ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告ありがとうございますわ~!
あけましておめでとうございますの!
今年もどうぞよろしくお願いいたしますわ!


【先生】(A.R.O.N.A)『先生』(アロナ)

 

「――………」

 

 降り注ぐ柔らかな陽光の中、差し出された赤を見つめ先生は声を失う。彼女の差し出したそれには、様々な意図と想いが込められていた。それが彼には分かった、分かったのだ。

 だからこそ差し出されたその手を、先生は取る事が出来ずに居た。

 

「あぁ、ごめんね先生、突然の事で訳がわからないよね? えーっと、そうだ、うん、まずは話が長くなっちゃうと思うし――周りの五月蠅いの片付けちゃおっか」

 

 差し出していた手をゆっくりと引っ込め、何でもない事のように告げるミカ。彼女からすれば、先生が突然の事に困惑するのは当然の事であると考えている。故にまずは落ち着いて話せる環境が必要だろう、そう決めた彼女は軽い動作で踵を返すとユスティナ聖徒会の残党へと向き直る。

 気負いはなく、佇む体はどこまでも自然体。そして事もなげに駆け出した彼女は、明らかに精彩を欠いたユスティナ聖徒会のひとり、その頭部を殴りつけた。

 拳は簡単にガスマスクの表面を砕き、中程までめり込む。振り抜いた瞬間には既にユスティナ聖徒会の四肢は消滅し、風切り音と共に霧散した。

 

「よいしょっと」

 

 彼女にとって、繰り広げる戦闘は殆ど作業に等しい。

 時折放たれる銃弾、抵抗すらも赤子のそれに等しく、唯一気を付ける事と云えば先生に流れ弾が行かないように立ち回る程度のもの。そもそもユスティナ聖徒会の銃口はミカを捉える事も出来ず、大多数の彼女達は次の瞬間には掻き消え、肉薄するミカに対し右往左往する事しか出来ない。

 先生の目からすれば、ミカが掻き消える度にユスティナ聖徒会が消滅する。そんな曲芸染みた、或いは何か夢幻の様な光景だった。

 そうこうしている間にも一人、また一人とユスティナ聖徒会は消え去り、何十人と存在していた彼女達の部隊は一分足らずで壊滅してしまう。着地と同時に振り抜いた拳、その表面を撫でる様に流れる冷風を感じながらミカは呟く。

 今ので、最後のひとりだった。

 

「これで最後――うん、まぁ、こんなものかな?」

「………」

 

 僅かに詰めていた息を吐き出し、ミカはゆっくりと周囲を見渡す。何度も戦闘の行われた地下回廊は破壊跡が散見され、老朽化した回廊全体の雰囲気も併せて中々の惨状である。足元の捲り上がった床を軽く飛び跳ねる様に移動しながら、ユスティナ聖徒会が全員消滅した事を念入りに確かめ。

 それから彼女は笑顔を浮かべて先生の方へと顔を向けた。

 

「お待たせ、先生! えっと、まずは何から話そうか――」

「君は」

 

 弾んだ彼女の声に被せ、先生は慎重に口を開く。目を瞬かせたミカが言葉を止め、先生を見た。先生はゆっくりと、伏せていた瞳を上げて問いかける。

 表情には、僅かな翳りがあった。

 

「君は、聖園ミカだよね」

「――うん、私は聖園ミカだよ」

 

 問い掛けに、彼女は確りと頷いて見せる。言葉の裏に含まれる意図を理解した上で、彼女は頷いて見せたのだ。

 

「先生に何度も助けられた、先生に何度も迷惑をかけた、先生の良く知る聖園ミカだよ、それだけは間違いない――先生だって、それは分かっているんでしょう? 先生が生徒を間違える筈がないもん、それが前でも、現在(いま)でも」

「………」

「私は……そうだね、ただ少しだけ未来の事を――違う世界で起きた結末を知ってしまっただけだよ」

「未来の、結末――」

 

