ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に圧倒的感謝ですの!


彼女が見た破滅のはじまり。

 

 トリニティ自治区、本校舎離れ――地下牢。

 靴底が石床を叩く音が木霊し、階段を一段一段下って行く毎に冷気が濃くなって行く気がした。指先で手首を摩りながら、先生は薄暗い空間を進んでいく。すると開けた廊下に等間隔で並ぶ明かりが視界に入り、その向こう側に扉を挟んで立つ二人の生徒達が先生の存在に気付いた。

 

「先生……!」

「お疲れ様、ごめんね急に来ちゃって」

 

 微笑み、手を振ってそう口にする先生。トリニティの白い制服を身に纏う見張りの生徒は正義実現委員会の所属ではない、純白はこの暗闇でも良く映えた。彼女達は先生の傍に駆け寄ると、担いだ銃を抱え直しながら問いかける。

 

「どうしたのですか、このような場所に?」

「急用でね、中にミカは居るかい?」

「はい、勿論いらっしゃいます」

「そっか、申し訳ないのだけれど今からミカと面会する事は出来るかな? どうしても今日中に通さなくちゃいけない話があってね、面会申請は出せていないのだけれど……」

「申請が出ていない場合は、ティーパーティーの何方かの許可か、或いは総括本部の方で臨時許可書を発行して貰わないと――」

「あぁ、それならナギサから許可を貰っているよ、話は通っている筈だから確認して貰って構わない」

「そういう事であれば、どうぞ」

「……確認はしなくて良いの?」

「先生が嘘を吐く筈がありませんから、確認は後ほど行います――急ぎ、なんですよね?」

 

 そう云って笑みを浮かべる見張りの生徒に、先生は思わず苦笑を零す。しかし今はその厚意に甘える事にした。本来であれば決して好ましい行為ではないが、それでも今は何よりも時間が惜しい。何せ、聴聞会は明日なのだ、今から申請しても間に合わない事は明白であった。

 ありがとう、と一言礼を告げ、先生は部屋の扉の前に立つ。手を広げた先生に見張りの一人が手を伸ばし、そのポケットや懐を確かめ危険物の持ち込みが無いかを検査する。持ち込むものは携帯用端末とタブレット(シッテムの箱)、後は特に武器になりそうな刃物、銃器の類はなし。それを確認し、生徒は頷いて見せる。

 

「では、柵を解除しますので少しお待ちを」

「うん、お願い」

 

 そう云って壁に設置されたパネルを生徒が操作すると、内部で扉を覆っていた鉄柵が天井へと収納されて行く音が聞こえた。もう一人の生徒が懐から鍵を取り出し、扉に差し込み回す。カコン、と音が鳴って両開きの扉は独りでにその内側を晒した。先生は二人に頭を下げ、独房の中へと足を踏み入れる。

 ふわりと、鼻腔を花の様な香りが擽った。薄暗い部屋は小さな電灯のみを点けているのか、先生は目を細めながら部屋を見渡す。

 

「ミカ、居るかい?」

「……しーっ」

 

 声を上げると同時、ほんの数歩先からミカの吐息が聞こえた。

 見れば、ミカはベッドの傍で膝を突き、祈る様に両手を組んでいる。否、祈る様にではない――実際彼女は祈りを捧げているのだ。耳を澄ませると微かに音楽が聞こえて来た。恐らく上階から響いて来るものだろう、地下の此処まではハッキリと聞こえはしないが、耳を澄ませば辛うじて聞き取る事が出来る。

 小さく鳴り響くそれを前にミカは目を閉じ、微動だにしない。先生は暫くの間そんな彼女を見守り、聞こえて来る音楽が途切れるまで沈黙を守った。

 

「……お待たせ、礼拝の時間だったの、今日は讃美歌を聞く日だから」

「礼拝か、此処からでも聞こえるんだね」

「うん、一応此処も元々は聖堂だったから、上階でも流れるんだよね、それにしてもさ、檻の中でも礼拝だけは必ず参加しなきゃいけないなんてちょっと過酷じゃない?」

「確かに、聞き逃してしまいそうだ」

 

