「はっ、はぁ……! 何とか、せ、セーフ、ですね……っ!」
背嚢とガンケース、愛銃を纏めて抱え、閉じた隔壁にギリギリで滑り込んだヒヨリが呟く。血と硝煙に塗れ、衣服に付着した汚れを払いながら彼女は胸を撫でおろす。分厚い隔壁は内と外を完全に隔て、少なくとも確かな安心感を彼女達に齎していた。
「……けほッ、第三隔壁が完全に閉じるまでは、まだ猶予がある」
口元を拭い、立ち上がるミサキ。隔壁閉鎖は五分毎、第一隔壁の此処が閉鎖してから、第二隔壁閉鎖までは五分の猶予時間がある。距離はそれほど離れていない、サオリは担いでいた先生をそっと地面に降ろし、額に滲む血と汗を拭いながら問いかける。
「アリウスの追撃部隊は――」
「……大丈夫、全員向こう側、一人もこっちに入ってきていない」
「……なら、直ぐ移動するぞ、正規通路からの追撃部隊がいつ来るかも分からない」
「了解」
正規の出入り口を知っている彼女達ならば、そちらの通路から追撃に来ていても可笑しくはない。カタコンベの通路は複雑で、隔壁を抜けた先では無数の通路が絡み合っている。ペンライトを点灯させたサオリは通路奥を注意深く照らしながら声を上げた。
「此処から先は通路が複雑だ、全員はぐれない様に注意しろ」
「そ、そうですね、此処は電波も通じませんし、道に迷ったら終わりです……」
サオリに続き全員が立ち上がって通路の奥に顔を向ける。
そんな中、先生はひとり、座り込んだまま最後まで隔壁に目を向けていた。浮かぶ表情は深く、苦しいもの。或いはどこか、打ちひしがれている様にも見えた。
「先生……」
「………」
座り込んだまま微動だにしない先生に向け、サオリその名を呼ぶ。数秒、何の反応も示さず佇んでいた先生だが、軈て自身の足を軽く叩くと緩慢な動作で立ち上がる。
「……すまない、直ぐ、行くよ」
「……あぁ」
力なく立ち上がる先生を見ていたサオリは、咄嗟に何かを云い掛け、口を噤む。どこか言葉を探すような配慮、同時にその表情には罪悪感、後ろめたさが滲んでいる気がした。何度か口を開閉させたサオリだったが、結局言葉を呑み込み帽子を深く被り直すと、静かに踵を返す。
「此処を抜ければ、目的地のアリウス自治区だ……行こう」
背中を向け、歩き出すサオリ。ヒヨリとミサキも先生の状態に思う所があるのか、その表情は何処か心配げだ。その視線に気付いている先生は強く拳を握り締め、思わずらしくもない悪態を零す。
「――……クソッ」
それは、余りにも無力な自身に対する怒りであり。
そして現状に対する、遣る瀬無さであった。
■
「スクワッドがカタコンベ内へと侵入しました」
「追撃命令は出ているか?」
「……スクワッドが自治区内に到達するまでは、追撃を続行せよと」
「――了解した」
閉鎖した隔壁の向こう、そこに駆け込んでいったスクワッドの背中を見つめながら問いかける。端末を眺めながら告げる生徒は、小さく頷きを返した。緊急避難通路襲撃の報を受け駆け付けたが、残念ながら出遅れたらしい。
どちらにせよ任務は続行、閉鎖された隔壁を後から開く手段はない為、正規ルートから迂回して追撃を行う必要がある。彼女が連れている小隊は三十名、周囲を見渡し先の戦闘で負傷した防衛隊生徒の手当てを指示しながら、出立の準備を進める。
回収班が来るまでは、数人此処に隊員を残す必要があるだろう。
「準備ができ次第直ぐに出るぞ、進行ルートは――」
「あー、もう、痛いなぁ……」
「っ!?」
視界の隅で、ゆっくりと起き上がる影があった。
それは集中砲火を受け地面に倒れ伏した筈の生徒、しかし彼女はゆらりと起き上がると衣服に付着した煤を手で払いながら、何事も無かったかのように伸びをする。周囲に立っていた生徒が驚愕を貼り付け、思わず叫んだ。
「馬鹿な、直撃弾が何発も……っ!?」
「……私の意識を断ちたいなら今の百倍は撃ち込まないと無理だよ」
弾痕塗れの制服を見下ろし、気だるげな反応を見せる――聖園ミカ。
彼女の瞳には最早何も映っていない、非常灯に照らされながら周囲を見渡す彼女はふと、自身の解れた髪に気付く。
「あーあ、折角セットした髪がボサボサ……」
「ッ、射撃用意――!」
「待て!」
咄嗟に銃口を向けるアリウス生徒、その前に立ち手を翳す存在がいた。
部隊の小隊長だ。唐突なそれに面食らい、銃を構えていた生徒の一人が思わず疑問の声を上げてしまう。
「隊長……?」
「……聖園ミカ」
彼女の名を告げ、一歩踏み出す小隊長。他の生徒とは異なる気配を放つ彼女を、ミカは何の色も見えない瞳で捉えた。
髪を梳いていた指先が、静かに落ちる。
「君は一時期、私達の自治区を支援してくれていたな」
「支援……?」
「トリニティ物資の、横流しの件だ、短くない間物資を都合してくれていただろう」
「……あぁ」
小隊長が口にし、ミカが納得の声を上げる。
それはクーデターが発生する以前の事柄、聖園ミカがアリウスに接触し、和解を持ちかけた時の事だ。
