今回一万六千字ですの、長くてごめんあそばせ。
「先生は何処ですかッ!?」
「こ、此方です……!」
彼女――セリナは必死の形相で廊下を駆ける。前を往く行政官も似たような表情で足を進め、薄暗い地下室、安置所へと向かう。
最初、救護騎士団本部に彼女が駆け込んで来た時は何かの間違いだと思った。何せ、開口一番に先生が目を覚ました等と宣うのだから、当たり前の話である。
強いストレスや、一時的な錯乱状態、そう判断され病床へと連れて行かれそうになった彼女であるが、肩や腕を掴まれながらも必死に、「お願いですから一度だけ地下に来て下さいッ!」と何度も繰り返し主張した。
死人が蘇る――全くあり得ない訳ではない。死亡判定を受けた後、本当に稀な話ではあるが息を吹き返す事例は存在する。しかし、先生に限ってはその確率は余りにも低い。何せあらゆる生徒が代わる代わる容態を確認し、その真実を認めたくないとばかりに何度も脈を取り、心肺の状態を確かめ、瞳孔を照らしたのだから。
そんな懐疑的、かつ憐憫の視線を向ける生徒が殆どの中、セリナだけは彼女の瞳の中に強い何かを感じ取り、同行を申し出た。先生が死亡した事実を認められない哀れな生徒だと殆どの者は感じたのだろう。それを証明するかのように、他に同行を口にする者は居なかった。
――けれどもし、彼女の言葉が本当だったのなら。
そんな淡い希望を抱え、セリナは安置所へと飛び込む。扉は中途半端に開け放たれており、そこから微かな光が漏れ出ていた。肩で扉を押し開け、一瞬の間すら惜しいと部屋に踏み込む。
そして、そんな淡い希望に縋った彼女の視界に映ったのは――。
「――……セリナ?」
行政官に支えられ、佇む先生の姿。
安置所は中央の電灯以外消灯され、四隅は薄暗く陰鬱としていた。けれどその中央に立つ先生だけは、これ以上ない程にはっきりと照らされ見間違いようがない。
彼は台に横たわった格好のまま、ゆっくりとセリナに視線を向ける。そして数秒程、確かめるように視線でその輪郭をなぞると、いつも通り――柔らかな微笑みで以てセリナを迎え入れた。
「……おはよう」
「ッ――……!」
その声を聴いた瞬間、セリナは自分にも制御出来ない衝動に突き動かされ、先生の胸元へと飛び込んだ。先生と彼を支えていた行政官が声を上げ、数歩蹈鞴を踏む。けれど非難の声は聞こえて来なかった。
ふわりと鼻腔を擽る
きつく抱きしめたまま、セリナは逸る気持ちをそのままに胸元へと耳を当てる。すると、確かに鼓膜を叩く鼓動が聞こえて来た。その事にじわりと、セリナは目尻が濡れる事を自覚する。
「う、動いている、心臓も、ちゃんと……!」
上下する胸元。緩やかに膨らむ肺は、その生命の息吹を確かに感じさせる。顔を上げたセリナは涙目のまま先生に向けて叫んだ。視界にはどこか驚いた様な、それでいて戸惑ったような先生の顔が映っていた。
「こ、呼吸! していますよね!? 意識、ありますよねッ!?」
「う、うん、あるよ」
「―――」
どこまでも優し気に、柔らかに頷く先生。セリナは思わずその場に座り込みそうになって、先生の衣服に掴み辛うじてそれを免れる。力の込められた指先が小刻みに揺れ、先生の胸元、そのシャツがくしゃりと歪んだ。
「御自分の事は……」
「連邦捜査部、シャーレ所属の先生」
「最後に憶えている事は……!」
「セナの緊急車両十一号で搬送されていたのが、最後の記憶かな」
「よ――」
強く、先生の衣服を握り締め、セリナは肩を震わせ云った。ぶわりと、今まで堪えていた感情が決壊する。頬を伝う涙を感じながら、セリナは項垂れて顔を覆う。喉元から、自分のものとは思えない程酷い声が漏れ出た。
「良かった……っ!」
万感の想いを込めて、彼女は呟く。頬から顎先へ、零れ落ちたソレが先生のシャツに幾つもの染みを作った。その痛々しいまでの感情の発露に、先生は苦悶の表情を浮かべ云った。
「……ごめん、心配掛けたね」
「いいえ、いいえ……ッ!」
そんな言葉に、勢い良く首を横に振るセリナ。彼女は鼻を啜りながら、何度も言葉に詰まりつつ後悔の滲んだ声を上げる。
「わ、私の判断が、ま、まさか、先生がこんな風に、戻って来てくれるなんて、お、思わなくて……ッ!」
「……セリナの判断は、何も間違ってなんかいないよ」
穏やかに、けれど力強く先生は断言する。
叶うのならば、彼女を慰め元気付ける時間が欲しかった。しかし残念ながら、今の先生にはその余裕も、時間もない。胸元に差し込まれたシッテムの箱を見下ろし、彼は僅かに焦燥を滲ませ問いかける。
「っと、ごめんセリナ、こんな時に何だけれど、バッテリーとか持っていない?」
「え? あっ……ば、バッテリーですか? えっと……」
「そ、それでしたら、本部の方に確か常備されているものがあったかと――」
