ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝いたしますわ!
今回一万七千字ですわ!


捻じれて歪んだ始発点(はじまり)

 

「っ――……」

「先生!」

 

 ゆっくりと歩き出そうとした先生の膝が、唐突に折れた。その身体が地面に沈み掛け、傍に立っていたサオリが慌ててその腕を掴む。反動で跳ねた赤色が床に垂れ、一瞬先生の意識が飛びかけたのだと分かった。

 先生の元へと駆け寄ったスクワッドが、その顔を覗き込みながら焦燥を滲ませ問いかける。

 

「だ、大丈夫ですか……!?」

「先生、無理をしないでくれ――」

「大丈夫……私は、大丈夫だよ」

 

 呟き、先生は緩く顔を振る。しかし如何ともしがたい倦怠感が体を支配していた。既にアロナによる生命維持は恙なく行われている筈だ。しかしその精神、及び肉体に受けた負担は相当なものであり、アリウス自治区に於いて重なった疲労と合わせて無視できない領域に達しようとしていた。手に掴んだシッテムの箱を見下ろせば、残量バッテリーは残り四割と云った所――少なくとも、今直ぐ命の危険がある訳ではない、それが不幸中の幸いか。

 だから自分は大丈夫だと、先生はそう内心で呟く。

 

「……やっぱり、あの光は先生が出していたんだね」

 

 ミサキが駆け寄りながら声を上げた。先生を掴むサオリを目線で退かしながら、彼女は先生の隣へと足を進める。

 

「ミサキ……?」

「ほら、肩貸して――ヒヨリ、これお願い」

「えっ、あ、は、はい……!」

 

 ミサキが先生の腕を掴み、自身の肩に回す。そのまま先生の腰に手をやると、静かにその身体を支え起こした。見ればセイントプレデターはヒヨリが抱え、彼女は両手にアイデンティティとセイントプレデター、両方を掴んでいる。傍から見れば何とも武骨な光景であった。先生はミサキに支えられながら視線で祭壇を指し示し、告げる。

 

「私の事より、アツコを……」

「姫の事も勿論助ける、でも先生も放ってはいかない――リーダー、行こう」

「……あぁ」

 

 頷き、全員が祭壇の方へと足を進める。

 祭壇へと続く階段、その前に鎮座する巨大な影――ベアトリーチェ。彼女は最後の一撃をその身に受けて以降、花弁は閉じ項垂れる様に沈黙している。地を舐める炎は徐々に収まり、再び暗闇が周囲を覆い始めていた。彼女達がベアトリーチェの脇を通り抜けようとした瞬間、何かが落ちるような重々しい音と、呻き声が周囲に響いた。

 思わず足を止め、音のした方向へと視線を向けるスクワッド。

 

「ぅ――」

「……!」

 

 振り返った時、あの巨大樹の如き影は消え、代わりに地面に横たわるベアトリーチェの姿があった。

 肉体を変質させるだけの余力がなくなり、彼女の変身が解除されたのだ。普段通りの白いドレス姿に、所々傷の垣間見える姿、ドレスから露出した肌には無数の傷痕が刻まれている――しかし、外見だけでは大した負傷にも見えなかった。スクワッドの面々と比較すれば、致命傷など一つもない。しかし彼女の根源的な部分、内側は相応に消耗している事は気配から分かる。

 彼女は地面に這い蹲ったまま呻き、震えていた。

 

「マダム……!?」

「ひぇっ!?」

「っ、あれで、まだ立てるの……!?」

「――いや」

 

 一斉に警戒を露にし、各々が素早く銃に手を伸ばす。

 しかし、先生はそれを遮った。ベアトリーチェを見下ろしたまま、静かに彼は告げる。

 

「彼女にはもう、戦う力は残っていない」

 

 見れば分かる、彼女は既に全てを出し尽くした。抗うどころか、立ち上がる力さえ残ってはいない。彼女に出来る事はもう――何もない。

 

「……ミサキ、ありがとう」

「先生?」

 

 自身を支えるミサキの手を離し、感謝を述べてから一人でその場に立つ先生。数歩蹈鞴を踏んだものの、意地で堪え、ゆっくりとベアトリーチェの元へと足を進める。不規則な足音、自身へと迫るそれにベアトリーチェが緩慢な動作で顔を上げた。

 満身創痍の大人が二人。血に塗れ、それでも自身の足で立つ先生をベアトリーチェは紅の瞳で以て見上げる。

 暫し、二人の間に沈黙が降りる。

 最初にそれを破ったのは、ベアトリーチェであった。

 

「先、生」

「………」

「まさか――あなたに二度も、敗れるとは」

 

 空気が抜けるような、力ない声色であった。先生を見上げる瞳には何か、普段ない色が混じっている様な気がする。地面に横たわり、広がった黒髪をそのままに、彼女は囁く様な声で続ける。

 

「いえ、半分は、分かっていた事です……私の道を往くと宣いながら、その実――心はあなたを排除する事だけを、求めていたのですから」

「………」

「この手はあなたに届かない、ゴルコンダの忠告は正しかった、という訳ですね……しかし、よもや飼っていた犬に手を噛まれるとは、ふ、ふふっ」

 

 地面に張り付いた彼女の指先が、ゆっくりと握り締められる。滲み出た赤が、石床に線を残した。

 

「何と、滑稽な――」

「……アツコは、返して貰う」

 

 小さく肩を揺らし、自嘲の声を漏らすベアトリーチェに対し、先生は抑揚のない声でそう云い放つ。

 ベアトリーチェの背後、祭壇の奥にて磔にされているアツコの元へ、先生は視線を向ける。当初ベアトリーチェを警戒していたスクワッドは僅かな逡巡を見せたが、彼女に立ち上がるだけの力も残っていないと理解し、構えた銃口をゆっくりと下げながら、そのままアツコの元へと急いだ。

 

「ひ、姫ちゃん!」

「アツコ……!」

 

