ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですのっ! 
今回も一万二千五百字ですわ! 三千字未満だから誤差、ヨシッ!


裏切りの末路

 

 トリニティ自治区――補習授業部、教室。

 

 本校舎から離れた合宿所、その片隅にある教室。其処に足を運ぶのは久方振りだった。何せミカのクーデター騒動から既にそれなりの月日が経過している、その後エデン条約でのゴタゴタや諸々があった訳だが、既に補習授業部は解散し、この合宿所もティーパーティー管轄下に戻された筈であった。

 しかし、どういう訳か再び『著しく成績の悪い生徒』が発生したらしく、ナギサ経由で再度顧問を担当して欲しい旨の連絡が届いた。彼女としてもかなり苦渋の決断だったらしく、かなり畏まった文章と共に依頼が送られて来たのだが、先生はこれを二つ返事で快諾。

 そうして再びこの合宿所、教室へと訪れた訳だが――。

 

「えー、テスト期間が終了して、新しい補習授業部が作られたと聞いたのだけれど……」

 

 教卓の前に立ち、教室を見渡す先生は額を揉み解す。

 騒動があったとしても学園として試験の類は実施しなければならない。勉学に励める環境であったとは口が裂けても云えないが、それはそれとして赤点を取る様な生徒というのは滅多に居ない。トリニティという学園が元々学業に力を入れているという点もあるが、何より赤点のボーダーラインが低く設定されている為だった。

 つまり、赤点を取る生徒は『洒落にならないレベルで成績が酷い』という事になる。

 そして、その洒落にならないレベルで成績が酷い生徒達はというと。

 

「あぅ……」

「ふふっ♡」

「ふむ……」

「うぅ……」

「前回と、全く同じメンバーだね……?」

 

 呟き、先生は口元を引き攣らせる。

 

 阿慈谷ヒフミ。

 浦和ハナコ。

 白洲アズサ。

 下江コハル。

 以上の計四名。

 前回の補習授業部と全く同じメンバーが教室には集っていた。

 

「あ、あはは、それがその、えっと、し、試験日とペロロ様のコンサートが被ってしまって……」

「次の試験範囲はまだ習っていない」

「えっと、さ、三年生の試験を受けてみたんだけれど、全然解けなくて……」

「ひとりだけ放置プレイなんて、寂しいじゃないですか♡」

「……はぁ」

 

 各々が各々の理由で赤点を取り、どうやらこの場に戻って来たらしい。先生は俯き、思わず溜息を漏らしてしまった。綺麗に勉学の良さを知り解散、という結末にはならなかったらしい。あの努力の日々は一体何処へ、そう思うと何とも目尻に涙が滲んで来た。

 

「な、何それ! そんな反応しなくても良いじゃん!」

「す、すみません、先生」

「むぅ……」

 

 先生の動作に呆れられたと思ったのか、コハルは憤慨し、ヒフミは恐縮し、アズサは不満げだ。いや、しかし補習授業部など本来は存在しない方が良いのは事実だろう。少なくとも字面から良いものではないと分かり切っているのだから。

 

「ふふっ、またこの教室で――そう云いましたよね、先生」

「ハナコ……」

 

 くすくすと、唇に指を添えてそう告げる彼女に先生は眉を下げる。恐らく彼女はこうなる事を予測していたのだ、だからこそあのような言葉を自身に投げ掛けた。先生はその知性と観察眼を前に感服する他ない。

 

「それにこの辺りで一度評判を下げておかないと、また勧誘が来てしまいそうですし」

「ワザとだと分かる時点で、成績に関しては意味がないんじゃないかな……?」

「評判というものは常日頃変動するものですよ♪」

 

 軽々しくそう宣い、ウィンクするハナコ。彼女にも色々と考えがあっての行動らしい――いや、ある意味『そっちの方が楽しそうだから』とか、そんな些細な理由かもしれないが。

 

「……まぁ、こうなってしまったのなら仕方ないね」

 

 告げ、先生は気を取り直す。その顔を上げると、各々の表情が良く分かった。先生は口元を緩め、仕方なさそうに笑って告げる。

 

「また、皆で勉強しようか」

「は、はいっ! えっと、またよろしくお願いします――先生!」

 

 ヒフミが立ち上がり、声を張り上げる。補習授業部の部長はヒフミが続投、そのペロロ鞄に吊り下げられた補習授業部の人形が飛び跳ねる。やや傷跡が残るその人形はしかし、丁寧に修繕され今もなお笑顔を浮かべていた。

