ほんとマジありがとうございますのっ!
今回も一万八千五百字ですわ!
「リーダー」
「……あぁ」
古聖堂――外周。
夜が明け、朝が来る。しかし天気が回復する事は無く、晴れていたのはほんの十数分程度の事だった。灰色の分厚い雲が空を覆い隠し、ぽつぽつと小雨が頬を濡らす。
拠点より徒歩で移動し、辿り着いた古聖堂地区。配置されたユスティナ聖徒会の合間を抜け、広場へと足を踏み入れたスクワッドの面々。爆発の影響で崩れ落ち、瓦礫塗れとなった周辺を見渡しながらふと、サオリの背後を歩いていたミサキは声を上げた。彼女の云わんとしている事を察したサオリは、抱えていた愛銃の
がらりと、瓦礫片の落ちる音がした。
積み重なった残骸の向こう側、その影を超えて立つ、ひとりの生徒。
彼女は崩れ落ちた瓦礫を踏み締め、その頂きからスクワッドを見下ろす。
「――アズサ」
「ふぅ、ふっ……」
傷だらけの皮膚、泥と砂利に塗れて尚、輝きを喪わない瞳。銃を抱えながら荒い息を繰り返す彼女を前に、サオリは何処か呆れたような表情と共に告げた。
「……居残っていた部隊を蹴散らして、追って来たか」
「サオリ……ッ!」
アズサの視線がスクワッドを正面から射貫く。彼女の対処は拠点に残った部隊が担当している筈だが――全滅したのか、或いは振り切って此処までやって来たのか、それは分からなかった。ただ、尋常な道中ではなかったのは確かだろう。さしものアズサであっても疲労は隠しきれておらず、その引き金に掛けられた指先は細かく痙攣していた。
サオリはガンケースを降ろし、留め具を弾くヒヨリと担いでいたセイントプレデターを構えようとするミサキを手で制する。二人の合間を抜け前に立った彼女は、瓦礫の上に立つアズサを見上げながら口を開いた。
「他者の光を奪い、自身の光だけは奪われない……そんな都合の良い事はあり得ない、そう理解はしている、だが――何故だアズサ」
サオリは銃を構える事も無く、ただ真っ直ぐアズサを見つめ問いかけた。心底理解出来ないとばかりに。
「お前は、何故そうも足掻く? そこに何の意味がある? 何を証明しようとしている?」
サオリはアズサを何度も、何度も撃退した。
その度に彼女の弱さを証明した。
世界の真理を突きつけた。
しかし何度打倒しようとも、彼女は立ち上がり、歯を食い縛り、決して諦める事無く――再びスクワッドの前に立ち塞がる。
何故そうまで足掻き続ける。
何故そうも立ち上がり続ける。
「全ては虚しいというのに――」
「――何度でも、云ってやる」
サオリのソレに、アズサは血の滲む声で告げた。
「たとえ、虚しくても……私は……」
そうだ、何度でも叫ぼう。
何度でも主張しよう。
サオリの云う通り、この世界は虚しいだけなのかもしれない。
全てに意味はなく、報われる事はなく、どれだけ足掻いても辛く、昏く、苦しいだけなのかもしれない。
けれど――それでも。
「私は、この
「………」
それは、何処までも交わらぬ意志。
交差する事のない
アズサの腕が銃を持ちあげ、その銃口がサオリを捉える。最早真っ直ぐ構える事も困難な状態で、らしくも無くその切っ先を揺らしながら。
アズサは叫んだ。
「サオリ、今度こそ……お前を殺すッ!」
「……お前には無理だよ、アズサ」
帽子のつばを掴み、それを深く沈ませるサオリは告げる。
「例えその意思が本物だとしても、お前には力が足りない、絶対的にな……」
ましてや、満身創痍の状態で何を云うか――彼女の万策尽きた現状を一番理解しているのはサオリだ。薄っぺらな背嚢、あの中には最早弾薬すら残っていないだろう。爆薬も、トラップの材料も然り、それで一体どうやって自分達を打倒するというのか?
不可能だ――その確信があった。
「それに私達を殺して、それでお前はどうする? 人殺しとして、誰に受け入れられる事も無く、学園を追われながら逃げ回る人生を送るのか? 一生、その命が尽きるまで――?」
「あぁ、それでも構いはしない……!」
サオリの目が、興味深そうに絞られる。この戦いの結末を、仮にこの場で彼女がスクワッド全員を排除出来たとしても、その未来は決して明るいものではない。スクワッドが倒れてしまえば、アリウスは苦境に立たされるだろう。しかし、残ったアリウスの生徒達は必ずアズサに復讐を果たさんと追跡を始める。
そして、アズサが籍を置くトリニティもまた――人殺しの在籍を果たして認めるかどうか。何よりアズサ自身が耐えられるかどうか。
聖園ミカがセイアを間接的にとは云え殺害してしまったと思い悩み、暴走してしまった様に。制度どうこうではない、何の罪悪もない無垢なる者の中で、人を殺したという絶対の罪悪を抱えたまま生きていく事が出来るのか? これは、そういう話なのだ。
殺人とは、後に修正の利かぬ絶対的な罪悪だ。その重さに、罪の昏さに、彼女は耐えられるのか? 彼女が耐えられたとしても、周りはどうか?