 オブジェクトの直ぐ傍まで近付いたスクワッドは、アツコを見上げながらその名を呼ぶ。しかし、彼女から反応はない。完全に気を失っている事が分かる。

 

「ヒヨリ、蔦を切ってくれ、私が降ろす……!」

「は、はい! 姫ちゃん、今解放してあげますからね……!」

 

 サオリの言葉に頷き、ヒヨリは身に着けていたホルスターからナイフを抜き放つと、アツコの身体を縛り付ける様に纏わりついていた蔦を順に切断して回った。棘の生えたそれは幾つかアツコの肌に食い込み、出血を引き起こしている。そうでなくとも彼女の身体には意図的に付けられたと思われる切傷が首元にあった。まるで鋭い刃物で首を掻き切ったかのような、そんな傷だ。

 滴る赤に肝を冷やしながら、ゆっくりと彼女の身体を地面へと落とすサオリ。震える指先でその顔を覆うマスクを剥ぐと、あどけないアツコの表情が露になった。

 

「ひ、姫ちゃん……」

「姫、しっかりしろ……!」

「……首元の外傷が酷い、此処に来るまでかなり時間が掛かったから、血を流し過ぎたんだ」

 

 アツコの喉元に手を当て、苦し気に呟くミサキ。首から垂れた血は彼女の肩口まで伸び、地面にちょっとした血溜まりを作っていた。まさか、間に合わなかったのか――サオリの脳裏に、そんな最悪の結末が過る。しかし、それを受け入れる事が出来ずサオリはアツコの肩を掴み、何度も揺さぶる。

 

「姫、目を開けてくれ……頼む――アツコ!」

「ぅ―――」

 

 その声が彼女の耳に届いたのか、或いは想いが通じたのか。

 ぴくりと震える瞼、乾いた唇が呻き声を上げ――ゆっくりと、アツコの目が開かれる。そして焦点の定まらない瞳で周囲をなぞり、どこかぼんやりとした様子のままアツコは小さく口を開いた。

 

「……あれ、皆?」

「アツコ!」

「姫……」

「姫ちゃん! 気が付きましたか!?」

 

 彼女の視界に映る、自身を覗き込む家族の姿。ゆっくりと体を起こした彼女は、何度か瞬きを繰り返しながら柔らかく微笑みを浮かべる。

 

「うん……サオリ、ヒヨリ、ミサキ――みんな、おはよう」

「お、おはようって……」

「はぁ……相変わらずだね、姫」

 

 自分達が此処に至るまでどれ程の死線を潜り抜けて来たのか、まるで何でもない日常の一幕の様に振る舞うアツコを見て、ヒヨリとミサキの両名は毒気を抜かれる。

 しかしサオリは感極まったようにアツコを力一杯抱き締め、叫んだ。

 

「アツコ……!」

「わ……サオリ?」

「良かったッ! 本当に、良かった……!」

「う、うん……?」

 

 何やら嗚咽を零し、必死に縋りつくサオリ。最初困惑していたアツコだが、自身の傷だらけの腕に気付き、それから周囲を見渡して此処が何処かを悟る。段々と、自身の身に起きた事を思い出した。

 

「そっか、私――儀式の贄になって」

 

 マダムの元へと戻された彼女は一日と経たぬ内に意識を奪われ、以降ずっと眠り続けていた。故に自身がどの様に扱われていたのか、何が起こっていたのか、まるで知らない。しかし彼女達が文字通り死に物狂いで自身を取り戻しに来てくれた事だけは分かった。

 アツコを抱き締め、その肩に顔を埋めるサオリは涙に濡れた声で呟く。

 

「アツコ、生きていてくれて、ありがとう……本当に、ありがとう」

「………うん」

 

 必死にそう呟くサオリにアツコは目を瞑りながら頷く。頷きは小さく、けれど万感に満ちていた。

 

「サオリ、泣かないで、私は大丈夫だから……此処まで、先生が手伝ってくれたんだね?」

「あぁ、そうだ……! 先生だけじゃない、色んな生徒が、手を貸してくれたんだ……!」

「――そっか」

 

 縋るサオリ、その背中を優しく叩きながら、彼女は薄らと笑みを浮かべる。見上げると、自身を見下ろす先生の姿が視界に映った。外套や制服は血と砂利に塗れて顔色も良くない、きっと無茶をしたのだとひと目で分かった。

 それでも先生は優し気な口調で以てアツコに言葉を投げかける。

 

「これは、皆の力で成し遂げた事だよ」

「先生……」

「アツコ、無事で本当によかった」

「……うん、先生も、ありがとう」

 

 膝を突き、アツコに優しく語りかける先生に対し、彼女はそっと頭を下げる。暫くアツコの無事を喜びあっていたサオリは、ゆっくりとその身体を離し、先生に顔を向け問いかけた。

 

「ありがとう、先生……もうこれで、全部終わったんだな」

「……うん、大丈夫だよサオリ、きっと全部――」

「――いいえ、まだです」

 

 皆の鼓膜を、聞き慣れない低い声が叩いた。

 肩を跳ねさせ振り返れば、いつの間にか佇む黒い人影。

 彼は暗闇と同化する様にベアトリーチェの傍に立ち、先生とスクワッドを眺めていた。

 

「ッ、誰!?」

「こ、今度は何ですか!?」

「っ、アツコ、先生、下がれ、私が――!」

「待って」

 

 一斉にいきり立つスクワッド。ミサキがサイドアームに手を伸ばし、ヒヨリは身構えながらアイデンティティのストックを掴む。サオリは咄嗟に姫を抱き寄せ背に庇った。

 その姿がベアトリーチェと同じ異形である事も関係していたのだろう。全身から漂う不穏な気配、先手必勝、攻撃を行われる前に鎮圧する、その判断に迷いはない――しかし、先生は冷静に声を上げ、彼女達の前に手を翳した。

 ぴたりと、スクワッドの動きが止まった。

 

