ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ~!
今回は15,000字ですの!


私達の罪悪(つみ)

 

「ぐッ、ゴホッ……!?」

「けほッ、ごほッ、り、リーダー!?」

「さ、サオリさん……ッ!?」

 

 粉塵が周囲を覆い尽くし、月明かりに反射する。それは場所と状況さえ異なれば、幻想的ともえ云える光景であり、煌めくそれらの向こう側に巨大な壁が生み出されていた。

 先生はミサキに抱かれ、這い蹲った格好のまま崩れ落ちた天井と柱の積み重なった山を見上げる。その光景は、先生に一瞬我を忘れさせる程には衝撃的なものだった。

 

「っ、サオリ――!」

 

 彼女の名を呼び、這い蹲った状態のまま瓦礫へと手を伸ばす先生。土と石、そして瓦礫に埋もれたそれに手を這わせ、必死に抜けられるような穴を探す。しかし見た限り回廊は完全に遮断され、それらしい隙間は何処にも見当たらなかった。同じように駆け寄って来たヒヨリとミサキも隙間を探すが、身体ごと通れるような都合の良い空間はやはり存在しない。

 ミサキは瓦礫に拳を叩きつけながら、吐き捨てる様に叫ぶ。

 

「っ、駄目、完全に封鎖されている……!」

「そ、そんな――」

「ッ……!」

 

 思わず、悪態が漏れかけた。

 回廊は一本道だ、横合いに地上へと通じているのであろう通路は散見されるも、それが何処に通じているかは一切不明。迂回路となるかどうかすら定かではない。

 ミサキは積み重なった瓦礫を掴み、血の気の失せた表情と共に向こう側へと叫んだ。

 

「リーダー、馬鹿な事はやめて今直ぐ逃げてッ! あの数相手に単独で戦うなんて……死ぬ気なの!?」

「そ、そうです、サオリさん! そんな体で、無茶ですよ……っ!?」

 

 声には、隠しきれぬ程の悲痛な想いが籠っていた。

 今尚自分達を追跡している彼女達の戦闘能力は、スクワッド全員で挑んでも勝率は僅か。百回戦って、一回勝ちを拾えれば良い、そのレベルで彼我の戦力差には開きがある。

 そんな相手に単独で挑む等――その勝敗は、誰の目から見ても明らか。自殺行為と云い換えても良い、それ程に無謀な行いだった。

 回廊が完全に封鎖されている事を確かめた先生はよろよろと立ち上がり、呼吸を整えながら拳を強く握りしめる。口の中がからからに乾いて、ひりついていた。

 

「待っていろサオリ、今迂回路を探して、そっちに――ッ!」

「来るなッ! 先生!」

 

 声を張り上げ、動き出そうとした先生。

 しかし、それを制止する叫びが瓦礫の向こう側から響いた。

 その、彼女(サオリ)の叫びに駆け出そうとした足が止まる。

 封鎖された通路の反対側に立つ彼女は、いっそ穏やかな抑揚で、告げた。

 

「……これで良いんだ、これが私達の取れる最善の選択だ」

「最善……? これの、これの何処が最善だと云うんだ、サオリ……!」

「分かっているのだろう、先生? 日の出までもう時間がない、此処から先、アイツ等を相手にしながらアリウスと戦うのは戦力的にも、時間的にも不可能だ――私が此処で食い止める、だから三人でアツコを救出してくれ」

「馬鹿な――ッ!」

「先生」

 

 尚も云い募ろうとした先生を、サオリは遮る。

 姿は見えないというのに、先生の視界には彼女の表情がはっきりと映る様だった。

 彼女はマスクを手に持ったまま静かに、晴れやかな微笑すら伴って告げるのだ。

 

「私は――お前を信じている」

 

 それは、実感を伴った言葉だった。

 こんな、本来であれば手を差し伸べる必要も、その資格すらない生徒にすら寄り添い、真摯に向き合ってくれる大人ならば。

 

 ――先生なら、必ずアツコを救ってくれると、彼女はそう信じている。

 

 先生であれば自身の大切な、残った全て(家族みんな)を託せる。

 その胸に不安はない、どのような形であれ、先生は文字通り死に物狂いで彼女を助けようとしてくれる筈だから。

 故に、サオリは何の不安も、恐れも抱かずに挑む事が出来る。

 全力で、命を賭す事が出来る。

 

「だから、頼む」

「サオリ――ッ!」

「――此処は、私が死守す(まも)るから」

 

 瓦礫に縋る先生の爪が、その表面を力の限り引っ掻く。剥がれかけた爪が、血と共に僅かな傷を付けた。痛みが、痛みだけが、先生の身体を苛む。

 

「はぁー……っ」

 

 深く、息を吐き出した。

 サオリは静かにマスクで口元を覆うと、前へと向き直る。肌寒い地下では、僅かに吐息が白く濁りを見せる。

 帽子を深く被り直し、つばを摘まむ。視界を覆う粉塵、それが月光を反射して煌めく。

 その中に、サオリは幼い頃の自分自身を垣間見た気がした。

 

「――!」

 

 陽炎の様に、朧げな輪郭と共に自分自身を見つめる人影――力を持たなかった(無垢であった)頃の自分。それが暗闇と粉塵に塗れ、幽鬼の如くじっと此方を見つめている。

 硝子玉の様な瞳に映る自分自身を、サオリは静かに見つめ返す。幼い頃の自分は擦り切れ、ボロボロになった手で膝を抱えて、今のサオリを眺めていた。枯れ木の様に細く、力ない手足、それこそが弱さの証であり、当時の彼女にとって何よりも忌むべきものだった。

