「依頼の内容は聞き及んでいるよ、さぁ、入ってくれ」
広大なミレニアム敷地内、その中央にあるミレニアムタワー最寄り駅からモノレールに乗って一駅。そうして辿り着いたのはミレニアムに数ある部活の中でも、トップクラスの実績を誇る部活――エンジニア部。
その部長である白石ウタハは既に部室前で待機しており、先生達一行の姿を目にするや否や、その表情を崩し部室内へと通じる大型扉を開いた。
エンジニア部の部室は傍から見ると大型の倉庫、或いは工場の様な印象を受ける。天井に吊るされた剥き出しの照明や天窓、壁際に積まれた何らかのエンジン、外装、車輪、用途不明の近未来な代物などがそれに拍車を掛けている。南側に抜けると広大な実験場があり、車両の試運転や航空機の飛行実験なども行える環境が整っている。他の部活動と比較すれば部員数は決して多いとは云えないものの、誰の目から見ても分かる程度には好待遇な立地であった。
壁際にずらりと並ぶ機械類、書き殴られたホワイトボード、散乱するレポートの類を見渡しながら先に部室へと踏み入ったネルは口を尖らせる。
「相変わらずゴチャゴチャしてんなぁ」
「悪いね、昨日は夜まで議論が白熱してしまったんだ、その辺りの資料や試作品はその時没になったもので――」
「議論、と云うと?」
「勿論、先生の新しい義手についてだよ」
先生の疑問に対し、ウタハは手にしていたスパナを指先で回転させながら告げた。良く見れば確かに、試作品と云われていたものは人の手を象ったものだ。材質は分からないが簡素な造りである事は分かる。正にフレームか、骨格という表現が似合うだろう。それらしきものが横合いの作業机にずらりと並んでいる。どうやら彼女達は依頼の電話を受けてからかなり熱心に打ち合わせを行っていたようだ。
「態々足を運んで貰ってすまないね先生、本当なら私達がシャーレに行けば良かったのだけれど」
「いいや、こっちがお願いする立場なんだ、気にしないで、それにミレニアムの皆にも会いたかったから丁度良かった」
「ふむ、そう云って貰えると助かるけれど……」
先生の言葉にウタハは何か考え込むように頷き、数秒沈黙を守る。そして先生を頭の天辺からつま先まで観察すると、納得した様子で一つ手を打った。そして羽織った制服を靡かせながら振り向いた彼女は部室の中で待機していた部員達に声を掛ける。
「皆、準備の方はどうだい?」
「はい! こちらは万端ですっ!」
「うん……材料も、設計図も、全部持って来たよ」
声に応えるように部室の奥から何やらブループリントらしき束を持ってくるコトリ。そして台車に大量の段ボール箱と工具を乗せて駆けて来るヒビキ。彼女達は先生一行を視界に入れるや否や破顔する。どうやら自分達が到着する時間に合わせて諸々を準備していたらしい。二人が壁際に備え付けられていた作業机にそれらを手際よく移すと、設計図を手に取ったコトリは目を輝かせて云った。
「これはまた、随分と沢山書き出しましたね?」
「これ、全部設計図……?」
「あっ、これらの設計図の説明が必要ですか? それならっ!」
「あー……いや、いらねぇ、聞いても良く分からねぇと思うし」
「……あぅ」
素っ気なく放たれたネルの言葉に出鼻を挫かれるコトリ。僅かにズレた眼鏡を指先で押さえながら、しかし彼女はめげる事無く先生へと視線を移した。心なしかその瞳は爛々と輝いている様に見える。
「あっ、で、でも先生には説明が必要ですよねッ!? 私が全部、隅から隅まで――」
「ありがとう、それじゃ後でお願いするね?」
少しだけ歯切れ悪く、先生が頷けば途端にぱぁ~っとした笑顔を見せるコトリ。他者に説明、解説を行う事を生きがいとしている彼女は少々、いや、誤解を恐れずに云うのであればかなり特殊な生徒である。まぁ、特殊な生徒しかいないと云えばそうなのだが、彼女の場合はその説明の内容が非常に専門的な部分から基礎的な部分まで網羅し、余りにも懇切丁寧であるが故に膨大な時間を要するという
