「……はっ、ハッ!」
駆ける――駆ける。
愛銃を抱え、只管に素早く廊下を走り続ける。背後から飛来する弾丸を間一髪で避けながら、アズサは老朽化した廃墟の埃に塗れた廊下を蹴り飛ばす。ガスマスクで狭まった視界の中で、幾つものポイントを脳裏に浮かべながら、時折思い出したかのように後方へと応射を刻みつつ。
前方より瞬くマズルフラッシュ、轟く銃声。しかし飛来する弾丸は後方より迫るサオリとは見当違いの方向へと飛んでいき、窓硝子や壁に穴を空ける。それが狙いをつけたものではなく、牽制程度の射撃である事をサオリは見抜いていた。故に、足を緩める事は無い。
「……室内に予めトラップの類を仕掛け、誘い込んだつもりか?」
アズサの後方へと張り付きながら、サオリは呟く。空になった弾倉を取り外し、放り捨てる。新しい弾倉をポーチから取り出し填め込むと、丁度アズサの身体が曲がり角に差し掛かる所だった。素早くターンするアズサの背中に続き、サオリも角へと一息に踏み込む。
瞬間、彼女の足元から、『ピッ』という電子音が鳴り響いた。
見下ろせば、死角に
サオリが目を細め、動いた瞬間に爆発が巻き起こる。
爆炎が周囲を包み込み、周囲の窓硝子が一斉に吹き飛ぶ。アズサは爆発を予期し、電子音が鳴った瞬間に床へと飛び込み頭を抱え防御姿勢に入っていた。爆風はアズサの背中を温く撫でつけ、その髪が揺らめく。
自身を囮に追撃して来た敵をトラップに掛ける、爆薬は通常のそれと比較してもやや増量気味。キヴォトスの生徒と云えど、直撃すれば暫く動く事は出来ない。
そんな目論見と共に振り向けば、朦々と立ち上る噴煙が見える。
その奥から、人影が浮かび上がった。
「――云っただろう? お前の仕掛け程度、容易く見破れると」
噴煙を裂き、飛び出すサオリ。
その姿に傷は一つも存在しない。
深く追撃すると見せかけ、曲がり角に差し掛かった瞬間、彼女は既に後退の姿勢に入っていた。爆破と同時に横へと身を投げ、廊下の壁を盾とする。曲がり角は待ち伏せ、トラップの仕掛け処として定石。警戒しない筈がない。
掛かったと確信していたアズサは、飛び出して来たサオリの影に思わず目を見開く。抱えていた愛銃を咄嗟に構えて――しかし、引き金を絞るより早く、サオリの手がその銃口を横合いに殴り逸らした。
一発の銃声が轟き、弾丸は天井に突き刺さる。設置されていた電灯が弾け、硝子片が二人の頭上に煌めいた。
「ッ!」
「敵のテリトリーで待ち伏せを仕掛けるならば、地形は把握しておかねば……なぁッ!」
叫び、繰り出される蹴撃。それはアズサの胸部を強かに打ち抜き、凄まじい衝撃が体全体を突き抜けた。
「あぐッ!?」
骨が軋む音、同時に息が詰まり呼吸が止まる。アズサの背中が窓硝子を突き破り、内部にあった部屋の一つに転がり込む。握り締めた愛銃の存在を感じながら、二度、三度、床を転がったアズサはガスマスク越しに大きく息を吸い込む。
「は、ぁ、ぐッ……!」
しかし、呼吸を整える暇はない。這い蹲った状態から横合いに身を転がせば、先程までアズサの居た場所に突き刺さる弾丸。見れば部屋の外から銃を構えたサオリが既に狙いを付けている。轟く銃声、網膜を焼くマズルフラッシュ。一発、二発、飛来するそれらを転がりながら避け、アズサは扉を突き破って反対側の廊下へと脱出する。その背中に追撃の銃声を撃ち鳴らしながらサオリは叫んだ。
「ハッ! 意志だけは固い、お前は昔からそうだッ!」
「はぁ、ハァッ!」
肺が熱い、呼吸がし辛い。アズサは胸元を押さえつけながら思う。