 強くなりたい、力が欲しい。そうすれば大切なものを、家族を守れる筈だから。

 そこに善悪はなく、願いは使命へと変化し、その無垢が罪である事を知った。

 

 少女(あの日の自分)サオリ(今の自分)を見つめる。

 サオリ(今の自分)少女(あの日の自分)を見つめる。

 

「――大丈夫だ」

 

 今度は、目を逸らさなかった。

 調印式襲撃の前にも、カタコンベで同じような幻を見た。

 あの時は、後ろめたさから視線を合わせる事は出来なかった。

 でも、今は違う。

 

「もう、間違えないから」

 

 告げ、サオリは顔を上げる。

 その鋭く細めた瞳の先に――人影が浮かび上がった。

 既に少女(幼き頃のサオリ)の輪郭は掻き消え、朝霧の如く消え去っていた。代わりに段々と近付いて来る靴音。

 それを、サオリはただ待ち構えるのみ。

 

「――ふぅん」

 

 回廊に、声が響いた。

 粉塵の向こう側、浮かび上がった人影を前にサオリは口元を引き締める。

 追いつかれた、奴が此処まで辿り着いた。

 サオリにとっての天敵――彼女が顔を出す。

 

「……これが貴女の選択なんだね、サオリ」

 

 視界を覆う粉塵を裂き、現れる純白――聖園ミカ。

 彼女は積み上がった瓦礫の山、その前に佇むサオリを何処か、無機質染みた瞳で眺めていた。

 その瞳に込められるのは自身に単独で挑む愚かさを嘲笑う色か、それとも殊勝にも首を差し出したことに対する称賛か。

 或いは――今なお、仲間の為に自身の命を擲つ献身に対する苛立ちか。

 

「……やってくれましたね、アリウス」

「――成程、そう来ますか」

 

 彼女の後に続くワカモ、ハルナ。

 その視線はサオリの背後を塞ぐ瓦礫の山に向いている。その表情にどこか、苦い色が宿ったのをサオリは見た。

 

「け、ケホッ、こほっ……うぅん、これは、酷い匂いですね、埃と粉塵が混じって少々――」

「そんな事云っている場合じゃないでしょ、アカリ!?」

「て、天井と柱が……」

 

 完全に封鎖された回廊を見て、美食研究会は呆気にとられた様な声を漏らす。ジュンコは焦燥を滲ませ、イズミは完全に思考停止したかのように呆然としていた。

 アカリは口元を手で覆い周囲に蔓延する埃に辟易としながら、しかし油断なく思考を回す。

 単なる封鎖であれば自身の持つ愛銃(ボトムレス)、そのアンダーバレルに装着されたグレネードで吹き飛ばせるだろうが、天井から裂けるように崩れ落ち、土砂の混じった瓦礫の山を見上げそれを断念する。

 下手に崩せば、回廊全体に被害が及びかねない。

 そうなれば、もれなく全員生き埋めだ。

 

 アカリは小さく溜息を零し、傍に立つハルナへと視線を移す。美食研究会のリーダーは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、何処か思案する様に自身の顎先を撫でつけていた。その瞳は鋭く、前方に立ち塞がるサオリと封鎖された回廊を見つめている。

 

「こ、これは、つ、通路が、完全に、塞がっちゃっています……!」

「ど、どうすんのこれぇっ!? こ、此処、もう通れないよね!? せ、先生殿が、向こう側にいるのに――!」

「ちょっと、あんた達忍者なんでしょ!? 何か、こう、良い感じの忍術? で向こう側に瞬間移動出来たりしないの!?」

「あっ、そ、そっか! 忍者なら何とか出来るかも……!」

「エッ!? あ、い、いや、流石に無理でしょ!? 私達は確かに忍者だけれど、そういうのは、こう、ちょっと、違うというかぁ……うぅ」

「っ、ですが何処かに迂回路があれば……っ!」

「――いいや」

 

 美食研究会の横、並んだ忍術研究部と彼女達の声に、サオリは声を被せる。

 爪先で地面を叩き、俯いたまま大きく息を吸い込んだ。

 ずきりと、胸元に鈍い痛みが走る。だが痛覚がある内は、痛みを感じられる間は――まだ、戦える証拠だ。

 サオリはその痛みを噛み締めながら言葉を紡ぐ。

 

「……悪いが、お前達をこの先に行かせる訳にはいかない」

 

 愛銃のグリップを強く握り直し、足を踏み出す。

 薄汚れた外套()が靡き、はためく裾が音を鳴らした。

 踏み出す一歩は力強く、彼女の意気込みが感じられる。月明かりがサオリを照らし、その足元に濃い影を残していた。砂利を踏み締める靴音が、周囲に響く。

 

「……陽の出まで、あと一時間」

 

 懐から取り出した罅割れ、壊れかけの時計。時刻は彼女の告げた数字からひとつ前、向かうとすれば(救出の為には)心細く、稼ぐとすれば(足止めの為ならば)途方もない時間。

 しかし、それでも為さねばならない理由がある。

 手にしていたそれを地面に投げ捨て――目の前に対峙する生徒達を挑む様に見据えるサオリは、静かに、しかし断固たる意志を秘め告げた。

 

「――それまで、私に付き合って貰うぞ」

 

