ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

162 / 340
誤字脱字報告に感謝を捧げますわ~!


いつか陽の下で笑い合う少女(子ども)達へ。

 

「アリウス・スクワッド――出撃ッ!」

「了解!」

 

 その声と共に弾ける光、先生を中心に感じ取れる力の波動。スクワッドのヘイローが爛々と輝き、その気配を強く変化させる。それを見つめるベアトリーチェは、確信と共に呟いた。

 

「あの光は、やはり……っ!」

 

 生徒は、先生と繋がる事で強化される。それが先生の切り札で呼び出された存在ではないにしろ、通常の数倍、下手をすれば数十倍のポテンシャルを引き出す。それが自身の力と比較すれば余りにも小さな振れ幅であったとしても、彼女は油断しない。この状態から更に戦力を引き上げるような秘策が、或いは力があるかもしれない。

 故に彼女が取った選択は、実に合理的だった。

 

「初手より全力、出し惜しみなど考えません――!」

 

 告げ、彼女は両の手を月光に晒し、紅の光を収束させた。風を巻き起こし、収束する紅の光は凄まじい濃度を誇り目に見える形でその脅威度を高めていく。そして収斂した光を突き出し、両手を合わせたベアトリーチェはその矛先をスクワッドに向けた。

 

「塵芥と消えろ、人間ッ!」

「――!」

「先生!」

 

 一拍後、凄まじい轟音と共に射出される――紅の極光。

 石床を砕き、飛来する光をスクワッドは散開する事で辛うじて避けた。サオリが先生の肩を抱き、すぐ横へと身を投げる。瞬間、鮮やかな紅色が通過し、背後にあった内壁に光は直撃、壁は音も無く消し飛び、巨大な空洞だけが残った。頬を撫でる熱風がその威力を物語り、通過した石床はグズグズと溶け落ち、蒸気を噴き出していた。

 それを見たスクワッドの面々は戦慄と共に呟く。

 

「っ、なんて馬鹿げた威力――」

「これは、直撃すれば一瞬で意識を持って行かれるな……!」

「な、何とか逃げ回りながら攻撃するしか……!」

 

 直線状の全てを退け、消し飛ばす砲撃――だが決して万能ではない。

 発動には確かな溜が必要であり、射出直後には隙も出来る。先生は地面に這い蹲ったまま、ベアトリーチェを指差し叫んだ。

 

「ミサキッ!」

「……!」

 

 その視界にターゲットマークが表示される。意図を察したミサキは素早くセイントプレデターを構え、トリガーに指を掛けた。

 

「――了解」 

 

 短い応答と共に砲口が火を噴き、弾頭が射出される。崩れ落ちた天井スレスレまで上昇した弾頭は空中で炸裂し、分裂する。幾つかに分かれた子弾頭はそのままベアトリーチェ目掛けて直進し、その巨躯に次々と着弾――爆発を巻き起こした。

 爆風と熱波がスクワッドの頬を撫で、外套を揺らす。並みの敵であれば打倒し得るだけの火力がある。

 だが――。

 

「温い――ッ!」

 

 ベアトリーチェは爆発を受けて尚、微動だにしない。外皮を舐める炎を掻き消し、彼女は噴煙を握り締め叫んだ。

 

「この程度の弾頭で、私の外皮を抜けるなどと……!」

「いいや、これで良い!」

 

 しかし、元よりこれはダメージを狙っての攻撃ではなかった。ベアトリーチェの肌に伝わる、何者かの気配、そして足音。はっと、彼女が視線を向けた時――爆炎を裂き、地を駆けるサオリが直ぐ足元まで肉薄していた。

 煤に塗れ、血の滲んだ両手で愛銃を握り締め、彼女はベアトリーチェの外皮を蹴飛ばし宙に舞い上がる。星々に照らされ虚空を舞うサオリの視線とベアトリーチェの瞳が一瞬交わった。

 

「――この部位(眼球)ならば、外皮は張れないだろうッ!?」

「!」

 

 突き出される銃口、同時に発砲、乾いた銃声が轟き弾丸はベアトリーチェの花弁(顔面)に着弾する。そして間髪入れず風切り音が鳴り、ベアトリーチェはサオリを腕で薙ぎ払った。それを身を反らして避け、着地と共に受け身を取って距離を取るサオリ。

 

「ちっ……ッ!」

 

 彼女は立ち上る砂塵越しにベアトリーチェを睨みつけ、舌打ちを零す。手応えはあった、弾丸も確実に着弾している、しかし。

 

「確かに弾丸は直撃した……だが――!」

「ふふっ」

 

 巻き上がった粉塵を両腕で掻き分け、ベアトリーチェはその花弁を突き出す。そこには細められ、嘲笑う様に歪められた幾つもの瞳があった。

 

「以前の私とは違うと、そう云った筈です」

 

 銃撃を受けた花弁――その瞳は無傷。

 外皮が存在しない眼球に弾丸を受けて尚、彼女には傷一つ存在しなかった。その事実に先生は顔を顰めながらも、しかし冷静に弾丸を防いだ存在、力の根源に言及する。

 

「――権能か」

「その通り!」

 

 先生の言葉に、ベアトリーチェは両手を広げ歓喜と共に叫んだ。これこそ彼女が先生の切り札に対し用意したひとつの解答。バシリカという真の領域、それに加えて儀式によって齎される力、その断片を用いた権能による一定濃度未満の神秘の無力化。

