ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告ありがとうございますわ~!
昨日の夜帰って直ぐ寝入ってしまったので、朝に投稿致しますの!
序にミカの所まで書けなかったので、サブタイトルは変更ですわ~!


決して消えない、罪悪の形

 

「はッ、はぁ、は――ッ!」

 

 走る、走る――ただ、只管に走り続ける。

 この日、何時間にもわたり強行軍を繰り返していた先生の肉体には確かな疲労感が刻まれ、その両足には細かな痙攣が見られ始めていた。胸が詰まる様な感覚に、時折襲い掛かる嘔吐感。元より心肺機能が低下し、肉体的な強度が二段も三段も落ち込んだ先生は、薬品を用いて無理矢理体を動かしている体たらく。

 それでも尚、限界を訴える肉体に鞭打ち、先生は一気に街道を駆け抜ける。

 

 回廊の横に逸れた細い道は、地上へと繋がっていた。やはりあの場所は緊急時の脱出経路か何かだった様子で、自治区の彼方此方に回廊への隠し扉は存在し、旧校舎の入り口もその一つであったという事らしい。

 地上へと上がった先生は、脇目もふらず再び旧校舎へと駆け出し、抱えたシッテムの箱、アロナにナビゲーションを任せていた。

 

『先生、此処は直進して、次の角を右に――!』

「……!」

 

 視界に、光のラインが表示される。街道をこのまま直進、そして大通りを右に――そのように伸びる線を見つめ、先生はふと横合いに見える裏路地を指差した。建物の隙間にひっそりと伸びる道は、粗末な木板で封鎖され、剥がれ落ちた外壁が散らばっている。街道を直進して右折するより、此処を突っ切った方が早い。

 

「アロナ、あっちの道は!?」

『えっ、あ、其方は封鎖されていて、確かに近道にはなりますが――』

「ッ!」

 

 近道になる、その言葉を聞き届けた先生は躊躇なく木板を蹴り破った。静寂に包まれた街道に破砕音が木霊し、先生は中程から圧し折れた木板を踏み締め、そのまま裏路地に飛び込む。強い埃と、黴の匂い、碌に整備もされていない道は酷く走り辛いが、この程度は障害とすら呼べない。

 

『せ、先生!?』

「これで、近道出来るだろう――!?」

 

 アロナの困惑の滲んだ音声に、先生はそう強く答える。悪路であっても先生の足は微塵も緩まず、ぐんぐんと加速していた。

 

「せ、先生、は、早……!?」

「ッ、どれだけ全力なの……!」

 

 後続のミサキとヒヨリは、封鎖を蹴破って裏路地へと飛び込んだ先生に、困惑と驚愕の色を滲ませた声を上げる。未だ嘗て見た事も無い程の全力疾走、装備の重量差があるとは云えその足の速さは驚嘆に値する程。二人は慌てて先生の後に続き、裏路地に三人の足音が響く。

 

「はっ、ふッ、まだか……――!?」

『え、えっと! この先は崩れた廃屋があって、迂回するか、瓦礫を乗り越えて……!』

 

 アロナの声が響き、先生が顔を上げると、外壁が残り崩れかけた廃屋が裏路地の奥に鎮座していた。どうやら崩れた外壁が瓦礫となって路地を封鎖しており、これが原因であのような木板が張られていたらしい。

 中程まで崩れた建物は中が丸見えになっており、先生は一も二も無く踏み込むと、街道に続く窓硝子目掛けて思い切り加速した。

 

『せ、先生、まさか――ッ!』

「ちょ、ちょっと!?」

「ひぇっ、せ、先生!?」

 

 背後から、ミサキとヒヨリの焦燥した声が聞こえた。

 それを振り切り、跳躍――周囲に響く甲高い破砕音。

 先生は腕で頭部を覆い、全身で窓硝子に向かって跳躍、罅割れ、老朽化していたそれをぶち破りながら街道へと転がり落ちた。きらきらと粉砕された硝子片が宙を舞い、先生と共に地面へと叩きつけられる。

 一拍後、甲高い音が先生の鼓膜を叩き、同時に衝撃が体を突き抜けた。

 

「ぐぁ――ッ!」

 

 石畳の床に転がり、砂埃に塗れる先生。着地の瞬間肩を強打し、顔を顰める程の鈍痛が響く。しかし、云ってしまえばその程度の事、破片が頬を掠め僅かに熱を発するも、所詮はかすり傷。瓦礫をよじ登って通過したり、迂回するよりは余程早い。

 

『せ、先生……! なんて無茶を――』

「この、程度、無茶でも、何でもないよ――ッ!」

 

 それを自分達は、一番良く知っている。

 何せ失敗した所で、大した怪我にもならない。一分、二分、その黄金に勝る時間を得られるのならば、骨を折る程度の事は簡単に決断出来るとも。

 石畳に手を突き、硝子片を踏み締めた先生は大きく息を吸って、再び駆け出す。

 その背後から、続く形で窓枠を飛び越えるミサキとヒヨリ。綺麗に着地しながら、ミサキはその表情を苦渋に染めた。

 

「ほんっと、身体が弱い癖に、無茶苦茶なルート取り……!」

「わっ、に、荷物が引っ掛かって――あいたっ!」

『せ、先生、此処を抜けたら、後は一つ角を曲がって、直進するだけです……!』

 

 旧校舎は、然程遠くない。現状、それが唯一の救いか。

 焼け付く様な肺と足に顔を顰めながら、先生は薄暗い街道を駆け抜ける。何度か足を取られそうになりながらも、しかし力強い歩みで以て旧校舎を目指し続けた。

 

