ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!


三分間(私達)だけの逢瀬(奇跡)

 

 ヒエロニムスが消え去り、戦場には何も残らなかった。静寂が周囲を支配する。

 余りにも圧倒的な結果とその残骸を見つめ、声も無く佇むマエストロだけが取り残され、彼女達はそんな彼を一瞥し、即座に興味を失くす。彼女達にとってマエストロは既に警戒の対象ですらなかったのだ。

 ホシノは自身の衣服に付着した煤を手で払い、鋭い視線と共に叫ぶ。

 

「――時間ッ!」

 

 その声は地下の中で良く響いた。アヤネが手にしていたディスプレイへと目を落とし、出現と同時に起動させていたデジタル時計の数字を視線でなぞる。

 

「経過一分! 残り二分ジャストです!」

「突撃ッ!」

 

 その声と共に、アビドス全員が持っていた銃器や機材を投げ捨て、先生に向かって駆け出した。その鬼気迫る表情と勢いにアズサは思わず背を正し、慌てて先生の前に出ようと足を動かす。しかし、それを遮る手があった。

 

「っ、せ、先生――!」

「いや、良いんだ」

 

 己を庇おうと動く彼女を、先生は柔らかな声と共に制止する。その肩を掴み、そっと後ろへと押し出した先生は代わりに一歩、アビドスの皆を迎える様に足を踏み出す。

 

「あの子達も、私の生徒だから」

 

 そう、例えどれ程の時間が経とうと、どれだけ世界を繰り返そうと、彼女達は先生の生徒であり、己が背負う罪悪の証明そのものである。

 故に先生は彼女達の全てを受け入れなければならない。どのような感情も、発言も、それは先生が背負うべき責任の一つなのだ。

 

 キヴォトスの生徒達の脚力を以てすれば、数十メートル程度の距離などほんの数秒程度で詰められる。瞬く間に手の届く距離へと迫った彼女達を前に、先生は静かに口を開く。

 最初に先生の元へと辿り着いたのは、ホシノだった。

 彼女は先生へと両手を伸ばす。その指先が、先生の胸元へと触れ。

 

「ホシ――うぐッ!?」

 

 瞬間、凄まじい衝撃が腹部に走った。余りの勢いに倒れかけるも、辛うじて堪え蹈鞴を踏む。見れば、ホシノの頭部が先生の胸元に埋まっていた。

 

「ずっと――」

 

 くぐもった声。

 押し付けられた口元から発せられた、熱い吐息が肌を焼く。背中まで届くその両手が震えている事に先生は気付いた。額を先生の胸元に擦り付けたまま、彼女は絞り出したような声で云った。

 

「ずっと、逢いたかった……ッ!」

「―――」

 

 その言葉に、どれ程の想いが込められていたのか。

 どれ程の感情が込められていたのか。

 先生には分からない――ただ何かを口にしようとして、先生は言葉に詰まった。自身を抱き締める両手が余りにもか細く、けれど力強くて。どんな言葉を掛ければ、何を云えば良いのか、一瞬頭が真っ白になったのだ。ただ震える息を吐き出し、中途半端に伸ばした腕を握り締める事しか出来なかった。

 

「先生ぇッ!」

「うぅぅううッ!」

「ほ、本当に、本当に先生……!」

 

 ホシノに続ぎ、次々と集まるアビドスの生徒達。セリカが、アヤネが、ノノミが、先生を四方から囲み、ホシノごと抱きしめて涙を流す。くしゃくしゃになった顔が、先生の視界一杯に広がった。皆の手が先生の衣服を掴み、その肌に触れる。確かな暖かさを感じさせる指先が、先生の心と体を揺さぶった。

 

「あ、暖かい……先生、生きているんですよね……!?」

「と、当然ッ! し、死体がこんなに暖かい訳ないじゃん! そ、そうだよね!? これ、夢じゃないよね!?」

「……あぁ、夢なんかじゃないよ」

 

 興奮した様に声を上げ、自身の身体を掴む彼女達に向けて漸く絞り出せた言葉は、そんなありきたりなもので。先生は片方しかない腕で力一杯、彼女達を強く――強く抱きしめた。

 ふわりと香る懐かしい匂い。脳裏に過るあらゆる記憶、彼女達と歩んだ、暗がりの記憶。喪われた命を想いながら震える吐息を零し、先生は云う。

 

「ごめん、そしてありがとう――皆」

 

 助けてくれて、応えてくれて――こうして、また出会ってくれて。

 声は、情けない程に震えていた。それは先生が彼女達に見せた初めての弱さだったのかもしれない。あの頃の面影が残るアビドスを、自分の手から零れ落ちてしまった嘗ての小さな光を。

