ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝致しますわ!
今回一万二千三百字ですの! 一万字超えましたが三千字程度なら誤差ですわよ誤差。
二日に一回投稿するか、三日で二万字近く投稿しないと本編長すぎてエラい事になるんですわよ。


継ぎ接ぎ、補い、抗う

 

「――ん?」

 

 朝、シャーレの執務室にて。

 シャーレ内部に用意された私室から、いつも通りの制服姿で執務室に現れた先生。そんな彼の視界に、少々大きな白いボックスが目に入った。デスクの傍に寄せられたそれは丁度大人が抱えられる程の大きさで、穢れの無い白が窓から差し込む陽光を反射している。昨日の夜には無かったものだ、となると早朝誰かが運び入れたのか――ボックスに近寄った先生は周囲を軽く見渡し、足元のそれを注視する。

 

「これは、随分大きいな」

『先生、何か通販で買い物でも?』

「いや、憶えはないのだけれど――」

 

 タブレットから響くアロナの声に首を振り、疑問符を浮かべる。そうこうしていると不意に、着信が入った。シッテムの箱をデスクに置き、懐から通信用の端末を取り出す。すると画面には見覚えのある文字が躍っていた。

 

「――ウタハ?」

 

 時刻は早朝――エンジニア部の彼女が連絡を寄越す時間帯としては少々珍しい。不思議に思いながらも通信ボタンをタップすれば、画面にウタハの顔が浮かび上がる。

 

『やぁ先生、突然の連絡失礼するよ』

「それは構わないけれど、一体どうしたの? また何か問題でも起きて――」

『いや、そろそろ届いた頃だと思ってね』

 

 そう云ってふっと笑みを零すウタハ。その言葉に目を瞬かせた先生は、何かを悟ったように足元のボックスに視線を向ける。

 

「もしかして、大きな白いボックス?」

『そうだ、私達エンジニア部からの贈り物だよ――昨日の深夜に仕上がったんだ』

 

 昨日の深夜に仕上がった――その言葉に早朝一番で彼女がこれをシャーレに届く様手配したのだと分かった。どうやらかなり無理をしたらしい、ディスプレイ越しにも彼女の姿が草臥れているのが分かった。目元には隈が刻まれているし、髪も所々跳ねている。頬や額には油汚れらしい黒ずみも見え、何となく全身から倦怠感の様なものが滲み出ていた。

 

「それは有難いけれど、その、大丈夫かい? 凄く疲れている様に見えるけれど……」

『あぁ、何、先生から依頼を貰ってからずっと徹夜だったからね……ふふっ、流石に堪えた』

「――あの日から、今日まで?」

 

 その言葉に思わず視線が鋭くなる。ミレニアムに義手製作依頼を出したのは三日ほど前の話だ。あの日から今日までずっと作業していたとなると、かなりのデスマーチだっただろう。先生の声に肩を竦めたウタハは、軽く首を振りながら何でもない事の様に告げる。

 

『何、三徹程度はいつもの事さ、今日連絡を入れたのが私だけなのも、ヒビキとコトリの二人は死んだように眠っているからなんだ、流石に起こすのも忍びなくて……』

「いや、それはそうだよ、というかウタハも少し休んだ方が――」

『いいや、まだ休むことは出来ない、自分の仕事を見届けてからじゃないと』

 

 これは、マイスターとしての信念の様なものだ。

 その強い声に先生は思わず出そうになった言葉を呑み込んだ。少なくとも彼女は自身の創り上げるものに対して真摯に、信念を持って向き合っている。それを理解しているからこそ、彼女の無理を咎める事が出来なかった。押し黙った先生を前にウタハは苦笑を零すと、先生の足元を指差す様に手を揺らす。

 

『一先ずボックスを開けてくれ、きちんと先生の要望に沿っているか確認したい』

「……分かったよ」

 

 肩を落とし、ボックスの前に屈み込む先生。よく見ればボックスの表面にミレニアムのマークが印字されている。裏側だったので気付かなかったが確かに、この手の配色はミレニアムらしい。

 先生がボックスに手を伸ばすと不意に表面が発光し、四角いサークルが表示された。

 