 礼拝を終えたミカは何処か不満げに口を尖らせながら、その様な事を口走った。先程までの敬虔な信徒とも云える姿からは想像もできない、実に彼女らしい言葉でもある。

 

「でも、良い曲だ」

「そうかな? 聞いていて退屈じゃない? 御慈悲をとか、憐れみたまえとか――Kyrie eleison(キリエ)なんて、名前も気に入らない、どうして見えない存在に縋らなきゃいけないのって思っちゃう、憐れみたまえだなんて口にしたところで悲惨なだけじゃん、そんなの自分にも、他人にもするものじゃないよ」

 

 そう云って彼女はベッドに腰掛けると、その両足を投げ出して両手を挙げる。その首にぶら下げたネックレス――銀の指輪がきらりと光を反射し、彼女の胸元で輝いていた。やや薄暗い独房の中でも彼女の笑顔は良く映える、先生に視線を向けた彼女は花が咲いた様に笑って告げた。

 

「あ、でも歌は好きだよ! 歌詞はちょっと微妙だけれど……そう云えば先生、私の歌を聞いた事ないよね? 本当ならタダで聴かせる物じゃないけれど、先生なら特別っていうか、こうやって会いに来てくれたし! 塔に幽閉されたお姫様が運命の人にセレナーデを歌うの! どう、物語のワンシーンみたいでしょ?」

「それは光栄だ、でも此処は塔というか、檻の中だけれどね」

「うわぁ、そこで現実に戻しちゃう……? まぁ、事実だけれどさ」

 

 詰まらなさそうに足を揺らし、唇を尖らせるミカ。彼女は指先を擦り合わせながら視線を落とすと、小さく問いかける。

 

「それで――今日はどうしたの、先生?」

「ミカと話がしたくてね」

「あははっ、それは嬉しいなっ☆ でもそれだけじゃないよね? もしかして聴聞会の話かな?」

「……そうだね、明日開かれると聞いたから」

「その事を教えたの――多分、ナギちゃんだよね」

 

 先生の言葉に対し、ミカはどこか確信を持って告げた。その声に先生は反応を示さない、ただ静かに佇むばかり。彼女にとってはそれが、何よりも雄弁な解答でもあった。ミカは小さく首を振ると、努めて何でもない事の様に問いかける。

 

「ナギちゃんはさ、その、元気だった?」

「……うん、業務に追われてはいたけれど、病気なんかはしていなかったよ」

「そっか、それなら良かった」

 

 小さく、呟かれる言葉。独房の中では得られる情報には限りがある、ましてやトリニティの情勢が移り変わって以降、ミカの周辺からはあらゆるものが遠ざけられた。それがサンクトゥス分派によるものなのか、或いは個別の生徒によるものなのか、はたまた議会や総括本部による決定なのか――それは分からないが。

 

「先生がトリニティに来たって事は、会議か何かがあったんじゃない?」

「そうだね、今日はトリニティの復興作業の進捗や情報の擦り合わせ何かで集まりがあったんだ」

「それなら多分、その会議にシスターフッドと救護騎士団長が同席したりしなかった? 勿論ティーパーティーからの要請じゃなくて、向こうから声をあげて」

「……同席していたよ、救護騎士団とシスターフッドも」

「やっぱり」

 

 吐き捨てる様にしてミカは顔を背けた。

 

「ティーパーティーの立場が危うくなればなるほど、他の勢力が幅を利かせるようになる、此処まで直截的にティーパーティーを牽制するとは思わなかったけれど……ナギちゃんのストレス、酷そうだね、全部私の責任なんだけれどさ」

「……明日の聴聞会は、欠席するつもりなのかい?」

「………」

 

 俯いたまま、先生に視線を向ける彼女。

 そして不意に笑みを浮かべ、ミカは云った。

 

「先生なら、まぁ、いっか」

 