 

 先生の弱さを垣間見た彼女達は、少しだけ驚いた様に目を見開く。それから仕方なさそうに笑って、先生の身体をより一層強く掴んだ。その一時の温もりを決して忘れまいと、心を込めて。

 

「うへ、やっぱり先生は変わらないね……」

「ふふっ、そうですね、この暖かさも、言葉も」

「あの頃の先生、そのまんま!」

「ですねっ……!」

 

 あんな結末を迎えても、こんなに嬉しい事があるんだ。

 そんな、深い暗がりの中で漸く見つけた小さな光を慈しむように。彼女達はこの幸福を、奇跡を噛み締める。

 けれど、三分という時間は余りにも短い。彼女達にすれば刹那の様な、正に奇跡の様な時間。ホシノは先生の背中を強く抱きしめながらも、細々とした声で問いかけた。

 

「アヤネちゃん、残り時間は――?」

「あ、え、えっと……い、一分です」

 

 表示される画面に刻まれる時間、それは刻一刻と数字を減らしている。その声を聴き、皆が顔を見合わせ頷いていた。

 云いたい事、伝えたい事は沢山ある。それこそ山の様に、幾らあっても時間が足りない。

 だから何より伝えなくちゃいけない事を。

 託したい想いを。

 

 ――一つだけ。

 

 ホシノがそっと先生から体を離し、続くように皆も先生から一歩退く。先生を正面から捉える瞳には、あらゆる感情が綯交ぜになった複雑な色が浮かんでいた。けれど、その中に一つだけ――強く、輝く色を放つ感情。

 

「先生、云いたい事、伝えたい事、沢山あるんだ……けれど、私達に残された時間は少ないから――だから一つだけ」

「……うん」

 

「――シロコ(銀狼)ちゃんの事を、お願い」

 

 それは、彼女達が残して来た未練。燃え盛る炎の中で、最後までその身を案じ、未来を憂い、全てを託す事しか出来なかった彼女達が持ち続けた――消せない罪悪の証。

 

 自分達は最善を尽くした、許される範囲の中で努力した、けれど最後の最後にどうしようもない結末に至り、苦悩し話し合った末に選んだ道の果て。皆の犠牲と云う名の願いを、祈りを、罪悪を背負わせ、今なお苦しみ足掻いている一人の少女(生徒)

 彼女(シロコ)だけが、アビドス対策委員会(薪になった少女達)の心残りだった。

 

「先生の理想も、信念も、矜持も、全部知っています――何が好きで、何が嫌いで、どんな明日を求めているのかも、全部、全部……」

 

 くすんだ金髪を揺らすノノミはそう云って、手を握り締めながら俯く。共に過ごした日々を、その思い出を忘れなどしない。だから先生の想いも、祈りも、夢も、何もかも知っている。

 

「その上で『私達』は――先生に、生きて……幸せになって欲しいんです」

 

 アヤネがそう云って苦笑を零し、その震える指先をそっと手の中に隠した。僅かに歪んだ眼鏡のフレームが、少しだけズレて見えた。

 知っていても尚、皆は先生の幸福を――何て事のない日常を願う。その夢の実現がどれ程難しく、困難で、苦痛を伴うものかを知っているから。その夢の果てに膝を折った彼女達は、懇願するしかない。

 

「それが押し付けた、先生にとっての幸せじゃないと分かっていても、傷だらけになって、這い蹲って、血を吐いて進む先生を……これ以上、見たくないから――っ!」

 

 セリカが自身の擦り切れた衣服を強く掴み、叫ぶ。その表情は歪んで、必死だった。

 これから先、自分達が消えたこの世界で、先生はまた歩み続けるのだろう。それがどれだけ困難であっても、どれだけ苦痛に塗れた道であっても、その夢を、理想を、生徒皆が笑い合えると云う素晴らしい世界を目指して、先生は進み続けるに違いない。

 それを知っている、理解している。

 その理想を否定したくなどない。

 けれど、その対価が先生の幸福であるのならば――彼女達は、自分達の選択を後悔などしない。

 

 最後に、ホシノが先生を見上げた。

 その真摯な眼差しが先生を正面から射貫き、声が響いた。

 

「だから、先生、シロコちゃんは……」

「――分かっている」

 

 その声を、先生は敢えて遮った。

 それ以外に、言葉など無い。

 

「全部、全部……分かっている」

 

 呟き、先生はその感情を噛み締めた。深く、深く、何度も。

 全てを犠牲に、この世界へと踏み込んだ彼女(シロコ)の想いも。

 燃え盛る炎に身を投じ、死して尚友を想うアビドスの願いも。

 そこに込められた、彼女達全員の祈りも。

 全部――全部。

 分かっているとも。

 