決して悪い子ではないのだ――先生は目元を抑えながら頭上を仰ぎ、思った。
「……こほん、取り敢えず今回の依頼は電話で聞いた通り、『先生の義手』を製作する事だね?」
「あぁ、うん、頼めるかな」
「私達エンジニア部に依頼したのは合理的な判断だよ、色々と複雑な想いはあるが――」
そう云って一瞬言葉を切った彼女は、しかし力強い頷きと共に笑みを浮かべる。
「――マイスターの名に恥じぬ作品に仕上げて見せると約束しよう」
どの様なものであれ、依頼されたからには最高の品を。ましてやそれが先生の手足となるものならば妥協など出来る筈もない。この山の様に積まれた草案は彼女達の熱情そのものと云い換えても良い。
ヒビキが端末を指先で操作し、ホログラムモニタを投影しながら呟いた。
「先生の身体データに関しては既に揃っているから、えっと、直ぐにでも製作に取り掛かれると思う、機構の複雑さにもよるとは思うけれど二日か三日あれば完成する……かな」
「私のデータ? 送った覚えがないのだけれど――」
「その、私が衣装作りの時に貰ったデータが残っていて……」
「あぁ、そっか」
ヒビキのしどろもどろな答えに先生は納得する。彼女の趣味はコスプレ。偶に彼女から、「こんな服、似合うと思う」と提案される事がある。先生は常日頃シャーレ制服で出歩いている為、私服を殆ど持っていない。というよりいつ如何なる時もシャーレの先生として動く事が殆どなので、私服を持つ必要がないと云うべきか。
そんな自身の状態を案じてか、或いは彼女自身の想いか。先生に衣服をプレゼントしたいという声に応え身体のサイズデータをミレニアムで計測した記憶があった。どうやらそれを流用するつもりらしい。
因みに彼女から贈られた衣服の類はシャーレ本棟、先生の私室にて大切に保管されている。生徒から貰ったものは、何だって大切な宝物なのだ。
「元々先生のロボッ――んんッ! 私達が製作していたオートマタの研究成果もあるからね、そう時間は取らせないさ、問題は予算だが……」
「それなら今回の依頼に際してトリニティ側と、それから珍しい事だけれどゲヘナ側からも支払いを負担するとの声が上がっているわ」
「あん?」
ユウカが端末を片手にそう答えれば、ネルが訝し気な声を上げた。
「それはまた随分と異色な組み合わせじゃねぇか、一体どういう風の吹き回しだ?」
「エデン条約での関係校という事でしょう、一応調印式の会場で先生は負傷したという話ですから」
「責任、感じているのかも……」
ノアとヒビキの言葉に、「あぁ」とネルは小さく頷いた。今回の義手製作依頼に関しては、本来ならば先生のポケットマネー、或いは連邦生徒会から支給される特別予算から費用を捻出する予定であったのだが――どこからか義手製作の話を聞きつけた万魔殿、ティーパーティーが資金は自身が負担すると云い出したのだ。
その提案をしに来た万魔殿の一員は、「あー、えーっと、何でしたっけ? 確か、『此処でシャーレに恩を売る事は、後々支払った額以上に意味がある、これもまた計画の第一歩という事だ! キキキッ!』とか何とか云っていました」とソファに寝転がって来客用のクッキーを齧りながら告げ。
一方ティーパーティーの方と云えば、「元は私共の不手際、先生の治療費を含めその後必要となった器具や費用を支払うのは当然の事です、ご安心を、ティーパーティーの財源は潤沢ですので、これもまた私が先生にお返し出来る愛の一つです」としたり顔で告げていた。
思い返すと色々と思う所もあるが、結局押し切られ最終的に義手の費用は各学園が折半する形となったのだ。その合間にも色々と両校のやり取り――もとい主導権争いがあったが割愛する。キヴォトスに於ける最大規模の学園同士、そのバックアップを受け開発される義手だ、予算を心配する必要はないだろう。
