アリウス対策会議
「お越し頂きありがとうございます、先生――多忙の中、申し訳ありません」
「やぁ、こんにちは」
トリニティ自治区、本校舎――第一会議室。
その日、先生はティーパーティーからの呼び出しに応じトリニティ自治区へと出張を行っていた。指定された場所は学園の本校舎、その中でもごく限られた人物のみが立ち入りを許される区画にある大会議室、部屋に入るとまず中央に設置された巨大な円卓が視界に入る、そしてそれぞれの位置に座す三名の生徒。先生は彼女達を見渡しなら、軽く手を振る。
円卓最奥に座すナギサ、入り口から向かって右手方向にはサクラコ、そして左手側にはミネが。それぞれがそれぞれの分派の代表として着席している。トリニティに於ける各派閥、そのトップが一堂に会すその場所は何とも云えぬ厳かな雰囲気に包まれていたが、その表情は皆平然としていた。それが外見的なものだけなのか、或いは腹の底からそうなのかは分からないが、少なくとも険悪な空気を感じる事はなかった。
「先日はお世話になりました、先生」
「いいや、あれくらいはお安い御用さ、サクラコはその後どうだい?」
「体調に変わりなく、怪我についてもすっかり良くなりました」
「それは何よりだ」
「先生も、随分馴染んだ御様子で」
「あぁ――」
呟き、先生は自身の左手を撫でつける。指先に感じる硬い感触は未だ慣れないが、それでも想像以上にスムーズな動きを左腕は見せた。左腕に装着した義手、その指先が開閉し細かな動作を繰り返す。
先生の両手にはハーフグローブが嵌められており、その指先は完全に覆われている。見慣れないものであったが、それはつい先日付け始めたばかりのものだった。手袋の隙間から覗く色も肌と同じで、遠目から観察する程度には義手だとは気づかれないだろう。馴染んだ、というのも強ち間違いではない。
「もう大分慣れて来たよ、日常生活も困る事が殆どなくなった、色々と心配を掛けたね」
「いえ、その様な事は」
ふと視線を横にずらすと、自身を注視するエメラルドグリーンの瞳と目があった。
特徴的な白の制服に蒼色の髪、空の様な翼を持つ生徒。力強く注がれる視線に先生は応え、身体ごと彼女に向き直る。それに釣られるようにして、件の生徒は立ち上がると口を開いた。
「――はじめまして、になりますか」
「……そうだね、私としてはそういう意識は余りないのだけれど」
「私も救護騎士団の方で先生の噂は聞き及んでいましたので、感覚としては以前からの知り合いの様なものですが」
そう云って足音を鳴らし、先生の直ぐ傍まで近寄る生徒。真っ直ぐ此方を見つめる瞳は余りにも真摯で、曇りない。
「改めて、救護騎士団の団長を務めております、蒼森ミネと申します」
「シャーレの先生です、宜しくね」
そう云って差し出された手を握り締め、二人は握手を交わす。握り締めた彼女の手は力強く、女性特有のしなやかさの中に確かな硬さを感じた。人を助ける為の手だ、肌を通じて彼女の熱い信念が伝わって来るようだった。
「それにしても、ティーパーティーにシスターフッド、救護騎士団と……随分不思議な組み合わせだね?」
「ふふっ、そうですね、少々ナギサさんを困らせる組み合わせかもしれません」
「む、私はホストを困らせるつもりはないのですが……信念と誇りを掲げる尊き騎士団の一員として道を誤ったものを正すだけです、例えそれが正義実現委員会やティーパーティーの生徒であったとしても」
「………」
「そのお言葉が既にナギサさんを困らせている様ですが」
ナギサが気まずそうに紅茶を啜っているのを見たサクラコが、思わずそう感想を漏らす。ミネが無言で踵を返し席に戻ると、ナギサは薄目でそれを確認しながら咳払いを一つ挟んだ。
「ごほん……構いません、こうなる事は予測出来ていましたから――兎角、本題に入りましょう、先生もどうぞご着席を」
「あぁ、うん」
紅茶をソーサーに戻し、そう告げるナギサ。どうやらある程度混沌とした状況になる事は予測していた様だった。少々戸惑いながらも先生は扉に一番近い席に腰を下ろす。