 これがある限り、余程強烈な一撃でもなければ彼女自身の外皮(はだ)に触れる事さえ許されない。

 

「まだ儀式は完遂しておりません、ですがその一部は既に私を崇高に近しい領域へと押し上げてくれている……ッ! その程度の神秘では、私に傷一つ与える事すら不可能――!」

「ヒヨリッ!」

「っ、は、はい!」

 

 間髪入れず、先生は指示を叫んだ。

 ミサキの砲撃、サオリの弱点部位への銃撃、それらが防がれた――ならば大口径弾頭はどうか。こと貫通力という一点に限れば、これほど有用な攻撃も無い。ヒヨリの視界にターゲットがマークされ、咄嗟に愛銃を構えたヒヨリはその場で立射を敢行。独特な重低音を打ち鳴らし、発射された弾丸はベアトリーチェの顔面に向け直進した。

 

「小賢しいッ!」

 

 しかし、態々それを受ける必要もない。飛来するそれをベアトリーチェは驚異的な反応速度で以て腕を振り、叩き落とす。硬い物体同士が衝突する甲高い音が鳴り響き、弾丸は後方のステンドグラスに着弾、破砕音と共に硝子を打ち破った。振り払ったベアトリーチェの指先、そこから蒸気が噴き出る。

 

『っ! 先生、今のは……!』

「――成程、そうか」

 

 先生はその一瞬を、確かに視認していた。

 アロナのサポート越しに見える、空間内部のエネルギー推移。ベアトリーチェの周囲を覆い隠す見えない不可思議な力、権能。しかし、弾頭を防いだ瞬間、或いは何かと接触する瞬間、それは確かな熱量を以て集中しているのだと分かった。数秒、先生は自身の頭の中で策と段取りを組み替える、そして一つの解答に辿り着き、スクワッドに目配せを送った。

 

「サオリ、ミサキっ!」

「……!」

 

 声と共に、視界に指示が表示される。ベアトリーチェの不可思議な力によって攻撃が無力化される以上、何かしらの対策は必須だと理解していた。二人は先生の声に頷きながら、指定されたルート通りに足を動かす。

 

「……何か策があるんだよね、先生」

「先生の命令に従う……!」

 

 告げ、左右に分かれて駆け出すミサキとサオリ。素早く動く二人の影を、ベアトリーチェの複眼が捉える。その両手、指先に深紅を纏いながら彼女は思考を回す。

 サオリの火力は然程脅威ではない、至近距離で発砲されたとしても自身の外皮を穿つ事は困難だろう。ならば先に屠るべきは、一撃の火力が重いミサキか。

 

 ――何て、その様な事を考える筈もない。

 

 二人を向いていたベアトリーチェの花弁()が、ぐるりと旋回し先生を見つめた。無数の瞳に捉えられた先生の身体が強張る。その肌を、殺意とも戦意とも取れる色が突き抜けた。

 

「私が屠るべきは――最初からひとりッ!」

「……っ!」

 

 そう、地面を這う子どもなど後からどうとでも出来る。故にベアトリーチェにとって真っ先に排除すべきは先生一人。この大人さえいなくなれば、あらゆる物事は終結するのだから。

 

「消えなさい――ッ!」

 

 ベアトリーチェの花弁に光が収束し、それらは無数の光線へと姿を変え、放射状に放たれる。足元に居たサオリやミサキ諸共先生を焼き払わんと飛来するそれ、咄嗟にミサキとサオリは地面を転がって避け、サオリは先生とヒヨリに向けて叫んだ。

 

「ヒヨリッ!」

「は、はいっ!」

 

 先生の直ぐ傍に立っていたヒヨリが愛銃を脇に挟んだまま、先生の腕を掴む。そして素早く担ぐと同時、外周を巡る様に駆け出した。着弾する光線が無差別に周囲を焼き払い、その内の一発がヒヨリの背嚢を掠め、横合いのポーチが焼け落ちた。中から丸めた雑誌が幾つも転がり落ち、端から燃えていくのが見える。肩に担がれた先生は燃え盛り、消えていくヒヨリの雑誌(宝物)を見つめながら、思わず叫ぶ。

 

「ぐっ、ヒヨリ、背嚢(雑誌)が――!」

「そ、そんなのどうだって良いんです……ッ!」

 

 燃え盛り、消えていく彼女の宝物。しかし、ヒヨリはそれを一瞥もしない。先生を抱え、必死に駆ける彼女の声色は本気だった。

 

「無くなったら、また集めれば良いんですから――っ! 本当に大切なものには、替えられませんッ!」

 

 零れ落ちて行く雑誌を一瞥する事無く、懸命に足を動かすヒヨリ。光に照らされたその赤の混じった表情から汗が零れ落ちる。先生は彼女の意思を感じ取り口を噤み、数秒後何かを堪える様に目を瞑り、タブレットを握り締めたままベアトリーチェに肉薄するミサキとサオリに向けて叫んだ。

 

「ベアトリーチェの狙いは私だ、ヒヨリ、このまま足を頼む! サオリとミサキは――」

「火力集中、でしょう……!」

 

 弾頭の再装填を終えたミサキが、再びベアトリーチェへと砲撃を敢行する。今度は分裂する代物ではなく、一発の威力と貫通力に重きを置いた弾頭を装填した。この手のものは残弾が少なく、連発は出来ないが出し惜しむ気はない。