「まぁ、マンモス校が背後に二つも付いている事だし、予算に関しては殆ど青天井で構わないと思うけれど……」
「青天井――」
その言葉を聞いた瞬間、エンジニア部の全員の瞳に光が宿った様な気がした。ヒビキが分かり易くその耳を震わせ、コトリの笑顔が普段の五割増し輝いてみえる。ウタハに至っては握り締めたスパナをそのままに天井を仰ぎ、目を瞑りながら全身を巡る多幸感を噛み締めていた。
技術者にとって予算と性能、そして納期の兼ね合いは重要である。どれだけ性能が良く素早く作れたとしても、予算が足りなければどうしようもない。素早く製作する事は無茶をすれば何とでもなる、性能を引き上げる事も創意工夫と知恵で何とかなる。しかし予算、こればかりはどうしようもない。何もない所から金が生み出される筈もなし、限られた金銭をやりくりして作品を仕上げる事も醍醐味ではあるが、それはそれとして湯水のように金を使って一つの作品を創ってみたいと思うのは誰しも一度は考える事だろう。
その実現の機会が訪れた――先生の身に起きた事を考えれば決して素直に喜べる事ではないが、マイスターとしての血が沸き立つのも事実。ぶるりと肩を震わせた彼女達は、その両手を力一杯握り締めながら呟いた。
「何と素晴らしい響きだろうか、とても胸が高鳴るね」
「うん、凄く魅力的」
「という事はっ、アレも出来るし、コレも搭載出来ちゃったり……!?」
「あー……えっと、でも余り無茶な事はやめてね?」
どこか鼻息荒くやる気を滾らせる彼女達に、先生は思わずそう告げる。そうでも云わなければ本当に学園が傾く程の予算を使いかねないと思ったのだ。
いや、流石に義手一本にそこまで莫大な金銭を使える筈もないが――使わないよね? 如何に学園運営に莫大な予算が存在しているとは云え、金銭も無尽蔵ではない。多少の出費で揺らぐ二校ではないと理解しているが、それでも彼女達ならば或いはと思わせる
先生の言葉に対し、「当然だ、私達は常に必要な予算しか求めない――基本的には」と告げるウタハ。その言葉を信じたい、信じたいが時に明後日の方向に全力を出すエンジニア部である。先生の胸には一抹の不安が燻っていた。
ともあれ、気を取り直して先生と向き直るウタハ。彼女は作業机の上に並べられた設計図を指差しながら、高揚する声色を隠す事無く問いかけた。
「それで、先生に何か義手に対する要望はあるかい? ギミックでも、外装的な部分でも良い、そこが一番重要な所なんだ、義手としての最低限の機能を備えた代物を作るだけなら正直簡単すぎる、何か仕込むというのは大前提だからね」
「ロケットパンチでも、小型の榴弾砲でも、あ、レールガンとか、パイルバンカーとかでも良いよ、それらしい設計は一通り考えたから……」
「一時的な電磁バリアを展開するというのはどうでしょうか!? 小型ながら、かなり強度の高い電磁防壁を展開するガジェットがですね――!」
そう云って各々が考案し、手がけた設計図をテーブルに広げる。積み上げられたそれは全てが全て異なる義手の設計図――十や二十ではない、文字通り山の如く積み上がった選択肢が先生の前に鎮座していた。広げられた彼女達の設計図を覗き込んだユウカ、ノア、ネルの三名は思案する様子を見せる。
「そうね、私は――電磁バリアに関しては賛成、先生の身を守る為にもある程度の工夫は必要だと思うし、戦闘の心得が無くても私達が到着するまで時間稼ぎが出来るだろうから」
「うーん、そうですね、確かに攻撃手段を持たせるよりは逃走や防御に特化させた方が……或いは、諜報や偵察系のガジェットを仕込むというのはどうでしょう? もしくはEMPの様な妨害でも――」
「護身って事なら、スタンガンみてぇな奴でも良いんじゃねぇか? アレなら素人でも使えんだろ? まぁ、先生の負担にならねぇなら何でも良いと思うけどよ」