答えは単純だ――耐えられる筈がない。
だからアズサは云った――例え、居場所を喪っても構わない、と。
今後一生、補習授業部の皆と会う事は出来なくなるだろう。学籍情報は抹消され、アリウスの尖兵から逃げ惑う日々になる筈だ。庇護者はなく、安息の場所はなく、逃亡者として、一生苦しみながら生きていく事になる。
けれど。
「私が、人殺しになったとしても……ッ! もう二度と、陽の当たる場所に立てないとしてもッ!」
補習授業部の皆、その笑顔が脳裏に過った。
自分が犯した罪は、自分で雪ぐ。
この手を汚し、それで守れるものがあるのならば。
「それでも、まだ――大切なものがあるからッ!」
銃口を着きつけ、アズサは腹の底から叫ぶ。
薄汚れたままで、傷だらけの恰好で。
責任は――
「……リーダー」
「さ、サオリさん……」
「――あぁ」
事、此処に至って全ての問答は無意味だと悟った。
サオリに――アズサを、その意思を挫く事は出来ない。彼奴は何度でも立ち上がる、何度でも立ち塞がる。諦める事は無く、心が折れる事は無く、その四肢が繋がっている限り、命ある限り足掻き続けるのだろう。
――ヘイローを、破壊でもしない限りは。
「……残念だ」
「ッ――!」
サオリが、徐に銃口を向ける。ミサキとヒヨリも、彼女のそれに続いた。
アズサが――アリウスに、スクワッドに戻らぬと云うのであれば。
結末は一つだ。
サオリの鋭く絞られた眼光が、帽子の奥で鈍く光った。
「アズサ、今から――お前を殺す」
二人の視線がぶつかり合う。息が詰まる様な緊迫感、敵意を孕んだ空気が肌を焼く。その引き金に掛けた指に、力が籠る。ほんの些細な出来事、小さな音一つで爆発してしまうような状況。アズサの頬に、一筋の汗が流れた。
「っ!」
しかし、そんな彼女達の耳に銃声が轟いた。それはアリウスが放ったものでも、ましてやアズサが放ったものでもない。その弾丸はサオリの脇を掠め、一筋の赤い線を肌に残す。素早く身を翻したサオリは、アズサに注意を払いつつも弾丸の飛来した方向へと意識を向けた。
「攻撃……?」
「っ、リーダー、九時の方向ッ!」
ミサキが叫び、全員の視線がそちらに集まる。其処にはトリニティの制服を身に纏った生徒達が瓦礫を乗り越え、続々と集結している光景があった。自然とミサキ、ヒヨリ、サオリの三名は互いに身を寄せ合い、周囲に警戒の視線を飛ばす。
「増援、ですね……数は十、二十、いえ、それ以上――」
「これは――……」
「
古聖堂周辺にはユスティナ聖徒会による防衛網が存在する。それを破って内部まで侵攻して来た。少数ならば穴を突く事も出来るだろう、しかしこの数は――彼女達も遂に、本腰を入れて古聖堂攻略に乗り出したという事か。
サオリは小さく舌打ちを零し、トリニティの生徒――その先頭に立つ人影を睨みつける。
「――浦和、ハナコ」
「……此方側の網に掛かりましたか、本命はミカさんの方だったのですが――まぁ、次善で済んだのですから良しとしましょう」
現れたのは、純白の制服を身に纏いながらも、昏く、陰鬱な空気を纏う一人の生徒、ハナコ。
呟き、彼女は自身の頬を擦る。その無機質な瞳は、アリウスを塵を見る様な色で眺めていた。
ハナコの予想では、次のアリウスの一手は、『トリニティ中央区への侵攻』であった。
どうやら読み違えていたらしいと。或いは、この古聖堂に戻らなければならない、『何か』があったのか、それともスクワッドが常駐する程に古聖堂が重要なのか。
どちらにせよ、やる事に変わりはない。元よりハナコは自身の部隊でスクワッドと戦闘を行う可能性も考慮していた。古聖堂の防衛部隊に、少数精鋭で且つ機動力に優れるスクワッドを配置する可能性は低いと踏んでいたが――正に備えあれば憂いなしか。
思考し、ハナコは小さく息を吐き出す。
「ハナコ……!」
「………」
ちらりと、今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、自身の名を口ずさむアズサを一瞥した彼女は、その眉を微かに顰め、しかし何を云う訳でもなくスクワッドへと視線を移す。その右手がゆっくりと挙がり、凛とした声が周囲に響いた。
「――総員、攻撃準備」
「っ、待って、ハナコ……!」
ハナコの左右に立つトリニティ生徒達が一斉に銃を構える、スクワッドが身構え、それを見たアズサは思わず叫んだ。
「サオリは、私がッ……! だから――」
「………」
その懇願に近い声に、ハナコは僅かに目を細めるばかり。横目に見たアズサの状態は、酷いものだ。体調も、装備も、何もかもが不足している様に見える。彼女単独でアリウス・スクワッドの打倒は叶わない。ましてや、彼女ひとりで戦わせる選択肢など――ハナコの中には存在しない。
どの様な手段を講じても、どの様な策を弄しても、アリウスを壊滅させる。
ハナコにある一念は、ただそれのみ。
――その一念のみを以て、彼女は手を振り下ろそうとした。
「待って下さいッ!」
「ッ――!」
しかし、その手が振り下ろされるより早く、周囲に声が響く。
ハナコ達とは反対側、埋もれかけた石畳の床を駆け、現れる人影。それにアズサとスクワッド、そしてハナコは驚愕を露にする。
「……お前は」
「ヒフミ――!」
「ヒフミちゃん……?」
特徴的なバッグを背負い、愛銃を抱えながら現れた一人の生徒。彼女は肩を弾ませながらスクワッドの、アズサの、ハナコの前に立った。
「そうか、お前が例の……」
呟き、サオリの視線が鋭く光ると、そのグリップを持つ手に力が籠る。阿慈谷ヒフミ、アズサの報告に名前が挙がっていた人物。彼女の――自身の全てを擲って尚守りたいと願う、『お友達』だった。
「アズサ、ハナコッ!」
「……こ、コハルまで!」
ヒフミに続く形で、コハルもまた息を弾ませながら広場に飛び込んでくる。小さな体で瓦礫を乗り越え、皆を見下ろす姿。二人の顔を見たアズサの表情が、くしゃりと歪むのが分かった。それは、決して
「二人共、駄目だ……どうして、こんな所に――っ!?」