その時結ばれた非公式の協定に、聖園ミカがティーパーティーの権力を用いて、トリニティ内部の物資目録を改ざんし、アリウスへ横流し、支援するというものがあった。その内容物は多岐に渡り、単なる銃器や弾丸から食品、日常生活に必要な細々としたものまで、ミカからすれば何て事の無い、簡単に手に入るものが殆どであった。
しかし、アリウスにとってはそうではない。キヴォトスに於いて殆ど伝手を持たず、ただ外に物資調達に赴くだけでも負担となる彼女達にとって、トリニティから齎される物資は大変に貴重なものだった。
小隊長である彼女は、それを良く知っている。
「君も知っての通り、私達の自治区は物資に乏しい、君の支援で救われた者も多い、特に
「………」
「それを考慮して、今直ぐ此処を立ち去るならば手出しはしないと約束する」
「……! 正気ですか、隊長!?」
それは、余りにも唐突な提案だった。彼女達にとって聖園ミカは、既に協力者という立場にない。利用するだけ利用して、あと素知らぬ顔をする――それがアリウスの中で決定された事柄だ。
しかし、小隊長はその決定に一石を投じようとしていた、それは明確なアリウスの持つ方針への反逆だ。
しかし、小隊長は重ねて告げる。
「目標のリストに聖園ミカは記載されていない、リスト外の敵性存在については各部隊の判断に委ねられている筈だ、少なくとも、この場で彼女を攻撃するか、しないか……その判断は私に委ねられている」
「それは、そうですが――」
「これは私が決めた事だ、責任は私が取る」
その強い口調と意思に、隣に立つ隊員同士が顔を見合わせ、静かに銃口を下げる。一連の流れをミカは、何処か胡乱な目で見つめていた。
「ふーん、何、それ本気で云っている訳?」
「あぁ、この部隊の指揮権は私が握っている、私は至って本気だ」
「……いや、そういう事じゃなくてさぁ」
悪態を吐く様に、或いは馬鹿にする様に。
ミカはその表情を歪めると、その指先を隊長に向け告げた。
「――この程度の人数で、私の相手が出来ると本気で思っているのって事」
「……何?」
告げ、ミカはまるで散歩する様に、事も無げに足を進ませた。それを困惑の表情で見つめる小隊長。そしてある程度距離が詰まると、ミカは徐に足を振り上げ――小隊長の顔面を強かに蹴り抜いた。
「がッ!?」
「っ――!?」
生々しい打撃音が鳴り響き、小隊長の首があらぬ方向へと弾け、その身体がその場で半回転する。歪な姿勢、肩から地面に落下した小隊長はそのまま出来の悪い人形の様に床の上へと激突し、ピクリとも動かなくなった。
静寂が周囲を支配する。ほんの、一秒足らずの出来事であった。
倒れ伏した小隊長の顔をガスマスク越しに踏みつけ、ミカは哄笑を響かせる。
「あははッ、良かった、ちゃんと脳みそは入っているんだね? なのにさっきみたいな事云っちゃうんだ! 面白~いっ! そんなんじゃ日常生活大変じゃない?」
「ッ、発砲許可! 撃てッ!」
ミカの暴挙に、アリウス生徒達は即座に応戦へと転じる。発声と同時に幾つもの銃声が鳴り響き、マズルフラッシュが彼女達の影を濃く映し出す。ミカの身体に何発もの弾丸が突き刺さり、その衣服がはためく。
しかし、彼女はそれをそよ風受ける様な心地で佇んでいた。
「私が一人だから勝てると思った? 勝ちたいなら、アリウス自治区の生徒全員連れて来ないと駄目じゃん? それにさぁ――」
一歩、踏み出す。
地面が震えるような、錯覚があった。
弾丸を真正面から受けながら、ミカは敢えて力を込めず、ゆっくりとした足取りで彼女達へと近付いて行く。弾丸が額を捉える、前髪が微かに跳ねる。肩に着弾する、微動だにしない。その制服が僅かに揺れ、黒ずんだ色が付着する――ただ、それだけ。
一番近くの生徒、その目前へと辿り着いたミカは、ゆっくりと拳を握り締めると、それを振り上げた。
「先生を撃っておいて、許される訳ないじゃんね?」
「っ、な、なんで――ッ」
引き金を絞る、何度も、何度も。
けれど、弾丸は発射されない。
「ごがッ!?」
顔面を拳で撃ち抜く、ロケット砲染みたそれはアリウス生徒の被っていたガスマスクを粉砕し、その肉体は地面と水平に打ち出された。何度も地面をバウンドし、そのまま内壁へと衝突し轟音を上げる。
その末路を直視していたアリウス生徒が錯乱し、震える手で銃を構えながら叫んだ。
「クソ、弾は当たっているだろう!? 何で倒れないッ!」
「撃ち続けろ! 奴とて無敵では――ッ!」
「ん~、やっぱり特殊部隊なだけあって、スクワッドの方が戦い甲斐はあるなぁ」
呟き、ミカは再び別の生徒へと視線を向ける。その瞳に射貫かれた生徒は悲鳴を上げ、絶叫しながら銃を腰だめに構え、乱射した。飛来する弾丸を面倒そうに受け、或いは躱し、肉薄する。
聖園ミカに、理論に基づいた戦術は存在しない。
畢竟、彼女にとって戦闘方法とは大まかに分けて二つ。
近付いて、ぶん殴る。
或いは蹴り飛ばす。
大抵はこれで何とかなる。
距離があって面倒くさいときは、銃を構えて撃つ。
射撃は得意ではないが、決して苦手という訳でもない。