生徒全員で設計図を覗き込み、あぁでもない、こうでもないと頭を捻らせる。先生も彼女達の用意した設計図に目を通しながら暫し考えを纏め、自分なりの要望を口に出した。
「そうだね……前提として相手を傷つけるような兵器の類は仕込んで欲しくないかな」
「ふむ、私の使っている雷の玉座と似たタイプで自動照準してくれる銃火器の類も考えていたのだけれど……その手の火器ならば先生は構えるだけで良い、負担は少ない筈だ」
「――万が一にも、私の生徒に銃口を向けたくないんだ」
「……成程、分かったよ」
先生が苦笑と共にそう告げれば、ウタハは納得の色を見せながら背後に積まれていた設計図、その半数を手で区切った。恐らく銃火器やそれの類する類の設計図だったのだろう。彼女達の努力を無為にするようで心苦しいが、こればかりは納得して貰う他ない。
「それなら生徒が駆け付ける為の時間稼ぎ、防御の類だとか、偵察だとか、そういうギミックを仕込む事になるかな」
「うん、それでも考える事は沢山ある、内蔵型、展開型、ドローン型……出来る事も、その動作の仕方も全部違うから」
「ですね!」
残った設計図を改めて広げ、次々と候補を上げるエンジニア部。一口に防御と云っても種類は多岐に渡る。義手という限られたスペースを最大限生かし搭載出来るギミックを並べる彼女達を前に、先生はもう一つ要望を口にした。
「それと出来れば外部給電装置としても使える機能があると嬉しいのだけれど、出来るかな?」
「うん? 外部給電装置……バッテリーかい?」
「うん、このタブレットの充電とか出来たら嬉しいなって」
先生はそう云って懐に差し込んでいたタブレットを差し出す。彼女達はそれを覗き込み、納得の色を見せた。先生としては寧ろコレが本命に近い。常に予備バッテリーの類は持ち運んでいるが、今後に限っては電力切れがそのまま自身の生死に繋がる。セーフティーネットの一つや二つは常に確保しておきたい。
端子の差込口などを確認したウタハは頷きながら口を開く。
「あぁ、先生が使っているタブレットの充電か、確かに先生は出張も多いし、その手の機能があると便利だね」
「それくらいなら多分簡単に出来ると思う……義手で掴んでいる時だけ充電するような接触充電にする?」
「先輩! 一応有線でも出来るようにポートを設けましょう! 選択肢がある事は良い事です! あっ、でもそうなるとなるべくバッテリーの容量は多くした方が良いですよね?」
「うーん、そうだね、難しいかもしれないが、いっその事小型の発電機構を組み込んでしまうのも悪くない」
「義手の中に? かなり厳しい設計になると思うけれど……スペースを圧迫して容量が足りなくなったら本末転倒、それにそうすると他のガジェットは搭載出来ないし、義手そのものの強度にも不安が残る」
「なら必要に応じて展開出来るような形にするのはどうでしょうか? そうですね、例えばですがこの辺りにこうして――」
「それなら外部装置として接続させた方が効率的だと思う、このサイズだと発電効率も悪いし内蔵させておくメリットが余り感じられない、展開型にする都合上展開部分の構造が複雑化して防弾性能も落ちるから、もし内蔵するならこの部分だけ材質を――」
「待ってくれ、重量が嵩むと運動機能にも支障が出る、長時間の保持は先生の体力的な面から見ても悪手だ、使用する材質にもよるがこのサイズならば――」
「強度や重量の問題なら、いっそシンプルにしてしまうのもアリかと! 発電機構の代わりにバッテリーを大型化して、重量軽減の為に――」
作業机を囲いながら議論を重ねるエンジニア部。彼女達の意識はすっかり仕上げるべき作品に注がれており、エンジニア部だけの世界に入り込んでいる。それを見つめる先生は徐に安堵の息を吐き出し、そっと胸を撫でおろす。ユウカも同じ思いなのか、端末の電源を切って苦笑を零した。
