ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ!
あと三十分遅れて申し訳ありませんわ!
物凄い今更ですが独自設定に御注意くださいませ! 


紡がれた一筋の希望

 

「――いいえ、先生、あなたはこの様な場所で斃れる(終わる)べき人ではない」

 

 ぶつかり合う青と黒、軋む空間に響く低い声。その主は異形――プレナパテスの真後ろに黒々しい歪と共に現れる。見慣れた黒いスーツ姿の彼は軽い音を立てて地面に立つと、白く罅割れた揺らめき越しに先生を見ていた。

 先生は本来この場所に現れる筈のない彼を視界に捉え、思わず驚愕に目を見開く。

 

「黒、服――ッ!?」

「ククッ、どうやら本当に間際であった様子ですね、どうか掲げたそれ(カード)は仕舞っておいて頂きたい……()の対処は我々にお任せを」

 

 先生の掲げたカードを見つめながら、黒服はくつくつと喉奥を鳴らす。そして徐に手を鳴らすと、それが合図であったかのように空間が歪み、プレナパテスを囲う様に黒く湾曲した歪が生まれる。そこから現れるマエストロ、デカルコマニーと額縁に収められたゴルコンダ。

 

「あいつらは……!」

「まさか――」

 

 ミカが呟き、銀狼は驚愕と共に黒服を見つめる。しかし、その瞳には警戒と疑念の色が濃く反映されていた。唐突な横やり、何故彼奴らが此処に――そんな強い疑りの感情が浮かび上がる。そんな彼女達を一瞥もする事無く、ゲマトリアの面々はプレナパテスに視線を向ける。

 

「よもや、こうも早く接触する事になろうとは……色彩の意志を代弁し、計画を遂行する実行者、色彩の嚮導者(プレナパテス)、初手で私達の領域に侵入されなかった事が功を奏しましたね、お陰様で用意が間に合いました――ゴルコンダ、マエストロ」

「えぇ――」

「ふむ――」

 

 黒服の言葉に頷きながら、ゲマトリア全員がプレナパテスに注意を払う。興味深そうに眺める彼らからは、各々の解釈が見て取れた。

 

「これが件の存在、何とも歪で、しかし確かな美しさを感じる、退廃的で不完全、内に秘めたる信念と決意、だが……ともあれ、このような形で相まみえるとは大変残念だ」

「異なる観念、多次元、色彩と同じ疎通しないそれらを解釈する事は叶いませんが、何とも興味深い、しかし今はまだ時ではありません――」

 

 総じて彼らが抱く感情は興味、畏怖、好奇心、しかし今はそれらを示す場ではない。ゴルコンダは手にした杖をゆっくりと持ち上げ、告げる。

 

「相応しき時まで、今しばし目を覆わせて頂きましょう」

 

 カツン、と。

 振り下ろした杖の先端が地面を叩いた。途端現れるのは赤黒い光、それらはゲマトリアを外縁の縁として、円形に広がりを見せる。光は一種の垂れ幕のようにも見えた、まるで外界と彼を隔てるようなベール、プレナパテスの真上に出現したそれは一帯に広がり、影諸共彼を拘束する。がくんと、プレナパテスの肉体が沈み込む。赤く染まった足元、影すら呑み込むそれにプレナパテスの鉄仮面が揺れ動いた。

 

『……空間内部に異常を探知、対抗手段を検索』

【―――】

「絶対的な力を持つ存在に対抗する為に用意した特別な一品です、あらゆる契約、誓約、制限さえこの聖遺物の前には無意味、ましてや先生――運命を捻じ曲げる、奇跡の体現者であるアナタにとって、これは天敵でしょう」

「そういうこった!」

 

 何やら対抗措置を施そうとする彼を前に、ゴルコンダと彼を抱えるデカルコマニーは再び杖を打ち鳴らす。すると空間が再度歪み、そこに一つの黒い箱(ブラックボックス)が出現した。漆黒に塗れたそれは傍から見ると奇妙な四角形にしか見えない。しかし、それが放つ気配は余りにも禍々しく、視界に収めた先生が息も絶え絶えに呟いた。

 

「ゴルコンダ、まさか、あなたは――」

「えぇ、御察しの通りですよ、先生」

 

 首のない紳士、黒い靄を纏った彼は先生の問い掛けに深く頷いて見せる。

 

「この聖遺物は、私の作品です」

 

 声には、僅かな誇らしさが含まれていた様に思う。或いは、それは単なる高揚感であったのか。指先で杖を回転させ、らしくも無く声を裏返らせる彼は続ける。

 