 その声は小さく、独り言の様だった。ベッドから立ち上がったミカは先生の前に立つと、大袈裟に手を広げながら答える。

 

「ナギちゃんは私が聴聞会に出席すれば全てが丸く収まると思っているみたいだけれど、トリニティはそんなに甘くない、今のティーパーティーの権威は地に堕ちた、以前と比べれば一目瞭然、表の騒動とか見なかった? 時々、私に罵声を浴びせて来るのだけれど」

「集まっていた生徒なら、既に解散させたよ」

「……わーお、流石先生だね! ちょっと驚いちゃった、以前ならあぁ云った活動も全部取り締まれていたんだけれどね? 学園内の世論も、政治的な立場もそう、今のティーパーティーは学園を制御出来る程の力が無くなってしまったの――当然だよ、私があんな事をしちゃったんだから」

 

 そう云って、彼女は首を振る。最早現在のティーパーティーに、幾つもの分派の集合体であるトリニティ総合学園を取り纏めるだけの力はない。ホスト代理として活動しているナギサが指揮を執って尚、騒動の収拾がついていない現状がその証明となる。

 

「そんなボロボロの状態でさ、ナギちゃんが私を庇っちゃったらどうなると思う? ナギちゃんどころか、同じティーパーティーのセイアちゃんの立場すら危うくなっちゃうよ」

「ミカ……」

「私なんかの為に、そんな事にはなって欲しくない……これは全て私が払わなくちゃいけない代償なの」

 

 そう告げるミカの表情はどこまでも真剣だった。本気でそう考えているのだと、対面に立つ先生は理解した。

 聖園ミカという罪人を庇えば、現在もその権威を削がれているティーパーティーが完全に崩壊しかねない。それは信仰に似ている。穢れ無き存在で在れ、格調高き存在で在れ、皆に仰がれる存在で在れ。その感情に一点の曇りも許されない、手の届かない存在だからこそ人々は崇め、敬い、縋るのだ。

 しかし、聖園ミカという失態を犯した生徒を庇ってしまえば、その趨勢に再び暗雲が立ち込めるだろう。だが、今ならばまだ取り返しがつく。大罪を犯した首長、聖園ミカを追放する事によってティーパーティーは一定の権威を保つ事が出来るのだ。暫くはシスターフッドや救護騎士団という存在に幅を利かせる事を許してしまうだろう。しかし、時間を掛ければきっと、嘗てと同じ権威を、その感情(信仰)を取り戻せるとミカは信じていた。

 そう、彼女の友人であるナギサとセイアが居れば――きっと。

 

「……代償は、もう全部支払った筈だ」

 

 そんな彼女の独白を聞き届け、先生は静かに首を振る。彼女は既に代償を支払った。辛い経験をした筈だ、この牢獄の中で自身を責め続けた筈だ。彼女に罪があるとするならば、その償いは既に終わっている筈だった。もしその罪悪を理由に聴聞会を欠席すると云うのであれば、先生は決して認められない。

 

「少なくとも、ミカの罪悪は赦されている、ナギサだって同じように云うだろう」

「……でも、それでもやっぱり、私のせいだから」

 

 だが、それでも彼女は自身を責め続ける。その罪悪は未だ残っているのだと口にして譲らない。

 

「ナギちゃんと一緒に集めた思い出の宝物とか、無くなっちゃったけれど、それでも私は許されていないよ、セイアちゃんにもまだ、恨まれたままで――」

「セイアはミカを恨んでなんかいない、私が保証する」

「ち、違う! そんな訳ない、だって、何度も謝ろうとしたけれど駄目だった……っ!」

 

 先生の言葉に、ミカは声を荒らげて否定を叫んだ。両手を握り締め、俯き、今にも涙を零しそうな表情で彼女は訴える。

 

「こ、この間会った時だって……!」

 

 ■

 

「セイアちゃん、今日も顔色良くないよ、眠れなかったの? お肌も乾いているし、保湿クリーム貸してあげようか?」

「………」

「えっと、その、セイアちゃん……?」

 