『目的地はもう直ぐです! 後は――』

「あなた様ッ!」

「ッ……!?」

 

 駆ける先生の耳に、聞き慣れた声が届いた。

 それは、アロナのものではない。

 はっと、顔を上げ声のした方向へと目を向ければ、そこには僅かに着崩れた和装を身に纏うワカモが立っていた。どうやら旧校舎から此方側に向かっていた様子で、丁度鉢合わせになったらしい。

 その事に一瞬、先生は息を詰まらせる。

 

「ワカモ――!?」

「せ、先生! 先生いたよっ!」

「主殿ッ!」

「せ、先生……!」

 

 ワカモの背後から、忍術研究部の面々が顔を覗かせる。全員が先生を視界に捉えた瞬間、その表情をぱっと歓喜に染めるのが分かった。

 

「あら、どうやら此処がアタリだったみたいですね? ワカモさんの嗅覚も中々鋭い様子で……」

「えぇ、その様で――」

「先生!? よ、良かった、居た!」

「や、やっと見つかった~!」

 

 その更に後ろから、美食研究会が駆けて来るのが見えた。追いついたヒヨリとミサキが足を止め、軽く息を弾ませながら苦々しい声を上げる。

 

「ひえっ……! 美食研の人達に、忍者の――!?」

「なんでこいつらが、まさか、もうリーダーは……」

 

 いいや、違う。

 先生は肩で息を繰り返しながら、心の中でミサキの言葉を否定した。美食研究会と忍術研究部、しかし其処にミカの姿は無い。

 恐らくミカがサオリを受け持ち、彼女達をフリーにしたのだ。だから、彼女達はこの場にいる。

 決して、サオリが倒れた訳ではない。

 

「あなた様……」

「はっ、はぁ――ふっ、フーッ……!」

 

 ワカモは額に大量の汗を滲ませ、白い吐息を繰り返し吐き出す先生をじっと凝視していた。砂埃に塗れ、硝子片を被った先生は、中々どうして酷い恰好だった。

 その肌には異常な発汗が見て取れ、時折ゆらりとその身体が揺らぐ。

 先生の肉体的疲労は、限界に達している。

 それは、誰の目から見ても明らかだった。

 

「その様に息を荒げて、一体何処へ行くおつもりですか」

「――決まって、いるだろう」

 

 弾む肩を押さえつけ、ぐっと、息を呑み込む。

 そして挑む様に前を見据えながら、先生は告げた。

 

「サオリと、ミカを、助けに行くんだ」

「ッ――!」

 

 全力である事は、ひと目見れば分かる。

 先生は文字通り、必死になってこの道を辿って来たのだ。

 生徒の為に――あの、錠前サオリの為に。

 そう思った瞬間、みしりとワカモの両手に力が籠った。

 

「そんなに、そんなに必死になってまで――」

「わ、ワカモ……?」

 

 俯き、震えるワカモ。その姿に不穏な気配を感じ取ったミチルが、恐る恐ると云った風に声を掛けた。

 しかし、彼女は応えない、応えられない。

 

 あの女の為に、その身体と心を傷付けた相手の為に、こうまで必死になる先生の姿に。

 その事実が、その現実が。

 どうしようもなく受け入れられなくて――苛立たしく思えた。

 

「何故――……何故、分かって頂けないのですかッ!?」

「ッ!」

 

 ぐわん、と。

 街道に、ワカモの悲鳴染みた声が響き渡った。

 その声量と迫力に、全員が思わず面食らう。ワカモは狐面の向こう側を、正に般若の如く歪ませ、先生へと一歩詰め寄る。

 瞬間、力を込め過ぎた足が、石畳を砕き穿つ。破片が周辺に撒き散らされ、彼女の全身から濃厚な敵意が滲み出した。

 その突き出された指先が先生の奥、背後に立つミサキとヒヨリを、震えながら指し示し、叫ぶ。

 

「その後ろの者共も、あの錠前サオリも、あなた様にとって危険な存在です! 御身を傷付ける災い……っ! その様な存在を野放しにすれば、いつかあなた様の命さえも奪われてしまうかもしれないというのに――ッ!」

「……私にとって、危険だから、遠ざけ、排除する、と」

「えぇ、えぇその通りです!」

 

 先生の途切れ途切れの言葉に、ワカモは肯定を返す。

 先生にとって危険だから遠ざける。

 先生を傷付けるかもしれないから排除する。

 ワカモにとっての基本的なスタンスとは、正にそれだ。

 先生本人に注意されたのなら、ある程度の許容も見せよう。

 そう在る事を許されたのなら、見逃す事も吝かではない。

 

 ――だが、彼女達は既に先生に不可逆な傷を刻んでいる。

 

 それは無視できない、それだけは看過できない。

 罪には罰を。

 罪人には、断罪を。

 彼女の感情は、今も尚、そう叫び続けている。

 

「その御心に反する私を、あなた様は嫌悪しますか? 疎みますか? 悪感情を抱きますか……!? それを想えば胸が張り裂けそうになります、恐ろしくて、苦しくて、あぁ、そうです! このワカモはどうにかなってしまいそうな程……!」

 

 万が一、億が一。

 そんな事はあり得ないと思いつつも、しかし決して無視できない未来の一つの形として、そうなる道も存在する。

 先生(想い人)に疎まれる未来、嫌悪される可能性。

 先生にその様な感情を、視線を向けられると考えるだけで怖気がする。足が竦み血の気が引いて行く。

 