郊外地区での戦闘で負った傷は、未だ完全に癒えてはいない。弾薬や爆薬、装備の類を補給しただけで傷の処置は兎も角、休息は殆ど取れていない状態が続いていた。
しかし、それでもやらねばならなかった。
自分が彼女を殺すのだ。
その想いだけを胸に、アズサは足を動かす――駆ける。
傷だらけの身体に、鞭を打って。
「次の、角を……ッ! 右、それから……――!」
この建物全体に仕掛けたトラップ、その位置を脳内に描く。この場所にトラップを仕掛ける猶予は一時間と少し程度だった。その間に出来得る限りの迎撃態勢を整えたが、建物の構造や室内の状況は全て把握し切れているとは云えない。それでも最低限のルート構築を為せたのは彼女の優秀さが為せる業。
息を弾ませ、次のトラップの在る場所へと足を進ませるアズサ。そして次の角を曲がった時、目前に立つ影に思わず驚愕し足を止めた。
「ッ!?」
「………」
咄嗟に、銃口を突きつける。
そしてそれは、相手も同じ。
重なる銃口、そして視線――仮面を被った者同士、しかし表情は分からずとも相手の感情は手に取る様に分かった。
「アツコ――!」
「………」
アズサが、苦り切った声を上げる。
アズサの前に立ち塞がったのは白いコートにフードを被り、独特なマスクで顔を覆った生徒。それはアズサにとって、余りにも見覚えのある生徒だった。彼女は片手で愛用の
それは、彼女なりの意思表示だった。
「………」
「……それは出来ない」
数秒、二人の間に沈黙が流れる。アツコが行ったのは手話、そして内容は、アズサにどうかスクワッドに戻って来て欲しいと懇願するもの。その手の動きを注視していたアズサは、僅かな躊躇いすら見せる事無く首を横に振った。
嘗て教えられた手話、ある意味アズサがアリウスで生活する中で知った最も、『教えらしい』ものの一つだったのかもしれない。そしてそれは、アズサが嘗てスクワッドに所属していた事を示す名残の一つであった。
「アツコ、お前たちは――」
握り締めた愛銃のグリップ、それを軋ませながらアズサは引き金に指を掛ける。その、ガスマスク越しに見えるアズサの瞳。
それを目視した時、アツコは覆われた仮面の中で、悲しそうに目を伏せた。
「私の大事な人を、殺したんだッ――!」
「………」
銃声、アズサが引き金を絞り銃口が弾丸を引き出す。それを目視したアツコは、素早く銃口から身を反らす事で弾丸を避けた。そしてアズサは素早くポケットに手を入れると、端末を操作し爆発を引き起こす。二人の直ぐ脇、教室内部から爆炎と衝撃が巻き起こり、硝子片と折れ曲がったフレームが二人の身を襲う。
アツコは衝撃と飛来した障害物に押し出され壁に叩きつけられる。アズサはそれを身を伏せてやり過ごすと、身に降り積もった硝子片と粉塵をそのままに再び廊下を駆け出した。
壁に叩きつけられ、動かないアツコを横目に――彼女は足を進める。
「アズサ!」
「くッ……!」
その背中目掛けて、追いついたサオリが銃撃を敢行。弾丸は一発、アズサの肩を掠り、その足が一瞬不安定なものとなる。しかし素早く体勢を立て直した彼女は、そのまま曲がり角の向こう側へと身を投げ姿を眩ませた。
「アツコ、無事か!?」
「………」
壁に寄り掛ったアツコに向けて叫ぶサオリ。アツコは自身の肩やら頭部に降りかかった硝子片を払い、頷きながら一人で立ち上がる。ダメージ自体は殆どない、ただ近場で起きた爆発に一瞬意識を持って行かれただけ。その事を手話で伝えれば、サオリは露骨に安堵の息を吐く。
そうこうしている内に後方から別ルートに張っていたヒヨリとミサキが合流した。爆発し、無惨な姿となった横合いの部屋を目で捉えたミサキは、その表情を顰めながら淡々とした様子で提案する。