数を撃てば当たるだろうの感覚の元、彼女は弾丸を惜しまずにばら撒く。
それで動きが鈍れば、やはり近付いて殴り飛ばす。
いつか先生に云った様に、ミカは自分の強さにある程度の自信を抱いていた。少なくとも自身の全力、その拳を受けて無傷だった相手は――覚えている限り、一人しか存在しない。
「あぐッ……!?」
「ふふっ、捕まえた」
気付けば、あれ程揃っていた小隊のメンバーは全滅していた。残っていたのは最後まで指示を飛ばし、指揮を行っていた生徒。彼女の首を掴み、壁に叩きつけたミカは薄らと笑みを浮かべながら問いかける。
「ねぇ、最初に倒れた隊長の代わりに指揮を執っていたっていう事は、この部隊の副隊長? それならスクワッドが何処に行ったのかは知っている? 彼女達は先生を連れて何をするつもり?」
「ぅ、ぐッ――……」
「もしかして、あなた達はスクワッドの為に時間稼ぎをしているのかな?」
「ち、がう……」
仲間が全員戦闘不能となり、未だ健在のミカに囚われた彼女は、その首を必死に振りながら口を開く。
「私達の、追跡、対象は――……スクワッド、だ」
「―――」
その言葉に、ミカの目が大きく見開かれた。
「スクワッド、は、アリウスを、裏切った……マダム、から、処分命令、が――」
「ちょっと……ちょっと、待って、何、裏切り? 逃げた? スクワッドが?」
まさか。
まさか、まさかだ。
その情報はミカにとって、正に青天の霹靂に等しいものだった。
スクワッドはアリウスを裏切った。
彼女達もまた居場所を失い、母校を追われた。
その事実に、ミカの胸は――大きく弾んだ。
「……ふふっ」
口元が、彼女の意志に反して歪む。
沸々と胸元から湧き上がる感情。決して綺麗とは云えない、寧ろ汚らわしい筈のソレが胸いっぱいに広がり、ミカは耐え切れず三日月の様に大口を開けて嗤った。
悍ましいその声が地下通路に響き渡り、ミカは背を逸らし天を仰ぐ。
「あははははッ! そうなんだ! あの後、本当に自治区から逃げたんだぁ!? 面白いね☆ その果てに味方に捨てられちゃうなんてさ!?」
「あぐッ……!」
「は~ぁ、ホントにさぁ……!」
思わず手に力が籠り、アリウス生徒が苦し気に声を上げる。しかし今のミカには、それに注意を払うだけの余裕が無い。胸中に広がる最高の悦楽、歓喜、昏い喜色、口に笑みを湛えたまま、彼女は俯き呟く。
「――これがあなたの末路なんだね、サオリ」
その声には、万感の想いが込められていた。
スクワッド、トリニティを混乱の坩堝に陥れ、決して消えない傷跡を残し、自身の居場所を奪い、未来を奪い、友人を奪い、先生すらも奪いかけた彼女にとってのワルモノ。それが正当なものであろうと、或いは逆恨みであろうと、彼女にとっては最早関係ない。
「そっか、そっか、狩りに失敗した猟犬は用済みって事か、居場所も、未来も、閉ざされて――なら先生は」
――あれ、そう云えば一人足りないね? マスク姿の無口なあの子は? 姫、姫って、皆で大事にしていたじゃん。
「また、危機に陥っている子の為に、その身を犠牲にしているのかな」
呟き、ミカは小さく首を振る。
その姿が、容易に想像出来るのだから――堪らない。
「はー……ほんと」
その先の言葉を、ミカは噛み締め、呑み込んだ。
無粋だと、そう思ったのだ。
そうして彼女が再び顔を上げた時、その表情には隠しきれない笑みが浮かんでいた。喉元を掴まれた生徒の口から、引き攣った悲鳴が響く。
「でも、まだ聞きたい事があるんだよね☆」
「っ――!?」
「早く吐いた方が、身の為だよ」
告げ、ミカは半分ほどの力でアリウス生徒、その腹部を殴りつけた。
ズン、と鈍い音が響き、彼女の身体がくの字に折れ曲がった。足元の砂利が跳ね、ガスマスクの中で唾液を吐き出す音が響く。身を捩る彼女を無理矢理引き付け、今度は顔面を殴り飛ばす。ガスマスクの留め具が弾け、金髪の中で苦悶に歪む表情が視界に入った。
ミカの頬に、飛び散った血が付着する。
浅い呼吸を繰り返しながら、アリウス生徒が両手を突き出した。
「ま、まっへ、ま……――っ!」
「ごめんね、今の私は、機嫌が悪いから」
■
「……そ、れで、アツ、コを、彼女の……命令、で――自治区内の、バシリカに」
「ふぅん」
壁に叩きつけられ、殴られ、蹴られ、ボロボロになった制服を身に纏う――元副隊長。ミカに胸元を掴まれ、力なく持ち上げられる彼女はぶつぶつと、囁く様な声で情報を漏らす。その瞳には戦意も、意思も、何もかも感じられない。
ただミカの問い掛けに答えるだけの人形と化していた。
尋問はほんの二、三分程度、しかしそれだけの時間でも彼女の心を折るのは十分な時間であった。
「わ、わた、しが、知って、いるのは、これだけ、です――」
「そっか、ご苦労様☆」
そう云って微笑みを浮かべ、ミカはぱっと手を離す。途端崩れ落ちる彼女の肉体、そのまま硬く冷たい地面に横たわった生徒は、一も二も無く意識を手放した。外傷は酷いものだが、それは見た目だけだ。後遺症になる程に執拗な暴力は振るっていない。何なら折った骨は一本か二本程度のものだ、彼女からすればこれは素晴らしい程の自制であると云えた。