 トリガーを絞り、射出されたそれは白い尾を引いてベアトリーチェに向けて直進し、着弾、爆発が巻き起こる。

 確かに直撃を確認した、しかし――マダムの巨躯は健在。それどころか微かな煤の汚れ一つ見えなかった。その結果を目の当たりにしたミサキは口元を歪ませ、吐き捨てる。

 

「っ、硬い、これで抜けない何て……!」

「―――」

 

 サオリはその光景を視て、じっと何かを思案する素振りを見せた。ミサキの砲撃ですら突破出来ない鉄壁の守り、それを自身が撃ち抜けるとは思えない――しかし、だからと云って諦めると云う選択肢はない。

 サオリは大きく息を吸い込み、ぐっと身を沈めると同時、告げた。

 

「ミサキ、援護を頼む……ッ!」

「っ……リーダー?」

 

 サオリがベアトリーチェ目掛け全力で駆け出し、飛来する紅の攻撃を掻い潜りながら地面を這う様に接近する。ミサキは何か策があるのかと驚愕し、即座にサイドアームを抜いて援護射撃を行った。乾いた銃声が後方から鳴り響き、幾本かの攻撃がミサキへと流れる。それを横目に、サオリはただ前だけを見つめていた。

 肉薄するサオリの姿、それを無謀な突貫だと思ったのか嘲笑い指差すベアトリーチェ。

 

「はッ、非力な子どもが、何度やって来ようとも……ッ!」

「いいや――!」

 

 サオリは愛銃を抱え、叫ぶ。声は荒々しく、しかし同時に奇妙な静けさを孕んでいた。前を見つめるその瞳には何か、燃え盛る様な火が在る。

 サオリは自身の意識を嘗てない程に、握り締めた愛銃へと集中させていた。スクワッドに配属され、支給品として手渡されてから徹底的に手に滲ませ、時には危ない橋さえ渡り独自にパーツを調達し、カスタムした愛銃。その扱いと性能については、他の誰よりもサオリは熟知している。求めていたのは効率のみだった、確実に動作し、必要な時に必要な性能を引き出せれば良かった。

 けれど今は、それだけでは足りない。

 求められるのは爆発力、性能を超えた力。

 銃だけではない、サオリの肉体自身にも、同じ事が云える。

 

「数で攻めるな、一発に込めろ、全てを、私の、文字通り全てを――ッ!」

 

 全身全霊、いや、それでも足りない。血の一滴、髪の毛に一本に至るまで、力を振り絞った上で尚、限界を超えた先――。

 呟き、両手で強く愛銃を握り締める。思い返すのは、この目にこびり付いたいつかの生徒が放った一撃(アビドスのホシノ)。全てを穿ち、突き進み、力の象徴とも云えた輝きだった。あの巨大な怪物を一撃で屠り、風穴を空けた光景に――あの日のサオリは憧れた。

 あんな力があれば、あれ程の強さがあれば、きっと自分も何かを守る事が出来たのではないかと。そんな思いと共にずっと脳裏に張り付いて消えなかった一撃だった。

 あれと同じ一撃を放つ事が出来たのならばきっと、マダムの権能を突破する事も叶うだろう。

 その確信が、サオリにはある。

 

 虚しい、全てはただ、虚しいだけだ――誰もそこからは逃れられない。

 

 それはきっと真実だ、自分達は未だその円環の中に在る。その想いを、教えを、サオリは振り払う事が出来ない。恐らくそれは今だけではないだろう、この先、もし生き長らえるとしても延々にその教えに、真実に苦しめられる事になる。

 

「だが――ッ!」

 

 胸中に湧き上がる想い、それを噛み締め、サオリは叫ぶ。

 全ては虚しい事なのかもしれない。

 全ては無意味な事なのかもしれない。

 でも――それでも。

 

「それでも、抗う事に意味はある筈なんだ……っ!」

 

 全てが無意味に終わるとしても、抗う意思にこそ価値がある。

 その想い(意志)が――奇跡を手繰り寄せる。

 それをサオリ()は、アズサから教わった。

 叫び、彼女は地面を踏み締める。その踵が石床を砕き、深く沈み込むと同時、銃口をベアトリーチェへと突きつけた。

 

「その事を思い知れ――ベアトリーチェッ!」

 

 いつか自身が努力の果てに放つ事が出来るかもしれない一撃。それを為せるのは一年後か、三年後か、五年後か、それとも十年後か? しかし、それでは遅い、遅すぎるのだ。

 自身は、錠前サオリは――今、この瞬間にこそ奇跡(困難を打ち破る力)を欲していた。

 故に足りない分は彼女の根源、その命に等しい力で以て支払われる。全身の産毛が逆立ち、彼女の心臓が凄まじい勢いで鼓動を開始する。みしり、と骨格が、筋肉が軋む音がした、それはサオリをして嘗て感じた事の無い様な苦痛を伴った。

 しかし、それを噛み殺し、彼女は引き金を絞る。

 地面を踏み砕き構えた愛銃、瞬間、そこから放たれるのは一発の弾丸――だがソレに込められた神秘は、今までの彼女からは考えられない程に収斂され、磨かれた一撃であった。

 

 マズルフラッシュが網膜を焼き、銃声が轟く。反動でサオリの身体が沈み込み、周辺を凄まじい衝撃が襲った。円型に抉れる地面、銃口から放たれた弾丸は青白い光を放ち、宛ら流星の如き速さで以てベアトリーチェへと肉薄する。