「――ですがッ!」

 

 しかし、その感情を、苦痛を呑み込んで尚――ワカモには、耐えられない恐怖があった。

 狐面を血の滲んだ指先で撫でつけ、震える彼女は涙の滲んだ声で叫ぶ。

 

「あなた様が居なくなってしまうよりは、余程良い……ッ!」

「―――」

 

 先生が消える、居なくなってしまう。

 その事と比べれば、想い人に疎まれる程度――余りにも安過ぎる。

 

 狐面の向こう側、ワカモの黄金色の瞳。

 それと先生の瞳が、交差する。

 彼女のそれは、先生に対する想い、執着の発露だ。先生は暫し、その想いを、叫びを噛み締める様に沈黙を守った。その姿に、叫びに、慟哭に、重なるものがあった。嘗て彼女と同じように叫んだ生徒が居た、想いがあった、ぶつけられた感情があった。それらを反芻し、乱れた息を整え、先生はゆっくりと息を吸い込む。

 ぐるりと、胃が裏返る気分だった。胸が締め付けられ、焼けるような痛みがある。それを先生は振り払う事無く、甘んじて受け入れる。

 その義務が己に在ると、そう強く信じていた。

 

「皆の、私を想ってくれる気持ちは、嬉しいよ、あぁそうだとも、それこそ……どれだけ感謝してもし足りない程に」

「それならば……!」

「でも――」

 

 はっと、顔を上げたワカモに。

 しかし、先生は変わらず、水面の様に澄んだ視線を寄越した。

 其処には鋼の様に堅く、確固たる意志があった。

 

「――私は、彼女達を決して見捨てない」

 

 スクワッドの繋いだ手を、離す様な真似はしない。

 その自身の想いと反する答えに、ワカモの足が数歩蹈鞴を踏んだ。「何故――」と彼女は繰り返す。揺らぎ、涙が滲む彼女の瞳から目を逸らさず、先生は言葉を重ねた。

 その指先が、自身の左腕を撫でつける。

 

「この身を傷付けられた、心を傷付けられた、一生癒えぬ傷を刻まれた――それら一切は、私の信念を曲げる理由に足らない」

 

 どれだけ深い傷だろうと、どれだけ悪辣な行いを受けようとも、それ自体に先生が嫌悪や侮蔑の感情を抱く事は決してない。その行いを非難する事はあるだろう、行き過ぎた行いならば説教だってする。

 しかし、それを理由に手を伸ばさないなど、あり得ない。

 

「たとえ私は首ひとつになろうとも、私が私である限り、使える全ての力を費やして生徒達に寄り添い続ける……あぁ、そうだとも」

 

 腕を奪われた。

 瞳を奪われた。

 その果てに、残された時間は僅かとなった。

 それでも――先生は彼女達に寄り添い続ける。

 

「――それこそが、先生(大人)である私の責務だ」

 

 その意識がある限り。

 先生が、先生として在り続ける限り。

 心身を賭して、遍く(生徒)を導かんとする者。

 

 生徒の未来の為に、その身を捧ぐ。

 その姿に、生徒達が嘆き、苦しみ、懇願を口にしようとしても。

 先生がその歩みを止める事は無い――だがそれは、その声に耳を傾けないという事ではなかった。

 

 ――何度も、何度も、その声を聞いた。

 

 その度に先生の心は削れ、その背中にひとつ、またひとつと、募っていく。

 懇願の声が、希う声が、悲鳴が、慟哭が、怒りの声が、ずっとずっと、この耳に張り付いて消えない。

 

 ■

 

『――行かないで、傍に居て、お願い、先生……』

『やだっ! 血、止まらなっ……な、なんで、嫌、やだっ! 先生ッ! せんせぇ!?』

『何で、先生がそんな道を歩む必要があるんですか!? それを全うするのは、先生じゃなきゃダメなんですか……!?』

『ふざけんじゃねぇ! そんな選択、あたしは認めねぇぞ!?』

『大丈夫だ、先生、きっと、何か手がある筈だ、諦めちゃ、駄目だ、何か……きっと、何か、他に――!』

『ご主人様、全部、終わったらさ? 私はもう、普通の幸せとか、日常とか、そういうの全部、全部捨てるから――だから、どうか、ご主人様には、幸せになって欲しいな』

『こうならない為に、手を、尽くして来た筈でした……だと云うのに、何故――こうも……ッ!』

『それは、もう、どうしようもない事なの……? 此処から何か、別な道を探す事は、出来ないの……? この運命は――変えられないの、先生?』

『……うん、こうなる事は、予測出来ていたから、だから、大丈夫――私は、大丈夫』

『はぁ、ほんと……面倒な道を選んでくれましたね――この手は、離しませんよ、先生』

『大丈夫っすよ、私は、ずっと……先生の傍に、居ますから』

『な、なによそれ、そんなの、先生が苦しくなるだけじゃない……!? そんな顔で、そんな風に、何で――!?』

『合理と理性は、この真実を肯定しています、この記録はきっと、誰に届く事も無い……でも、この刹那の記録にも意味がある筈です、先生はきっと、憶えていてくれる筈ですから』