「……黒服」

「まだ終わってなどいません、あなたの戦いは――そうでしょう、先生?」

 

 ――あなたにはまだ、手を差し伸べるべき生徒が残っている。

 

 彼はいつも通り、飄々とした態度でそう口にする。鶴の一声で動きを止めたスクワッド、それらを薄ら笑いと共に見つめながら、彼は先生だけをじっと見つめ続けていた。黒服にとってスクワッドはおまけに過ぎない、今回の件に関しては称賛に値する働きではあるが――それも全てはたった一人、目の前の大人が関与したが故の結果だと知っているのだ。

 まるでそれを望んでいるかのような口ぶりだった。先生はそれ以上言葉を発する事無く、ただ黒服と視線を交わす。くつくつと、黒服は喉奥を鳴らす様に笑みを零した。その視線がふと、自身の足元に向けられる。

 

「ぐっ……」

「これはこれは、随分手酷くやられましたね、ベアトリーチェ」

「……は、楽しそうに、盗み見ていた分際で、良く、云います」

「えぇ、しかしあれ程の輝き、見るなという方が難しいでしょう、私自身芸術の分野に精通しているとは云い難いですが、胸を打つ何かがあったのは確かです――マエストロ風に云うのであれば、彼が手にすれば例え路傍の石であったとしても、磨かれた宝石に勝る輝きを放つ、それが立証された……とでも口にするでしょうか? とは云え、流石に貴女がアレを撃った瞬間は肝を冷やしましたがね」

「………」

「ククッ――さて、色々と積もる話もありますが、一先ず私達は退散させて頂きましょう」

 

 愉快そうに喉を鳴らしながら、黒服はベアトリーチェの腕を掴み上げ、彼女に肩を貸す。その様子を見ていた先生は一歩を踏み出し、咎めるような声を上げた。

 

「待て、黒服、私は――」

「先生」

 

 しかし、その歩みを止める様に黒服は手を翳す。その表情は微動だにせず、声には奇妙な力が籠っていた。

 

「それは、あなたの役割ではない」

「………」

「――万事、私共にお任せを」

 

 それは、一体どういう意図を孕んだ言葉であったのか。しかし、まやかしやその場凌ぎの言葉ではない事は確かであった。

 数秒、逡巡した先生であったが、踏み出した一歩をゆっくりと退け、後退する。それを見守っていた黒服は何処か感謝する様に一つ頷き、今度こそ踵を返した。

 

「あぁ、それと先生――」

「……何だい」

「どうか、お気を付けて」

 

 肩越しに振り返る黒服。

 その眼孔に似た白い罅割れが、先生を真っ直ぐ見つめていた。

 

「……これより先は、未知数ですので」

 

 それだけを告げ、二人の姿が暗闇の中へと滲んで消える。それ彼らの持つ技術か、技能か、それは定かではない。しかしスクワッドの面々からすれば、唐突に現れ消えた様にしか見えなかった。「き、消えた……?」と困惑を滲ませるヒヨリの声。暫く周囲を見渡し、警戒を続けていた彼女達であったが――完全にその姿が見えなくなったことを確認し、その肩からゆっくりと力を抜く。

 

「な、何だったのでしょう、あの人は……?」

「分からない、だが余り信用出来る連中では無さそうだ」

「……厄介な事にならなければ良いけれど」

 

 消えた黒服、何よりベアトリーチェを想い、舌打ちを零すミサキ。今後の事を思えば、此処で何かしら対策を取っておきたかった。それは別段、この手を汚すとか、そういう事ではない――ただ今後スクワッドが生きていく上で、彼女の存在が暗い影を落とす事だけはハッキリとしていたから。

 しかし、消えてしまった以上最早関与する事は叶わない。今は、アツコを救えた事だけでも喜びたい。ミサキは頭を振って、そう思考を切り替える。

 

「先生、改めて私達を助けてくれてありがとう、私はずっと眠っていただけだけれど……」

「気にしないで、それにお互い様だ、私もアツコに助けられたからね」

「……私が、先生を?」

「あぁ」

 

 先生の言葉に疑問符を浮かべるアツコ。恐らく自覚はないのだろう、彼女の精神に感応に動いたのか、或いは別の意図があったのか――目を瞬かせるアツコに先生は苦笑を浮かべ、しかし紛れもないその想いに感謝の念を抱いていた。

 

「先生――」

 

 不意に、サオリが強張った声を上げた。

 その声に振り返れば、酷く真剣な面持ちをしたサオリの表情が視界に入った。サオリは姿勢を正しながら、真っ直ぐ視線を先生に向け告げる。

 

「先生は私と交わした約束を果たしてくれた、こうして姫を救って貰って感謝している――だから今度は、私が約束を果たす番だ」

「……サッちゃん?」

「アリウスとして、スクワッドとして、為して来た全ての罪を償う、私が全ての元凶だ、連邦生徒会でも、トリニティでも、矯正局でも何でも構わない、先生が思う一番適切な所に私を送ってくれ――全ての処罰を、私は喜んで受けよう」

「一体何を……!?」

「リーダー!?」

 

 唐突な宣言、それに対しスクワッドが浮足立つ。驚き、困惑、焦燥、それらを前にしてサオリは微動だにせず、瞳に揺らぎはなかった。

 元より、サオリはそのつもりだった。先生がアツコを救ってくれた後ならば、自身の目的を果たした後、己がどの様な扱いを受けようとも構わない。最初からそういう約束で行動を共にしていたのだから。

 先生はアツコを救うと云う約束を果たしてくれた、だから次は自身が約束を果たす番だ。

 

「だが、一つだけ頼みたい、処罰されるのは私だけにしてくれ、エデン条約事件も、セイア襲撃も、ナギサ襲撃も……ミサキも、ヒヨリも、アツコも、皆私が巻き込んだようなものなんだ――三人が助かるならば、その分私の罪状に重ねて貰って構わない、だからどうか、裁くのは私だけにして欲しい、厚かましい事だとは理解している、それでもどうか……頼む」