先生の唐突な問いかけに面食らうセリナ、しかし最大限要望に応えようと慌てて自身のバッグを漁る。しかし彼女が常備しているのは救急救命バッグである。包帯や絆創膏、消毒液の類はあってもバッテリーは入っていない。
代わりに、セリナを此処まで案内した行政官の一人が横合いから口を挟んだ。
「そっか、悪いけれど、一つか二つ、手配して貰っても良いかな?」
「わ、分かりました、直ぐにご用意しますので……!」
先生の言葉に頷き、ポケットに仕舞っていた端末を取り出して操作する生徒。それを横目にセリナは目元を袖で拭い、恐る恐る問いかける。
「あ、あの、先生……?」
「うん?」
「何をなさるおつもりですか……? 起き上がれたとは云っても先生の御身体はまだ、今は先に検査をしないと――!」
「……ごめんね、セリナ」
どこか訴えかける様な口調だった。懇願を滲ませながら縋る彼女を前に、先生は申し訳なさそうに眉を下げる。至極真っ当な意見だ、救護騎士団の者なら、そうでなくとも彼女と同じように進言するだろう。
しかし、今に限って云うのであれば、万が一肉体に不備が出ても――最悪、補完してしまえば何とでもなる。それこそ、脳と心臓さえ無事ならば、他はどうとでもなった。
「何よりも今は、この争いを止めなくちゃいけないから」
生徒達の為にも、今は一分一秒が惜しい。そんな意図を込めて呟けば、セリナは無言で先生の胸元に額を押し付けた。それが彼女なりの、無言の抗議である事を理解する。しかし、今だけはどうか許して欲しいと、先生はセリナの頭をそっと撫でつけた。
中身のない左袖が、そっと所在なさげに揺れ動く。
――全ては、この
■
トリニティ自治区――大聖堂。
シスターフッドの本拠点となる場所、その荘厳な雰囲気が漂う最奥の祭壇にて跪く生徒がひとり。ステンドグラスから差し込む月明かりに照らされ、両手を組み祈りを捧げる彼女は微動だにせず、一心不乱に祈り続けていた。
ふと、大聖堂の中に軋んだ音が鳴り響く。大聖堂の大扉、それを開く音だった。少し遅れて靴音が響く。シスターフッドの誰かか、それにしては妙に落ち着いた足音だと思った。
恐らく、トリニティ内部でまた騒動の類が起きたのだろう。そんな中で祈る事しか出来ない自身の不甲斐なさに、マリーは涙すら出そうになった。
「マリー」
「ッ……!」
聖堂の中に響く、低い声。
幻聴だと思った。
或いは、自身の精神的な弱さが生み出した夢か。びくりと震えた肩は、彼女の弱さの証明だった。強く握り締めた両手をそのままに、マリーは目を強く瞑り続ける。決してその誘惑に屈さない様に、自身の心の弱さを嘆くように。
「マリー……?」
足音は、どんどん大きくなる。自身の名を呼ぶ声もまた、距離に応じて妙な質感を伴い始めた。幻聴にしては嫌にリアルだった。それが何て事の無い、ありふれた日常の中で呼ばれた一声であれば笑顔と共に振り向く事も出来ただろう。
しかし、今はただ虚しいだけだ。
そして遂に音はマリーの直ぐ後ろまで近づき、確かな人の気配を感じさせる程に接近していた。薄らと目を開けば、自身に覆い被さる様にして伸びる影。あぁ、耳だけでなく目も夢幻に包まれたのか。そんな事を想いながらマリーは細く息を吐き出す、震える両手を強く握り締め、心の中で叫んだ。
悪魔よ、去れ――と。
「ぇ……」
しかし、自身の肩に置かれた手が、彼女の意識を一瞬で持って行った。確かな暖かさと、質量を感じさせる大きな手。それはマリーの記憶の中に鮮明に残る、先生の手だ。暖かくて、ごつごつしていて、所々傷があって。
まさかこれも幻なのかと、何と優しく、残酷で、現実的な夢なのだと思いながら――マリーは恐怖を抱きながら振り向いた。
「……先生?」
「……うん」
視界に飛び込んで来たのは――マリーが知る、先生その人。
安置所で目にした格好のまま、片側の塞がれた瞳と、靡く左袖をその前に佇む彼。自身を見下ろし、優し気に微笑む様は見間違う筈もない。マリーは二度、三度、口を開閉させ息を呑む。揺れ動くウィンプルが彼女の動揺を露にし、その指先がそっと自身の肩に置かれた手に伸びる。
「あ、あぁ、これは……これは、夢では――」
そう呟き、目を見開く彼女。これが夢であれば、幻であれば、彼女はどれ程の絶望を味わう事になるか。それを理解して尚、マリーは目に見える先生に手を伸ばしてしまった。そして、その指先が先生の手に触れる。
確かな暖かさと、感触を以て。
夢ではない、幻ではない。
何度も何度もその表面を摩り、マリーは先生の輪郭を確かめる。
そして漸くこれが現実の事であると、目の前の先生は実在する存在なのだと理解した彼女は、大きく口を開けながら涙を零し、その胸へと飛び込んだ。
「先生! 本当に、先生……っ!? まさか、このような事が……! あぁ、主よ、感謝いたします……! 感謝いたします……っ!」
「ごめんね、遅くなって」