「……後は任せて大丈夫そうね」
「えぇ、そうですね」
「……まぁ、発想と考えはアレだが、腕は良いからな」
ノアが笑顔で頷き、担いでいたSMGを見つめながら言葉を零すネル。絞り出されるように零れた言葉は、実感の籠ったものだった。何せ彼女は一度メンテナンスに預けた銃をタバスコの射出機に改造されている。何でも、「どこでもピザを美味しく食べられる様に」という設計思想だったようだが、だからと云って何故銃にそんな機能を仕込んだのかは全くの謎である。
「余り邪魔はしたくないし、一度お暇しようか」
「分かりました、では――」
先生の言葉に頷き、部室を後にしようとする一行。扉に手を掛けたノアはふと、思い出したかのように問いかけた。
「……そう云えば、先生」
「ん、何だいノア?」
「その、瞳の方は依頼せずとも良かったのでしょうか」
「あっ……」
「……そういや、そうか」
ノアの言葉に思わず声を上げるユウカとネル。今回は義手の製作依頼との事だったが、義眼の製作に関しては何も聞き及んでいない。確かに義手を依頼するのであれば、義眼も同じ様に依頼するのではないか? ――そのように考えるのも当然の流れである。
何処か気遣った様子に自身を見上げるユウカに対し、先生は思わず苦笑を零す。自身の目元を指先で撫でつけると、彼は努めて穏やかな口調で告げた。
「……義眼はね、駄目なんだよ」
「駄目、ですか?」
「それは一体、どういう――」
「義手ならまだ切り離せば何とかなるけれど、義眼は――」
呟き、先生はそれ以上の言葉を呑み込む。三人の視線が自身に注がれるのを感じながら、先生は静かに首を振った。
義手は最悪その場で取り外してしまえば何とでもなる。しかし義眼となるとそうもいかない。特に高性能な
彼女に目を盗まれる事だけは、避けなければならない。
何せ、シッテムの箱は電子機器に対して無類の強さを誇るのだから。
「まぁ、私の我儘だと思って欲しい……ごめんね」
「……いえ、先生がそう仰るのでしたら」
先生の言葉にノアはそっと目を伏せ頷く。ネルやユウカもそれ以上追及する事はなく、何か云いたげにしながらも口を結んだ。彼女達自身、何らかの理由がある事は予想していたのだ。それが先生のポリシーであれ、或いは何かしら戦術的な意図があるにしろ、先生自身がそう判断したのであれば口を挟む事は無い。手を掛けていた扉を開き、ノアは振り向き告げる。
「義手の方、完成したらすぐにお知らせしますね」
「頼むよ」
■
「あーっ、先生だ!」
「?」
義手制作依頼を終えた後、先生一行は食堂へと向かう流れとなった。時刻は昼前、少し早いが昼食を摂ろうという先生の言葉に賛成し、皆でミレニアムの廊下を歩く。すると後方から、何とも元気な声が響いた。
その溌剌とした声に先生は振り向き、廊下を凄まじい勢いで駆けて来る人影を視界に捉える。瞬間、するりとネルが極自然な動作で先生の前に立った。銃口こそ向けられないものの、担がれた愛銃、その引き金に指が掛かるのが見えた。
視線を細め肌を刺すような雰囲気を纏ったネルであったが、それも数秒と立たず霧散する。ユウカとノアも声の主が誰であるかに気付いた様で、その表情をふっと緩めた。
「あん? ありゃ、ゲーム開発部の……」
「モモイね、全く、廊下は走るなって云っているのに……!」
「ふふっ、いつも元気ですね」
そんな声が彼女に届く事は無く、駆ける人影――モモイは先生の直ぐ傍まで駆けて来ると、そのまま腹部目掛けて勢い良く飛び込んだ。先生は飛び込んで来る事を予期し、腰を落として飛び込んで来たモモイを受け止める。そのまま右腕で彼女を抱き留め、ぐるりと一周、遠心力を用いて勢いを緩和した。
既に慣れたものだ、笑顔で自身を見上げるモモイに自然と此方も笑みが零れる。直ぐ横で支えられるように手を伸ばしていたユウカとノアに視線で礼を告げ、モモイを床に降ろす。
「先生!