 脳裏に存在する、あの生徒が放った神秘砲――それを不完全だが、真似た。

 

 自身の中に残る全ての力を出し尽くす覚悟で放たれたそれは、ベアトリーチェの意表を突き、防御も回避も許す事無く、その肩を捉える。着弾の瞬間、強烈なフラッシュと甲高い破裂音、同時にベアトリーチェの上体が仰け反り、弾丸は外皮を貫通し中程まで抉り込んだ。

 

「――ッ!?」

 

 知覚できる痛み、そして吹き出す赤に目を見開き、ベアトリーチェは咄嗟に自身の周辺へと衝撃波を生み出す。無造作に放たれたソレによって周囲に散らばっていた瓦礫が吹き飛び、サオリもまた同じように抗う事も出来ず吹き飛ばされる。被っていた帽子が脱げ、宙を舞う彼女を、地面に衝突する寸前ミサキが何とか受け止めた。

 

「っ、リーダー!?」

「ぐぅッ……!」

 

 全身から蒸気を吹き上げ、肩で息を繰り返すサオリ。異常な熱を持つサオリを抱えたミサキは、思わず目を見開く。明らかに真面な状態ではなかった。

 

「ぅッ、はっ、はぁッ……! 大丈夫、だ……!」

「リーダー、これの、どこが……!」

「信じろ、ミサキ……!」

 

 だが、それを無視してサオリは尚も立ち上がる。抱えようとしたミサキの腕を払い、覚束ない足取りで一歩、二歩と進む。

 その瞳は、決して死んでいない。

 彼女の肉体は、限界に達していた。これ以上は最悪、ヘイローに影響が出かねない――しかし、止める事は出来なかった。

 

「私を、信じろ――ッ!」

「……っ!」

 

 その言葉が、振り返り、自身を射貫く瞳が――伸ばそうとするミサキの手を止めたのだ。ミサキは数秒唇を噛み締め、俯く。だが迷っているだけの余裕はない、抱えたセイントプレデターを担ぎ直し、覚悟を決めてサオリの隣へと並ぶ。

 限界を超える、それは何も彼女だけに限った話ではない。

 これはスクワッド皆で超えるべき困難なのだ。

 見上げた視線の先、佇むベアトリーチェは自身の肩を穿った弾丸、その穴を凝視していた。

 

「ぬ、かれた……っ? 私の、権能が――?」

 

 声は、明らかに動揺していた。溢れ出る血を眺めながらベアトリーチェは呆然と呟く。抜かれる筈がない防御であった、だというのに確かに、権能を突破されていた。流れ出る血はその証拠だ、先生の切り札でも何でもない、ただの子どもに。

 

「サオリ……!」

 

 サオリの放った一撃に、先生は驚愕の声を漏らす。それは彼をして、望外の戦果であり、予期せぬ一撃であった。

 

「あり得ない、たかが、こんなちっぽけな子ども如きに――私の領域で、色彩の、断片的なものとは云え、絶対者足る力が……」

「……どうした、マダム」

 

 荒い呼吸を繰り返し、ゆらりと立ち上がったサオリ。その口元を覆うマスクがボロボロと崩れ、素顔が露になる。マスクの破片が甲高い音を立てて弾け、彼女の足元に転がった。露になったサオリの口元は弧を描き、ベアトリーチェに挑発的な笑みを向ける。

 震える指先が、ベアトリーチェを指していた。

 

「御立派な大人とやらに、一矢――報いてやったぞ……ッ!」

「――……」

 

 その、姿を見た時。

 自身を嘲笑う子供を目にした瞬間。

 ミシリと、ベアトリーチェの身体が軋みを上げ。

 

「ふッ――……」

 

 彼女の怒りは頂点に達した。

 

「ふざけるなァアアアアッ!」

 

 目に見える程の激昂。

 紅の波動を撒き散らし、ベアトリーチェは天に向け咆哮する。びりびりと肌を打つ衝撃、転がる瓦礫片が地面を跳ね、ステンドグラスが次々と砕け落ちる。甲高い音を立てて地面に散らばるそれを踏み締めながら、スクワッドは冷汗と共にベアトリーチェを見上げていた。

 

「子どもがッ、搾取されるべき弱者がッ! 崇高の足元に及ばぬ木っ端がッ、この、この私にっ、このような傷をッ!? その様な言葉を――ッ!」

「ヒヨリッ!」

 

 取り乱すベアトリーチェに向けて、先生はその指先を突きつけた。空かさず鳴り響く重低音、直ぐ傍に立っていたヒヨリが即座に引き金を絞り、戦車の装甲を撃ち抜く大口径がベアトリーチェの顔面を捉えた。

 それは彼女を覆う権能に防がれる――事は無く、その花弁を強かに弾く。

 

「ぐ、ぅッ!?」

 

 弾丸は彼女の花弁、瞳の僅か脇に着弾し、その上半身が衝撃に仰け反った。外皮の表面が明らかに抉れ、僅かな出血が見られる。弾丸を発射したヒヨリが驚愕に目を見開き、声を漏らした。

 

「あ、当たった……!?」

「やはり、そういう類のものか――!」

 

 齎された結果に先生は声を上げる。それはベアトリーチェの持つ権能、それが完璧な代物ではない事を証明していた。

 

 ――彼女の持つ権能は精神状態や集中力によって左右される。

 