「尤も、もう一度同じ代物を創れと云われても二度と創造する事は叶わないでしょう――そういう【契約】ですから」

「………」

「我々に色彩への抵抗手段が無いと思っていましたか? いいえ、ベアトリーチェが動き始めた時より準備しておりましたとも、神秘は解析が出来ないからこそ神秘足り得ますが、あなたはそうではない、現存する矛盾を核として聖遺物に纏わせ記号とする、内包されるテクストの解釈には随分と手間取りました、しかしこれもまた『一つの世界』……奇跡を謳う救世主、それを守護する盾を穿つだけの効力はあります」

「そういうこった!」

「唯一残念に思う点があるとすれば――これを槍として生み出す事が出来なかった点でしょうか?」

 

 興奮した様に、高揚した声を隠す事無く続ける彼は額縁を抱えたまま、その杖で二度、三度床を打つ。顔の代わりに揺らめく靄はプレナパテスを捉え、彼はその手を広げ告げた。

 

「しかし、確信しております――これは今現在の私が残せる、最高傑作です」

【―――】

『……指示を確認、防壁展開』

 

 プレナパテスが虚空に浮かぶ黒い箱(ブラックボックス)を見上げ、A.R.O.N.Aに指示を送る。シッテムの箱を持ったプレナパテスを中心に青白い光が生まれ、彼の巨躯を覆う様に防壁が展開された。それはあらゆる悪意、害意、攻撃から身を守る絶対の盾。ミカや銀狼の全力射撃すら完全に遮断して見せたそれが、プレナパテスとゲマトリアを隔てる。

 

「ククッ、それは無謀ですよ」

『――!』

 

 しかし、それを見ても尚黒服の余裕が崩れる事は無かった。黒い箱(ブラックボックス)は黒服の合図と共に炸裂し、空間を呑み込む様な禍々しい渦を形成する。出現したソレはまるで防壁など意に介さずプレナパテスの身体を引き摺り込もうと蠢いていた。シッテムの箱よりA.R.O.N.Aが驚愕する気配が感じ取れる。

 

『対象より強いエネルギー反応、先生、回避を――』

【―――】

 

 咄嗟にA.R.O.N.Aが先生に向けて声を上げる。しかし、それに反応するよりも早く、黒々しく渦巻く闇より一筋の光が撃ち出された。それは今なお黒に引き摺り込まれようとしているプレナパテスに向けられ、身動き一つ許す事無くその肩に深々と突き刺さる。彼の身体が大きく揺らぎ、踏ん張りの効かなくなった身体は渦の中へと巻き込まれる。まるで猛獣に楔を打ち込み、檻へと引き摺り込む様に。

 

「先生にとって天敵となる聖遺物、それは即ち、同じ存在である貴方にも適用される、世界の原則(ルール)です」

『……状況分析、対象の無力化試行、失敗、接続状況維持、多次元解釈の適応、失敗、対象の発動阻止は現段階では不可能――()()からの指示、未達成』

 

 黒々しい渦に取り込まれたプレナパテスは、シッテムの箱を胸に抱いたまま徐々に掻き消えていく。軈て虚空に穿たれた黒点のように見えたそれは縮小し、最初から何もなかったかのように消失した。同時にプレナパテスの召喚した生徒達も薄れ、空の中に溶けて消える。その様子をミカや銀狼は呆然とした表情で見ているしかなかった。

 

「――き、えた?」

「……正に間一髪、という所でしたね」

 

 黒服が大きく息を吐き出し、自身のネクタイを僅かに緩める。数秒、強張った表情のまま硬直する先生。しかしプレナパテスの気配が微塵も感じられなくなった事を確かめ、掲げた腕をゆっくりと降ろす。指先に宿っていた光は静かにその力を失い、象られていた生徒達の輪郭が霧散した。途端地下回廊は暗闇に覆われ、青白い光は先生の中へと還る。

 その動作を目にしていた銀狼は、弾んだ息をそのままに黒服へと詰め寄った。

 

「お前……ッ!」

「おっと銀狼さん、お怒りは尤もですが現に阻止には成功しました、綱渡りであった事は認めますが、どうか穏便に」

 

 両手を軽く挙げながら告げる彼の態度は、常よりも友好的であったと思う。銀狼は彼の言葉に一瞬息を詰まらせ、僅かな苛立ちを滲ませたまま彼に問い掛ける。

 

「一体、何をした……?」

「以前お話したかは分かりませんが――色彩にとって、このキヴォトスは砂漠の中にある一粒の砂の様なもの、彼の者はその一粒を見つけ出し……いえ、正確に云うのであればマダムの策謀によって位置の特定を許しました」