 錠前サオリは。

 今、この瞬間、この場所で。

 自分の命、全てを賭して。

 死に物狂いで、彼女達を押し留める。

 その覚悟がある。

 

「―――!」

 

 月明かりが雲に掛かり、光が陰る。

 サオリの表情に影が差し、途端溢れ出す――強烈な圧迫感。

 地面から這い寄り、伸びる影の如く静謐で、穏やかで、しかし鋼鉄の如き硬さを感じさせる戦意。

 それを前に、ミカを除くすべての生徒は強い戦慄を覚えた。ハルナは目を見開き、無意識の内に一歩退いていた。その、下がった一歩を見下ろしながら、彼女は驚愕を貼り付ける。

 

「これは――」

 

 決死の覚悟――自身の命を最初から擲つ事を受け入れた者の放つ、絶対的な戦意の発露。

 怯まず、恐れず、慄かず、その生命が活動を終える一瞬まで相手の喉笛に喰らい付こうと決めた、痛烈な意思表明。

 それは、彼女が最後に秘めていた猟犬の意地に他ならない。

 

 誰かを、何かを守る時、人は一番強くも、残酷にもなれると云ったのは誰だったか。

 

「……ッ」

 

 そのやり取りを瓦礫の向こう側から聞いていたミサキは、両手を血が滲む程に握り締め、今一度瓦礫に強く拳を叩きつけた。

 しかし、それはこの巨大な山を崩す為の行為ではない。やり場のない怒りを、不甲斐なさを、無力感を振り払う為に咄嗟に出た、彼女の感情、その発露に過ぎなかった。

 

「――……先に進もう、先生、ヒヨリ」

「み、ミサキさん……!?」

 

 低く、努めて冷静に、彼女は告げる。

 ミサキは立ち上がると、眉間に皺を寄せ、睨みつけるような視線を瓦礫に向けたまま続ける。

 

「……あるかも分からない迂回路を探す時間は無い、あの戦力と正面から戦うのも無謀、ならリーダーの判断は――正しい」

 

 戦術的な意味で――正しい。

 ただでさえ戦力で劣っているスクワッドから、最低限の戦力を残し、追撃部隊の足を止める。倫理観や道徳云々はさておき、戦術的な観点から見れば何も間違ってなどいない。それが焼け石に水程度の、ほんの僅かな時間であっても、その五分、十分が、今のスクワッドにとっては何よりも価値を持つ。

 

「仮に道を探し出して戻ったとしても、手遅れだよ――今のリーダーで、いや、たとえ万全の状態だったとしても、あの数の手練れ相手に何十分も耐えられる筈がない」

「で、でも……っ!」

「私達が何の為に此処に居るのか思い出して、何もかも放り投げて、こんな場所に戻って来たのは姫を助ける為でしょう? 此処で私達がしくじれば……姫が手遅れになる」

「っ……!」

 

 ミサキの声は、淡々としていた。先生は瓦礫の山を前にして動けず、ただ沈黙を守る。

 彼女の云っている事は簡単だ。

 錠前サオリを犠牲に、秤アツコを救うのか。

 秤アツコを犠牲に、錠前サオリを救うのか。

 これは、そういう選択だった。

 

「――最終判断は先生に任せる、でも、一つだけ云っておく」

 

 ミサキの視線が先生に向けられる。歩み寄り、先生の腕を掴んだ彼女は唇を震わせ、揺れそうになる言葉を必死に整えながら、云った。

 

「先生、リーダー(錠前サオリ)が生き延びる可能性は、限りなく低い」

 

 彼女は殆ど、その命を全て使い切る前提であの向こう側へと踏み出した。今から迂回路を発見して、彼女の下へと辿り着いたとしても、サオリが生き延びている確率はどれほどか。

 十か、五か、一か――それとも、それ以下か。

 先生の腕を掴むミサキの手に、力が籠る。

 溢れ出そうになる涙を堪え、食い縛った歯を覗かせながら、彼女は言葉を振り絞った。

 

「リーダーの犠牲を、無駄にはしないで」

「―――」

 

 犠牲。

 その一言が、先生の思考をがつんと、強く殴りつけた。

 それは目の覚めるような一言であった。

 

 犠牲――犠牲、だと?

 

「………」

 

 彼女の言葉に、先生の俯いていた顔が、ゆっくりと天を仰ぐ。崩れ落ちた壁の向こうから差し込む月光が、その片面を照らしていた。

 その瞳孔が、静かに開いて行く。

 ミシリと、噛み締めた奥歯が軋みを上げた。

 

 今、先生の脳裏に過るのは、数多の可能性の中で消えて行った光達。どうしようもなくなった、仕方がなかった、行き詰った、他に道がなかった、そんな暗くて憂鬱で、苦痛に塗れた結末を迎えた中で潰えて行った子ども達の姿。

 それは、この掌から零れ落ちて行った可能性。

 無限に広がっていた筈だった、どんな未来でも掴み取れるはずだった。

 そんな彼女達が苦痛と涙に塗れ、志半ばで斃れていく姿を見た時、己の胸に奔ったのは――。

 

 ――生徒を犠牲にした幸福な結末など、存在しない。

 

 先生は強く、強く拳を握る。

 それを背負うべき存在は。

 それを担うべき存在は。

 決して、生徒(子ども)ではない。

 生徒(子ども)であって良い、筈がない。

 

「――アロナ」

 

 呟きは、静まり返った回廊に良く響いた。

 右手を外套の懐に差し込み、先生は強心剤(注射器)を取り出す。それを握る手は力強く、静かにその先端を首筋へと当てる。直ぐ傍に立つミサキが、目を見開くのが分かった。

 

「マッピングを、頼む」

 

 そして、何の躊躇いも無く先生は柄を押し込み、自身へと打ち込む。空気の抜けるような音と共に、内容物が先生の肉体へと投与された。ひんやりとした冷風が肌を撫でる感触、同時に漏れそうになった苦悶の声を呑み込む。

 ばくん、と。

 自身の心臓が一際高鳴り、胸が焼けるような感覚があった。先生の肌が熱を持ち始める、触れているミサキが一瞬で気付けるほどの熱を。

 

 前回の投薬からどれ程経過していただろうか?