「さ、サオリさん、待って下さい!」

「ふ、ふざけないでリーダー、一人だけそんな……!」

「いや、良いんだ、これで良い……私は長い間負うべき責任を放棄して生きて来た、その責任を果たす、今がその時なんだよ」

 

 呟き、彼女は深く頭を下げる。俯いた表情は影になって見えない、しかし其処には強い後悔と渦巻く複雑な感情があった。

 

「今回の件で、私がどれ程罪深い行いをしてきたのか、それを強く実感した――だと云うのに、ミカを始めとした多くの生徒に手を貸して貰ったんだ、私は自身の罪を清算しなければ彼女達に、何より先生に顔向けできない……犯した罪の償いは、為さねばならない」

「そ、そんな……」

「っ、く……!」

 

 彼女の意思は、固い。

 今回の件を通じ彼女は多くの事を知り、学び、そして現実を知った。その酷く残酷で、苦しく、辛い現実を前にして、それでも自身の願いが成就したのは誰かの優しさや、想い、祈りがあったからだ。

 ならばそれに報いる責任が自分にあると、サオリはそう信じる。

 こうなったサオリが梃子でも動かぬ事をスクワッドは知っていた。だからこそ、それ以上言葉を重ねる事が出来なくて、ヒヨリやミサキは言葉を呑み込む。アツコはじっと身動ぎせず、どこかぼんやりとサオリと先生を見つめていた。

 

「先生――どうか、頼む」

 

 頭を下げたまま、重ねて願うサオリ。

 その言葉に、先生は数秒程目を瞑って沈黙を守った。

 

「……分かった」

 

 はっと、全員が先生を見た。スクワッドの視線が先生に集中する、その視線に乗せられた色は嘆願か、絶望か、悔しさか。瞳に込められた感情(それ)は、実に様々だった。

 スクワッドとは反対に、サオリはどこか安堵した様子で、柔らかな笑みを零した。

 

「罪には罰を、それは正しき事だ、自身の行った行為に対しての責任は、取らなくてはならない」

「そ、そんな……!」

「待ってよ、それなら私達だって――!」

「ミサキ」

 

 咄嗟に非難の声を上げるミサキ、サオリが裁かれると云うのであれば、自分も同じように――そう口にしようとした。しかし、それを望まないサオリは手で言葉を制し、静かに先生に向かって感謝を告げる。

 

「……ありがとう、先生」

「うん、責任は重要だ――君達アリウスを、長年こういう環境に置いてしまった罪」

 

 目を瞑ったまま、先生は柔らかな口調で以て告げる。

 そして再び開いた左目が、サオリを優しく見つめていた。

 

「それは大人として、私が背負わないといけないね」

「――なっ!?」

 

 サオリが思わず言葉を失う。

 それは、彼女が望んでいたものとは全く異なる裁定であったからだ。思わず取り乱し、腰を浮かせた彼女は先生に掴み掛らんとばかりの勢いで言葉を重ねた。

 

「な、何を云っているんだ先生!? そんな事……!」

「子どもに罰を与える事はあっても、背負うべき責任はないよ、ましてや今回の事件については――尚更ね」

 

 その言葉には先程のサオリと同じように、確固たる意志が秘められていた。確かに彼女達は過ちを犯しただろう、間違った道を選んだ事も事実だ。しかし、それを理由に責任を問う様な選択は、先生に存在しない。

 

「アリウスが長年内戦に明け暮れ、多くの生徒達(子ども)が不幸に見舞われた、君達が喪った幼少期に与えられる筈だった幸福を、その時間を返す事は出来ない……だからこそ、それを償うとすれば私だ、大人の私が背負うべき責任なんだ」

「そんな馬鹿な……! 先生にそんな責任なんて、どこにもないだろう――ッ!」

「あるんだ、他ならぬ私にこそ……だからスクワッドを罪に問う様な事はしないよ、矯正局には送らないし、トリニティや連邦生徒会にも送らない、これは絶対だ」

「そんな……なら、それなら一体私はどう償って、私は、何を背負っていけば……!?」

「自分の人生そのものだよ、サオリ」

 

 サオリの必死の叫びに、先生は穏やかな口調で以て答えた。声は穏やかだったが、その声は普段以上に重々しい響きを伴っていた。ぴくりと、小さく震えたサオリはその動きを止め、呟きを返す。

 

「自分の、人生――?」

「あぁ、ずっと此処(アリウス)での生き方しか知らなかった、だからサオリはまだ、自分で選んで歩く事の意味を知らない、サオリには、スクワッドには――これから自分で道を選んで歩いて行って貰う」

「それは一体、どういう……」

「サッちゃん」

 

 ふと、アツコがサオリの腕を引いた。優しく、力ないそれにサオリが気付き、視線を落とす。視界の中に、座り込んだまま自分を見上げるアツコの顔があった。その瞳はどこか納得の色を湛えているようにも見えた。

 

「――私は、分かる様な気がする」

「……姫?」

 

 ふっと、顔を上げたアツコがサオリに問い掛ける。それは本当に、何て事の無い問い掛けだった。

 

「ねぇサッちゃん、やりたい事はある?」

「……やりたい、事?」

「うん」

 

 サオリの声には強い困惑が滲んでいた。唐突に、一体何の事だと。アツコは自身の指先を一本、また一本と立て、それを見下ろしながら言葉を続ける。

 

「アズサは、学ぶのが楽しいって云っていた、友達と一緒にいる事が幸せだって――サッちゃん、サオリの好きなものは何? やりたい事は? 趣味は? 将来の夢は? なりたいものは? ――私達はそういう当たり前で普通の事を、何一つ知らない」

「そんな……そんな、ものは」

 

 アツコの言葉にサオリは言葉を詰まらせ、俯くと同時に思考を巡らせる。しかしサオリの思考に、それらに該当する物事など何一つ浮かんでこなかった。

 だって、考える必要などなかった、考える余裕もなかった。毎日生きる事に必死だった。俯いたままサオリはゆっくりと首を左右に振る。

 