冷たい月光がステンドグラスを通して降り注ぐ中、先生はマリーと柔らかな抱擁を交わす。がらんとした大聖堂の中、マリーの嗚咽だけが響くその場所は酷く幻想的でもあった。一体どれ程の心配を掛けてしまったのか、赤く腫れ上がった目元を見るにちょっとやそっと等という事はないだろう。
謝罪も、礼も、尽きる事はない。本来であれば十や二十の言葉を重ね、額を床に打ち付けて尚足りぬ誠意を見せたい所ではあるが――今はそれよりも、やるべき事がある。
先生は自身の胸元で啜り泣くマリーを抱き締めながら、努めて優しい口調で問いかけた。
「マリーこそ、怪我はしなかった?」
「は、はい、ぐすっ、わ、私はどこも……! トリニティの方々も、負傷した者も多いですが、死者は幸い誰もいなくて――!」
「そっか、本当に良かった」
マリーの言葉に、先生はそっと胸を撫でおろす。凡その状況をセリナから聞き及んでいたが、こうして複数人から同じ言葉を聞けると安心の度合いが違う。傷付いた生徒は多い、そして今も尚戦火は拡大を続けている。
けれどまだ、取り返しはつく。
「先生、しかし一体どの様な御業で……」
「ん、まぁ、何だ、その……」
胸元から顔を上げ、ぬれ濡った瞳で至極真っ当な疑問を投げかけて来るマリー。先生は数秒、迷った様に視線を彷徨わせながら――それからへらりと笑って、お道化た様に口を開いた。
「所謂、奇跡って奴かな?」
何の具体性もない、あやふやな云い草だった。しかし、他にどう表現したものか、良い言葉が思い浮かばなかった。そんな先生の言葉にマリーは呆気にとられた様に目を見開いて、けれど次いで、ふわりと花が咲いた様に笑って云った。
「……それならきっと、主は先生の行いを見ていて下さったのですね」
「そう云う事になる、のかな? そうだと良いのだけれど」
頬を掻き、はぐらかす様に呟く先生。何処か居心地が悪そうに肩を揺らした彼は、マリーを抱き締めたまま大聖堂を見渡した。
「所で、サクラコやヒナタの姿が見えないけれど――」
「サクラコ様は、その、調印式の爆発で今も重体で……シスターヒナタも、古聖堂周辺で保護されましたが、同じく」
「……となると、正義実現委員会の皆も?」
「はい、両名とも未だ意識が戻らずに居ると」
その言葉に、先生は微かに眉を顰める。思い返すのは途切れ途切れの記憶、調印式の会場である古聖堂から、トリニティまで続いた逃走の記憶だ。自分を逃がす為に死力を尽くしてくれた正義実現委員会の二人、どうしようも無かったとは云え重い罪悪を背負わせてしまったヒナタ。朧気だが、確かに駆けつけてくれたアビドス対策委員会の皆。
そして――。
「ヒナ――」
呟きは、ほんの小さな音だった。
責任感の強い彼女の事だ、あの様な事があった後では酷く思い詰めてしまうだろう。彼女にも会いに行く必要がある。それは戦力云々の話ではなく、人として、先生として、大人として為さねばならぬ事であった。
「マリー、シスターフッドで動かせる生徒はどれ位残っている?」
「あ、その……」
先生が強張った口調で問いかけると、マリーは途端に言葉を濁し、俯いた。
「今は、ハナコさんが――」
「ハナコ?」
予想だにしていなかった名前に、先生の目が見開かれる。マリーは俯きがちになりながら、先生の衣服を握り締め告げた。
「聞き及んでいるかは分かりませんが、ハナコさんはミカ様を解放し、トリニティの戦力を率いてアリウスを征伐すると仰って……シスターフッドにも、彼女に賛同して戦線に加わった者が多く、サクラコ様は万が一自身に何かあった場合、先生とハナコさんに指揮権を預けると
「……そっか、ハナコが」
先生の脳裏に、微笑みを浮かべるハナコの表情が浮かぶ。きっと今の彼女は、その笑みを浮かべてはいないだろう。
ハナコがミカを解放し、トリニティを率いている――それは先生にとって驚愕の内容であったが、同時に一定の納得も齎すものでもあった。
「そうだね、彼女なら……それも出来るか」
ハナコのトリニティに於ける立場は複雑だ。明確な後ろ盾を持たず、普段の言動から生徒間の評判も芳しくない。しかし、その能力は本物であり、トリニティ内部に限った秘密であればちょっとした歩く図書館並みの知識を有している。その伝手も多岐に渡り、極少数ではあるが行政室やシスターフッド、正義実現委員会や救護騎士団など顔の効く相手も存在した。
其処にティーパーティー、
「一応、トリニティに残ったシスターフッドに声を掛けて見ます、流石に本部を空にする訳にはいきませんが……先生の要請であれば、断る生徒は居ない筈です」
「ありがとう、助かるよ」
告げ、先生はマリーを一際強く抱きしめる。彼女も応えるように、先生の胸元に顔を埋めながら深く息を吸った。先生の存在を確かめるように、その温もりを喪わない様に。
シスターフッドには渡りを付けた。
救護騎士団は、負傷者の搬送と治療で手一杯な為動かす訳にはいかない。
総括本部には既に要請を送り、学内に残っていた
残るは正義実現委員会、そして――。