 恐らく、時間は然程経過していない。連続した投薬は肉体と臓器に強い負荷を掛ける。特に補完による生命維持をアロナに委ねている先生は、その負荷を受け易い状態にあった。しかし、そのリスクすら顧みず、先生は一瞬を駆け抜ける身体能力を欲した。

 残りは、一本。

 もし途中で膝を突くならば、この最後の一本すら、先生は惜しまず自身に打ち込むだろう。白く、濁った吐息を吐き出しながら、先生は顔を上げる。

 その腕を掴むミサキが、思わず声を上げた。

 

「先生、何を打って――!?」

「私は……ッ!」

 

 一歩を踏み出し、先生は肺の中にある空気全てを使って叫ぶ。

 自身は、どうするべきか。

 そんなもの――考えるまでもない。

 

「私は、先生だ――ッ!」

 

 叫び、その視線を遥か彼方、暗闇へと向ける。向こう側へと辿り着く迂回路、それを最短で駆け抜け、必ずこの争いを止める。

 どんな手段を使っても、どんな無茶を成し遂げても。

 

 秤アツコを、死なせはしない。

 錠前サオリも、死なせはしない。

 ミサキも、ヒヨリもそうだ。

 ミカも、ワカモも。

 イズナも、ミチルも、ツクヨも。

 ハルナも、イズミも、アカリも、ジュンコも――……!

 そう、誰ひとりとして。

 

「絶対に、諦めなどしない――ッ!」

 

 言葉を噛み締め、先生はシッテムの箱を抱えたまま駆け出す。呆気にとられたミサキが慌ててその背中を追い、ヒヨリもまた、しゃくり上げるような呼吸を漏らし、駆け出す。回廊に、三人の靴音が木霊する。

 そう、例え誰に嘲られようとも。

 

 生徒達が笑う未来が在るのならば――それが全てだった。

 

 ■

 

「……あーあ、先生は行っちゃったみたいだね?」

「………」

 

 向こう側から聞こえていた声が、聞こえなくなっていた。

 最後に聞こえた何処かへと駆け出す足音に、スクワッドが移動を開始したのだと分かる。ミカはそれを先に進んだものと解釈した。サオリはそんな彼女に取り合う事無く、ただ静かに佇んでいる。

 

「……聖園ミカさん、此処は任せます」

「あら、どうなさるおつもりで?」

 

 膠着状態とも云える中、唐突に踵を返すワカモ。

 その去り行く背中にハルナは声を掛ける。ワカモは足を止めると、塞がれた回廊を見つめながら答えた。

 

「決まっています、迂回路を見つけ出すのです、私共の目的はあくまであの方の救出、スクワッドが先に進んだ以上、此処で足踏みしている暇は――」

 

 不意に、視界に影が躍った。

 言葉を途中で区切ったワカモは飛来したそれに視線を向け――直後、爆発が巻き起こる。

 爆音と衝撃が周囲に撒き散らされ、ワカモは和装を靡かせながら後方へと飛びずさっていた。見れば、サオリが何かを投げつけたかのように腕を前に突き出している。手榴弾か、或いは起爆可能な爆弾の類か。

 爆発は近場の石柱を揺らし、パラパラと天井から土くれと石片が落ちて来る。それを見たジュンコが及び腰になり、思わず叫んだ。

 

「ちょ、ちょっと、危ないじゃないのッ!?」

「び、びっくりした……!」

 

 唐突な爆撃、それも中々強力な代物。ハルナはサオリと今にも崩れ落ちそうな石柱を見比べ、納得の色を表情に宿した。

 

「……成程、そういう事ですか」

「ハルナさん、そういう事とは……?」

 

 アカリは何かを見抜いたらしい彼女に水を向ける。ハルナは愛銃を肩に担いだまま、どこか感心したような口調で声を上げる。

 

「態々柱を爆破して天井ごと崩したというのに、何故彼女だけが此方側に残ったのか――普通に考えれば、向こうに残って先生に同行した方が利口ではありませんか、ただ時間を稼ぐならばそれで十分な筈です」

「そ、それは、確かに……?」

 

 この戦力差、到底サオリひとりで埋められるものではない。ならば何も、彼女が此方側に残る必要などなかった。こうして回廊を爆破し封鎖した後、そのままスクワッド全員で直進すれば良かったのだ。

 だと云うのに、彼女はこの場に残った。それは何故か、たった数分の時間であっても稼ぐ為? 勿論、そう云った狙いもあるかもしれない。

 しかし、それ以上にハルナが嗅ぎ取った真意は。

 

「――最悪、自分諸共生き埋めにするつもりですね、錠前サオリさん」

「え、えぇッ!?」

「………」

 