 その一言だけで、先生が彼女の実態を察するには十分であった。

 為された結果に対しどの様な手段を用いたのか、彼女がどの様な道を経てその結論に至ったのか――先生は知る術を持たない。しかし、察する事は出来る。

 その想いを汲み取る事は、出来る。

 あの、自分に向けられた瞳。自身の持つ切り札を翳し、切ろうとした瞬間にその腕を掴んだのは、聖園ミカ(目の前の彼女)ではない。あの瞬間自身を、余りにも物悲しい瞳で見つめた彼女は、今目の前に立つミカではなかったのだ。

 ならば、それは――もう一人の彼女に他ならない。

 

「……ミカ」

 

 胸元を握り締め、零れ落ちた言葉。大きく歪んだ口元から歯を強く噛み締める音がした。先生の呟いたその名が、自身を指す言葉ではないとミカは気付いていた。じくりと、胸の中で彼女の残滓がさざめく様な感覚。自分を通して、過去の彼女に想いを馳せるような。

 ミカは自身の腕を摩りそっと息を吐き出した。

 それは感傷だった。

 

「……未来の事を知ったというのは、つまり」

「うん、多分先生が考えている通りの事かな」

 

 先生から視線を逸らしたミカが胸元を握り締め、思い返す様に目を瞑る。流れ込んだ記憶は彼女の脳裏に刻まれ、忘れたくとも忘れられない。その鮮烈な体験は既に彼女自身のものとして蓄積され、昨日のように思い出す事が出来た。

 

「私の記憶の中にね、ちゃんとあるの……先生が、私の前で――」

 

 小さく息を呑み、意を決して、それを口にしようとした時。

 

「――聖園ミカ」

「ッ!?」

 

 それを遮る様に響き渡る声があった。

 しかし、それは先生のものではない。

 背後から何かが着地する様な、大きな靴音が響き、ミカは素早く振り向く。銃口を翳しながら人影と対峙した時――彼女の表情は大きく顰められた。

 視界の中に舞う銀色の髪、ミカの寒々しい声が回廊に響く。

 

「……誰、あなた?」

「まさか本当に、私以外に【超えて来る】生徒が居るなんて、ね」

 

 見覚えのない相手であった、スリットの入れられた大胆な黒いドレスを身に纏った女性――キヴォトスの生徒と比較すると、かなり大人びて見える。特徴的なのは頭部に見える大きな耳か、少なくとも彼女の記憶の中に該当する存在はなかった。ミカが警戒を強める中、先生はその目を見開き名を呟く。

 

「シロコ――」

「……先生」

 

 シロコと呼ばれた女性――銀狼の視線が柔らかさを帯びる。先生の口調から感じ取れるのは驚愕と疑念、彼女の口調から感じ取れるのは親愛と悲しみ。

 ぴくりと、ミカの眉が跳ねた。

 

「シロコ? シロコって、確かアビドス……だっけ? そこの――」

 

 先生の漏らした名前に反応するミカ。確か、シロコと呼ばれた生徒がとある辺境の学校、アビドス高等学校に存在した筈だった。その名前はミカの記憶の中に存在する。かなり辺鄙な場所に位置する学園で、自治区の大部分を砂漠に埋め尽くされた場所だとか何とか――先生が以前関わったという事で辛うじて記憶しているが、学園の詳細までは思い出せない。在校生は五名程度、かなりの弱小校であった筈。そこの生徒会代わりの組織、アビドス対策委員会の一員にシロコという生徒が所属していた。もしや、その生徒かとミカは目を細める。

 

「………」 

 

 だが、違う。

 彼女の記憶の中に根付いた直感が、目の前の銀髪は自身の知るシロコとは別人であると告げていた。

 普通の生徒、ではない。

 纏う空気が常のそれとは異なる、何方かと云えば彼女は――。

 

「……いいや、あなたは違うね、うん、そういう感じが全くしないもん、あなたからは――私と同じ匂いがする」

「――正解」

 

 ミカの言葉に、彼女、銀狼は吐き捨てる様に頷いた。

 同時にブレる右腕、無造作に垂らしていた銃口が瞬時にミカを捉え、何の感慨も躊躇いもなく引き金を絞る。乾いた銃声が回廊に鳴り響き、マズルフラッシュが視界に瞬いた。

 

「ッ――!?」

 