 トリニティ自治区、本校舎――ティーパーティーテラスにて。

 その日は、珍しくセイアがミカと面会を行った日だった。

 麗らかな午後、柔らかな陽射しと風が吹く気持ちの良い日和だった事を覚えている。ティーパーティーのテラス、座り慣れたその場所で紅茶を手に向き合っていると、何となく昔を思い出す事があった。何の憂いも、遠慮も無く語り合えた日々、それを思い返し、ミカは勇気を振り絞って声を掛けた。

 

「……あ、あのさ、もし良かったら、その」

 

 声は少しだけ上擦っており、精一杯の勇気を感じさせるものだった。視線を逸らし、指先を擦り合わせながらミカは言葉を紡ぐ。

 

「一緒に、ご飯でも食べない? まぁ、ご飯って云っても檻の中でロールケーキなんだけれど!」

「………」

「全く、ナギちゃんも心が狭いよね、三食全部ロールケーキにするなんてさ! もうちょっとこう、栄養面とか、飽きさせない感じで食事を用意してくれても――」

「ミカ」

「う、うん? あ、えっと、ロールケーキ食べる……?」

 

 一方的に捲し立てる様に、或いは胸に巣くう恐怖心を誤魔化す様にして舌を回していたミカに対し、セイアは淡々と、いっそ機械的な様子で口を開いた。彼女は視線を下げたまま、抑揚なくミカに告げる。

 

「済まないが、今は……」

「あっ、そ、そうだよね? やっぱり、その……」

「少し、体調が優れなくてね……申し訳ないが、もう部屋に戻らせて貰うよ」

「……ぁ」

 

 そう云って彼女は席を立つ。介助する様にサンクトゥス分派の行政官が彼女の肩を支え、碌に話す事も出来ぬまま彼女は背中を向けた。

 会話をしたのは、ほんの数分足らずの時間だけ。決して十分とは云えない、殆ど顔を見ただけで終わった様な感覚だった。

 

 思わずミカはその背中に向けて手を伸ばそうとするが――それは許されない。

 ミカは未だ囚われの身、彼女を呼び止める権限も、資格も無い。

 故に伸ばされたそれは静かにティーテーブルの上に落ち、その指先を握り締めるだけで終わってしまった。

 

 ■

 

「セイアちゃん、最近自分の部屋から出て来ないし、誰も部屋に入れてないみたいで、寝たきりになっているって噂もあるくらい……セイアちゃん、元々体が弱いから」

 

 セイアと最後に行った面会を思い返し、彼女は暗い面持ちで呟きを漏らす。セイアの身体が弱い事は周知の事実だ、そしてその体調悪化の原因が自身にあるのだと、ミカはそう信じて自身を責めていた。

 

「それに、何だか他にも悪い噂ばっかりで、セイアちゃんの部屋からすすり泣きが聞こえたとか、苦しそうな声が聞こえたとか……セイアちゃんの言葉は分かり辛いけれど、多分、私は許されてないんだろうなって、それ位は分かるよ」

「……セイアは、ミカを許すと云っていた」

「……あはは、ありがとう先生、でもね、セイアちゃんが私を恨むのは別に構わないんだ」

 

 ――だって、私もまだ、セイアちゃんにちゃんと、ごめんねって云えていないから。

 

 告げ、自嘲を零す彼女の表情には焦燥の色が濃く残っていた。

 

「そんな状態で、セイアちゃんの体調がもっと悪くなったり、また無理しちゃったら……私、自分の事を絶対許せなくなると思うから」

「………」

 

 だから、彼女から面会を申し込む事は出来ないし、話す資格すらない。それは彼女なりに悩み、自責の念から生じた後ろ向きな償いだった。

 先生は大きく息を吸い込むと、膨らむ自身の肺を感じながら拳を握り締める。抱いたのは怒り、しかしその矛先は決してミカに向けられたものではない。どこまでも他者の機微に疎く、肝心な時に役立たぬ自身に向けての怒りだった。或いは、もっと早く自分がトリニティに足を運んでいれば――彼女がこれ程思い悩む事も無かったかもしれない、そう思ったのだ。