此処に、会議に出席する面子が揃った。
全員を見渡したナギサは一つ頷き、努めて冷静な口調で以て告げる。
「さて、先生を御呼び立てした理由は他でもありません、エデン条約以降の顛末と事件、その後始末について話し合う為です」
「トリニティの復興状況と、認識の擦り合わせもだよね? 一応報告の類は小まめに貰っているけれど――」
「えぇ、ティーパーティーとしてシャーレとの綿密な連携は必要不可欠ですから、故に私と先生による会談の予定……だったのですが」
呟き、ナギサの視線がサクラコとミネに向く。その瞳には複雑な感情が見え隠れしていた。視線の意図に気付いたミネが真剣な表情を浮かべたまま口を開く。
「私達、救護騎士団からも出席の要請を出し同席させて頂きました――私も、騎士団の団長として責務を果たさなければなりませんので」
「……シスターフッドも、あの事件を機に変化が必要であると判断しました、今後はこういった席にも積極的に参加するつもりです」
「――という訳です」
二人の言葉を受け、ナギサが深々と頷く。本来であればティーパーティーとシャーレの会談である筈が、そこに救護騎士団とシスターフッドも加わった。それ自体は特段構わない、元々トリニティは複数の派閥が纏まって出来た総合学園――ティーパーティー以外にも独自の勢力として活動する集団・組織は存在する。そしてその中でも強い影響力を持つ派閥、或いは組織が救護騎士団とシスターフッドの二つである。彼女達が参加する事はトリニティ全体を良い方向へと導くだろう。
だが、それはそれとして――。
「えっと、一応聞いておくのだけれど、派閥間の牽制だったりはしないよね……?」
「はい、純粋に興味があるだけです」
「私は、その様な政治的な事は良く分かりませんので」
「そっかぁ」
互いにあんまりと云えばあんまりな素っ気なさに、先生は気の抜けた声を漏らす。理解していた事だが少しだけ安心した。シスターフッドはそもそもこういった派閥間の云々に固執せず、救護騎士団は政治そのものに関心がない。寧ろどんな形であれ、こういった方面に意識を向け始めた事に喜ぶべきか。少々悩ましい解答であった。
「エデン条約の騒動はどうにか収まりを見せていますが事件の処理と状況分析は依然として終わっていません、シスターフッドとしても無関係ではありませんから、分析の一部は私達が担当しているのです――この席は、そういったティーパーティー以外の派閥に於ける情報共有及び事後処理について話し合う場でもあると思って頂ければ」
トリニティの各派閥、その認識の擦り合わせと情報共有、そう考えれば成程――合理的ではある。何より各派閥の持つ情報を提供し合い、協力し合える土台を作れるのなら素晴らしい事だろう。そう思い、先生は頷いて見せた。
そのようなサクラコを前に、ナギサは何処か神妙な面持ちで呟く。
「お恥ずかしい話ではありますが、現在ティーパーティーは外部の手助けを必要としています」
「……と、云うと」
「エデン条約の前後にティーパーティーの一員がホストを襲撃する事件が起こり、その結果メンバーが監獄に入れられるという前代未聞の事態となりましたから」
「……セイア様の治療に当たっていたのは周知の通り、私です、その為私も自分なりにこの事件を調査して参りました」
ナギサに代わり、サクラコがティーパーティーの失態に関して言及し、その言葉に続く形でミネが説明する。
「ミカ様は結果的にアリウスに利用された形ではありますが、かと云って本人の罪が消える訳ではありません、そして現ホストであるナギサ様は『シャーレ』という超法規的組織を利用し、無辜の生徒を退学に追い込もうとしました、被害を受けた生徒に謝罪し丸く収まったとは聞き及んでいますが罪は罪、その事実は変えられません――セイア様も幸い学園に復帰する事が叶いましたが、以前より体調が悪化してしまい、現在も自室から簡単に出られない体となっております」
「つまり、ティーパーティーは現在非常に不安定な体制であると云えるのです、故に外部からの手助けが必要という判断に至りました」