■
「ぅ――……」
痛みに、目を覚ました。
最初に見えたのは白い天井、歪んだそれは薄暗く、周囲からは喧騒が聞こえて来る。忙しなく歩き回る靴音、そして呻き声に悲鳴、まるで戦場に居る様な騒々しさにハスミの意識は急速に再起動を果たす。
「っ、こ、此処は――」
完全に目を見開いた時、ハスミは乾いた唇を歪ませ呟いた。周囲を見渡せば、立ち並ぶベッドに横たわる生徒達、その間を移動する救護騎士団の生徒が確認出来る。自身の手を抜き出し、天井へと伸ばせば包帯とガーゼが貼り付けられ、所々血が滲んでいた。その負傷の跡を眺めながらハスミは呆然と思い返す。
――そうだ、自分は確か、殿に残って……。
「し、シスター、ヒナタは……ツルギ、は」
記憶が一気に弾ける。彼女の最後の記憶は、残った正義実現委員会、及びシスターフッドの面々とユスティナ聖徒会を相手に粘り続け、殆ど全滅に等しい被害を被った事である。一時間か、二時間か、或いはもっと少ないのか、ひとり、またひとりと倒れる中で戦い抜いた絶望的な感情、それがまだ喉元に張り付いた様に離れない。
こうして救護騎士団の病床に在るという事は、救援部隊か何かが自身をトリニティ中央区まで搬送してくれたのだろう。ならば共に戦った正義実現委員会の皆は、シスターフッドの面々は。
――そして、先生はどうなった?
「ぅ、ぐッ……」
想い、ハスミは上体を起こそうとする。しかし、折り曲げた腹部から鈍痛が走り思わず呻く。戦闘の最中に受けたユスティナ聖徒会の一撃、それが未だに色濃く残っていたのだ。思わず脇腹を押さえつけるハスミ、しかしそれでも尚皆の安否が気掛かりだった。何とか病床から抜け出そうと、無理矢理身を引き起こした所で――。
「ハスミ、まだ無理はしないで」
暖かな掌が、ハスミの肩を優しく抑え込んだ。
「せ、先生……?」
「――おはよう、ハスミ」
自身を覗き込む影、それはベッドの直ぐ脇に立っていた。見れば用意されたパイプ椅子、そこで自身が起きるまで待って居たのだろうか。それとも偶然か、それは分からない。ただ茫然と先生の顔を見つめながら、ハスミはベッドへと逆戻りする。柔からな枕に頭を預けた彼女は、小さく息を吐き出す。
「安心して、ツルギもヒナタも、他の生徒も無事だよ」
「そう……ですか」
その言葉に、ハスミはぎこちなく頷く。先生の恰好は、自身が見た時よりも随分小綺麗になっていた。頭部と右目を覆う包帯には血が滲んでおらず、乱雑に巻き付けられたものではなくガーゼとテープで綺麗に固定された状態を保っている。左腕も、衣服を着込んだ状態では確認出来ないが、喉元からちらりと覗く包帯を見るに処置はなされているのだろう。
言動もはっきりとしていて、その穏やかな表情は緊急性がある様には思えない。ハスミはそこまで観察し、大きく胸を撫でおろした。
先生は――助かったのだ。
「良かった、御無事で……!」
「うん、ハスミ達のお陰でトリニティまで戻って来れた」
そう云って先生は破顔する。羽織ったシャーレの制服、その左袖が力なく垂れている事に思う所はある。しかし、今はまず、先生の命が助かった事を喜びたかった。シーツを握り締め、深い安堵に身を浸らせるハスミ。彼女を横目に、先生は直ぐ隣の病床にも目を向ける。
「ツルギも――」
「………ん」
そう云って先生がツルギの顔を覗き込むのと、その喉が唸る様に震えたのは同時だった。先程まで眠り姫の如く横たわっていたツルギ、しかし先生が覗き込むと瞼が震え、その目がカッと見開かれる。
「……んぎ」
「あ」
「――ぎぃえああああッ!?」
数秒間があった。しかし、朧げな視界であっても自身を覗き込んでいるのが先生だという事は理解出来た様で、彼女はベッドから飛び上がって絶叫する。何事かと周囲の生徒が目を向ける中、彼女は綺麗に床へと着地し焦燥を滲ませながら言葉を紡いだ。
その額には、大量の汗が滲んでいる。しかしそれは、決して苦しみや痛みから来るものではない。自身の寝顔を、先生に見られたという強烈な羞恥心から来るものだった。
「せ、せせせ先生!? ど、どうして此方に!?」
「あー、えっと、皆のお見舞いと、御礼を云いに来たのだけれど……」
そう云って、何とも云い難い表情で頬を掻く先生。その視線の先には、所々はだけたツルギの姿。ガーゼや包帯が巻き付けてあった彼女の肌だが、緩んだその向こう側には傷一つない肌が輝いている。隣で未だ横たわっているハスミとは酷く対照的だった。
「……傷、もう見えなくなったね?」
「は、はははい! 数時間寝れば大体何でも完治しますのでっ……!」
「それは……うん、凄いね」
自身の腕やら喉元やらに巻き付いた包帯を力任せに引き千切り、何度も頷いて見せるツルギを前に先生は言葉を失う。彼女のタフネスに関しては理解していたつもりだったが、やはり目にする度に驚愕してしまう。通常の生徒ならば、数日は寝たきりになる様な負傷だと聞いていたのだけれど。