 ハルナは、何処か確信を持ってそう告げた。

 彼女の言葉に対し、サオリは何の反応も示さない。ただ真っ直ぐ、冷たい意志と共に彼女達を見据えるのみ。

 しかし数秒して、詰めていた空気を僅かに吐き出した彼女は口を開く。

 

「……先生が傍に居たら使えない手だった、キヴォトスの生徒ならば瓦礫に圧し潰された程度では、ヘイローは壊れない」

「じ、自爆覚悟の特攻、ってワケ……!?」

「そ、そんな――」

「先程感じた怖気の正体は、ソレですか」

 

 呟き、ハルナはアイディールのグリップを握り締める。最初から彼女は全て道連れにする覚悟でこの場に立っていた。恐らく十分な爆薬をこの瞬間まで残していたのだろう、自分が諸共自爆し後続の生徒を全て生き埋めにし、足止め出来るのならば――成程、確かに戦術としては上策だ。たった一人で、これだけの戦力を無力化出来るのだから。

 

 ハルナは険しい表情でサオリを射貫き、さてどうするかと内心で思案する。下手に動けば先程の様に爆破されかねない、かと云ってサオリに銃弾を撃ち込めばその瞬間自爆し、連鎖的に自分達も道連れ――という可能性も捨てきれなかった。

 文字通り千日手だ、そして時間は彼女の味方であり、こうして悩む時間さえ彼女の術中と云っても良い。こうしている間にもスクワッドは、先生はどんどん遠ざかる。

 或いは彼女の認識できない速度で頭部を撃ち抜き、失神させれば……そんな風に彼女が考え、実行に移そうとした時。

 

「――大丈夫」

 

 一歩、踏み出す影があった。

 

「そんな事、私がさせないから」

 

 そう云って彼女は朗らかに制服の裾を翻し、サオリの目前に立つ。

 皆の前に立った彼女、ミカは他の面々に向かって手を払うと事も無げに云ってみせた。

 

「皆は迂回路とか、他の道を探しに行って良いよ、此処は私が受け持つから」

「ミカさん――」

「元々、私の目的は彼女(サオリ)だから、先生だけが目的の貴女達とは此処まで――それで良いでしょう?」

「……分かりました」

 

 冷え冷えとした視線に、どこかぞんざいな言葉。その視線を受けたハルナは静かに頷き、グリップを握り締めていた手から力を抜く。

 サオリは何処までも余裕を伺わせるミカを前に、ぐっと顎を引くと身構え、愛銃を握る手とは反対の腕を、外套の中に忍ばせる。

 

「……させないと、そう云って――」

「ふふっ」

 

 零れるような、笑い声が耳に届いた。

 同時に地面を蹴り砕く音、風音。

 そして気付いた時、目前にはミカの瞳があった。

 手を伸ばせば触れてしまえそうな、至近距離に。

 

「こんなにボロボロな体で?」

「――ッ!」

 

 反応出来たのは奇跡だ。

 咄嗟に飛んできた拳を手で掴み、防御した。しかし膂力で敵う筈もなく、半ば押し込まれるような形で瓦礫の山に突っ込む。衝撃が周囲を揺らし、土くれと瓦礫片が二人の身に降り注いだ。背中を瓦礫に強打したサオリは顔を苦痛に歪め、呻きを漏らす。

 

「ぐ、ぅッ――!?」

「やっぱり、反応が鈍くなっているね? さっきまで先生のサポートがあったんでしょう? でも今は無い……そんな状態で、私達全員を足止め出来る訳ないじゃん」

 

 サオリを瓦礫の山に押し付けたまま、薄ら笑みを浮かべながら告げる。ミカの拳を受け止めた手が、鈍い痛みを発していた。余裕綽々とばかりに拳を押し出すミカに、震える腕で必死に支えるサオリ。その額に、玉のような冷汗が流れる。

 

「……先に参ります」

「あっ、わ、ワカモ! ちょ、待って――!」

「ぶ、部長……! い、イズナちゃん、私達も……!」

「――……っ」

 

 サオリがミカに押し込まれたと見るや否や、ワカモは冷徹にそう告げその場を後にする。駆け足で去っていく彼女の背に、忍術研究部も慌てて続いた。その背中を視界に収めた美食研究会は、取っ組み合うミカとサオリを一瞥し、同じように踵を返す。

 

「さて、ではミカさんが彼女を拘束している内に、私達も先生を追いましょう」

「そうですねぇ……ケホッ、コホッ」

「そいつの事、任せたわよ! ぎったんぎったんにしてやって!」

「は、早く行こう!?」

 

 騒がしくその場を後にする彼女達に、ミカはどこか辟易とした表情で呟く。

 

「まったく、角付きにこんな気安く話しかけられるなんて――これでも私、トリニティのトップだったんだけれど?」

「――はァッ!」

「おっと」

 

 ミカと押し合っていたサオリは敢えてミカの腕を引き込み素早くその顎先目掛け膝蹴りを繰り出した。不自然な力の流れを感じた瞬間、ミカは驚異的な体幹で姿勢を戻し、後方へとステップを踏む。サオリの膝は虚空を打ち、ミカは何の痛痒も感じさせない様子で肩を竦めた。

 

「さって、と――漸く二人きりだね」

 