 シャーレの業務は多岐に渡る、そのスケジュールは三ヶ月先まで全て埋まってしまう程。だが、それが生徒を蔑ろにして良い理由にはならない。ましてや今尚、手の届く場所で思い悩む生徒が居るのならば、手を伸ばさなければ嘘だった。

 だからこそ先生はその責任を果たすべく、彼女に向けて提案する。

 

「分かった、それなら私が行ってくる」

「えっ……?」

「――私がセイアに会って来るよ」

「せ、先生が……?」

 

 その言葉に目を瞬かせるミカ。

 現在療養中という事で大抵の相手を追い返しているセイアではあるが、しかしシャーレの先生ともなればサンクトゥス分派の生徒にも門前払いはされないだろうという打算がある。勿論無理をさせるつもりは毛頭ない、ほんの数分、一分でも構わない、その間にミカが謝罪をする機会程度――何とか掴んで見せようと、そう意気込み胸を叩く。

 

「うん、ミカがセイアにちゃんと『ごめんね』って云えるように、私がセイアとサンクトゥス分派の行政官に話を通してくる――そうしたら私とナギサ、セイアとミカ、皆で一緒に明日の聴聞会に出席しよう」

「ちょ、ちょっとまってよ先生……! どうしてそんな、わ、私にそこまでする価値なんて」

「ミカ」

 

 彼女の口走ろうとした言葉を遮って、先生は指先を一本立てる。その動作に、彼女は思わず口を噤んだ。思い返すのは掛けられた言葉、どこまでも真摯に投げかけられ、その度にミカの心を揺らして来たもの。

 

 ――私は、私の全てを擲ってでも……。

 

 その言葉が、彼女の脳裏に過った。

 

「あ、あはは……そうだよね、うん、知っている、先生が何て云いたいのかも」

 

 頬を紅潮させ、胸元に下げた銀の指輪を握り締めたミカは呟く。先生はいつもそうだ、自分が自己嫌悪と自責の念に圧し潰され、自暴自棄になり掛けた時は必ず――そう、必ず助けてくれる。欲しい言葉を投げかけてくれる。だからミカは先生をこれ以上ない程に大切に想っているし、慕っている。

 だって――。

 唇を堅く結び、彼女はゆっくりと頷く。

 

「うん、分かった、私も……皆と一緒に聴聞会に出る」

「……ありがとう、ミカ」

「ううん、それはこっちの台詞だよ、正直、もうこんな機会なんて無いと思っていたんだ、でも、これが運命なら……」

 

 そう、これが運命なら――。

 私はやっぱり、塔の中に閉じ込められたお姫様だったのだろうか。

 

「ミカ?」

「……ぁ、ううん、何でも、何でもないよ、先生!」

 

 そんな、夢物語染みた思考を悟られたくなくて、ミカは緩みそうになる口元を隠して首を必死に振った。照れ隠しの様に俯いた彼女は、先生から一歩だけ後ろに下がって、そのままはにかみ告げる。

 

「それじゃあ、セイアちゃんの事――よろしくね、先生」

 

 その声は、先程よりも明るく。

 僅かであっても、希望を感じさせるものだった。

 

 ■

 

 トリニティ自治区、救護騎士団離棟――百合園セイア、治療室。

 

 セイアの治療室は救護騎士団の保有する病棟、その離れに存在した。完全個室で、またアリウスが攻め入って来た場合を考え正義実現委員会、及び救護騎士団による手厚い警備が敷かれている。面会に関しては何重にもチェックが必要となり、セイア自身の体調なども考慮され滅多に降りる事はない。