「――という事です」
ナギサは二人の丁寧な説明を前に、深い溜息を吐き出す。先の一件で学内に於けるティーパーティーの権威は大きく損なわれた、元より複数の派閥を統制する目的で作られた
「ミネ団長はトリニティでも最も古い歴史を誇る部活のリーダーであり、ヨハネ分派の首長でもあります、本来であればティーパーティーに参加する権利を有している筈なのですが……今までは救護活動を遂行する為にそれらを断っておりましたね」
「それは過去の話でしょう、必要があれば踏み出す、当たり前の事です」
「では、今からでも参政を?」
「いいえ、あくまでも私は救護騎士団の団長です、その立場を退く気はありません、先程云ったではありませんか、政治的な事は分からないと」
「んんっ、話を戻しましょう……この事件を紐解けば、全てはアリウス分校に集約されます」
サクラコとミネの会話に割り込む形でナギサが告げる。二人の視線が彼女に向き、それを感じながらナギサは淡々とした口調で続けた。
「エデン条約の会場爆破、及び襲撃、その実行犯であり黒幕であったのもアリウス分校でした、アリウスが背後で糸を引いていたのならば幾つか疑問が残ります……一つ、アリウス分校は何故エデン条約を妨害したのか?」
「それに関しては分かり易い動機があります、アリウス分校は長年、我がトリニティとゲヘナ両校を憎んでいたと聞き及んでいます、今回の一件を一度に両学園の要人を無力化する絶好の機会と捉えたのでしょう」
「更に付け加えるのであればエデン条約と云う契約を利用し、不可解な兵力を手に入れたという報告も受けています」
「ユスティナ聖徒会……だね」
ナギサ、サクラコ、ミネの順に発言し、最後に先生が呟く。ユスティナ聖徒会――あの朧気で、恐怖を煽る様な姿を忘れる事は難しい。先生の呟きに対しナギサは頷き、自身の見解を述べる。
「はい、正確に云えばその姿を模した幽霊の様なものでしたが、それらが無傷のままトリニティやゲヘナ中央区へ侵攻する状態を許せば――両学園の崩壊すら可能性としては存在していたと、私はそう考えております」
「ふむ……」
「………」
冷静にそう告げるナギサに、ミネは唸りを上げサクラコは沈黙を貫く。
ナギサは件の存在を非常に大きな脅威と見ていた。彼女自身は最初の爆撃によって意識を失い、気付けば救護騎士団病棟で目覚め全てが終わっていたが――それ故に事件後の分析と事後処理に関しては人一倍尽力したと云って良い。当時の映像や生徒達の証言を集め、当時のトリニティが動員出来た戦闘員数、及びゲヘナとの連携を含めた戦線構築の観点から、件のユスティナ聖徒会の戦力が文字通り両学園を壊滅するに足る代物だと結論付けたのだ。
あの瞬間、ミカやハナコが蜂起せずに居たら。或いは先生の意識が戻らなかったら。そう云った未来もあり得たかもしれない。
「……ユスティナ聖徒会と云えば、件の存在はシスターフッドの前身でしょう、サクラコさん、シスターフッドの代表である貴女ならば何かご存知なのではありませんか?」
「――いいえ、残念ながら」
ふと、ミネがそのような事を口走った。その視線が疑問と共に正面に座るサクラコに向けられるが――当の本人は緩く首を振って否定する。その動作は余りにも穏やかで、どこか余裕を感じさせた。その飄々とした態度が彼女の不信を刺激したのか、ミネはその視線を絞り尚も云い募った。
「シスターフッドは元来秘密が多い組織です、外部への露出が少なく情報の統制や秘匿、歪曲にも長けています」
「元よりシスターフッドとは、そう在るべき組織でしたので」
「学園の中にシスターフッドに対して不審を抱いている生徒が多くいる事は御存知でしょうか?」
「それは――例えば、今のあなたの様に、でしょうか?」
穏やかに佇んでいたサクラコが片目を開け、正面のミネを見る。その視線が身を乗り出すミネと交わり、ぴんと緊張の糸が張り詰めた。片や真剣な面持ちで、片や薄ら笑いと共に。今にも銃口を突きつけ合いそうな緊迫感と冷たい空気が二人の間で吹き荒れ、その合間に座るナギサの眉間に皺が寄る。