 

「え、えっと、よ、宜しく先生……!」

「うん、次こそは百点を取って見せる」

「ふふっ、皆で頑張りましょうね♡」

 

 ハナコも、コハルも、アズサも、同じよう頷き、告げる。その鞄に、胸元に、ポーチにぶら下げた人形達。

 

 どうやら彼女達の補習授業部(青春)は――まだまだ続いて行く様だった。

 

 ■

 

「アロナ、スクワッドの皆は――」

 

 補習授業部での顔合わせを終え、廊下を歩く先生はふと手元の端末に問い掛ける。

 合宿所の廊下は人気がなく、背後の教室からは少女たちの声が微かに聞こえて来る。抱えたシッテムの箱、その画面にはアロナが映し出されていた。彼女は宙に浮かべたパネルを指先で叩きながら、申し訳なさそうにその首を左右に振る。

 

『残念ですが、まだ――』

「……そうか、見つかっていないか」

 

 呟き、先生は表情を険しく変化させる。アロナの情報収集能力とて万能ではない、しかし此処まで見つからないとなると――何者かの妨害が現実味を帯びて来る。ベアトリーチェによる認識阻害か、或いはゲマトリアの協力を得ているのか。

 或いは――。

 

「少し、急がないといけないかもしれないね」

 

 呟き、先生はシッテムの箱を抱え直す。

 決戦の刻は徐々に――しかし確実に迫っていた。

 

 ■

 

「……ふむ」

 

 ゲヘナ自治区――外郭区スラム。

 罅割れた道路、薄汚れた廃墟、散乱する瓦礫片、彼方此方に描かれたグラフィティ、正に無法地帯と化したその場所で佇む一人の生徒。比較的背の高い廃墟ビルの屋上、その給水塔の上に立った彼女――ワカモは周辺一帯を見つめながら忌々し気に呟いた。

 

「此方にもいませんか、粗方目星を付けた場所は潰した筈ですが」

 

 担いだ愛銃に腕を絡ませながら、指先で銃口を撫でつける。

 日暮れ時、薄暗い闇に覆われたスラムにも彼方此方に灯が点在している。それらを視線でなぞるも彼女の求めていた標的は掠りもしない。もし逃げ込むとすればこの周辺であると予想していたが――どうやらアテが外れたらしいと鼻を鳴らす。

 

「姉御!」

「――見つかりましたか?」

 

 ふと、背後から声が響いた。

 見れば給水塔の梯子に足を掛けながら、必死によじ登って来る不良生徒(スケバン)が一人。ワカモがすわ標的を捉えたのかと振り返れば、マスクにバツマークを描いた彼女は息を弾ませ、給水塔の淵に手を掛けながら首を横に振った。

 

「い、いえ、その、アリウス・スクワッド……? って連中は見つからなかったんですが、ヒノム火山道中にあるスラム近辺に、コイツと同じマークの外套を着込んだガスマスク連中が出歩いているって報告が上がっていまして……」

「――ヒノム火山?」

 

 その言葉に、ぴくりとワカモの耳が震える。

 ヒノム火山と云えばミレニアムの廃墟、トリニティのカタコンベ、それらと同列に語られる立ち入りの制限された区画である。その近辺のスラム街となると、此処よりも更に人口の少ない、廃れた場所だ。確かに潜伏する場所としては悪くないかもしれないが――ワカモは顎先を指で撫でつけ呟く。

 

「ゲヘナの、それもまた辺鄙な場所に……しかし身を晦ませるならばあり得ない訳ではない、ですか」

 

 現在位置を脳裏に描きながらワカモは思考を巡らせる。だが一つ解せない事がある、それは手下(スケバン)の目視した生徒というのがワカモの追っているスクワッドではないという点だった。

 彼女達がアリウス分校を離れ、逃げ出したという報告は届いている。人目を避けるスクワッドが人口の少ない区画に身を隠すならば分かるが、何故アリウスがそのような場所に足を運ぶのか――ワカモの思考が加速し、彼女は再度問いかける。

 

「その外套を着込んだ者共は、配布した写真の生徒達ではないと?」

「えぇ、遠目だったので絶対とは云い切れないそうですが、写真の風貌の連中じゃなかったと、普通の何て事のない一般生徒っぽい恰好だったって……あと、何かを探している様な素振り? だったらしいっす!」