 シロコ(彼女)を頼む。

 そんな事、云われるまでもない。

 

「当然の事だよ、だって」

 

 伸ばした手は、ホシノの前髪に触れる。少しだけ伸びたそれを指先で払い、先生は優しく彼女の頭を撫でつけた。

 

アビドス対策委員会(わたしたち)は、皆で一つ……だろう?」

「――うん!」

 

 そう云って破顔した彼女(ホシノ)の笑みは。

 いつか見た、朝焼けの向こう側に照らされた時の様に、美しく、儚く。

 何よりも輝いていて――。

 

 ――時間(とき)が、来る。

 

 彼女達の身体から徐々に、徐々に光が漏れ出る。その輪郭が朧気になり、手足が透けて見えた。この世界に留まれる制限、その終わりが迫っていた。

 それに気付いた彼女達の顔が強張る。分かっていた事だった、でもいざ終わりが訪れた時、彼女達の心に恐怖が滲み出した。

 虚無に還る事に――先生()の無い場所に連れ戻される事に。

 でも、それを呑み込み、噛み締め、彼女達は前を向く。

 彼女達にはまだ、やらなくちゃいけない事があったから。

 

「決めていたんだ、アビドスの皆で、前に別れた時(先生が事切れた時)は泣き顔だったから……次、もし、先生と会えたら、もし、そんな奇跡があったら……っ!」

 

 全員が、先生の前に足を揃えて佇む。

 互いに身を寄せ合って、手を取り合って、震える指先を必死に隠して。

 気を抜けば叫びだし、泣き喚きたくなる様な恐ろしさを、彼女達は決して見せまいと気丈に振る舞う。天より差し込む陽光が彼女達の顔を照らし、光の粒子となって消えて行く。その輪郭が、身体が、空に溶ける様に虚ろとなっていく。

 そんな中で彼女達は、互いに顔を見合わせ、涙で頬を濡らしながら――けれど、どこまでも透き通った満面の笑みを先生に贈った。

 

「――今度こそ、笑顔で!」

 

 涙に塗れた――満面の笑み。

 先生が求めていた、その理想とは少し違うけれど。

 それでも彼女達が今、贈る事の出来る。

 唯一無二(後悔のない)答え(結末)が、それだった。

 

 そうして、何時の日か先生が取り零してしまった。

 その手の届かない場所に消えてしまった世界の彼女達は、蒼穹の彼方へと消えた。

 青白い粒子が虚空に溶けて、消える。風に吹かれたそれは、先生の周囲を舞い、徐々に徐々に見えなくなる。

 

 たった、三分間だけの奇跡は。

 余りにも短く、儚く。

 

「――……あぁ」

 

 声が、漏れた。

 それがどの様な感情から漏れ出たものなのか、余りにも複雑で、多くて、大きくて、先生にも分からない。ただ胸を締め付ける、痛い程の圧迫感があった。悲しい、辛い、虚しい、苦しい、けれど――膝を折る事は許されない。

 その善意を、好意を、想いを、答えを受け取ったから。その背中に積まれた罪悪はより一層重さを増して、先生の足を地面に縫い付ける。

 

 残滓となり、零れ落ちたソレが床に小さな染みを残す。その消え行く彼女に、彼女達に、先生は無意識の内に手を伸ばしていた。その指先に残滓が掠め、光が皮膚を撫でた。

 光にはまだ少しだけ、彼女達の温もりが残っている様な気がした。

 

「心から感謝しよう、先生」

「………」

「不完全な姿でお見せしてしまった事は汗顔の至りだが、直ぐに完成させて見せる――私の矜持に掛けて」

 

 マエストロが静かに、先生の前へと足を進める。最早跡形もなく消え去った自身の作品を、その芸術の至らなさを恥じる様に拳を握りしめ、告げた。

 

「黒服の云う通りであった……普段は共感できないものの、この件に関しては感謝をせざるを得ない、黒服のお陰でそなたという最高の理解者に出会う事が出来た」

「――頼む」

 

 マエストロの声を遮り、先生は口を開いた。その声は低く唸る様で、小さく呟く様な声量だったと云うのに、マエストロの元へと確かに届いた。天を仰ぎ、手を握り締める彼は小さく肩を震わせ言葉を紡ぐ。

 その顔は、影に遮られ見えない。

 

「頼む、黙っていてくれ、今だけは……どうか」

 