銃口を下げたアズサが酷く悲し気な声で告げる。覚束ない足取りで二人の元へと進むアズサは、擦り切れ、血の滲んだ手をヒフミに伸ばし、弱々しい口調で云った。
「此処は、ヒフミみたいな、普通の人が来る場所じゃ……」
「……確かに、私は普通で平凡です!」
アズサの言葉に、ヒフミは俯きつつ声を上げる。その声にはどこか、怒りの感情が含まれている様に思えた。
「アズサちゃんの、ガスマスクを被った姿が本当の自分なのだと、そう云いたい事は理解しました、本当なら私何か踏み込んではいけない世界に生きているのだと、そう云いたい事も――……」
「ヒフミ……」
「でもっ!」
叫び、顔を上げ、ヒフミは胸を張る。ほんの十数歩、駆ければ直ぐにでも手が届く場所に立つアズサに向けて、ヒフミは指を突きつけた。
その顔には、場違いな程の自信と明るさが灯っていた。
「アズサちゃんは一つ、大きな間違いをしていますッ!」
「ま、間違い……?」
「はいっ! 普通の、平凡な、何て事の無い一般生徒――それは私の、一つの側面に過ぎません、私だってアズサちゃんに見せていない、もう一つの自分を持っているんですッ!」
そう云うや否や、ペロロバッグを抱え直すヒフミ。弾んだ補習授業部の人形を横目に、彼女は中から何かを取り出す。それをアズサは、困惑と共に見守る事しか出来ない。
「も、もう一つの自分……?」
「はいッ! 普段は補習授業部の部長、そして一般生徒の私ではありますが……その本当の姿はッ――!」
まるで勿体付ける様に声を潜めたヒフミ。徐に手にしたものを被り、大きく息を吸う。そして顔を上げると、彼女は高らかに叫んだ。
「覆面水着団のリーダー、ファウストですッ!」
銃を抱え、ヒーローさながらのポーズを取るヒフミ――改めファウスト。
傍目には両目部分をくりぬいた紙袋を被った、即席の覆面を身に着けるトリニティ生徒にしか見えない。額部分に描かれた手書きの、『5』が何とも云えない寂しさを醸し出していた。
「……えっ」
「見て下さいよ、この恐ろしさッ! アズサちゃんと並んだって、全然見劣りしない不気味さを醸し出しているでしょう!? 寧ろこっちの方が恐ろしくて震えちゃうって云う人だっている筈です!」
「ひ、ヒフミ……?」
自身の紙袋を指差しながら、そんな事を叫び詰め寄るヒフミ。ほんの数歩先まで駆けて来た彼女から心なしか、仄かにたい焼きの香りが漂っていた。
それは――もしかしてギャグで云っているのだろうか。そんな感情を滲ませながら顔を引き攣らせるアズサ。後方に立つスクワッドも、何とも表現し難い表情を浮かべており、ミサキに至っては馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「えっと、ヒフミ……」
「だからッ!」
何かを口にしようとするアズサを遮り、ヒフミは叫ぶ。
「だから、私達は違う世界に居るなんて事はありませんっ! 同じですっ! 隣にだって居られます! 手だって繋げるし、一緒に机を並べて勉強も出来るし、ご飯だって一緒に食べられるんですッ! ですから――」
一歩、一歩、近付くヒフミはアズサの隣に、手を伸ばせば届く距離に、直ぐ傍に立つ。そしてボロボロのアズサの手を、泥と血に彩られたその手を、強く、確りと握り締めた。
「一緒に居られないなんて悲しい事、云わないで下さいッ!」
「………」
両の掌から伝わる、じんわりとした暖かさ。それを感じた時、アズサは不意に泣きそうになった。それは彼女が捨てたと、そう思っていた温もりだったから。冷たい雨に、冷たい泥、それを浴び、身を埋めた彼女からすれば、伝わる暖かさは唯一無二のものに感じられた。
それをもう一度、こうして感じられるだけで――アズサにとっては望外の喜びなのだ。
「何度拒絶されたって、何度突き放されたって、私は絶対に諦めませんッ! すぐ近くに行って見せます! 私は、アズサちゃんの隣に居ますッ! だって……!」
直ぐ目の前に在るヒフミの瞳が、何処までも真っ直ぐで穢れの無い光が――アズサを見つめる。
「私は補習授業部の部長で、アズサちゃんの友達なんですからッ!」
「――……」
声は、遥か遠くまで響いた。曇天を裂くように、力強く、延々と。
その言葉にアズサは唇を噛み締め、俯く。
嬉しかった、どうしようもなく嬉しかった。
けれど――それを受け取る資格が自分には無いと、アズサはそう強く思った。
「ありがとう、ヒフミ……私の為に、そんな嘘まで吐いてくれて」
「――誰が嘘だって?」
アズサの歓喜の滲んだ、けれど困ったような声。
それに応じたのは、目の前のヒフミではなかった。
ヒフミの背後から、アズサの背後から、音も無く現れる五人の影。
それに気付いた時、アズサは思わず目を見開いた。彼女達はアズサの前に立つと、ヒフミを挟むように素早く並ぶ。影に覆われた姿は軈て陽光に照らされ、その全貌を白日の下に晒した。
「やぁやぁ、リーダーのファウストから突然招集が掛かったから、吃驚しちゃったよぉ~」
「まぁ、でも丁度暴れる口実が欲しかった所、渡りに船」
「ふふっ、補給も出来ましたし思う存分やれそうですね☆」
「ふん、恰好なんてどうでも良いわ、全部蹴散らしてやるだけよ!」
「ドローン・スタンバイ……ヒフッ――いえ、リーダー・ファウスト、いつでも行けます!」
零番から五番まで並んだ数字、彼女達の姿に思わず息を呑む。皆が色違いの目出し帽を被り、ヒフミを囲う様にして並んでいた。いつの間にと呟きながら、アズサはそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。
灰色の目出し帽に、赤い眼鏡を掛けた零番。
桃色の目出し帽に、小柄な体躯に見合わぬ圧力を放つ一番。
青色の目出し帽に、水色のマフラーを巻き付けた二番。
緑色の目出し帽に、巨大なガトリング砲を抱えた三番。
赤色の目出し帽に、二本のツインテールを垂らした四番。
その独特な出で立ちと、しかし確かなプレッシャーを放つ存在に、皆は一様に言葉を失くしていた。
「あの覆面、まさか……!?」
「ッ……!」