「しかし、彼女が裏で動いていた様に、我々ゲマトリアも秘密裏に準備していたのです――色彩を一時的にではありますが、退ける為の代物を」

 

 黒服の言葉を継ぎ、頷いて見せるゴルコンダ。あの黒い箱(ブラックボックス)は先程彼自身が口にしたようにゴルコンダの作品である、正確に云えば黒服とマエストロの協力を得た上で何とか実用に漕ぎ付けた合作とも云える代物であったが、それでも聖遺物という一つの形を取れたのは彼の助力が大きい。

 

「とは云っても本来であれば完成はもっと後になる筈でした、これは一時凌ぎにすぎません、件の存在は何れこのキヴォトスを再び見つけ出すでしょう、一度見つかってしまった以上、凡その場所の見当は付いている筈です」

「えぇ、云わば砂漠の中から一粒の砂を見つける行為が、箱庭に詰められた砂場より一粒を見つける程度には容易くなってしまった――面倒である事に変わりはありませんが、不可能ではない」

「そう云うこった!」

 

 無限に等しい世界の中で、このキヴォトスを見つけ出す事は困難を極める。それこそ砂漠で一粒の砂を見つける事と同義と語られる程度には。だが内側より手引きする者が居ればその限りではない。本来であれば万全の準備を期して迎え撃つ予定であった【色彩】、それが予定よりもずっと早く到来してしまった。

 彼らの全力を以てしても可能だったのは精々が時間稼ぎ。今しがた件の存在――色彩の嚮導者(プレナパテス)はキヴォトスを追放され、外の世界へと送り届けられた。アレは決して攻撃的な聖遺物ではない、何せ本来であれば『あるべき者を、あるべき場所へ還す聖遺物』であった筈なのだ。故に未完成、故に不完全な代物。しかし、その模倣を為しただけでもゴルコンダにとっては途轍もない意味を持つ。

 ともあれ、再び彼がこの世界を見つけ出す前に、対策を講じる必要がある。マエストロは全身を軋ませ、腕を組みながら苦渋に満ちた声を漏らす。

 

「具体的な時刻は分かりかねるが、そう遠くない未来、あの者は再び到来するであろう……半年後か、或いは二、三ヶ月後か、流石に数週間、数日という事は無いだろうがな」

「それまでに我々も新たな対策を立てねばなりません、残念ながらこの手が使えるのは今回限り、何せ元々は色彩の力を手にしたマダムに対する手段として用いる予定でしたから、色彩そのものに対しては効力を持ちません――彼女を云々するだけならばもっと簡単に、それこそ分かり易い爆弾で処理する事も出来たのですが」

「一度きりの時間稼ぎ、という事です」

「そう云うこった!」

 

 勢い良く声を張るデカルコマニー、その声が周辺に響き渡る。

 ふと、黒服は自分達の言葉に耳を傾けていた先生の異変に気付いた。顔色が良くない、いや、それは元々であったが先程よりも見るからに悪化している。最早青を通り越して白く見える。そして黒服の観察眼が正しかった事を証明する様に、先生は唐突に膝を折った。

 

「ぐッ、ごふっ――」

「せ、先生っ!?」

 

 地面に膝を突き、吐血する先生。胃が裏返り、胃液と血が混じった吐しゃ物が足共に撒き散らされる。ミカが先生の名を呼び、慌てて肩を抱き寄せる。黒服は彼の状態を冷静に観察したまま、静かに声を漏らした。

 

「これは――」

 

 ――先程の召喚で、肉体にダメージが入ったか。

 

 先生の用いる大人のカード、それに必要な代償、それを黒服は正確に把握している訳ではない。召喚を途中で取りやめたとしても何らかの代価が発生するのか――いいや、それだけではない。恐らく彼の身体を蝕んだのは顕現した(生徒)に接触した部分だ。見れば先生の皮膚は彼方此方が黒ずみ、罅割れている様にも見える。それは自身の肌に近く、凡そ人間の発する色調ではない。辛うじて崩壊は始まっていない、これはその前段階と云った所。つまり余波程度のものだ。

 

「先生! 先生っ、確りして!」

「だ、いじょうぶ……」

 

 肩を抱き、必死に語りかけるミカに先生は辛うじて返事をする。引き攣った口元で笑みを浮かべようとするが上手くいかない。既に先生の肉体は動ける限界を超えている、それを騙し騙し酷使し、何度も無理を押して此処まで辿り着いた。

 だがもう絞り出す力、その欠片すら残っていない。震える指先、ぎこちなく動くそれで口元を拭い先生は呟く。

 