流石正義実現委員会の委員長と云うべきか、何と云うべきか。周囲で固唾を呑んでいた救護騎士団の生徒も、彼女の回復力の高さに驚愕の表情を隠せずに居た。
そんな完全復活した友人の姿を見て、ハスミは溜息と共に上体を起こす。その動きは先程よりも幾分か滑らかだった。
「っ……流石ですね、ツルギ、私の方はまだ、万全とは云い難いです」
「! ハスミ」
声の方に目を向けたツルギは、そこで漸く自身の隣にハスミが寝入っていた事に気付いた。
軽く肩を擦るハスミは、頬や首元に張り付けられたガーゼを指先で確かめながら顔を顰める。ツルギと比較して如何にも重傷と云ったいで立ちの彼女だが、この場合それが普通なのだ。
そして傷だらけのハスミを見たツルギは、自身が何故このような場所に居るのかを思い出した。確か自身はアリウスの一角と対峙し、単独で戦闘を挑んだ。スクワッドの一員だった彼奴にかなり食い下がったが――どこで意識が途切れたのか、そもそも自分の足でトリニティまで帰還したのか、或いは誰かに運ばれて来たのか、それすら定かではない。しかし先生の負傷、その包帯に遮られた瞳と靡く左袖を見れば分かる。あれはまだ、現実として続いているのだ。思い返すと共に、ツルギの気配がやや強張ったものへと切り替わる。トリニティの戦いはまだ、終わってはいない。
「ハスミ、まだ寝ていても――」
「いいえ」
先生が気遣った様にそう口にするも、彼女は首を横に振る。
「先生がそんな状態で立っておられる中、どうして私が寝ていられましょう」
ハスミはそう云って、自身に喝を入れる為に軽く両の頬を張ってみせた。大人と子ども、しかしキヴォトスの生徒とただの人間の間には、隔絶した身体能力の差が存在する。負傷した状態でも気丈に振る舞う先生を前にして、自身だけが病床に横たわるなど、ハスミの矜持が許さなかった。そして先生が態々此処に出向いた理由にも――凡その見当がつく。
「私達の力が必要なのですね、先生?」
「………」
彼女の口調は、それを確信しているような云い方であった。先生はハスミを一瞥し、静かに息を吐き出す。そこには何か、云い表す事の出来ない感情が含まれている様に感じられた。
「そうだね、まだ傷も塞がっていない状態で、酷な事だとは分かっているのだけれど――二人の力を貸して欲しい」
そう云って静かにパイプ椅子へと腰を落とす先生。明らかに腰を据えて話す姿勢を見せる彼を前に、ツルギも数秒迷った後、自身のベッドに腰掛ける。
「と云っても、まずはトリニティの現状から話した方が良いだろうね、そうじゃないと返事も出来ないだろう」
「いえ、断るつもりは毛頭ありませんが……」
「それでもさ」
その言葉に先生は笑みを浮かべながらも肩を竦める。ハスミもツルギも、先生に請われるまでもなく協力する腹積もりだ。しかし、彼の口ぶりから何か他に含む所があるのかと、ハスミはそれ以上言葉を続ける事無く口を噤む。
「現在、トリニティはミカとハナコの二名が指揮している、旗振りはティーパーティーのミカが、実質的な行動の方針はハナコが、恐らくそういう役割で動いているのだと思う」
「! ハナコさんが――」
現在トリニティを動かしている人物。その名前に、ハスミとツルギは目を見開く。しかし、驚きはすれど意外ではなかった。普段は昼行燈というか、奇天烈な行動が悪目立ちする彼女であるがハナコならばトリニティ自体を動かす事は可能だという確信があったのである。常日頃の言動は兎も角、正義実現委員会は彼女の才覚を高く評価していた。能力だけで見るのであれば、彼女のそれはトリニティでも一、二を争う。
「し、しかし先生、確か現在のティーパーティーは……」
「ナギサの事かい?」
「は、はい」
横合いからツルギが思わず口を挟む。現在のティーパーティー、そのホストは現在もナギサのまま変更はない。彼女を押し退け、何故拘束中のミカが出て来たのか? その疑問は尤もだった。
「ナギサに関しては、私達と同じように調印式で爆発に巻き込まれてしまったからね、今も意識は戻っていないらしい」
「……そうなると、シスターフッドのサクラコさんも」
「あぁ、彼女もまだ目を覚ましていない」
拘束中のミカ、及び後ろ盾を持たないハナコがトリニティを動かすに至った理由。各派閥のトップ、その誰かが残っていたのならば、このような事態は起こらなかっただろう。彼女の蜂起はトリニティの各派閥、そのトップが不在となった状態だからこそ起こった事だった。
「トリニティを取りまとめる為に、一時的に拘束されていた彼女を解放しましたか」
「表向きは、そういう事になっている」
「表向き――ですか」
その、何処か含む様な云い方にハスミは眉を顰めた。
「……彼女達は、アリウスと全面戦争を起こすつもりだ」
全面戦争――それは酷く冷たい響きを伴って、彼女達の鼓膜を叩く。