ハナコが驚きの表情と共に呟き、サオリは警戒を露にする。
そんな彼女達を見下ろしながら、五人組――覆面水着団は
「目には目を、歯には歯を、無慈悲に、孤高に、我が道の如く魔境を往く――」
「ん、それが私達のモットー」
「あっ、因みに私達は普段アイドルとして活動していますが、夜になると悪人を倒す副業をしているグループなんです♧」
「いや別にそれ私達のモットーじゃないから!? 変な設定付けないで!?」
「と、兎も角、ファウストさんのご命令で、全員集合しました!」
清々しい声で宣言する覆面水着団こと――トリニティに扮したアビドス。
彼女達は余りにもノリノリな様子で口上を語り、その存在を周囲にアピールした。
「え、えっ……?」
「実在したんですね――覆面水着団」
アズサは困惑の余り右往左往し、ハナコは何処か感心した様な声で呟いた。アズサに関してはヒフミが自身の為に吐いた優しい嘘だと思っていたら、想った以上に
ハナコにとっては都市伝説めいたそれが、まさか事実であった事、そしてその一員にヒフミが入っていた事に対する驚きと感心であった。尚、背後のトリニティ生達は、唐突な展開について行けず、隣り合う生徒達で顔を見合わせ、ぼそぼそと言葉を交わしている。
そんな反応を返す皆に反し、スクワッドの面々は新たな戦力を品定めるように、視線で彼女達をなぞりながら呟く。
「ミサキ、あいつらは――」
「……詳細なデータはなし、トリニティの制服を着用しているけれど、中身はどうだろうね、データが一切ないって云うのはちょっと変」
「心なしか、声に聞き覚えがある様な……? そ、それにしても覆面水着団なんて、噂に過ぎないと思っていましたが――本当に居たんですねぇ」
ヒヨリがそうしみじみと呟けば、ミサキは厳しい視線で覆面水着団を睨みつけサオリに向け言葉を紡いだ。
「……リーダー、あいつらヘラヘラしているけれど注意した方が良い、少なくとも舐めてかかると痛い目に遭う」
「……分かっている」
その声に、サオリは静かに頷く事で応えた。覆面水着団――表面上はふざけた名前だが、その実力は決して侮って良いものではない。その噂の真偽は兎も角、こうして対峙してみると良く分かる。連中は、確かな修羅場を潜っている猛者だ、死線を潜った者特有の気配を彼女は感じ取っていた。
スクワッドを見下ろすアビドスこと覆面水着団は一歩を踏み出し、オラつくように顔を突き出して告げる。
「うちの人が色々とお世話になったねぇ~、いや、本当にさぁ――」
「ファウストさんは怒ると怖いんですよ? 何せカイザー・コーポレーションの幹部を倒しちゃう位凄いんですから☆」
「ん、ブラックマーケットの銀行だって襲える、朝飯前、五分で一億」
「この間なんて、砲撃でカイザーPMCを纏めて吹っ飛ばしてやったんだから!」
「そうですね、生きて動く災いと云っても過言ではないかもしれません……! 或いは、暗黒街を支配するボスの様な方と云い換えても――」
「うんうん、立ち塞がる全てを薙ぎ払い、粉砕し、支配する、それこそファウスト」
皆が一様にヒフミ――ファウストを褒め称える言葉を発し、拳を突き上げ彼女の名を叫ぶ。
『ファウスト! ファウスト! ファウスト!』
「………」
その中心に立つファウストは両腕を組み、直立不動でその歓声を浴びていた。
そうして声が古聖堂周辺に響き渡る中――彼女は静かに紙袋に手を掛け、無言で脱ぎ去る。
現れたヒフミの頬は、羞恥で真っ赤に染まっていた。
「――あぅ」
「あっ、ちょっとリーダー、何やってんのよ!? 折角ノッてあげたのに!」
「ありゃ、恥ずかしかったかな?」
「わ、私は別にもう正体をバラしてしまったので良いんです! 皆さんはそのままで居て下さい!」
ヒフミは叫び、アビドス――もとい覆面水着団に向かって叫ぶ。ヒフミは既に自分から正体をバラしてしまったが、彼女達は幸か不幸か悟られていない。ならば自分が覆面を被っている必要はないとの主張だった。
そんなゴタゴタを眺めているハナコに駆け寄る生徒の影が一つ。彼女はハナコの耳元に口を寄せると、何事かを囁いた。
「―――」
「!……そうですか」
齎された報告に、ハナコは静かに目を細めた。
同時にミサキのポケットが震え、彼女は端末を取り出す。その画面に表示された文字列に、ミサキは表情を顰めた。
「……リーダー、悪い報告が一つ、ユスティナ聖徒会の防衛網が崩れて、逆に包囲されつつある」
「……何?」
「多分、浦和ハナコが動いた、正義実現委員会や風紀委員会のトップが復帰したって報告が、たった今――」
■
古聖堂地区――境界線。
「負傷者多数、第四班は一時撤退します……!」
「商店街方面より敵が多数押し寄せていますッ! このままでは――」
正義実現委員会、救援部隊。古聖堂周辺の負傷者、及び行方不明者の捜索と救助を担当していた彼女達は、ユスティナ聖徒会による強襲を受け壊滅の危機に瀕していた。ティーパーティーのミカ、及びハナコの主張に賛同する事無く、負傷者の救助と保護を第一に動いていた彼女達は、決して多くはない人員を遣り繰りしつつ何とか此処まで辿り着いたが――やはり古聖堂周辺の防備は厚く、敵に捕捉されてからは防戦一方。
回収した行方不明者、負傷者を後方に下げつつ少しずつ戦線を下げてはいるものの、倒しても倒しても復活するユスティナ聖徒会を前にはジリ貧であった。
「くッ、こいつら、どれだけ数が――……!」
臨時の指揮権を持つ正義実現委員会の部隊長、その一人が思わずそんな言葉を漏らす。元よりそれなりの抵抗と攻撃は予想していた。しかし、余りにも数が多すぎる。この幽霊の様な連中は不死身なのか? そんな事を考えてしまう。
すわ、このまま全滅するしかないのか――そんな悲観的な未来を実感し始めた彼女達の傍に、凄まじい勢いで何かが『着弾』した。
「うわッ!? な、何だ!?」
「ほ、砲撃!?」
唐突なそれに正義実現委員会の面々は浮足立ち、朦々と立ち上る砂塵に銃口を向ける。しかし、それを引き裂いて現れた影に――彼女達の表情は一変した。
「ギャハハハハハアアッ!
