所属の生徒として動く事も出来る。その為の許可も、権利も、アビドスは先生から信認されていた。

 先生を護衛する為に、その後を追うべきか。弾薬も心許ない今、その選択肢はそう悪くないもののように思えた。

 

「……分かった、先生と合流しよう、今からトリニティ中央区に向かって――」

 

 そこまで口にして、ふとホシノは誰かの気配を感じ取った。それは知っている様な、知らない様な、非常に曖昧なもの。咄嗟に盾を展開しながら振り向く。甲高い金属音が鳴り響き、視界の半分が盾で埋まる。同時に構えた銃口の先、そこには裏路地の影に潜む様にして立つ――和装の生徒がひとり。

 

「………」

「……っ、ワカモ?」

 

 そうして視界に飛び込んで来たのは、所々血を滲ませながら古めかしい銃を抱えて佇む友人――ワカモ。

 彼女は何をする訳でもなく、罅割れた狐面越しにアビドスを見つめていた。

 


 

「世界滅んだけど先生も死んだし、私の勝ちね! ざまーみろバーカ!」

 これをやろうとしている大人がゲマトリアに居るらしいんですけれど、マジですの? 

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