「分からない……一度も、考えた事がなかった、ずっと云われるがままに、生き抜く事だけを考えていたから――」

 

 好きなものも、やりたい事も、趣味も、将来の夢も、なりたいものも。

 何も、何一つ分からない。

 それを語る事は、考える事は、自分達に許されていなかったのだ――。

 そんなサオリを見ていたスクワッドの面々は顔を見合わせ、何かを考え込む様な素振りを見せる。そして最初に口火を切ったのはアツコだった。

 

「そうだね、サオリは責任感が強くて、決断力があって……んーと」

「リーダーは教えるのが上手です、色々……お、教えてくれる時は、怖いですけれど」

「真面目ではあるよね、計画を立てるのも上手いし、指揮をするのも上手だし、まぁそうじゃなきゃ、私達はずっと前に野垂れ死んでいた」

「………」

 

 仲間達から続々と投げかけられる言葉、自身の優れている点、それらを浴びせられたサオリは思わず面食らう。そんな風に言葉にされたのは初めての経験だったから。先生はそれらの言葉を聞き届け、どこか嬉しそうに笑って云った。

 

「うん――ならきっと、サオリは良い先生になれるね」

「なっ……!」

 

 それは、サオリをして全く想定もしていなかった言葉で。

 責任感が強く、決断力があり、教える事が上手い。それでいて真面目で、計画立案能力に優れ、指揮も得意――正にうってつけだろう。

 彼女の素質は、先生に向いている。

 

「リーダーが、せ、先生に!?」

「……あんまり想像がつかないけれど」

「ううん、そんな事ないよミサキ、サッちゃんなら良く似合いそう……でしょう?」

 

 ヒヨリは驚愕を、ミサキは疑りを口にする。しかしアツコだけは全くそんな素振りを見せず、そう云って、サオリに微笑みかけた。

 

「ね、サッちゃん」

「――……分からない、私にそんな未来が、本当に?」

 

 自身の手を見下ろし、サオリは呟く。傷に塗れ、血だらけで、到底そんな道を歩める者の手には見えなかった。

 ずっと、誰かを傷付ける術しか学んで来なかった。誰かに何かを教えるとしても、それは死なない為の術だった。そこには優しさや学びに対する姿勢云々をするだけの隙間などなく、ただ出来なければ死ぬだけという過酷な現実が存在していたからだ。

 そんな環境で、世界で育った自分に――誰かを導く様な未来なんて、本当にあるのだろうか? そんな疑念を察した様に、先生は柔らかくも、真剣な面持ちで断言する。

 

「あるとも――サオリ、私が云った事を忘れたのかい?」

「……ぁ」

 

 その声と表情に、彼女は思わず声を漏らした。

 そうだ、先生は何度も口にしていた。

 

「君達の未来は無限に広がっているんだ、何にだってなれるし、やりたいと思った事をやれる、それを応援して、道筋を示して、一緒に歩くのが私の仕事だ――だから」

 

 大きな掌が、そっとサオリの頭を撫でつける。傷と血の滲んだ、けれど自分達の為に必死になってくれた、大人の手だった。

 

「その無限の未来を背負って、サオリはこれから生きて行くんだ」

「……――」

 

 無限の未来。

 何にだってなれるし、どんな未来であっても選べる。

 自分自身を背負って生きるとは――そういう事だ。

 

 それは万人に当たり前のように与えられていた、子どもの持つ可能性()。けれど同時に、その道を知らずに育って来た彼女達からすれば、余りにも重く、眩い道に見えた。多くの選択肢を奪われ、未来を語る事さえ禁止されていた彼女達にとっては、唐突に与えられたそれは何よりも嬉しくて、貴重で、輝いていて――。

 ぎゅっと、サオリは自身の手を握り締める。

 それは動揺だった、云い方を変えれば恐怖でもあった。唐突に、突然に、眩い金銀財宝を与えられた様な、そんな感情。今までずっと暗闇の中で、細々と光を、希望を見出して生き長らえて来た。けれど突然目の前が開けて、陽の光が燦々と降り注ぐ場所に連れ出された様な――そんな衝撃。

 サオリは唇を震わせ、問う。

 

「先生、私は……」

「うん」

「私は、あれ程多くのものを傷つけて、壊して、此処に居るのに……」

 

 俯いたまま、彼女は云った。

 自身の為して来た事は、決して許されるような事ではない。何年、何十年と償い続けて、漸く許されるかどうかという領域の話だ。どんな罵倒も、侮蔑も、罪悪も、裁きも、罰も、甘んじて受けるつもりでいた。それこそ、命で償う覚悟だって。それが自身の命で支払われるものであるというのなら、彼女はそれすらも差し出すつもりだった。

 だと云うのに、先生は自身に生きろと云う――無限の未来を、その可能性を背負って生きろと。

 

「私は――生きていても、良いのだろうか?」

 

 こんな、罪悪に塗れた存在であっても。

 多くの人を悲しませ、傷付けた私の様な罪人であっても。

 サオリがゆっくりと顔をあげ、揺らぐ瞳と共に問いかけた。

 

「私は、これから(未来)を望んでも、良いのだろうか……?」

「何を当然の事を――」

 

 サオリの問い掛けに、先生は大袈裟に肩を竦めて見せた。そこには少しだけお道化るような、彼女達の心を解す様な、そんな意図した振る舞いがあった。

 

「生きていてはいけない生徒なんて居ない、未来を望んではいけない生徒なんていない、けれど、そうだね……多分そう云ってもサオリは自分を責めるだろうから――」

 

 告げ、先生はゆっくりと自身の外套に手を伸ばす。それは左腕に装着していたシャーレの腕章だ。道中の戦闘や移動で多少黒ずんだり、汚れてしまっているが問題ない。シャーレの腕章である事は遠目にだって判別できる。それを手早く外して、静かにサオリへと差し出した。