 云わば着弾の瞬間に密度を操作し、防御を固めるようなものだ。つまり焦燥すれば操作が覚束なくなるし、隙を突けば全く無防備な状態で攻撃を当てる事も出来る。決して無敵でもなければ、完璧でもない。

 戦い方次第では、勝ち筋は幾らでもある。

 

「今がチャンスだ、畳みかけるッ!」

「分かった……!」

「あぁ……っ!」

「は、はい……ッ!」

 

 先生の指示にミサキが、サオリが、ヒヨリが、一斉に動き出す。動揺し、権能の制御に思考が届いていない今、彼女は無防備に等しい。この状態であれば、幾らでも攻撃は通る筈だった。

 

「わ、私の権能が、あの恐るべき神秘に備えた、か、完璧な――」

 

 ベアトリーチェは自身の花弁に指先を這わせながら全身を戦慄かせる。飛来する弾丸、弾頭、数多の攻撃――それらを外皮で受け止めながら、彼女は両の手を握り締める。

 あの恐るべき存在に対抗する為に用意された代物、それがただの生徒に、そこらの有象無象に突破される。それは彼女をして、到底受け入れる事の出来ない現実であった。

 

「この様な有象無象のッ、障害などにィッ!」

 

 その怒りが、屈辱が火種となり、ベアトリーチェの全身を深紅が纏う。そこから放たれる攻撃はより苛烈さを増し、まるで癇癪の様に四方八方に向けて無造作に光が放たれた。その内の一本が、回避動作の遅れたミサキの右肩を直撃した。

 ズン、と光線の類とは思えない衝撃、同時にミサキの身体が後方へと泳ぎ、そのまま石床へと叩きつけられる。

 

「いッ!?」

「っ、ミサキ……!?」

「だい、丈夫……ッ!」

 

 地面に叩きつけられ、もんどりうったミサキは痛みに顔を歪めながらも――しかし気丈にも叫ぶ。撃たれた肩は外套ごと焼け落ち、肌が蒸気を噴き出し酷い火傷が見て取れた。僅かに動かすだけでも激痛が走り、その額に脂汗が滲む。

 しかし、ミサキは再びセイントプレデターを手に取って、立ち上がる。

 

「この、程度で、弱音なんか、吐いていられない……!」

 

 皆が死力を尽くしている。

 たった一発攻撃を受けただけで、足を止める事なんて出来ない。

 

「姫……ッ!」

 

 その視界の先に、磔になったアツコ(家族)が居た。血に塗れた姿、傷だらけの姿、それを目にするだけで胸の奥からどうしようもない感情が沸いて来る。歯を食いしばり、苦痛を呑み込み、彼女は思いの丈を叫ぶ。

 

「絶対、助けるから……ッ!」

 

 その一念のみで、スクワッドはこの場所に辿り着いたのだから。

 

「……ッ! ミサキ!」

「分かって、いる……!」

 

 ミサキの負傷に一瞬指示を躊躇した先生であったが、立ち上がった彼女の姿を見て即座に指示を視界に送信する。視界に表示されるターゲット、弾頭の再装填は既に終了している。焼け爛れた肩の痛みを噛み殺し、ミサキはセイントプレデターを構える。僅かに震える砲口、しかし狙いは外さない。

 

「もう一発、喰らわせてやる――ッ!」

 

 告げ、トリガーを絞り――発射。

 弾頭は空気の抜けるような音と共に飛び出し、同時に点火、白煙と共にベアトリーチェへと飛来し、着弾、起爆。爆炎が彼女の外皮を焼き、その花弁が暗闇の中で緋色に照らされた。

 

「ぐ、ぅッ……!?」

 

 衝撃と痛み、外皮が焼け落ち芯まで届く様な苦しみ。権能が発動していない、仮に発動していたとしても、その効力が大きく低下している。その事実にベアトリーチェの焦燥は益々深まる。

 ただの子どもに、木っ端に、こうも良い様にしてやられる事など――。

 爆炎を裂き、白煙を身に纏いながら彼女は狼狽する。

 

「何故、何故、何故ッ……! 切り札でもない、ただの子ども、私に従うべき子どもが、こうも……ッ!? こんな、異色の力が――!?」

「マダム――っ!」

 

 射撃を繰り返し、駆けるサオリは声を上げた。

 

「全ては虚しい、この生に意味は無く、この世は理不尽と絶望のみが支配していると私は信じていた! 今だって、この言葉の真実を忘れてはいない、恐らくこれから先、生き続ける限り私がこの、あなたの教えから逃れる術はないのだろう……ッ!」

 

 サオリは想う。

 そうだ、幼い頃より擦り込まれたそれを忘れる事は出来ない。その呪縛は自身を一生縛り付ける呪いとなるだろう。

 けれど。

 

「だが――だがッ!」

 

 同時に、彼女は知ったのだ。

 この世界は。

 この世界の、真実は――。

 

「決してそれだけじゃないのだと、私の家族(仲間)に教えられたッ!」

 

 想い、強く地面を踏み締める。

 真実を知って尚歩む事の出来る意思、暗闇の中であっても足掻く事を諦めない勇気。それさえあれば、どんな運命だって、困難だって乗り越えられるのだと――サオリは、それを学んだ。

 自身より遥かに小さく、けれど気高い、彼女(アズサ)の背中から学んだのだ。

 

「これは、その教えが齎した希望()だ――ッ!」

 

 サオリから放たれた神秘を内包する弾丸が、ベアトリーチェの胸元へと着弾する。それは決して無視できない衝撃と威力を以て、その巨躯を揺らし、ベアトリーチェが苦悶の声を漏らす。