崩れ落ちた生徒を見届けたミカは、踵を返して独り言を口にする。
「仲間を救う為、アリウス自治区に……先生を連れて、ねぇ」
尋問の甲斐あって大まかな情報は手に入った、何故スクワッドがアリウスに追われているのか、何故先生が彼女達に同行しているのかも。先生が彼女達に同行しているのは、アリウス自治区で行われるという儀式を阻止する為だ。その儀式が完遂すれば、どうやらスクワッドに居た仮面の生徒――確か、アツコとか呼ばれていたあの子が犠牲になるそうなのだ。
確かに、先生ならそうするだろう。
生徒が窮地に陥っているのなら、誰かに助けを求められたのなら、ましてやそれが生徒の命に係わる事ならば、例え敵であっても我が身を顧みずに飛び込んで見せる。
彼は、そういう人だから。
それは、一度
「そっか、まぁ、そうだよね、先生ならきっとそうするよね、生徒の命が懸かっているのなら尚更」
呟き、ミカは先生が最後に自身に向けて発した言葉を思い返す。
――ごめんミカ! 本当にすまないッ! 今は説明する時間がないんだ、トリニティで……いや、どこだって良い! シャーレでも構わない! 待っていて欲しい、私は必ず帰るから!
あの時、先生が放った言葉は本気だった、表情は焦燥に塗れていた。少なくとも先生が決して自分を蔑ろにした訳ではないと、それだけは確かに伝わって来る。指先を丸め、彼女はぽつりぽつりと言葉を零した。
「先生、必死だったな……私の事、考えてくれているんだよね、こんな状況でも」
――私は、ミカの味方だからッ!
その言葉の本質を、ミカは理解している。
先生は生徒皆の味方、決して自分だけの味方にはなってくれない。
けれど、それは仕方ない事だから。先生が悪い訳じゃない、その心根の優しさも、信念も、強さも、全て全てミカは好いている。
けれど。
「でも、駄目」
ミカはそう断じて、自身の愛銃を強く握り締めた。軋む音を立て、胸元へと引き寄せたそれをミカは指先で撫でつける。伝わる鉄の感触は固く、冷たかった。
誰かを不幸にする冷たさであった。
「それでも、私は追いかけるよ、追いかけて――復讐する」
彼女は想う。
それが、先生の望まない行為だとしても。
それが、悪行と誹りを受ける行為だとしても。
それが、誰かを不幸にする行為だとしても。
果てに、誰も幸福になれない結末だとしても。
それでも、聖園ミカは実行する。
「嫌われちゃうかな、失望されちゃうかな、それとも軽蔑されちゃうかな……先生には嫌われたくなかったなぁ」
それは、ミカの本心だった。気を抜けば涙を流してしまいそうになる程に、彼女の腹の底から出た言葉だ。
でも。
でもね、先生。
――それでも、私にはもう、これしかないの。
ミカは頭上を見上げ、零れそうになる涙を拭う。
彼女は居場所を失った、友人を失った、未来を失った。
聖園ミカが願っていた、友人達と囲むお茶会はもう二度と実現しない。許しを得られず、その資格すらない己に残されたものなど何もない。その唯一彼女に託された言葉さえも、実際は伽藍洞の、形だけのものだった。それを、彼女は責めるつもりはない。
だって、先生ならそうするって納得できるから。
先生は、生徒の為に心を砕いている。
自分が出来る事は、何もなかった。
本当に、何一つ。
けれど――。
「私は――」
拳を握り締め、彼女は告げる。
「私はアリウス・スクワッドを絶対に許せないし、信用できない――例え魔女と呼ばれ続けたとしても、地の果てまで追いかけて、倒さないと駄目なの」
そうしなければ、聖園ミカという存在は。
「万が一でも先生が居なくなってしまったら、私は、私を絶対に許せない――これは先生の為じゃない、私の為に、必要な戦い」
先に進む為ではない。
聖園ミカという存在が許される為でもない。
何の生産性も、大義も、正義も、ない。
けれど、意味はある。
他ならぬ、聖園ミカという存在にとっては、何にも代えがたい意味が。
聖園ミカは、全てを失った。
錠前サオリもまた、同じように失った。
――けれどそれは、【全て】ではない。
「だから先生、どうか」
彼女は一歩を踏み出す。
其処には力強い、決意があった。
その瞳に光が宿る、その光の色は昏くも輝く、彼女の掲げる星々の様な煌めきを秘めていた。決して正義ではない、許される事でもない、それでも――彼女にとっては、絶対に譲れぬ片道だ。
「私を止めないでね」
これから為す、その悪行を。
「――あら」
声が聞こえた。
同時にミカの足音ではない、誰かの足音が耳に届く。
視線を上げれば、暗い通路の奥から顔を覗かせる人影があった。アリウスではない、そういう気配がしない。ミカは銃を握り締めたまま、その瞳を絞る。暗闇の中でぼんやりと浮かび上がる、人影。
「その恰好、トリニティの方ですね」
「……ゲヘナ?」