「それは、それは」

 

 スクワッドではない、アリウスの一般生徒。それがゲヘナの、それも辺鄙なヒノム火山近辺のスラムに足を運ぶ理由。その報告を聞き届けたワカモは振り返り、思考に没頭する。

 

「アリウスが何かを探している……? しかしエデン条約は既に――」

 

 エデン条約は既に白紙に戻り、ETOの権限はシャーレが握っているものの戦力としての複製は全てが掃討され、ただその形骸だけが横たわっている状態だった。この状況でアリウスがゲヘナに足を延ばす理由が分からない。彼女達は既にトリニティのカタコンベからアリウス自治区に撤退した筈だ、仮に今度はゲヘナに攻め入る計画があるとして、何故ヒノム火山近辺等と云う僻地に兵を向ける? 

 合理的ではない行動――しかし、それが彼女達にとって意味のある行動だとすれば。

 

「まさか――アリウスに追われているのですか?」

 

 不意に、閃きが走った。

 エデン条約に於けるスクワッドの役割、そしてヒノム火山という人の目のない僻地、先程も考えた事ではあるが潜伏先としては悪くない選択肢だった。スクワッドがアリウス自治区に戻らず逃走を図った事は理解している、そしてその事に対しアリウス分校が何の対策も取らない筈がないと云う事も――しかしまさか、ゲヘナの僻地にまで手を伸ばすほどに裏切り者の始末に力を入れているとは。

 それは、ワカモをして驚くほどの執念だった。

 見つかれば諸共殲滅されるリスクを孕んでいる、或いは一部隊の離反程度放って置くと云う手もあると云うのに。彼女達は既にトリニティ、及びゲヘナから目の敵にされている。そうでなくとも他学園からも、決して良い眼では見られまい。

 

「ふふっ、聊か拍子抜けですが、自ら始末を付けてくれると云うのであれば構いません、本当ならばこの手で縊り殺して差し上げたい感情もありますが……」

 

 くつくつと、ワカモは仮面の下で笑みを零す。

 

「あの方の隣に立つのに、清廉(綺麗な手)である事は良い方向へと働くでしょう」

 

 呟き、ワカモはその銃床で給水塔の外装を叩いた。その金属音にスケバンの肩が跳ね、ふわりと風が吹く。それはワカモにとって心地良い風であった。

 自身の手で始末をつけ、殺し合うと云うのであれば是非もない。可能な限り惨たらしく戦い、惨めに死んでいくと良い。先生を手に掛けようとした愚か者には相応の末路だと、ワカモは心底そう思っていた。

 どこか不穏な気配を纏うワカモを前にスケバンの生徒は恐る恐る問いかける。

 

「そ、それで、どうしましょう、姉御?」

「そうですね……一応幾人か尾行を、貴女方ならば万が一見つかってもスラムに屯する不良生徒(住人)程度にしか思われないでしょうし、保険として近隣区画にも何人か潜伏させておいて下さい――あぁ、手出しは無用です、必要があれば此方から再度指示を出します」

「了解っす!」

 

 ワカモからの指示に、スケバンの生徒は頷き給水塔を飛び降りる。その走り去っていく背中を眺めながら、ワカモは今もなお苦境に立たされているであろうスクワッドを想う。

 

「……あの方のご意向は何よりも優先させるべき、しかし物事には限度があります――貴女方に、あの方へと縋る資格はありません」

 

 そう、物事には限度がある。

 例え先生が赦しを与えたとしても、周りがそうであるとは限らない。そしてワカモという少女の持つ優しさは、ただ一人にのみ向けられる代物だった。それ以外は全て些事、寧ろ先生と自身を隔てる障害とすら思えてしまう。

 ならばこそ、彼女は悦楽の表情を浮かべながら吐き捨てるのだ。

 

「えぇ、実にお似合いの末路ですよ――アリウス・スクワッド」

 

 ■

 

「いたぞ、向こうだ、追えッ――!」

「くッ……!」

 

 暗闇の中、スラムの中に声が響く。複数人の忙しない足音、同時に背後から飛来する弾丸。発砲音と閃光が瞬き、直ぐ傍の外壁へと銃弾が突き刺さる。破片が皮膚を強かに叩き、彼女たち――スクワッドはその表情に焦燥を滲ませながら只管に足を動かしていた。