『開封は認証式になっている、先生が手を翳せば勝手に開くよ』

「……箱一つ取ってもハイテクだね」

『どうせ作るなら恰好良く、美しく、ついでに実用性もあったら完璧だ』

「違いない」

 

 苦笑し、云われた通りに手を翳す。すると小さな光が先生の掌全体をスキャンし、数秒してボックスの割れ目から空気の抜ける様な音が響いた。ゆっくりと展開していくボックス、左右に開いた蓋が幾重にもスライドし、複雑な内部を晒していく。おっかなびっくり中を覗き込むと、中央に鎮座する義手の輪郭が目に入った。

 

「これは……」

 

 緩衝材に包まれ、ボックスの中央に鎮座するそれは傍から見ると人から切り落とした腕の様に見えた。想像以上に人間の手だ、それも先生が知っている自分自身のソレに酷似している。

 もしかして、以前の映像データから再現したのだろうか? もしそうだとすれば凄まじい技術だと先生は内心で舌を巻く。

 

「凄いね、まるで本当の腕みたいだ」

『外装は人の皮膚に似せている、けれどそれは単純な視覚効果だけなんだ』

「と、云うと?」

『触ってみてくれ』

 

 ウタハに促されるまま先生は端末を肩と顎先で挟み、義手へと手を伸ばす。指先が肌色の義手にふれると――金属特有の冷たさと硬さを感じた。

 

「……冷たいね」

『そう、触ると冷たいし、硬い、加えて一定以上の衝撃や熱が加わると黒く変色して更に硬化する、表面のDCA(discolored armor)が衝撃を検知し、分子配列が変わるんだ、内部の――あぁ、いや、難しい話は抜きとして、非常用の機能だとでも思ってくれ』

「人の手に見えるのは、通常時かつ見た目だけって事か」

 

 触れれば冷たく、硬いそれ。手首の辺りを掴み持ち上げれば、ずっしりとした重量が腕に伝わって来る。当たり前だが人の腕一本分となるとそれなりの重さに感じられた。

 

『限りなく人の手に近しい形を取るか、それとも頑強さと機能を取るか、これに関しては私達の間でも意見が分かれたのだけれど、万が一の時に壊れて使い物になりませんじゃ後悔してもし切れない、今回は機能性を優先させて貰った、外装に関しては殆ど悪足掻きの様なものだ……すまないね、先生』

「いや、これで良いよ、十分だ」

 

 寧ろもっとメカメカしい見た目を想像していた分だけ、外装だけでも弄れるのは有難い。機能と外見の二択ならば、先生としても前者に比重を置くと云うのが本音だ。彼女も云った事だが、非常時にどうにもならないという事は避けたかった。

 

『人工皮膚じゃないから、その分頑丈さは保証する、ライフル弾が適正距離で着弾しても貫通を許さないよ、今回は予算が大量にあったからね、少々お高い素材もふんだんに使わせて貰った』

「その、DCAって奴も?」

『これは私達が独自に開発した宇宙船用の外装だ、値段を付けると大変な事になる』

「それは、それは……」

 

 その言葉に思わず背筋が凍る。エンジニア部の独自開発した外装など、一体どんな代物か。基本的に面白ければ何でも作る、何ならコールドスリープ装置やら宇宙戦艦を本気で作ろうとする面々である――尚コールドスリープ装置は現在もエンジニア部で高性能冷蔵庫として絶賛稼働中である――件の宇宙戦艦も予算不足でとん挫したらしいが、それ故に彼女達は妥協を許さない。その外装に関しても、かなりの額が費やされたに違いない。

 

『と云っても全部に全部、それを使う訳にもいかない、これは非常に希少な素材を使う上に製造・加工に時間が必要でね』

「そんな希少な素材を使って宇宙船を作ろうとしたのかい?」

『うん、だから試作品用の外装パーツを一部作っただけで予算が底を突いた、まだ底面部分だけだったのだけれど』

「……ユウカ、怒っていなかった?」

『正しく魔王という顔をしていたね』

「だろうね」

『まぁ、何時までも死蔵しておくのも忍びないし、文字通り渡りに船だったよ』

 