非常灯に照らされ、視界に入った生徒はゲヘナの制服を身に纏った人物であった。かなり改造されているが間違いない、特徴的な尻尾や羽は彼女の目を誤魔化す事が出来ない。先頭に立つ銀髪の少女に続き、その背後から三人のゲヘナ生徒達が顔を覗かせる。
「あ、あれ、こんな所に人が居るよ……?」
「これは、想定外ですね」
「ってうわ、あの制服、トリニティじゃん……」
続々と現れる纏まった数のゲヘナ生徒――美食研究会を前に、ミカは露骨に表情を歪め吐き捨てる。
「どうしてこんな場所に、ゲヘナの角付きが居る訳?」
「うわ、何か凄い喧嘩腰なんだけれど……!?」
「フフッ、如何にもトリニティらしい方ですねぇ」
「な、何か、怒ってない……?」
ミカの悪態に対し、ジュンコはやや戦々恐々とした様子で、アカリはいつも通り余裕の表情を崩さず、イズミは単純に疑問符を浮かべている。そんな仲間達の様子を微笑みながら流し、ハルナはそれとなく目前の生徒、そして周辺を観察する。
彼女の周りには多数の倒れ伏したアリウス生徒が確認出来る。数は凡そ五十以上、いや、もっとか――下手をすると百近いかもしれないと内心で感嘆する。
単独でこれらを撃破したのならば驚異的な戦闘能力の持ち主と云わざるを得ない。その様な武力を持ち合わせるトリニティ生徒など、ハルナは数える程しか知らなかった。
正義実現委員会のトップであるツルギ。
救護騎士団のトップであるミネ。
ティーパーティー、パテル分派首長であるミカ。
そして、目の前の人物はその中の一人と酷似している。ハルナは彼女の素性にアタリを付け、小さく吐息を零した。しかし、ハルナの記憶によれば、確か聖園ミカは罪に問われ現在トリニティ内部で収監されているとの事だったが――。
「あ、もしかしてお腹減っているの……?」
「……は?」
不意に、イズミがその様な声を上げた。
嫌悪感を滲ませ自身を見つめるミカ、どうしてその様に不機嫌なのだろうとイズミなりに考えた時、その原因が空腹にあると結論付けたのだ。彼女は小走りでミカの下へと駆け寄ると、自身のポーチの中に手を突っ込んで漁り始める。
彼女のポーチには愛銃の弾薬は勿論、医療品や食事に必要なスプーンやフォーク、緊急時用の携帯食料、おやつの類も詰め込まれていた。
「空腹だと機嫌悪くなっちゃうよね、分かるよ! ちょっと待って、えっと、此処に来るまでに結構食べちゃったんだけれど、確か飴位なら入っていた気が……あ、あった!」
ガサゴソと忙しなく越しに括りつけたポーチを漁るイズミ。そして中から半分に折り畳んだ飴玉の入った袋を取り出すと、中にあった飴を掴み取り、笑顔を浮かべてミカへと差し出した。
「はい、これ! 期間限定、イカスミ味の飴だよ!」
「………」
差し出されたそれを、ミカは何とも云えない表情で見下ろす。浮かぶ色は困惑、侮蔑、疑念、不信――そう云ったネガティブなものだ。というか、そもそも何でイカスミ味? イカスミ味の飴って何? ミカは未知の飴を嬉々として差し出すイズミを理解できない存在を見る目で眺め続けていた。
「んんッ! 私達も少々、この辺りに用事があって来たのですが――」
満面の笑みを浮かべて飴を差し出すイズミをフォローする様に、咳払いを挟んだハルナが声を上げる。
「どうやらお互い、訳アリの様ですね?」
「……飴は要らないから、ソレ仕舞って」
「そ、そう……? 美味しいのに、残念……」
ミカの言葉に力なく肩を落とし、そのまま包装を破くや否や迷いなく口に飴玉を放り込むイズミ。カラコロと飴を舐める彼女は満足げだ。反対にミカは、「良くそんなものを食べられるね」と云わんばかりの表情だった。
「……それで、このような場所で一体――」
「あなた様ッ!」
ハルナがミカに問い掛けようとした瞬間、何処からか地下通路に声が響く。それはミカのものでもなければ、美食研究会のものでもない。今度は誰だとミカが胡乱な視線を声のした方向へと向ければ、影が彼女の視界に過る。
素早く、飛び込む様にして彼女達のいる空間へと着地した人影は、周囲に蹴散らされたアリウス生徒を見るや否や忌々し気に声を漏らした。
「っ、一足遅かった――ッ!」
「主殿――……!」
「はぁッ、はぁっ……ふ、二人共、走るの速すぎるって!」
「先生の姿は、見えません、ね……」
視界に映るのは特徴的な衣服を身に纏った面々。その独特な装いには見覚えがあった、何処となく閑雅で、キヴォトスでは見慣れない代物。ミカは先頭に立つ狐面を被った生徒に気付き、思わず目を見開く。
「その制服、百鬼夜行……? っていうか、狐の仮面って――」
「確か、貴女は……ワカモさん、でしたか」
「あなた方は――……」
「その制服、トリニティと、ゲヘナ……?」
「え、ぁ、う、うぅ……」
ワカモ、イズナ、ミチル、ツクヨ――この場に飛び込んで来たのは忍術研究部の面々である。ツクヨはその性格上、見知らぬ生徒達との邂逅に委縮し、思わず背を曲げて縮んでしまう。しかし、その視線は油断なく周囲を見渡しており、内心で先生の姿が見えない事に肩を落としていた。