 アリウス分校に捕捉され、逃走劇を繰り広げてどれ程の時間が経過しただろうか。少なくとも一時間や二時間程度では済まない。そして、こうした追撃を受けるのは初めてではなかった。既にこの逃走生活を始めてから、幾度となく繰り返された行為だ。

 ふと、先頭を駆けるサオリの腕をミサキが掴んだ。振り返ると、汗を滲ませながら彼女は首を振る。

 

「リーダー、この先は袋小路、誘導されているよ」

「何――?」

 

 暗闇の中、微かに目視出来る月明りのみで前方を見る。視界を向ければ確かに、複雑に入り組んだ裏路地の果ては密集した廃墟群に囲まれた袋小路だった。これ以上逃げる先がない、ならば建物の中に――そう考えるも、それを予測していたのか直ぐ脇の建物からアリウスの生徒達が顔を覗かせる。

 誘い込まれた、その事実に歯噛みし銃口を向けるも、数は圧倒的に向こうが勝る。たちまちの内にスクワッドは壁際へと追い込まれ、逃走経路が封鎖された。

 

「も、もうおしまいです……っ!」

「……反対側も、包囲された」

 

 背中には外壁、左右の建物からもアリウスの生徒が遮蔽物越しに銃口を覗かせている。そして正面には今しがた追撃を仕掛けて来た部隊が――スクワッド全員がゆっくりと後退しながら銃を構えるも多勢に無勢、此方が仕掛ければ即座に数十倍の弾丸が仕返しとばかりに飛んでくるだろう。その未来を予期したからかヒヨリが泣き叫びながら震えだし、アツコがその表情を苦悶に歪めた。

 

「万事休す、だね」

「っ……」

 

 ミサキの呟いた言葉に、サオリは歯を食い縛る。

 突きつけられる無数の銃口、何か打開策は無いか思考を巡らせるも突破口は見えない。疲労し切った肉体はその活路を大いに狭め、これまでの逃走劇で装備や弾薬の類も制限されている。緩慢な動作で、しかし確実に包囲網を狭めるアリウス追撃部隊を前にサオリは打つ手を持たない。

 

 追撃部隊の中から、ふと一人の生徒が踏み出した。恐らく作戦指揮を執っていた部隊長だろう、彼女は銃を抱えたまま静かに、しかし強い口調で断じた。

 

「スクワッド――諦めろ、これ以上の抵抗は無意味だ」

「………」

 

 それは同情心から出た言葉か、或いは単なる勧告か。どちらにせよ諦めろと云われて素直に頷ける程度の覚悟であれば、元より無謀な離反など起こさなかった。故に彼女は一抹の望みを賭け、隣り合ったミサキに小さく囁く。

 

「ミサキ、セイントプレデターの弾薬は」

「……まだ残っている、でも撃ってどうするの? 前方に展開した部隊を私の攻撃で吹き飛ばしても、皆もう逃げるだけの体力も、弾薬も残っていないよ」

 

 それに、と。

 彼女は続けてサオリの身体を見つめる。泥と砂塵、そして銃撃によってボロボロになったサオリの外套。加えて度重なる襲撃に幾度となく殿(しんがり)を買って出た彼女の素肌は傷に塗れていた。顔色も悪く、体調は見るからに酷い、只ですら心身ともに負担の大きい逃亡生活で彼女は既に疲弊しきっていた。聖園ミカに折られた腕は辛うじて治癒したものの、万全の状態とは程遠い。

 

「それに、リーダーの体調……逃げるどころか、このままだと命が危ない」

「と、投降するしか、ないのでしょうか……?」

「――いいや」

 

 既にスクワッドには、この場を切り抜けるだけの手段が存在しない。そんな思考と共にヒヨリが呟けば、サオリは静かに首を振った。

 

「最後の手段なら、まだ残っている」

 

 ゆっくりと懐に差し込まれた指先、そして手に握られた歪な手榴弾。それを見た時、ヒヨリは驚愕に目を見開き、ミサキは分かり易くその表情を歪めた。

 

「えっ、ま、まさか……!」

「ヘイロー破壊爆弾……」

 

 エデン条約調印式に先駆け支給されたヘイロー破壊爆弾、通常兵器と異なりキヴォトスに生きる生徒を死に至らしめるソレは正に切り札(最後の手段)と呼ぶに相応しい。支給されていたのは手榴弾型が三発、設置型が二発、彼女はこれを常に肌身離さず持ち続けていた。