そして、尚もミネが何かを口にしようとして――。
「ストップ」
それより早く、先生が二人の間に手を翳した。ミネとサクラコの視線が先生の手に遮られ、その瞳が先生に向けられる。二人の目を順に見つめた彼は、努めて穏やかな口調で以て告げた。
「議論するのは良い、意見の相違もあるだろう、その結果険悪な空気になる事もあるさ、けれど喧嘩は駄目だ、相手に対する敬意と配慮を忘れては建設的な意見は交わせない――違うかい?」
「………」
先生の仲裁に対し、彼女達は互いの顔を見合わせ静かに浮かし掛けた腰を椅子に戻す。その様子を眺めていたナギサはほっと安堵の息を吐き出し、心を落ち着ける為に紅茶を啜った。口内に満ちる風味は良い、どんな状況であれ自身を慰めてくれる。彼女は緊張した時、あるいは緊急時程紅茶を愛飲した。最早彼女にとって、紅茶とは精神安定剤なのである。
椅子に座り直したサクラコは両の指先を絡め、ごく淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「……ユスティナ聖徒会に酷似した存在についてはシスターフッド内でも幾つかの仮説が立っておりますが、それを裏付ける証拠が依然として発見出来ていない状況です、今この場で推測を口にした所で場を混乱させるだけでしょう、それと私がシスターフッドの秘密を全て知っていると思っているのであればそれは見込み違いというものです」
「と、云いますと」
ミネの相槌に、サクラコは肩を竦め云った。
「シスターフッドには私すら知らない、秘匿されたものが数多く存在します――詳しく申し上げる事は出来ませんが」
「……そうでしたか、先程は失礼しました」
「――はぁ」
二人の間に流れていた険悪な空気が一先ず晴れ、安堵の息を漏らすナギサ。彼女は再び紅茶に口を付けて心を落ち着けると態と音を立ててソーサーにカップを置く。マナーとしては決して褒められた行為ではないが、こういう場合視線を集める一つのテクニックとしては有用だった。
「一先ずユスティナ聖徒会に関しては保留で良いでしょう、現在分かっている事から一つずつ整理していく事が肝要です」
「そうですね……では、調印式会場に撃ち込まれた、あのミサイル――そちらの分析については?」
ナギサの言葉にミネが問いかける。調印式会場に撃ち込まれた誘導弾頭、破片や残骸に関しては早い段階でトリニティの回収班が出張っており、それらの残骸は解析・分析用に現在もトリニティ内部にて厳重に保管されている。
「あの弾頭に関しては今現在も分析を進めておりますが、今のところは出所も構造も不明、そもそもキヴォトスに存在する技術ではないという事だけが分かっております、そちらについては恐らく……」
ちらりと、ナギサは正面に座る先生に視線を向ける。それを感じ取った先生は一つ頷き、円卓の上に置いたタブレットを指先で叩きながら発言した。
「シャーレ側の見解としては、凡そはナギサと同じだよ、ただ内部に搭載されていた爆弾はヘイロー破壊爆弾だった、下手をすれば何万人という生徒が死んでもおかしくない程の数のね……私も、あの様な兵器は見た事がない」
「となると、アリウス分校は未知の力を最低二つは確保しているという事ですか」
「えぇ――そして、それが二つ目の疑問に続きます」
サクラコの言葉に続けて、トン、とナギサが円卓を指先で叩く。
その表情には強い懸念の色があった。
「二つ、アリウス分校は一体何を計画しているのか」
「………」
「これについては、私達は何も分かっていません、簡素に考えるのであれば私達トリニティ、そしてゲヘナを殲滅し嘗ての憎悪を晴らす、と云うのが尤もらしいですが」
「トリニティとゲヘナを壊滅させ、『その上で何かを為そうとしていた』可能性がある――という事ですね?」
「はい」
その言葉にサクラコが膝上で指先を組み、ミネは眉間に皺を寄せる。その辺りに関しては余りにも情報が不足している、何かを推測する為の材料すらないのが現実だった。