『わ、分からないのだ……っ! 先生の云っている事は、何一つ分からないのだ!』

『大丈夫です、だって、だってアリスは知っています! 教会に行けば復活の呪文で、先生は、何度だって蘇るって……! だから、アリスは――!』

『やっぱり、全部無駄だった、こんな風になるって知っていたなら、こんなに苦しい想いをするなら、最初からこんな道、選ばなかったのに――』

『に、にはは……わ、笑えませんよ、先生、その、冗談……』

『ご、ごめん、ごめんなさい先生……! わた、私、私が……っ! もっと、もっと早く――ッ!』

『ふざけんじゃないわよッ! そ、そんな、こんな、こんな事に為に、私達は戦ったんじゃ――!?』

『嫌ですっ! そんな、そんな結末、私は、絶対に――ッ!』

『――……先生』

『先生――』

『先生!』

 

 ■

 

【――分かりました、仰せの通りに】

【……その選択(この結末)が】

あなた(先生)の、望みならば】

 

 ■

 

「あぁ――……」

 

 先生は宙を見上げ、吐息を零した。

 脳裏に過る数多の光景、それを想い、噛み締める。

 酷い気分だった。

 それを思い返す度に。

 その残滓を想起する度に。

 先生の心は、その罪悪を自覚した意識は、強烈な自己嫌悪を発するのだ。

 

 その声に足を止められたのなら、どれ程良いだろう。その苦しみを掻き消す為に、その足を止める事が出来たら、どれ程楽になれるだろう。

 けれど、その足を止めようとすると、心が叫ぶのだ。

 その背中から這い出た想いが、囁くのだ。

 

 ――此処で足を止めるのなら、あの子達(この手から零れ落ちた光)の嘆きは、どうなる?

 

 結局足を止めるのならば、最初から歩まなければ良かったのだ。

 最初の嘆きを口にされた時点で、その足を止めれば良かったのだ。

 そうすれば、後に続く嘆きは生まれなかった。

 あの世界は、苦痛と慟哭に塗れた世界は、生まれなかった。

 

 それでもと叫んだのは、自分だ。

 己のエゴを押し通し、その道を歩き始めたのは自分だ。

 どれ程の犠牲を払ってでも、どれだけの苦汁を舐めようとも、どれだけの苦難にぶち当たっても――文字通り、己の全てを賭けてでも、掴みたい明日(希望)があった。

 

 ならば、自身の願い(生徒達が笑い合う未来)の為に、生徒達に苦しみを与える事は、肯定されるべきなのか。

 そんな筈がない。

 そんな事は、決して。

 

 だが――。

 

 己は、審判者ではない。

 己は、救済者ではない。

 己は、絶対者ではない。

 

 善悪も、苦痛も、罪悪も――己は消す事が出来ない。この傷だらけの両手で、全ては掴めない。誰も何も傷付かず、何の代償も犠牲も無く、皆が笑顔で迎えられる未来を掴むには、この身は余りにも無力が過ぎた。

 

 己は、全能者ではない。

 

 ならば――何かを得る(望んだ未来を勝ち取る)には、何かを喪わなければ(相応の代価を支払わなければ)ならない。

 

 そして先生が差し出せる代償は、己しかない。

 自身が自由に出来るのは、この身一つ、命一つ。

 ただ、それだけ。

 ただそれだけを引っ提げて、先生はこの道を往くのだ。

 何かを成し遂げる為に、生徒の犠牲を容認する事は出来ない。それがどれ程に素晴らしく、得難いものであったとしても。

 先生は己の目指す理想の為に、己の身体と心を削り、捧げ、進んでいく。その背中に無数の声を、骸を、取りこぼした可能性を背負って。その過程で生まれる生徒達の苦しみを、その慟哭を、願いを噛み締め。

 その苦難の果てに、地獄の様な道の向こう側に――望んでいた、生徒(子ども)達の笑い合える世界があると信じて。

 

 だから――だから、自身に出来る事は、ずっと前から一つしかない。

 彼女達の願い(呪い)を背負った、自分には。歯を食いしばり、苦痛と無念に塗れ、無限とも思える道を苦悶と共に唸り、歩く己に課された――唯一の使命は。

 

 天を仰いでいた先生の顔が、ワカモに向けられる。その澄んだ瞳が、強い光を湛えた瞳が、暗闇の中で煌々と輝いていた。

 その青色は、自身(ワカモ)ではなく、その遥か向こうを見ている様な気がした。

 

「この身、朽ち果てるまで――いいや、朽ち果てて尚、この心が擦り切れるまで、私は、遍く生徒と共に在り続ける」

「ッ――!」

「それが、私の選んだ、この道だ」

 

 はっきりと、先生の口はそう断じた。

 言葉には何の迷いも、躊躇いもなかった。そう在ると強く決めた声色だった、この決意を曲げるのは、余りにも困難だと、そう確信出来てしまう程の強い光。先生の瞳と視線が交わった時、ワカモは震えた。

 分かっていた筈なのに、その色に、想いに、胸を焼かれた。

 じわりと、焦がれた感情が顔を覗かせる。戦慄く唇を強く噛み締め、ワカモは動揺し、定まらない感情のまま声高に叫ぶ。

 叫ぶ事しか、出来なかった。

 

「ならば……ならばッ、私達の気持ちはどうなるのです……!? ただ搾取され、奪われ、喪い、消えていくあなた様を見ているしか出来ない、私達の、焦がれる様なこの、想いは――ッ!?」

「ワカモ殿ッ!」

 

 しかし、その声を遮るものがあった。

 声は街道の中でも良く通り、ひとつの影がワカモの直ぐ脇を通り抜ける。風を伴って現れた一つの影は、ワカモと正面から対峙した。

 