 病室前にはサンクトゥス分派の行政官が常に駐在し、交代で見張りや給仕を担当していた。先生は所持品のチェックや滅菌処理、病気の有無などを念入りに確認され、数分だけ面会の許可を得た。ナギサにも事前に連絡し、根回しを頼んでいたのが利いたのだろう。サンクトゥス分派の行政官も、「先生ならば」と一時離れへの通路封鎖を解き、セイアの病室前へと案内を買って出てくれた。

 

「セイア様は未だ体調が優れません、余り長時間のお話や、心身の負担となる話題は――」

「勿論、分かっているよ」

「……どうぞ、此方です」

 

 彼女の傍付きである行政官に掌で指し示された扉、そのドアノブに手を掛け、先生は静かに押し開ける。すると僅かに湿った空気が肌を撫でた。ゆっくりと踏み込むと、病室にしてはやや広めの空間が視界に入って来る。調度品の類はトリニティらしく、アンティーク調で揃えられているが中には救護騎士団が用意したのであろう介助器具の類も散見された。

 その最奥、綺麗に整えられた病床に横たわる小柄な人影。

 

「……先生?」

「やぁ、セイア」

 

 セイアは扉の軋む音で目が覚めた。

 正確に云えば、最近の彼女は常にどこか夢現(ゆめうつつ)な状態を維持している。ふわふわと覚束ない、現実感のない状態が続いていた。そんな彼女の耳に物音が届き、そちらに視線を向ければ扉を静かに開き中を覗き込む先生と目が合った。

 

 先生はどこか申し訳なさそうな表情で扉を潜り、セイアの横たわるベッドまで足を運ぶ。恐らくセイアが今の今まで寝入っており、物音で起こしてしまったと思っているのだろう。セイアは軽く頭を振り、その上体を起こす。さらりと彼女の金髪が肩から滑り落ち、皺だらけになった制服が露になった。

 そんな彼女を見下ろし、先生は呟く。

 

「調子は――良い、とは云えない顔色だ」

「あ、あぁ……」

 

 答え、ぎこちなく頷く。実際、調子が良いとは云えない。ずっと不調のまま過ごしていると云っても良い。しかし今は、それよりも驚くべき事が彼女にはあった。

 セイアは身を起こした状態で先生を見上げ、その表情を歓喜とも、悲壮とも取れるものに変化させる。その瞳は潤み、気のせいでなければ驚愕の色も混じっている様に見えた。

 

「先生、無事、だったのか――」

「……無事?」

「てっきり私はもう、駄目かと……先生は、アレに呑まれて――」

 

 そう云ってセイアは小さく細い指先を先生に向け伸ばす。しかし、その先端が先生に触れるよりも早く、彼女は伸ばした手を引き込み、肩を竦めた。くしゃりと歪んだ表情、その目には確かに恐怖の色が見て取れる。

 

「いや、これは、私の都合の良い夢かもしれない、幻か、虚構か、或いはいずれも同じ事かもしれないが、先生もまた、私の弱さが生んだ夢幻(ゆめまぼろし)で――……」

「セイア?」

 

 何やら錯乱した様子でぶつぶつと言葉を垂れ流すセイア。その様子に先生は尋常ならざる状態を感じ取り、咄嗟に彼女の手を取る。小さな指先を包み込むように、ふわりと握り締めた先生は身を屈め、セイアの顔を覗き込む。ぴくりと、彼女の肩が跳ね視線が揺れるのが分かった。

 

「先生――……?」

「セイア、私は此処に居るよ、夢でもなければ虚構でもない、私は何処にも行ったりしない」

「あ、あぁ、その様だね、この瞳は――」

 

 手を握り締めたまま、セイアは先生の瞳をじっと見つめる。その色に、気配に、彼女は研ぎ澄ませた感性で以て応える。そして彼女のあらゆる感覚が、目の前の先生が現実であり、偽物ではない事を告げていた。その事に気付いたセイアは深く、深く息を吸い込み、肺の中の空気を絞り出す。それは安堵の吐息だった。

 