 差し込む陽光を見上げながら、先生は云う。その目尻から一筋の水が零れるのをマエストロは見た。顎を伝い、地面へと流れ落ちたそれは小さな染みを作る。マエストロは陽光の差し込む天を見上げ、小さく手を差し出す。

 雨は、降っていなかった。

 

「私に――……」

「………」

 

 それ以上は、言葉にならない。

 萎み、消える様に告げられたそれ。マエストロは暫し沈黙を守り、ただ胸元に手を当て、深く礼をする事で応えた。其処にはマエストロなりの最大の敬意の謝辞、そして賞賛の意が込められていた。

 

「手短に――先生、そなたに再び会える事、心待ちにしている」

「………」

「また、夢の中で」

 

 そう告げたマエストロの姿が、暗闇の中に溶けて消える。現れた時と同じように、空間が捻じれ歪み、その中に彼の輪郭は掻き消えた。後には何も残らない、ただ薄暗く、破壊跡の残る地下だけが在った。

 

「………せ、先生」

「―――」

 

 背後から聞こえる、アズサの声。先生は宙を見上げたまま微動だにしない。ただ僅かに震える肩を隠し、問いかける。

 

「……スクワッドの皆は?」

「その、撤退した、地下通路の方に……追撃は、しなかった」

「……うん、それで良い」

 

 追撃をする必要はない。それだけ呟き、先生はそっと目元を拭う。揺れる左袖が所在なさげに靡き、音を鳴らしていた。

 

「あ、あの……先生、今の方々は、その、アビドスの皆さんと、何か――」

 

 思わずと云った風に、アズサの背後に居たヒフミが問いかけた。おずおずと、しかし確かな疑念と共に。あの現れたアビドスの生徒達は、確かにヒフミの知るアビドスのメンバーそのものだった。けれど少しだけ背丈や恰好が異なっていて、その力も地上で戦っている彼女達とは隔絶したものを感じた。本来の彼女達を知っているのならば、疑問に思うのは当然だ。

 けれど微かに見えた先生の横顔を視界に捉えた時、彼女は悔やむ様に唇を噛んで、そっと言葉を呑み込んだ。

 

「……ごめんなさい、聞かなかった事に、して下さい」

「――ありがとう」

 

 ヒフミの声にそう答え、吐息を絞り出す。少しだけ、心が乱れていた。仮面を被り直す(心を持ち直す)為に、少しだけ猶予が欲しかった。

 そんな先生の袖を引く影が一つ。

 見れば、コハルが不安げな表情で自身の袖を引いていた。

 

「せ、先生、その、えっと……」

「……大丈夫だよ」

 

 コハルは、先生が何を行ったのかを理解していない。そもそも何が起こったのかも、どうなったのかも。ただ、先生が何か、酷く辛そうにしている事だけはハッキリしていて。

 慰めようと思ったのか、励まそうと思ったのか、それは分からない。ただ、おずおずと何かを口にしようとして、視線を彷徨わせる彼女を見た時、先生は少しだけ笑った。胸の内に湧き上がる、確かな暖かさを自覚した。

 コハルの頭をそっと撫でつけ、先生は云う。

 

「――私は、大丈夫だ」

 

 そう、私はまだ――大丈夫。

 

「さぁ、地上に戻ろう、争いはこれで終わる……皆が上で待っているからね」

「は、はい」

 

 そう云って彼女達の背を叩き、間を通り抜け歩き出す。行き先は未だ座り込むミカ、彼女の元へと辿り着いた先生は、そっと膝を折って正面から視線を向ける。

 

「ミカ」

「っ……!」

「立てるかい?」

 

 そう云って差し出される、先生の大きな手。ミカは差し出されたそれをに目を向けて、一瞬戸惑う様に俯いた。そして僅かな逡巡の後に恐る恐る手を伸ばす。先生の手を取る為に、その指先に触れる為に。

 けれど、その手が先生の手を取るより早く――気付いてしまった。

 

「っ、せ、先生……その、指」

「………」

 

 ミカが見つめた視線の先には、黒ずみ、変色した先生の指先があった。

 それは単なる怪我と呼ぶには歪で、奇妙な現象だった。

 黒く、吸い込む様な漆黒に、罅割れる様に走る白。ほんの爪先程度の変色だ、或いは何かが付着しただけにも見える。事実先生は軽く指先を拭って、「少し、煤が付着しただけさ」と笑った。

 指先を軽く丸めた先生は、強引にミカの手を取って引き寄せる。立ち上がったミカの鼻腔に、ふわりと甘い匂いが漂った。

 

「それじゃあ帰ろう、私達の居るべき場所へ」

 

 そう告げる先生の声は何処までも澄んでいて。

 その目は優しく、慈しむように生徒達(わたし)を見ていた。

 