 唐突なそれに、先生は反応する事さえ出来なかった。驚きと共に肩を跳ねさせた時、弾丸は既にミカに迫っていたのだから。

 ミカは飛来した弾丸を辛うじて知覚し、素早く、しかし正確に右手を払った。鉄同士が擦れ合う甲高い音が鳴り響き、ミカの身体が微かに揺れる。放たれた弾丸はミカの右拳に弾かれ、火花を散らし傍の外壁へと突き刺さった。轟音を打ち鳴らし崩れる外壁。砕かれ、粉塵と共に音を立てて散らばる瓦礫が足元に転がる、それを横目にミカは僅かに赤らんだ右手、その甲を見下ろし告げた。

 

「わーお、随分いきなりだね、吃驚しちゃった」

「……この神秘の質量で、悠々と弾くか」

「うん、強いね、あなた、結構本気でそう思う、多分さっきまでの私だったらかなりキツイ戦いだったかも、いや多分負けていたかな?」

 

 今の一発でミカは確信した。

 彼女は普通の生徒ではない、少なくとも自分の知る一般的な生徒とはかけ離れている。込められた神秘濃度、弾丸の重さ、芯まで響く様な凄まじい威力。彼女の手にしているのは通常の突撃銃(アサルトライフル)である筈なのに、腕全体に受けた衝撃は対物ライフルの弾頭以上のものがあった。

 あのまま引き金を絞られ続けたら、一発位は直撃を許したかもしれない。そんな事を考えつつ、静かにミカは銀狼を見据える。

 

「それで此処には――そうだなぁ、私と同じって事は、『先生の奥の手』を切らせないように駆けつけたって所?」

「………」

「あーうん、成程、そっか、確かに同じだね、私と」

「……けれど、その場所でイレギュラーを見つけた」

「私の事? まぁイレギュラーと云えばイレギュラーだろうけれど、別に私は先生の意に沿わない事はしないし、あなたと積極的に争うつもりはないよ? あなたが先生を傷付ける、って云うのなら別だけれど」

 

 その言葉に嘘はない。それを証明するかのようにミカは手を広げると、謳う様な口調で以て告げた。

 

「私の目的は単純だよ! 先生が困難な道を行くなら、その困難を私が打ち砕く! どれだけの生徒が束になろうと、私が蹴散らせば問題なしっ! ゲマトリアだろうが、連邦生徒会だろうが、それ以外のすんごい何かだろうが、全部私が纏めてぶっ飛ばしてあげる!」

「………」

「先生は自分の目標を達成出来て幸せ! 私は先生と一緒に居られて幸せ! お姫様と王子様は二人仲良く、幸せに暮らしましたとさ、なんてハッピーエンドで物語は幕を降ろすの! ――ほら、完璧でしょ?」

 

 聖園ミカの目的は単純にして明快。

 先生の力になる事、先生の矛となり盾となる事。

 そしてその果てに、二人で幸せを掴む事。

 聖園ミカは先生の夢を、希望を、その在り方を否定しない。生徒の為に身を投げ出し、時にはどんな無茶でさえやってのける先生が好きだ。その在り方を、何よりも貴いものだと理解している。正直自分以外の生徒の為に四苦八苦する先生の姿を見るのは、複雑な想いもあるが――何せそういう人に心奪われてしまったのだ、そこは呑み込むしかないと既に吹っ切れている。まぁ時折、ぶり返すかもしれないけれど、そこは愛嬌というものだろう。

 

 しかし、それを続けた果てに摩耗する先生を見たくはない。彼のこれから先に待ち受ける多くの苦難、試練を知れば如何に茨の道であるかは明白である。

 だからこそ彼女は先生の前に立ち、あらゆる困難を、その苦難を、力で以て蹴散らし、切り開くと決めた。先生がその目的を達する為に尽力し、全てを為した果てで今度こそハッピーエンドを迎えるのだと。

 しかし彼女のそんな思想を聞き届けた銀狼は、嘲りと共に呟く。

 

「それの、どこが……」

「――先生が傷付く姿を見たくないから、力づくでも引き留める……そんな選択肢しか取れないあなたからすれば、そうかもね」

「―――」

「……あれ、もしかして図星だった?」

 