 何でもない事の様に笑うウタハだが、当時のユウカの心情を考えれば笑うに笑えない。多分、私が課金し過ぎた時の比ではない表情で、正に般若の如く怒り狂ったのだろうなぁと先生は他人事の様に思った。

 

『内部にはCMF(複合発泡金属)も使っているんだ、セラミックとアルミニウムの厚さを弄って層を形成したものを採用していて、その義手はX線、ガンマ線、中性子線の類を通さない、更に当然熱にも強い、鋼鉄製の素材を使用した義手の二倍近い温度まで耐えられる、衝撃吸収能力も十分だし、気温の変化にも強いよ』

「それはそれは、至れり尽くせりだね」

『求められるものをそのまま作るのでは面白くないからね、特に今回は強度に拘ったんだ、弾丸に関しては流石に表面に凹凸位は出来るだろうけれど数発程度ならば余裕で動く、本当なら大口径のものでも防御出来るようにしたかったんだけれど――そうすると、今度は重量の問題があって、元々どちらの素材も重量がネックだし、比較的薄めに仕込んでも嵩張る、常に身に着ける物なら重さは重要だ』

「確かに、私も余り重い義手を付けて動き回れる自信はないかな……」

『そうだろう? キヴォトスの生徒ならば十キロ程度の義手であっても軽々扱えるだろうが……先生は肉体強度が違う、だから設計には少し難儀した、そこがまた興味深かったのだけれど』

 

 そう云ってウタハは腕を組みながら頷いて見せる。先生とキヴォトスの生徒ではそもそもの身体能力が違う。単純な出力や重量そのものに関しても頭を悩ませたに違いない。そう思うと何とも申し訳ない感情が滲み出て来た。

 

『私達が設定した重量(リミット)は三キロ、人間が扱う義手としてはかなり重い方だけれど、勿論対策は講じてある――ヴェリタスの事は知っているだろう?』

「勿論、何度もお世話になっているから」

『彼女達にも今回の制作には協力して貰ったんだ、ハレが使用しているEMPドローン、あの球体が宙に浮いている技術を義手に組み込んだ』

「EMPドローン……」

 

 先生はウタハの言葉に件のドローンを脳裏に思い浮かべる。白い球体のドローンで攻撃時には対象を自動で追跡、空中から急接近しEMPパルスを浴びせる代物だ。確か内部には人工知能が搭載されており、自己学習も可能なモデルだったと記憶している。彼女はあのドローンにも名前を付けていた筈だが――確か、『アテナ』だったか。

 

『義手が使用者を探知し起動すると内部電力を消費して重力方向とは逆に本体を持ち上げようとする作用が働くんだ、尤も消費電力の都合上完全に打ち消せる程の出力は無いから完全な形での反重力とは呼べないけれど、それでも総重量三キロの内、二キロは軽減出来る、だから電力がある間の重量は実質一キロ程度だ』

「実質三分の一か、これは凄いな」

『ふふっ、きっと先生がそう云っていたと聞けばハレも喜ぶだろう……あぁ、充電用のポートは肘の辺りにあるよ、若しくはタブレットを持つだけでも電力は給電される、要望通りバッテリーも大容量の物を搭載してあるから全機能を使って連続稼働しても七十二時間(三日)はもつだろう、本当なら別の機能を仕込みたかったのだけれど』

 

 そこで言葉を区切り、ウタハはやや不満げな声色で告げた。

 

『良かったのかい? 最初の案にあった電磁防壁の件、多少バッテリーを使うけれどかなり有用な機能だというのに』

「……私を守る盾は、代わりに張ってくれる人が居るからね」

『ふむ……? それは、ユウカやコトリの事かい?』

「彼女達の事も頼りにしているけれど、そうじゃないんだ――いつも傍に居てくれる生徒がひとり、居るんだよ」

 

 先生の答えに首を傾げるウタハ。今の口ぶりだと先生は自前で防壁を張れると云っている様なものだが――彼女の記憶に、先生がそのようなガジェットを持ち込んでいる様子はなかった。そして先生が常に連れているという生徒にも覚えがない。或いはシャーレに新しく加入した生徒でも居るのかと訝しんだが、ウタハはその思考を一度打ちきり頭を振った。

 