 両手を広げ、薄ら笑いを浮かべるミカ。

 サオリは彼女の背中の向こう、駆けて行く美食研究会と忍術研究部を見つめながら――しかし即座に意識を切り替えた。

 最早、追撃は叶わない、ならば目の前のひとりだけでも、確実に足止めする。

 幸い彼女は美食研究会、忍術研究部と比較しても驚異的な戦力な持ち主。彼女ひとり居ないだけでも、脅威度は大きく異なる。

 

 そんなサオリの思考を見透かしてか、ミカは何処かお道化る様に体を揺らして口を開いた。

 

「ふふっ、でも良かったねサオリ? きっとあなたのお姫様は助かるよ――だって、先生が向かったんだから、先生なら、絶対に救ってくれる筈だもん」

「……聖園、ミカ」

 

 ゆっくりと手にした愛銃、その銃口を向けながらサオリは呟く。

 其処には、強い疑念の色があった。

 

「お前が望んでいたのは、本当にこんな事だったのか?」

「……私の、望んでいた事?」

 

 それは彼女にとって、予想外の問い掛けだった。

 そう云わんばかりに目を瞬かせたミカは、小首を傾げながら疑問符を浮かべる。

 

「えっと、私は何を望んでいたんだっけ……?」

「………」

「……あぁ、うん、そうだね、そうかもしれない」

 

 私が――聖園ミカが望んでいた事。

 全部、全部手放して、最後に残ったひとつ。

 たった一つの、残った感情(いろ)

 それを晴らす為に望んだ光景。

 それは。

 

「――最も憎いあなたが、こうして私の前にいる事」

 

 呟き、ミカはゆっくりとサオリに指先を向ける。やや上向きになった彼女の顔を、月光の淡い光が照らした。

 

「でも、セイアちゃんとの約束があるから、ちゃんとこの後、あなたを始末したら先生を助けなきゃ……私はただ、あなたが憎いだけで、先生の事は今も、ずっと大切だもの、今回は、まぁ、ちょっとゲストが多すぎた気がするけれど、別に良いよね? それに彼女達は先生を連れ戻そうとしているみたいだけれど、先生は……生徒を助けに行くのが正しいよ」

 

 そう、先生は生徒を助ける姿が似合う。

 思い、彼女は乾いた笑みを浮かべた。それは自身に向けた嘲りを孕んだ笑みだった。

 

「ふふっ、最後は全ての苦難を乗り越えて、皆で幸せになる――そんなハッピーエンドが、先生には一番似合うから」

 

 そう、ミカは強く思う。

 頑張ったなら、頑張った分だけ。

 他者に尽くしたのならば、尽くした分だけ。

 善人には祝福を。

 それがきっと、最も美しい物語。

 

 それに倣うのならば。

 

 傷つけたのなら、傷付けた分だけ。

 他者から奪い去ったのならば、奪った分だけ。

 罪人には断罪を。

 それがきっと、正しい物語。

 

「先生とは反対に、数多くの悪行を重ねて来た私達は――此処で惨たらしく結末を迎える」

 

 それがきっと、世界の正しい在り方だ。

 そんな方便を、建前を、ミカは小さく呟く。

 そう、所詮は建前だ、嘘ぱちだ、取り繕った見せかけの理屈に他ならない。これはきっと、もっと単純で、悪辣で、どうしようもない感情的なお話だと云うのに。

 自覚し、ミカはくしゃくしゃになった口元のまま、嗤った。

 

「あはは、私達みたいな問題児はさ、先生に何度も心配掛けて、迷惑をかける生徒は、先生の傍になんかいられないんだよ、いちゃ、いけないの……」

「……聖園、ミカ」

「――ねぇ、サオリ、私さぁ」

 

 一歩、ミカが足を進めた。

 サオリとの距離が縮まる。

 月光に照らされた瞳が、昏く、星を宿す瞳が、サオリを見ていた。

 奈落の様に深く、底なし沼の様におどろおどろしく、背筋の氷様な感情を貼り付けた瞳を――サオリは、真っ直ぐ見返す。

 

「もう、帰る場所が無いんだよ……? トリニティにも、何処にも――私はトリニティの裏切者で、何度もセイアちゃんを傷付けて、先生に消えない傷跡を残した魔女だから」

 

 ――この、人殺しがッ!

 

 ――魔女めっ! この学園から出ていけッ!

 

 ――お前のせいで、セイア様は……!

 

 耳にこびり付く罵倒、四六時中聞こえて来た誰かの悪意、憎悪、怒り、そう云ったものはミカの心に深く刻まれている。ひとつひとつ、それを拾い上げる様にして、彼女は一言一句を噛み締め、あの薄暗い独房の中で祈り続けた。

 反論する術は持たない、それは全て事実だ――聖園ミカはあの学園に於いて、魔女で、人殺しで、災厄だった。

 自分はあの場所に居るだけで、争いの火種を生む。

 だからきっと、自分が帰る場所を失ったのは、当然の事だった。

 

 でも――。

 

「もし、学園から追い出されたらさ、ナギちゃんにも、セイアちゃんにも、きっと先生にも、二度と会えなくなっちゃう……生徒じゃなくなったら、私みたいな問題児、先生だって、もう会ってくれないよ」

 

 へらりと、ミカは引き攣った笑みを浮かべたまま呟く。

 自分は何度先生に手を差し伸べられた?

 何度先生に救われた?