「リーダー、このままだと埒が明かない、ユスティナ聖徒会を呼んだら?」
「そ、そうですよ、アレが在ればすぐに――」
「……それは無理だ」
ミサキの提案を、サオリは一も二も無く切り捨てた。
何故、という表情を浮かべる彼女に向けてサオリは口を開く。
「ユスティナ聖徒会はトリニティとゲヘナの紛争にしか介入しない、他者から攻撃を受けた場合ならば別だが――最悪、アズサがトリニティ所属ではなく、アリウスの生徒だと解釈されてしまえば、その矛先が私達に向きかねん」
「……面倒な構造だね」
サオリの言葉に、ミサキは辟易とした表情で呟く。制約や調印関係はサオリとアツコに一任されている。細かな制約や制限について、ミサキとヒヨリは把握し切れていなかった。尤も、ETOを直接動かす事になるのはサオリになるので、それでも問題は無かったのだが。
「まぁ、戒律も結局は解釈次第って事か……元々そうやって手に入れた力だし、制約やらペナルティがあるのも当然かも」
「あぁ、だからアズサは……私が倒す」
そう云ってサオリは、手にしていた愛銃を抱え直す。
武器は、その性能を発揮出来れば何でも良い。彼女のスタンスが現れた一品だった。
「これだけ騒ぎが起きても他に人影はない、それに彼奴の動き、アレは単独で多数の敵を相手取る動きだ――相手はアズサ単独だろう、もう一度散開して追い詰める、ただしヒヨリは姫とバディを組め、三方向から追い詰めるぞ」
「りょ、了解しました……!」
「ま、それが一番か――じゃあ、私は東側から、姫達は西からよろしく」
「………」
サオリが指示を出せば、スクワッドは再び散開しアズサを追い詰めるように動き出そうとする。しかし、彼女達がその足を踏み出すより早く、建物全体に震えるような衝撃が走った。ビリビリと周辺の窓硝子が震え、扉が揺れる。それは爆発の余波、振動である。微かな揺れを感じ取った皆は、迷わず警戒の色を見せる。
「っ、爆発……?」
「でも、遠かった様な……?」
「いや……」
ミサキが訝し気に目を細め、ヒヨリが不安そうに身を屈める。サオリは彼女達を横目に周囲を見渡した。パラパラと、頭上から剥がれた塗装片が落ちて来る。それを眺めながら数秒、サオリは脳内でシミュレーションを行った。
もし、仮に自身がアズサの立場であれば――。
敵は四人、かつ後方からの増援見込みあり。ただしETOの阻止だけを考えるのであれば最優先目標はスクワッドのみで良い。この廃墟に
「これは――まさかッ!?」
思考時間は僅かな間、そして結論が弾き出される。
同時にぞわりと、サオリの背筋に悪寒が走り抜けた。咄嗟にアツコの腕を引き、サオリは廊下を駆け出す。瞬間、頭上の天井が裂け落ち、瓦礫破片が一斉に降り注いだ。
アズサはこの階層にある支柱を爆破し、崩落を引き起こしたのだ。
「上階が崩れるぞッ! 走れ!」
「えぁっ、ちょ、うわぁッ!?」
「っ、これは――」
サオリとアツコは紙一重で崩落する天井から難を逃れ、ミサキとヒヨリは噴煙と瓦礫に塗れ見えなくなった。凄まじい轟音と衝撃が周囲に響き渡り、落下した上階が雪崩の如く床を叩きつける。重量を支えられなくなった床が抜け落ち、地上一階まで瓦礫群が殺到した。その中に巻き込まれたミサキとヒヨリは、濁流の中を漂う様に身を丸め、自身の身体を容赦なく殴打する瓦礫片に呻く。落下の瞬間は一瞬の様にも感じたし、とても長くも感じた。地面に叩きつけられ、息を詰まらせた二人は顔を顰め、地面に這い蹲ったまま動けない。
「げほっ、ごほッ、ぅ……」
「う、うぅ……」