『まぁ他ならぬ先生の事だ、何か考えがあるのだろう、今回作った義手はシンプルで分かり易い、日常でも難なく扱えて頑丈、それに大掛かりなギミックを搭載しなかった分バッテリーも大容量、位置情報機能もあるからリンクすれば先生のタブレットに義手の在る場所が表示される、紛失しても一安心だ』

「失くしたりなんかしないよ、大事なものだからね」

『それは助かる、作品を大事にしてもらえる事は製作者冥利に尽きるからね――うん、今回の製作は満足出来るものだった、機械の真善美は合理的で、精密で、そして簡易である事だ、この作品は正にそれを体現している』

「……因みになんだけれど」

『うん?』

 

 満足げに頷くウタハを前に、先生は義手を抱えながらどこか云い辛そうに問いかけた。

 

「自爆機能とか、仕込んでないよね……?」

『……先生、私を何だと思っているんだい?』

 

 画面の向こう側から、どこか呆れたような表情で先生を見つめるウタハ。しかし、どうか待って欲しい、これは自身にとって死活問題となるものなのだ。正直常に爆弾(物理)を抱えながら生活などしたくない。膝に爆弾を抱えていて――みたいなノリで腕に爆弾を仕込まれたら堪ったものではないではないか。

 そんな気持ちを込めて視線を返せば、彼女はやれやれと云わんばかりに唇を尖らせ答えた。

 

『自爆機能を搭載するのはロボットだけだよ、人の使うもの――それも人間である先生の物品に自爆機能を盛り込むなんて、非常識とすら云える』

「そっか、良かった」

 

 その言葉に先生は胸を撫でおろした。その辺りの常識はきちんと守ってくれるのかと。その様子を見ていた彼女は、「ふむ」と首を傾げ問いかける。

 

『もしかして、自爆機能が欲しかったのかい?』

「絶対に要らないです」

『あぁ、なら良かった、流石に私としても先生が日常的に使う代物に自爆機能を設けるのは気が引けるからね、安全装置に関しては絶対の自信を持っているが物事に絶対は存在しない、万が一というのは常に発生し得る、そのリスクを考えると義手に自爆機能を仕込むのは合理的とは云えない』

「実にその通りだと思うよ」

 

 真剣に、心の底からそう思う。実用性とリスクが全く嚙み合っていない、そもそも相手を傷付ける類の代物は仕込んで欲しくないと頼んでいたので元々実装されている可能性は低かったが――。

 

『先生がキヴォトスの生徒と同じ肉体強度を持っていたら、少しは考えたかもしれないが……』

「今だけは心底人間で良かったと思うよ」

『ふふっ、半分は冗談さ……それで、どうだろう先生? 私達の作品は満足のいくものだっただろうか?』

「あぁ、勿論――ありがとうウタハ、他の二人にもそう伝えてくれると嬉しい、今度皆に改めてお礼をさせて貰うから」

『そうか、良かった、きっと二人も喜ぶだろう』

 

 先生が微笑みと共にそう告げると、ウタハは心底安心したとばかりに胸を撫でおろしその表情を緩めた。

 

『ふぅ、何だろう、肩の荷が下りた気分だよ、流石にずっと働き詰めは疲労が蓄積してね……』

「ウタハ?」

 

 画面の向こう側でウタハの身体が微かに揺れる。どうやら疲労の限界らしい、三徹もすれば然もありなん。先生は心配を滲ませながら彼女の身を案じる言葉を口にした。

 

「ごめんね、私の為に……暫くゆっくり休んで欲しい」

『ふふっ、流石に無理をし過ぎた様だ、今回はお言葉に甘えさせて貰うよ先生、何か不具合や要望があったらいつでも頼ってくれ――それじゃあ、またね先生』

 

 その言葉を最後に、ウタハからの通信が切れる。単調な電子音を鳴らす端末を暫し見つめ、先生は画面の電源を落とした。

 

「……アロナ、クラフトチェンバーの起動を頼めるかい?」

『はい、設計図の登録と複製ですね?』

「うん、余り気乗りはしないけれど――」

 