 そして、それの恐ろしさを知っているからこそ、アリウス側も心中穏やかではいられない。サオリがその爆弾を手にした瞬間、周囲のアリウス生徒達が一斉に殺気立ったのが分かった。引き金に指が掛かり、彼女達の視線がサオリに集中する。

 

 発砲する事は出来ない――万が一起爆でもしようものなら、サオリだけでなく周囲のアリウス生徒、更には確保目標すら死亡しかねない。故にサオリはこれ見よがしにヘイロー破壊爆弾を握り締め、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 

「ミサキ、ヒヨリ、私が時間を稼ぐ――その隙に姫を連れて離脱しろ」

「……サオリ」

 

 姫――アツコが彼女の名を呼ぶ。

 しかし、それに応えるだけの余裕がサオリにはない。額に汗を滲ませ、自身の愛銃を右手に、爆弾を左手に掴んだ彼女は前だけを見据えている。その指先は微かに震えていた。それは恐怖から来るものか、それとも疲労から来るものか。ただ、彼女にとって一番恐ろしい事は家族を失う事だ、それに比べればこの程度――そう云い聞かせ、サオリは唇を噛む。

 

 初手でヘイロー破壊爆弾を投擲し、前方に血路を開く。後は閉じられる前に駆け抜け三人を逃がし、自身が殿を務める。最悪爆弾を抱えたまま突貫すればかなりの数を巻き添えにする事も出来るだろう。

 三人が逃げるだけの時間は、稼げる筈だ。

 

「リーダー、死ぬ気?」

 

 ミサキは能面の様な表情で、低く唸る様に問いかけた。しかし、その声はサオリに届かない。否、彼女は敢えてその問い掛けを無視していた。痛い程に銃を握り締め、サオリはアリウスの生徒を睨みつける。彼女の考える作戦では、これが最善手――これしか、切り抜ける方法がない。

 上手く事が運んだ場合は追っ手を撒いて、再び合流すれば良い。合流地点はこのスラムから離れた場所が良いだろう。もし自分が合流地点に現れなかった場合は彼女達だけで逃げて貰うしかない。

 そして、その次は――次の、逃げ場は。

 

「此処を離れて、そうしたら……」

「………」

「その、次は――……」

 

 指示は、それ以上続かなかった。

 誰もが理解していた、知っていたのだ――もう、何処にも逃げ場など無いのだと。

 トリニティにはスクワッドを血眼になって探している生徒達が大量に居る、ましてやアリウスの潜むその場所に戻る事は出来ない。ゲヘナも、こうして発見された以上留まる訳にはいかないだろう。ならば百鬼夜行か、ミレニアムか、レッドウィンターか、アビドスか、逃げるだけならば行先の候補はある、だが何処も自分達を受け入れてくれる筈もない。

 それだけの事を、自分達は為したのだから。

 

 ――私達は後、どれだけ逃げ続ければ良い?

 

 その単純で、残酷で、どうしようもない現実が彼女達の前に横たわっていた。

 

「……姫?」

 

 不意に、アツコがサオリの腕を掴んだ。はっとした表情でアツコを見下ろせば、彼女は顔を上げ、サオリの瞳を真っ直ぐ見つめる。その宝石の様な瞳を見返した時、サオリは何か表現できない、強い恐怖心を抱いた。何かを口にしようとして、けれどそれより早くアツコがアリウスの生徒達に向けて告げる。

 

「彼女が求めているのは私、そうでしょう?」

「――えぇ」

 

 隊長である生徒が頷く。その返答にどこか満足気な笑みを浮かべた彼女は、サオリの腕を強く引き一歩前へと踏み出した。

 

「私が行くよ、私が彼女の元に戻る……だから、他のメンバーは見逃して欲しい」

「……!」

「アツコっ!? 一体、何を――」

「逃げ出そうって云ったのは、私」

 

 サオリが声を荒げ、その行動を咎めようとする。しかしアツコはサオリの腕を掴んだまま強く、はっきりとした口調で断じた。

 

「でもこれ以上は逃げ切れない、此処が限界だと思うから」

「アツコ……ッ!」

「トリニティにゲヘナ、そしてアリウスさえも、私達を追って来る――多分、このキヴォトスの中で私達が安心出来る場所は無いんだって、身に染みて分かった、私達の命が尽きるまで、息を潜めて逃げ隠れる人生が続くだけ」