 

「はい、これ」

「……これは?」

「シャーレの腕章、まぁ云ってしまえば、先生の証みたいなものだよ」

「………」

 

 差し出されたそれと先生を交互に見つめ、サオリは静かにそれを受け取る。薄汚れ、若干草臥れたそれは此処までに先生がどれだけスクワッドの為に尽力してくれたのか、それを物語っている様にも見えた。サオリは手にした腕章を強く両手で摘み、唇を噛む。腕章は薄く、軽い。けれど物理的な重さに顕れない、確かな重さが彼女には感じられた気がした。

 

「いつか、自分が生きていても良いって、そう思えたら……そうじゃなくても、なりたいもの、やりたい事、趣味でも、好きなモノでも、何でも良い、そういうのが見つかったら、いつでもおいで――スクワッドの皆と一緒に」

 

 ――先生になりたいなら、私の元(シャーレ)で勉強するのが一番だよ。

 

 それは、何と暖かい言葉だっただろう。帰る場所も、母校も、彼女達は失った。それは自業自得で、誰に対して文句を云えるような事でもない。

 だからこそ、自身が戻れる場所、或いは安らげる場所が一つでもあるという事実は、彼女の胸に何か大きな熱と共に動揺を齎した。それを言葉で表現する術を、サオリは持たない。ただぽろぽろと、自身の手に落ちる雫があった。

 目尻から頬と伝い、顎先を流れるそれは――涙だった。

 

「………」

「きっとそれも、サオリの背負った重荷を解く、ひとつの選択肢だと思うから」

 

 サオリは暫し何も言葉を紡ぐ事が出来ず、ゆっくりと言葉を噛み締める様に沈黙を守る。それから暫く彼女は俯いたまま、漸く震える声で、その一言を絞り出した。

 

「……あり、がとう、先生」

「――うん」

 

 その一言があれば十分だ。

 それだけで、自分は報われる。

 想い、先生は静かに立ち上がった。

 身体はもう、十分に休めた――少し走る位は、きっと問題ない。

 

「さて、皆とは一先ず、ここでお別れだね」

「!? なっ、急に……待ってくれ、先生!?」

「黒服……彼が云っていた様に、まだ私の助けが必要な生徒が居るんだ、それなら、行かないと」

 

 自分のやるべき事はまだ残っている。

 彼の云った様に終わりではないのだ。それを想い、先生は自身の動かなくなった左腕を撫でつけ、笑って云った。

 

「――それじゃあ、またね、皆」

 

 言葉は短く、簡素だった。そして踵を返した先生は、ボロボロの身体を引き摺って駆け出す。今度はバシリカとは反対の方向に、今尚戦い続けているであろう生徒達を助ける為に。

 徐々に小さくなっていくその背中、暗闇に溶けていく先生の輪郭を見送りながら、スクワッドの面々は呆然と呟く。

 

「い、行ってしまいました……」

「……きっと、ミカ達を助けに行ったんでしょ」

「先生一人で大丈夫でしょうか? ま、まだ、あの聖徒会が残っているのなら……」

「……大丈夫だと思うよ、あの時もそうだったから」

 

 ――先生は大人だから。

 

 呟きは、確かな信頼を秘めていた。思い返すのはあの大敵、動く木人形が用意した巨大な怪物。アレを打倒した力を行使出来る先生ならば、きっと大丈夫だと、少なくともこの時のアツコはそう判断していた。アツコの言葉にミサキは視線を切り、それからバシリカを見渡す。

 砕け落ち、散乱した硝子片。崩れ落ちた内壁に積み上がった瓦礫、何処もかしこもボロボロで、殆ど廃墟同然と云って良い。セイントプレデターを担ぎ直し、窓枠の向こう側に広がる夜空を見上げた彼女は呟いた。

 

「もうベアトリーチェは消えて、アリウス自治区を管理する者は誰も居なくなった、今なら多分、自治区を抜け出すのも難しくはない」

「……でも、これからどうしましょう? 何処に向かえば良いんでしょう……?」

 

 ミサキの言葉に、ヒヨリは漠然とした不安を抱えたまま問いかける。アツコを救出する事は叶った、けれどスクワッドの状況は何一つ変わってはいない。各自治区から睨まれたまま、向かう場所も、目的も判然としない。

 そんな状況で、生きて行かなければならない。

 

「……サッちゃん、大丈夫?」

「うん……まだ何も分からないけれど、それでも」

 

 アツコに肩を抱かれ、立ち上がったサオリは。

 手渡された腕章を握り締めたまま、静かに。

 

「私は……この世界で生きても良いんだって」

 

 けれど力強く、微笑みを零した。

 

「少しだけ、そう思う事が出来たよ」

 

 ■

 

「……っ、此処は――?」

「私の領域の一つです、まぁ普段は不要な物資を保管しておく倉庫の様なものですが、防音性や機密性には大変優れておりまして……ククッ」

 

 一瞬の暗転、そして再び開かれる視界。

 ベアトリーチェが黒服に肩を貸され移動した場所は、薄暗い地下空間と思われる場所であった。剥き出しのコンクリート壁に、所々に走る錆びたパイプ、それでいて僅かに鼻腔を擽る埃の匂い、それらに顔を顰めながらベアトリーチェは呟く。

 

「……治療には、随分と不適切な場所ですね」

「それはそうでしょう」

 

 その苦言に、黒服は同感だとばかりに頷いて見せた。彼の声色にはどこか、人を食った様な色があった。

 罅割れ、空間に揺らぐ白がベアトリーチェを捉える。ぞわりと、彼に触れる肌に悪寒が奔った。

 

「何せ、あなたを処理するための場所です」

「……何を――?」

 

 ――瞬間、鳴り響く銃声。

 