 抱えた義手を見つめ、先生は目を細める。本当は生徒の作品をそのように扱いたくはない、彼女達の作り出した物はどんな品であれ唯一無二のもので替えの利く代物ではないからだ。しかし、そうも云っていられない状況がある。あらゆる状況に備えるのも――大人の役目だろう。

 

「……万が一、と云うのは本当に突然やってくるからね」

 

 

「此方の書類は全て片付きました、万魔殿にはこのファイルを――」

 

 ゲヘナ自治区――救急医学部。

 書類の積み重なったデスクに向き合いながら、忙しなく手を動かすセナは今しがた万魔殿に提出する書類を回収しに来た部員に、幾つかのファイルを纏めて手渡した。汗を滲ませながら腕の中に積もるファイルの束、それを見つめながら部員の生徒はおずおずと口を開く。

 

「せ、セナ部長、その、少し無理をし過ぎでは……?」

「無理?」

 

 ぴくりと、セナの手が止まった。ゆっくりと振り向いたセナの表情は――お世辞にも健康的とは云い難い。やや荒れた髪質に隈の見える目元、そして全体的に血の気の失せた顔色が普段以上に彼女の肌を白く見せている。そんな彼女を見つめる部員は、まごつきながら意見を口にする。

 

「最近は患者の数も減って来ましたし、私達だけでも対応可能なレベルにまで落ち着いて来ました、医者の不養生とも云いますし、少し休暇を取っても――」

「……いえ、有難い話ではありますが減ったと云っても患者がゼロになった訳ではありません、ひとりでも手が多いに越したことはないでしょう、それにまた騒動が起きていつ大量の急患が来るかも分かりませんから」

「せ、セナ部長……」

 

 そう云ってにべもなく断りを口にする自身の上司を前に、部員の生徒は思わず呻く。彼女から見ても最近のセナはオーバーワーク気味だ。夜も殆ど寝入っている様子はないし、あっても数時間程度の仮眠をソファで済ます。一体いつ休んでいるかもわからない状況は部員達の不安を煽り全体的な士気も下がっていた。確かに以前であれば無理をする理由もあったが、現在は比較的業務も安定している。また何か騒動が起こると見越して、先の仕事まで手を伸ばしているにしても限度がある――そんな事を思う部員の耳に、普段聞き慣れない声が届いた。

 

「失礼します、セナ部長宛てに今しがた郵便が届きました」

「……私に?」

 

 扉をノックし、顔を覗かせたのはゲヘナ自治区に於ける郵便担当の生徒だった。彼女はぶら下げていた鞄から一枚の封筒を取り出し差し出す。セナは頭上に疑問符を浮かべながらも差し出されたそれを受け取った。それは何の変哲もない、普通の封筒に見える。

 

「それでは、自分はこれで」

「ありがとうございます」

 

 一礼し、去って行く生徒。その背中を見送った後、セナは手にした封筒を観察する。相応に薄く軽い、中身は恐らく手紙か何かだろう。

 

「手紙、ですか?」

「えぇ、今時随分と古風な――」

 

 呟き、表の差出人の部分に目を向ける。そうして記載されていたそれに、セナは驚きと共に言葉を漏らした。

 

「――先生?」

 


 

 閑話 【大人として】

 

 アビドス自治区、ラーメン屋柴関――本店を砲撃で失って以降屋台として再出発したラーメン屋柴関は、比較的人の残っている商店街区画の街角で今日も店を開いていた。客足は上々、席は決して多くはないが少なくもない。以前店を開いていた場所から然程離れても居ないので、以前から店に通ってくれていた常連はそのまま屋台の方にも足を伸ばしてくれていた。

 今日も今日とて厨房にて調理に明け暮れる大将は、立ち昇る湯気に汗を滲ませながら手を動かす。

 そんな彼の下に歩み寄る影が一つ。

 

「――大将」

「お?」

 

 声に反応し、大将が顔を上げるとそこには久しく見ていなかった顔があった。

 

「よぉ、先生さん、久しぶりだな」

「どうも、ご無沙汰しています」

 

 暖簾を潜り、微笑みを浮かべる先生は小さく頭を下げる。大将は手にしていた包丁を戻すと、そっと横に積み上がっていた椅子を指差した。

 