何せ、現在トリニティは彼女達の本拠地であるアリウス自治区を発見する事すら出来ていないのだから。
「しかし、私達はアリウス自治区が何処にあるのかも知らないのです、分析しようにも手の出しようがありません」
「……以前からその点については謎のままでしたが、今回の件をきっかけに幾つか糸口を得る事が出来ました」
「糸口?」
「――カタコンベ、だね」
ミネが疑問符を浮かべれば、透かさず先生がカタコンベの名を出す。そう告げた先生の言葉に、ナギサは力強く頷いて見せた。長年謎であったアリウス自治区、その所在。それに関して彼女達ティーパーティーは有力な情報を既に掴んでいた。
「はい、彼女達は通功の古聖堂、その地下にあるカタコンベから潜入し、トリニティ自治区内にて活動を行っていた事が分かっています」
「カタコンベ……確かに、あれの出入り口は自治区内に広く分布していますが」
「となると、アリウス自治区はカタコンベの内部に?」
「恐らくは」
頷き、肯定を示すナギサ。サクラコはその情報に目を細め、ミネも難し気な表情を浮かべる。トリニティのカタコンベ、その内部にアリウス自治区が存在する――その情報は確かに糸口とはなるだろう。しかし続く問題は、そのカタコンベ自体にあった。
「しかし、トリニティ自治区に存在する地下遺跡はかなりの数です、それらを全て調査し、統制する事は不可能でしょう」
「付け加えるのであれば、カタコンベは未だにその規模が明らかにされていない迷宮――そこから自力でアリウス自治区を見つけ出すのは、かなり無理がある話です」
トリニティ自治区に点在する地下遺跡――カタコンベ。
その存在は遥か昔から確認されており、カタコンベの名を知る者は少なくない。その詳細を知らない生徒は数多く存在しても、名前を一度も聞いた事がないという生徒は少数だ。しかしそうでありながら現在に至るまで迷宮と呼ばれ続け、内部を調査されなかった事には理由がある。
「セイアさん曰く、あの自治区は私達が理解出来ない『とある力』で保護されているとの事です、そうでもなければ、今まで隠し通せている説明が出来ないと」
「その、『とある力』というのは? 理解出来ないとは仰いますが、聊か想像が難しく」
「理解出来ないというのは、その力の構造的な側面についてでしょう、力そのものについては私達に認識できなくする代物、そこに存在する筈なのに、存在しない様に見えてしまう――とでも云えば良いのか」
「それもまた、アリウスの未知の技術か何かでしょうか……? シスターフッドとしてこの様な物云いは不躾ですが、不可思議な力が多すぎますね」
「嘗てアリウス所属であったアズサさんの話では、任務の度にカタコンベの出入り口が記録された地図を渡されていたそうです、地図の経路は常に変化し、更に暗号化まで施されているとの事でしたが――裏切者である自分はもう、アリウス自治区に戻る道を知らないと」
「――待って下さい」
ふと、ミネが声を上げた。それは会議の中でも良く通る、力強い声だった。
言葉を止めたナギサが声の主に視線を向ければ、ミネは何処か責める様な視線で以てナギサを見ていた。まるで悪人を詰る様な、鋭くも威圧感を覚えさせる視線だ。そんな視線を向けられる覚えのないナギサは、思わず目を泳がせたじろいでしまう。
「えっと、何か――?」
「……その少女を、取り調べたのですか?」
「えっ?」
「白洲アズサさん、あの子にアリウスの情報を吐かせたのですか!?」
バン、と両手で円卓を叩き立ち上がるミネ。円卓の上にあったカップがソーサーとぶつかって音を鳴らし、その怒りを滲ませた空気を悟ったナギサは何か誤解を生んでいると気付き、慌てて両手を振ると弁明を試みる。
「あ、いえ、この情報は自主的に本人が――」
「彼女はもう十分な代償を支払っています! 自分が居た自治区から裏切者の烙印を押され、それでも私達の為に尽くしてくれました! やっと心の平穏を取り戻したであろう子に、私達の事情に巻き込んでアリウスの情報を問い詰めるなど、なんて残酷な……ッ!」
「いや、あの、違っ、話を聞い――」