「少し、休めば――」

「かなり消耗しているでしょう、ご無理をなさらず」

「ッ……!」

 

 そんな先生の元へと歩み寄る黒服、ミカが殺気立ち鋭い視線を寄越す中、彼は堂々とした態度で先生の前に屈んだ。先生は深い隈の刻まれた瞳で黒服を捉えながら、ゆっくりと懐に手を差し込む。

 

「ぅ……」

「それは――」

 

 先生が取り出したのは一本の注射器、彼が最後に取っておいた強心剤である。先生は手に取ったそれを眺めると、震える手でキャップを外し、自身の首元に躊躇いなく打ち込んだ。空気が抜けるような音と共に内容物が目減りし、震える先生の手から空になった注射器が零れ落ちる。軽い音を立てて転がったそれ、先生は苦悶の表情を浮かべながら荒い呼吸を繰り返す。

 強い効果は感じられなかった。比較的即効性の代物とは云え、即座に効果が発揮されないのは承知の上だ。しかし、そうだとしても足や腕に全く力が入らない。短い間隔で投与し過ぎたのか、先生は熱を持つ体とは反対に力の入らない肉体を見下ろし思考する。

 

「ッ、は、はっ、かは……ッ!」

「せ、先生……」

「少しばかり忠告をと、そう思ったのですが……貴方はもう其処まで」

 

 その時の黒服は、何と表現すれば良いか。痛ましいものを見るような、或いは強い懸念を示す様な表情をしていた。黒と白い罅割れた揺らめきに、そんなものがあるかどうかも分からないが、少なくとも先生はそう感じた。空になった注射器、それを拾い上げた黒服は指先でラベルをなぞりながら告げる。

 

「――良い機会です、先生、私は貴方に幾つか伺いたい事がある」

 

 それとなく空の注射器を胸ポケットに仕舞い込んだ彼は、続いて先生の指先に注視した。煤け、焼け焦げ、血を啜った穴の開いたハーフグローブ、そこから覗く黒ずんだ指先に彼は小さく嘆息する。

 既に件の代償は彼の身体を蝕んでいる、そう確信する。

 

「銀狼さんの語った未来の内容、これから先起こるであろうキヴォトス最大の事件――或いは、この世界では異なる道を辿るかもしれませんが」

 

 一度そこで言葉を切った黒服は、小さく、しかしハッキリとした声色で告げた。

 

「その本質は、先生――あなたの聖骸(死体)の争奪戦にある」

 

 その言葉に、ゆっくりと先生は俯いていた顔を上げた。深い隈の刻まれた表情、喪われた右目も相まって、今の先生の姿は死人のようにも見えた。必死に呼吸を整える先生を真っ直ぐ見据え、黒服は言葉を続ける。

 

「恐らく以前の世界に於いて先生、あなたは私達ゲマトリア、そしてセフィロト、クリフォトの排除に成功したのでしょう、いえ――或いは、連邦生徒会長の手によるものかもしれません、あなたは……生命を奪うという行為に対し、非常に強い忌避感を持っている」

「――……」

「ですが、連邦生徒会長はそうではなかった、キヴォトスという揺り篭を守るために、直接的な手段を取った可能性が高い」

 

 それが――世界の崩壊に繋がるなど、予想も出来なかった筈だ。

 

永遠の虹(虹の契約)――先生、あなたが求める物はそれだ、あなた自身を代価として捧げ、あなたはそれを為そうとしたのだ……失敗した、連邦生徒会長の代わりとして」

 

 黒服の白い揺らめき、炎に似たそれが先生を射貫く、視線には憂いの色があった。

 或いは、先生にその様な意図などなかったのかもしれない。結果的に彼の行いは大多数の者にとってそう映っただけで、彼自身は自分の役割を果たしただけだと、そう何の臆面もなく云い切るのかもしれない。だが結果的にその行動が実を結ぶ事はなかった。世界は彼が願う程、優しくはなかったのだ。

 それは銀狼やミカを見れば分かる。

 彼女達がこの場にこうして立っている、それが答えだ。

 

「キヴォトスの安寧、平穏の為に身を投げ捨てる、救世の器である、その魂すらも捧げて……何と無垢な在り方か、全く以て、私には真似出来そうにありません――あなたは最後まで、生徒(子ども)達に殉じたのだ」

「――それは、違う」

 

 黒服の言葉に、先生はハッキリと答えた。疲労と苦痛に塗れながら、しかし僅かな弱さも感じさせない口調であった。先生の揺れ動いていた視線が、ぴたりと黒服に定まる。弾む息を呑み込み、先生は口を開いた。