「食ってくんだろう? 其処に椅子があるからよ、出して座ってくれ」

「えぇ、お邪魔します」

 

 大将に云われた通り、積み上がっていた椅子の一つを手に取ってカウンター前に陣取る。屋台は少し背が高く、厨房には大将に合わせた足場が設置してあった。頭に巻き付けていたタオルを縛り直した大将は、くんと鼻先を揺らしながら問いかける。

 

「オーダーは?」

「いつものラーメンをお願いします」

「あいよ」

 

 先生の声に対し軽く手を挙げ、調理に取り掛かる大将。彼の姿は板前法被を着込んだ犬の様にしか見えないが、その手付きは淀みなく熟練の業を感じさせる。用意した丼に特製のタレと油を入れ、トッピング用のチャーシューを切る。まな板を叩く包丁の小気味良い音、立ち昇る湯気、大将の背中と合わせ何となしに眺めるそれらを前に先生は呟いた。

 

「……この感じ、懐かしいですね」

「最近は顔を見てなかったからな、まぁ此処はシャーレからも遠いだろう? 仕方ねぇ事だけれどよ、偶には来てやってくれ、アビドスの生徒さんも喜ぶ」

「えぇ、そうします、今抱えている仕事が終われば――暫くは休める筈ですから」

 

 カウンターの上に乗せた手を見つめ、先生はそう答える。大将は調理の手を止める事無く背中越しに言葉を紡いだ。

 

「今日はもう、生徒さんの所には顔を出したのかい?」

「はい、便利屋の所と対策委員会にも、今はその帰りです」

「そりゃあ良い」

「此処に来たからには、大将のラーメンを食べずに帰れませんからね」

「ふははッ、嬉しい事云ってくれるじゃねぇか」

 

 トン、と一際大きな音がした。先生が顔を上げると、調理の手を止めた大将がじっと此方を見ている事に気付く。その瞳は見間違いでなければ、どこか悲しみの感情を孕んでいる様にも見えた。

 

「随分、男前になっちまったな、先生」

「……目の方は、大将とお揃いですよ」

 

 右目を指先で覆い、先生は苦笑と共にそう口にする。柴関の大将も右目に大きな傷があった。薄らと見える傷跡は彼のトレードマークでもあるが、一般的な観点からすれば決して見目の良いものではないだろう。タオルから飛び出た耳を揺らす彼は気恥ずかしそうに、肩を竦めながら云う。

 

「片目が潰れた事をお揃いなんて云われたのは初めてだ、あんまり嬉しくはねぇな」

「ふふっ、でしょうね、けれど後悔はしていないんです、大切なものを守る事は出来たから、失敗だらけの私としては上々でしょう」

「失敗だらけか、男の傷は勲章なんて云うが……あんまり生徒さんに心配かけてやるんじゃねぇぞ、先生」

「えぇ、分かってはいるんです――けれど、どうにも儘ならない事が多くて」

「……難しいモンだな」

 

 鼻を鳴らした大将はそのまま背を向け、鍋の前に立った。温めていた煮干しと正油を小鍋から掬い、丼に流し込む。次いで湯に浸した麺を長箸で解しながら、大将はふと先生と出会ったばかりの頃を思い出す。アビドスでの騒動があったのはもう何ヶ月も前の事だったか。或いは、そろそろ半年程度は経つかもしれない。

 たった半年、されど半年――その半年で、先生は多くの物を失った様に見えた。

 

「お前さんは見かける度に傷が増えてやがる、前もそうだったが、もう隠すのも難しいんだろう」

「……えぇ」

 

 大将の言葉に、先生は静かに頷いた。指先を這わせるのは体の彼方此方に刻まれた小さな傷痕。

 古傷を保護膜で覆っていたのはいつの事か。手足に関しては今もまだ使用している部位も多いが、そうでなくなった箇所も多い。何せ、余りにも傷が増えすぎたのだ。古傷の上に新しい傷が出来る、故に隠す方が寧ろ不自然となる。傷に塗れる事が普通になっていく。

 そして秘密を知る生徒も――治療に携わった生徒は、凡そ理解しているに違いない。

 

「先生さん、酒はイケる口か?」

「は……?」

 