 ミカからすれば、何て事の無い軽口の一つとして放たれた言葉。

 けれどその一言に、銀狼の身体は分かり易く硬直した。ミカは露骨に態度を硬化させた銀狼を見つめながら、その瞳を瞬かせる。

 

「何か、そういう事しそうな雰囲気だなぁって思って適当に云ったんだけれど……ほら、あなた暗~い雰囲気出しているし、何となく湿っぽいし、まさか当たっちゃうなんて」

「……随分と、挑発的なモノ云いだ」

「あははっ、顔を合わせた直後に鉛玉を撃ち込んで来る人よりはマシでしょ」

 

 途端に二人の間に流れる淀んだ空気、まるで空間そのものが軋む様な重圧。ミカと銀狼、二人の手にした愛銃、その引き金に触れる指先が微かに震えるのが見えた。薄ら笑いを浮かべながら大袈裟な身振りを交えてミカは言葉を続ける。

 

「本当に先生を想うなら、全部投げ捨てても先生の味方をすれば良いんだよ、違う?」

「そうした結果がお前であり、私だろう……世界は想像よりもずっと、昏く、冷たかった」

「うん、そうだね、世界云々に関しては同意見かも、あなたの云う通り以前の私は結局、先生を守れなかったし……守れるだけの力がなかったから」

 

 先生が自分にそうしてくれたように、自分もまた先生がどんな選択肢を選ぼうと、どんな道を歩もうと、絶対に味方すると決めていた。だからその決定に、その道に後悔はない。

 ただ一つ、訪れた結末を除いて。

 力が足りないと思った事はなかった、けれどあの日、あの時、初めて力が欲しいと願った。

 そう願った時には、既に遅かったけれど。

 

「でも――次はもう失敗しない、その為に私はずっとずっと、待ち続けたんだから」

 

 告げ、浮かべた表情をより深いものとする。

 彼女は、再びこの場所へと立っている。嘗て手に出来なかった力を手に、今度こそ先生と共に在る未来を掴む為に。投げかけられた答えに、銀狼は視線を険しいものに変化させ吐き捨てる。

 

「自分なら今度こそ先生を守り切れると? シャーレを崩さず、先生を今のまま? ――それは驕りだ」

「自信と云って欲しいなぁ、それに最初から失敗する事を考えて動く人が何処にいるのさ? 私はやるよ、やって見せる」

 

 二人の視線が重なる。

 表情から色が抜け落ちていく。

 漂う空気が張り詰め、肌を刺すような緊張感が強まっていく。

 ミカの表情が嘲る様に歪み、銀狼が舌打ちを零した。

 

「――そんなあやふやな未来に、先生を連れて行こうとするな」

「――一回の敗北で随分負け犬根性が沁み込んだんだね、狼の癖に」

 

 それが最後の言葉だった。

 数秒、互いを睥睨し合う二人。

 強く握り締めた銃のグリップが軋み――そして、次の瞬間には銃口を突きつけ合っていた。

 どちらが先、という事はなかった。殆ど同時に、直感としか云い様がない感覚に突き動かされて動いていた。視界に鈍く光る銃口、向こう側に見える相手の瞳、それを真っ直ぐ捉えながら覚悟を決める。

 

「――待った!」

 

 だが、その引き金に掛かった指先が動く事はなかった。

 指先がトリガーを引き絞る前に、飛び出した人影があったのだ。二人の瞳がその人影を認めた瞬間、無意識に引き金から指が離れる。それは意志の介在しない、精神に刻まれた反射的な行動だった。

 二人の間に駆け込んだ影、先生は二人の翳した銃口の先に立ちながら、真剣な面持ちで告げる。

 

「私の前で、これ以上本気の殺し合いなんて、絶対にさせないよ」

「………」

「………」

「どんな状況でも、どんな過去があっても、君達は私の大切な生徒だ……だから、どうか銃を降ろして、二人共」

 

 先生のどこまでも真摯な声色に、二人の間に流れていた剣呑な気配が僅かに和らぐ。

 先に銃口を下げたのは銀狼であった。聖園ミカ本人に対して思う所は何もない、彼女がどうなろうと知った事ではないという考えは変わらない。しかし先生に万が一の事があっては後悔し切れない。そんな思いと共に緩慢な動作で腕を降ろせば、それに応じてミカもまた銃口を逸らす。