 生徒に殉じる。

 これはそんな重々しく、高尚なものなどでは決してない。少なくとも、先生()にとっては。

 

「私は、ただ信じている、だけなんだ」

「………」

「彼女達を――私の、生徒達(子ども達)を」

 

 持ちあがった瞳、其処に込められた強い光。自身を照らすそれに黒服は一瞬言葉を詰まらせる。

 疑念があった。強い、疑念が。

 

「……この質問の意図を、貴方は理解している筈です」

「……このエデン条約は、七つの嘆き、その【五番目】」

「えぇ、その通りです、少なくとも私はそう解釈致しました、本来であれば今しばし時間的猶予があった筈ですがベアトリーチェの介入によって予想図は大きく変化してしまった、そして恐らく――彼の存在(プレナパテス)が【六番目】となる」

 

 黒服は指先で自身の顔を撫でつけ、呟く。既に未来は未知数となった、つい先程到来した(プレナパテス)の存在が良い証拠だ。或いはこの解釈すら誤ったものである可能性がある。神秘は、神秘であるが故に解釈の余地が残る。

 世界もまた然り。

 

「七つの嘆き、その最後に当たる七番目、それこそが――」

「………」

 

 背後から感じる強い視線。その単語を出すなという強い意志(銀狼の双眸)、殺意すら籠ったそれに黒服は口を噤む。小さく俯いた彼は息を吐き出し、云った。

 

あなたの居ない(目に見える希望が喪われた)世界で、揺り籠の中に在る生徒達(子ども達)は苦難を乗り越えられるか否か、私はただ、それを――……」

「――乗り越えるとも」

 

 声は即座に返された。

 はっと、黒服が顔を上げれば視界に入る先生の表情。血の気の失せた顔で、疲労の刻まれた表情で、けれど先生は破顔していた。屈託のない、憂い一つ感じさせない笑みだった。其処には強い、混じりけの無い信頼があった。

 血の滲んだ唇を動かし、彼は断言する。

 

「私の、自慢の生徒達だ」

「……――」

 

 信念。

 自身が触れるのも烏滸がましいと感じてしまう程の、完成された精神。誰かを、何かを、僅かな疑念も抱かずに信じられる事の貴さ。それを前に黒服は自身の顔を静かに撫でつけ、力なく呟いた。

 

「聊か……私には眩し過ぎますね」

 

 彼らの関係か、或いはそう思えるほどの熱情か。頭で分かっていたとしても、こうも臆面もなく告げられてしまえば感嘆の息も漏れるというもの。それは黒服自身理解出来ない感情であった、しかし理解出来ない事と受け入れられない事は違う。苦笑とも、歓喜の笑みとも取れるそれを零した彼は静かに立ち上がる。

 

「一先ず、此処は退散するとしましょう――我々もアレに対抗する為の手段が必要だ」

「……そうだな、時間は余り残されていない、今からでも動くべきであろう」

「えぇ」

 

 マエストロの言葉に頷き、黒服は踵を返す。

 

「銀狼さん、一度戻りましょう、そろそろ彼女達が来る時間です」

「……あぁ」

 

 彼女達が誰を指すのか、銀狼は何となく察していた。先生と寄り添うミカに視線を向け、それから黒服の元へと足を進める。そしてそれとなく彼の肩に顔を寄せると、小さな声で呟いた。

 

「……悪かった」

「――?」

「あのままだと、きっと先生を守り切る事は出来なかったから、だから……助かった」

 

 視線を寄越さず、俯いたまま呟かれる言葉。それに黒服は少しだけ驚いた様に肩を震わせ、それからいつも通り不敵な笑みを零した。

 

「ククッ、私達としても先生とは良い関係を築いておきたいですからね――礼には及びません」

「……ふん」

 

 それが純然たる善意ではない事は理解している。利害が衝突しない限り彼らは良き隣人にも唾棄すべき悪人にもなる。今回はそれが、偶然良い方向へと働いただけだ。大いなる責任――あぁ、それを耳にしたのはいつの事だったか。しかし今の自分は、それを語る資格を持たない。銀狼は拳を強く握り締め、そう強く思う。

 

「聖園ミカ」

「……何」

「今の戦闘で分かった、私も、お前も――」

 

 ミカに水を向けた銀狼は、俯いたまま静かに唇を噛み締める。薄暗く、影に覆われた表情に浮かぶのは――屈辱と無念。

 

「まだ、弱い」

 