 

「生きる事は苦しいし、意味なんて無い、ずっと苦痛が続くだけ……でも」

 

 ミサキは想う。

 世界は苦痛と絶望に満ちている、どれだけ頑張ったって、どれだけ足掻いたって、結局待っているのは一つの結末。ならば全ては無意味で、苦しんで死ぬか、苦しまずに死ぬか、早いか遅いかだけの違いしかない。

 けれど、その過程に価値が無いかと云われれば――そうではない。

 少なくとも戒野ミサキにとって、スクワッドと共に過ごした時間は、人生は、悪くないものだった。この仲間の為ならば多少骨を折る事位は、まぁ、仕方ないと思えるくらいには。

 だから彼女はセイントプレデターに次弾を押し込み、苦痛に塗れながらもベアトリーチェを見上げ叫ぶ。

 

「こんな酷い世界でも、それでも一緒に苦しんでいる人が居れば、少しはマシに思えるかもね……っ!」

 

 ひとりは、辛いから。

 誰かが傍に、一緒に悩んで、苦しんで、生きていく人が居るならば――こんな苦痛に満ちた世界であっても。

 生きてみようと思う位は、出来るのだ。

 

「人生は苦しくて、辛くて、酷い事が沢山ありますが――それでも、ほんのちょっぴりでも楽しかったと思える事もあるんです!」

 

 告げ、ヒヨリは繰り返しベアトリーチェに向けて発砲を繰り返す。一発撃つごとに轟音が鳴り響き、その外套と髪が靡く。

 彼女には成し遂げたい事が沢山ある、皆でやりたい事も、見たいものも、食べたいものも、体験したいものも――沢山、沢山。

 自分達はまだ世界を知らない、彼女に世界の一端を教えてくれるのは雑誌だけだ、それも何年も、何ヶ月前の情報だけれど。それでも彼女にとっては新鮮で、激烈で、希望の持てるお話だった。

 

「ま、まだまだやりたい事がありますっ……! ね、ネット小説だってまだ読みたいですしっ、雑誌の蒐集も、今月号が明日発売されるんですから……!」

 

 だから、ほんの小さな希望でも良い。皆で何かを楽しめるような、世界のおこぼれを噛み締めるような幸福で構わない。それだけが、それだけがあれば、苦しくて辛いだけの人生であっても、自分はきっと泣きながら、でも時折笑って生きていける。

 ヒヨリはそう、信じている。

 

 ――生徒達の瞳に、希望が宿っていた。

 

 それぞれの未来を、苦痛に塗れた世界であっても、(アツコ)と共に歩むのだと叫んでいる。それは彼女達の強さだ、育んだ絆が生んだ強さだ。

 決して折れない、心の強さだ。

 それは希望の叫びだった。

 

 ――希望、希望だと?

 

 ベアトリーチェは想う。

 この私の自治区で、この領域に於いて、希望を叫ぶだと?

 それは余りにもアリウスに似つかわしくない、ベアトリーチェの思う世界に相応しくない言葉だ。この苦痛に塗れ、他者を否定し、拒絶し、疑いと欺瞞の中で生きる生徒達にとって、その様な言葉は口にしてはいけない。

 何故なら、それは。

 

「なりませんッ……あぁ、なりませんッ!」

「っ!?」

「生きる喜びなどッ! 希望などっ! アリウスの、私の自治区(領域)で未来を、将来を、語る事などッ! ――許される筈がないでしょうッ!?」

 

 その巨躯が濃密な殺気を放ち、絶叫と共に両腕が振るわれる。狙いは最も至近距離に居たサオリ、彼女は飛来した左腕を辛うじて掻い潜る様にして避けるも、遅れて振るわれた右腕の掌が視界一杯に広がり――その指先が、サオリの身体を掴み上げた。

 

「ぐがッ!?」

 

 ミシリ、と。

 凄まじい握力で以て押し込まれる体。体格差から、まるで列車の突撃を受けたような衝撃が全身に走った。握り潰さんと震えるそれに、サオリの肉体が悲鳴を上げ、ヘイローが点滅した。衝撃で掴んでいた愛銃がその手から零れ落ち、軽い音を立てて床の上を転がる。

 

「サオリッ!」

「リーダーッ!」

「さ、サオリさんっ!?」

 

 先生が、スクワッドが、悲痛の声で彼女の名を呼ぶ。

 掴み上げられ、花弁の前へと晒されるサオリの肉体。両手を添え、全力でサオリを苦しませんと握り締める彼女は、その無数の瞳でサオリを睥睨しながら吐き捨てる様に声を響かせる。

 

「愚かなっ、何と矮小で無知な存在か……ッ!」

「ぅ、ぐ、がぁ――!?」

 

 右腕だけではない、左腕の力も籠められ、サオリの表情が苦悶に歪む。握り締める指先、その合間から血が滲み出す。点滅するヘイローはサオリの意識が飛びかけている証拠だ、そうでなくとも肉体的に危険域にある彼女に、これ以上の攻撃は最悪死亡(ヘイローが壊れる)すらあり得た。

 血相を変え駆け出す先生、ミサキやヒヨリが必死に攻撃を繰り返すも、幾つの弾丸を、弾頭をその身に受けようと、彼女は微動だにせずサオリだけを凝視している。

 そこには隠しきれない執着と、憎悪があった。

 