特徴的な二丁散弾銃を掲げ、哄笑する黒い影。鼻に突く強い血の匂いは彼女達にとってはなじみ深いもので、それは絶望を打ち砕く力の象徴であった。傍に居た生徒の一人が、驚愕と共に歓喜を滲ませ叫ぶ。
「い、委員長!? ま、まだ救護騎士団の病棟で治療中の筈では……!?」
「既に完治したァ」
「さっ――流石ですッ!」
ケタケタと笑う彼女――ツルギの肌には既に傷痕一つ残っていない。そのブレず、曲がらず、折れぬ最強の在り方に、彼女達は最高の信頼と安心を抱く。そんな彼女の背後から、コツコツと甲高いヒール音が響いた。
「ふぅ、私の方はまだ万全ではありませんが……約束しましたからね」
「副委員長も……!」
大きな黒い翼を広げ、現れた人影。その人物を目にした正義実現委員会の皆は更に希望を表情に宿した。正義実現委員会――トップの二人、その出現は彼女達の士気を大いに盛り返し、勝てるという確信を抱かせる。
ハスミは愛銃を脇に挟みながら、指先で敵の位置を徐になぞった。目測からの距離と風速、そして現在のコンディションから弾き出す射程距離。
視界内の敵は全て――射程範囲内だった。
「総員再集結、指揮権を預かります――作戦は既に、先生から預かっていますので」
「えっ、せ、先生から……ですかッ!?」
「えぇ――先生は奇跡的に、息を吹き返しました」
その声が皆に届いた瞬間、「わっ」と生徒達の声が響いた。皆の表情に現れるのは歓喜と安堵――そして希望。座り込みそうになって、慌てて持ち直した生徒も居た程だ。その様子を微笑みと共に眺めながら、ハスミは愛銃を担ぎ直す。
「この戦い、勝って終わらせましょう」
「は、はいッ!」
今まで堪えて来た隊長の肩を叩き、ツルギに目を向ける。首を大きく回しながら気怠げに佇む彼女からは――迸る戦意を感じられた。先生に頼りにされている、そして良くも悪くも
「ツルギ、行けますか?」
「……キヒッ!」
「えぇ――では、存分に暴れて下さい」
コッキングレバーを引き、弾丸を装填する硬質的な音が響く。ハスミは片膝をその場に突きながら、いつも通り、何て事の無い口調で告げた。
「その背中を守るのが、私の役目です」
■
古聖堂地区――古聖堂周辺、外郭。
「アコ行政官! 負傷者多数、戦線の維持が――ッ!」
「くっ……」
目前に広がる戦闘に、アコは思わず歯噛みする。ゲヘナ風紀委員会、トリニティ本隊が古聖堂制圧に動く為の橋頭堡、その役割を担った彼女達は迫りくるユスティナ聖徒会を次々と撃破しながら古聖堂へと戦力が集中する事を防いでいた。
作戦を練り、人員を手配し、ゲヘナ自治区からも増援を受けた上で臨んだ作戦。しかし、戦況は芳しくない。
ここぞと云う所の、肝心な粘り強さ――或いは士気と云うべきか。それが下火となり、そのまま燻っている様な状況だった。それは士気が低いという訳ではない、ただその方向が常とは違っていた。
「この戦力では厳しかったとでも……? いえ、しかし――」
呟き、アコは手にしたタブレットを叩く。各戦線に配置されたゲヘナ風紀委員会を指揮する彼女は、自身が決して間違いを犯していない事を理解している。現状取れる手段で最も効率的、かつ合理的な判断を下していると云って良い。元より厳しい戦いになる事は分かっていた、相手の戦力は強大で、その総数は不明。故に彼女達に求められるのはトリニティ本隊がスクワッドを撃破するまでの足止め。
しかし、部隊の損耗が予想よりもずっと早い。
その理由は、きっと。
「先生……ヒナ委員長――」
声は掠かに震え、虚空に消えた。
彼女の抜けた穴が、余りにも大きすぎる。ゲヘナ風紀委員会の戦力、その半数を単独で占めているというのは誇張でも何でもない。大規模な戦闘であれば、前線の生徒は彼女が来るまで耐えれば良いと根気強く粘って戦う。しかし、今は逆だ――先生の仇を討たなければと、怒りと憎しみに支配された肉体が、自身の負傷を度外視した攻撃的な姿勢を引き寄せている。
この戦闘は防衛主体である、決して玉砕覚悟の突貫など望まれてはいない。しかし、理性と感情は別であった。仲間の負傷、自身の負傷、戦闘のストレス、それらが折り重なった時、酷い怒りと憎しみによって彼女達は奮い立ち、敵に喰らい付いて行く。
敵を倒す事は出来るだろう、しかし後には続かない――撃破報告に比例し、負傷者が増えているのはそれが理由だ。
また一人、また一人とアコの横を負傷者が引き摺られていく。各戦線の負傷者数は加速度的に増えていってしまう。
「っ、敵増援、再び……!」
「このままでは、と、突破されますッ――!」
「………!」
遠目に見える、新たな敵影。虚空から生まれ出るユスティナ聖徒会を前に、アコは強く歯を噛み締める。まだ、予定作戦時間の半分程度しか経過していない。こんな状況で突破を許せば、トリニティ本隊の後方から奇襲を許す羽目になる。