 声には底知れぬ、様々な想いが籠っていた様に思う。ミカはその言葉に応える事無く、ただ静かに顔を顰めた。それに反駁する術を、彼女もまた持っていなかったのだ。

 黒服は手を振り払い、先生へと向けて静かに頭を下げる。

 

「それでは、然るべき時にまたお会いしましょう――先生」

「また逢おう先生、次は私の全てを賭した、最高の作品と共に」

「どうかお気をつけて、この先は私達をしても全くの未知、危険は避けられぬでしょう」

「そういうこった!」

「……またね、先生」

 

 その言葉と共に、ゲマトリア一行の姿が暗闇に呑み込まれる。彼らの領域へと帰ったのだろう、黒点は即座に収縮し、黒が晴れた時そこには誰も残っていなかった。地下回廊に再び静寂が訪れる。

 

「ふぅー……」

「先生、身体は……?」

 

 彼らが去ると、先生は大きく息を吐き出した。安堵か、単に緊張が緩んだだけか、どちらにせよそれに近い感情だろう。ミカは先生の身体を抱き寄せたままそっと問いかける。先生は寄り添う彼女に顔を向けると、小さく微笑みながら頷いた。

 

「大丈夫、気分はそれなりに良くなったよ、ただ――」

 

 先生の視線が、投げ出された両足に落ちる。血と泥と、硝煙に塗れた制服、その中にある二本の足はピクリとも動かない。

 

「足は、駄目かな……」

「………」

 

 疲労か、無理が祟ったのか――両足の感覚がなかった。

 力を籠めると細かに震えるそれは立ち上がる事さえ出来ず、これは這って動く他ないかと先生は内心で苦笑した。そんな先生を見下ろすミカは分かり易く表情に影を落とし、先生の肩に顔を埋める。先生から血と汗の匂いに混じって、甘い匂いがした。

 

「……ミカ?」

「先生、私やっぱり……駄目な生徒だね」

 

 涙の滲んだ声で、ミカは言葉を絞り出す。

 

「先生を守るって決めて大見得を切ったのに、あんな……消耗していたからとか、弾が無かったからとか、そんなの云い訳にもならない、私が先生を守れなきゃ、そうじゃなきゃ、私は一体、何の為に――」

「そんな事は無いよ」

 

 深い後悔を露にするミカを前に、先生は彼女の手を取る。両足はどうにもならないが、腕を少し動かす程度は何とかなる。傷と砂利に塗れ、青痣に塗れたミカの掌。それを自身の指先で包み込み、先生は屈託なく笑う。

 

「少なくとも私は、まだ生きている、生きてミカと話しが出来る、こうやって触れる事も出来る、それは――とても大事な事なんだ」

「……先生」

 

 あの影を見たからこそ、言葉には重い響きが伴う。触れる事が出来る、言葉を交わす事が出来る、それがどれだけ嬉しい事かミカは良く理解している。内に秘めた彼女の記憶として、良く理解している。

 ミカは滲んだ涙を乱雑に拭って鼻を啜る。そうだ、今は泣いている時ではない。この場所だってまだ安全とは程遠いのだ、泣いて先生に縋るよりもやるべき事があった。ミカは地面に放っていた愛銃を掴み、先生を抱えて移動する事を決める。兎に角今は先生の安全を最優先、アリウス自治区の脱出する為にも気は抜けない。

 先生を背負って走る為にも、その旨を彼に伝えようとして。

 

「こっちに隠し階段が……!」

「よし、突撃――ッ!」

「わ、わぁーッ!」

「っ……!? 先生、頭を下げて――!」

 

 地下回廊に、大勢の足音と声が響く。ミカは咄嗟に先生を背に隠し、愛銃を構える。だが弾薬は残り少ない、最悪は先生を担いだまま遁走する事を覚悟し――しかし横合いの通路から地下回廊に雪崩れ込んで来たのは、ユスティナ聖徒会でもアリウス生徒でもなかった。

 

「っ、貴女達は……!」

「み、見つけました! 先生とミカ様ですッ!」

「い、居ました、居ましたよっ!」

「ナギサ様に報告をッ! 早く!」

 

 差し込む陽光に照らされる白色、その制服はトリニティ総合学園の生徒が身に纏うもの。そして頭部に被った白いベレー帽、両肩を包み込むトリニティの校章が煌めくケープはティーパーティー所属の証明である。先頭を駆けていた生徒は涙目で先生とミカを指差し、後方に続いていた茶髪の生徒が横合いの通路に向けて声を張る。

 ミカはそんな彼女達の様子に目を瞬かせ、唖然とした表情で呟いた。

 

「ティーパーティーの、親衛隊(ロイヤルガード)――?」

 

 ■

 