 暫くの間先生とミカ、交互に視線を寄越していた銀狼は力なく呟いた。

 

「……私の目的は、先生にカードを使用させない事、そして先生に平穏を齎す事、その為なら何を犠牲にしても構わない、私自身も、世界さえも」

「わっかんないなぁ、そんなに先生を想っているのに、どうして『そっち側』にいるの?」

「好きだから、何を犠牲にしても助けたいの」

 

 声には、彼女なりの祈りが込められていた。

 それは仲間達に託された想いであり、使命であり、願いである。誰かを想い、幸福を願う何て事の無い善意の発露だ。好きな人には幸福で居て欲しい、安寧と共に在って欲しい、それが難しいのならば――せめて生きていて欲しい。

 求めているのはそんな切実で、何て事の無い日常。常人に当たり前のように与えられ、大多数が享受している在り方だ。畢竟、先生の未来に居るのが自分でなくとも良いのだ。ただ先生が、先生だけが平穏であればそれで良い。それ以外は望まない、文字通り何も。

 

 ――それは、そんなにも難しい願いなのだろうか?

 

「誰だって、百パーセント幸せになれる未来があるなら、そっちを選ぶ……違う?」

「あなたの選ぶ道を行けば、先生は絶対に幸せになれるって?」

「――少なくとも、【先生だけ】は確実に」

 

 それが先生のものではない、自身の望む幸福観である事は理解していた。その後、世界がどうなるかは分からない。生徒がどうなるかは分からない。少なくとも大団円と呼ばれる様な幸福な結末を辿る事はないだろう。

 けれど、先生は助かる。

 先生だけは、生き残れる。

 銀狼の言葉を聞き届けながら、ミカは静かに目を伏せる。

 

「……先生が望むのは、生徒達の幸せだよ、少なくともあなたの云う未来は、先生にとって望むものじゃない」

「けれど生き残る事は出来る、これ以上苦しまずに、傷付かずに済む……私はもう、傷付きながら進む先生を見たくない、だからこれは私の我儘、私がそうしたいから、先生には生きて、何て事の無い日々を享受して貰う」

「……押しつけがましいね」

「私に教えてくれた人が、そうだったから」

「ふふっ……確かに」

 

 彼女と対峙して、初めてミカが破顔した。それは何ともミカらしい屈託のない笑みだった。銀狼は表情を僅かも変化させず、能面の様な顔でミカを見つめ続ける。

 

「うん、分かった、ごめんね、煽る様な事云っちゃって――あなたは、あなたなりの方法で先生を想っているって分かった」

「………」

「気が変わったらいつでもこっちに来てね、シロコちゃん」

「……そっちこそ」

 

 言葉を交わした二人の間から険が取れる。二人の間には絶対に埋まらない溝がある、それは互いの信念、或いは在り方の違いだ。それが埋まる事は――恐らくこれから先、永遠にないのだろう。そんな予感が二人の中に存在する。

 けれど、求める形は違えど二人の理想は似通っていた。導き出した答えは異なっていても、その道中は同じものであった筈なのだ。それ故に納得は出来ずとも理解は出来た。呑み込む事は出来ずとも、共感出来る道筋だ。

 導き出した答えに至るまでの道を知るが故に、互いの感情が手に取る様に分かった。

 

 銀狼は大きく息を吸って、肺を膨らませる。ミカは既に彼女を警戒していないが、銀狼は未だに警戒を解いていなかった。放たれる重圧は微塵も揺らがず、皮膚の下に張り巡らされた緊張はそのままだ。しかし、それは聖園ミカに向けられたものでは決してなかった。それを不思議そうに眺めるミカに対し、銀狼は努めて冷静に告げる。

 

「私が此処に来たのは、そもそも問答をする為じゃない、先生を助ける為に私は此処に来た」

「……? 此処に居たユスティナ聖徒会なら、纏めて全部私が――」

「――違う、そうじゃない」

 

 ミカの言葉に、銀狼はゆっくりと首を振る。ユスティナ聖徒会、確かに彼女達も問題ではあった。しかし如何に戒律の守護者と云えど所詮は複製に過ぎず、それらが先生をどうにか出来るとは考えていない。