「い、イズナ……?」

「イズナちゃん……」

 

 ワカモの声を遮り、彼女の前に立ち塞がったのは――イズナだった。

 彼女はその表情を歪め、歯を食いしばったまま強張った表情でワカモを見つめる。その銃を握る手は、震えていた。

 

「イズナは」

 

 俯いたまま、震える両手を力一杯握り締め、イズナは小さく呟く。

 

「イズナは、ずっと、ずっと考えていました、正しい事はなんだろうって、守るって、どういう事だろうって――!」

 

 ワカモに招集され、先生の追跡を始めてからずっと。

 この事件の、物事の状況を知った時からイズナは、ずっと考え続けていた。

 正しきことを。

 守るという言葉の意味を。

 ただひたすらに、一生懸命に。

 

「イズナは、あの日、主殿を御守りすると誓いました、漸く見つけたイズナの、大切な主殿なのです、だからイズナは、まだまだ忍者として未熟でもお役に立ちたくて、でも、肝心な時にイズナは何も出来なくて、それで――……っ!」

 

 思い返すのは先生と出会えた日の事、百鬼夜行に初めて訪れ、桜花祭を眺めていた先生と出会って、勢いで様々な場所を案内した。どこか懐かしそうに、それでいて穏やかに自治区を見て回る先生を、イズナは不思議そうに眺めていた。

 初めて明かした、忍者になるという夢、それを先生は否定せず、寧ろ応援してくれるとまで口にした。それはイズナにとって、初めての体験で、嬉しくて、飛び跳ねて、色々と先生を困らせてしまった自覚がある。

 

 あの日から、色々な事があった。

 その間もイズナにとって、先生は仕えるべき唯一の主で在り続けた。

 念願の主を見つけたと喜び、浮かれ、けれど自分はいつも大事な時に間に合わなかった。イズナが駆け付けた時、先生はいつも満身創痍で、ボロボロで、息を弾ませ駆け付けた自分を労う様に、「ありがとうね」と優しく髪を撫でつけるのだ。

 間に合わなかったのに、忍者としての在り方すら守れていないのに。

 その時イズナは、どうしようもなく自分が情けなくて、消えてしまいそうになる。

 その失態を、遣る瀬無さをアリウススクワッドに重ね、彼女達は自身の主を傷付ける悪い奴なのだと思い込んだ。

 そしてそれは、きっとキヴォトス全体から見れば決して間違いではない。

 間違いでは、ない。

 

 ならば、それを理由に彼女達を排斥する事は――『正しい事』、なのだろうか。

 

 イズナには、分からなかった。

 少なくとも、先生がそう在る事を望んでいない事だけは、確かだった。

 

 だから、今度は守る事について考えた。

 先生を――主を守ると云う事。

 それを考えた時、答えは確かに、彼女の中にあった。

 震える手を足に押し付け、イズナは俯いたまま呟く。

 

「主殿を守るというのは、きっと、肉体的な事だけでは駄目なんです、主殿の御心も、きっと一緒に守らなくては、駄目なんです……!」

 

 喘ぐ様に息を吸ったイズナは、自身の衣服、その裾を強く掴み、絞り出すような声で云った。

 

「イズナは、部長に教えて貰ったんです……!」

「――!」

 

 顔を上げたイズナは、ワカモと、そして忍術研究部を真っ直ぐ見つめる。その視線に、ミチルの肩が僅かに跳ねた。涙の滲んだイズナの瞳はしかし、力強い意志を湛えていた。

 

「忍者は、一度交わした約束は必ず守るものだって――ッ!」

「ぁ……」

 

 その声を、瞳を見た瞬間、ミチルは思わず声を漏らした。

 それはいつか、彼女が口にした、忍者の掟。

 少なくとも、彼女の思い描いていた理想の忍者像、その在り方。

 イズナはずっと、それを忘れずにいた。

 ずっと、ずっと、そう在ろうとしてくれていた。

 その事実はミチルの心に、強い衝撃を齎した。

 

「イズナはあの日、主殿を生涯御守りすると約束しましたッ!」

 

 身体だけではない――心も、守ると約束したのだ。

 ならば、その約束は。

 イズナとして。

 忍者として。

 絶対に、守らなければならない。

 

 いつか桜花と共に芽生えた(立派な忍者になると)その夢に賭けて(そう信じてくれた貴方の為にも)

 

「だから、イズナは――イズナだけでもッ、命を賭して主殿にお力添えしますっ!」

「……!」

 

 叫び、イズナは愛銃と手裏剣を構え、ワカモ達の前に立ち塞がる。その瞳には闘志と使命感が渦巻き、断固たる意志を全身から発する。

 その叫びを、イズナの想いを、ミチルは俯き、その肩を震わせながら聞き届けた。

 そして不意に、思い切り顔を上げると――ツクヨに向け、ミチルは叫んだ。

 

「……~ッ! ツクヨ!」

「は、はいっ!」

 

 それ以上は、何も必要ない。

 彼女の名を呼ぶだけで、ツクヨはミチルの思考を、その心の内を余すことなく読み取った。

 ツクヨの口元には、微かに笑みが浮かんでいた。

 素早く身を翻し、駆け出したミチルとツクヨの両名は、イズナの直ぐ手前へ駆け込むと、風を切って反転し、それに並ぶ形でワカモと対峙した。

 砂埃を巻き上げ、石畳の上を滑った彼女達は構えを見せる。

 