「あの少女が果たしてそのような気持ちになるのでしょうか!? ティーパーティーの権力を利用して、か弱い少女に無体を働いたに違いありませんッ! それはキヴォトスに生きるひとりの存在として、このトリニティ総合学園に在籍する生徒して、何より学園の代表たるティーパーティーとして断じて許される行いでは――ッ!」
「――落ち着いて下さい、ミネ団長」
ヒートアップし、尚もナギサを責め立てようといきり立つミネを前に、凛とした声を上げるサクラコ。彼女の鋭く、差し込む様な声に気付いたミネは一瞬口を噤む。そして澄まし顔で制止を口にしたサクラコは努めて冷静に、淡々とした口調で断じた。
「白洲アズサさん、彼女がその様な無体を受けた事実はありません」
「……違うのですか?」
「はい、ナギサさんが血も涙もない残酷な方であるのは確かですが、白洲アズサさんは心身ともに健康な状態で今も学園生活を送っております、何より彼女の所属する補習授業部はシャーレの先生が顧問として担当している部活動――その様な行いを先生が看過する筈がありません」
「……確かに、一理ありますね」
サクラコの理性的な言葉に、ミネは熱くなっていた自身を自覚し背筋を正す。伝え聞く先生の噂が本当であれば、彼が白洲アズサに対する無体を許す筈がない。先程のナギサの狼狽え様、サクラコの態度、それらを鑑みて彼女の言葉が真実であると判断する。ゆっくりと席に戻ったミネは小さく息を吐き出し、ナギサに向けて静かに頭を下げた。
「失礼しました、ナギサ様」
「……えぇ」
「その、ナギサ……? ティーカップが震えているけれど――」
「――問題ありません」
ミネの謝罪を受け入れ、再びティーカップを手に取ったナギサ。ソーサーとカップをそれぞれ両手に優雅な雰囲気で紅茶を口に含む彼女はしかし――その指先が小刻みに震える事で、カップとソーサーがぶつかりカタカタと音を鳴らしている。
どう見ても問題しか無かった、問題しか無かったが彼女の名誉と尊厳の為に先生はそれ以上言及する事は無い。二度、三度、四度、先程よりも多くの紅茶で喉を潤したナギサは、青白い顔色のまま深く息を吐く。カップをテーブルへと戻した左手は静かに、さりげなく自身の腹部を摩っていた。それは胃痛によるものか、或いは紅茶を飲み過ぎたが故のものか。
「ふぅー……私も重々承知しております、補習授業部の方々は本来背負うべき責任よりもずっと多くの事を背負い、此処まで歩いて来ました、彼女達が背負ってしまったものの中には私が原因の荷もあったでしょう、それに関しては私にも負うべき責と後悔があります」
告げ、彼女は腹部に手を当てたままぐっと唇を噛む。苦悶をその表情に滲ませながらも、しかしナギサはそれに勝る痛烈な意思によって言葉を続けた。
「その為にも私は此処に居るのです、エデン条約は彼女達に多くの苦難と傷跡を残しました、だからこそ――この様な場所に彼女達が座らずに済む様に、あの子達が関与せず終わらせる為に、今尚、私なりに最大限の努力をしているのです」
両手を揃え、真っ直ぐミネを見つめたナギサは告げる。
その言葉に嘘はない。ナギサは自身の為した事を、その選択を、行動を、心の底から後悔している。もっと別のやり方があったのではないか、もっと別の道があったのではないか、もっと話し合えば、もっと歩み寄れば、もっと深く考えていれば――もしも、もしかしたら、或いは、そんな『かもしれない』という無数の可能性を噛み締めて、彼女はこの場に立っていた。
その後悔は察して余りある、彼女にしか分からない深い
微動だにせずナギサを見つめる彼女は、両の手を握り締め、円卓の上に添えたまま――静かに頷いた。
「……その言葉、信じます」
「えぇ」
重々しく告げられる、信じるという言葉。ナギサもまたそれを真摯に受け止め、椅子に深く背を預ける。
「……こんな泥仕合は、私達の役目でなければ――あの子達に、このような経験をさせてはならないのです」
「――同感です、私も、気持ちとしてはハナコさんに
ナギサの言葉に頷き、サクラコはその表情をふっと緩める。