 不意に、大将はその様な事を口走った。見ればいつの間にか戸棚の方から日本酒らしき酒瓶を手にした大将が此方を見つめ、ニッと口元を歪め笑っている。コンと、酒瓶がカウンターを叩いた。

 

「過去を云々するつもりはねぇよ、人生色々だ、だが溜め込み過ぎは良くねぇ、偶にはハメを外しても文句は云われねぇだろう? ――どうだ、一献」

「……気持ちは有難いのですが、その、お酒は避けていまして」

「何だ、もしかして下戸だったか?」

「いえ、飲めない訳ではないのです」

 

 大将の驚いたような顔に、先生は苦笑を零しながら首元を撫でつける。決して酒が飲めない訳ではない、多少嗜む事はあるし付き合いもある――生徒達の前では決して口を付けないが、シャーレ近辺の商店街の組合から誘われたり、個人的な交流で持ち掛けられたり、そうでなくとも酒を口にする機会は多々あった。

 しかし――。

 

「頼るべき大人が、肝心な時に酔っぱらって動けない……なんて事は避けたいんですよ、特に今は色々と忙しい時期ですから――せめて次に控えている大きな仕事(騒動)が終わるまでは」

「……なるほどな、お前さんらしい」

 

 最初は不思議そうにしていた大将だったが、その理由を聞けば納得した様子で頷き酒瓶を引っ込めた。「折角の厚意なのに、すみません」と先生が頭を下げれば、大将はからからと笑いながら首を振った。

 

「いや、先生さんは、根っから先生なんだと改めて実感したよ、それなら今日はウチの奢りだ、好きなだけ食ってけ」

「は、いや、しかし――」

「良いんだよ、先生には世話になっているし、あの事件以降この辺も多少平和になった、客足も増えて来たし商売も上手く行っている、この程度で傾く屋台骨じゃねぇ」

 

 そう云って二の腕を叩き、口元を釣り上げる大将。その何ともパワフルな姿に先生は目を瞬かせ、ふっと口元が緩むのを自覚した。

 

「……それなら、有難く」

「おう」

 

 返事は短く、ハッキリしていた。

 調理に戻った大将は手際よく動き、茹で上がった麺を湯切りしスープの注がれた丼に投入する。そして刻んでいた葱やチャーシュー、煮卵にナルト、メンマをこれでもかと盛り付け、ものの数分足らずで注文の一品を完成させた。大将の見た目と異なる、硬い肉球に包まれたラーメン丼は先生の前に置かれ、その存在をこれでもかという程に主張する。

 

「はいよ、先生特製、チャーシュー盛り合わせお待ち」

「……これは、また」

 

 差し出されたそれに先生は思わず声を上げる。普段より少し、いや、大分量が多い様に思える。決して食べられない量という訳でもないが、サービスにしては過剰ではないだろうか? そんな事を考えながらも大将を見れば、にやりと口元を歪めるのみ。いや、彼は便利屋の皆を迎えた時もそうだった。腹を決め、背筋を正した先生は箸を手に取り心の中で手を合わせる。生憎と、現実で合わせるには腕が一本足りない。

 

「箸じゃねぇモン用意するか?」

「いえ、大丈夫です、ただ無作法には目を瞑って頂けると」

「気にしちゃいねぇよ、美味しく食えるのが一番だ」

 

 何でもない事の様にそう口走る大将に、「ありがとうございます」と一言。そしてラーメンに視線を合わせると、頂きますと呟き、その麺に箸を伸ばした。

 こういう、真っ当な食事をするのは久し振りに思えた。湯気を発する麺を見つめながら考える。真っ当というのは、食事を楽しもうと意識して箸を動かす事だ。仕事に忙殺され半ば栄養補給的に口に突っ込む食事とは訳が違う。コンビニやファストフード、普段口にする栄養食品が不味い訳ではないのだが――やはり、自分の為に作られた食事と云うのは良い。麺を啜った先生は、心底そう思う。

 少しだけ、フウカの手料理が恋しく感じた。

 

「――美味い」

「そいつぁ良かった」

 

 漏れ出た一言、何の意志も介在しないからこそそれは本心からの一言であり、大将は心底嬉しそうに笑う。

 