「――ごめんイズナッ! 先生殿っ! それは、私が最初に云うべき台詞だったッ!」

「ぶ、部長!?」

 

 唐突に離反し、自身と同じように身構えたミチルに対し、イズナはどこか驚いたような、戸惑った様な表情を見せる。それに対し、ミチルは強張った表情で、けれど必死に不敵な笑みにも見えるような顔で、ヤケクソ気味に叫んだ。

 

「危うく一番大事な事を忘れる所だったよ! かまぼこ突風伝でも最後はいがみ合っていた相手と和解したし、ニンジャプレイヤーだって悪の組織に居たキャラが改心して味方になったりするんだもん! 悪い事をしたから、一回間違った道に行ってしまったからって、全部を否定しちゃったら、その可能性を全部捨てちゃう事になっちゃうじゃん……!」

 

 悪役が改心して、善の忍者ソウルを宿す事だってある! もしあの瞬間、主人公が和解を考えずに敵を倒してしまったら、その後の物語は滅茶苦茶になっちゃうもん! だからきっと、この道は正しいって、私は信じる!

 叫び、不安に塗れる胸中を覆い隠す様に笑って、ミチルは振り向き云った。

 

「まだ何とかなるかもしれない、そう思ったから、先生殿はこっち側に立っているんでしょ!? なら、どうせなら、皆一緒に笑顔になる未来の方が絶対良いに決まっているよ! ――そうだよね、先生殿!?」

 

 誰かといがみ合うより、許して、一緒に一歩を踏み出した方が、絶対に良い。

 ミチルの冷汗の滲んだ、けれど勇ましく、輝かしい笑みに、先生は目を見開き――しかし、力強く頷いて見せた。

 あぁ、そうだとも。言葉は、口には出さなかった。けれどその一つの反応だけで良かった。ミチルはにっと笑みを浮かべ、力強く自身の胸元を叩いて見せる。そこには紛れもない、忍術研究部の長としての自負があった。

 

「わ、私は、大それた事なんて云えませんが、でも、最初から全部諦めるような、イズナちゃんや、部長を、見たくないんです、勿論、ワカモさんの事も……! 和解は、大変な事かもしれません、いえ、きっと、凄く大変な事だと、思います、で、でも――!」

 

 呟き、同時にツクヨは力強く一歩を踏み出す。

 その背を真っ直ぐ正し、ミチルと同じように下手な笑みを浮かべ、高らかに叫んで見せた。

 

「忍者は、決して、諦めませんから……!」

 

 声には、強い想いが宿っていた。

 ツクヨは信じている、大好きな忍術研究部が、ミチルが、イズナが、正しい道を歩む事を。彼女達の信じる道には、常に忍者として在るべき姿が輝いていると。

 その声に、ミチルは歯を見せて笑い、ワカモを指差し云った。

 

「そーゆーことっ! という事で多数決! 先生もこっちにいるし、ほら、ワカモ! はやくこっちに鞍替えして! 正直、ワカモと戦いたくないし! ねっ、だからお願いッ!? 後で忍者グッズ進呈するからぁ~っ!」

「ワカモ殿!」

「ワカモさん……!」

「―――………」

 

 途中から若干懇願の混じったミチルの声に、ワカモは沈黙を返す。ただじっと、ミチルを、イズナを、ツクヨを、先生を見つめ続ける。

 そのやり取りを見ていたハルナは、ふと小さく溜息を零した。

 

「ふぅ……全く、これは所謂根負け、というものでしょうか?」

「は、ハルナ……?」

 

 徐に愛銃を肩から降ろした彼女に、ジュンコやアカリと云った面々は目を瞬かせる。ハルナはそんな仲間達を横目に肩を竦めると、緩く首を振ってみせた。

 

「これ以上我を通しては、先生が私達の銃口の前に飛び出して来てしまいそうです、それは私としても、望んでいない展開ですから」

「それは、そう、だけれど……!」

「先生を御守りする為に、先生を傷付けては本末転倒――そこのイズナさんが仰った通り、身体は無事でも心は傷だらけ……そんな状態になってしまっては、後悔してもし切れません」

 

 ――先生の心を私達は少々、軽視し過ぎたのかもしれませんわね。

 

 呟き、ハルナは愛銃を掴んだままゆったりとした足取りで歩き出した。その方向は先生と、イズナ達の居る方。羽織った上着と銀髪を靡かせ歩く彼女に、ジュンコは思わず目を瞬かせる。

 

「ちょ、ちょっとハルナ、まさか……」

「そのまさかです……スクワッドとは休戦致しますわ、少なくとも様子見、消極的協力――という所でしょうか」

「はぁッ!? 正気なの!?」

「うえぇっ!?」

 

 その決断にジュンコは非難の声を上げ、イズミは純粋に驚きの声を漏らした。どこまでも凛とした姿で、微笑みを絶やさない彼女に――アカリは不穏な気配を滲ませながら、一歩詰め寄る。

 その瞳の奥に、妖しい光が灯ったのをハルナは見た。

 

「――ハルナさん」

「アカリさん、思う所があるのは私も同じです、ですが先も云いましたが下手をすれば先生に危害が及びます、流石に先生がスクワッドの盾になってしまったら、どうしようもありませんもの」

「………」

「ならば目を光らせ、また彼女達が何か良からぬ事を企んだ瞬間、その額を撃ち抜いた方が建設的ではありませんか? 少なくとも私は今の話を聞き、そう判断致しました」

 