「――何て事のない、日常(奇跡)の中に」

 

 ■

 

「ゲホッ、ゴホッ……!」

「り、リーダー、大丈夫ですか?」

 

 トリニティ自治区郊外――カタコンベ通路、トンネル付近。

 一度地上に上がり、人気のないカタコンベへと通じるトンネル通路にて足を止めるスクワッド。咳き込んだサオリの背中を、肩を貸していたヒヨリがそっと撫でつける。荷物の大半をアツコとミサキに預けサオリを担ぐ彼女は、その砂利に塗れた髪をそのままに問いかけた。暗闇に支配されたトンネルは、声が良く響く。

 

「……問題、ない」

「で、でも余り無理は、少しくらい休んでも――」

「いや、一刻も早く……此処を離れなければならない、包囲網が敷かれる前に」

 

 そう云って、サオリは垂れ下がった己の腕を見つめる。腫れ上がり、変色したそれは一日、二日程度では治らない。そうでなくとも真面な治療環境などなく物資にも乏しい。今のスクワッドは正に満身創痍の状態で、真正面からの戦闘などに耐えうるだけの余力がなかった。

 であれば捜索が始まる前に、この近辺から出来るだけ早く離れなければならない。戦闘が発生すれば負けるのは自分達なのだから。

 

「皆、端末は……」

「全部撃って、水に沈めた、追跡は出来ない筈」

 

 そう云って肩を竦めるミサキ。カタコンベを進む中、彼女達はアリウスから支給された携帯端末の類を全て破壊し、水没させていた。すべては追跡を攪乱する為――アリウスを離反する以上、自身の現在位置を特定される危険性のある通信機器の類を持ち続ける訳にはいかない。

 

「それで、何処に行く? まぁ、行く宛なんて何処にもないけれど」

「……どちらにせよ、自治区には戻れない――彼女に、殺される」

 

 セイントプレデターを担ぎながらそう吐き捨てるミサキ。それにサオリは呟く様な声で応える。その言葉は真実だ、今のスクワッドに向かうべき目的地など存在しない。しかし、馬鹿正直に帰ると云う選択肢も取れなかった。それをすれば、待っているのは確実な死だ。その結末を、サオリは許容する事が出来ない。

 例え、己の罪悪から逃げる事になったとしても。

 自分ひとりならばどうなっても良い。

 しかし、スクワッドを巻き込み、彼女達が喪われる事だけは――それだけは。

 

「まぁ、そういう終わり方も悪くないけれど」

「そ、それは苦しそうですね……でも、そうでなくとも、この先もずっと――」

「……それが人生だから、仕方ない」

 

 ヒヨリが苦笑を零し、ミサキは淡々とそう呟く。

 アリウスに戻って殺されるか、逃亡生活の果てに真綿で首を絞められるかのように死ぬか。

 自分達の未来には、その程度の違いしかない――ただ苦しんで死ぬか、足掻いた果てに苦しんで死ぬか。けれど、生きる事を諦める選択を彼女達は取らなかった。どれだけ醜くとも、無様であっても、生きる道をスクワッドは選んだ。

 ヒヨリの大きなバッグを抱えるアツコは、腰にぶら下げた罅割れた仮面を見つめ、口を開く。

 

「ゲヘナ郊外のスラム、あそこなら、多分身を潜められると思う」

 

 思い描くのはゲヘナ自治区郊外に広がるスラム街。廃墟と不良のたまり場となったあの場所は、脛に傷のある生徒が根城にしている生粋の掃き溜めだ。トリニティから離れる事も出来るし、環境としても幼少期に過ごしたアリウスの外郭区に酷似している。ちょっとした廃墟を間借り出来れば拠点にする事も出来るだろう。自分達から注目が逸れるまで身を隠す場所としては悪くない様に思えた。

 そんなアツコの提案に、ミサキは僅かに顔を顰める。

 

「ゲヘナ、ね……ま、今更か、トリニティだろうとゲヘナだろうと、大して変わらないだろうし」

「えっと、郊外だと、カタコンベの地下通路から行けるのでしょうか……?」

「流石にトリニティ自治区外だから無理だと思う、大橋から通れるルートが近くにあった筈だから、そこからゲヘナに入ろう、今なら多分トリニティの騒動に掛かりきりで、向こうの警備や戦力も手薄だと思うし」

「……そうだな」

 

 部隊で潜り込むならば兎も角、たった四人程度であれば潜入する事は難しくない。最悪、装備品を幾つか捨てて渡河しても良い。方針は決まった、足を止めていたサオリは落ちかけていた膝を叩き、足を踏み出す。目指すはトンネル(暗闇)の向こう側、ゲヘナ自治区へと続く大橋。