 彼女が恐れているのは、先生に伝えようとしたのは、そんなちっぽけな危機などではない。

 銀狼の視線が、ゆっくりと目の前に立つ先生に向けられる。

 交差する瞳、微かに濡れたその向こう側に――先生は確かな後悔を見た。

 

「先生」

「……シロコ?」

 

 ぽつりと、先生の唇が彼女の名を呟く。銀狼は一瞬その瞳を揺らし、それから小さく、掠れた声で云った。

 

「……ごめんなさい」

「―――」

 

 それが何に対して告げられた謝罪なのか、先生がその意図を察するよりも早く。

 三人の居る地下回廊、その地上へと繋がる天井が崩れ落ちた。

 まるで大量の爆薬で吹き飛ばしたかのような、強烈な爆発。一瞬、先生は迫撃砲か何かが直ぐ傍に撃ち込まれたのだと錯覚した。

 しかしそれは爆発でも何でもなく、何かが天井を貫き地下回廊へと侵入した余波に過ぎなかった。凄まじい速度で落下してきたそれは地面を穿ち、この地下回廊へと到達した。

 

「……っ、先生!」

「………ッ!」

 

 ミカが先生を抱き締め飛来する瓦礫片から守り、銀狼もまた先生とミカの前に立ち身構える。立ち上る砂塵、肌を叩く砂利、足元を跳ね回る瓦礫片、銀狼が陽の光を反射するそれらを視界に捉えながら、微かに見える人影を睨みつける。落下して来たそれは地下回廊の床に大きなクレーターを残し、砂塵の向こう側で身動ぎした。

 

 それは人影と呼称するには聊か歪すぎる輪郭をしていた。

 

 視界を遮る砂塵の向こう側に見えるシルエットは禍々しくも悍ましい。少なくとも通常の背丈よりも大柄で、肩幅は常人のソレよりも何倍も大きく見える。まるで巨大な箱に頭部を括りつけたような、傍から見れば奇妙な体格。

 ミカに抱き締められたまま先生は細めた瞳で影を捉え、思わず声を漏らした。

 

「――まさか」

 

 声は戦慄と共に発せられる。

 所詮は砂塵越しの影に過ぎない、確信はなかった。

 しかし、この肌の粟立つ感覚、背筋に氷柱を突き込まれた様な悪寒。その感覚を言葉にするのは難しい、しかし変化は劇的で、確かなものだった。心臓が一際強い音を鳴らし、空気に突然棘が生えたかのような、ひとつ呼吸するにも酷く気を使い、肺と喉が痛む様な重圧が精神を削る。ただ其処に存在するだけで、或いはそれを目にしただけで世界を一変させるもの――それらに該当する存在を、先生はひとつしか知らない。

 振り返ったミカが先生を抱いたまま影を見据え表情をくしゃりと歪める、開いた口からは驚愕の滲んだ声が響いた。

 

「あれって、もしかして――」

「……そう、多分あなたが考えているもので合っている、私は元々アレの到来を知らせる為に来た」

 

 身体を奔る戦慄。それに対し、銀狼は淡々とした口調で答える。しかし、その額に滲む冷汗だけは隠す事が出来ない。

 本来であればソレの到来は、まだ先の出来事である筈だった。物事には順序がある、崩壊への段取り、或いは前兆と云い換えても良い。全てが終わる時、それらは何らかの形で周知されるべきなのだ。

 だが今回に限っては、そういったものを彼女は一つも捉えていない、少なくとも記憶の中にある物事としては、文字通り何ひとつ。ミカの腕に痛い程の力が籠り、その強張った腕を伝って彼女自身の緊張が伝わって来る。

 

「どうして、まだ到来する時期じゃないでしょ……!」

「ベアトリーチェが時期を早めた、最初からあの女はコレを狙っていたんだ――もう既にこの世界は、私達の知っている未来と大きく解離している」

 

 銀狼はその手に抱えた愛銃を油断なく構え、叫んだ。

 

「【色彩】が、この世界を見つけてしまった……!」

 