 ハルナとアカリの視線が、暫し交差する。

 薄らとした笑みを浮かべたまま微動だにしないハルナ、能面の様な表情で彼女を見つめるアカリ。二人の間に重苦しい、何とも言えない空気が流れ始め――しかし、それは唐突に打ち切られた。

 アカリが大きく肩を落とし、手にしていた銃を肩に担いだからだ。

 アカリは溜息を零すと、どこか詰まらなさそうに顔を逸らす。

 

「……はぁ、仕方ありませんね~、少々ストレスの溜まる選択ですが、ハルナさんがそう仰るのなら、今回は此処までにしてあげます」

「ふふっ、大丈夫です、恐らくそう遠くない内に発散する機会が訪れますもの」

 

 意気消沈するアカリ、その背中を軽く叩きながら二人は先生の方へと足を進める。そんなやり取りを、ジュンコはどこか唖然とした様子で眺めていた。

 

「な、何よそれ……! ハルナも、アカリも……!」

 

 震える両手で愛銃を握り締めながら、彼女はその銃口を宙に向け、地団駄を踏みながら怒り心頭と云った様子で叫んだ。

 

「わ、私は全然納得していないからねッ!? 大体ね! あんな事仕出かした連中なんて信頼出来る訳ないじゃん!? 絶対また、ヤバい事に先生を巻き込むに決まって――」

「ジュンコ」

 

 彼女の叫びを、先生が遮る。

 はっとした様子で先生を見たジュンコの視界に映ったのは、真剣な様子で此方を伺う先生の(かんばせ)だった。砂と傷に塗れて尚、先生のそれは力強く、ジュンコの瞳を真っ直ぐ射貫いていた。

 

「頼む」

「だっ、ぅ――」

 

 真剣な、それでいて誠実な声。

 その瞳を真っ直ぐ向けられ、そう声に出された瞬間、ジュンコの威勢が大きく削がれた。先生の姿を見れば、必死になって何とかしようとしているのだと分かる。だから、出来るならばその願いに沿う形でどうにかしてあげたい。その気持ちがあった。

 

 しかし、ジュンコの視界には先生の背後で佇む、ミサキとヒヨリの姿が映っている。

 あんな連中、絶対に、放って置いたら碌な事にならない。

 だから、そのお願いは聞けない。

 そう思い直し、愛銃を握り締めながら口を開こうとして――。

 

「今度、ミルフィーユのパフェを、一緒に食べに行こう」

「わたっ……うぇっ、ぁ――!?」

 

 唐突に、予想だにしなかった言葉が耳に届いた。

 思わず素っ頓狂な声を上げ、目をまん丸に見開く。

 ミルフィーユのパフェ、それはトリニティ自治区に存在するの有名菓子店、カフェ・ミルフィーユが販売している、それはもう高価なパフェである。普通の菓子の何十倍という値段を誇るそれは、普段ジュンコでも中々手が出ない代物であった。

 それを一緒に食べに行く――先生の奢りで、という事だろう。

 つまり、デートのお誘い? 普段食べられないスイーツと先生とデート、そのダブルパンチに、ぐらりとジュンコの心が揺れるのが分かった。

 

 しかし、そんなもので釣られる程自分は安くはない、パフェとデートは確かに、非常に、凄く、恐ろしく惜しいが……それとこれとは話が別だ。

 口元から垂れそうになった涎を拭い、ジュンコは垂れ下がっていた眉をきっと吊り上げ、再び口を開こうとして――。

 

「ハイクラスビュッフェの招待券も、ちゃんとあるから」

「―――………」

 

 今度こそ、時が止まった。

 ハイクラスビュッフェ招待券――それはキヴォトス随一のシェフ達が勤務する、高級レストランのバイキングを楽しめる招待券である。

 それは正に、ジュンコにとっての特攻だった。

 普通に手に入れようとすると、それこそ先のミルフィーユのパフェどころの話ではない、ジュンコがバイトして購入しようとすれば一ヶ月、いや二ヶ月? どれ程途方もない労力が必要かも分からない程。キヴォトスの中でも随一のシェフが調理する料理の数々が食べ放題、それは正に夢の様な話だった。

 

 そんな事を考えていると、不意にジュンコのお腹がぐぅと鳴った。

 食事の最中に抜け出し、今の今までスクワッドを追跡し駆け回っていた彼女の身体は、栄養を求めている。そこに素晴らしい料理の数々を想像し、腹が空かない筈がなかった。ジュンコは俯き、自身の愛銃を強く握り締めたまま肩を震わせる。

 

「だっ――……!」

 

 噛み締めた口から、声が漏れた。

 それは心から苦しい判断を下す、苦悶と自棄の声だった。

 駄目、絶対に受け入れられない――そう口にしようとするのに、声が一向に出なかった。魅力的な提案を前に、自身の気持がぐんぐんと傾いて行くのが分かる。それが腹立たしく、情けなくて、でも、拒否するには余りにも魅力的過ぎて。

 二度、三度、四度、地面を踏み締め、踵を叩きつけ、それから顔を思い切り逸らし――ジュンコは腹の底から叫んだ。

 

「だぁ~ッ! もう、分かった! 分かったわよッ! けれど良い、アンタ達ふたり! ちょっとでも変な動きしたら、問答無用でブッ壊してやるからね!? 今回、今回だけからっ! 次先生にちょっとでも怪我させたら、絶ぇっ対に許さないし、地の果てまで追いかけてやるんだからッ! わかったッ!?」