「ははっ、ごめんねモモイ、急な事だったから皆のスケジュールを把握していなかったんだ、今はゲーム開発で忙しいかと思って」
「先生との時間は別! ゲームを開発するにも、ほら、えっと何だっけ……インスピレーション? って奴が必要だし! アリスとかミドリとか、あとユズも! 皆待ってたんだからね!」
そう云って先生の胸元――正確に云えばネクタイをぐいぐいと引っ張るモモイ。中腰になりながらも苦笑を浮かべる先生は、「ごめん、ごめん」と言葉を零す。
見かねたユウカが胸を張り、モモイに向かって口を挟んだ。
「ちょっと、モモイ! 今先生は仕事中で――」
「げっ、魔王ユウカ!?」
「――は?」
「あら」
「おぉう」
どうやら彼女は先生にばかり目が行っていて、他に誰と一緒に歩いているのかを認識していなかったらしい。咄嗟に出た言葉は正に地雷原を突っ走る様な行いであり、ユウカの表情がスンと切り替わるのが分かった。
口に手を当てるも、もう遅い。一度紡いでしまった言葉を引っ込める手段はない。熊と遭遇したかのようにゆっくりと後退するモモイは、その蒼褪めた表情をそのままにぽつりと最後の声を漏らした。
「あっ、やば……」
「――モ~モ~イ~ッ!?」
「うひゃぁっ! ちがっ、今のは私達が制作中のミレニアム・クエストのラスボスの事で、決してユウカの事じゃ――わわっ!」
ぶん、とユウカの伸ばした腕が空を切る。捉えようと振るわれたそれを紙一重で避けたモモイは、そのまま全力で廊下の向こう側へと駆け出した。同じようにユウカも彼女の背を追って、床を蹴り飛ばす。
「待ちなさいッ! 今日と云う今日は絶対に許さないからっ!」
「だからユウカの事じゃなくて、魔王ユウカの事なんだってばぁ~っ!」
「モモイ~っ!」
「うわぁ~んっ!」
ユウカの怨念の籠った声が周囲に響き渡り、同時にモモイの悲鳴も轟く。二人は凄まじい勢いで廊下を駆け抜け、軈てその背中は廊下の曲がり角へと消えて行った。それを見送ったネルは呆れたような吐息を零し、ノアは手帳で口元を隠しながら笑みを漏らす。
「凄い勢いで行っちまったな」
「ふふっ、怒っているユウカちゃんも可愛い……でも廊下を走るのは危険ですし、気を付けて貰わないといけませんね」
「そういう問題か……?」
ノアの言葉にネルは他にも色々と問題がある様に思ったが――彼女はそれ以上深入りする事無く首を振った。先生も中腰だった姿勢を正すと、軽く引き締まったネクタイを緩めながら口を開く。
「ごめん、ちょっと寄り道して良いかな?」
「あ? そりゃあ、構わねぇけれど……」
「――ゲーム開発部ですか?」
先生の言葉にノアはアタリを付け、そう問いかけた。どうやらお見通しらしいと先生は頬を軽く掻きながら頷く。折角ミレニアムまで足を運んだのだから、どうせならば顔を見て行きたいと思ったのだ。
「うん、少し顔を出して行こうと思って」
一度生まれたものはそう簡単に死なないって、じっちゃが云っていた。
だから先生もそう簡単にはくたばりません事よ。
ラップ巻きにされてもしぶとく生き残るんですの。