思い浮かべるのは才媛と称えられ、あらゆる期待と信頼に応えて来たひとりの生徒の事。なまじ能力があり、才能に恵まれたからこそ、その期待と信頼は際限なく膨らみ続け――その果てに彼女は自身の評判を手放し、自由に生きる道を選んだ。
他者に自己を定義させるのではなく、自分自身によって自己を定義する道。それは体裁や外面を第一に考えるトリニティに於いて茨の道だろう。しかし彼女は、自身の中でそう在る事を善しとした。
何より彼女は、あのような環境にあって尚、その責任を他者に求める事が無かった――徹頭徹尾、彼女の善悪は自身の内側によって完結していたのだ。
それの善し悪しはどうあれ、サクラコはそんな彼女を見た時、『高潔である』と思った。それは外面的な話ではない、精神的な、在り方の話だ。信頼に応え、期待に応え、際限なく膨らむそれに彼女は応え続けた。しかし、その在り方をやめた途端、掌を返したように自身を責め立て揶揄する周囲に、彼女は当たり散らす事も報復する事もせず、全てをあるがまま受け入れていたのだ。
それはサクラコにとって、非常に好ましい姿勢であった。
或いは彼女であれば――自身の後継が務まるのではと、そう期待した。
あるがままを受け入れ、理解されない事を理解し、秘密を秘密として胸に秘め続ける事。
彼女の役目は万人に果たせるものではない、故にこそ彼女はハナコという存在に目を惹かれたのだが――。
想い、サクラコは首を緩く振る。
「……これは感傷ですね、彼女には彼女の在り方がある、私達だけで残った問題を解決する事――それがエデン条約に於いて翻弄されてしまった、我々に出来る最低限の礼儀なのでしょう」
そう、これはただの感傷だ。サクラコは既にハナコをシスターフッドに勧誘する事を諦めている、何せ本人がそれを望んでいないのだから。
何よりサクラコは、もしも万が一彼女から加入の打診があったとしても断っていただろう。
だって――。
「補習授業部の皆さんと過ごすハナコさんは、とても楽しそうに笑っていらっしゃいますから」
そう、彼女達と過ごすハナコはとても綺麗に、何の屈託もなく笑うのだ。
あの陰鬱とした気配を纏い、昏く沈んだ瞳をした彼女を知っているからこそ――その時間を、幸せを、奪いたくはない。
だからこそ、
それは此処に集った四人、全員に云える事であった。自身の親しき者、目を掛ける者、好意を抱く者を危険に晒したくはない。或いは重い責務を背負わせたくない、その様な想いが彼女達を今の地位に押し上げている、少なくとその一因である事は確かだった。
サクラコの言葉に、先生はぐっと肩を張る。大人顔負けの責任感と使命感、それらを携え佇む彼女達を前に、先生は鏡を見せられている様な心地だった。あなたはこう在れと、こう在るべきだと、その手本を見せられている様な。
そんな彼女達が頼もしく、心強く感じられ――そして同時に、先生にとっては少しだけ悲しい事でもあった。
「勿論、私も最大限協力させて貰うよ」
そう云って、両の手を握り締める。全員の視線が向けられる中、先生は自身の胸に燻る遣る瀬無さを噛み締め、その口元を引き締め告げるのだった。
「――こういう後始末は本来、大人の仕事だからね」
本当なら二日で投稿するつもりの話でしたの。
投稿が遅れて申し訳ありませんわ、実は昨日40度近い熱を出してぶっ倒れましたの。「何か今日くっそ熱いのにくっそ寒いですわねぇ~?」とか思っていたら私自身がファッキンホットだったというオチですわ~! はー、この世から病原菌全部滅んで下さらないかしら~???
でも投稿は延ばしません事よ、先生がまだ生きている以上私が先に斃れる訳にはいきませんの。私にはまだ文字を打つ為の両腕が残っています事よ~!!!
正直病床だとくっそ暇なのですわ~! でもモニタとか見続けるとまた頭痛いんです事よ~っ! 地獄ですわ~ッ! はー、やってられねぇですわよおクソして寝ますわ。
誤字脱字多かったら申し訳ねぇですわ~っ! 皆さまも季節の変わり目は体調を崩しやすいので十分気を付けて下さいまし!