それは看過出来ない、そんな醜態はゲヘナ風紀委員会として、ヒナ委員長の顔に泥を塗る行為だった。
普段滅多に扱う事のない
アコは迫りくるユスティナ聖徒会を睨みつけながら想う。こうなれば、僅かずつ後退を行いながら態勢を立て直すしかない。云う程簡単な事では決してないが、撤退する事は許されないのだから、他に方法は無かった。
――自身が戦線に加わってでも、戦線は絶対に死守する。
「命令ですッ! 退却は許可出来ません、例え最後の一人になろうとも、絶対に――ッ!」
「――アコ、少し頭を下げて」
アコが声を張り上げると同時、直ぐ背後から声が聞こえた。それは彼女にとって、無条件に従ってしまう声で――咄嗟に頭を下げた瞬間、その頭上を薙ぎ払う様に弾丸の雨が撃ち出された。
鼓膜を叩く轟音、肌を揺らす振動、それはアコにとって酷く聞き慣れた音と振動で、思わず屈んだまま目を見開く。
「こ、この銃声は――ッ!」
銃声は、数秒程鳴り響き続けた。そしてその音が止んだ時、風紀委員会の前に存在していたユスティナ聖徒会はひとり残らず粉砕され、微かな残滓が漂うのみ。破砕された公道、折れ曲がった街灯、穴だらけの自動車、それらを呆然と見つめながら、アコはゆっくりと振り返る。
「……お待たせ、アコ、皆」
「ひ、ヒナ委員長ッ!」
彼女の視界には、いつも通りの仏頂面を浮かべるヒナの姿があった。
彼女は身の丈もある愛銃を軽々と担ぎながら、朦々と立ち上る砂塵を裂き歩みを進める。はためく外套が音を立て、白く靡く髪が戦場を彩った。
「皆、無事でよかった、遅くなってごめん」
「い、いえ、その様な……!」
「既に先生が古聖堂に向かっている、私達はその露払い――作戦はあるから、私に従って」
「は、はいッ! 勿論ですっ! 指揮権をお返しします! ……って」
アコは、緩みそうになる頬を引き締めるので必死だった。故に、反応が一瞬遅れる。今、ヒナ委員長は何と云った? その脳内処理に更に時間を取られ、ぎこちない動作で顔を上げたアコは問いかける。
「せ、先生がっ!? ひ、ヒナ委員長、それは――」
「……詳しい話はあと、兎に角、先生は生きている、奇跡か何かは知らないけれど、息を吹き返してくれた――だから」
そう云って、ヒナは大きく息を吸った。目前に広がる戦場、その奥から再びユスティナ聖徒会が出現する。アコを一瞥すると、その表情は何かを噛み殺す様に歪な形をしていた。
嬉しいのならば、素直に喜べば良いのに、そう思った彼女だが決して口に出す事はしない。愛銃のストックを地面に叩きつけ、両手に嵌めた黒い手袋を引き締める。
仕事の前のルーティン――気負う必要はない、通常通りに戦えば勝てる。
ヒナはそう信じて、周囲に向けて声を張る。
「――手早く済ませて帰ろう、まだ未決裁の書類が執務室に残っているから」
「……はいっ!」
ヒナの言葉に、アコと風紀委員会の面々は破顔し声を上げた。周囲に集っていた生徒達が、目に見えて息を吹き返す。その様子を確かめながら、ヒナは愛銃を構え直し戦場へと踏み出す。
「さぁ、始めようか」
■
端末に表示される、各地に散った分隊からの戦闘報告。前線の大部分はETOが支えているが、アリウスの生徒が全く存在しない訳ではない。アリウス分校の生徒達は後方支援と情報提供を主な活動とし、古聖堂周辺で各学園の戦力が再集結、攻勢を強めた事を告げていた。それを眺めていたサオリは、僅かに表情を歪ませ呟く。
「――想定より早いな、もう暫くは掛かると踏んでいたが」
「これはちょっと、厳しいんじゃない? リーダー」
両学園の首脳部襲撃、それによる指揮系統の混乱、そしてシャーレの先生死亡による動揺。それらを加味し、もう数時間――上手く行けば半日近い時間は稼げると踏んでいたが、連中は戦力を再編成しぶつけて来た。その事に確かな驚きがある、ミサキも端末を確認しながらそんな言葉を吐いた。
だが――。
「……知った事か、無限に復活するユスティナ聖徒会の前では等しく無意味――いや、寧ろ好都合か、アズサだけではなく、この場の全員に思い知らせてやる」
どれだけの戦力を搔き集めようと、全ては等しく無意味。ユスティナ聖徒会という最強の盾、そして矛、その指揮権そのものであるETOが在る限り、アリウスに敗北は存在しない。少なくとも、サオリはそう信じている。幾ら数が増えようと、その悉くを跳ね退け、潰し、証明するだけだと。
「この世界の真実を――殺意と憎悪に満ちたこの世界で、あらゆる努力は無意味なのだと」
――足掻こうと何の意味もない、全ては無駄、虚しいだけだ。
「………」
サオリは静かに手を挙げる。瞬間、スクワッドの面々を囲う様にユスティナ聖徒会が出現した。影の如く、虚空からぬるりと、その光景に対峙するアズサ、そしてヒフミとアビドスは強張った表情で身構えた。ハナコ達、トリニティ側の戦力も即座に銃口を向け臨戦態勢に入る。しかし、今にも飛び出そうとするアズサを制する影があった。