噎せ返る程の噴煙、朦々と立ち上るそれで視界は悪い。ミサキは自身の身体に圧し掛かる瓦礫を見上げながら顔を歪める。微かに差し込む光、頭上には綺麗にぽっかりと穴の開いた空間が見えた。
「まさか、上階で私達を押し潰す……なんて、ね」
呟き、何とか瓦礫から抜け出そうと体を動かす。しかし、体勢が悪い。如何に力の強いキヴォトスの生徒と云えど、幾重にも折り重なったそれを押し退けるのは困難であった。元より見切りの早いミサキである。脱出は不可能と即座に判断し、諦めた様に伸ばしていた手を落とす。
「ヒヨリ、ミサキ、無事かッ!?」
「一応、生きている、よ……ただ、これは、ちょっと動けない、かな」
上階から階下を見下ろし叫ぶサオリに対し、ミサキは淡々とした口調で応える。粉塵が肺に入り、思わず咽た。直ぐ横を見れば、ヒヨリが自身と同じように瓦礫に挟まれ呻いている。しかし背中の大きなバッグが緩衝材になった様だった。床とヒヨリの間に背負っていたバッグが挟まって隙間を作っている。ミサキは額から流れる血を感じながら、運が良いと吐息を零した。しかし、崩落の瞬間に瓦礫に殴打されたのか、ヒヨリの頬や手に幾つもの切傷や痣が見えた。その顔色は悪く、苦し気だ。
どちらにせよ、二人共自力での脱出は不可能。そう考えミサキは口を開く。
「ごめん、リーダー、私とヒヨリは置いて行って……」
「っ……!」
アズサが次、どのような行動に出るかが分からない。
仮にこのままサオリやアツコが救助活動を行おうとすれば、それこそ好機とアズサはこの場所に爆発物の類をこれでもかと投げ入れる事だろう。
そうすれば、今度こそ全員生き埋めだ。ならば、選択肢は一つ――ミサキとヒヨリの両名を見捨て、サオリとアツコの二名でアズサを追撃する。
そうすれば少なくとも、事前に何かしらの仕込みを済ませていない限り二人は此処に埋まっているだけで済む。
それを理解していたからだろう、サオリは数秒沈黙を通し、静かに立ち上がった。
階下、未だ晴れぬ粉塵越しに見える微かな輪郭。ミサキとヒヨリのものであろうそれに向けて、サオリは力強く告げる。
「――待っていろ、直ぐに救援を呼ぶ」
「……気長に、待っているよ」
云って、ミサキは緩く手を振った。自身を下敷きにする瓦礫のせいで、言葉を発するのも苦しい。足音がして、サオリとアツコの二人が駆け出すのが分かった。その影が見えなくなることを確かめて、ミサキは静かに頭上を見上げる。
「い、痛い……苦し、い――……」
「………はー」
ヒヨリが呟き、その鼻から一筋の血が流れた。小さく震える肩、ミサキはそんな彼女に手を伸ばそうとして――けれど、指先はヒヨリに届く事がない。
伸ばしたそれを中途半端な位置で下ろし、脱力する。
「……ホント」
宙を舞う粉塵が、差し込む月光に照らされる。それは幻想的に見えて、しかし暴力的な残滓に過ぎない。そんな残酷で美しい世界を呆然と見つめながら、ミサキは呟いた。
「――酷い、世界」
■
「はぁ、はぁッ、ハッ……!」
息が弾む、足が徐々に重くなり始める。疲労と痛みが徐々に、徐々にアズサの身体を蝕み始めた。
廊下を駆け抜けるアズサは、背後から鳴り響いた爆発と建物の崩落音に確かな手応えを感じていた。自身を追撃していたサオリ、そしてあの場に居たアツコは確実に巻き込まれた事だろう。そうでなくとも、あの爆発には建物を分断する意図があった。上階を崩落させ、廊下を崩した為に此方側へと渡るには一度地上に降りるか、屋上経由で向かってくるしかない。そして、それを見越したトラップをアズサは仕掛けている。スクワッドが分散し自身を追撃するか、或いは纏まって動くかでアズサの対応は異なる。