「生徒は憎悪を、軽蔑を――呪いを謳わなければなりませんっ! 子どもとは、小さき者とはッ! お互いを騙し、傷つけあう地獄の中で、私達(大人)に搾取される存在であるべきなのですッ!」

 

 花弁が不気味な紅色を放つ。朦朧とするサオリの視界に、いつか独房の中で手伸ばし、許しを請い、縋った色が見えた。ゆらゆらと揺れるそれ、痛くて、苦しくて、辛くて、我慢できなくて――それに縋れば、許しを乞えば救われると信じていた。

 それしか、道が無かった。

 そう思い込んでいた。

 

 その光が、()が、再び彼女の前に顕れた。

 

 ベアトリーチェがその両手にあらん限りの力を籠め、殺意と憎悪と敵意を滾らせ叫ぶ。その両手を、サオリを月光に、天に捧げる様に突き上げて。

 彼女の思い描く世界、完璧な世界、自身の願い救世の実現――そう、その為にも。

 

「そう、遍く全ての子ども達(全ての生徒)は、私達の贄となる(大人の為に存在する)べきなのですッ!」

「――だ、まれぇええエエェッ!」

 

 ――だが、サオリはそれ()を振り払った。

 

 あの日屈した、縋った光を退け、サオリは全力でその指先を抉じ開けんと咆哮する。その目から、鼻から、口から、幾多もの血を流し、悲鳴を上げる筋肉を酷使し、巨大なベアトリーチェの掌から逃れようと足掻く。その全身が赤く発熱し、ヘイローがその光をより一層強くする。

 ギラギラと、夜空に瞬く星々に負けぬ光を放つサオリの瞳が、正面からベアトリーチェを射貫いていた。

 

「そんな事を……っ! させる、ものかッ! お前の様な存在にッ、私の、大切な友人を――っ!」

「ッ……!」

「――私の大切な家族を、渡してなるものかァッ!」

 

 血を吐き、叫び、彼女は渾身の力でベアトリーチェの指先を押し退ける。全身赤に塗れ、満身創痍で、青痣だらけで、もういつ力尽きても可笑しくないというのに――それでも彼女の突き出した両腕からは、信じられない様な力の波動を感じた。大きさも、地力も、何もかもが異なるというのに、抗えない。

 

「こ、のッ……!?」

 

 両肩を怒らせ、全力をその両腕に込めるベアトリーチェ。震え、熱を持つ掌、だと云うのに手中にある子どもは潰れもしなければ諦めもしない。全身から蒸気を吹き上げ、歯を食いしばり、血を流し、苦痛の中で足掻き続けている。

 

 世界は苦痛と絶望で満ちている、きっとそれは間違いではない。

 けれどきっと、正しくもない。

 

 この場所に至るまで、数多の苦難があった。

 許されない罪を犯した。

 多くの誤った道を歩んだ。

 それでも――こんな罪深い己を、手助けしてくれた存在が居た。

 

 だから、私は。

 錠前サオリは。

 

「……私はッ、もう迷わない! 絶対に迷いなどしないッ! 私にまだ支払える代償があるというのならば、幾らでも支払ってやる……! 好きなだけ持って行け……ッ! 好きに奪えば良いッ! だが――だがッ!」

 

 ベアトリーチェを仰ぎ見るサオリは、その両目を見開き、鮮血と共に咆哮した。

 

「スクワッドの、家族の未来だけはッ! 絶対に返して貰うッ!」

 

 その声に応える様に。

 或いは賛同するように。

 サオリに注力していたベアトリーチェの外皮を駆け上がり、飛び上がる人影があった。

 

リーダー(サオリ姉さん)を、離せ……ッ!」

「――!」

 

 ベアトリーチェの視界に映る、ミサキの姿。彼女の外皮を駆け上がり、飛び上がった彼女はベアトリーチェの花弁(顔面)目掛けて、至近距離でセイントプレデターの引き金を絞った。

 瞬間、弾頭が発射され――炸裂する。

 緋色の爆炎が周囲を彩り、熱波が頬を焼く。爆風で自分諸共吹き飛ばされながら、しかしミサキは目下に立ち、自身を見上げる先生に向かって叫んだ。

 

「先生ェッ!」

「っ……!」

 

 その苦痛に塗れながら、しかし必死に叫ぶ彼女の表情を見て――先生は覚悟を決めた。

 

「あぁ……あぁ、勿論だ――ッ!」

 

 絶対に、応えなくてはいけない。  

 その声に、その想いに。

 

 先生の手にしたタブレットがより一層光り輝き、スクワッドの、サオリの身体に迸る青白い光。チカチカとヘイローが点滅し、痺れるような指先と溢れ出る全能感。サオリはそれを感じながら、より一層体に力を籠め、叫んだ。

 

「う、ぐ、ぁアアアアア――ッ!」

 

 ほんの僅かずつ、数センチ程度の微々たる速度で。ベアトリーチェの指先が、その両腕が押し返されて行く。サオリの矮躯からは想像も出来ない力で開いて行く己の両手を、ベアトリーチェは信じられない心地で見つめていた。

 

「ありえ、ない……こんな、力が――ッ!? 何故、どうして……ッ!」

「っ、今ですッ!」

 

 動揺したベアトリーチェの隙、それを目敏く突いたヒヨリの弾丸が、ベアトリーチェの片腕を撃ち抜いた。凄まじい衝撃と痛み、それにベアトリーチェの指先が緩み、サオリが崩れた両手のバランスを突き、その手中から飛び出す。