 その声は、回廊全体に響き渡った。

 恐らく、今しがた現れた人影の耳にも届いていた事だろう。

 呼応するように影が一歩を踏み出し、周囲を覆い隠していた砂塵がゆっくりと晴れていく。微かに見切れる巨大な陰影、まるで深淵そのものの様な気配を撒き散らしながら、武骨な鉄仮面が暗がりに鈍い光を放つ。

 靡く擦り切れたコートの中から、長く、薄汚れた包帯に包まれた指先が伸びた。

 

 ――その指先が、懐から取り出した青白い光に触れる。

 

 青の教室に佇む、小さな少女の指先と。

 包帯に包まれた傷だらけの大人の指先が。

 優しく、けれど確かに触れる光景を先生は幻視した。

 

 ■

 

 

【――我々は望む、ジェリコの嘆きを。】

【――我々は憶えている、七つの古則を。】

 

 

 ■

 

「ッ――聖園ミカッ! 合わせろ!」

「分かっている、よッ!」

 

 躊躇いはなかった、寧ろそれを表に出せば消滅するのは自身だと理解していた。

 故に初手から全力、ミカと銀狼が全く同じタイミングで銃口を突き出し、引き金を絞る。銃声と共に二つの銃口から弾丸は放たれ、それは宛ら流星の如き尾を引いて人影へと着弾した。

 直進する光は回廊を照らしながら互いに絡み合い、本来の威力を何倍にも跳ね上げ、神秘の爆発を巻き起こす。青と白覆われた炎、地下回廊を揺るがす程の爆発を前に腕で顔を覆いながら、炸裂した光の先を見据える。ミカは弾倉に詰められた残弾を意識し、顔を顰めながら叫ぶ。

 直撃だ、あの聖女バルバラでさえ今の一撃を前にすれば耐えられまい。そんな確信がある。

 

「これだけの一撃なら……!」

「……いいや」

 

 だが、ミカとは反対に銀狼の表情は晴れない。

 寧ろ、表情に滲む切迫感はより深みを増している。

 燃え盛る青の火、地面を舐めるそれを睨みつけながら銀狼は大きく表情を歪めた。

 

「攻撃の威力を全て、逸らされた……ッ!」

 

 その声に応える様に、爆炎の一切は唐突に消滅する。

 まるで最初から攻撃など存在しなかったかのように、ある一定の範囲内の神秘、炎、砂塵が掻き消えたのだ。

 その中から現れる人影――青白い光(防壁)に守られ、彼女達の全力攻撃に僅かな痛痒も感じさせない彼は、ゆっくりと俯いていた顔を上げる。

 陽光に照らされた金属が淡く輝き、その全貌が明らかとなる。

 

【―――】

 

 顔全体を覆う鉄の仮面、頭部に被った奇妙なベールと円環。身長は三メートルを超えるだろう、両肩に圧し掛かる装飾と赤の肩章が体全体に纏わりつき、冷たい鉄仮面をより一層不気味に彩っている。その巨躯を覆うのは薄汚れた白のローブ(外套)一枚。隙間から覗く肉体は濃い闇に覆われて目視出来ず、辛うじて視界に入るのは包帯に包まれた細長い左手のみだった。

 総じて不気味かつ奇妙な存在であり、『ソレ』を人と呼称して良いのか、それすらも定かではなかった。唯一分かるのはソレが悍ましい存在であるという事。放つ気配は薄暗く、黒々としていて、対峙しているだけで強い圧迫感を覚える。目の前の存在と比較すれば、ゲマトリアでさえ生易しく感じてしまう程の気配。

 

 そんな存在に文字通り全力の一撃を放ち、汚れ一つ付ける事が叶わなかった二人は目に見えて浮足立つ。尋常でない事は理解していた、しかし改めて対峙した瞬間、その存在が持つ反則的な力を前に気圧された。

 

「嘘でしょ、あれだけの威力を全部……?」

「何も不思議な事じゃない、何せアレは――」

「二人共……」

 

 先生がミカの腕を引き、静かに前へと踏み出す。銀狼とミカを後方に下がらせ、最前線へと立った先生は大きく息を吐き出した。心臓の鼓動が五月蠅い、身体全体が強張る、こんなにも早く対峙する事になるとは思わなかった。