 

 そう、私達(スクワッド)に安住の地など存在しない。生きている限り追われ続け、ただ苦しむだけの日々が待っている。アツコはこの逃亡生活を経て、その苦しさを十分すぎる程に知った。

 けれど――。

 

「でも、それは私が居るからの話、サオリも、ミサキも、ヒヨリも、私のせいでこうなった……だから、私が終わらせる」

「ひ、姫ちゃん」

「……姫」

 

 アツコの声には強く、気高い意志が籠っていた。ヒヨリも、ミサキも、彼女のその悲壮な覚悟を前に声を失う。

 

「駄目だ……っ!」

 

 しかし、サオリだけは尚も抗った。そのアツコの献身を前に、認められないと首を振る。踏み出した彼女の足が砂利を踏み鳴らし、その指先が強くアツコの腕を掴んだ。焦燥に塗れた表情、恐怖を瞳に映し出し、彼女は叫ぶ。

 

「駄目だアツコ! 戻ったら殺される……! それくらい、分かっているだろうッ!?」

 

 アリウスは――彼女は、そのためにアツコを育てたのだから。

 彼女の存在理由、彼女が生き残る道、それを模索する為に自分達は此処までやって来た。こうして逃亡生活に身を投じたのも全ては、全ては皆で生き残る為。もし彼女が自治区に戻る事になれば、どうなるか等火を見るよりも明らかではないか。

 だって、アツコ(彼女)は――。

 

「――今までの私は、運命に流されて生きて来た」

 

 サオリの掴んだ手を、彼女は静かに、優しく撫でつける。長年マスクで覆われていたその素顔を月明かりに照らし、彼女はサオリに向かって微笑んだのだ。

 

「だから最期くらい、自分で決めたって良いでしょう?」

「ア、ツコ――……」

 

 その笑顔は。

 その柔らかな表情は。

 サオリが今まで見た事がない程に優しくて、穏やかで、そんな笑みを真正面から見せつけられた彼女はそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なった。

 するりと、手の中から彼女の腕が抜け落ちる。そのままサオリの数歩前へと立ったアツコは、スクワッドを庇う様に佇みながら問いかける。

 

「約束してくれる? 皆を自由にしてくれるって、もう彼女達の生き方を縛ったりしないって」

「………」

 

 その言葉に部隊長は口を噤み、ガスマスク越しに鋭い視線を寄越す。ややあって彼女は懐から古びた端末を取り出すと、その画面を叩きながら告げた。

 

「少し、待て――マダムに確認を取る」

 

 反応は素早かった。僅かな電子音の後、端末のホログラム機能によって投影される人物像。その輪郭は影になってハッキリと視認する事は叶わない。しかし、ホログラム越しにでも感じる事が出来る畏怖があった。スクワッドのメンバーが息を呑み、その人影を凝視する。彼女は腕を組み、崩れた本の玉座に腰を下ろしたまま頷いた。

 

「マダム」

『――成程、話は理解しました』

 

 部隊長より仔細を聞き届けた彼女――マダムと呼ばれた女性はスクワッド、そしてアツコをその瞳でなぞり、事も無げに告げる。

 

『分かりました、約束致しましょう――あなたが私の元へと戻れば、アリウス・スクワッドのメンバーを罪に問う事は致しません』

「その名に懸けて、誓って」

 

 アツコがマダムに向け、そう云い放った。周囲に僅かなどよめきが起こる、アリウス自治区の主人であり、大人である彼女を前に要求など――到底通るものではないと思ったのだ。ぴくりと、マダムの肩が震えるのが分かった。しかし彼女は激昂する事もなく、手にした扇子で掌を軽く打ちながら問いかける。

 

『名前――? それに、一体どれ程の意味があるのですか』

「必ず約束を守って欲しいから、だからその名に懸けて、彼女達の自由を保障して」

『………』

 

 尚も云い募るアツコを前に、マダムは沈黙を貫く。それは何を想ってか、或いは彼女の無謀さに呆れているのか。肌を刺すような沈黙を経て、彼女は結論を下す。

 

『良いでしょう、全ての巡礼者の幻想である私、【ベアトリーチェ】の名に懸けて、お約束致します』

「うん――約束だよ」

 