 自身の手首を蹴り飛ばし、花弁(顔面)に向けて跳躍するサオリを、驚愕に見開かれる無数の瞳が捉えた。

 

「なッ……!」

「私は――ッ!」

 

 ()に塗れたサオリが、月光に照らされ彼女(マダム)へと肉薄する。その両手には何も握られていない。脅威となる筈もない。だと云うのに、ベアトリーチェは彼女から視線を逸らす事が出来ない。

 

「今度こそ、私は――ッ!」

 

 その両手を力一杯握り締め、彼女はベアトリーチェへと臨む。

 

「その名に懸けて、私の家族を守り通すと誓ったッ!」

 

 繰り出される、彼女の拳。

 それは最も原始的な暴力、型も戦法もクソもない、ただ膂力と神秘で以て殴りつけるだけの技だ。サオリが知る限り、こんな戦い方を好むのは聖園ミカ位なものだった。

 けれど、それでも決死の覚悟で放たれたそれはベアトリーチェの花弁に直撃し、凄まじい衝撃と打撃音を生んだ。その巨躯が揺らぎ、上半身が仰け反る。風圧が二人の間を吹き抜け、互いが弾かれるように距離を取った。

 

「ぐ、ぅゥッ!?」

「ぐぁ――ッ……!」

 

 弾かれ、仰け反るベアトリーチェ。

 反動で吹き飛ばされ、虚空を泳ぎ、地面へと落下するサオリ。

 彼女の身体が硬い石床に叩きつけられる寸前、その合間に滑り込む人影があった。

 

「サオリ――ッ!」

 

 先生だ。

 宙から落ちて来る彼女の身体を、先生は全力で駆け受け止める。人ひとり分の衝撃はかなりのもので、先生は彼女を受け止めた瞬間、堪え切れず背中から地面に叩きつけられた。体を突き抜ける衝撃と痛み、それに苦悶の声を上げながらも、しかし両腕の中で確りと抱き留めたサオリが無事である事に安堵する。

 顔中血に塗れ、蒼褪めた彼女の目元を指先で拭いながら、先生は大きく息を吐いた。

 

「ぜっ、ハッ、ぐぅ――!」

「リーダー!」

「サオリさん……!」

「大丈夫、息はあるよ……!」

 

 苦悶に歪み、それでも呼吸を繰り返すサオリに安堵するスクワッド。先生は彼女の肩を強く抱きしめ、ベアトリーチェを見上げる。当の彼女はサオリに殴りつけられた花弁、その部分を執拗に撫でつけ、呆然としていた。

 

「こ、子どもが……私にッ、よくも――」

 

 戦慄く肩、そこから滲み出るのは屈辱と恥辱、そして堪え切れぬ怒り。

 

「この様な、暴挙を――ッ!」

「サオリ」

 

 先生はベアトリーチェの怒りの声を遮り、再度サオリの名を呼ぶ。その乱れた前髪を指先で払い、慈愛に満ちた笑みを彼女に送る。その震えていた瞼が開き、胡乱な視線が先生を捉える。サオリの視界には、自身を見下ろす先生と、スクワッド(家族)の姿が映っていた。

 彼女を見下ろしたまま、先生は優し気な口調で続ける。

 

「良く……良く叫んだ、良く望んでくれた――その意志こそが、その想いこそが、何よりも尊く大切なものなんだ」

「せ、んせい――……」

 

 抗う意思、その一歩を踏み出す勇気。

 自身の行きたい道を微塵も疑う事無く、それを突き通すのだと叫ぶ事の出来る心は、とても大切なものだ。それが本当に、心の底から望んでいるものでなければ、彼女がベアトリーチェに打ち勝つ事は出来なかっただろう。

 だからこそ先生は、彼女のその強さを称える。感じ入り、涙すら零しそうになる。

 

 故に――此処から先は、自身が果たすべき責務(仕事)だ。

 

 先生はサオリを抱えたままゆっくりと立ち上がり、ベアトリーチェを睨みつける。

 対峙した二人の視線が交差し、先生はその瞳に絶対的な意思を乗せ告げた。

 

「大丈夫――君達には光り輝く道が続いている、スクワッドの誰かが欠けた未来なんかじゃない、君達家族全員が揃ったハッピーエンドが待っている」

 

 そう、スクワッドは見せた。その未来を、その可能性を――その道に至る輝きを、確かに。

 ならば、その背中を押し、その未来を実現する為に手助けするのが(先生)の役目だ。

 この役目だけは、絶対に譲れない。

 譲ってなど、やらない。

 力強く一歩を踏み出す、いつかの様に、その巨躯を見上げ挑む。

 

 守るべき生徒を、その背中に負って。

 

「私が必ず――そうさせる!」

聖人(先生)……ッ!」

 


 

 物語もいよいよ大詰めですわ、前編・後編・後編2と続いて来たエデン条約編も終わりが近付いていると考えると、大変感慨深いですね。

 スクワッドは此処まで大変頑張りましたわ。前編・後編と暗躍し、先生を始めとした多くの生徒を傷付け、その罪悪を背負いながら血反吐を吐いて、苦痛に喘いで、心身を賭して、この場所まで突き進んできましたの。

 と云う訳で次は先生に血反吐を吐いて貰いますわ。

 生徒だけに良い恰好をさせない――そんな素敵な大人が、私は大好きなのです。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。