イズナとミチルは純粋に、こんな場所にアリウス以外の生徒が居るとは思ってもいなかった様で、驚愕を貼り付けたまま硬直していた。ミチルはそのまま何のアクションも起こさずに居たが、イズナは後ろ手に回した指先でポーチから手裏剣を素早く摘み、身体の影に隠したまま身構える。
彼女達が味方である保証がない、そう判断したのだ。
ワカモは彼女達の先頭に立ったまま、不気味な沈黙を守っていた。
「これは、これは、トリニティにゲヘナ、加えて百鬼夜行……どうやら数奇な巡り合わせ、というものでしょうか?」
「………」
ハルナがどこか感心した様な声色でそう呟き、全員を見渡す様に視線を動かす。
そうこうしていると不意にワカモがその指先をミカに向け、問いかけた。
「その顔、背格好、記憶にあります……トリニティのパテル分派トップ、聖園ミカさん、で宜しいでしょうか」
「……そうだよ」
「ッ!」
その返答を聞いた瞬間、ワカモは肩に担いでいた愛銃を素早くミカに突きつけた。その指は引き金に触れ、決して冗談ではない事が伝わって来る。一気に空気が緊迫し、ミカの瞳が細く絞られた。
「ちょ、わ、ワカモ!?」
「ワカモ殿!?」
「と、突然、どうしたんですか……!?」
唐突な仲間の暴走にミチル達は声を荒げ、思わず彼女の身体に手を掛ける。衣服を引っ張られる状況でもワカモの体幹は微動だにせず、その銃口はミカの額をぴたりと狙っていた。
「直接会ったら一言二言、文句を云わねば気が済まないと常々思っておりました、あなたの軽率な行動によって、あの御方がどれ程心を擦り減らし、その御身体に消えぬ傷を負った事か――ッ!」
「……!」
その、叩きつける様な苛烈な言葉に、ぴくりとミカの眉が跳ねた。彼女の言葉が誰を指しているのかを理解したからだ。ワカモの銃を握り締める手は震えていた、それは純粋な怒りから齎される震えだった。
「アリウスを秘密裏に支援し、手引きした主犯……! あの御方の負傷も、欠損も、その御心の傷さえ、全てあなたが引き金だった! これがどうして恨まずにいられましょう!?」
「ッ……」
仮面で素顔は見えない、しかし――その表情はきっと、般若の如く歪んでいる事だろう。ミカは思わず唇を噛み締め、視線を逸らす。それは云われるまでもない、彼女自身が自覚し自身に何度も云い聞かせて来た、ミカの犯した罪悪そのものあった。
「た、確か、トリニティでクーデター未遂を起こした、生徒会長が、居た、と……」
「それがこの、人って事……?」
「ッ――!」
ツクヨとミチルが困惑と、驚愕の声と共にミカを見る。当の本人はその視線に何の返答も、弁解すらも行わなかった。
その沈黙が答えだった。
その姿に――何の言い訳も、弁明も口にしないミカの姿に、イズナの瞳孔が開き、尻尾の毛が逆立った。
――目の前の方が原因で、主殿はあのような傷を……ッ!
それは激烈な怒り、憎悪の発露。其処には自身が何の助けにもなれなかった、罪悪感も多分に含まれていた。それが反転し、先生に決して消えぬ傷を残した彼女に対し過剰な攻撃意思を抱いてしまう。ほんの一瞬、僅か一秒にも満たない時間であったが――イズナは確かに、彼女に対して殺意を抱いた。
背に隠した手裏剣を掴む指先に力が籠り、歯を剥き出しにして身構える。あとコンマ数秒もすれば、恐らくワカモより早くその手裏剣を全力で投擲していた事だろう。
しかし、その殺意が形を伴って放たれるよりも早く、ミチルが声を荒げ、ワカモの突き出した銃を掴んだ。
「お、落ち着いてよワカモ! 気持ちは分かるけれど、い、今はそんな事を云っている場合じゃないでしょ――!?」
「……っ!」
その声に、イズナはハッと我に返る。動き出そうとした身体が、傍から見れば僅かに揺れた程度にしか見えなかった。彼女の意志は、そこで辛うじて踏みとどまった。
ワカモは突き出した銃をそのままに、ただ沈黙を守っていた。ミカはその場から動かずに無言を貫き、ツクヨは右往左往する。ミチルは対峙する二人を不安げな瞳で見比べながら、何とか言葉を尽くそうとしていた。
「な、何か不穏な空気なんだけれど、もしかしてヤバイ感じ? どうするのハルナ……?」
「う~ん、これは少々……危険な状況かもしれませんね」
「せ、先生は居なくなっちゃうし、う、うえぇ、ど、どうしよう……!」
「―――」
双方の纏う、一触即発の雰囲気。
ゲヘナとトリニティに於いて、聖園ミカの為した悪行は良く知れ渡っている。百鬼夜行の生徒であれば知らぬのも無理のない事ではあるが、その件については既にハルナ達は吞み下していた。
そうでなくともこの場で争う事など愚の骨頂、アリウス自治区へと通じるこの地下通路に赴いているのであれば、彼女達の目的も察して余りあるというもの。
「……ふぅ、余りこういった事は得意ではないのですが」
溜息を零し、ハルナは一歩前に踏み出すと、徐に手を打ち鳴らした。
その音は周囲に響き渡り、一瞬だけ全員の意識に空白を齎す。
「皆さん、一度冷静になりましょう」