「隊長、一体どうしたのですか?」

「マダムと連絡が……取れない」

 

 アリウス自治区、中央街道にて。

 侵入した生徒達を捜索、及び排除する為に駆り出されていた分隊の一つ。自身を入れて総員六名、アリウス生徒を率いる隊長は先程から何ひとつ指示を寄越さなくなった端末を見つめながら呆然とした声色で呟いた。呟きは決して大きなものものではなかったが、周囲の生徒達の耳にも確りと届いた。

 時刻は既に明朝、本来であればマダムより儀式完遂の報告があってもおかしくない。寧ろ何の指示も降りてこない事自体が不自然。彼女の身に何かあったのだと考えるのが妥当であった。

 

「そんな、まさか」

「……嫌な予感がする、展開した防衛隊と連絡を取る、周囲を固めろ」

「……了解」

「此処から近い防衛隊の班は、何処があった?」

「はっ、確か隣接区に第七班が――」

 

 部隊を街道の壁際に移動させ、影に紛れながら端末を操作する。通信相手はアリウス自治区に広く展開した防衛隊の面々、比較的近距離に位置している筈の分隊、そのひとつ。ガスマスク越しに固唾を呑んで連絡を待つアリウス生徒達、その内のひとりがふと顔を上げ、周囲に視線を向け始めた。

 隣り合ったが生徒が忙しなく動く彼女の視線に気付き問いかける。

 

「おい、どうした」

「あ、あぁ、いや、その何か――妙な音が聞こえて」

「妙な音?」

「靴が石畳を叩いている様な……?」

「足音だと」

 

 全員がその一言に黙り込み耳を澄ませる。すると確かに、街道の奥から誰かが駆けて来るような足音が響いていた。十中八九味方の部隊だろう、しかし此方の通りに部隊が通るという連絡は来ていない。全員がそれとなく警戒を露にする中、薄らとあたりを覆う朝霧を裂き飛来したのは――銃声と弾丸であった。

 それは先頭に立っていたアリウス生徒の顔面に突き刺さり、ガスマスクに弾痕を刻む。大きく仰け反り、弾かれた顔面をそのままに崩れ落ちる仲間を視界に収めながら隊長は叫んだ。

 

「ッ、敵襲!? 馬鹿な、一体どこの――」

 

 奇襲、それもこんなアリウス自治区、中央区画の街道で。

 浮足立った彼女達の視界に、黒い制服を身に纏いながら朝霧を裂き駆けて来る幾つもの人影が映った。彼女達は深く被った黒いベレー帽を半ば浮かせながら、汗を滲ませ叫んだ。

 

「しゅ、出動!」

「突撃ですっ!」

「っ、トリニティ!?」

「正義実現委員会だと……!?」

 

 ■

 

「――此処が、アリウス自治区ですか」

 

 深く、息を吐き出しながら告げられる言葉。彼女は今しがた拳で打ち崩した壁を潜り、パラパラと落ちて来る粉塵と破片を払いながら静かに立ち上がった。彼女が辿り着いたのはカタコンベより到達出来るアリウス自治区外郭、地下回廊の一つ。薄暗く、不衛生で、強い黴と埃の匂いを感じられるそこには、防衛隊と呼ばれるアリウスの部隊がひとつ展開していた。

 巡廻中であった二名のアリウス生徒はたった今、凄まじい轟音と共に外壁を粉砕し内部へと侵入を果たした生徒を見て、思わず気圧される。ガスマスクの内側に冷汗を滲ませながら銃口を突きつけ数歩後退った。

 そんな様子を見つめながら微塵も怯まず、彼女――トリニティ総合学園、救護騎士団団長、蒼森ミネは足元に愛用のシールドを打ち付け告げた。

 彼女にとっては軽い、何て事のない動作であったが、シールドの下部がコンクリートにめり込んでいる。一体どれ程の膂力を秘めているのか、対峙する生徒の背筋がぶるりと震えた。

 

「セイア様の云う通り、確かに救護が必要な様ですね」

「なっ、何だお前は――!?」

「構わん、撃てッ!」

 

 その言葉を皮切りに、二人の構えた銃口が火を噴く。しかし、その弾丸がミネに届く事は無い。発砲と同時にミネは盾を構え、甲高い跳弾音と火花を撒き散らし、悉くがあらぬ方向へと弾かれる。そして一瞬の溜めを経て、驚異的な脚力で以てアリウス生徒の懐に潜り込んだミネは、恐れ戦き腰の引けた二人の顔面目掛けて構えていた盾を振り被った。

 

「救護ォッ!」

「ごぼぉッ!?」

 