 乾いたそれは空間の中で良く響き、ベアトリーチェの胸元を何か、強烈な衝撃が襲った。思わず仰け反り、蹈鞴を踏むベアトリーチェ。黒服の腕が彼女から離れ、ベアトリーチェは呆然とした表情で赤の滲むドレスを見下ろす。

 

「な、ん――……?」

 

 何が起きた、撃たれた、自分が? 脳裏を過る様々な憶測、混乱、焦燥、それらを押し殺し今しがた自身を貫いた弾丸が飛んできた方向へと顔を向ける。自身の背後から伸びる影――そこに立つ、銀色の輪郭。

 その人影には酷く、見覚えがあった。

 

「……銀、狼――?」

「あぁ――ずっと、こうしてやりたかった」

 

 硝煙の立ち昇る拳銃、その銃口を向けながら彼女は能面の様な表情を浮かべ、吐き捨てた。

 

「あの日、お前の命を奪えなかった事を今日まで悔やみ続けていた、けれどもう逃がさない、力が削がれ、領域間の移動すら儘ならない状態になるのをずっと待っていたんだ――この瞬間の為だけに、ずっと息を潜めていたからな」

「……ま、さか」

「先生に加勢しなかったのも、全て全て、お前の命を確実に狩り取る為――あぁ、お前の顔を見るのも今日で最後だと思うと、何故だろうな……最高に胸が爽やかだよ」

 

 暗がりの中でも視認出来る、僅かな指の動き。銀狼の指先が引き金を絞り、マズルフラッシュが薄暗い周囲を照らした。

 一発、二発、三発、続けて放たれたソレが次々とベアトリーチェを貫き、まるで出来の悪い舞踏の様に、彼女は体を揺らしながら後退する。白く輝かしいドレスを身に纏っていた彼女はもう、何処にもいない。弾丸が着弾する毎に赤が飛び散り、その白を汚していく。何発目かも分からない弾丸が腹部を貫き、思わず背を曲げ膝を落とすベアトリーチェ。口から、堪え切れない血が零れた。

 

「ごふッ、く、黒、服……――!」

「申し訳ありません、ベアトリーチェ、こうでもしなければ内部よりゲマトリアを崩壊されかねないと判断しました、元より銀狼さんと私の立場は対等、これもまた契約の一つという訳です」

 

 咄嗟に視線を横に投げ、黒服に手を伸ばせば――彼は何て事の無い、いつも通りの気配を身に纏いながら肩を竦めて見せた。彼には元より助けるつもりなどない、そうであるならばそもそもこんな場所に彼女を連れて来る事もなかった。緩く首を振った彼は顎先を指で撫でつけ、告げる。

 

「それに残念ですが、貴女は少々彼女の顰蹙を買い過ぎた、以前も口にしましたが――」

 

 空洞、燃え盛る様な白と黒、ぐにゃりと黒服の罅割れた口元が歪む。

 

「どうか良き最期を、ベアトリーチェ」

「ぁ――……」

 

 その罅割れに見つめられた彼女は――漸く自身の末路を悟った。

 

「死ね、塵屑」

 

 銃声が鳴り響く、子どもと比較すれば余りにも致命的で、殺意の籠った弾丸がベアトリーチェの身体を蹂躙する。胸元、肩、腹部、足、首、兎に角苦しませ、穴だらけにしてやると云う意思が伝わって来るような撃ち方であった。全身を打ち据える衝撃、痛み、飛び散る赤。銀狼がトリガーを引く度にベアトリーチェの身体が弾け、一歩、また一歩と足は彼女の意思に反し後退する。何発もの弾丸をその身に受けたベアトリーチェは遂に立っている事すら儘ならず、その場に倒れ込んだ。どしゃりと、音を立てて仰向けに転がり、小さく咽ながら血を吐き出すベアトリーチェ。背中からじわりと赤が滲み出し、銀狼は蔑む様な瞳でそれを見下ろす。

 弾丸は確かに彼女の生命を蝕んでいた、所謂虫の息とも云える状態。権能もなく、秘めた神秘も、恐怖も吐き出し、変身する事すら儘ならなくなった彼女は此処で死を迎える。

 それは、確定した運命であった。

 

「……まだ息があるのか、相変わらず害虫の様にしぶといな」

「く、くくッ―……」

 

 空になった弾倉を地面に放り、新しい弾倉を装填する銀狼。手慣れた動作でスライドを引く彼女の視界に、死にかけの状態で笑みを浮かべるベアトリーチェが映る。仰向けに転がったまま胸を上下させ、血を吐く彼女はこんな状況にあって尚心底愉快だとばかりに嗤っていた。

 周囲に、彼女の粘ついた笑い声が木霊する。

 

「く、ふふ、ふはは……っ――」

「……気でも狂ったか、いや、お前は最初から狂っていたな」

「あ、ぁ、えぇ、ふふっ、ある意味……そうかも、しれません」

 

 銀狼はそれを、死を受け入れられない狂人の末路だと切り捨てた。或いは自棄になって笑う他ないか――取り合う必要も、真面に受け止める必要もない。しかしベアトリーチェの精神は至って平常であり、そしてそれは死に直面したが故の逃避でもない。彼女はこの状況に陥って尚、心底嗤えるだけの材料を持っていた。

 ベアトリーチェは自身から流れ落ちる赤に身を染めながら、その幾つもの瞳を銀狼に向ける。其処には隠しきれない、悦楽の色が見て取れた。

 

「ふふっ、ですが……残念、でしたね、銀狼」

「………」

「――私が賭けたのは(命を賭したのは)、此処から、です」

「……何?」

 

 ぴくりと、銀狼の眉が跳ねた。

 それは虚言でも何でもない。ベアトリーチェは、先生を打倒し世界を救う事を夢見た。その果てに大人の為の世界を創り出し、自身の存在を、その道程を証明する事こそが己の道だと信じていたのだ。