全員の視線が、ハルナの下へと集まった。彼女は肩を軽く回し、薄らとした笑みを貼り付けたまま声を上げる。
「私達の目的は同じ――恐らくこの先へと進んだ先生について、ですわね?」
「……ゲヘナと話す事なんて、何もないんだけれど?」
「……私としても、あの御方の害となる生徒と轡を並べるなど、御免被ります」
取り付く島もない、或いは相手への嫌悪と憎悪が先行している、それが良く分かる回答であった。しかしハルナは諦める事無く、その羽織った外套を靡かせながら背を向ける。その視線の先には、同胞である美食研究会の面々。
「先生の為ならば、
「うぇっ!?」
唐突に投げかけられたその問いに、ジュンコは面食らった様に声を上げる。そして彼女達は隣り合う仲間の顔を伺いながら、ぎこちなく、しかし確かに頷いて見せた。
「ま、まぁ、うん……じゃないと、こんな所まで追ってこないでしょ」
「そうですねぇ」
「お、お皿は食べ物じゃないよ……?」
ひとり、若干趣旨を理解していない答えがあったが、ハルナはそれを気にせず再び振り向いて見せる。そして再び両名と対峙すると、何処か煽る様に、先生への想いの強さを問いかける様な口調で云った。
「その覚悟が――貴女方にはおありで?」
「………」
「………」
二人の視線が、交差する。
その暗闇の中でも煌めく、力強い意志の光こそが何よりも雄弁に答えを語っていた。
「大変結構、その判断に感謝致します、それでは手始めに――」
二人の態度に気を良くしたハルナは両手を合わせたまま足を進める。そして二人の合間を抜け、閉鎖された隔壁の前に立った彼女は振り向き、此処に集った全ての生徒を見渡しながら告げた。
「私達は一度、情報を擦り合わせる必要があるかもしれません」
――先生を、奪還する為にも。
最近後書きのネタはTwitter(新:エックス)漫画の方に回していたのですが、絵にするのが無理ゲーだったのでこっちで書き綴りますわ。
対象はイオリちゃん、前イベントで意外な一面を見せてくれた先生大好きっ娘(断固たる意志)です。何だかんだツンケンしておりますし、先生も彼女に対しては一切のブレーキを放棄しておりますが、絆アップ台詞に「新しい任務が入った、一緒にそれを遂行して……その、帰り道にちょっと遊んでくるっていうのは、どう……?」なんて卑しい台詞を口にするくらいには先生に信頼をよせてくれていますの。
そうじゃなくても半裸みたいな状態で包帯巻き直しのさせてくれるし。まぁ卑しい子はなんぼおっても困りませんからね、大変宜しいと思います。
それで、そんなイオリのどんなシチュエーションを漫画にしようかと思ったかと云うと、具体的にはエデン条約後編の後、ベアトリーチェ討伐後のお話ですわね。何やかんやあってエデン条約でのゴタゴタは一応の終結を見せ、それなりに時間が経過したある日。(多分、一ヶ月とかその辺)
今日も今日とてイオリは忙しい日々を送っており、ヒナの補佐やパトロール、序に暴れ回るゲヘナ生徒の捕縛と鎮圧を任され、ゲヘナ自治区を走り回る。そんな業務を終えくたくたになって風紀委員会に戻って来ると、ヒナ委員長から「今日、先生が風紀委員会に顔を出すようだから、伝えておくわ」という言葉を掛けられる。僅かに微笑み、喜色を滲ませた彼女の様子に、あぁ、そう云えば最近先生と会っていないなぁ、なんてぼんやり考えるイオリ。
モモトークで定期的に連絡は取っていたが、此処最近は忙しくて連絡は途切れ気味、直近の一週間位はもしかしてメッセージのやり取りすらしていなかったかもしれないと思い返す。
何だか最近、学外も騒がしいし(これは最終章前の予兆か、或いはパヴァーヌ後編の突入直前とかでも良いかもしれない、しかし事の重大さを考えると最終編突入前が自然か、因みにトレインイベントは経験済みという方向に持って行きたい、エデン条約後ならあのイベントはいつ起きても大丈夫なハズ)また何か、風紀委員会に協力を要請しに来るのかと考える。
取り敢えずヒナは執務机にあった書類を先程の三倍の速度で処理し始め、フンスフンスと鼻息荒く先生を迎える準備を始める。それを見てアコが「キィ~ッ!」と言葉には出さないが、表情で嫉妬の感情を覗かせる。チナツはそんなアコ行政官を見つめながら呆れた表情を浮かべ、それとなく手鏡でサッと髪を整えたりする。
辟易とするイオリに、「イオリ、悪いけれど先生の出迎えをお願い」とヒナが告げる。書類を捌くにはもう少し時間が掛かりそうで、ヒナの代わりにイオリが広場で先生を出迎える事になる。
その言葉に頷き、部屋を後にするイオリ。廊下を歩き、ふと窓硝子に写る自分を見る。先程まで仕事で走り回ったせいで髪は所々跳ね、服は銃撃戦でやや煤けている。それを見て何となく髪を手櫛で梳かし、制服の汚れを手で払って襟を正しきちんと着こなす、そしてまぁ、そこまで酷くはないかな? と納得し反射する硝子に向かって笑みを浮かべた所で、「いや、何をしているんだ私は」と我に返る。