「……そうか、今日は君がトリニティを訪れる日だったな」

「大丈夫かい? 少し、混乱している様だけれど」

「済まない、最近の私はこれまでにも増して夢と現実の境界が曖昧でね……現在、過去、未来、それらが絶え間なく私を包み込み、私が今何処(現在・過去・未来)に立っているのかも不明瞭になる位なんだ」

「それは――」

「そんな顔をしなくて良い、私は、問題ない」

 

 言葉を詰まらせた先生を前にして、彼女は薄らと笑みを浮かべる。しかし、とても大丈夫と云える様な状態には見えなかった。彼女の艶やかな髪はその色を喪い、目元にはハッキリとした形で隈が出来ている。肌の調子も悪い、普段よりも手や首元が細く見えるのは単なる錯覚か――どちらにせよ、問題ないと判断する訳にはいかない程の影響が見て取れた。

 先生は両手でセイアの指先を包みながら、緩慢な動作で首を振る。

 

「そういう風にはとても見えないよ、何か、良くない未来を見たのかい?」

「………」

「何かあったのなら、教えて欲しい」

 

 これほどまでに彼女が憔悴する理由を先生は他に知らない。きっと、何か彼女がこれ程までに思い詰めてしまう出来事が予知されたのだ。そんな確信と共に問いかければ、彼女はどこか云い辛そうに視線を横に逸らすと、先生の体温を感じながら小さく、呟く様な声量で答えた。

 

「何があった、という問い掛けに答える事は難しい、ただ、一つだけ云える事があるのなら――私は今、誰にも告げられない未来を手にしてしまっている」

「誰にも告げられない、未来?」

「あぁ、ナギサにも、ミカにも、誰にも伝える事など出来ない、荒唐無稽で、余りにも絶望的で、出口の見えない――」

 

 そう口にして、セイアは俯いていた顔を上げる。その視線が正面から先生を捉えた。怯えを含んだ瞳が、先生の意志に直接問いかける様にして揺れ動いている。

 

「しかし、先生……或いは、君になら」

 

 言葉を詰まらせ、一度自身を落ち着ける様に息を吸い込むセイア。二度、三度、深呼吸を繰り返した彼女は真摯な声色と共に問いかけた。彼女の低い体温が、指先越しに先生を包む。

 

「……私の言葉に、耳を傾けて貰えるかい、先生?」

「あぁ、勿論だよ、セイアの言葉を疑ったりしない」

「そうか……あぁ、そうか」

 

 頷き、彼女は先生の手を一度強く握った。それは自身を勇気づける為の行動だった、怯懦に塗れた彼女がなけなしの意志を絞り出す為の。青白い顔色をそのままに、彼女は小さく頷く。

 

「ならば語ろう、此処からは今まで君が経験して来た事件とは全く別種の……完全に異なる類のものだ、荒唐無稽と感じるかもしれない、あり得ないと思うかもしれない、けれど、それでもどうか最後まで聞いて欲しい」

「……分かった」

 

 重々しく頷き、告げる。先生は背筋を伸ばすと、努めて真剣な様子で彼女と向き合った。セイアの纏う雰囲気が冗談でも何でもなく、真実を語るのだと思わせていた。実際、これから彼女が語る内容は夢の中で体験した――或いは実際に視た光景なのだろう。

 セイアは自身の唇を指先で何度も撫でつけると、やや乾いたそれを感じながらぽつり、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「過日、夢の使者が私に告げたんだ、いうなれば予知夢と云った類の、つまりはいつしか至る未来の片鱗、勿論それ自体は日頃私が視ている世界の一つだが……その日だけは、様子が違っていた――そう、あの日、私は」

 

 ――キヴォトス(世界)が終焉を迎える光景を視たんだ。

 


 

 トリニティの政治云々も此処までですわ~!

 次話以降、物語は大きく動き出しますの。

 そろそろ決戦の幕開けですわ! スクワッドvsアリウスvs聖園ミカ(複合体)vs

 ダークライ……胸が躍りますわね!

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