 ふっと、アツコはマダム――ベアトリーチェの約束を聞き届け、その身から力を抜く。そして一歩、二歩、軽い足取りでアリウスの生徒達へと歩み寄った。そして部隊長の直ぐ傍に立った彼女は、ただ静かにその目を閉じる。

 

「姫様、此方を」

 

 部隊長は佇むアツコを前に、背嚢へと備え付けていたマスクを手に取った。それは以前彼女が愛用していた仮面――ベアトリーチェの云う保険である。アツコは差し出されたそれを受け取り、まじまじと見つめる。その瞳は何処か悲しげである様に思えた。

 

「マダムのご指示です、勝手にマスクを外されては困ります」

「………」

『傷一つない様、丁重に扱いなさい、儀式は明朝、日の出と共に始めます』

「はっ!」

 

 静かにマスクを被り、顔を覆い隠した彼女。それを守る様に複数の生徒達が周囲を固める。そしてアツコとスクワッドの面々は隔たれ、ホログラム投影されていたマダムの姿は掻き消えた。

 最後に振り返った彼女はもう見えなくなった瞳を皆に向け、告げる。

 

「元気でね、サオリ、ミサキ、ヒヨリ――アズサにも、もしまた出会う事が出来たら、幸せに生きてって伝えて」

「だ、駄目だ……アツコ!」

 

 サオリが思わず駆け出そうとした。その献身を、自己犠牲を認める訳にはいなかったのだ。けれど、飛び出そうとした彼女の腕を掴む存在が居た。

 ミサキだ――彼女は鉛を飲み下すような、苦渋に塗れた表情を浮かべながらもサオリの腕を凄まじい力で掴んで離さない。此処で実力行使に出る事がアツコの意志を踏み躙る事に繋がると理解していたからだ。そうでなくとも他に方法がない。

 だから彼女はサオリを掴んで離さない――その意思に、強い共感を抱いたとしても。

 

「っ、ミサキ……!」

「リーダー、駄目――!」

「離せッ! 私は……私はっ!」

 

 ミサキに腕を引かれたまま、サオリはアツコを見る。くしゃりと歪んだその瞳には、紛れもない涙が浮かんでいた。心が、これが今生の別れになると理解しているのだ。

 もしアリウスに彼女を奪われてしまえば、もう取り返す術は――ない。

 

「待ってくれ、アツコ……っ! 私は……ッ!」

「出来るだけ長生きしてね、大人になっても私の事を覚えていてくれると嬉しいな、痛みを知っている皆ならきっと、素敵な大人になれると思うから」

「アツコ! 待て……待ってくれ、頼むッ!」

「――移動する」

 

 護衛に囲まれた彼女は、その手を引かれゆっくりと歩き始める。最後にスクワッドを一瞥した彼女は俯き、その砂利に塗れ、傷だらけの小さな手を静かに、ゆっくりと振った。

 

「――ばいばい、皆」

 

 その声は三人の鼓膜を叩き、サオリは思わずその場に膝を突いた。

 ぽつぽつと、小雨が降り始めた。それを最初、サオリは自身の涙だと思った。小さなそれは軈て大きな雨粒となり、即座に視界を覆い尽くすほどの勢いとなる。鼓膜を叩く雨音、砂利が水を吸って泥と変わる。

 サオリは顔を上げ、前を見つめた。アツコの背中が、その姿が徐々に徐々に小さくなっていく。

 家族が遠く、離れていく。

 

「私は、お前まで……お前まで、守れなかったら――っ」

 

 地面に這いつくばり、手を握り締め彼女は声を絞り出す。

 信念も、守るべきものも。

 全て、無くなってしまったら。

 

「私は、一体――」

 

 錠前サオリという存在は。

 

「一体、何の為に、今まで……っ!」

 

 雨に打ちつけられ、零れ落ちた涙と共に叫ぶ。

 その小さく細やかな居場所(スクワッドという居場所)を守る為に。

 突けば壊れそうな、苦しみの中にあるほんの僅かな幸福(しあわせ)を守る為に。

 あらゆる感情を捧げて来た、あらゆる夢を捧げて来た。

 血を吐き、泥に塗れ、恩義に反し、裏切り、己が手を汚し、飢え、渇き、苦しみ、それでも生きる事を諦めなかったのは――家族(スクワッド)が居たからだ。

 

 だが、その家族が奪われてしまうのなら。

 居なくなってしまうのなら。

 (サオリ)は。

 (サオリ)は、一体今まで何の為に。

 何の為にすべて犠牲にして。

 何の為に、この苦しみしか存在しない世界を――生きて来たのだ。

 