これじゃまるで先生を意識しているみたいじゃないかと思いつつ、いやでも一応相手はシャーレの先生だし、だらしないと思われるのもいやだし、出迎えを頼まれている以上、身だしなみに注意を払わないのも――ともごもごする。
そしてそうこうしている内に時間が経過し、このまま足を止めている訳にも行かず、広場へと出向いたイオリは何とも云えないもやもやを抱えたまま先生の到着を待ち続ける。銃を担いだまま憎たらしい程に快晴な空を見上げながら、先生遅いな、なんて思っていると不意に端末が振動し、モモトークの通知が表示された。送り主は先生、「遅くなってごめん、もう直ぐ到着するね」とメッセージが届く。その画面を見て、また口元が緩むイオリ、しかしそれを自覚しぶんぶんと頭を振る。
数分もすると、不意に背後から、「イオリ」と聞き慣れた声が響く。
聞き間違える事は無い、先生の声だ。高鳴った胸元、それを抑えながらイオリは鼻を鳴らす。素直になれないのはいつもの事で、今日は特に業務が忙しかった事も影響し、いつもより少しだけ意地悪な気分になる。イオリは先生の方を振り向く事無く腕を組むと、「ふん、久しぶりだな先生、それで、今日はどんな厄介ごとを持って来たんだ?」と背中越しに顔を逸らしながら問いかける。
先生は少しだけ困った様な気配を滲ませながら、「鋭いな、実はお願いがあってね」と言葉を漏らした。
イオリはそれみた事かと内心で思いつつ、不意にアビドスでの一件を思い出す。這い蹲って足を舐めればヒナ委員長に会わせてやっても良いと口走った件だ。翻って、今の状況は当時と酷似している。加えて以前ハイランダー鉄道で起きた事件で味方になってくれなかった事を思い出し、イオリは意趣返しを心に決める。
ふふんと、イオリは気分よさげに踵を返すと、「それなら這い蹲ってお願いすれば、聞いてやらない事もないぞ、あっ、足は舐めるなよ!? 先生が誠心誠意頭を下げれば、協力してやっても良いってだけで、絶対に変態行為は――」と言葉を紡ぐ。
そして、ふと視線を向けた先に。
両足が無くなって車椅子に乗った先生が微笑んでいるのだ。
最初、イオリは何が起きているのか分からなくて、酷く混乱する。先生の腕と目が無くなった事は知っていても、両足が無くなった報告なんて聞いていなくて、少なくともここ一週間か、その間に何か大きな事件があった事は明らかだった。イオリはあまりの衝撃に二の句を告げる事が出来ず、目を見開いたまま硬直する。
先生はイオリの様子に少しだけ困った顔で視線を落とすと、「分かった、ごめんね、ちょっと、時間が掛かるかも」と口走る。そして、ゆっくりと車椅子から身を捩って降りる動作を見せて、先生が自身の云った通り地面に這い蹲って頭を下げるつもりなのだとイオリは悟る。
瞬間、サッとイオリの顔から血の気が引いて、「な、何やっているんだ先生っ!?」と先生の傍に駆け寄る。
先生は中途半端な姿勢のまま地面を這うけれど、その頭を下げるより早くイオリに肩を掴まれ、思い切り抱き寄せられる。視線を上げると、今にも泣きそうなイオリが、「冗談に決まっているだろう!? 頼むから本気にしないでくれ……! それより、何だ、何があったんだ先生……!? 何で、足が、そんな……!?」と混乱と罪悪感と焦燥に塗れた表情を浮かべてくれるのだ。
その後事情を説明して、今にも死にそうな顔のイオリに車椅子を押されながら風紀委員会に乗り込んでも良いし、業務を全力で終わらせたヒナがイオリの前で這い蹲る先生を目撃するのでも良い。ヒナの愛を感じるシーンなんて幾らあっても良いのです。多分すっごい顔してくれる筈だから、その感情の大きさと重さを想像するだけで「先生良かったね……」ってほっこりする事が出来る。
って云うのを漫画一ページ、最大8コマで表現するのは「どう考えても無理ですわ~ッ!」となったので此方で発散致しましたの。
最初は『ヒナがイオリに先生出迎えを頼む』、『廊下でイオリが愚痴を云いながら髪を整える』、『広場で腕を組みながら不満顔で待っている(でも尻尾は動いてる)』、『背後から先生が声を掛ける』、『どうせ今回も厄介ごとなんだろう? と悪態を吐きながら振り返る、這い蹲ってお願いすれば――と台詞が途中で切れる』、『両足なくなった車椅子先生が居る』、『イオリが面食らう中、先生が這い蹲ろうとする』、『あ、ち、違うんだ先生、頼む、やめてくれ……! という感じのイオリ』と云うコマ割りと情報で描こうと思いましたが、描いている内に「何かゴチャっとしてますわねぇ~?」となって没になりましたの。
台詞だけじゃなく、情報を絵に落とし込む技術って滅茶苦茶大切ですのね……ページを増やせば良いという改善案に関しては一度それをやると以降絶対に一ページじゃ済まなくなる上に私の現実の方に絶対影響が出て来るのでやりませんわ! というか出来ませんわ! 私の睡眠時間が覚悟の角度になります事よ! 起き抜け一発にサクラコ様と同じ過酷な表情を浮かべながら活動する羽目になったら寿命がマッハでヴァニヴァニですわ~ッ!