調印式にあの様な攻撃を加えた時点で、戦争が始まっているという見方は確かにある。しかし、先生の云う所は異なる。
彼の云う全面戦争とはつまり――血を血で洗う、殺し合いだ。
膝に肘をつき、前傾姿勢となった先生は暗い面持ちをそのままに呟く。
「いや、つもり何て状態は疾うに過ぎたか――正確に云えば、殺し合いをするつもりなんだ、相手のヘイローを壊すまで終わらない、血に塗れた戦争……公会議の弾圧よりも惨たらしい結末になる未来を、彼女達は進もうとしている」
「……!」
その言葉に、ハスミは思わず息を呑んだ。
キヴォトスに於いて学園間に於ける紛争、争いというのは決して珍しくない。時には些細な事から大規模な抗争に発展し、「戦争」と呼ばれる程に大きな諍いに転じる事だってある。けれど、身体が一等丈夫な彼女達の中に於いて、【死】というのは何処か遠く、大きく厚い壁を隔てた向こう側にあるモノであった。
彼女達にとって戦いというのは、取っ組み合いの喧嘩、その延長線上に近い。だから戦争や銃撃戦が起こったとしても、そこに敵意や憎しみ、怒りが介在しても【殺意】はない。銃弾を撃ち込まれようと、「相手は死なない」という前提の元に成り立っている行為だからだ。
しかし、殺人は違う。
それは、明確に一線を越える行為だ。
「勿論――そんな事は私がさせない」
告げ、先生は拳を握り締める。その視線が真っ直ぐ、ハスミとツルギを見つめていた。
「
トリニティにも、ゲヘナにも――そしてアリウスにも。
どの様な事情があっても、どの様な理由があっても、そんな事が許される世界は認められない。だからこそ、先生は自身の伝手、権力、能力、全てを使って抗おうとしている。それが分かったからこそ、ハスミは強い力で自身の胸元を握り締めた。
皺になった制服に、汗が滲む。
「その為に、どうか力を貸して欲しい」
「……それは」
そっと、頭を下げる先生。
それを前に、力ない声が漏れた。
先生に協力する、その事自体に否やはない。
しかし、それはつまり。
「――先生はアリウスを許すと、そう云う事でしょうか?」
声は、ハスミが思っていた以上に低く、唸る様な響きを伴った。先生の下げられた視線が、ハスミに向けられる。それを直視する事無く、胸元に目線を落としたまま彼女は口を横一文字に結んでいた。それが逡巡か、或いは遠回しな拒絶なのかは分からない。しかし、彼女の胸内に暗澹たる感情が渦巻いている事は確かだった。
「……トリニティにアリウスと和解して欲しいと、そう云っている訳ではないんだ」
「えぇ、それは理解しています――現状のトリニティで、それは非常に難しい」
先生の言葉に、ハスミは目を伏せたまま頷く。調印式の襲撃、各派閥のトップの負傷、及び先生に対する暴挙。それら全てを飲み下し、相手の手を取れる程トリニティは寛容でもなければ寛大でもない。和解など夢のまた夢、ましてや現在進行形で戦火が拡大している中で、その様な理想論を語る事は論外の極みであった。
先生の空虚な袖が、ひらりと揺れる。
トリニティの全面戦争、その殺し合いを止める――その事自体にハスミが思う所はなかった。殺し合いを止めるという名目で動くのならば、喜んで力を貸そう。
しかし、殺し合いを止める事とアリウスそのものを許せるかどうかという話はまた、別の問題であった。
つまり問題点は、その後の話。
殺し合いを止めた後――その結末がどの様な道を辿るにしろ、アリウスを糾弾、迫害する声は決して止まないだろう。その事に関して、ハスミは積極的に介入しようとは思えなかった。その感情を理解したのだろう、先生は真剣な面持ちのまま静かに言葉を綴る。
「私個人の話をするのであれば、私はアリウスそのものに対して怒りや憎しみと云った感情は持ち合わせていない、仕返しをしたいとも、糾弾したいとも思っていないから……そういう意味では、許すと云う事になるのかもしれないけれど」
「その腕も、瞳も、アリウスによって奪われたものでしょう、その様な暴挙を為した相手に、何故先生は……」
そこまで口にして、ハスミはぐっと唇を嚙み締めた。俯いていた顔を上げた時、その視線の先に困った様に笑う先生が見えて――彼がどの様な言葉を返すのか、容易に想像出来てしまったのだ。
「――彼女達もまた、先生の生徒だと、そう仰るのですか?」
「……そういう側面も、勿論ある」
ハスミの言葉に、先生はゆっくりと、しかし確かな動作で頷いて見せた。
アリウスの皆も、また自身の生徒。故に手を差し伸べるべき存在であり、決して潜在的な敵対者などではない。生徒皆の味方――大人として、先生として、その様なスタンスを取っている事を彼女は知っている。
そして、それを単なるポーズとしてではなく、その心身を賭して実践する人物だという事も。
だからこそ、ハスミは堪らなくなるのだ。
他者の為に心を砕き、身を危険に晒してまで動く先生を見る度に、ハスミはどうしようもない悪感情に揺り動かされる。