そんな事を考えながら駆けていたからか、アズサは直ぐ横合いから伸びて来た腕に気付くのに、一瞬遅れた。
「ッ――うぐッ!?」
「捉えたぞッ!」
曲がり角、まるで待ち伏せしていた様なタイミングでの、横合いからタックル。否、実際サオリはアズサのルートを読んでいたのだ。彼女よりも建築物の状況、ルートに精通していた彼女はポイントを二つに絞り、アツコと自分の二人で二ヶ所のルートに潜んでいた。そしてサオリの予想はまんまと的中し、アズサはサオリの奇襲に浮足立っている。
「地形は私の方が熟知しているッ……! 無論、あらゆる最短経路もなッ!」
「こ、のォッ!」
横合いからタックルを受けたアズサは、床の上を転がりながらサオリを巴投げの要領で投げ飛ばす。それに対し、サオリは何の抵抗も無く投げ飛ばされた。その余りにも簡単な感触に、アズサは思わず身を硬直させる。
そして気付いた、サオリの手には弾倉が一つ握られていた。
咄嗟に自身の愛銃を見下ろせば、いつの間にか装填されていた弾倉が抜き取られていた。あの一瞬の接触で、サオリはアズサの銃器に触れ取り外したのだ。
床に打ち付けられる前に受け身を取り、転がったサオリは素早く体勢を立て直し射撃を行う。廊下に銃声が鳴り響き、アズサの髪をひと房、銃弾が掠めた。
「っ、く……!」
アズサは飛来するそれらを身を捩って避け、近場の教室に飛び込む。硝子が破られる音、飛び散った破片が甲高い音を鳴らし、アズサは予備の弾倉を素早くポーチから取り出そうとする。
しかし、それよりも早く――彼女の視界、反対側の廊下から銃口を構える人影が見えた。
暗闇に浮かび上がる、青白い光。
それはアツコの被ったマスク、その残光。
突き出した銃口が月光に照らされ、鈍い光を放っていた。
「っ、アツ――」
アズサがその名を口にするよりも早く、銃声が轟く。閃光が網膜を焼き、飛来した弾丸はアズサの顔面に着弾した。衝撃で体が仰け反り、被っていたガスマスクが破損、固定ベルトが弾け後方へと流れる。
視界が一瞬、白く弾けた。意識が途切れそうになるのをアズサは歯を食い縛って阻止する。脳を揺すられた、けれど決して致命的な一撃ではない。
足を踏ん張り堪える。意識を失いそうになると、まず足の感覚がなくなる。だからアズサは敢えて大きく足を踏み込む事で自身が倒れていない事を確かめた。両足の感覚はある、自分は今、立っている。
着弾したのは一発、残りはアズサの背後にある壁に穴を穿ち、粉塵が漂う。
そんな彼女の視界に、扉を突き破って突入してくるサオリの姿が映る。アズサは無意識の内に手にしていた弾倉を銃に装填し、引き金を引き絞る。訓練で何度も繰り返した動作は、思考を挟む余地なく彼女の肉体を突き動かした。
「く、ぁッ――!」
狙いを付けるだけの余裕はなかった。崩れた姿勢のまま、腰だめに銃を構えて乱射する。連続したマズルフラッシュが薄暗い部屋の中で点滅し、反響した銃声がアズサの鼓膜を叩く。しかし、適当に撒き散らす弾に当たってくれる程、スクワッドは優しい手合いではない。
サオリは地を這う様にして薙ぎ払われた弾丸を潜り抜け、アズサの元へと容易く肉薄した。
未だ完全に立ち直れていないアズサの状況を理解した彼女は、銃を短く持ち直すと下から掬い上げるようにストックでアズサの顎を強打。鈍い音と共にアズサの顔面が跳ね上がり、痛みと同時に強烈な衝撃が頭部を突き抜ける。
二歩、後退したアズサは顎先に強い熱を感じながら、手にしていた愛銃、その銃口がだらんと垂れるのを自覚した。
腕に、力が入らなかった。