「は、はいぃッ!」

「………」

「ふんッ! 先生と私に精々感謝してよねッ!」

 

 ミサキとヒヨリを指先代わりに銃口で指し示し、あらん限りの声量でそう叫ぶジュンコ。釘を刺したことに満足した彼女は、アカリとハルナに続いて先生の下へとズンズン足を進めた。

 その背中を、ぽつんと残されたイズミが呆然と見つめ――それから慌てふためきながら絶叫した。

 

「え、え~ッ!? な、なにそれ、ジュンコだけ!? ジュンコだけ先生とパフェとか、ビュッフェ食べに行くのっ!? ず、ずるい! そんなのズルだよッ!? 先生、私は、私の分のご飯はっ!?」

「勿論イズミの分もあるよ、イズミだけじゃない、皆の分もちゃんとあるから――だからアカリ、ハルナ、どうかこの手を離して欲しい」

 

 先生は穏やかな口調で、それでいて何処か苦笑の混じった口調でそう告げた。見れば既に先生の側に立っていたアカリとハルナが、影のある表情で先生の両肩をそれぞれ掴んでいた。その指先は肩に食い込み、正直洒落にならない力が込められている。

 その一言にぱっと手を離した両名は、あらあら、うふふと微笑みを貼り付け、声を上げた。

 

「ふふっ、あぁ、良かった! これで私の分が無いと云われたら、今度こそストレスで爆発しちゃう所でした☆ 命拾いしましたね、スクワッドの御二方」

「私は勿論、先生ならば贔屓する事無く用意して頂けていると信じていましたから」

「よ、良かった~! 私の分もちゃんとあるんだね!? ならはやく終わらせて、ご飯いこう! ご飯!」

「び、ビュッフェにパフェ……お、美味しそうですね、やっぱりご飯には、人の心を変える魔性の力が――」

「……はぁ」

 

 緊迫した空気から一転、どこか緩い温度になった光景にヒヨリは思わず呟く。ミサキは何とも云えない、非常に苦り切った表情で美食研究会を眺め、マスク越しに溜息を零した。

 こんな連中に自分達は追い詰められていたのか、そう思うと脱力感は何倍にも感じられた。

 

「……ふーっ」

 

 最後にひとり、取り残されたワカモ――彼女は大きく息を吸って、吐き出す。

 先生の視線が彼女に注がれ、その表情が再び憂いを帯びた。

 

「ワカモ」

「――気勢が、削がれました」

 

 呟き、ワカモはひとり目を閉じる。

 それは決して空気にあてられた訳ではない、ただ先生の望む未来が、その在り方が僅かに垣間見えたからだ。恐らく先生が望んでいるのは、こういう何て事の無い日常の中にある、些細な幸せ――生徒同士の、幸福なのだと分かって。

 彼女は顔を逸らすと、小さく呟きを漏らす。

 

「えぇ、知っておりました、あなた様であれば、それを望むと……それでも、私は」

 

 自身の行いが先生に受け入れられない事は分かっていた。それでもアリウスの所業を許せず、半ば暴走する形で忍術研究部を巻き込み、此処までやって来た。

 ワカモは暫し沈黙を守り、その狐面の頬を指先で何度もなぞる。

 それは、彼女の癖だった。

 暫し沈黙した彼女はやがてその指先を降ろし、力なく告げた。

 

「……分かりました、この場に於いて私は、彼女達(スクワッド)と敵対しないとお約束致します」

「! ありがとう、ワカモ」

「――ですが」

 

 先生の喜色の混じった声に、しかしワカモは手を突き出し制止する。その瞳が先生の奥に立つ二人、スクワッドに向けられ、彼女はその声色に敵意を隠す事なく続けた。

 

「これはあくまでこの場限りのお話、私はスクワッドと和解する気は毛頭御座いません……たとえ、どれだけ彼女達が心を入れ替えたと仰っても、それは土台、不可能な話です」

「それでも良い、銃口を向け合う関係から、一歩でも進めたのなら、それで」

 

 ワカモの言葉に、先生は穏やかな微笑みと共に頷いて見せた。

 その可能性が生まれただけでも、十分だ。

 ゼロから一に至る、そこには大きな、きっと大きな意味がある。先生のそんな言葉にワカモは無言を通し、それから踵を返した。ふわりとその長い尻尾が揺らめき、街道の先を示す。

 

「……参りましょう、行き先は旧校舎、それで宜しいのですね?」

「うん、あの地下回廊に戻らなくちゃいけない、出来るだけ早く」

「お任せを、万が一道中に聖徒会による襲撃があった場合、私共が対処致します――ミチルさん、イズナさん、ツクヨさん、後衛をお願い致します」

「えっ、あ、う、うんッ! ばっちり任せてよ!」

「はいッ、イズナにお任せ下さい!」

「で、出来得る限り、頑張ります……!」

 

 ワカモの言葉に元気よく声を返す忍術研究部、対立が一段落した事により彼女達の表情には明るさが灯っていた。それを横目にワカモは音も無く駆け出し、先生は彼女の背を見つめながら、背後のスクワッド二人に声を掛けた。

 

「行こう、二人共――」

「は、はいっ!」

「……分かった」

 

 先頭にワカモ、その次に先生とスクワッド、その後ろに美食研究会、最後尾に忍術研究部。全員が一斉に駆け出し、街道に複数の足音が轟く。先生は心の中で、ミカとサオリの無事を祈った、どうにか間に合って欲しいと。

 

 見上げた先――夜空にまだ、陽は登っていなかった。

 

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