 盾による殴打、或いはシールドバッシュ。突き出されたそれはコンクリート壁よりも固く、そして戦車の正面装甲すら拉げさせる一撃。そんなものを顔面に繰り出された二名は大きく吹き飛び、そのまま外壁へと叩きつけられる。凄まじい衝撃に抗う術もなく半ばまで埋まり、項垂れた両名のヘイローが点滅し、軈て消失した。意識を失ったのだ。それを見届けたミネは嘆息し、逆手に持った愛銃――救護の証明を振り払う。

 

「私をお許し下さい、個人的な感傷によって果たすべき義務を疎かにしました、彼女達もまた救護が必要な方々だと云うのに……セリナ、ハナエ、彼女達の治療を」

「は、はい、団長……」

 

 名を呼ばれた二名の生徒、セリナとハナエは今しがたミネの空けた外壁の大穴から顔を覗かせ、周囲に敵が居ない事を確認するとそそくさと壁にめり込んだアリウス生徒二名を回収する。ぐったりとした生徒を二人で抱え、運んでいく様は何とも物騒である。手際よく包帯を巻き、絆創膏を貼り付けていく彼女達を見守りながら、ミネは何処までも凛とした態度で告げた。

 

「それから二人共、これから私が生み出す負傷者も、速やかに救護し、治療する様お願いします」

「えっ」

「こ、これからって……?」

「――敵勢力発見! 既に外部経路より進入されています!」

 

 まるで今この瞬間に敵がやって来る事が分かっていたかのような口ぶり。そしてミネの言葉通り、回廊の曲がり角より戦闘音を聞きつけたのか、何名かのアリウス生徒達が銃口を構えながら現れた。慌てて自身の銃を手に取るセリナとハナエであったが、それよりも早くミネが二人の前に立ち塞がる。

 

「此処で止めるぞ――各員射撃開始!」

「セリナ、ハナエ、頭を低くして下さい!」

「わっ……!?」

 

 地下回廊に鳴り響く乾いた銃声。それらを一身に受け、盾で防ぐミネ。その背後で身を縮こまらせるセリナとハナエは、マズルフラッシュで浮き上がる団長の背を見つめながら思わず叫んだ。

 

「だ、団長……!」

「問題ありません――では、参ります!」

 

 弾を全て撃ち尽くした、ほんの僅かな隙。弾幕が薄くなったと見るや否や、ミネは盾を構え深く膝を屈めた。

 瞬間、彼女の足元が罅割れ、ズン――と重低音が鳴り響く。

 その両足に紫電が走り、ミネの双眸が鋭く前を見据える。そして十分な溜めを作った彼女は地面を踏み砕き、同時にコンクリート床が捲り上がり、ミネの身体は宙高く舞い上がった。

 

「っ、消え……!?」

「――戦場に」

 

 消えたと錯覚する程の跳躍。声に気付き、はっとした表情で頭上を見上げれば――自分達の真上に、盾を振り被ったミネの姿があった。

 

「救護の手をッ!」

 

 叫び、落下と共に振り下ろされる盾。ミネ団長用に特注されたソレは最早鈍器と云っても過言ではなく、インパクトの瞬間に地面を粉砕し巨大なクレーターを生み出す。凄まじい衝撃と爆音、噴煙が巻き起こり周囲に立っていたアリウス生徒達が軒並み空中へと打ち上げられる。衝撃波が彼女達の肉体を突き抜け、ガスマスクのレンズが罅割れる。そして再び地面へと打ち付けられた時、彼女達の意識は既に消失していた。

 地面に深く突き刺さった盾、それを力任せに引っこ抜き、瓦礫塗れになった周辺を見渡すミネ。全員が戦闘不能になった事を確かめた彼女は素早く身を翻し、セリナとハナエに視線を向ける。

 

「対象の沈黙を確認、治療を!」

「まさにミネ団長が壊して騎士団が治す、という私達のモットーですね! 久しぶりの救護騎士団、本領発揮です!」

「う、うぅ、そんなモットーはないのですが……」

「さぁ、迅速に動いて下さい! 信念と誇りを胸に! 適切に、必要な場所(ところ)に救護を!」

 

 倒れ伏したアリウス生徒に治療を施していく救護騎士団の姿を見つめながら、彼女は制服の裾を翻す。自身の信を置く盾を地面に突き刺し、前方へと銃口を突きつけた彼女は高らかに声を響かせた。

 

「――アリウス自治区を解放し、先生とミカ様を救出するのです!」

 


 

 先生の両足が無くなるのはまだ先なので、どうか安心して下さいまし。

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