頭部に受けた二度目の衝撃がトドメとなった。口の端から血を滲ませながら、その身体がゆっくりと倒れ込む。
「此処までだ、アズサ」
崩れ落ちる視界、遠のく意識、ゆっくりと力の抜ける膝。
徐々に狭まっていく視界の中で見えた、サオリの顔。此方に銃口を向け、勝利を確信した瞳。
彼女の告げた声が、何時までも耳にこびり付く。
――【アズサ】
薄暗く暗転していく視界の中に、補習授業部で学んだ一幕が映し出された。
机に座って、黒板に丁寧に文字を書く先生の姿。BDだけではない、前時代的だけれど温かみのある学び方。どれだけ間違っても、先生は根気強く自分達と向き合ってくれた。だから苦難の末に理解し、正解を引き当てると、先生はとても嬉しそうに笑ってくれる。
その先生の笑顔がアズサは大好きだった。
そんな先生は、もう居ない。
――【アズサ!】
コハル。
正義実現委員会のエリートで、次期委員長、副委員長を期待されるホープ。彼女とは互いに切磋琢磨し学び合い、様々な事を教わり、教えた。誰かと一緒に学ぶ事も、誰かに教えを授ける事も初めての経験だった。彼女の勇気にはいつも助けられた、どんな窮地でも彼女は決して希望を喪わない。その姿勢を、在り方自体を見る度に、アズサは勇気を分けて貰えた。
きっと自分が此処に立っていられるのは、彼女の小さな、けれど力強い歩みを知っているからだ。
――【アズサちゃん♡】
ハナコ。
トリニティの才媛と呼ばれた、素晴らしい才能を持つ友人。彼女には勉学に於いても、人生に於いても大切な事を教わった。誰かと一緒に意味も無く、他愛もない話に花を咲かせるという事も初めてだった。水着で集まって色々な事を話した事も、プールを一緒に掃除をした事も、食事を一緒に作って、食べて、夜にベッドの中でこっそりお喋りしたり、一緒に本を読んで、御菓子を食べた事も――全部全部、大切な思い出だ。
その一秒、一分、嘗て意味のない事と切り捨てた時間がどれ程大切で、どれ程輝かしい時間であったのかを噛み締めたのは、つい最近だった。
――【アズサちゃん】
そんな
出来るのならば、戻りたい。
皆と笑って過ごせていた時間に。
あの頃に。
輝かしい青春の刻に。
大切な補習授業部の仲間達、
暖かな陽だまりの中で生きる人たちで、そう在るべき生徒。私とは生きる世界の違う、けれどそんな自分に優しくしてくれた掛け替えのない思い出。
そんな、そんな素晴らしい人達を。
どうして、私は――。
――【待って下さい! アズサちゃんッ!】
最後の記憶。
涙を流しながら自分に手を伸ばす、ヒフミの表情。
アズサの瞼に、その光景がこびり付いて離れない。
「ッ、ぐ、が、ァあぁアアアアアッ!」
「――!?」
咆哮した。
それはアズサにとって、腹の底から絞り出した憎悪の叫びだった。
どうして
その理由は単純だ、単純で、だからこそ絶対に譲れない一線だった。
絶叫し、倒れかけていた体を持ち直した彼女は力強く踏み込み、体勢も何も考えない様な全力の突貫を敢行。踏み出した一歩が床に罅を刻み、二歩目でサオリの腹部を捉える。サオリは死に体だったアズサが一瞬にして息を吹き返した事実に驚愕し、一瞬体を硬直させた。
しかし、タックルを受けたと見るや否や即座に膝をアズサの腹部に打ち込み、同時に肘撃を首筋に一発。肉と骨の軋む音が響き、確かな手応えを感じさせる。
しかし、アズサの動きは止まらず。
想像以上のタフネスと怪力にサオリはそのまま後方へと押し込まれ、二人は勢い良く壁に突っ込む。老朽化していた内壁はアズサの渾身の突撃に耐え切れず、二人はそのまま壁を突き破り廊下へと転がり出た。