 その度に――その手を払い除けたのは、ミカ自身だった。

 だからきっと、もう、先生にだって呆れられている。

 愛想を尽かされたに違いない。

 セイアにも、自分は許されなかった。

 そしてナギサに、これ以上迷惑は掛けられない。

 肩書も、財も、縁も、名声も、何もかもを失った等身大のミカに残ったものは、何もなかった。

 

 自分は――ひとりぼっちだ。

 

 あれ程様々なものを掴んでいた筈の、この両手にはもう、何も残ってなどいない。

 空っぽだ。

 伽藍洞なのだ。

 ミカは自身の掌を見下ろし、涙を零す。

 ぽつぽつと滴り落ちるそれを自覚しながら、彼女はくしゃりと顔を顰めた。

 

「私にはね、これ以上幸せな未来なんて、きっと、訪れない――それはもう、良く分かっているの……だから、私に残っているのはもう、こんなもの(憎しみ)しか」

 

 セイアちゃんに先生を頼まれたから、先生を守りたい。

 それは、本当だ。

 嘘じゃない。

 でも、心の奥底――自分の最も汚くて、誰にも見せたくない、本心は。

 

 ――ただ、目の前の生徒(錠前サオリ)を捉えて離さない。

 

 ミカの瞳が、覗き込む様にしてサオリを射貫いた。

 そこには溢れ出るような激情が秘められている。震える唇で、ミカは問う。

 サオリの犯した罪悪を、今尚続いている彼女の足掻きを。

 何処までも、恨めしそうに。

 

「なのに、ねぇ、どうしてサオリ――? あなた達はどうして、私は大切なものを全部失ったのに、あなた達はどうして許されているの? 大切な仲間も、友人も失わずに、先生と一緒に、こんな風に力なんて合わせちゃってさぁ……!」

「………」

「私が大切にしていたもの、全部あなた達に奪われたのに……ッ! あなた達が何の代償も支払わず、何も奪われずに済むなんて、そんな事――そんな事、許せる筈ないじゃん……!? それを許したらっ、私は……っ!」

 

 自身の薄汚れた髪を握り締め、俯きながら言葉を吐き出すミカ。丸めた背が震え、その肩は呼吸に合わせて大きく弾む。月明かりが翳り、ミカの瞳が暗闇の中で妖しく光った。

 その指先がサオリを指し示し、乾いた唇から吐き出される怨嗟は彼女の心を抉る。ミカの震えた、血の滲んだ指先が、サオリの瞳に反射した。

 

「あなた達が、錠前サオリ、あなたがッ――何の代償もなく先生の庇護を受けるなんて、絶対に駄目ッ! それだけは、絶対に、絶対に許せない……ッ!」

 

 だって、あなただって、私と同じ罪悪(つみ)を背負った筈なのに――ッ!

 

 奪ったならば、奪われなければならない。

 傷付けたのなら、傷付かなければならない。

 そうじゃなきゃ、平等じゃない。

 

 これが例え逆恨みだろうと、単なる責任転嫁だろうと、もう、どうでも良いのだ。ミカはこの憎悪を、苦痛を、目の前のこの生徒に――叩きつけなければ気が済まない。

 吐き捨て、大きく息を吸ったミカは顔を上げる。

 ぐしゃぐしゃに乱れ、涙と鼻水の滲んだ表情に前髪が張り付く。引き攣った口元をそのままに、ミカはサオリへと問いかけた。

 

「あははッ……さぁ、私達の結末を始めよっか? 最後に何か云い残したい事とか、ある?」

「………」

「恨み辛みとか、文句とか、罵詈雑言、何でも――なに、本当に何もないの? ひとつも? 納得できないとか、お前の不幸は自業自得だろうとか、云い訳しなくて良いの?」

 

 一歩、二歩、幽鬼の如く足を進めながら問いかけるミカに対し、サオリは何も語らない。ただマスクに覆われた口元を一文字に結んだまま、彼女から放たれた言葉を一つ一つ呑み下す様に、沈黙を貫いていた。

 そして数秒、目を瞑っていた彼女は――静かに言葉を紡ぐ。

 

「……納得は、している」

 

 ミカの視界に、影が落ちて来た。

 ふっと、飛来したそれに視線が向けられる。

 唐突に、突然に、降って湧いて出たような影に、ミカは思わず目を見開く。

 反射的に手で受け止めようとして、それは彼女の手中に収まった。

 

「ッ!?」

 

 途端、炸裂――ミカが握り締めた瞬間、影は爆発し凄まじい爆音と衝撃を撒き散らし、爆散した。炎が彼女の頬を焼き、ミカは数歩後退りながら受け止めた左手を軽く払った。白煙が彼女の身体を包み込み、衝撃が一瞬脳を揺らす。

 

「い、ったぁ……」

 

 じん、と確かな痛みを発する掌。

 煤け、傷のついたそれを見つめながら顔を顰める。

 サオリは爆発を受け、それでも平然と立つ彼女を見つめながら告げた。

 

「――今はもう、生産が禁止されている武器だ、古いものだが訓練場に廃棄されていてな、目についたものを利用させて貰った」

「……へぇ、そうなんだ☆ 別に、興味ないんだけれ――どッ!」

「ッ!」

 

 ミカが地面を踏み抜いて肉薄し、サオリはそれに応じる。

 避ける事はしなかった、ただ振り下ろされたミカの銃と、サオリの銃がかち合い、硬質的な音を鳴らす。着撃の瞬間、凄まじい衝撃がサオリの腕を襲った。ギチリと、フレームが軋む音が鳴り、身体全体を圧し潰さんと伝搬する力の奔流。まるで原始的な戦い、戦術の「せ」の字も無い――しかし、そこに込められた感情だけは余すことなく伝わった。