恩に恩で報いるのは分かる、それはとても人道的な行いだ。
恩に仇で報いるのも、納得はせずとも感情の問題として理解は出来る。
しかし、仇に恩で報いるのは、ハスミにとって到底理解し難い行いであった。
それが善い行いである事は疑いようがない。人として尊敬出来る在り方だとも思う。
だが、それを横で見ているしか出来ない者達はどうする? その生じた悪感情を、どう処理すれば良い? どう飲み下せば良い? 大切な人が身を削り、心を砕き、伸ばした手を捥がれる姿をただ、呆然と見ている事しか出来ないのか? そんな光景を目にすれば、捥いだ相手に拳の一つや二つ、お見舞いしなければ気が済まないというもの。
いや、それだけで済めば良い方だ。一歩踏み込めばそれは、命を奪う道を往こうとするハナコやミカが正しいと思える程の激情を生み出してしまう。そして少なくない共感を覚えてしまう
「……分かりません、私は――!」
「――けれど、それだけじゃないんだよ、ハスミ」
俯き、言葉を連ねようとするハスミ。その声に被せる形で、先生は声を上げた。その口調は優し気で、どこまでも包む様な暖かさを孕んでいた。思わず顔を上げ、視線を向ける。空の様に透き通った瞳が、自身を真っ直ぐ見つめていた。
先生は想う。
罪を犯した者は、決して許されないのだろうか? と。
喪われたものは決して戻らない、そういう意味では確かに、許されぬ罪というものは存在するのだろう。それは目に見えるものでも、見えないものでも良い。喪われた命が完全な形で戻る事は無い様に、或いは人との関係が崩れてしまえば二度と元には戻らない様に。
唯一無二であるモノの消失は、償いと云う形で補填する事は叶わない。
生徒が己の肉体的な喪失に対し強い怒りを抱くように。先生もまた、第三者によって生徒が喪われるような結果となれば――同じように激昂するだろう事は想像に難くない。
しかし、許されざる罪があるのならば。
そうであるのならば。
過ちを犯した生徒は、一生その罪悪を背負って、苦しみと共に生きて行くしかないのだろうか?
――それは違う。
それだけは違うと、先生は断言する。
たとえ罪を犯したとしても。
たとえ許されざる行いを為したとしても。
子ども達が苦しむのは、決してその子の責任などではない。
罪悪を背負った者が、苦しんで当然と指差される世界など在ってはならない。
その罪悪は、世界の責任を負う者の抱えるものであって――決して子どもが抱えるものじゃない。
「責任は、
声は、二人の耳にハッキリとした形で届いた。その中に秘める覚悟も、意志も、鋼に勝る信念も。
代償は、己が支払う。
その結果が腕一本と瞳ひとつならば――
思う事はあるだろう、含むものもあるだろう、けれどそれが己の持つ信念だから。決して揺らがす事の出来ない、在り方の根幹を成す部分だから。こればかりは曲げる事が出来ない。先生は背筋を正すと、ハスミとツルギ、二人に向けて深々と頭を下げた。
強要する事は出来ない、するつもりもない。精々出来るのは頭を深く下げて、誠心誠意をお願いする事だけだ。それが途轍もなく卑怯な行いである事を、先生は知っていた。生徒の感情と心を擦り減らし実現する理想だと理解していた。
けれど、先生はそれを、その未来を捨てる事が出来ない。それは、数多の生徒の懇願を、願いを、伸ばされた手を、確かに自覚しながら歩み続けた道を否定する行為だからだ。
此処で諦めるのならば、多くの犠牲と悲しみに包まれた結末は、あの生徒達の声は、想いは、一体何の為に在ったのだ。自分は何の為に幾多もの罪悪を背負い、此処まで歩いてきたのだ。
遠い遠い、理想の未来。
生徒皆が笑い合える、なんて。
そんな稚拙で、絵空事の様で、余りにも綺麗なそれが。
幾多もの選択を経て此処に至る先生の見た――最初の
「どうかこの憎しみの連鎖を、断ち切らせて欲しい」
「………」
長い沈黙があった。
それは反駁の余地を探すと云うより、自身の感情と向き合う為の時間だった。先生の想いを真正面から受けたまま、ハスミは小さく項垂れる。そして大きく息を吸い込むと、あらゆる感情を吐き出すように深く吐息を絞り出した。
「はぁ……まぁ、そうですね、先生ならばそう仰ると薄々感じておりました」
「――ハスミ」
「……えぇ、分かっていますよ、ツルギ」
どこか咎める様な口調のツルギを前に、ハスミは仕方なさそうに眉を下げて云った。先生の言葉を最後まで黙って聞き届けたツルギ、その表情を見ずとも理解出来る。伊達に長い間、友人関係を結んでいる訳ではない。
――こうなった先生は、非常に頑固ですから。
言葉にする事無く、胸内でそう囁いた彼女は肩を竦めた。
「確かに思う所もあります、正直
そこで言葉を切ったハスミは、未だ頭を下げ続ける先生の膝にそっと手を添えた。
「それが、先生の夢なのでしょう?」
「―――」