「便利屋の生徒さんもよ、良くウチで食ってくれるんだ、セリカちゃんも忙しいってのに良く働いてくれている――此処(アビドス)は順調だよ、ウチの屋台も含めてな」

 

 麺を啜る先生を前に厨房から椅子を引っ張り出した大将は、先生の対面に腰掛けながらふとそんな事を口走る。その雰囲気は柔らかく、優し気な色を孕んでいた。

 

「俺ぁ昔から、自分の料理を美味そうに食ってくれるお客さんの顔が好きでな、アビドスの生徒さんや便利屋の生徒さんがよ、此処で美味そうにラーメンを啜ってくれてるのが嬉しくて……店が無くなっちまった後でも、未だに足を運んでくれる面々には頭が上がらねぇ」

「それだけ大将の作る料理が魅力的だと云う事でしょう――今でも、他所の自治区から足を運んでくれるお客さんもいる筈です」

「あぁ、前は何て云ったか、ゲヘナだったか? そこの生徒さんが来てくれてな」

 

 大将はそう云って嬉しそうに当時の事を語ってくれる。早朝、店を開店したばかりの時に突然現れ、大量のラーメンを注文したのだと云う。

 

「えらい上品で小食な生徒さんと、大食いの生徒さんが二人、それと小さいが根気のある生徒さんがひとり、朝一番の客だったってのに、その日の内に一日分の在庫が全部無くなっちまった」

「それは、また」

 

 大将の告げる生徒には心当たりがある。恐らく今はゲヘナ自治区の風紀委員会の元で絞られているのではないだろうか。そんな事を考え苦笑を零す先生に、大将はくつくつと肩を揺らした。

 

「驚きはしたが悪い気はしなかった、あんだけ笑顔で食って貰えたら料理人冥利に尽きるってモンだ」

「正に、天職ですね」

「あぁ」

 

 誰かの為に料理を作る――それが大将にとって天職だったのだろう。この屈託のない笑顔を見ていると、そう思えてならない。

 ふと、大将が先生を指差した。唐突なそれに面食らった先生だったが、大将は揶揄う様な表情で以て告げる。

 

「お前さんもそうだろう? ()()

 

 その声には親しみがあった。揶揄いの意図もあっただろうが、それ以上に嘘のない言葉だと思った。それが彼なりの親愛の言葉だという事は直ぐに分かる。故に先生は暫し口をつぐむ、それから彼と同じように何の憂いも感じさせず、屈託なく破顔した。

 

「くくっ――えぇ、そうですね、全く以てその通りだ」

 

 先生と云う在り方。

 自身には、文字通りこれが天職だった。

 生徒に寄り添う事、子ども達を見守る事、その困難に共に立ち向かう事。その行いこそが、先生にとって唯一無二の存在理由だった。それは、それだけはどれだけこの身が欠けようと、或いは摩耗しようと変わらない。

 正しく大将と同じ、どれだけやり直しても変わらない性根というものだ。

 

 誰か(他者)の為に料理を作り、食べて貰う事。

 誰か(他者)の為に寄り添い、共に歩み導く事。

 

 その最後には必ず、笑顔が待っている筈だから。

 

「先生さんよ、子どもの笑顔ってのは、いつの時代も宝だ」

「えぇ、本当に」

「だからこそ、長生きしろよ――あの子達にはまだ、お前さんが必要だ」

「………」

 

 深く腰掛けながら、頭上を見上げそう告げる大将。小さく蠢く口元は煙管を咥えた時の癖か。先生は箸を掴んだまま静かに目を伏せる。僅かに減ったスープの水面、そこには何も映りはしない。濁った視界には、何も。

 

「そうですね……けれど、彼女達も大人になる時が来る、だから――」

 

 呟き、目を閉じる。

 そう、根底は変わらない。

 七つ目の嘆きは必ず到来する。

 だから、どれだけ時間が掛かろうと。

 例え、どれ程の暗闇に覆われようと。

 先生は薄らと微笑みを浮かべ、告げる。

 

「せめて、幼年期の終わり(この命尽きる)までは」

 

 ――彼女達ならば歩いて行けると、先生はそう信じている。

 

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