 互いの視線が至近距離で交差し、サオリは様々な感情が綯交ぜになった胸中を他所に、険しい表情で叫ぶ。

 

「ミカ――私はお前の、その憎悪を否定しない!」

「へぇ、そんな事云っちゃうんだ!? 他でもないあなたが!?」

「あぁ、そうだ……ッ! 他ならぬ、私だからだッ!」

 

 ミカが全力で押し込み、サオリの身体が重圧によって逸れ曲がる。その足元からミシミシと不吉な音がなり、少しずつ罅が広がって云った。サオリの背骨が軋み、身体を支える両足が小さく震えだす。一瞬でも気を抜けば、膝を突きそうな程だった。

 

「ぐッ……! お前に、幸せな未来が訪れない事も、居場所を奪われた事も、孤独になった事さえ、この私に原因がある――ッ! だからこそ、その憎悪に私は応じよう!」

「……!」

 

 かつんと、ミカの足元から何か硬質的な音が鳴った。

 その音の方向に視線を向けた時、視界の端に転がる楕円形の影を認める。それはミカの知識の中にもある、とある手榴弾と酷似していた。

 

「――サーモバリック手榴弾」

「正解だ」

 

 直後、爆発が巻き起こる。

 それは先程受けた爆発と全く同じ代物だった。破片手榴弾とは異なる、臓物に響く様な衝撃と爆発。ミカの衣服が靡き、爆炎に身体が呑み込まれる。サオリは上手くミカの影に潜み盾とし、衝撃と熱波をやり過ごした。

 爆音と共に地面を転がり、距離を取るサオリ。彼女が顔を上げると、先程よりも損傷の激しくなった制服を身に纏ったミカが歓喜を滲ませながらサオリを見下ろしていた。白煙を纏いながら、衝撃から数歩蹈鞴を踏むミカ。

 しかし、その暴威は尚も健在。

 受けた爆発の衝撃を嬉しそうに感じながら、ミカはその腕を広げる。

 

「ふ、はッ、あははっ! 初めて受けたけれど、結構凄い衝撃だねぇ☆ でも、ちゃんと沢山用意しているの? この程度の攻撃数発で私を相手に出来るなんて、思わないで欲しいなぁ……?」

「――あぁ、当然だ、他ならぬお前を相手取るのだからな」

 

 呟き、サオリは自身のベルトを取り外し、掲げる。そこにはずらりと繋がれた、何発ものサーモバリック手榴弾がぶら下がっていた。

 その向こう側で、サオリの瞳が煌々と輝く。

 

「――有りっ丈、持ち込んだとも」

「……良いね」

 

 呟き、ミカはその表情を歪めた。

 サオリの本気を感じた、全力で足掻こうとするその意志を。

 確信があった。

 この戦いがどんな結末を迎えるにしろ――立っているのは、どちらかひとりだけ。

 勝っても負けても、得るものなどない。

 しかし同時に、失うものもない。

 

 ミカは爪先を叩き、身体の調子を確かめる。疲労感はある、先程の爆発で多少のダメージも――しかし全て許容範囲内。自分が行動不能になるには、先程の攻撃を後十回は受ける必要があるだろう。いや、二十だろうか、或いは三十――? いいや、そんな事はどうでも良い。

 愛銃を握りる手と反対の指を順に握り込み、骨を鳴らす。

 

 今、この場に先生の目はなかった。

 彼女を縛る、制約は何もない。

 何を憚る必要もない。

 此処には正真正銘、罪人が二人佇むのみ。

 それなら、良いだろう。

 

 ――久々に、全力で暴れ倒す。

 

 途端、ミカの全身から夥しい重圧が溢れ出る。ミシリと、隣り合った石柱に亀裂が入った。その体格が二倍にも、三倍にも感じられるような凄まじいプレッシャー。ミカが一歩を踏み出した瞬間、回廊全体が揺れたかのような錯覚を覚えた。

 無論、そんな事はあり得ない。サオリは自身の背に滲む脂汗を感じながら、深く息を吸った。

 暗闇の中で輝く瞳が、サオリだけに向けられる。

 ミカの愛銃、Quis ut Deus(神の如き者)――その銃口が、サオリを捉えていた。

 

「なら、今から【ちゃんと】相手するからさ、全力で抵抗してね? あなたにとっては――全ては虚しいものなんだろうけれど」

「……あぁ、全力で足掻いて見せるとも」

 

 云われるまでもない。

 錠前サオリはこの場に、最初から命を賭けるつもりで立っている。

 サオリは括りつけたサーモバリック手榴弾を手に取り、安全ピンを弾く。如何に強靭な肉体を持つ聖園ミカとは云え、至近距離で連続した爆発を受ければ意識は飛ぶハズだった。それでも駄目ならば、当初の予定通り自分諸共回廊を崩し、生き埋めとする。

 そうすれば、少なくともミカだけはこの場に縫い付ける事が出来る筈だから。

 

 ゆっくりと立ち上がるサオリ。

 それを見つめながら、構えも無く佇むミカ。

 二人の視線が交差し、どちらともなく一歩を踏み出す。

 

「……これが、(錠前サオリ)にとっての」

 

 そして、恐らく――彼女(聖園ミカ)にとっても。

 

「最後の、足掻き(贖罪)だ」

 

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