 

「ぐっ――動こう、長居は無用だ……!」

「……了解」

「わ、分かりました」

 

 ミサキが先導する為に歩き出し、その背後にサオリと彼女に肩を貸すヒヨリが続く。そして最後尾を歩くアツコは、トンネルの出入り口に目を向けた。薄暗いトンネルに差し込む柔らかな陽光、それを眩しそうに見つめながらひとり、彼女は呟いた。

 

「――アズサ」

 

 口に出したのは、嘗ての同胞の名前。ひとりスクワッドを離れ、新しい居場所を手に入れた少女。彼女の顔を思い浮かべながら、アツコは独白する。

 

「あなたはこれから沢山の事を学んでいくのでしょうね、陽の当たる場所でずっと、友人達と一緒に――勉強をして、努力をして、色々な可能性を」

 

 ――あなたは、強いから。

 

 呟き、アツコは目を瞑る。幼い頃に共に過ごした記憶、辛く、苦しいものばかりだったけれど。それでも決して、それだけじゃない、ほんの僅かでも楽しくて、嬉しい記憶もあった。

 それはメンバーが誕生日を迎えた日に行われた、配給食糧を使った(ささ)やかなパーティーであったり。

 教官に内緒で宿舎を抜け出して見上げた、広くて眩い夜空だったり。

 就寝後に行われた、何の意味もない僅かなお喋りだったり。

 生きる事に精一杯で、そんな小さく、ほんの僅かな日々が奇跡なのだと思っていたけれど。彼女はそれ以上の大きな、とても大きな(奇跡)を掴んで。

 

 例えすべてが虚しくとも、この世界が昏く寂しいものであっても。

 例え――コンクリートの隅であっても。

 

 彼女は咲く事を、決して諦めなかった。(希望を掴み取る事を、終ぞ諦めなかった)

 

「あの時に見せてくれた花の事……今は少し、理解出来たかもしれない」

 

 訓練場の片隅に咲く、小さな青い野花。

 彼女が指差し問いかけた言葉、果たしていつか枯れる花に、吹けば飛んでしまう様な花に、誰にも理解されず仲間も居ない花に――咲く意味はあるのか。

 気まぐれで踏み潰されてしまう。何かの拍子で散ってしまうかもしれない。こんなひとりぼっちで、虚しくて、苦しい世界なのに。けれどきっと、彼女の問い掛けは答えがあってのものだったのだ。あの言葉は諦めを探す為に問い掛けられたものではない。膝を抱え、じっとあの青い野花を見つめていたアズサは。

 きっと――。

 

「アズサ」

 

 彼女の名を呼び、踵を返す。彼女は陽の当たる場所に足を進めた。そしてアツコは――スクワッドは、その陽光が差し込む場所(入口)とは別の、暗闇(トンネルの奥)へと足を向ける。

 彼女は陽の下で生き、私達は影に生きる。

 

 もう、二度と逢う事は出来ないかもしれないけれど。

 

「――どうか、幸せに生きてね」

 

 そう囁いて、アツコは皆の後を追って歩き出した。

 靴音が周囲に響き、微かに陽光に照らされていたその姿は暗闇の中に溶けて行く。そうして少しずつ、少しずつ遠くなっていく足音。

 軈てそこには暗闇だけが残り。

 

 アリウス・スクワッドは再び――影の中へと消えて行った。

 

 ■

 

「――そう、敗北しましたか」

 

 アリウス自治区――バシリカ。

 祭壇上階、アリウス自治区の主として使用している一室に彼女は横たわっていた。椅子代わりに用いられるのは徴収し、積み上げられた幾つもの書籍(聖書)。色褪せ、擦り切れたそれらは遥か昔から保管されていた教えの一つ。彼女がアリウス自治区を管理する際に、これらの書物は全て取り上げられ彼女の元へと届けられた。それらを足蹴にし、小さく息を吐き出しながらその山に身を預ける。

 薄暗い光がステンドグラスから漏れ出し、彼女は手にした通信端末に向かって吐息を漏らす。それは失望と、微かな苛立ちの発露であった。

 

「あれ程の手駒を揃え、マエストロの助力を得て尚……いえ、あの者の切り札を考えれば決しておかしな話ではありませんが」

 

 彼女の脳裏に過るのは、先生の持つ切り札。あの圧倒的な神秘の塊を前にすれば、マエストロの扱う人形(芸術)など塵芥に等しい。ましてやユスティナ聖徒会など、彼は歯牙にも掛けないだろう。であれば、この結果は決して理不尽なものではない、予測できた未来のひとつだ。