爆音と衝撃、壁、そして床と続けて叩きつけられたサオリは強烈な衝撃に目を細めながら、組み付いたまま離れないアズサを睨みつける。衝撃で手から銃が零れ落ち、床の上を滑って行くのが見えた。そしてそれはアズサも同じだ。素手のままサオリの肩を掴み、馬乗りとなった彼女は血走った目で彼女を睥睨する。
「こ、のっ……!?」
「サオリッ、お前、だけはァッ!」
朦々と立ち上る粉塵を顧みず、アズサは白に塗れた腕を振り上げる。
差し込む月光に照らされたアズサの表情。
ガスマスクを消失し、憎悪と悲壮に塗れた彼女の
「――お前だけはッ、絶対に殺すッ!」
叫び、全力で振り下ろされる拳。それはサオリの頬を芯から捉え、その顔面が弾かれた様に跳ねる。床に後頭部が叩きつけられ、鈍い音が鳴り響いた。サオリの口元を覆っていたマスクが衝撃で外れ、床の上を弾みながら転がっていく。
二発、三発、抵抗を許さぬまま必死の形相で馬乗りになったままサオリを殴りつけるアズサ。衝撃で脳を揺さぶられるサオリは、痛みに顔を顰めながらも思考は止めず。
「っ、この、程度でッ――!」
吐き捨て、サオリは繰り出された四発目に合わせ拳を突き出す。互いに顔面を狙った一撃、それはカウンターの要領でアズサの頬を捉え、彼女の顔が跳ね上がる。瞬間、サオリは腰を突き上げアズサの重心を僅かに押し上げた。そして渾身の力でアズサの腹部に拳を打ち込み、
逃げられると直感し、痛みに顔を顰めながらも咄嗟に手を伸ばしたアズサ。その指先をサオリは肘で払い、畳んだ状態から胸元目掛けて蹴撃を浴びせる。アズサは間に合わないと判断し、腕を畳んで防御の姿勢。サオリの蹴りはアズサの固めた
キヴォトスの生徒の脚力で以て放たれたそれは、アズサの矮躯を容易に宙へと押し出す。辛うじて直撃を防いだアズサは、ビリビリとひりつく様な衝撃の残る腕に顔を歪めながら、しかしサオリから目を片時も逸らさない。
素早く立ち上がり後退、身構えたサオリは月光に照らされ鈍い光を放つ愛銃を視界の端に捉える。アズサと愛銃を交互に見つめた彼女は、即座に判断し愛銃の元へと駆け出した。
そしてアズサもまた、それを見て直ぐ傍に落ちていた自身の銃へと飛びつき、安全装置、チャンバーのチェック、そして引き金に指を掛ける。
銃を構えたのは殆ど同時だった。窓から差し込む光に照らされた二人は濃い影を地面に残しながら、その酷似した瞳を交差させ叫ぶ。
「サオリ――ッ!」
「アズサ――ッ!」
絶叫が反響し、互いが引き金を絞る時間が酷く遅く感じられた。
――銃声が二つ、廊下に轟く。
閃光は互いの視界に瞬き、衝撃が互いの身体を突き抜けた。
「う、ぐ――がッ……!」
「………っ」
アズサの身体がくの字に折れ曲がり、サオリは胸元を抑えながら蹈鞴を踏む。
弾丸は互いに一発ずつ、サオリは胸元に着弾し、アズサは腹部に着弾した。
アズサは腹部を抑えながら膝を突き、その場に蹲る。口から垂れた血液交じりの唾液、それが床に零れ落ちる。手から力なく滑り落ちた銃が、サオリの足元へと滑り込むようにして転がった。
サオリはそんな彼女を見下ろしながら、大きく息を吸い込み足でアズサの愛銃を受け止める。そしてゆっくりと、銃口を再びアズサに向けた。
勝敗を分けたのは単純な理由。
――
「……これで終わりだ、アズサ」
「ぅ……ぐ――」
地面に蹲ったまま、サオリを見上げるアズサ。痛みに呻きながらも睨みつけるその視線は未だ衰えず。しかし、意志だけではどうにもならい現実が目前に横たわる。
彼女を見下ろすサオリは、青痣となった頬、そして口の端から滲む血を拭い、告げた。
「お前は良くやったよ、だが――全ては無意味だ」
次回