ヒフミだ。
彼女は一歩踏み出そうとするアズサをその場に押し留め、鋭い視線を向けた。
「ヒフミ……!」
「アズサちゃん、私は今凄く怒っています……すっごくッ、です!」
「………」
その、普段彼女が見せる事がない明確な怒り。瞳の奥に覗くそれを前に、アズサは悲し気に目を伏せる。それが自分に向けられたものだと思ったのだろう。しかしヒフミは彼女の肩を掴み、力強く断じて見せた。
「けれどそれは、アズサちゃんのせいではありません、私が本当に、心の底から怒っているのは――あの方々に対してです……っ!」
そう云って指差される先に居るのは――アリウス・スクワッドの面々。
唐突に指差され、糾弾された彼女達はしかし、何のアクションも起こす事はしない。唯一、サオリだけがこれ見よがしに鼻を鳴らし、嘲る様に言葉を吐き捨てた。
「はっ……ならば、ぶつけて来ると良い、お前のその怒りや憎しみを……殺意をな」
「ッ……!」
その言葉に、ヒフミは自身の何かが吹っ切れるのを感じた。アズサを押し留めたまま二度、三度、足を踏み鳴らしたヒフミは徐に駆け出す。咄嗟に伸ばされたアズサの手は空を切り、ヒフミは瓦礫の山――その頂上に飛び乗った。
そしてアズサを、
「さっきから、何ですか……! 殺意ですとか、憎しみですとか、それが世界の真実ですとか――! 一体何なんですか、それを強要して、全ては虚しいとあなたは云い続けていますが……ッ!」
ぐっと、息を呑む。両手を強く握り締め、肩に掛けた愛銃をそのままに彼女は大きく足を踏み鳴らすと、肩を怒らせ曇天に向かって吼えた。
「私はそもそも、そんな憂鬱なお話なんてっ、大っ嫌いなんですよッ!」
「――!」
彼女らしからぬ絶叫が、空に響く。
ふと、頭上を覆う雲が微かに割れる。隙間から差し込んだ陽光がヒフミの姿を照らした。
差し込んだ微かな陽光に照らされながら、鼻息を荒くしたヒフミは主張する、叫ぶ。
それを、ハナコは、アズサは、何処か呆気にとられた様な表情で眺めていた。こんなヒフミを、彼女達は今まで見た事が無かったから。それはヒフミが今までずっと内に秘めていた感情、本音、その発露だった。
サオリが眉を顰め、呟く。
「……大嫌い?」
「えぇ、そうです! 私は、誰かが人殺しになるのは嫌です! アズサちゃんも、ハナコちゃんもっ! やられたからやり返して、ずっと争い続けて……! そんな誰も幸せになれない、暗くて憂鬱なお話、私は大嫌いなんですッ!」
「ひ、ヒフミ……?」
猛烈に首を横に振って、そう否定を口にするヒフミ。その様子にアズサは目を見開き、驚きと困惑を隠せない。しかし、そんな彼女の声に応える事無く、ヒフミはアリウスを睨みつけたまま言葉を叩きつける。
「それが真実だって――この世界の本質だって云われても、私は好きじゃないんですよッ! 好きじゃない事を延々押し付けられたって、私はっ、ちっとも楽しく何てありませんし、幸せな気持ちになんてなれませんッ!」
「……何を、今更」
呟き、ミサキは嘲るように嗤う。
世界の真実は、その苦しみは、痛みは、好悪で語られるものではない。
好きじゃない、嫌い――だからどうした? 嫌いだから、好きじゃないから、そんな理由で跳ね退けられるものでは決してない。
世界はそれほど、優しくない。
しかし、そんな倦怠感すら滲ませるアリウスを前にして、ヒフミは欠片も退く姿勢を見せなかった。胸を張り、両の足で立ち、あらゆる全てを真っ直ぐ見据えて――彼女は右手を、空へと掲げる。
恥じる事など、臆する事など何もないと、そう云いたげに。
何処までも、力強く。
「――私にはッ! 好きなものがありますッ!」
突き出された掌、その一本の指が天を指した。
薄暗い曇天に支配されていた空が、徐々に――徐々に明るさを取り戻し始める。
彼女の指が曇天を穿つ様に、ピンと張り詰めた証が道を切り開くように。罅割れた雲の向こう側から、ぽつり、ぽつりと陽光が差し込む。
薄暗い世界に光が灯る。
――陽が、昇り始めた。
「平凡で、大した個性もない私ですが、自分の好きなものについては絶対に譲れません!」
強い光を灯す瞳と共に告げられるもの。
ヒフミにとって、好きなモノ。
大好きなモノ。
平凡だと、何の個性もないと、自分に対して優れたものなど一つもない思っている彼女ではあるが――それでも、どうしても譲れないものがある。
それはモモフレンズに関してだろうか? 勿論、それもある。
その造形が好きだ、キャラクターの設定が好きだ、何とも云えない雰囲気が好きだ。
けれど、何よりも――
「友情で苦難を乗り越えて、努力がきちんと報われて、辛い事は慰めて、友達と励ましあって――どんな困難も、苦痛だって乗り越えて! 最後は、誰もが笑顔になれる様な……っ!」
そんな。
「――そんなハッピーエンドが、私は大好きなんですッ!」
顔を上げ、天を仰ぎ、彼女は吼える。心の底から。