ハスミの、酷く優し気な声が先生の鼓膜を叩いた。僅かに見開かれる瞳、たった一つだけとなって尚、輝きを喪わないソレは驚愕の色を以てハスミを見つめた。断るとでも思ったのだろうか? そんな僅かな茶目っ気を出しながら、ハスミは微笑みと共に告げる。
「
「ハスミ……!」
「キヒッ!」
それは、紛れもない彼女の本心だった。賛同する様に独特な喜声を上げたツルギは、事は決まったとばかりにベッドから立ち上がる。跳ねたベッドが軋んだ音を鳴らし、ツルギの長い黒髪がふわりと広がった。
「憂う必要はありません先生、私達は正義実現委員会――正義とは即ち愛と平和、そして我々の原則は至ってシンプルです、不義を許さぬ事……ですよね、ツルギ?」
「あぁ」
いつも通り、凛とした声色で告げるハスミに、上機嫌に相槌を打つツルギ。
不義を許さぬ――とは。
人として守るべき道を外れぬ事。
道に背いた行為を行わない事。
そして今、トリニティが為そうとしている
「元より何と云われようと返事は決まっています、我々正義実現委員会は先生の味方です、いつ如何なる時も、先生がその道を外れぬ限り」
そう云って、ハスミは綺麗に破顔して見せた。その表情に憂いはない。
尤も、先生が道を踏み外すなどと云う心配など皆無だろうが。これは一種の方便の様なものだった。
「――ありがとう」
再度深く、頭を下げる先生。拳を握り締めながら目を瞑る先生からは、深い感謝と敬意が伝わって来た。恥ずかし気に頬を上気させるハスミは、そっと視線を逸らす。今は何となく、先生を直視する事が出来なかった。
「お礼代わりと云っては何だけれど……これが終わったら、皆にパフェを奢ろう、シラユキの新作でも、何でもね」
「っ! それは――大変魅力的なご提案です」
「ぱ、パフェ? それは、つ、つまり、デデッ、デー……ぎぃえああアアッ!?」
「あっ、ちょ、暴れないで下さい! 他の患者さんが吃驚してしまいますッ! あと廊下は走らないでっ!?」
先生と一つのスプーンで、「あーん」をする光景を脳裏に思い浮かべたツルギは、凄まじい形相を浮かべ廊下へと駆け出す。絶叫がドップラー効果の如く反響し、廊下側から救護騎士団の生徒が怒る声が響いた。そんな友人の背を見届けたハスミは、内心でパフェのカロリーについて考えていたが、『自分への御褒美』という非常に便利な理論を持ち出しカロリーを無効化した。甘味は別腹とは、良く云うものだ。
「……さて、それじゃあ私はそろそろ行くよ」
「えぇ、どうかお気を付けて――指示を頂ければ直ぐにでも出立出来る準備を整えておきますね」
「うん、お願い」
ごめんね、無理をさせてしまって。
そんな言葉にハスミは緩く首を振る事で答えとした。パイプ椅子から立ち上がった先生は、ハスミの手を一度だけ握り締め、それから踵を返す。包帯で覆われた右目を指先で摩りながら、先生は病室を後にした。
道中、すれ違う生徒達に気遣われながら、先生は努めて気丈に振る舞う。時折泣き出したり、茫然自失してしまう生徒も度々現れた。その度に先生は生徒を慰め、元気付け、笑顔を見せる。既に先生が回復し、意識を取り戻した事はトリニティ中に知れ渡っていた。少なくとも派閥間に繋がりを持つ者ならば、その情報を耳にしている程度には。
一体どうやってと、疑問に思う生徒も居た。しかしその点については、先生が想定していたよりも遥かに軽い反応で済んだ。
先生の生存という事実は、多少の不都合や奇跡には目を瞑ってしまう程に、彼女達にとっては大きく喜ばしい事だったのだ。
「次は――」
廊下を歩きながら先生はシッテムの箱を操作する。行政官の生徒に都合して貰ったバッテリーに繋がれた画面は罅割れ、所々ノイズが走ってしまっているものの使用感に問題はない。タップし開くのは学園内部の地図、途端表示されるマーカーは画面を埋め尽くす程。先生は二度、三度、画面をタップし候補を絞る。
すると、マーカーはたった二ヶ所に表示され、そのエリアが強調表示されると共に空白へと文字が浮かび上がった。
――補習授業部、教室と。
正義実現委員会の二人、そしてヒナタ、サクラコ、ナギサ、トリニティのトップ層は軒並み先生が一回心停止して骸になった事を知りません。先生を守り切れたと思っている姿は大変可愛らしいですわね。
後は補習授業部と、アビドス組、そしてヒナかなぁ。その後はブルアカ宣言に向けて古聖堂へ突貫かもしれませんわ。
セナとか便利屋、万魔殿はどうしよう……全員描写すると
先生の肉体状況に関してはその内描写します、或いはエピローグとかになるかも。
流石に四十日という短期間ではありませんが、完全復活という訳ではありませんの。相応の代償は支払って貰いますわ。まぁ、ナラム・シンの玉座に突入するまで生きて貰えればそれで良いので、先生にとっては大したデメリットにはならないかもしれませんが。
因みに現在の先生はシッテムの箱のバッテリーが切れると問答無用で死亡します。