 

「やはり、立ち塞がるのですね、あなたは――」

 

 何度でも、己の敵対者として。

 確実に殺したと思った、始末できたと思い込んでいた。しかし、どういう手段を使ったのかは知らないが、彼の者はあの爆撃も、スクワッドの襲撃さえも生き延びた。そのしぶとさはベアトリーチェを以てしても感嘆してしまう程。よもやこれ程の策謀を全て真正面から潜り抜けて来るとは――。

 

 ――しかし、先生は決して無敵でもなければ不死身でもない。事実あの爆発と襲撃によって、先生の目と腕を奪う事には成功している。そしてその肉体にも、何発か弾丸が撃ち込まれたというではないか。

 確かに手強い相手である、ベアトリーチェにとっての宿敵。だが、それでも彼の者を屠るだけの可能性は十分にある。自身が勝者として君臨する世界は、確かにある筈なのだ。

 

「えぇ、問題はありません、現状は理解しました、それで、残った部隊は? 特に、ロイヤルブラッドが在籍するスクワッドは――」

 

 ベアトリーチェは今後の算段を頭の中に並べ、そう端末に向かって問いかける。すると通信手はどこか云い淀む様な、まごついた様子を見せ、それからやや強張った声色で告げた。

 

「……ほう、逃げ出しましたか」

 

 ――アリウス・スクワッドの離反。

 

 スクワッドは古聖堂地区、広場にてトリニティの本隊と戦闘に入り、ユスティナ聖徒会の召還を行使。しかし途中現れた先生によってETOの権限が剥奪され、アリウスの戦力、その根幹を成していたユスティナ聖徒会の複製は不安定なものに転じる。そこから何とか交戦を続けるも、押し込まれ地下に撤退。そしてその場所でマエストロの作品(戦術兵器)を用いて――しかし、それすらも撃破され以後通信途絶。

 最終位置はカタコンベ通路、その道中であると云う。

 

 撤退している最中にトリニティかゲヘナの生徒に遭遇したか、しかし後詰の部隊がスクワッドの通った最終位置に向かった所、戦闘跡らしきものは何一つ発見出来なかった。代わりに発見されたのは、空薬莢とプラスチックの細かい破片。それはスクワッドに支給されていた端末、その破片である。

 そうであるのならば、任務失敗の責任を問われるのを恐れ、故意に端末を破壊して行方を晦ませ(逃亡し)たというのが現場指揮官(幹部)の見方だった。

 そして、その判断は凡そ間違ってない。ベアトリーチェも同意見だ。彼女は顎先を指先で撫でつけながら思考する。

 

「であれば連れ戻しなさい、丁寧に、しかし迅速に、その為の部隊であればどれ程用いても構いません……えぇ、交戦許可も出しましょう」

 

 スクワッド自体はどうなろうと知った事ではない、所詮は使い捨ての駒に過ぎない。しかしロイヤルブラッドは別だ、あの者にはまだ利用価値がある。

 

「他の部隊員? あぁ、それでしたら……」

 

 その問い掛けに、ベアトリーチェは酷く冷めた声で答えた。

 

「――彼女(秤アツコ)以外は、全員処理(殺害)で構いません」

 

 錠前サオリ。

 戒野ミサキ。

 槌永ヒヨリ。

 この三名の生死は問わない。

 利用価値のない生徒(子ども)に用などなかった。

 

「逃亡者に情けは必要ないでしょう、見つけ次第彼女以外、その場で射殺(ヘイローを破壊)しなさい――あぁ、確かスクワッドのリーダーにはヘイロー破壊爆弾を持たせていましたか、それを奪って使っても構いません、好きな様に処理して下さい」

 

 彼女達の行為はただの悪足掻きだ。

 アリウス・スクワッドは失敗した。

 エデン条約を強奪し、ユスティナ聖徒会の力をアリウスのものとする、その果てにトリニティとゲヘナを手中に収め、危険な大人であるシャーレの先生を排除する――それこそが彼女達の任務だった。

 

 そうすればロイヤルブラッド――秤アツコを【生贄】にしなくて済むと。

 

 しかし、その未来は瓦解した。

 吐き捨て、ベアトリーチェは嘲笑う。彼女達にとってロイヤルブラッドがどれ程大事なのか、全てを捨ててまで逃げる程に大切なのか、それは知らぬ。しかし、逃げ切れる筈がない。アリウスという唯一の居場所を失い、トリニティとゲヘナとも敵対し、今や彼女達に味方は居ない。

 

 いや――一人だけ存在するか。

 