 打ちひしがれるサオリを前に、ミサキとヒヨリは掛ける言葉を持たない。ただ自身の胸に渦巻く無力感と自己嫌悪、そして遣る瀬無さに身を震わせる事しか出来なかった。

 

「……目標の回収を確認しました、護衛部隊と共に対象は自治区へと帰還します」

『そうですか、では――』

 

 部隊長が這い蹲り、項垂れるサオリを見下ろしながら端末に告げる。ホログラムの消えた端末からは、雨音に混じりマダムの気だるげな声だけが響いていた。

 そうして彼女は残った部隊に告げる。

 

『――残ったスクワッド(三名)は全員始末しなさい』

 

 声は、はっきりと周囲の生徒達に伝わった。

 膝を突いたサオリは微動だにせず、ヒヨリは驚愕と共にびくりと身を震わせた。

 ただ、ミサキだけは小さく、「――あぁ」と呟いた。

 それはどこか諦観の混じった、小馬鹿にするような吐息だった。

 

 その嘲りの対象は自分自身、この期に及んでアリウスを相手に真っ当な――約束を守る相手だと思い込んでいた自分に呆れていたのだ。彼女にとって誓いなど何の意味も持たないというのに。疲労で頭が鈍ったか、彼女はその自分自身の愚かさを責め、苦笑を零す。

 

『……返答が聞こえませんが?』

「――承知しました」

 

 端末から響く声に、部隊長は機械的な声で応じる。

 通信を切り、端末を懐に戻した彼女は――その左手をゆっくりと掲げた。

 それに応じる様に、スクワッドを取り囲んだ生徒達が降ろしていた銃口を再び突きつける。周囲を見渡したヒヨリ、ミサキの両名。ヒヨリは口元を引き攣らせ、ミサキは苦笑と共に愛銃を地面に放った。雨水に塗れたセイントプレデターが音を立てて地面に転がり、その外装が泥に塗れる。

 ヒヨリもまた、最初はどうにかならないかと忙しなく視線を彷徨わせていたが、銃を投げ捨てたミサキと這い蹲ったまま動かないサオリを見つめ、諦観の表情を浮かべ背嚢と共に腰を下ろす。雨に塗れ、傷の痛みに顔を顰めた彼女は深く、深く息を吐いた。

 

「まぁ、こうなるよね、結局全部、無駄だった」

「あ、あはは、苦しい、人生でしたね」

「………」

 

 最早、奇跡は起こらない。

 彼女達には戦うだけの体力も、意思も無かった。

 ミサキが云う様に、結局は全て無駄だったのだ――彼女の教えが指し示す様に(vanitas.vanitatum)

 

 雨の中、自分達を狙う無数の銃口。その引き金に指が掛かる。せめて苦しまない様に、一瞬で片を付けると部隊長は決めていた。幾ら頑強なキヴォトスの生徒と云えど、これだけの人数で一斉に集中砲火を加えればひとたまりもない。

 恐らく数秒も経たずに――その意識は闇に落ちるだろう。

 その後はヘイロー破壊爆弾を使えば、意識のない内に葬る事が出来る。それが今の彼女に赦された唯一苦しみを与えない方法だった。

 

「次があったら、もし……もし、生まれ変わりがあるのなら」

 

 不意に、ヒヨリがそんな事を口走った。雨音の中、曇天に覆われた夜空を見上げる彼女は肩を落とし、雨に塗れながらへらりと笑う。

 

「――陽の下で、皆一緒に笑える人生が良いですね」

「……なにそれ」

 

 そんなヒヨリの夢物語を、ミサキは鼻で笑って俯く。

 

「私達に、そんな未来は許されないでしょう」

 

 自分達が苦しんだのだから、他者にも同じ苦しみを。

 そんな生き方をした自分達に、救いなど与えられる筈がない。

 そんな意味を込めた返答に応える声は無く、部隊長はその掲げていた左腕を静かに振り下ろし、告げた。

 

「――撃て(殺せ)

 

 暗闇に包まれたスラムの一角で、多数の銃声と閃光が瞬く。

 その中に悲鳴の類は一つとして存在せず――銃声と閃光は夜空に吸い込まれ、掻き消える。

 

 後にはただ、静寂と暗闇だけが残っていた。

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