 しかし、そう在ろうとした彼女の思考には常に陰がちらついた。本当に彼の者を打倒する事は叶うのか、或いは彼女が語った朧げな未来の様に自身は敗北を喫するのではないか。運命には逆らえない、運命は変えられない、そう口にしながらアリウスに於いて誰よりもソレに縛られていたのは彼女自身であった。誰よりも運命を絶対的なものとしながら、誰よりもその運命を打破したいと願っていたのだから。

 

 ――故にこそ、彼女は一つの賭けに出た。

 

 仮に事を起こせば、彼の者の打倒が叶ったとしても自身の首を絞めるだけだと云うのに、それでも彼女は止まらなかった。それは殆ど私怨・逆恨みの領域と云って良い。しかし、何れ対峙しなければならないモノである事は変わりない。ならばきっと、遅いか早いかの違いでしかないと、そう云い聞かせて。

 そしてもし、自身が敗れたのであれば。

 

 ――変貌し、誰も見た事がない未来を前に足掻く彼の者を、世界の果てから眺めてやろうと思ったのだ。

 

「銀狼、ひとつ、良い事を……教えて、差し上げましょう」

 

 血に塗れ、震える指先をひとつ立てる。

 ベアトリーチェは自身に銃口を向けたまま、怪訝な顔を浮かべ続ける銀狼に向かって――心底悪辣な笑みを浮かべたまま、告げた。

 

「……既に【色彩】は、先生を捉えています」

「ッ……!」

 

 その一言は、銀狼の心胆を寒からしめるには十分な力を持っていた。思わず強張った表情でベアトリーチェに詰め寄り、その胸元を掴み上げる。しかし、その行為すらも愛おしいとばかりに歪む彼女は、両手を広げながら哄笑した。

 

「お前、まさかッ……!」

「ふふ、あはッ――アハハハハッ!」

 

 最早、止める事は出来ない。

 負けた、負けた、嗚呼負けたとも。

 ベアトリーチェは聖人に、宿敵に、彼の者に敗北を喫した。

 故にこれは彼女が最期に残した嫌がらせ、或いは破滅への片道切符に他ならない。どうせ此処で終わるのならば結構――精々世界(先生)を道連れにしてやろう。

 今度ばかりは先生であっても、容易く斬り抜ける事は出来まい。何せ相手は力の欠片を手にした偽物(わたし)などとは比較にならない。

 全てを呑み込む、不吉な光(敵対する運命)そのものだ。

 

「先生ッ、私の、生涯の敵対者よッ!」

 

 叫び、恍惚とした表情で天を仰ぐベアトリーチェ。その首元を全力で掴み、額に銃口を突きつける銀狼。彼女は殺意と憎悪を滾らせ、酷く歪んだ瞳をベアトリーチェへと向けていた。

 最後に目にしたその光景、自身にはお似合いの末路だと嘯きながら、彼女は最後に微笑みを浮かべ、告げた。

 

「――狂気の果てで、待っていますよ」

 

 銃声――閃光。

 

 最後に感じたのは頭部への衝撃、仰け反り、跳ねた視界が黒に染まる。そしてそれ以上何かを感じるだけの余地もなく。

 ベアトリーチェは――その意識を永遠に失った。

 

 音を立てて崩れ落ちるその四肢、赤に染まった骸。それに向かって尚も引き金を絞り続ける銀狼、ベアトリーチェの顔面に何発もの弾丸を撃ち込み、弾倉が空になっても引き金を絞る。何度でも、何度でも。

 軈て弾倉が空になった事に気付いた彼女は、その苛立ちをぶつける様に銃を地面へと投げ捨てた。軽い音を立てて転がっていく拳銃、それを一瞥もせずに銀狼に事切れたベアトリーチェを睥睨し続ける。

 

「ふーッ、ふーっ……!」

「ふむ――これで、席に空きが出来てしまいましたね」

 

 全ての顛末を見届けた黒服は、軽く腕を組みながらそう云った。そのどこまでも呑気、或いは楽観的な言葉に銀狼は彼を睨みつけ、声を荒げる。

 

「ッ、そんな呑気な事を云っている場合か!? コイツの云った事が本当なら、既に――ッ!」

「えぇ、由々しき事態となります、本来観測された未来より到来時期が早すぎる、現キヴォトスでは対処の準備も出来ていないでしょう、よもやこの様な暴挙に及ぶとは……」

 

 彼女、ベアトリーチェが為した事を考えれば正直、今すぐにでも対応に動かなければ拙い。いや、拙いなんて言葉では到底足りない程の致命的な行いだった。下手をせずともキヴォトスが滅ぶ、そうでなくとも今後世界がどの様に変化してしまうのか、予想する事すらも不可能。

 

【色彩】――ゲマトリアが想定する最大の敵、解釈されず、理解されず、疎通されず、ただ到来するだけの不吉な光、不可解な観念。

 世界に終焉を齎す災厄そのもの。

 

 彼女はあろうことか、その最大の脅威をキヴォトスに呼び寄せてしまった。

 そして残念ながら、それに対抗する完全なる手段を自分達は手にしていない。

 欠片であったとしも、その力を取り込んだベアトリーチェの力は驚異的であった。そのオリジナルともなれば、その影響力は計り知れないだろう。その事をゲマトリアは、良く知っている。

 

「アビドスの頃より、【その様に】動いていたのなら、恐らく襲撃は――」

 

 黒服は呟きながら自身の腕に目を落とす。巻き付いた腕時計、その針が示す数字をじっと見つめながら――淡々とした、しかし確固たる口調で彼は告げた。

 

「もう、間もなくでしょう」

 


 

 エデン条約のラストバトル、大変楽しみですわね。

 苦しみ悶え、のた打ち回るのは此処からですわよ先生。スクワッドのお話が終わったとしても、先生のお話はまだ終わりませんの。自身の罪悪と目に見える形で対峙する瞬間がやって来たのですわ。此処まで来るのにWordで二百十七万字――長かった、本ッ当に長かった……!

 最終編に続く為の前哨戦、愛する生徒の為に全部、今ある全部を此処で絞り出して下さいまし!

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