 ベアトリーチェは目を細め、想う。しかし、それでも絶望的な状況には変わらない筈だ。少なくともアリウスが彼女達を捕捉し、捕らえる方が早いだろう。彼の者は未だ動けず、事後処理に奔走している。半ばまで崩れ、混乱に陥った学園を建て直すには相応の時間が掛かる事が予想された。

 

「……さて、私がこの儀式を完遂させるのが先か、それともあなた(先生)が私の元に辿り着くのが先か」

 

 手元の端末の電源を切り、ベアトリーチェは呟く。握り締めたそれは虚空の中へと消え、赤く細長い指先が宙をなぞった。

 

「これが、私とあなたの最後の戦いになるでしょう、このアリウスに果たして辿り着く事が出来るのか、いえ、きっと辿り着くのでしょうね……ですが、今度こそ私はあなたを屠って見せる、それこそが私の存在証明、私が崇高へと至る道」

 

 ベアトリーチェの作り出した、支配した箱庭。

 憎悪に染め上げ、生徒を傀儡と為し、自身の目的遂行の為に最も効率的に稼働する様に仕上げたアリウス自治区。トリニティ地下に存在する広大なカタコンベ、その複雑なルートを一定の手順で通らなければ辿り着けないこの場所は、現トリニティ生徒の中で存在を知る者は居ても辿り着ける者はいない。

 しかし、或いは彼の者(先生)ならば――。

 いや、絶対に辿り着くと云う確信が彼女にはあった。故に彼女は入念に準備する、聖人との戦いに向けて、その決着を付ける為に。

 

「私は、あなたという聖人(至高)を踏み越え――更なる高みに至る」

 

 そして、私は世界を救う。

 それこそが、唯一無二の大人が背負う責務である。

 あらゆる犠牲を容認し、あらゆる子羊の贄を以て君臨する。

 その絶対的な在り方こそが、彼女の目指す崇高。

 

「――崇高(絶対者)の座す椅子は、一つしかないのですから」

 

 告げ、ベアトリーチェは目を瞑る。彼の者との邂逅を予期し、その口元を歪に曲げながら。自分と先生、双方がこのアリウスにて対峙した時、全てが変わる。

 己が勝つか、聖人が勝つか、どのような結末を迎えるにしろ。

 

 最後に立っているのは――どちらか片方だけだ。

 


 

 次回、エピローグ。

 

 スクワッドと先生の確執、そしてミカとの因縁、ベアトリーチェとの決戦、彼女の仕組んだ策謀、そしてクロコとの再会、それはエデン条約後編・第二章に続きますの。

 一先ずエデン条約後編・第一章は次話か、その次で完結ですわ~ッ!

 喪ったものは大きく、決して取り返しのつかないものです。けれど、その代わりに生徒や先生もまた、大きなものを得ているのですわ。目に見えないそれはきっと実感などなく、朧げな輪郭しか見えていないでしょうが、最終編に続くその希望の種は絶対に失くしてはいけないものになるでしょう。

 

 エピローグではその後のトリニティ、ゲヘナ、そして先生達が描かれます。無くなったおめめとおててを見せつけながら生徒達のお見舞い行こうね! 特にヒナタとか激ヤバクソピンチだと思うからちゃんとフォローしてあげないとね! 因みにヒナタは正義実現委員会のトップ二人と違って、まだベッドで寝込んでいます。半日程度で復活する二人が異常なんですわよ。

 

 帰って来るミネ団長の事とか、パンデモニウムソサエティの事とか、今回蚊帳の外にされたシャーレ組の事とか、先生負傷によるキヴォトスの余波とか、連邦生徒会側の見解とか、ミカとティーパーティー周りの事とか、補習授業部の今後についてとか、先生の肉体についてとか、描写したい事は沢山あるので、一話で詰め込めなかったら二話に分けますわ。それでも駄目だったら削りますわ。出来れば後味はスッキリさせたいなぁ~とも思いつつ、でもエデン条約後編は、暗くて陰鬱とした終わりであっても、また「らしい」のでその辺りは拘りませんわ。

 

 最初は、「エデン条約で先生の腕をもぎもぎしたいですわ~ッ!」から始まったこの小説。今は、「最終編で先生の輝かしい命を燃やしたいですわ~ッ!」の一心で書いています。人は成長するのですね……この調子で新しいエピソードが追加されて、また私の燃料が追加されたら延々と続きそうで怖いですわ。まぁ、しかし物語と云うのは必ずどこかで終わるもの、それがいつになるかは分からずとも、愛を以て書き続けていられる今はとても幸せな事なのでしょう。

 それでは、最後までお付き合い頂ければ幸いですわ~!

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