その叫びが、心からの訴えが、空に響き渡り肌を刺す。ヒフミの瞳が、アリウスの三人の視界に映った。
どこまでも澄んだ瞳だった。何かを心底信じている瞳だった。サオリには理解出来ない、陽の当たる場所に居る生徒の持つ瞳だった。
ぎちりと、サオリの持つ愛銃、そのグリップが軋む。
それこそが、その光こそが――サオリが求め、けれど決して手に入る事のない、幸福の象徴であったのだ。
「……
「まやかしだろうと、何だろうと! 誰に何と云われても、何度否定されたって、私は叫び続けて見せます!」
「お前たちには、それを実現する力すらないだろう――! 現実を知れば、真実を理解すれば、そんな理想は、夢は、露と消える……ッ!」
「いいえッ! どんな凄い人だろうと、どんな困難だろうとッ! 私達の夢を、希望を、摘み取る事は出来ません!」
サオリの唸る様な声に、ヒフミは高らかに答えて見せる。
重要なのは――想う事。
信じ、希望を抱き、決して諦めない事。
アズサが云う様に、
けれど――そんな結末は、好きじゃないから。
この物語は、私達の物語だから。
「――だからッ! 私達の描くお話は、私達自身で決めるんですッ!」
天を見上げ、謳う。突き出した拳の先に、確かな希望への道を見出して。
ヒフミは想う。
心から想う。
世界の真実なんてものは知らない。
誰かに強要される不幸な結末なんて要らない。
そんな事は求めていないし、描こうとも思わない。
私が、私達が求めているのは――ただ一つ。
「自分の見たい夢を、掴みたい理想を、描きたい明日をッ! 私はそのお話が好きなんだって、これが私の夢だって、胸を張って叫ぶんですッ! 何度無理だと云われても、
「ッ、待っているのは苦痛と絶望だけだ、理想を語り、夢を語り、一体何の意味がある!? 現実を見ろッ! 血と硝煙に塗れ、誰もが傷付き、苦しみ、虚しさだけが残るのがこの
「――そんなの関係ありませんッ!」
「っ……!」
サオリの憎悪が込められた叫びに、歯を食い縛って、ヒフミは反駁した。
そう、自身の求める結末が、描きたい物語が世界の真実なんてものでなくとも関係ない。
そんな事は、関係ないのだ。
理想に、夢に、自分の描く未来に――世界の真実なんてものが介入する余地はない。
ヒフミが、力強く足を踏み鳴らした。足元の瓦礫が崩れ、破片が地面を跳ねる。
頂きの先、厚い雲の向こう側、その先に広がる遥かなる蒼穹を見据えて――彼女は手を伸ばす。
何度でも、何度でも。
たとえそれが、どれ程遠く、艱難辛苦を経る道のりであっても。
ヒフミは挫けない――諦めない。
その
どんな時でも諦めない心を、彼女はアズサから教わった。
一歩を踏み出す勇気を、彼女はコハルから分けて貰った。
困難に打ち勝つ知識を、彼女はハナコから学んだ。
決して途切れぬ希望の光を、彼女は先生から授かった。
だから彼女は、前を向ける。
今、この瞬間だけは――どんなに辛い事が起きても、どんな高く厚い壁にぶつかっても、痛くて苦しい道が待っていると知っても。
ヒフミは笑って、
――だから彼女は、天を指差し叫ぶのだ。
「今がどれだけ辛くても、どれだけ苦しくとも、この先には……っ! 私達の進む先には特大の
「何を――……ッ!」
「私の、
「何を、そんな――夢物語をッ!」
サオリの剥き出しの敵意が、憎悪が、殺意がヒフミを貫く。突きつけられた銃口が震え、憎々し気にヒフミを捉えていた。
しかし、ヒフミは逃げもしなければ隠れもしない。彼女の感情を一身に受け尚、その場に立ち続ける。
想う事はただ一つ、漸く出来た大切な友達。
自分の『大好き』を理解してくれる、大事な友達の事。
彼女は
やってみたい事があると。
学びたい事があると。
見て見たいものがあると。
ヒフミは知っている。
彼女のやってみたい事も、学びたい事も、見て見たいものも。
――だから。
サオリが一歩を踏み出す。下からヒフミを見上げ、前に立つユスティナ聖徒会を押し退け叫ぶ。憎悪と怒りを込めて、確かな敵意を込めて。
「お前たちは此処で終わるッ! その光は潰えるッ! 今日、この場所でッ!」
「いいえッ! まだまだ続けて行くんですッ! もっともっと、紡いでいくんですッ! 何度でも、何回でも、幾らでもッ! 笑顔と幸福に満ちた日々を! 何て事の無い日常をっ! ――
――ヒフミの背から、太陽が顔を出す。
地平線の向こう、遥か彼方から差し込む陽光が彼女を照らした。
曇天が掻き消え、蒼穹が頭上一杯に広がる。サオリはその逆光に目を細め、眩しそうに顔を背けた。ヒフミの影がアリウスに伸びる。陽光がヒフミを、アズサを、ハナコを、アビドスを、トリニティを照らし、包み込む。
重なり合った瓦礫の上、退廃的な壇上の上で彼女は宣言する。
天に指を突きつけ、透き通る様な蒼い空の下で。
輝く瞳で、胸に確かな希望を秘めて。
そう、だって――。
「――私達の、
これは私達の紡ぐ、
次回 「