 しかし、現実問題として【彼】は此処に到達した。

 この世界に――この未来に、至ってしまった。

 ならば、躊躇っている余裕はなかった。先生は右手にシッテムの箱を掴み、嘗てない程の覚悟と共に告げる。

 

「どうか、下がって――!」

 

 この存在と対峙するのは、自分でなくてはならない。

 

『――所有者の生体認証、完了』

「……!」

 

 先生の耳に届く、特徴的な声。それは先生と『彼』にのみ届く声だ。聞き慣れている筈だと云うのに、今となっては僅かな違和感さえ覚えてしまう。

 同時に先生にとって、その声は――酷く懐かしいモノでもあった。

 何度もその声に何度も助けられた、共に死線を潜った唯一無二の存在。その彼女が今、再び自分の前に顕れた。

 嘗ては苦楽を共にした相棒(パートナー)として。

 そして今は、最大最悪の宿敵(支援システム)として。

 

「……そうか、やはり」

 

 唇を噛み締め、呟く。握り締めたシッテムの箱、画面の中に佇む彼女が身震いするのが分かった。アロナの動揺が、或いはその悲壮な決意が手に取る様に分かる。彼女は先生の心を案じていた、それが分かったからこそ彼は大丈夫と口ずさもうとした。けれど口から漏れる声は力ない吐息ばかりで、上手く舌が回らない。漏れ出る色は驚愕でも、戦慄でもない。

 それは通じ合っていたが故の苦しみ――悲嘆である。

 

『シッテムの箱、並びにメインOS【A.R.O.N.A】(アロナ)の起動――完了』

 

 ゆらりと、視界に走るノイズ。ナラム・シンの玉座ではないこの場所で、その姿を見る事は叶わない。しかし、共に過ごした長い時間が彼女の姿を無意識の内に浮かび上がらせる。

 鉄仮面の巨躯、その直ぐ隣に寄り添う様にして立つ黒と白の少女。

 黒い制服を身に纏い、黒傘を両手に抱えた彼女はとある少女と酷似した――否、全く同じ顔立ちで自身の前に佇む。靡く白髪とリボンが照らす陽光を淡く反射し、伏せられた彼女の瞳が、ゆっくりと正面に立つ先生を射貫いた。

 

『現在命令待機中』

【―――】

『全ては貴方の望むままに』

 

 罅割れ、薄汚れ、弾痕の刻まれた壊れかけのタブレット(シッテムの箱)を抱えた存在(大人)

 その傍らに佇み、寄り添い、献身的に支える小柄な少女(A.R.O.N.A)

 

 その姿が、その在り方が、先生の記憶を、感情を刺激する。

 口元から吐き出された息が微かに震える。

 無意識の内に先生はシッテムの箱を強く掴んでいた。

 

 条件は同等――それは彼も、自身も。

 地下回廊に差し込んでいた陽光、東の空が濃い灰色に覆われていく。風に吹かれた雲が太陽を遮り、地下回廊は一瞬にして薄暗い闇の中へと戻った。彼へと寄り添うA.R.O.N.Aはその長く白い髪を揺らし、薄汚れた彼の外套を指先で摘まむ。

 そして、鉄仮面で覆われた顔を見上げながら。

 全く変化のない能面の様な、けれど強い感情(想い)の込められた声で――彼女は怪物(鉄仮面)に向け、告げた。

 

『始めましょう――先生』

 

 大人として(大人の責任)――子供を守り(先生の義務を)生徒を守る為に(果たす為に)

 


 

 調印式爆破の時から書いていた不吉な光が漸く着弾しましたわ~!

 ご安心くださいまし、まだ最終編には突入致しませんの。これは云わば強制ラスボス戦闘イベント……最終編前のジャブみたいなものですの! 章の最初に書き綴ったように先生には此処で徹底的に苦しんで貰いますわよ。己の罪悪に向き合うのはサオリだけではなくってよ。

 ミカが覚醒した事でユスティナ聖徒会に使う分の代償が浮いたのですから、ちゃんと全力で先生には足掻いて貰わないと!

 うぅ、カードを使わせない為に駆け付けたのに先生が大人のカード目の前でバンバン使って命を刻一刻と削るとこみてて……。

 

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